No.485926

俺妹 恋人ごっこ2

10巻後ifの第二話。

とある科学の超電磁砲
エージェント佐天さん とある少女の恋煩い連続黒コゲ事件
http://www.tinami.com/view/433258  その1

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2012-09-19 00:37:23 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:2449   閲覧ユーザー数:2309

恋人ごっこ2

 

 

 代わり映えのない光景。変わる筈がない光景。時が止まったかのような光景。

 

 ……つまらない。

 

 高坂桐乃は一面の白天井という光景に憂鬱を感じずにはいられなかった。

 けれど、憂鬱以上に怒りが湧き上がって来て止まない。こんな状況を作ってしまった自分に対する怒りが。

「こんな時期に風邪引いて3日も休むなんて超最悪……っ」

 溜め息と共に自分の状態を要約してみる。

 そう。桐乃は風邪を引いて3日間も学校を休んでいた。

 

 原因は分かっている。

 あれは今週の月曜日のこと。

 桐乃は京介と喧嘩した。

 いや、正確には喧嘩じゃない。桐乃が京介に対して一方的に要求を叩き付けた。

 

『京介っ! アンタ、あやせとデートしてどう接するべきなのかよく考えてみなさい!』

 

『とにかくアンタはデートしなさいっ! そしてアタシに道を示しなさいっての!』

 

 自分ではどうにもならない心の憤り。それを怒りと共に京介へと転嫁した。

 京介とあやせにどうなって欲しいのか自分でもよく分からない。くっ付いて欲しいのか欲しくないのか。自分が京介とどうなりたいのか、あやせとどんな関係でいたいのか。何もかもが全然分からない。

 分からないから回答を京介に丸投げた。

でも、そんな丸投げを自分自身が納得出来なかった。

 

『人任せなのはアタシも同じじゃん。ていうか、京介を言い訳にして何も決めようとしてないし……』

 

 桐乃は1階のリビングのソファーでふて腐れていた。そしてそのまま睡魔が襲ってきた。

 一応手近にあったタオルを何枚か体にかぶせて布団代わりにはした。けれど秋も深まりを見せている時期にその無防備な眠り方は無理があった。

 翌日の朝は寒気と共に目を覚まし、上半身を起こした瞬間に体の不調を感じ取っていた。全身を取り巻く気だるさは風邪の前兆だとすぐに分かった。

 けれど桐乃は風邪という状態を認めたくなかった。ソファーの上で布団も掛けずに寝たから風邪を引いたなんてプライドが許さなかった。あやせと京介のせいで動揺して変な行動を取ってしまったなんてプライドが認められなかった。

 その結果、桐乃はその日の学校でいつも通りの生活を送ろうと無理を押し通そうとした。

 けれど、授業中はともかく部活では体調不良であることがすぐに結果となって現れてしまった。

 準備体操をこなすのが精一杯でまともに走れなかった。タイムが極端に悪くコーチや同輩に叱りの言葉を受けた。そしてその際に体調不良を指摘された。

 けれど桐乃は持ち前の強情とも置き換えられる鉄の意志で部活を続行した。その結果、容態が更に悪化したことは多く語るまでもなかった。

 ふらつく体で家に戻り夕飯の頃には立ち上がることさえ困難な状況に陥ってしまった。そして水曜日から欠席をはじめ今日である金曜日まで休みが続いてしまっている。

 自己管理が出来なかった。それは自分を極限まで追い詰める傾向を持つ桐乃には大きな羞恥と苦痛となっていた。

 穴があったら入りたく、その穴に自分を生き埋めて欲しいとさえ願う。

 

 桐乃がそんな風に悶々としている時だった。自室の扉が控え目にノックされたのは。

 母親が着替えを運びに来たのだと思った。だから気軽に返事をした。

「鍵開いてるからどうぞ」

 扉はすぐに開く。けれど、入って来たのは予想とは違う人物だった。

「京……介……っ」

 洗面器に入った濡れタオルとスポーツドリンクのペットボトルを持って入って来たのは兄の高坂京介だった。

「よぉ……っ」

 京介は困ったような表情を浮かべながら笑ってみせた。兄お得意の情けない表情。

「何の用よ?」

 非難の視線で京介を睨む。別に非難する必要はない。けれど、病気で弱っている自分を見られるのは何か嫌だった。

「タオルと飲み物を持って来ただけだよ」

 京介は桐乃の視線を特に気にすることなく用件を告げた。その表情は妹に白い目で見られることに慣れきっていることを示している。それがまた桐乃には面白くなかった。

「あっそ」

「タオルと飲み物は椅子の上に乗せておくぞ」

「ああ。うん……あっ」

 この件になってようやく桐乃は重要なことに気が付いた。月曜日以降兄とほとんど会話していないことを。

 京介とは普段から口をほとんど聞いていない。それが自分達兄妹の普通。

元気な状態でも京介を会話相手にと考えたこともない。

 けれど今唐突に思い出した。月曜日に出した課題に京介がどう答えを出したのかまだ確かめていなかったことに。

「じゃあ俺はこれで……」

 何気なく、けれど早々に部屋を出て行こうとする京介。

「待ちなさいよ」

 去ろうとする兄の背中に声を掛ける。

「なっ、何だ? 何かして欲しいことでもあるのか?」

 兄の声は微妙に動揺を含んでいた。その動揺はあやせとの一件を触れて欲しくないことを何より雄弁に物語っていた。

 なら、桐乃が出す次の答えは決まっていた。

「せっかくタオル持って来たんだから、背中、拭いてくれない?」

 京介を引き止めて話を聞き出す。それしかなかった。

「ええ~っ!? 俺が体を拭くのかよ!?」

 戸惑った声と表情で京介は振り返った。その慌てぶりを見て桐乃は少し楽しくなってきた。楽しいと感じたのは病気になって以来初めてのことだった。

「タオル越しとはいえ、アンタが好きで好きで堪らない妹の背中に触れられるんだから感謝しなさいよね」

 楽しくなるとちょっと強がりを言う余裕が出て来た。

「あのなあ、俺は別に妹というワードに魂をくすぐられる駄目オタクじゃないぞ」

「アキバに妹モノエロゲーを深夜買いに行った分際でよく言うわね」

「買いに行かせたのはお前じゃないかっ!」

 京介との軽口の言い合いが楽しい。普段喋りたいとは思わない。けれど、喋り始めるとそれはそれで楽しい。それが京介と桐乃の関係。

「とにかく、美少女妹の背中を堪能できる絶好の機会なんだからありがたく思いなさい」

「ご近所に聞かれたら俺の評判丸下がりな世迷言をほざきやがってぇ……」

「アンタの評判なんかこれ以上下がりようがないから安心しなさいっての」

 目を瞑りながら世の真理を語る。評判が下がるとすればそれは自分の方。外で猫を被りまくっているのは自分の方なのだから。

「俺は声を大にして言いたいよ。ゲームの妹と違って現実の妹は全然可愛くないって」

 京介は愚痴をこぼしながらタオルを手に取った。どうやら部屋に留まることに同意してくれたようだった。

 ようやくこれで、京介とあやせの2人の関係がどうなっているのか聞くことが出来る。

 桐乃は大きく息を吸い込んだ。

 

 

 

 妹は大変厄介な時期に風邪を引いてくれた。

 いや、ある意味ではこのタイミングで体調を崩してくれて助かったとも思っている。熱に苦しんでいる桐乃には申し訳ないが。

 

『わたしのことを少しでも気に掛けてくれるのなら、しばらくの間、恋人ごっこに付き合って頂けませんか?』

 

 あやせから恋人ごっこを打診され、色々あって引き受けたのが2週間前。

 

『京介っ! アンタ、あやせとデートしてどう接するべきなのかよく考えてみなさい!』

 

 桐乃からあやせとデートするように催促されたのが今週のはじめ。

 けれど俺はあやせに対してどういう態度を取るべきなのかまだ決めかねていた。

 恋人のように接してくれるというあやせに対してここ2週間1度も顔を合わせていない。電話で話したこともないし、メールを2度程やり取りしただけ。

 自分で言うのも何だが、好意を示してくれている少女に対して失礼極まりない対応を続けている。

 普段は意識しないが黒猫に振られて以来、恋愛関係に極端に臆病になっている俺がいた。

 

 妹が風邪で倒れたことは猶予期間の増加を意味する。けれど、そんな風に考えてしまうこと自体が無様に思えてならない。女子中学生2人に困惑している18歳青年男子。情けないとしか言いようがない。

 そんな時だった。リビングで英単語帳とにらめっこをしていたらお袋に用事を頼まれたのは。

「飲み物とタオルを桐乃の部屋に運んで頂戴」

 お袋は優雅にテレビを見て煎餅をかじりながら俺に言った。

「何で俺が? 受験生なんだぞ」

「部屋に戻るついでに置いて来るだけなら負担にはならないでしょ」

 お袋は1度たりともテレビから視線を外さない。交渉の余地はなさそうだった。お袋は俺と桐乃の微妙な葛藤を知らないのだし、これ以上粘っても意味はなかった。

 降伏した俺は大人しく洗面器とペットボトルを持って2階へと上がった。

 

 

 で、現在……。

「アンタ、アタシが良いって言うまで目を開けたら殺すかんね」

「ああっ。分かってるっての」

 目を瞑る俺の眼前では妹のストリップショーが執り行われている。

 いや、その言い方は卑猥過ぎるか。正確には俺が背中を拭く為に妹はパジャマを脱いで素肌を曝している最中。

 何だこの、妹モノのエロゲーのワンシーンみたいな展開は?

 俺の理解の範疇を超える方向へと事態は進んでしまっている。俺は単に飲み物とタオルを運びに来ただけの筈だったのに……。

 パチンという音が鳴ってから少しして部屋の中の音が止んだ。

「もう、目を開けて良いわよ」

「おっ、おう」

 妹の指示通りに目を開ける。

 目の前には妹の女の子らしい華奢な背中が広がっていた。

 普段陸上部で鳴らしているのでもっとゴツくて色が黒いのかと思っていた。でも、実物はそんなことなく肌のキメが細かく色白で綺麗な背中だった。

「横に回って胸とか覗こうとしたら殺すかんねっ!」

 脱いだパジャマで前を隠し背中を向けたまま妹は脅しを掛けて来た。

「ああ」

 妹に言われて気付く。妹の背中にブラの紐が見えないことに。

「お前、寝る時はブラ着けない派なのか?」

 思ったことを素直に聞いてみる。俺の数少ない女性の胸に関する知識によると、女の子は寝る時にブラを着ける派と着けない派に別れるらしい。妹は後者なのだろうか?

「じゃなくてぇっ! ブラには汗が溜まりやすいから拭くのに邪魔で外したんでしょうがあっ!!」

 妹からお怒りの声を浴びせられる。顔が見えない分いつもよりは怖くない。

「あんまりつまらないことを訊くと今度は殺すわよ……っ」

「イエス、マム……」

 訂正。妹様はいつも通りに怖い方でした。

 

「美少女妹様の背中に触れられるなんて幸運。アンタの一生で今後もうないんだから感謝しながら丹精込めて拭きなさい」

「へいへい」

 洗面器に入ったタオルをもう一度両手で絞る。と、そこで思い出した。

「今のお前の言葉、確か1年ぐらい前借りたエロゲーで同じ台詞があったような?」

 詳細は思い出せない。けれど、今と同じ様なシチュでツンデレ妹キャラが同じことを言っていた気がする。

 ちなみにそのキャラは汗拭きイベントから気分が盛り上がってエッチシーンが始まり、その後はひたすら主人公に肌を晒してばかりだった気がする。

「アタシと雅ちゃんを同一視するなぁっ! 二次元と三次元の区別が付かない変態っ!」

「エロゲキャラの台詞を素で喋る奴に言われたくねえよ」

 溜め息を吐きながら少し乱暴に濡れタオルを妹の背中に押し当てる。

「ひゃっ!?」

 妹が何やら色っぽい声を出しながら体をビクッと振るわせた。

「ちょっ、ちょっと! タオル押し当てるなら前もって言いなさいよっ! びっくりするじゃないのよ!」

 妹はやたら焦っている。……うん。これは面白い。

「なら、次にタオルを肌に付ける時はちゃんと言うようにするぜ」

 言いながら俺は桐乃の背中に直に手を触れた。ビタッと掌全体を押し付ける。

 うん。柔らかくて良い感触だ♪

「ひゃぁあああああああぁっ!?」

 桐乃は俺の予想よりも面白いリアクションを見せてくれた。半分飛び上がるようにして驚いてくれた。妹の狼狽に胸の奥がスカッとする。

「アンタねぇ~~っ!!」

 妹の怒りの念が篭った声が背中から聞こえて来る。

「おいおい。タオルを当てる時に声を掛ければ良いんだろ? 俺はお前の言いつけに何も違反してないぜ」

「子供か、アンタはぁあああああぁっ!!」

 桐乃は体を大きく捻りながら右手を大きく振りかぶって引っ叩きに入った。だがその大き過ぎる動作によって悲劇が生まれた。

 桐乃が両手で押さえていたパジャマが反動でベッドの上にパサッと落ちてしまったのだ。

 

 俺へと振り返った所で落ちるパジャマ。

 俺の目の前には桐乃の裸の胸が曝されていた。……綺麗な白と桜色だなあ。

「あ…………っ」

 あまりの出来事に桐乃は行動停止に陥る。俺を引っ叩く筈だった右手は横に広がったまま止まっている。

「あの、えっと……何だ」

 不本意ながら俺に裸を晒してしまっている桐乃に何か言わなくてはならない。でも、一体何を?

 俺が桐乃に怒られなくて済む為には何を述べれば良い?

 数年ぶりに見た、すくすくと立派に成長した色も形も綺麗なおっぱいに対して何と言えば怒られずに済む?

 うん? 数年ぶりに見た…………そうか。これだっ!!

「一緒にお風呂に入っていた7、8年前と比べると桐乃も立派になったもんだなあ。お兄ちゃん感動の涙に思わずむせび泣いちゃいそうだよ」

 感動を前面に押せば或いは……っ!

「死ネ~~~~ッ!!」

 無理でした。

 桐乃のビンタにぶっ飛ばされながら大人に成長した妹のおっぱいをしっかりと目に焼き付けて永久保存に掛ける俺なのだった。

 

 

 

「ちゃんと反省しているんでしょうね?」

 妹様の声はどこまでも冷たく尖っている。

「悪かったと思ってるよ」

 殴る蹴るの暴行を受けて痛む全身で桐乃の背中を拭きつつ俺は答える。

「まったく。アンタみたいなのがアタシの裸を最初の男かと思うとガッカリだわよ」

「あっそ」

 気のない返事をしてかえす。けれど内心で桐乃の嫌味に驚きと共に安堵感を得ていた。

 桐乃の言葉を信じるなら、アイツはまだどんな男とも肌を晒し合うような関係になっていない。即ち清い体だということだ。

「お兄ちゃんは嬉しいぞ」

「はぁ? 何突然猫撫で声で気持ち悪いこと言い出してんの? 今すぐ死ねば?」

「はっはっはっはっは」

 妹の罵詈雑言も気にならなくなった。

 桐乃に恋人なんてまだ早い。女子中学生に恋人なんて……。

 と考えた所で胸にチクッと痛みが走った。

 恋人なんて早過ぎると思っている妹の同級生との恋愛で悩んでいるのは他ならぬ俺自身なのだから。

「あのさ……っ」

 妹の声色が変わった。怒りが鳴りを潜めて真剣な声だった。

「何だ?」

 何の話か予想は付いているのだが敢えて聞き返す。

「あやせとさ……もうデートしたの?」

 直球だった。

「お前に言われてから今日まで俺の帰宅が遅かったことがあったか?」

 大きく息を吸い込みながら返答する。

 受験生で、しかも平日特定の予備校に通っていない俺は学校が終わると即家に帰って勉強を始める。僅かな寄り道もしていない。それが今週の俺だった。

 

「じゃあ、週末デートの申し込みはしたわけ?」

 聞き直した妹の質問内容はやはり鋭いものだった。そして答え難いものでもあった。

「今日の昼休みに、明日の昼頃に会えないかとメールしておいた」

「デートのお誘いってわけ?」

「さあな」

 妹のジト目を素っ気無く返す。

 男女が2人で合うことをデートと言うのなら、明日の逢瀬はデートということになるだろう。けれど、そうでないのなら……。いや、それは俺が今考えることじゃない。

「で、あやせは何て返したの?」

「雰囲気の良い喫茶店を知っているのでそこで会いましょうって」

「へぇ」

 桐乃の声は随分素っ気無いものだった。

「まあ、あやせがアンタに本気だってのはアタシも知ってるから別にどうでも良いし」

 どうでも良いと言う割に棘のある言い方。

「問題はアンタの方よ」

 桐乃は背中を向けたままプレッシャーを掛けて来る。

「京介はさ、あやせと付き合うの? 付き合わないの?」

「知らん」

 知らんと言う割に棘のある言い方だった。

「前はあやせに相当熱を上げてたんでしょ?」

「そうだな。ラブリーエンジェルって騒いでいた」

「時間が経って熱が冷めたってわけ?」

「別にそういうわけじゃない」

 パサパサしたそれでいて棘のある応答が続く。

「じゃあ、黒いのと寄りを戻そうってわけ?」

「さあな」

「なら、麻奈実…さんとか、それとも加奈子とか他の女と付き合いたいわけ?」

「さあな」

 俺の気のない回答を聞いて桐乃が苛立ちを露にする。

「さっきからさあな、さあなってアンタ一体何を考えているわけよっ! 男なんだからしっかりしなさいっての!」

「お前を言い訳にしないと、自分からは何も考えていないことに気が付いちまうんだよ」

 再び溜め息を吐く。

 状況に流されているだけ。そんな自分に嫌でも向き合ってしまう。

 桐乃の兄という自分。黒猫の先輩そして恋人という自分。多くの事件や出来事が俺に配役を割り振ってきた。

 俺は天才役者でも名役者でもない。だけど与えられた兄や先輩という役を全うしようと最善を尽くして来たのは確かだ。役になりきる努力するしか能がないのだ、俺は。

 でもその一方で俺は割り当てられるまで自分から何か役を望んだことがない。

 妹が人生相談を持ち掛けて来るまで自分から兄であろうと努力したことはなかった。

 黒猫が同じ高校に入学するまで、彼女に同じ学校に入って欲しいと考えたことさえなかった。黒猫に告白されるまで、彼女と恋人になれるだなんて思ってもみなかったし、その為の努力もしなかった。あれだけ親密にずっと一緒にいたのにも関わらずだ。

 俺は結局、桐乃や黒猫が敷いてくれたレールの上で石炭を一生懸命に燃やして汽車を走らせていただけだった。

 そして今回もまた高みの見物をしながら推移を見守り役割が与えられるのを待っている。そんな自分自身に嫌でも気付いてしまう。

 

「それってつまり、あやせに何かしおらしいことを言われてドキッと心動かされたら付き合っちゃうかも知れないってこと?」

 棘だらけの言葉。でも俺はそれに反論出来なかった。あやせに恋人役を求められたら結局引き受けてしまう自分をリアルに想像出来てしまったから。例えそこに恋がなくても。

「そ、それじゃあさ……」

 妹は言葉を一度切った。

「あっ、アタシがしおらしいことを言って、その……京介に体を許したらさ……一生アタシのことだけ見てくれる? アタシだけのものになってくれる?」

 続いたのは呟くような小声。あまりにも微か過ぎて俺以外には聞こえない声。

 胸がやたらとざわめいた。

「…………さて、背中も拭き終わったことだし俺はもう部屋に帰るぞ」

 妹の背中に押し当てていたタオルを離す。洗面器で絞り直して机の上に置く。後は淀みない動作で妹に背を向けて歩き扉のノブに手を掛ける。

「何で、否定してくれないのよ?」

 桐乃の声は怒っているようでもあり悲しんでいるようでもあった。背を向けている俺には妹が今どんな表情で言葉を発しているのかよく分からない。

「年下の女の子に変な期待を持たせて心をぐちゃぐちゃに掻き乱すなんて……アンタ、最低よ」

 今度の言葉は涙声だった。

「早く、風邪治せよ」

「言われなくても、分かってるわよ」

 俺は妹の部屋を出た。

「勉強……しねえとな」

 今最も期待されている役割である勤勉な受験生を上手くこなそうと自室へと戻る。

 けれど今日はその配役を上手く演じられる自信はまるでなかった。

 

 

 

 翌日土曜日午前11時55分。

 俺はあやせに指定された喫茶店の前に辿り着いていた。

 住宅街の真ん中にある、こじんまりとして落ち着いた雰囲気の洋風カフェだった。もう一言付け加えるなら高そう。俺だったら敬遠して通り過ぎちゃうけれど、良家のお嬢さまであるあやせなら確かに好きそうな店。

 重厚な感じのする木製のドアを潜って店内に入る。黒を基調としたテーブルや椅子で囲まれた店内はシックな雰囲気を醸し出している。上品な大人向きの店。そんな印象。

 店主らしき黒いエプロンを掛けた中年男性がチラッと俺を見た。俺は広くない店内を見回して待ち合わせの人物を探す。

 すると、いた。

 高級そうな黒いワンピースドレスにこれまた高級そうな白いストールを羽織った完璧お嬢さま仕様のあやせが。

「マジで……っ?」

 首元には真珠が連なって光るネックレス。胸元には緑の宝石が輝く大きなブローチ。これからセレブパーティーにご参加ですかと聞きたくなるようなフォーマル装備だった。

 普段と何ら代わり映えのしない俺の服装とは天地の差だった。

「……着いて早々にこんな情けない想いを抱えることになるとはな」

 心の中で頭を抱えつつあやせへと近付く。水の入ったグラスをジッと見詰めつつ俯いているあやせは俺が近付いても気付かなかった。

 

「よおっ」

 内心の情けなさを隠すように殊更に明るく声を出す。

「あっ……お兄さん。あの、その、こんにちは」

 あやせは伏し目がちに挨拶を返した。その目は激しくまばたきを繰り返して落ちつかない。

「その……俺、また何かやっちゃったかな?」

 いつも妹や黒猫、あやせに駄目出しをされ続けて来た俺のこと。知らない間に大ポカをやらかした可能性は十分にあった。あやせの服がフォーマルなのもそのせいなのかも知れない。社交パーティーに出る約束を忘れているとか。

「いえ。やってしまったのはお兄さんではなくわたしの方で……」

 あやせの声は小さく凹んでいることが容易に分かるものだった。

「あの、お兄さんはこの服装……どう思いますか?」

 あやせは泣きそうな表情で尋ねて来た。

 いきなり厳しい質問だった。桐乃といいあやせといいJCの質問の鋭さは半端ない。

「え~と…………フォーマルな感じで……美人がより一層引き立つな」

 社交界デビューですかと聞きたくなるのをグッと堪えて答える。嘘は言ってない。元々美人であるあやせがドレスを着ると更に2、3歳大人の女性に見えるのだ。俺よりも年上に見えるぐらいに。

けれど、俺の回答はあやせを喜ばせることが出来なかった。

「その、わたし……デートにお誘いされてお受けしたのは今回が初めてのことだったので……どんな服で行けば良いのかよく分からなくて」

 あやせの声が段々小さくなっていく。

 それにしても、そうか。やはりあやせは今日呼び出されたことをデートと認識している訳なんだな。そんなあやせを見ていると胸が痛んで来る。自分の気持ちが半端過ぎて。

「それでその……失礼のない服をという基準ばかりが頭を占めるようになりまして……」

「最高級にフォーマルな格好になってしまったと」

「はい……っ」

 あやせは相変わらず俯いている。

「先ほど、ここに来る途中で加奈子に会って服の感想を聞いたら……社交界デビューかと真顔で聞かれました。それで、ここの喫茶店で初デートだと答えたら……お腹を抱えて大笑いされたんです」

 ポロポロと涙を流して悲しんでいるあやせに何も言ってやれない。あやせの話から加奈子が大笑いしている様はリアルに想像出来た。

そして今現在、大笑いした加奈子が五体満足無事でいるのかとても気になった。

「それでわたし、自分の格好のおかしさにようやく気付いたのですが……約束時間が迫っていたので着替え直しに帰るわけにもいかなくて……うっうっ」

 涙ぐんで目元を押さえるあやせ。この子は時間厳守を自分に厳しく課している。だから服装が気に入らなくても俺を待たせる方が悪いと判断したのだろう。

 桐乃だったら、しかも待ち合わせ相手が俺だったら、服装が気に入らない限り何時間でも平気で待たせることと比較すると雲泥の差だ。

 

「わたし、事務所契約モデルなのに……何でこんなTPOをまるで無視した格好を……」

 あやせの落ち込み振りが危険域に達している。

プロモデルでもあるあやせにとっては服のコーディネートは自分の真価を発揮する分野。実際にあやせの服のセンスは格別優れている。けれどそのあやせがここ一番の勝負で……。心の傷は相当深いに違いない。

やはりここは俺が元気付ける場面なのだろう。

「まあ、何だ」

 今度こそ失敗しないように気分を盛り上げてやらないと。

「TPOなんかに関係なくあやせは何をいつ着ても一番可愛いよ。何たって俺のラブリー・エンジェルだからな」

 あやせの肩に手を乗せながら素直な感想を述べる。

 何しろあやせの顔の可愛さは世界一と俺の脳裏にインプットされている。だから服の差による支援効果はあまりない。全部が全部美人に見えてしまうのだから。

その辺りは黒猫、白猫、神猫、制服姿で大きく印象が変わって見える黒猫とは大きな差かも知れない。

「…………60点です。言葉に洗練さがありません」

 あやせは顔を上げて俺を見た。その瞳には非難めいた色が含まれている。やばい。失敗したか?

「ですが、お兄さんの日ごろの言動を考えると今の言葉には真実味があります。だから……倍の120点をあげちゃいます」

 あやせはクスッと笑ってみせた。俺の顔が強張ったのを見てからかうように。

「えっと。今のはつまり少しは立ち直ってくれたってことなのかな?」

 自信がなくて聞き返す。

「はいっ。おかげ様で元気が湧いてきました」

 あやせの表情からは先ほどまで色濃く浮かんでいた影が見えなくなっていた。

「改めて惚れ直してしまいました♪」

「そりゃどうも」

 満面の笑みを浮かべるあやせに照れ臭いものを感じる。

「加奈子もとても遠い所から喜んでいると思います」

「……やっぱり、とても遠い所にいるのか」

「冗談ですよ♪」

 エンジェルスマイルを全開にするあやせ。

 その笑顔が意味するものは一体何か?

大量の汗が出た。

 あやせという少女はやはり只者ではなかった。

 

 

 

 朝食はあやせに勧められるままに店のランチセットを注文した。

 マスターが趣味で作っているという本格牛タンシチュー。有機野菜のみで構成されたヘルシーサラダ。そしてライ麦パン。食後のデザートに1口アイスクリームとコーヒー。いずれも味は非常に良かった。

 ハンバーガー屋や牛丼屋に比べると高かったが、ランチセットということで価格は抑えられていた。あやせなりに気を使ってくれたのだろう。

 昼食も済み、コーヒーも残り半分となった。空気的にいよいよ本日の本題の開始だった。

「本日はデートにお誘い頂いてありがとうございます」

 あやせは丁寧に頭を下げた。

「あやせみたいな美少女に来てもらえたのだから感謝しないといけないのは俺の方だ」

 あやせに合わせて頭を下げ返す。

 この際デートという単語の使用は気にしない。というか、美少女と2人で食事するのは立派なデート行為に違いないのだから。

「それで、本日はどこにエスコートして頂けるのでしょうか?」

 あやせという少女は実に鋭い質問を早速飛ばして来てくれた。女子中学生は、いや女の子ってのはみんなこんなに鋭いもんなのかね?

「お兄さんの行きたい所ならわたしはどこでも構いませんよ」

 俺達の他に誰も客がいないからか、あやせはやや大きめな声を出しながら楽しそうだ。

「映画でも、遊園地でも、お兄さんの思い出の場所でも……その、お兄さんの部屋でも、ほ、ホテルでも……」

 最後の方が小さくなっていく。顔を真っ赤に染めながら。

「ちなみにホテルを選択するとどうなるんだ?」

「はいっ。追加特典として料理上手で甲斐甲斐しい幼な妻さんと一生を共に過ごす権利と義務が付いてきます♪ 返品は効きませんので一生大事にして下さいね」

 あやせは照れ笑いを浮かべながらも楽しそうだ。ほんと、随分変わったもんだ。

「もう数ヶ月で卒業とはいえ、現役女子中学生にホテルとか結婚と言われると凄く驚くぞ」

「前も言いましたがわたしの最終目標はお兄さんのお嫁さんにしてもらうことですから♪」

 あやせは笑顔を綻ばしている。俺に告白してから完全に開き直っている。ゴーイング・マイウェイな突っ走りぶりは去年からよく知っているが今の方が厄介かも知れない。

 あやせみたいな女の子を肉食系と言うのだろうか?

「わたしはとても不器用なので心に決めたたった1人を全力で狩りに行くのみです」

「お前が意外と不器用なのはよく知っている。けど、狩りって言うな」

 俺のツッコミにあやせはクスッと笑って返した。コイツやっぱり肉食系だ。

「それで、どこに連れて行ってくれるんですか?」

 改めて聞き返すあやせ。

 軽口はここまでにしていよいよ本題に入る時が来た。

「じゃあ、提案するぞ」

「はい」

 頷いてみせるあやせに俺の考えを告げる。

 

「今日どこに行きたいのかはあやせが決めてくれ。俺はどこにでも付いて行くぞ」

「えっ?」

 俺の提案を聞いた瞬間にあやせの雰囲気が変わった。俺と彼女を包む空気が急に重苦しくなる。

「デートプランは男性が立てるのが一般常識かと……」

 あやせは小声で異議を唱える。けれどその異議を聞き入れるつもりはない。

「今日はあやせに行き先を決めてもらうつもりでデートに誘ったんだ」

 デートという言葉を使いながらあやせの逃げ道を塞ぐ。

 訪れる沈黙。先ほどにも増して重苦しい雰囲気。まるで破綻寸前のカップルのよう。

「お兄さん……意地悪です」

 1分ほどの沈黙の果てにあやせは拗ねたような声を出した。

「普段はとても親切で優しいのに今日はちょっと厳し過ぎますよ」

「優しいだけの男では駄目って恋愛じゃ常識だろ?」

 恋愛という言葉を使ってあやせの退路を更に断つ。

「お兄さん、本当に意地悪です。結婚したら凄い亭主関白に泣かされそうです」

 あやせはますますいじけた声を出す。

「じゃあ、止めておくって選択肢が一番手っ取り早いぞ」

 フフッと余裕の笑みを浮かべる。

「それが出来るのなら苦労しません。どうしてわたしの好きになってしまった人は、こんなにも意地悪でセクハラ野郎で変態で最低なシスコン男なのでしょうかね?」

 あやせは大きく溜め息を吐いた。

「あやせも…なかなか言うじゃないか」

 あやせの俺評価が去年と変わらず低いことに心の中で涙する。

「お兄さんみたいな最低人間の側にいれば口も態度も悪くなるのは仕方ないと思います」

「お前、本当に俺のことが好きなのか?」

「はい。わたしはお兄さんのことを大好きです。最初で最後の大好きだと確信しています」

 あやせの返答には何の躊躇も戸惑いも見られない。

「そうか。ありがとうな……」

 最低人間と断言する癖に大好き。乙女心は本当によく分からない。

 

「それで、どこに行きたいかそろそろ教えてくれると嬉しいんだが」

 あやせの目を見ながら話を元に戻す。すると再び雰囲気が重くなった。でも、それも仕方ない。これはどうしてもハッキリさせないといけない問題なのだから。

「これ、自由選択のフリをしてそうじゃありませんよね?」

 あやせが再び非難めいた瞳を向けて来た。

「正解はたった1つ。他の選択肢は全部間違いですよね? お兄さん失望しますよね?」

 何も答えずにずっとあやせの綺麗な顔を見続ける。

「お兄さんはわたしに正解を選んで欲しいのですか? それとも間違って欲しいのですか?」

 聞きながらあやせの頭の良さに驚かされる。正解どころか俺の意図まで見透かされていたとは。

「俺にとってはどっちになっても良いんだ。どちらになっても利になる」

「わたしはどちらを選んでも辛いんですが……」

 あやせの頬がプクッと膨らんだ。

「あっ、でも、お兄さんはどこにでも従って付いて行くと言いましたから、わたしの部屋に連れ込んで責任取って下さいねエンドは可能ですよね?」

 あやせは意地悪く笑っている。確かにそれは第3の選択肢となりうる素質はある。けれど大きな弱点を抱えてもいた。

「その場合、政略結婚以上に愛のない夫婦生活エピローグが待っているだろうがな」

「つまり、お兄さんに嫌われない選択肢は1つしかないと」

「そういうことになるな」

「ぶぅ~です」

 せっかくの案を潰されてあやせの不満そうな顔はまだ収まらない。

「これって正解を選んでもわたし攻略ルートじゃない気がします。昔借りたゲームにヒロインをこんな風に攻略するシナリオはありませんでした」

「共通ルートを歩んでいる段階だと思えば理不尽な展開への苛立ちにも目を瞑れるさ」

「今日のお兄さん、本当に鬼畜ですね」

 あやせの白い目が厳しい。

「あやせの心を的確に掴んでいる証ということで褒め言葉と受け取っておこう」

 意地悪な笑みを浮かべてみせる。

「お兄さんは女同士の関係の繊細さや複雑さが分かってないから、そういう危険な問いを投げ掛けられるんですよ」

「そうだろうな。けど、だからこそ第三者のお節介が必要な場合もあるってもんだろ?」

「お兄さんが第三者を気取るのは今回の場合絶対に許されませんけどね」

 あやせは大きく溜め息を吐き出した。

 

「分かりました。これ以上ここで粘るのもなんですし行きましょうか」

 あやせは言いながら椅子から優雅に立ち上がる。

「どこに?」

 あやせは軽く目を瞑って済まして答えた。

「バッドエンドを避けるルートをですよ」

 その答えを聞いてホッとする。

「そうしてくれると俺は嬉しい。アイツも喜ぶさ」

「喜ぶなんて断言出来ちゃうお兄さんのデリカシーの無さに泣けて来ますけどね。まあ……わたしも気になっているのは事実ですけど」

 あやせは再び目を瞑った。

「ありがとうな。ここは俺が持つよ」

 伝票は俺が持って席を離れる。

「ここは素直にご馳走になっておきます。お兄さんにいじめられて精神が磨り減りましたから」

「兄からのお礼ってことでご馳走させてもらおう」

「その言い草。絶対これ、わたしルートじゃないと思います」

 頬を膨らませて不平を述べるあやせがいつになく可愛く見えた。

 

 

 

 店を出て20分後。俺とあやせは件の目的地に到着していた。

「何、そのおかしな扮装は? あやせってば今から社交界デビューでもするつもりなの? ぶっひゃっひゃっひゃっひゃ」

 そして目的の人物はあやせの気合入った服装を無遠慮に指差しながら布団の中で大笑いしていた。

「お兄さんは……これで満足なのでしょうか?」

「何て言うか。その……スマン」

 能面みたいな無表情なあやせに頭を下げて謝る。こういう際の我が妹様の無礼をもう少し考慮に入れるべきだった。ていうか着替えてから来れば良かった。

「で、何であやせ達がここにいるわけ? 今この馬鹿と初デート中じゃなかったの?」

 大笑いを止めた妹の声は背中がゾクッとする冷たさを含んでいた。

「別に。お兄さんの部屋に無理矢理連れ込まれる途中で桐乃の部屋があったからちょっと挨拶に寄っただけよ」

 しれっとした、それでいて冷たい声で返すあやせ。

 ……うん。女って怖い。俺が簡単に口を挟める雰囲気じゃない。

「階段からは京介の部屋の方が近いと思うけど?」

「お兄さんの部屋に連れ込まれたらその後2時間ぐらいわたしの艶かしい声が壁越しに聞こえちゃうかも知れないから一言断りにね」

 どうして2人とも笑顔のままそんなに平然と相手に刃を向けられるんだ?

「言っとくけどソイツ、どうしようもないヘタレよ。女と付き合っていても妹のことばっか気にするシスコン変態野郎だし、コトの最中にアタシの名前を呼ぶかも知れないわよ」

 刃が今度は俺に向けられて来た。マジ、勘弁して下さい。

「お兄さんが変態セクハラシスコン近親相姦魔だってことはもう十二分に知っているから別に気にしないわよ」

 刃が2本とも俺に向いて来たぁ~っ!

 ていうかあやせさん。シスコン近親相姦魔は誤解だったと納得してくれたんじゃないんですか?

「それと桐乃はこれからわたしのことをお義姉ちゃんと呼んでね♪ 近い内にそうなるんだし」

「一人っ子のあやせがお姉ちゃんねえ……だが、断る♪」

 あっ、2人の視線の間に段々激しく火花が散って来た。ていうか俺が限界です。もうこの空間にいること自体が耐え難いです。女の子同士の葛藤を甘く見すぎていました。あやせさんの言う通りでした。

「桐乃ももう少ししたら叔母ちゃんになるのだからもっと落ち着かないと駄目だよ」

「アンタみたいな性悪女に京介が靡くと本気で思ってるの? 別の意味でめでたいわね」

 ビリビリが、視線の火花のビリビリが激しくスパークしてもう限界です。

 

「まっ、まあ待て。2人とも、ちょっと落ち着こうぜ」

 自分の体を2人の中間に入れることで仲裁に入る。

「「ああっ!?」」

 2人から同時に睨まれました。凄く険しい視線です。モデルにあるまじき、眼力だけで人を殺せそうな視線です。

 でも、ここで負けないのが男、いや、兄・高坂京介の真骨頂。年下の少女達の修羅場を黙って見てられるかってんだよっ!

 ベッドから上半身だけを起こしている桐乃へとまず顔を向ける。

「桐乃。せっかく友達がお見舞いに来てくれたのにそんな好戦的な態度じゃ失礼だろうが」

「ま、まあ、それはそうなんだけど……」

 桐乃はバツが悪そうに顔を背けた。よしここは一気に畳み掛けるチャンスっ!

「桐乃だって水曜日に学校休んで以来友達の声を聞いて無くて寂しかった筈だろ」

「…………水曜日に黒いのと沙織はお見舞いに来てくれたし。一昨日は加奈子と麻奈実…さんが寄ってくれたから寂しくはなかったし」

 何言ってんのコイツと謂わんばかりの厳しい視線が俺を向いた。

「黒いのも加奈子もみんなアンタの部屋へ寄っていって楽しくお喋りしてたじゃん。アタシの部屋にいるより遥かに長い時間さ」

「そ、そう言えばそんな記憶もあるようなないような……」

「へぇ~」

 冷や汗が流れ出す。桐乃だけでなくあやせからも氷の視線が投げ掛けられる。

「つまりお兄さんは妹のお見舞いにかこつけて好意を寄せてくれる女の子を自室に引きずり込んでいちゃいちゃしているわけですね。……このドスケベがぁッ!!」

 あやせが鬼の目で俺を睨む。

 いかん。このままではあやせが手の付けられないマジ切れモードに突入してしまう。なんとしても阻止せねば。ならば一気呵成に攻め切るのみっ!!

「それにあやせもあやせだっ! 見舞いに来た病人の状態を更に悪化させてどうするんだ」

「それは、その……お兄さんの言う通りです。ごめんなさい」

 あやせは小さくなって頭を下げた。これで2人の争いもようやく終わりが見えたってもんだ。さすがは俺。年下の女の子を説得する技術力は超一流だぜ。

「アンタが黒いのや沙織を部屋に連れ込んだ後さ、隣でアタシが寝ているってのに3人で大笑いし続けてくれたよね。しかもアタシの小学生時代の過去の失敗談とか持ち出してさ。あれで精神が高ぶっちゃっておかげ様で熱が上がりまくったわよ」

 桐乃が怒りの視線を投げ付けてきた。

「え~と、そうでしたっけ……?」

 受験生にも休息は必要だと短い時間3人で話していた記憶ぐらいしかない。

「加奈子達がいる時は、アタシの料理の腕前を面白おかしく語ってくれちゃってさ。加奈子にまで大馬鹿扱いされる貴重な屈辱的体験のおかげで熱がちっとも引かなかったわよ」

 桐乃は怒りから顔中を真っ赤に染めている。

「あの、俺はそんな話をしてたっけ?」

 いや、だから俺にとっては加奈子や麻奈実とのお喋りは受験勉強の合間の短い息抜きという認識しかなくて……。

「今日は今日で何のプランもなしにあやせを連れて来るし……京介は一体どこまでアタシの病気を悪化させれば気が済むのよぉっ!」

 妹が布団を蹴って飛び起きる。

「やっぱりお兄さんは女心を弄ぶ最低の男性ですっ!!」

 横にいた筈のあやせの気配が消える。

「いや、俺は常に全身全霊でお前の病気の快復を願ってだなあ……」

「「問答無用っ!! 死ねぇえええぇっ!!!」」

 正面の桐乃と背後に回っていたあやせによる息の合ったハイキックのクロス。

「ぐはっ!?」

俺の体はスピンしながら天井に向かって駆け上っていく。

「「ばかぁああああああああっ!!」」

 声を合わせて俺に蔑みの視線を送る2人。2人の息はぴったりだ。

「計画……通り……だ」

 このやり取りが仲直りするきっかけに少しはなるんじゃないか。

 そんなことを考えながら天井に接触した俺は意識を手放したのだった。

 

 

 

「お兄さんはいつもいつもいつもやり方が強引で乱暴で品が無さ過ぎます」

「はい。申し訳ございません」

 桐乃の部屋を出てから30分。俺は自室で現役女子中学生からお説教を受けていた。床の上に正座させられながら。

「ちゃんとっ、聞いているんですか?」

「はっ、はいっ! 一字一句漏らさずに聞いておりますっ!」

 あやせはお怒りモードになるとしつこくて怖い。それは半年以上着信拒否を続けられた過去からも分かる。

「お兄さんが自分を悪者とすることであの場を収めようとしたことは分かっています。でも、もっとスマートに収束を図ることも出来た筈です」

「…………俺はコメディアンなんだよ。笑いをとってナンボなんだよ」

 ひたすら小声で意見を述べる。

 正直、桐乃とあやせの諍いを軽く見ていた。去年の大喧嘩に比べたら大したことじゃないと高を括っていた。

 だから2人のぶつかり合いを目の当たりにして自分の迂闊さを呪わずにはいられなかった。そんな俺に出来る唯一の対処法は道化を演じ切ることだけだった。2人にお仕置きされることも込みで。

「お兄さんのあのやり方は格好付けすぎです。ああいうやり方をされると逆にわたしや桐乃は自分の子供っぽさを痛感させられて悲しくなるので今後はなしでお願いします」

 あやせはちょっと悔しそうに下唇を噛んでいる。

「けど、桐乃とあやせは2人ともまだ中学生だし、妹だからなあ」

「…………なしでお願いします」

 あやせの瞳はいつになく鋭く尖っていた。

「以後、気を付けます……」

 床に額を擦りつけながらごめんなさいをしてみせる。今のあやせに逆らうなんて俺には出来なかった。

 

「じゃあ、もう頭を上げて下さい」

 30秒ほど額を擦り付けて声が掛かったので頭を上げる。

「その、椅子に座って下さい。いつまでも正座されたままだとわたしが困ります」

「そうか」

 あやせに言われるままに座り直す。床に正座するように有無を言わさずに命令したのはあやせだったよなとツッコミを入れるのはグッと我慢する。

「その、それでわたし、男の人の部屋に入ったのって生まれて初めてです」

「そう、か……」

 30分のお説教タイムがなければドキッとさせられたかも知れない言葉。

でも部屋に入ったばかりのあやせさんは部屋など一切気にせず俺を怒るのに夢中だった。よって今更そんなことを言われてもかなり白けてしまうのが実情だ。

「男の人の部屋ってこんな風になっているんですね」

 あやせは首を回しながら部屋中の物をキョロキョロと物珍しそうに見回している。桐乃によって、俺が1人暮らししている間に萌えオタグッズ塗れにされたこの部屋を。

「俺の名誉の為に先に言っておく。この部屋の大半の私物は妹のコレクションだ」

 勉強道具以外の俺の私物は現在絶賛行方不明中になっているぐらいに妹のものだらけだ。

「白いパンツが見えている小学生ぐらいの女の子のあのフィギュアもですか?」

「そうだ。俺自身は1つもフィギュアなんて持ってない」

 首を横に振ってみせる。

「じゃあ、あのどう見ても小学生にしか見えないツインテールの女の子が裸で縛られている薄い本は?」

「あれも妹の私物だ。ていうか薄い本も全部桐乃の本だ」

 首を横に振ってみせる。

「じゃあ、やたら妹という文字が目に付く幼女キャラクターが多数描かれたポスターも桐乃のなんですか?」

「そうだ。俺にこんなポスターを買う勇気も壁に貼る勇気もない」

 首を横に振ってみせる。

 先日黒猫達がこの部屋に入り大笑いされた時のことを思い出す。黒猫は何度も俺の部屋に入った経験があるのでこれらのグッズが桐乃の物であることをすぐに納得してくれた。

 けれど加奈子を説得するのは大変だった。何しろアイツは桐乃がオタクだと知らなかったのだから。それで桐乃に関する馬鹿話を大量披露する羽目に陥ったのだった。

「でも桐乃は今時の男子高校生はエッチな本の代わりにエッチなフィギュアと薄い本を持っているのがごく当たり前だって言ってました」

「そんな当たり前はアイツの頭の中にしかねえよ」

 大きく溜め息を吐いて頭を掻く。桐乃はどんだけ俺を変態に仕立てれば気が済むのだか。

 力が全身から抜けていくのを感じた。

 

 

「それで、その、改めて……今、わたし達……2人きり、ですよね?」

 ベッドに座り直したあやせが上目遣いに聞いて来る。その瞳は潤んでおり頬は赤い。やや前屈みの姿勢は胸を強調しているようにも見える。

「そうだな」

 あやせの言葉に肯定してみせる。

 現状を見れば確かにそうなる。俺とあやせは小さな部屋の中で2人きり。デート中の男女が男の部屋で2人きり。あやせから熱視線が送られて来ているのも理解している。

 つまり今はそういう状況だ。それは理解している。そうなのだが……。

「その……お兄さんはドキドキしないのですか? わたしはお兄さんの部屋で2人きりでこんなにもドキドキして今にも窒息してしまいそうなのに」

 俺の”異変”に気付いたらしいあやせが心配そうな表情で尋ねて来た。しかもまたまた鋭い質問だった。

「あやせみたいな美少女と一緒にいられてドキドキしてない訳じゃないんだ。ただな……」

 言葉を途中で切る。この先を言うのはさすがにまずいと鈍い俺でも分かった。

”黒猫とデートして手を繋いだ際や身を寄せ合った際に感じたドキドキに比べたら大したこと無い”

 あやせと黒猫を比べての発言なんて出来る筈が無かった。

「お兄さん、今、わたしと黒猫さんを比べてましたよね? しかもわたしが下で」

 そして俺の目の前のJCは俺の痛い部分ばかり的確に指摘してくれる。

 さて、この鋭いJCに何と答えるべきか?

 嘘をついてもすぐにバレて怒られそう。素直に言っても失礼だと怒られるだろう。なら……。

「そうだ。俺はお前と黒猫を比べてあまりドキドキしてないことに気付いた。スマン」

 堂々と認めて頭を下げて謝ってみた。

「そ、そうですか……」

 あやせは俺の言動を見て困惑している。というか首を垂れて落ち込んでいる。

「今日のお兄さんは本当に意地悪です。15歳の少女を迫害して楽しんでます。陰険サディストです」

 あやせが子供みたいに唇を尖らせていじけている。

「そうか? 割と素の状態だぞ」

「素では困るんですよ。わたしと一緒の時は良くも悪くもテンションを上げてもらわないと……全然、わたしのペースに持ち込めないじゃないですか」

「確かに以前の俺はあやせの顔を見るだけでテンションおかしくなっていたからなあ。本当、あの頃は若かったもんだ」

 顧みると出会い頭のセクハラプロポーズとかよく出来たもんだ。頭悪過ぎるだろ、俺。

「……わたしとの思い出をあんまり過去のお話にしないで下さい。もう終わっているって言われているみたいで辛いです」

「何か言ったか?」

 あやせの呟きは小さ過ぎてよく聞こえなかった。

「いえ、セクハラプロポーズされた時にお兄さんを拘束しておけば良かったなと後悔を」

 あやせは昔を悔しがるように息を短く吐き出してみせた。

「確かに逮捕しておけば問題は起きなかったよな」

 声を出して笑ってみる。あやせは冗談を言って場の空気を換えようとしているのだろう。

「……拘束ってそういう意味じゃないんですけどね。本当、鈍感な人ですよね」

 あやせは小さく笑ってみせた。

 

 

 

 今日のあやせの躁鬱の差は非常に激しい。

 気合を入れ過ぎた服装に落ち込み、桐乃と喧嘩しては激しく怒りを顕し、頭の悪い方法で仲裁に入った為に怒り爆発のお説教をし、黒猫と比べられていたことに激しく落ち込んだ。

 まるでジェットコースターみたいな上がり下がりの差。でもその落差もこの部屋に落ち着いてきた現状ではもう起きないだろう。

 そう思っていた俺が馬鹿だった。あやせとのデートの最大のジェットコースターはまだこれから待ち受けていたのだった。

 

「お兄さんにとってやっぱりわたしは妹の友達でしかないんですか?」

 受験勉強の進度や日常話をしていた最中に突如爆弾が落とされた。

「あ……っ」

全くの不意打ちに俺は全身を硬直させて押し黙ってしまった。その質問は俺とあやせの関係を説明する上であまりにも核心を突き過ぎたものだった。

「否定してくれないんですね。やっぱり」

 あやせは目を瞑りながら大きく溜め息を吐いた。

「いや、あの、それはだな……」

 両手を前に伸ばしながら何と言い訳しようか必死に頭を巡らす。けれどあやせは目を瞑ったまま右手を左右に振って俺の返答を制した。

「良いんです。今のはただの現状把握で、覚悟していた通りの回答を頂いただけですから」

 あやせが目を開く。大きな瞳で真っ直ぐに俺を見ている。

「代わりに、どうしても訊いておきたいことがあります」

「何だ?」

 あやせは真っ直ぐな瞳のままゆっくりと口を開いた。

「黒猫さんはどうやって妹の友達から恋愛対象になり得る1人の女の子へと認識を変えたんですか?」

 あやせの顔が後10cmの所まで近付いて来ていた。

「それを訊いてどうする?」

 あやせの挑戦を避けずに正面から受ける。

「わたしは貴方の恋人になりたいんです。なら、先人の知恵を借りるのも当然です」

 あやせの回答は簡潔明瞭だった。

 そして俺はそれを聞いて何故だかとても気持ちが冷めていくのを感じていた。何だ、この嫌な感覚は?

「あやせと黒猫は全然違う存在だぞ」

 酷く嫌味掛かった言葉。けれど、それでもあやせは全く引かない。

「知ってます。でもわたしも黒猫さんも桐乃の友達でお兄さんの……知り合いです。共通点も多い筈です」

「あやせの方が背も高いしスタイルも良いが……黒猫は高校生、転校するまでは俺の後輩だった。対するお前はどんな大人びて見えてもまだ中学生だ」

 あやせが妹に近い存在であることを示す。けれどあやせはそれでも引かない。

「つまり黒猫さんは高校生というお兄さんと同じ世界を見たことが大きいと?」

「それは大きいかもな」

 今年の春、入学式の日。制服姿の黒猫を見た時のことを思い出す。

 

『おはようございます。先輩』

『お前……黒猫、か?』

 

 高校の制服を着たアイツを見た瞬間、桐乃の友達じゃなくて俺側サイドの人間になった想いが強くした。

 今にして思えば黒猫に対する見方を変えた大きな分かれ目の一つだったと思える。

 一方で3歳差であるあやせや桐乃とは学校が被るということはない。あやせ達は1つ下の学校に通っているという目で見てしまう。その差はでかい。

「でも、それだけじゃない筈です。他にももっと転換点になったことがある筈なんです。時間を掻けて刷り込まれた認識は容易に変わるものではありませんから」

 あやせに言われて思い出してみる。今年の春の日々の出来事を。妹がアメリカから帰って来なかったあの日々のことを。

 

『オナニー作品がつまらないと言うなら、超凄いオナニーを見せつけてやるだけのことよ』

 

 ……間違えた。

 いや、この場面も俺が五更瑠璃という人間を知る為には重要な一場面だった。桐乃の圧倒的な才能を前にして必死にあがこうとする点で俺と黒猫は同じ憤りを抱いていた同志であることを理解した。

 

『それともお前、俺のこと好きなの?』

『好きよ。貴方の妹が貴方を好きなくらいには』

 

 言われた当時は軽くスルーしてしまった黒猫の言葉。でも黒猫と付き合うか悩み始めてから凄く意味を持った一言。俺が黒猫を恋愛対象としてはっきりと見た一瞬。

 

『先輩と兄さん、どっちの呼び方が好き?』

『何でそんなこと聞くんだ?』

『良いから答えて』

『先輩で良いよ。兄さんって…兄妹でもないのにおかしいだろう?』

『そう。じゃあ2人きりの時は、兄さんと呼ぶわ』

『えっ? 何で?』

 

 これも会話した当時は大した意味を考えなかったやり取り。でも、後から考えてみると俺が黒猫を妹サイドではなく俺サイドの人物として見るようになっていたことを公言したものでもあった。妹の友達ではなく俺の後輩。

 当時は少なくとも俺が含意を理解していなかった会話も、今になって思い返してみれば転換点であったことが分かる。

 考えてみると確かに分岐点はあった。でもそれは……。

「確かに転換点となる会話や出来事はあったさ。でもそれは個別のイベントでゲームみたいにフラグが立ったとかではなくて、俺と黒猫の2人の時間の積み重ねによるものだ」

 語気を強めて語る。

 ようやく理解する。俺があやせの質問に苛立っていた理由を。

それは俺達の人生をゲームのフラグ的に解釈することで、俺と黒猫の2人の大切な時間が矮小化されてしまうと危機感を抱いたからに他ならない。

 人生初めての恋愛を頑丈な宝石箱に入れて色褪せない様に大切に保存したい。黒猫との思い出を誰にも汚されたくない。他人に消費されたくない。

 結局はそういうことなのだ。

 

「つまり、黒猫さんとは十分な時間の積み重ねがあったから妹の友達から恋愛対象へと見方が変わった。けれど、わたしにはそれがないと?」

 あやせは片目を瞑り悔しそうな表情を見せている。

「まあ、そういうことになるな」

 軽く目を瞑る。

「マネージャーのお仕事斡旋では足りませんでしたか? 1ヶ月の身の回りのお世話では足りませんでしたか?」

 あやせの切羽詰った声が聞こえて来る。言われた通りにあやせとの思い出を振り返ってみる。

「あやせには本当に感謝しているんだ。俺がこうして実家に帰ることが出来たのもあやせの献身あってのことだからな。……ありがとうな」

 あやせに向かって頭を下げる。少なくともあやせが身の回りの世話をしてくれなければ今より受験は危機を迎えていただろう。

「お兄さんに褒めて頂いて…わたしも嬉しいです」

 嬉しいと言いながらあやせの声は苦しさに詰まっていた。

「ですが、その、今わたしが聞きたいのは…わたしとお兄さんの関係を大きく変えるような積み重ねはなかったのかということで……」

 口を大きく開いてひと呼吸置く。

「ごめんな。俺の中であやせは桐乃や加奈子とどうしても切り離せない。同じカテゴリーに括ってしまうんだ」

 目を開いてあやせをジッと見る。

 1人暮し中の俺の世話係をあやせに指名したのは桐乃だった。あやせも桐乃の頼みだったから引き受けた。

 逆にマネージャーの件では常に加奈子が中間に入っていた。俺は加奈子のマネージャーだったのだから。

 こんな風にして、俺とあやせの関係はいつも誰かを中間に挟んだものだった。今でこそそれはあやせの照れ隠しであり、本当は俺と関係を結ぼうとしたものだったと分かるのだけど。

けれど中間項の存在は俺とあやせの関係という認識を弱めさせた。もしあやせが自分のマネージャーをして欲しいと俺に頼んでいたら。もしあやせが俺の世話係を自分から立候補してくれていたら……。

多分俺のあやせに対する認識は今とは相当に異なっていただろう。Ifの話を熱心にしてもあまり意味はないが。

 

「なるほど。そういうことですか」

 あやせはとても疲れた声で大きく息を吐き出した。

「つまりわたしはツンデレして自分の気持ちを認められない間にどんどん負けルートを歩んでいた、と」

「俺はあやせが金欠高校生にバイトを紹介してくれたことも、生活力に乏しい受験生のお世話をしてくれたも心から感謝してるんだぜ」

「感謝と恋心は違うとはっきり言ってくれた方が気が楽ですよ」

 あやせは再び溜め息を吐いた。

 

「自分が現在どういうポジションにいるのかよく分かりました。その原因も含めて」

 あやせは俺に顔を近付けたままの姿勢で目を伏せた。

「そう、か……スマン」

 謝罪の言葉と共に室内を非常に重い空気が締め付ける。

 これは俺があやせを事実上振ってしまったことから生じたプレッシャーだろう。

 冗談だったとはいえプロポーズまでした子を、しかも好意を寄せてくれている子を振る。

 最悪な行動を続ける俺自身に対して吐き気を覚える。けれど、中途半端な気持ちで付き合うのはもっと頂けない。

「その……さ……」

 言葉を発しようとして詰まる。

 あやせに何と言うべきなのか。何を言う資格があるのか。考えがまとまらない。

「最後に1つ、お伺いしたいことがあります」

 あやせは肝が据わっているというか睨むように俺を見ている。

「なっ、何だ?」

 酷いことをした自覚がある分、あやせの問責に備える。

「黒猫さんは桐乃の友達から恋愛対象の女の子へとお兄さんの認識が変わったんですよね?」

 あやせが更に顔を近付けて俺を覗き込む。その距離僅か数cm。

「あっ、ああ。そうだ」

 あやせの質問の意図が分からずに上半身を逸らしながら驚き答える俺。

 これ以上あやせは一体何を狙っているんだ?

「なら……わたしもこれからお兄さんとの思い出を重ねれば認識を変えられる可能性はあるってことですよね?」

「へっ?」

 俺にはあやせが何を言っているのか分からなかった。いつだって鈍感過ぎる俺は女の子の真意に無知過ぎた。

 

「まだあやせは京介の部屋にいるんでしょ? 今週の授業進度のことでちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

 ノックもせずに寝巻き姿の桐乃が入って来た。俺の意識は瞬間的に妹へと向かう。それはつまり、数cmの距離しか離れていないあやせから目を離してしまうことを意味していた。

 

「わたしはお兄……京介さんのことが大好きです。愛しています」

 

 言葉と共に近付いて来るあやせの綺麗な顔。

 そして重なる俺とあやせの唇。

とても温かくて柔らかい唇の感触が一瞬にして俺の脳を麻痺させる。

 

「へっ?」

 

 桐乃が目を大きく見開き固まった。

 きっと同じ表情で俺も固まっているのだと思う。

 何しろあやせに不意打ちでキスされてしまっているのだから。

 

「泣き寝入りは性に合いません。強引な手段を使ってでもわたしは京介さんの愛を……勝ち取ってみせますから」

 

 宣言し終えてから再び押し当てられるあやせの唇。

 1日に2度キスをされたことなんて俺の人生で初めてだった。

 不意にかつて俺が黒猫に振られた際に麻奈実から聞いた言葉を思い出す。、

「そういや麻奈実は……あやせのパワーに一目置いてたんだよなあっ」

 驚愕する桐乃の顔、何かを吹っ切ったように見えるあやせの顔。

 そして押し当てられる柔らかい唇の感触。

 目の前に映るもの、感じるものがどこか非現実的に思えて。

 俺はこの事態に対してどうにも反応できなかった。

 

 恋人ごっこは俺が予想していたよりも遥かに厄介なものへと化けつつあった。

 

 了

 

 


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