No.364860

あやせたん初心に返る (完結編)

あやせたん三部作 その3


2012お正月特集
http://www.tinami.com/view/357447  そらおと 新春スペシャル 智樹のお年玉

続きを表示

2012-01-18 00:35:19 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:4767   閲覧ユーザー数:2283

これまでのあらすじ

 

 

 天使が……消えちまった。天使が、この世界からいなくなっちまった

 

「とにかくっ! バカ兄貴はさっさとあやせの催眠術を解いて頂戴っ! そうすれば、あやせのこの壊れた状態は元に治るわ」

「おうっ! わかった!」

 あやせが元に戻ればまた以前の様に罵ってくれるに違いない。

 そして妹も救うことができる。

 やっと、俺の成すべきことが見えたっ!

 

 

 

あやせたん初心に返る (完結編)

 

 

「それで、どうすればあやせの催眠術は解けるんだ?」

 俺たち高坂兄妹が生き残る為に必要なこと。

 それが妹の催眠術により真ヤンデレとして覚醒してしまったあやせの催眠を解くこと。

「テレビでよくある催眠術みたいに、5円玉に糸を通してブランブランと左右に振ってあやせが眠りにつけば催眠は解けるわっ!」

 桐乃の瞳から追加情報のアイコンタクトが送られてくる。

『あやせは単純だからアンタみたいなバカなド素人でも簡単に掛かるわよ』 

 俺も桐乃に対して兄らしくアイコンタクトを返してみせる。

『バカは余計だっ!』

 まったく、実の兄を何だと思っている。

 桐乃が険しい瞳で睨んで来るがとりあえず無視。

 今、俺が気にすべきは催眠術の準備を進めること。けど、そこで問題が生じた。

「俺は糸なんぞ持ってないぞ!」

 そう。5円玉はあるが、肝心の糸がない。

 今まで制服の修繕は麻奈実やお袋にずっと任せて来たので俺は自前の修繕セットを持っていなかった。

「あやせは単純だから、糸がなくても丸いものを一定リズムで左右に振っていれば催眠に掛かるに違いないわよっ!」

「そうかっ!」

 丸いものなら財布の中に小銭が幾らでもある。

 それを使えばあやせはきっと元に戻るはず。

 俺がポケットから財布を取り出した瞬間だった。

「そうはさせません」

 高速で駆け抜けてきたあやせが一瞬の間に俺から財布を奪い取った。

「これで、お兄さんは何もできませんね。わたしが催眠術に掛かっているとか何のことかはわかりませんが、今はとても気分が良いです。おかしな術を掛けられるのはごめんです」

 やはり一筋縄で術に掛かってはくれないか。

 だが、今のあやせはコチコチの真面目人間。

 付け込んで懐柔する余地は最近のあやせよりもむしろ多いはずっ!

「あやせっ! 俺の財布を返せ。優等生のお前が盗みを働いて良いのかよ?」

 こう言えばあやせは意に染まなくても俺に財布を返さざるを得ないはず。

 だが、あやせは予想外の返答を寄越した。

 

「このお財布をお返しするわけにはいきません。ですが、お兄さんに金銭的にご迷惑を掛けるような真似はできませんから、代わりにこれを差し上げます」

 そう言ってあやせは長方形の小さなカードを1枚俺に投げて寄越した。

「これっ、クレジットカードじゃねえか! しかもプラチナっ!」

 高校生である俺がクレジットカードを眼にする機会はそう多くない。

 しかも、一部の金持ちしか持てないというプラチナカードを見せられては普通に驚く。

「限度額まで使用して構いません。もし、それでも足りない場合は言ってくだされば追加でお支払いいたします」

「俺の財布には悲しいほど小銭しか入ってないっての!」

 プラチナカードの限度額まで使うには、俺の財布が後何十個、いや何百個必要だろうか?

「大体これ、あやせの家のカードだろ? 俺が勝手に使って良い筈がないだろうが」

「それはわたしの個人名義のカードですから構いませんよ」

 あやせの回答を聞いて頬が引き攣る。

 あやせが人気ナンバーワンのモデルだって言われていることを今更ながらに思い出す。

 そう言えば俺の妹も、アメリカ留学するのに500万の通帳を親父に叩き付けたって言うからな。

 怖えよ、中学生モデル。

 俺、会社入って何年経過したらコイツらの収入に追い付けるんだ?

 ああっ、やる気がなくなる。

 きっと社会人なら今の俺のこの気持ちがリアルによくわかってくれるに違いない……。

「とにかく、あやせが稼いだ大切な金を他人の俺が勝手に使える訳がないだろう。これは返すよ」

 俺は別に金が欲しい訳じゃない。

 丸い小銭が欲しいだけだ。女子中学生名義のプラチナカードなんか使えるかっての。

「他人じゃ、ありませんよ」

「はっ?」

 あやせはカードの受け取りを拒否した。

 けれど、それ以上に不可解なことを口にしてくれた。ごく自然な表情で。

「ですからわたしとお兄さんは他人ではありません」

「俺とあやせは血の繋がりもないただの他人だろうが」

 それとも何か。

 俺が何も知らされていないだけで、実は俺とあやせが実の兄妹だったとでも言うのか?

 そんな漫画みたいな話があると?

「他人ではありませんよ。何故ならわたしは京介さん、あなたの未来の妻だからです」

「はぃいいいいいぃっ!?」

 あやせのヤツ、突然何を言い出すんだ?

「……チッ! あやせのヤツ。やっぱりアイツに対して前より素直になってやがるわね」

 桐乃はとても不愉快そうな視線で変なことを口走ったあやせを睨んでいる。

「あやせ、お前、本当にどうしたんだ?」

「京介さんに大事なお話があります。聞いてください」

「大事な話?」

 あやせは俺の前に立つと上目遣いで俺を見上げた。

 その瞳は潤み、頬は僅かに赤く染まっている。

 ほ、本気で可愛い。

 そしてあやせは俺に最大級の爆弾を投下してくれた。

 

「わたしは京介さんのことが好きです。愛しています」

 

「えぇええええええええええええぇっ!?」

 いや、マジで驚いた。

 だって、あのあやせが、マイ・エンジェルが俺に愛の告白をするなんて。

 あれだけ俺を毛嫌する言動を取り続けてきたあやせが、俺のことを好きだなんて!

 幾らあやせが催眠術に掛かって正気じゃないからって俺のことを好きだなんてっ!

 あっ!!

 ……そうか。そういうことか。

 謎は全て解けた。

 あやせが俺に愛の告白するなんておかしいと思ったんだよ。

 これはみんな催眠術のせいなんだ。

 うん。納得。

「京介さんはわたしのことをどう思いますか?」

 真剣な表情で尋ねて来るあやせ。

 でも、これは催眠術の結果なんだ。

 あやせの本来の意思とは関係なく、催眠術の力でそう言わされているんだ。

 そう思うと……この告白にすっげぇ腹が立って来た。

 クソッ! 

 催眠術め。俺とあやせの心を弄びやがって。

 絶対許せねえっ!

 

「それで京介さん。お返事は……」

 胸の前で両手を組んで乙女チックに俺を上目遣いで見るあやせ。

 もし、これが本当にあやせからの告白だったら俺は跳ね上がって喜んでいただろう。

 そして土下座しながら交際してくださいとお願いしていただろう。

 でも、そうじゃない。現実はそうじゃない。

 だから、俺は現実に相応しい答えを述べなくちゃいけなかった。

「悪い。あやせとは付き合えない」

 催眠術に掛かった今のあやせと付き合うことなんてできない。

 だからこれが俺の唯一にして絶対の回答。

 

「それは、どうしてですか?」

 あやせは俯きながら肩を震わせていた。

地面を見ればあやせの顔から流れ出た水の粒が地面に跳ねている。

 幾ら今のあやせが正気ではないとはいえ、女の子を泣かせるのは本当に趣味が悪い。そして嫌な気分だ。

 けど、ここで答えを変えるわけにはいかない。もし、催眠術に掛けられている間に俺と付き合ったなんてことになれば、あやせが元に戻った時にどれだけ傷つくかわからない。

 だから、ここは冷淡に押し通す。

「今のお前が、俺の好みじゃないからだ」

 操られた人間と付き合うほど俺は落ちちゃいねえんだよ!

「それは、他に好きな女の子がいるからということでしょうか?」

「へっ?」

 あやせは山の頂上を向いた。

 そこには心配した表情で俺たちのやり取りを見ている桐乃が磔にされたままだった。

「京介さんの好きな女の子は、もしかして桐乃なのですか?」

「「はぃいいいいいいいいいぃっ!?」」

 俺と妹の声が同時に揃う。

 けど、あやせはとても無茶苦茶なことを言い出してくれた。

「京介さんは、桐乃のことを愛しているからわたしの告白を受け入れてくれないんですよね?」

「そんな怖い解法がどこから来たか詳しく知りたいさっ!」

 何を血迷ってやがるんだ、あやせのヤツ?

 いや、待てよ。

 確か去年のあの日。

 俺が揉み合って偶然桐乃を押し倒してしまったあの時、加奈子は気持ち悪がっていたがあやせは割と肯定的だったような?

 もしかしてコイツ、元々兄妹間の恋愛をごく普通にあり得るものだと錯覚してるんじゃねえのか?

 オタク以上に奇妙な漫画や小説やドラマの影響受け過ぎだっての!

 誰が妹と恋愛なんかするか!

 

「桐乃はもう、京介さんに抱いてもらったの?」

「んな訳があるかってのっ!」

 桐乃が吼える。

「そう。桐乃は京介さんに女にしてもらったんだね。だから、京介さんはわたしを見てくれないんだ」

「嫌ぁあああああぁっ! コイツ、いつも以上にアタシの言うことを聞いてない~っ!」

 そしてあやせは昔から自己完結型で人の話を聞かないヤツだったのだ。

 やべえ。

 勘違いと他人の言葉に耳を貸さない頑固さ。この組み合わせは本当にやべぇ。

 しかも、いつもみたいに蹴ったりスタンガンかましたり罵って来ないで内に溜め込んでいる所がもっとやべぇ。

「なるほど。桐乃が京介さんをたぶらかす諸悪の根源だったのねっ!」

 と、思っていたら怒りが外に向かって爆発したぁ~~~っ!

 しかも俺じゃなくて桐乃に怒りが向かっている。これじゃあ俺は罵られ分を補給することもできない。

「さあ、桐乃。当初の予定通り、ファイヤーフェスティバルを開催しましょうか」

 右手に持ったライターに火を点しながらあやせはナチュラル・スマイルを浮かべた。

 

 

 

「桐乃……この学園の秩序の為、そしてわたしと京介さんの将来の幸せの為に今日ここで死んでもらうね」

 あやせはファッション誌の表紙を飾れるのではないかと思うぐらいに爽やかな笑みで桐乃に笑い掛けた。

 だけど言っている内容は死刑宣告に他ならない。

「冗談じゃないわよっ! 何でアタシがここで死ななくちゃならないのよ! この縄を早く解きなさいよ!」

 磔にされた状態の桐乃が暴れる。

 しかし、磔は厳重になされているのか拘束が解ける様子は微塵もない。

 誰かがあそこまで登って縄を解かない限り脱出は無理そうだ。

 だが、登るなんて悠長なことを言っている暇はもうなかった。

「さあ、桐乃。生まれ変わったらお兄さんと健全な兄妹になってね」

「嫌ぁああああああぁっ! あやせのヤツ、本当に燃やす気だぁああああぁっ!」

 あやせはライターに火を付けたまま本の山へと近づいていく。

 あの山に火を付けられたら桐乃まで一緒に燃えちまう。

 俺は全力であやせを止めに入った。

 

「お前っ! それはさすがにやり過ぎだろうが! 桐乃は加奈子とは違うって何度言ったらわかるんだ!」

 今頃きっと我が死屋の娘によりスクラップになっているに違いない加奈子を思う。

 また復活したらきっと変な機能ばかり追加されているのだろうなと。例えば足の指がUSB仕様になっているとか。

「何を言っているのですかお兄さん?」

 あやせは女神のような笑顔を湛えたまま。

 俺に対して今日は一度も怒った顔を見せていない。

 けれど──

「わたしはこの汚物の山と共に桐乃を焼き尽くすつもりなのですから問題ありませんよ」

 いつも以上にやばいことを平然と笑顔でのたまってくれる。

「桐乃がこの世からいなくなってしまうのは少し寂しいです。けれど、これもわたしと京介さんが真実の愛を育む為です。諦めてください」

 桐乃の為に真剣に怒ってくれて、俺を毛嫌いしていたあやせがこんな言葉を吐くなんてっ! 

 畜生っ!

「あやせ! 今すぐそのライターを手放すんだっ!」

 あやせに向かって全力で手を伸ばす。

「嫌です」

 あやせは両腕でライターを庇う様に抱きしめる。

「クゥッ!?」

 伸ばした手に激痛が走る。

 罵られ分が極度に欠乏した俺はもう、全力疾走どころか腕を伸ばすことさえ困難な状態に陥っていた。

 つまり、あやせに体力で勝てない。

 非力な中学生女子にも敵わないなんて、本当に我ながら落ちる所まで落ちたもんだ。

 

「どうやら京介さんは力が出せない状態のようですね」

 俺の襲撃に身構えていたあやせだったが、俺がまともに動けないのを見ると警戒を解いた。

 そして本の山に向かって優雅に歩を進め始める。

「京介さんはそこでゆっくり見ていてください。あなたを堕落へと導こうとした桐乃の最期を」

「やめろっ!」

 動かない体を必死に動かして懸命にあやせを追い駆ける。

 だが、激痛だらけでおまけに石のように重く感じる体は少しもあやせとの差を詰められない。

 そんな俺に対して余裕のあやせは振り返ってみせた。

「心配ありませんよ。家族が足りなくなったら増やせば良いんです。わたしに京介さんの子供を生ませてもらえれば万事解決です」

 今のあやせは、自分のやろうとしていることをまるで意に介していない。

 自分の親友を焼き払うことに対して何の躊躇も持っていない。

 嫌っていた男の子供を産むことに対して何の躊躇も持っていない。

 こんなの、こんなの俺の知っている新垣あやせなんかじゃ決してないっ!

 同じ器を持っただけの、ただの偽者だぁっ!

「火をくべ終えたら……わたしの部屋にいらして頂けませんか? その、京介さんが望むのでしたら、わたしは何をされても良いですから」

 照れて頬を染めながら男を部屋に誘う台詞を投げ掛ける。

 もうオリジナルの潔癖好きの欠片もみせないエロいあやせになっている。

 畜生っ! 

 俺の憧れたマイ・ラブリー・エンジェルをどこまで穢せば気が済むんだぁ~~っ!

 

「あやせ……今、俺がお前の催眠術を解いてやるからなぁ~~っ!」

 心を、命を燃やして雄雄しく立ち上がる。

 だが、幾ら心を燃やした所で俺の体はもう石化してしまったかのよう。

 もはや自由に動かせるのは首から上の部位のみ。

 手足に至ってはもはや動かない。

 この状況で俺はあやせの催眠術を解く。それを絶望的状況と人は呼ぶだろう。

 だけど、俺はまだ桐乃を助けられないと決まったわけじゃない。

 あやせを助けられないと決まったわけじゃない。

 このまま何もできないんでいたんじゃ、メタル加奈子との戦いをわざわざ引き受けてくれた麻奈実にも申し訳が立たない。

「麻奈実……あっ!」

 麻奈実の名を呼んだことで俺は一発逆転の秘策がまだ残されていることに気が付いた。

 それは、こんな状態の俺でもあやせの催眠を解くことができる唯一の方法。

 そしてそれは俺がこの状態でできる最後にして最善の行動。

 文字通り、俺の命を賭けたファイナル・ミッション。

 今、俺の命をこの行動に全て燃やし尽くすっ!

「いいかっ、あやせぇ~っ! 俺の顔をよく見てろよっ!」

「はっ、はいっ!」

 思った通り、妙に乙女チックモードの入った今のあやせは簡単に俺に意識を集中させた。

 後はこの、高坂京介最大秘奥義で目の前の敵を粉砕するのみっ!

 食らえっ! 俺の生き様をぉ~~~~っ!

 

「おでこのメガネでぇっ、でこでこでこり~~んっ!」

 

 俺が生まれる前の太古の世界の魔法の言葉。

 その呪文と共に俺のおでこに掛かっていた麻奈実の丸メガネが俺の目の位置へと落ちてくる。

 高坂京介、18歳。

 俺は生まれて初めてメガネくんになった。

 

 

 メガネを掛けたことで膨大な知識が俺の頭の中へと一気に流れ込んで来る。魔術書に換算すれば10万冊以上の知識。

 今なら分数の割り算でさえ解けてしまいそうな圧倒的な知識量だ。

 やはり、メガネを掛けると人は賢そうに見えるのではない。メガネによってもたらされる力によって実際に賢くなるのだ。それが、メガネの真の力なのだ。

 だが俺は、メガネのインテリ力を堪能している暇はなかった。

 メガネくんとなった俺は激しく首を回した。

 桐乃は丸いものが左右に回っていればあやせは催眠に掛かると言っていた。

 なら、小銭も丸メガネも大差はないはず。

 それに、乙女チック超ヤンデレモードのあやせは俺の顔を凝視している。

 だから、催眠術を施すのにこれ以上最適な条件は存在しなかった。

 

「京介さんに一つご報告しておきたいことがあります」

 あやせは軽く息を吐き出しながら目を瞑った。

 この反応、失敗したのか?

 やはり、小銭でないと駄目だったのか?

「わたしは別に、催眠術に掛かったから京介さんに告白した訳ではありませんよ」

「それってどういう意味だ?」

「本当のわたしは、誰よりも不器用だってこと……で……す……よ…………」

 その言葉を最後にあやせは地面に倒れ込んでしまった。

「く~~ぴ~~~~」

 そして可愛らしい顔を覗かせながら眠りの世界に入った。

 

 眠りに入った……つまり、俺はあやせを睡眠に就かせることに成功したのだっ!

 

「やったぞ、桐乃っ! これであやせの催眠は解けたぞっ!」

「アンタにしてはよくやったじゃないっ! あやせを本当に眠りに就かせるなんて」

 磔にされたままの桐乃も歓声をあげる。

「これで明日の朝、あやせが目覚めれば元に戻るわよっ!」

「へっ? 明日の朝?」

 聴いた瞬間に顎が外れそうな大きな衝撃を覚えた。

「そうよ。催眠がリセットされて元の状態に戻るには結構時間が掛かるものなのよ。だけど明日の朝になればいつも通りのあやせに戻ってるわよ」

「ははは。そうか。明日の朝ね。なるほど」

 神様ってヤツは本当に俺が嫌いで嫌いで仕方がないらしい。

 あやせとの死闘に全ての体力を使い果たした俺に明日の朝まで生き残る体力がある訳がなかった。

「どうやら、俺の命もここまでみたいだな……」

 罵られ分の欠乏により目まで霞んで来た。

 周囲の風景がまともに見えない。もうお迎えの時は近いに違いなかった。

「えっ? マジかよ?」

 だが、その時、奇跡は俺の前に舞い降りた。

 

 

 

「君は……エア友達の赤座あかりちゃんっ!」

 俺の目の前には先日仲良くなったばかりのあかりちゃんが立っていた。

 周囲の風景が霞んで何も感知できなくなっていく中、あかりちゃんの顔だけははっきりと認識できた。

 アニメと同じでとても明るくて優しそうな顔をしていた。

 そのあかりちゃんは無言のまま俺の手を取ると、駆け出し始めた。

「えっ? おいっ? ちょっと?」

 俺はあかりちゃんに引っ張られながら駆けていく。

 もう動かない筈の足があかりちゃんに引っ張られながらだと動いた。

 俺はあかりちゃんの後を追って走っていく。

「あかりちゃん。一体どこに行くつもりなんだい?」

 あかりちゃんは振り返って笑顔を見せるだけで何も語ってはくれない。

 代わりにスピードを上げて更に走っていく。

 どこに行くのかエア友達は答えてくれない。

 でも、流れてゆく景色が、そして一昨日桐乃が発していた言葉が、あかりちゃんがどこに向かおうとしているのか教えてくれていた。

 

 俺の家から離れていない平屋建ての一軒家の前であかりちゃんは止まった。

「やっぱり、黒猫の家か」

 何度も遊びに来たことがある黒猫の実家。松戸? そんなものは知らない。

 とにかく俺は黒猫の家の前に到着していた。

「そうだもんな。あかりちゃんは黒猫のエア友達でもあるんだもんな」

 きっと今日は黒猫の家に遊びに行く日なのだろう。

 そして、黒猫ならあやせに代わって俺を手酷く罵ってくれるに違いない。

 何たって自称聖天使の神猫なんだからな。天使を代わってくれるのは黒猫しかいない。

 あかりちゃんはきっとそれを考えて俺をここまで連れて来てくれたに違いない。

「ありがとう、あかりちゃん」

 俺はエア友達に丁寧に頭を下げる。

 そして2人で五更家へと足を踏み入れた。

 

「すいませ~ん。瑠璃さんはご在宅でしょうか~?」

 呼び鈴を押しながら大声で家の中に向かって話し掛ける。

「ルリ姉なら今日は学校の用事で遅くなるって言ってましたよ~」

 玄関を開けながら地味な緑色のセーターにジーパン姿の女の子が出て来た。

「あっ! 高坂くん」

「よぉ、日向ちゃん」

 玄関に出て来た少女は黒猫の妹で小学5年生の日向ちゃんだった。

「高坂くんにせっかく来てもらって悪いんだけど、まだルリ姉帰ってないんだ」

「そうか……」

 俺の唯一の命綱が不在とはいきなり困ってしまった。

 さて、どうするか?

 まさか日向ちゃんに黒猫に罵って欲しかったと正直に伝えるわけにもいかない。

 なのでここは、もう1つの用事の方を素直に言ってみることにする。

「え~とな、俺は桐乃と黒猫の共通のエア友達であるあかりちゃんをここまで送って来たんだよ」

 ハッハッハと力なく笑ってみる。

 よくよく考えるとかなりアウトなことを言っているぞ、俺は。

「あのね~高坂くん。はぁ~」

 日向ちゃんは大きな溜め息を吐き、それから俺をキツい瞳で睨んだ。

 この蔑んだ瞳っ!!

 俺の中で何かがドクンと音を立てた。

 もしかして、これって!?

「い~い? 幾らルリ姉が邪気眼厨二で友達いないからって、高坂くんがそんなおかしな遊びに付き合ってたらダメなんだからねっ!」

 日向ちゃんのキツい一言が発せられる度に俺の体が活性化していく。

 濁っていた視界がクリアになっていく。

 手が、足が、全身が熱を帯びていく。

 頭が、活性化していく。

「大体、女の子の家に遊びに来るんだったら、エア友達なんて引かせるものじゃなくて、ちゃんとデートに誘わないとダメだよ! オタクだけどルリ姉だって恋する乙女でもあるんだから!」

 日向ちゃんに怒られる度に俺の体は回復していった。

 もう間違いなかった。俺は、日向ちゃんに罵られることで元気になっているのだ。

「日向ちゃんっ!」

 動くようになった両手で彼女の小さな右手を掴む。

「えっ? えっ? どうしたの、高坂くん?」

 日向ちゃんは驚いている。

 でも、俺が受けた驚き、感動は日向ちゃんが受けたものよりも遥かに大きい。

 だから、俺は素直に自分の想いを口にすることにしたんだ。

 

「日向ちゃんっ! 君は、君こそが俺が長い間捜し求めていた天使だったんだぁ~~っ!」

 

「えぇえええええええぇ~~っ!?」

 

 こうして俺はもう1人の天使に出会ったのだった。

 

 

 

 

「あれ? わたし、今まで何をしていたんですっけ?」

 気が付くとわたしは自室のベッドの上で寝ていました。

 しかも制服のままでです。

 いつから寝ていたのか、何で制服で寝ていたのかよく思い出せません。

 ただ断片的な光景だけは何となく思い出せます。

 その光景とは何の脈絡もなく、わたしがお兄さんに告白しているというものです。

 

『わたしは京介さんのことが好きです。愛しています!』

 

 わたしからお兄さんに愛の告白なんて絶対あり得ません。

 やっぱり告白は男性からして欲しいというのがわたしの考え方です。

 だからあの記憶は単なる夢の中の出来事なのだと思います。

 それに、あの後の断片的な記憶に拠れば、わたしはお兄さんにあっさり振られてしまいました。なのであの一連の記憶は全て夢でないと困ります。でないと悲し過ぎます。

 

「あれ? 今日、土曜日?」

 時計を見ると、土曜日の午前8時と時刻が表示されています。

 今日はまだ水曜日の筈なのですけれど、一体どうなっているのでしょうか?

 まあ、何はともあれせっかく訪れた休日の朝をエンジョイしたいと思います。

 わたしは私服に着替えて朝の散歩に出ることにしました。

 

 早朝という時間でもありませんが、午前中の散歩は気分が良いです。

 空気が澄んでるって感じがします。

 ツインテールがゴミ袋からはみ出た人間サイズのロボットが捨てられている所はちょっと減点ものですが。

「そうだ。せっかくだから公園にも足を伸ばしてみよう」

 お兄さんをいつも呼び出す時に使っている児童公園へと足を伸ばします。

 もしかするとお兄さんがいるんじゃないかとほんのちょっとだけ期待しながら。

 

 公園に到着します。

 すると、どうでしょうか?

 わたしの期待した通りにお兄さんが公園内にいるじゃないですか。

「お兄さ~ん。おはようございます~♪」

 嬉しくなって、思わず駆け寄りながら両手を振って挨拶しました。

「おおっ、あやせじゃないか」

 お兄さんが手を振ってくれます。

 と、お兄さんの隣にまだ中学生に満たなく見える女の子が立っているのが見えました。

 将来モデルとして通用しそうな可愛い顔をしたお下げ髪の女の子ですが、一体誰でしょうか?

「ああっ、そう言えばあやせは日向ちゃんと会うのは初めてだったな」

「ええ。そうですね」

 お兄さんが日向ちゃんと呼んだ少女と向き合います。

「この子は黒猫っていう桐乃のオタク友達の妹で五更日向ちゃん」

「五更日向です。よろしくお願いします」

 日向ちゃんは丁寧に頭を下げました。

「あの、わたしはお兄さんと桐乃の友人の新垣あやせです。こちらこそよろしくお願いします」

 わたしも新垣家の娘として恥ずかしくないように丁寧に頭を下げます。

 それにしても、桐乃のオタク友達の妹さんとお兄さんが何故一緒にいるのでしょうか?

「ああ、それから追加で説明しておくと、日向ちゃんは俺の超可愛い彼女なんだ。俺たちは昨日から付き合い始めたんだ♪」

「もぉ~♪ 高坂くんったら、そんなことを堂々と宣言されたら照れるってのぉ~♪」

「はぃいいいいいいぃいいいいいいいいいいいぃっ!?」

 ご近所中に聞こえるぐらいに大きな声で驚いてしまいました。

 でも、だって、仕方ないじゃないですか!

 お兄さんが女の子と付き合い出すだなんて。しかも、こんな小さい子が相手だなんて。

 

「あの……日向ちゃんは、何歳なの?」

「小学5年生の11歳です」

 11歳。ということはお兄さんと7歳差。

 ううん。今重要なのは7歳差じゃなくて、日向ちゃんの年齢が11歳ってことで。

「はっはっは。まったく、小学生は最高だぜっ!」

 白い歯を光らせながら爽やかに笑みを零すお兄さん。

 そのお兄さんの顔に対してわたしは

「このぉっ! ロリコン変態犯罪者がぁあああああああああぁっ!」

 思いっ切り蹴りを叩き込んでやりました。

「うぎゃぁあああああああぁっ!?」

 豪快に吹き飛んで気絶するお兄さん。

 

「ちょっとっ! 人の彼氏にいきなり暴力振るうなんて、あやせさんは何を考えてるのかな!?」

 日向ちゃんから鋭い怒りの視線が飛んできました。

「うっ! そ、それは……」

 日向ちゃんの視線は明らかに、他人であるわたしが日向ちゃんたちの仲に干渉することを批難する類のものです。

「わたしたちは好き合っているんだから、他人のあやせさんが口出ししないで」

 口で念押しまでされてしまいました。

 確かにわたしはお兄さんとは他人でしかありません。でも……そうです!

 わたしには全世界の法と秩序を守るという大義名分があります。

「わたしには小学生の少女を淫行から守るという崇高な使命がっ!」

「付き合ったらすぐエッチって、あやせさんの頭の中ってよっぽどエッチなことで一杯なんだね」

「なぁっ!?」

 日向ちゃんに大きな溜め息を吐いて呆れられてしまいました。

「とにかくあたしと高坂くんは法に触れるようないかがわしいことは何もしてないよ。なのに何の権限があって、あやせさんはあたしたちの交際を邪魔するのかなあ?」

 日向ちゃんの細められた瞳は物語っています。

 わたしが、お兄さんに振られた八つ当たりをしているんじゃないかと。

 それは……確かにそうなんですが、でも、こんなのって酷いじゃないですかっ!

 1年以上ずっと好きだったのに、まさか小学生に負けるなんてっ!

 こんな展開、桐乃だって認めないに決まっています。

 

「そうだっ! 桐乃よっ!」

 桐乃なら、2人の仲を認めない筈。

 それで、2人が別れればまたもう1度わたしにもチャンスがっ!

 もうこの際、お兄さんがバツ一でも構いません。女の扱いにやけに慣れているようになっていても構いません。もう1度だけわたしにチャンスをっ!

「あっ! ビッチさんがようやく来た」

 日向ちゃんが顔を向けた先には公園に向かって全速力で走りこんで来る女の子の姿。

 あの綺麗なフォームは桐乃に間違いありませんでした。

 

 よっしゃっ! 桐乃っ!

 今だけ許すから大暴れして2人を別れさせてっ!

「でへへへへへへへへぇっ♪ 日向ちゃ~~ん♪ こんにちはぁ~~~♪ 日向ちゃんと会うのに相応しい洋服を選んでいたら遅くなっちゃったぁ~~♪ テヘッ♪」

 わたしの目の前に現れたのはどう見ても犯罪者でした。小学生の少女を見ながら顔面崩しまくって涎垂らしまくりです。

 警察に知らせればしょっ引かれるのはお兄さんではなくこのビッチの方でしょう。

「こらっ! ビッチさん。あたしのことは日向ちゃんじゃなくて、お義姉ちゃんと呼んでくれないとダメでしょ。昨日そう約束したじゃない」

「でへへへへへへへへぇっ♪ そうでした♪ 年下の女の子に姉呼ばわりを強要されるこの倒錯した快楽~~っ♪ ユニバース~~~~~~っ♪」

 日向ちゃんを見ながら締りのない顔で涎を垂らし続ける桐乃。

 それを見てわたしは一つだけ理解できたことがありました。

 即ち、わたしの初恋は終わりを告げたのだと。

 

 誰かに肩をポンッと叩かれた気がしました。

 横を振り向きますが誰もいません。

 でも、確かにわたしは肩を叩かれたのです。

 首を左右に振りながら必死になって犯人を捜します。

 すると一瞬だけ、赤みの掛かったお団子頭をした優しそうな女の子がわたしに向かって優しく微笑んでいる姿が目に入ったような気がしました。

 

「あっかり~ん」

 

 突如脳内に沸いて出たその言葉をわたしは小さく口にしたのでした。

 

 

 

 了

 

 

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
3
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択