No.190843

そらのおとしものf かしこい子未確認生物超激闘(らぶらぶあたっく)編 逆襲の馬鹿(アストレア) 前編

 そらのおとしものfの二次創作作品です。
 『ヤンデレ・クイーン降臨』の続編に当たります。
 この作品だけで単独で読んでも、困る箇所はほとんどありません。しかし前作をお読み頂いた上で読んで頂くと細かい部分の理解度が上がります。

 また、原作を知らなくても楽しんでいただける様に努力しております。ですが、キャラクターの基本的な説明は前作で行っている為にこの作品では省いています。原作を知らない方は特に『ヤンデレ・クイーン降臨』を読んでからご観覧されることを望みます。

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2010-12-21 12:54:47 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:5176   閲覧ユーザー数:4725

総文字数約19,000字 原稿用紙表記60枚

 

そらのおとしものフォルテ 二次創作

 

かしこい子未確認生物超激闘(らぶらぶあたっく)編 逆襲の馬鹿(アストレア) 前編

 

 

「私、一体何をしているんだろ?」

 人間、変わろうと思って簡単に変われるなら苦労はない。

 それはエンジェロイドにも当てはまること。

 ウラヌス・クイーンならぬヤンデレ・クイーンと化したアルファとの恋の智樹争奪戦を通じて私は自分が変わったと思った。

 智樹への恋心を認めてもっと素直な自分になったと思っていた。智樹を大好きな自分をもっと好きになれると思っていた。だけど、現実はそうじゃなかった。

「ニンフ、俺も顔を洗いたいからそこをどいてくれないか?」

「な、何よ、智樹。女の子の身支度には時間が掛かるんだからもう少し待ちなさいよ!」

 洗面所に突然顔を出した智樹にツンツンとした反抗的な対応を取ってしまう。結局以前と変わらない私がいた。ううん、以前よりも智樹にますます素直になれない私がいた。

 

 私のパラダイス・ソングを下半身に受けて女の子となっていた智樹は先日ようやく男に戻った。それは私にとってとても嬉しいことだった。

 やっぱり好きな人がいつまでも女の子のままなのは嫌。でも、男に戻ったら戻ったで私にとって別の問題が生じてしまった。

「何、人の顔をジロジロ見ているのよ! どうせいやらしいことでも考えているんでしょ? 変態っ! エッチ! バカぁっ!」

「ジロジロ見てもいないし、変な気なんて起こさねえよ。その胸じゃな。ハァ~」

「何度もエッチな顔をして私の胸を揉んだくせによくそんなことが言えるわね!」

 その問題とは、智樹の顔を見るだけで私の動力炉はオーバーヒートしそうになってしまうというもの。呼吸だってろくにできない。顔だって鏡を見るまでもなく真っ赤だ。

 私はこれらの体の変化が智樹への恋心から生じるものであることを既に認めてはいる。

でも、自分の心の中で認めているだけでそれを智樹に向けて表現している訳じゃない。むしろ隠そう隠そうとして反対の方向にばかり突き進んでしまっている。今だって……

「大体時間が掛かるって30分前から鏡の前でぼぉーと突っ立っているだけじゃねえか!」

「智樹ってば、そんな風にデリカシーがないから女の子に人気がないのよっ! 最低!」

 心とは反対に智樹に憎まれ口ばかり叩いている。本当だったら……

 

『ごめんね、智樹。あなたの為に少しでも可愛くなりたかったの♪』

『ニンフ、君はいつだって最高にキュートでプリティーさ。ああ、俺の愛しいニンフ。愛しているよ。今すぐ結婚しよう。ききききら~ん☆☆』

『嬉し~い♪ 智樹ならそう言ってくれると思って、来年の年賀状は智樹と私の夫婦連名でもう発注済なの。幸せになろうね、智樹』

『『チュ~♪』』

 

 なんていう展開を迎えていてもおかしくない筈なのに。足音を響かせ怒って洗面所を出て行く智樹を見ながら自己嫌悪に陥る。

 何でこんなに私は自分に素直になれないんだろう?

 その原因を考えていくと、いつも同じ答えに辿り着く。

 その答えは単純。

「やっぱり、智樹も私なんかじゃ嫌だよね……」

 自分に自信がない。

 ただ、それだけ。

 鏡に映る自分の顔は捨てられた子犬みたいに弱々しい。情けない、顔。

 自分に自信がない理由。その原因を考えていくと、やっぱりいつも同じ答えに辿り着く。

「私はマスターもいない、翼も生えていない不完全なエンジェロイドだから」

 結局、その問題に立ち返ってしまう。

 確かに私の心のマスターはもう智樹で決まっている。智樹以外のマスターは要らない。

でも現実的には智樹は私のマスターじゃない。インプリンティングは行われていないし、智樹が私のマスターだと認めたこともない。

 つまり私の一方的な片想い。

 私はプライドだけは高いくせに心は全然強くない。だから今の状態は結構こたえる。

 それに翼を失った私はエンジェロイドとして何もできないただの役立たずだ。

カオスとの戦いの時だって実際に戦っていたのはアルファとデルタ。私は智樹に抱きついて泣いていただけだった。

 この事実が役立たずのくせにプライドだけは誰よりも高い私の心をまた抉っている。

 そして原因がわかっているのに改善策を講じないのだから本当に情けない。それが私。

「でも、このままじゃいけないよね」

 以前の私なら弱い自分を正当化する小難しい理屈を並べて変わらないでいたと思う。

 でも、今の私にはそれじゃいけない理由がある。変わらなきゃいけない理由がある。

 恋敵であるアルファとそはらがいる。ライバルは私のことを待ってなんかくれない。

 そして智樹を私に託して大空に散ったあの子の為にも私は変わらないといけない。

「智樹に絶対、私のことを大好きだって、愛しているって言わせてやるんだから」

 鏡に映る自分に向かって誓いを立てる。

 

「…………ニンフ、マスターの、洗顔を、邪魔、しないで」

 すると紅い瞳をした短い髪の女が鏡越しに私を睨んでいるのが見えてびっくりした。

「あ、アルファ?」

 それはシナプス最強にして感情の起伏に極めて乏しいエンジェロイドであるタイプ・アルファ・イカロスで間違いなかった。

 でも、そうとは思えないほどにアルファの瞳は怖かったし、顔色が悪かった。まるでホラー映画に出てくる幽霊の様だった。

「…………マスターの、邪魔、するなら、許さない」

 桜井家上空にステルスモードで浮かんでいるウラヌス・システムの砲台が私をロックしたというアラーム音が脳内に鳴り響く。

 それは私を一瞬で消し去るのに十分な火力と精度を持っていた。

 私としてはこんな所で消されては智樹の恋愛成就という大願が果たせなくなる。だから両手を広げて降参の合図を送る。

「言われなくても今出て行こうとしていた所よ」

「…………そう」

 振り返って洗面所を出て行く。

 アルファとは視線を合わさない。けれど、横目に彼女の状態を分析する。

 肩で息をしている。紅い瞳をしているのにその焦点がいつも以上に定まっていない。詳しく解析するまでもなかった。

「あんた、今のままだと近い内に死ぬわよ」

 すれ違いざまに小さな声で呟く。

「…………私は、マスターの、エンジェロイド。壊れるまで、使命を、果たす、だけ」

 アルファ、ううん、ヤンデレ・クイーンは私の言葉に聞く耳を持たない。

 私は次の言葉を発しないまま庭へと出た。

 

 

 

 

「壊れるってなによ。ヤンデレになるぐらい智樹が好きなのに自分を物扱いしてさ……」

 ここ最近で一番変わった、ううん、変貌したのはアルファだと思う。

 アルファは智樹との結婚を意識し出してから大きく変わってしまった。私たちを消去するのに一切の躊躇いを持たないヤンデレ・クイーンと化してしまった。

 何がアルファをそうさせたのか私にはよくわからない。でも、そうなる予兆、というか初期症状は確かに存在していた。

 アルファは「愛がわからない」と悩んでいた。それから「プロポーズ」という言葉を嬉しそうに呟くようになった。

 そして「結婚」という言葉を発するようになって暴走を始めた。もしかすると、結婚を考えるきっかけになったエッチなDVDを鑑賞したことが影響しているのかもしれない。

 だけど原因は何にせよ、アルファがヤンデレ・クイーン化してしまったことは誰にとっても良くないことだった。命を狙われる私にとっても、過剰な警護を受けて窮屈な思いをしている智樹にとっても、そして何よりアルファ自身にとっても。

 

 アルファはヤンデレ・クイーン化してから自身が持つ大量破壊兵器を使うことに躊躇いがなくなった。アルテミス、アポロン、ウラヌス・システム。その全てが街を丸ごと吹き飛ばすほど強大な威力を持っている超兵器を自由自在に使って来る。

 だけど兵器が強力な分だけアルファの体にも大きな負担が掛かってしまっている。

 特にあの、空中に迷彩を施して浮いている、ナスカの地上絵のハチドリみたいな形をした巨大空中戦艦ウラヌス・システム。あれがアルファの心と体を磨耗させている。

 ウラヌス・システムは普段異次元に格納されている。そしてあれはこの世界に呼び出してほんの少し動かすだけでもアルファに尋常でない体力と精神力を消耗させてしまう。

 そんなものをアルファは24時間動かし続けている。特に命を狙われていない智樹を警護し恋敵である私を牽制する為だけに。

 それはもう尋常な判断じゃない。人間で言えば常に全力疾走をしながら暮らすようなもの。そんなことをすれば心臓が破れるか、体力も気力も使い果たして死んでしまうだけ。

 普段のアルファであればそれぐらいは当然わかっている筈。でも、ヤンデレ・クイーンと化してしまったアルファには歯止めとか加減とか抑制が存在しない。今のアルファは多分本気で死ぬまでウラヌス・システムを動かし続ける気に違いない。

「まったく、自分のことだけでも手一杯なのに面倒掛けさせないでよね」

 相変わらず照準が私に向けられている空中戦艦に向けて小さく溜め息を吐いた。

 

「こんな時、デルタがいてくれれば、あの能天気な頭で私とアルファの悩みを笑い飛ばしてくれそうなのに」

 ヤンデレ・クイーンに戦いを挑み、散っていった戦友の面影が大空に浮かび上がる。

「生きていた時はあんなに鬱陶しかったのに、いなくなるとこんなに寂しいなんて……」

 今だからこそわかる。私はあの娘のバカさ加減に心をいつも救われていたのだと。

 私はちょっと感傷的な気分に浸りながらデルタとの最期の別れとなったあの夏の日のことを思い出していた。

 

『ダメよ、デルタっ! 1人でヤンデレ・クイーンに立ち向かうなんて。私も闘うわ!』

『ダメですよ、ニンフ先輩。先輩には帰りを待っている人がいるじゃないですか。桜井智樹という愛する未来の旦那さんが』

『でも、私にはデルタを1人で死地に赴かせるなんて残酷なことはできないわよ!』

『……それじゃあ先輩に1つだけお願いがあります。先輩とアイツの間に子供が生まれたら名前をアストレアにしてくれませんか? そうすれば、私たちはいつも一緒です』

『それじゃあアストレアって名前の子が私の周囲で2人になっちゃうじゃない。グスッ』

『優しすぎますよ、ニンフ先輩は。…………さようならです』

 

 そしてデルタはたった1人でヤンデレ・クイーンに戦いを挑み、帰って来なかった。

「デルタは最期まで勇敢だったというのに、私は一体何をしているの……?」

 私はデルタとの約束を果たしていない。子供はおろか智樹と恋仲にさえなっていない。

 不甲斐ない自分が情けない。

 デルタは智樹のことが大好きだった。だけどその気持ちを全部押し込めて私に快く智樹を託してくれた。そんなデルタの心意気に応えない訳にはいかない。

 そうよ。不甲斐ないとか自分を卑下して塞ぎ込んでいる場合じゃない。

 今私に必要なのは、最期まで雄々しく闘い続けたデルタのような行動力と実行力。

「デルタ、私、泣き言ばかり言ってないでもっと頑張るわ。だから見守っていてね……」

 大空のデルタの面影が微笑んでくれた。そんな、気がした。

 

 

 

 美空学園の3年生の教室に夕暮れの日差しが差し込んでいた。

 その教室に白いブラウスの制服を着た、金色の長い髪を持つ少女が1人西日を浴びながら立っていた。

 手を後ろに組んだ少女の背中には大きな一対の真っ白な翼が生えていた。

 夕日を浴びて立つ翼を持った少女の姿は幻想的で神秘的で神々しくさえもあった。

 誰かが彼女の姿を見れば、きっとそのほとんどの者が天使に出会ったと評するだろう。

 だが、少女は自分のイメージなどには無頓着に懸命に何かを暗唱し続けていた。

「くしち63っ、くは72、くく88ッ!」

 少女の熱の篭った大声が教室に響き渡る。

「よしっ、今日も日課のくくの暗唱2時間をこなしたわ」

 少女の額にはうっすらと汗が滲んでいた。だが、その顔は充実感に満ちていた。

「インド人もびっくりな~見事な計算能力だわ~。アストレアちゃん」

 教室の扉が開き、豊かな黒髪を湛えた少女が笑みを浮かべながら入って来た。

「師匠っ!」

 アストレアと呼ばれた翼を持つ少女が顔をパッと綻ばせた。

「夏休みの時とは比べ物にならないほど頭が良くなったわね~。アストレアちゃん」

「私なんかまだまだですよ、師匠」

 謙遜しながらもアストレアは満更でもなさそうな表情を浮かべた。

 それからアストレアは1度首を横に振ると表情を引き締めた。

「私はもっともっと賢くなってイカロス先輩とニンフ先輩に復讐を果たすのですから」

 アストレアの紅い瞳に暗い炎が宿っていた。

 

 

『デルタっ! 1人でヤンデレ・クイーンと戦って死になさいよ。その間に私は智樹と結婚して幸せになるんだから!』

『私だけ闘わせるなんてあんまりですよ、ニンフ先輩ぃ』

『デルタのくせに私に意見しようって言うの? 生意気よ!』

『でも、私たち2人で力を合わせれば、イカロス先輩相手だって勝機があるんじゃ……』

『私と智樹の間に子供ができたら名前はアストレアにしてあげるわよ。それで十分でしょ? いいからさっさと死んで来なさい! ほんと、グズでバカなんだから』

『ニンフ先輩の鬼っ! 悪魔ぁ~っ!』

 

『…………アストレア。マスターに、付きまとう、悪い蟲。ダウナー。1片残らず、踏み潰して、あげる』

『死にたくないぃいいいぃっ!』

 

 アストレアはイカロスの追撃を振り切るべく必死になって大空を舞った。

 アストレアの翼は飛行に特化しイカロスよりも速く飛べる。単純な速さ比べなら負けない。しかし中長距離戦闘を本領とするイカロスがそれを計算に入れていない訳がなかった。

『何で横からアルテミスの攻撃がっ?』

 アストレアは直線に飛んでいるつもりだった。しかし、イカロスの誘導により実際には弧を描くように飛んでいた。その為、最短距離を飛んで来たアルテミスの攻撃を受けた。

 多数のアルテミスに囲まれ徐々に逃げ場を失っていくアストレア。もはや彼女に残された逃げ場は、九州に南下しながら上陸しようとしていた大型台風の中にしかなかった。

 だが、それこそがイカロスの狙いだった。

『…………アポロン、発射準備』

 イカロスは台風の暴風圏域の外から一撃必殺の弓を構えていた。

 台風の中ではアストレアの飛行速度は大幅に落ちる。その瞬間を射落とす。それがイカロスの採った作戦だった。

 

『助けてぇええええぇっ!』

 一方、アストレアはイカロスの思惑にも気付かずに台風の中をただひたすらに直進していた。そしてアストレアが台風の目に接近した時、それは聞こえて来た。

『アストレアお姉さま。久しぶりね。私、大きくなったでしょ? 暗くて寒い海の底で、いっぱいいっぱい愛をお勉強したんだよぉ』

『カオス!?』

 ボロボロになった黒い修道服を着た少女。その娘は名をカオスと言った。

 シナプスで最近完成したばかりの第二世代型エンジェロイド・タイプ・イプシロン(ε)カオス。幼い少女の姿をした彼女はシナプスのマスターの命を受けて地上に降り立ち、アストレアたちと戦った。

 結果、アストレアたちは辛くも勝利を収め、カオスは深い海の底へと沈んだ。

 だが、その海底に沈んだ筈のカオスが成長した姿でアストレアの前に現れた。

『だからお姉さまたちにも愛をいっぱいいっぱいいっぱいいっぱい教えてあげるっ!』

 病んだ瞳のカオスの背中に生える鎌の様な歪な形をした羽が一斉にアストレアを襲う。

それに対して、アストレアが採った行動は……

『カオスッ、邪魔っ!』

 羽の間をすり抜け、カオスを無視して逃げることだった。

 アストレアの動物的直感が、この場で留まることは死を意味すると告げていた。

そしてそれは正しかった。

『…………消えなさい。マスターを、狙う、悪い、蟲、ダウナー。アポロン、発射』

 イカロスは台風の目に到達した筈のアストレアに対して最強火力のアポロンを放った。

『あれ? アストレアお姉さま? どうして遊んでくれないのぉ?』

 不幸なのはカオスだった。

 偶々、イカロスが利用しようとした台風はカオスが作ったものだった。偶々、アストレアの進路を塞いでしまった。偶々、イカロスとアストレアを結ぶ線を途中で遮る位置に浮いてしまっていた。そして偶々、アストレアと同じ金髪で傍目には違いがわかり難かった。

 それらの偶々が重なった結果……

『わぁっ、綺麗な火の玉が近付いて………………わきゃあぁあああああぁっ!?』

 アポロンの直撃を受けることになった。

 その日、気象庁では大型台風が突如消失したことで大騒ぎとなった。だが、台風消失の真相を知る者は誰もいなかった。

 射た本人でさえ、射られた本人でさえ、何が起きたのか遂に知ることはなかった。特に射られた本人は自分に何が起きたのか知らないまま再び海へと沈んでいった。

そしてアストレアは……

『イカロス先輩っ!? イージスの構成が甘いんじゃないですかぁあああぁ!?』

 アポロンの直撃は避けたものの、爆風で大きく吹き飛ばされて海へと墜落した。

 

 エンジェロイドは羽が水分を吸って重くなるので泳げない。アストレアが海の底を歩いて地上に戻ってくるのに1週間掛かった。

 港にやっと辿り着いたアストレアは空腹で倒れた。そこに偶々、白い粉の取引の為に夜の港の倉庫に家の組員と共に訪れた五月田根美香子(さつきだね みかこ)がアストレアを発見し保護した。そしてアストレアは美香子に匿われながら勉学に勤しみ始めた。

全てはイカロスとニンフへの復讐の為に。

 

 

 

「アストレアちゃん。会長の大好きな~、憎悪に満ちた~暗くて良い瞳をしているわ~」

 アストレアを見ながら美香子はクックと小さく笑った。アストレア以上に暗く病んだ悪人の瞳で。血と混乱と阿鼻叫喚を愛する病んだ瞳で。退屈しのぎのとても楽しい良いおもちゃで遊んでいるという悪い瞳で。

「それじゃあ、アストレアちゃん~。最期、じゃなくて最後の課題を~出すわよ~」

 投資分を回収するのは今とばかりに小さく笑いながら。

「えっ、師匠? いきなり課題ですか?」

 アストレアが我に返って美香子を見る。幾ら復讐に燃えていようと、人を疑うことを知らない真っ直ぐな瞳で。

「ええ~、そうよ~。真のかしこい子たる者~、いつ何時でも~人の質問に答えられなくてはいけないわ~」

「なるほどぉ」

 美香子は自分を慕う真摯な瞳を向けるアストレアを見て密かに身悶えていた。

 五月田根美香子。性別、女性。地位、空美学園生徒会長。趣味、真っ白なものを自分色に染め上げてから滅茶苦茶に壊すこと。

「それじゃ~アストレアちゃん。問題を出すわね~。1+1は~?」

「50ッ! じゃなくて、2.5っ!」

 誇らしげに答えるアストレア。

「素晴らしい解答だわ~。アストレアちゃん~」

 美香子はアストレアを眩しそうに見つめながら朗らかに笑っていた。予想以上に面白いおもちゃに仕上がったと瞳を細めながら。

「もう私に何も教えることはないわ~。免許皆伝よ~」

 美香子は完成したおもちゃを一刻も早くお披露目したいとばかりに肩を震わせていた。

「本当ですかっ! 師匠!」

 アストレアのキラキラした瞳が美香子に向けられている。美香子はアストレアを見ながらゾクゾクしていた。この純粋で澄んだ瞳が絶望の闇に彩られていく様を見たらどんなに興奮してしまうだろうかと想像しながら。

「免許皆伝の印に~これをあげるわ~」

 美香子はずっと手に握り締めていたその小さな物体をアストレアに手渡した。

「これ、メガネ、ですよね?」

 アストレアの手に渡されたもの。それは確かに四角い縁なしのメガネだった。

「そうよ~インテリにメガネはつき物でしょ~?」

「インテリ? 私が、ですか?」

 アストレアは鼻息荒く興奮していた。

「免許皆伝したアストレアちゃんは~立派なインテリ美少女よ~」

「私が、インテリ少女……。バカとしか言われたことがないこの私がっ!」

 喜んでいるアストレアを見ていると美香子は更にゾクゾクして来る。輝けば輝くほど壊れていく際の光景もより胸を熱く焦がしてくれる。それが美香子の感性。

「あれっ? でも、このメガネは守形のものじゃないですか?」

 アストレアには手に持っているメガネに見覚えがあった。何度も食事の世話になったこともある守形英四郎(すがた えいしろう)のもので間違いなかった。

「英くんは、思えば不幸な探求者だったわ~。自分の信念に、理想に忠実すぎたのよ~。世の中はもっと気楽に楽しく渡るべきだったのに~」

 美香子は窓側を向いてほとんど沈みかけていた太陽を見た。とても遠い瞳で。

「守形はもう、いないのですね……」

 メガネのレンズの端には大きな力で圧迫を受けた跡のようなヒビが入っていた。

 五月田根美香子。必殺技、アイアン・クロー。握力400kg。

「英くんは生きているわ。私たちの心の中にずっと……」

 美香子は話を打ち切った。アストレアもそれ以上は何も聞かなかった。聞ける訳がなかった。小動物は命の危険に敏感だった。

 

「行くの、アストレアちゃん?」

 メガネを掛けたアストレアが自分に向かい無言で礼をするのを見て美香子は尋ねた。

「はいっ」

 短い返事。だが、覚悟の篭った良い返事だった。美香子はそう感じた。

「復讐は何も生まないわ。会長的には快楽以外は~。それでも、行くの?」

「はいっ」

 アストレアの返答に躊躇いは感じられない。

「そう。だったら、会長がアストレアちゃんの為に最高の復讐の舞台を準備してあげるわ~。うっふっふっふっふっふ」

「本当ですか、師匠っ!」

 瞳を輝かせるアストレア。

 こんな最高傑作が自分の与り知らぬ所で返り討ちに遭って塵一つ残らず消失してしまうなど美香子には耐えられなかった。どうせ散るなら、自分を最高に楽しませてくれないと。

 美香子はこれから近い内に起きるであろう阿鼻叫喚の地獄絵図を想像すると笑いが止まらなかった。

 

 

 

「ちょっと智樹っ、あんまりくっ付かないでよ! 私たちが恋人同士で並んで歩いているみたいに誤解されるじゃない!」

「そんなことを言ったって、歩道が混んでいるんだから仕方ないだろうが!」

 買出しの為に久しぶりに訪れた土曜日の大都会はどこもかしこも人で溢れていた。

智樹と肩をくっ付けるようにして小さくなっていないとまともに歩くこともできない。滅多に歩行者とすれ違うこともない田舎町な空美町じゃ考えられない風景。

 だけどおかげで智樹の横を肩を触れ合わせるぐらいの近い距離で歩ける。それは私にとってはとても幸せな時間。大好きな人の一番隣にいれられる大切な時間。

 本当に智樹と恋人同士として並んで歩けたらどれだけ幸せになれるのかな?

 そんなことを想像したりする。

 でも、現実の私は智樹に憎まれ口を叩くばかり。自分の天邪鬼がどうしようもなく嫌。

「…………ニンフ」

 後ろからボソッと私の名前を呼ぶ声が聞こえる。振り返らなくてもわかる。アルファだ。

 今も迷彩を施して頭上に浮いているウラヌス・システムが私をロックしたことからも間違いない。アルファは私の智樹への反抗的な態度にご立腹なのだ。

「まあまあ2人とも、往来の中なのだから喧嘩しないの」

 智樹の後ろからそはらの私たちを宥める声が聞こえて来た。そはらは苦労性というか心配性の子なので、こういう事態が起きると積極的に仲裁に入って来る。

 ここはそはらの顔を立てて、というか別に智樹と本気で争っているのではないし、適当に仲直りでも……

「ニンフが絡んで来るだけで、俺は喧嘩なんてしてねえって。もしかしてニンフ、俺のことが好きなんじゃねえか? むひょひょ」

「何を思い上がっているのよ! 私が智樹のことなんか好きな訳がないじゃない!」

 また、やってしまった。何で智樹の前だと素直になれないんだろう。今だって……

 

『そうなの。私、智樹のことが大大大~好きなの♪ 愛してる♪ だから私と結婚して♪』

『実は俺もニンフのことが大大大好きなのさ。愛してる。今すぐ結婚しよう。きら~ん☆』

『『チュ~♪』』

 

 なんて展開もあったかもしれないのに。

「今のは智ちゃんが悪いっ!」

 自己嫌悪に陥っていると、そはらの大きな声が聞こえた。相当怒っている。

「…………ニンフ」

 更に私の目の前に転がっていた空き缶が突然消滅した。ウラヌス・システムからの威嚇射撃で間違いなかった。

「何でそはらが怒るんだよ!?」

 智樹とそはらが反目を始めた所で騒ぎは一層大きくなった。仕方なく私たちはビルの入り口前へと一時的に移動することにした。

 

「イカロスさん、さっきから顔色が良くないけれど大丈夫なの?」

「…………はい、大丈夫です。そはらさん」

 そはらの言う通りアルファの顔色は良くない。原因はウラヌス・システムで間違いない。

威嚇とはいえ、さっき1発撃ったので少ない体力を更にすり減らしてしまっている。

「とりあえず、一休みしましょう」

「しょうがねえ、そうするか」

 智樹が賛同して小休止モードに入る。植え込みの縁をベンチ代わりに腰掛ける。

 それにしても、だ。

「改めて状況を見回してみると、智樹、あんた、随分と羨ましがられる立場にいるわよね」

「何がだよ?」

 智樹は当然かもしれないけれど、私の言葉の趣旨を理解していない。

「主観と客観の違いってやつよ」

「何だそりゃ?」

 智樹の疑問は捨て置いて溜め息を吐く。

 自分から見える世界と他人から見える世界は大きく異なる。

 私たち一行の男女構成比は1対3。しかも女の子はみんな可愛い。となれば智樹はモテ男としてさぞ気分が良いだろうと世間は思う。実際に私たちを見ながら智樹を羨んだり妬んだりする視線は多い。

 でも智樹自身は今の状態を幸せだとは考えていない。智樹曰く、平和を乱す未確認生物である私やアルファ、口うるさいお節介であるそはらにつき合わされ貴重な休日を不幸にも潰されている。そう考えている。

 モテ男という部分に関しても智樹にどこまで自覚があるのかわからない。私もアルファもそはらも智樹のことが大好きだ。世間の私たちを見る視線は正しかったりする。

 だけど智樹は事あるごとに自分をモテない男の代弁者の様に語る。でもそれって考えてみれば私たちに凄く失礼なことだと思う。

 私たちの想いに気付かないのも失礼だし、気付いた上で恋心ではないと判断しているのなら私たちの想いは舐められている。

 まあ、これには私たち3人が智樹から告白されるのを待っている受身な女の子である点も関係しているのは確か。

 言わなきゃわからない鈍感男の愛の告白を待っているのだから恋愛戦略としてはナンセンス。とんびに油揚げをさらわれかねない危険もある。

 そんなこんなで智樹に関する主観と客観の世界は大きく異なる。

 

 そして2つの世界が異なっているのは智樹だけの話じゃない。例えばアルファもそう。

 アルファは見た目無口で尽くす系の女の子。その印象は間違っていない。

 読み取れないのはアルファがヤンデレ・クイーンであること。今もウラヌス・システムの砲台は私を狙っている。

 そして重度なヤンデレの割には自分を智樹の道具として考えていること。結局智樹とどうなりたいのか私にもよくわからない。

 何を考えているのかわからない、というか胸中が一番複雑だろうなと思うのはそはら。

 そはらは見た目世話焼き女房タイプの女の子で、実際もそう。私たちはそはらの尽力があったからこそ智樹の家で暮らすことができた。人間界の生活にも慣れることができた。

 でもきっとそはらにとって悩みの種は私たちが本気で智樹を好きになってしまったこと。

 そはらは優しいので私やアルファが智樹と仲良く暮らすことを望んでいる。でも、女の子として私たちが智樹と親しくなりすぎることを心配している。

 そはらの葛藤の原因が私であることを考えると申し訳ない気になる。とはいえ、智樹だけは譲るつもりはないけどね。

 

 そして、私自身に関してだけど……。

 私はさっき智樹に対して「私たちが恋人同士で並んで歩いているみたいに誤解される」と言った。でも、それは嘘。

 多分世間は私と智樹が手を繋いで歩いていても恋人同士には見てくれない。兄妹にしか見えないと思う。私が小さいから。精神的にも幼いから。

 だから恋人同士と言ったのは世間の視線ではなく私の願望。智樹の「もしかしてニンフ、俺のことが好きなんじゃねえか?」という言葉も大正解。私は智樹が大好き。

 だけどそこまで勘が働いているのなら、私の気持ちももっと正面から汲んでくれても良いと思う。

 そう考えるのは、やっぱり私が自分の意気地なしを肯定したいからなのかな?

 ふと、デルタの顔がビルの谷間から見える空に浮かび上がった。自信満々の顔。

「そうよね。鈍いのがわかっているなら、やっぱり私から愛の告白をしないとダメよね!」

 決意を込めて立ち上がる。すると ──シュッ── という音を立てて私の足元のレンガ模様のタイルに直方体の穴が立て続けに空いた。アルファの仕業で間違いなかった。

「イカロスさんっ、ちょっと大丈夫!? ニンフさん、イカロスさんの容態が変なの!」

 そはらの悲鳴のような大声。見るとアルファが花壇の中に仰向けに力なく倒れていた。

「アルファ!」

 アルファは意識があるのかどうかよくわからない状態だった。瞳の色が緑と紅に交互に入れ替わっている。話し掛けても揺さぶっても反応はない。相当弱っている。

「ど、どうしたらいいの、ニンフさんっ!? 救急車、呼んだ方が良いのかな?」

「私たちはエンジェロイドだから人間の病院に行っても何にもならないわよ」

 そはらは私たちを本当の人間のように思ってくれている。だから今みたいに時々トンチンカンな意見を言って来ることがある。それがそはらの良い所なのだけど。

「とりあえずここ……は目立ち過ぎるから、近くのベンチに寝かせて安静にさせましょう。自己修復プログラムが働くからその内に目を覚ますわ」

 そはらを安心させるように笑い掛ける。そはらは話を聞いてホッとしたみたいだった。

「ほらっ、智ちゃん。イカロスさんを動かすの手伝ってよ」

「お、おう。わかった」

 2人に抱きかかえられて運ばれていくアルファを見て、それから上空を見上げる。

「でも、あれをどうにかしないと、アルファの具合は良くならないでしょうね……」

 翼を失って能力が落ちた私ではどうにも手出しできない空中戦艦が疎ましかった。

 

 

 

「イカロスさんは目を覚ますのにまだ時間が掛かるみたいだから、お買い物は智ちゃんとニンフさんで行ってくれないかな?」

 ベンチに腰掛け、アルファを膝枕して頭を撫でながらそはらは言った。智樹と2人で買い物というのはとても嬉しい申し出。でも、それを素直に受ける訳にもいかなかった。

「でも、アルファのことなら私の方が詳しいし、それにそはらだって……」

 そはらだって智樹と2人で買い物に行きたい筈。そはらも智樹を大好きだから。

「元々今日はニンフさんたちの部屋の小物を買いに来たんだし、それに今日の買い物を一番楽しみにしていたのはニンフさんでしょ。だから。ねっ」

 そはらはとても優しい顔をしていた。その顔を見ると私は何も喋れなくなった。

「ほらっ、智ちゃん。ニンフさんをデパートまでしっかりエスコートしてね」

「わかってるよ。うっさいなあ」

 そはらに背中を押された智樹が私の前にやって来る。

「ほらっ、そはらもああ言っているしそろそろ出発するぞ」

 智樹は視線を私から外しながら面倒くさそうに話掛ける。

ちっとも楽しくなさそう。やっぱり、私なんかじゃ……。

「そうじゃなくて。人ごみが結構凄いんだから、ちゃんと手を取って案内する!」

「チッ、しょうがねえな。ほらっ」

 智樹が、視線は外したまま私に向かって手を伸ばして来た。頬を微かに赤く染めて。

 智樹の表情の変化を見て、私はとても嬉しくなった。

「う、うん」

 智樹の手を取るべきか一瞬迷う。だけどそはらのことを思うと、ツンツンした態度で智樹の手を払いのけるのはあまりにも子供じみた行動だった。

「よろしくね、智樹」

 私は智樹の手を握った。握った手はとても温かくて、心まで温かくなった。

 私はもう知っている。この温かさこそが幸せと呼ばれるものだということを。

 シナプスにいた時は知らなかった想い。

「お、おう」

 智樹の頬に赤みが増す。智樹も幸せを感じてくれていると嬉しいな。

「楽しんで行ってきてね、2人とも」

 そはらは笑顔で私たちを見送ってくれた。

 でも私は気付いていた。気付けない訳がなかった。

そはらが笑顔を向ける前のほんの一瞬だけ、とても辛そうな表情で私たちを見たことを。

それでも笑顔を向けてくれたことを。

「智樹、何であんたは私たちが来る前、そはらと結婚しなかったの?」

「何を言ってるんだ、お前?」

 流石、ヤンデレ・クイーンが最強の恋のライバルと目している女の子。そはらは、私よりも遥かに前を行っている。

「でも、負けないから」

「さっきから何を言ってんだ?」

 私は智樹の手を一層強く握って歩き出した。

 

 

 

 それからの1時間は私にとってまるで夢のような瞬間だった。

 エンジェロイドは夢をみない。夢は私たちにとってタブー。でもきっと、眠った人間の夢ってこんな感じなのかなと想像させてくれる素敵な時間を私は過ごした。

 どこか現実離れしていて、でも、とても心地良くて。

「買い物も一区切りしたし。せっかくの都会だ。何でも好きなお菓子を買ってやるぞ」

「じゃあ……りんご飴がいい」

「デパートの食品売り場に売ってるのか? って、あったよ!」

 繋いだ手はとても温かくて。りんご飴はとても甘くて。

「とっても、美味しい。…………大好き」

「おう、そうか。ニンフはりんご飴、好きだもんな」

「……りんご飴、も、大好きよ」

 普段の自分じゃ考えられない行動を取ったりもできる。智樹の腕をギュッと組む。

「ど、どうしたんだよ? いきなり?」

「智樹だってデートしてくれる女の子がいるモテ男だってみんなに思われたいでしょ?」

「そりゃそうだが、俺たち一緒に買い物しているだけで、デートって訳じゃ……」

「細かいことなんていいじゃない」

 智樹の肩に頭を寄せる。

 智樹は身長が高くない。アルファやそはらよりも小さい。だからこうして腕を組んで一番バランスが取れるのは私。今だけはこの小さい体に感謝する。

「何か今日のニンフ、いつもと違うような?」

「夢の中にいるのだもの。いつもとは違うわよ」

「なんだそりゃ?」

 密着した腕から智樹の体温を一杯に感じる。

 私は確かに幸せを満喫していた。

 

 そして、夢は醒めるもの。

 

「ねえ、智樹。次はどこに行く? ……って、いない?」

 デパートを上から下まで巡り、再び3階フロアまで来た時、智樹は突然いなくなった。ほんの一瞬前まで腕を組んでエスカレーターを上っていたというのに。

「ちょっと、智樹っ? 一体、どこに行ったの?」

 焦りながら周囲を見回す。すると、視界の奥に色とりどりなランジェリーが陳列されているコーナーが見えた。

「何か、全てわかった気がするわ」

 肩を震わせながらランジェリーコーナーへと歩く。すると、予想通りいた……。

「空美学園の女子のじゃ見られない、大人の魅力満載の下着がてんこ盛り~。智樹、大人の階段登っちゃう~」

 全裸で下着と戯れている智樹を。

「ちょっと、何を恥ずかしいことをしているのよ! みんな、ドン引きじゃないの」

 私のデート相手はこんな奴だった。

「何をって、ニンフ……俺は、パンツが大好きなんだよ。愛してるんだ!」

セクシーな赤いブラとショーツを身に付け、頭に熊プリントのパンツをかぶりながら、智樹は本人的には格好良く決めた。

 私の好きな人はこんな男。思わずグーで力いっぱい殴ってしまいたくなる。でも……

「デルタ……あなた……」

 デルタの霊が私の右手をそっと押さえる。彼女は穏やかな表情で首を横に振った。

 そうよ。智樹のお嫁さんになるのなら、こんなことぐらいで動じていられない。智樹が女物の下着を好きだと言うなら……

「智樹は、私にはどんな下着が似合うと思う……?」

 この状況を活かなきゃいけない。そうじゃなきゃ、智樹の一番になれない。

「いや、どんな下着って言われても……」

「智樹が選んでくれたものなら、私、どんな恥ずかしいのでもいいよ。智樹好みのコーディネートを、して」

 デルタの霊が私の背中を後押ししてくれる。今なら私、智樹に素直になれる。

「お、お、俺は、だなっ!?」

 智樹の瞳が忙しなく動き回っている。私は段々と智樹に顔を近づけていく。智樹の視界いっぱいに私の顔が映るように。

「私を、智樹色に染めて……」

「あ、あ、ああ、あああっ!? …………更衣室のカーテンの隙間から黒いガーターベルトを付けたお姉さんの綺麗なおみ足が見えているのを発見っ!」

 狼狽していた智樹の表情が一変した。エッチなことを企んでいるあの顔になっていた。

「これは是非、確認に行かなければ。むひょひょひょ」

 そして私から離れるとジャンプして一足で更衣室へと飛んでいってしまった。

「なっ、何なのよっ! 私がこんなに勇気を出したのにぃ~っ!」

 大声で苛立ちを叫んでしまう。

「やっぱり智樹は、私のことが好きじゃないのかな……」

 そして落ち込む。

 視線を下げながら自分の胸に手を当てる。智樹が大好きな大きな胸とは正反対に悲しいほど小さい。

エンジェロイドは年も取らないし成長することもない。未来に期待できない。

 つまり、アルファやそはらには永遠に追いつけないということ。

「胸だけじゃなくて、恋もアルファやそはらに負けちゃうのかな……」

 私は今日、そはらに負けたと思った。そしてなかなか素直になれない私は一途さという点でアルファにも敵わない。

2人に勝っているものなんて何1つない。なのに智樹から愛の告白されるのを待っているなんて。何て図々しいのだろう、私は。

「ごめん、デルタ。私、あなたとの約束、守れないかもしれない」

 泣きたくなるのをグッと堪える。泣いてしまえば本当に負けを認めたことになる。

 だから私は必死に耐えた。涙が零れないように。弱い自分に負けないように。

「でも、負けない。負けたくないんだからぁ」

 私の命は私1人だけのものじゃない。デルタが身を呈して救ってくれたから私は今こうしてここにいられる。だからその私が弱音を吐いて諦めるなんて絶対に許されない。

 デルタの為にも……

「私を死地に追いやっておきながら自分は桜井智樹とデートとは、良いご身分ですね、ニンフ先輩」

 背後から、聞こえる筈のない声が聞こえた。振り向くと……

「デルタッ!?」

 そこには、ヤンデレクイーンと戦って逝ってしまった筈のエンジェロイド・タイプ・デルタ、アストレアが立っていた。

 

 

 

「久しぶりに会ってみれば、やはりシナプスに住む者は自分のことしか考えていない。ニンフ先輩もイカロス先輩も最低です」

 デルタの言葉には普段の彼女からは考えられないぐらい毒と知性が含まれていた。それを聞いて私はカチンと来た。

「何であんたがここにいるのよっ!」

 ずっと死んでいてくれたままなら格好良かったのに。何で生きて現れるの?

「会長も~いるわよ~」

「その声は、美香子っ?」

 更に振り返ると、黒いガーターベルトを付けた制服姿の美香子が立っていた。右腕で気絶した全裸の智樹にアイアン・クローを決めながら。

「ちょっと、智樹を放しなさいよっ!」

 智樹がスケベ顔して追ったのは美香子だったのだ。それがわかって凄く悔しかった。

手を精一杯伸ばして智樹を奪い返しに掛かる。

「ダ~メ~よ~」

 しかし美香子は私の腕を軽く避けるとデルタの横に並んだ。頷きあうデルタと美香子。

 この2人、グルなの?

「2人とも、何をしようと言うのよ?」

 デルタは胸の谷間からメガネを取り出して掛けた。似合いもしないそのメガネは守形のものに似ていた。

 そしてそのメガネの奥にはあの娘らしくない暗い炎が宿っていた。

「私はニンフ先輩と違って、恋愛だけをしている訳にはいかないんですよ」

 デルタの言葉は明らかに私をバカにしたものだった。メガネを掛けて知的キャラの仲間入りでも果たしたつもりなの? バカのくせに! デルタのくせに!

「何よ! 私と一緒にヤンデレ・クイーンと戦ったエンジェロイドが、何で智樹を誘拐しようとしているのよ!」

「桜井智樹の周りにいる連中は、桜井智樹を汚染しているだけの、恋愛に魂を鎖で繋がれているダウナーたちです」

 うん? 何だろう? 

 デルタの言葉に違和感を感じる。あのバカがこんな哲学めいた言葉が喋るなんておかしい。もしかして……。

「師匠。次の台詞、何でしたっけ?」

「次は~…………っよ。アストレアちゃん」

「そうでしたそうでした。ありがとうございます」

 やはりデルタを操っているのは美香子。となるとかなり厄介かもしれない。

「恋愛に狂ったダウナーどもを、この私、局地戦闘用エンジェロイド・タイプ・デルタ・アストレアが粛清しようと言うのです、ニンフ先輩っ!」

「エゴよ、そんなのは!」

 デルタの瞳にはかつて見たことがないほどに激しい復讐の炎が吹き荒れている。

「よくとちらずに言えたわね~。偉いわ~アストレアちゃん~」

「えへへ~。頑張りましたよ、師匠」

 私の勘違いだった。

 美香子に頭を撫でられ満面の笑みで喜ぶデルタはいつも通りのバカだった。

 

「で、何を企んでいるの、美香子?」

 でも、バカはともかく、美香子は危険だ。

 美香子からはシナプスの元マスターと同類の臭いがする。即ち、人をいたぶって苦しんでいる様を楽しむサディストの臭いが。私の最も苦手とするタイプの臭いが……。

「別に何も~。私はただ~アストレアちゃんの復讐の~お手伝いをしているだけ~」

 美香子は白々しく自分の陰謀を否定する。

「そうですよ。師匠はあくまでも私のお手伝い。復讐するのはこの私なんです!」

「バカは黙ってなさいっ!」

 デルタのくせに私と美香子の話し合いに口を挟むなんて図々しいにもほどがある。

「それで、美香子は智樹をどうするつもりなの?」

 美香子なら智樹を公開処刑ぐらいしかねない。きっと笑って。いいえ、絶対に笑って。

「それはですね~」

「あんたは黙ってて!」

 デルタが涙ぐんでいるが気にしない。

「どうするんだっけ~? アストレアちゃん~?」

 美香子が黒い笑みを湛えながらデルタを見る。仕方なく私も視線をバカに向ける。

「え~と、確か……公開ショーケース、じゃなくて開港処刑です。ですよね、師匠?」

 開港処刑って何よ? ホント、バカ。

 でも、これではっきりした。今回のシナリオを書いたのは美香子。つまり、危険。

「公開処刑って~こんな感じ~?」

 美香子が智樹の頭に指をめり込ませていく。

「ちょっと、やめなさいよっ!」

 ゴリラよりも強い美香子の握力で握られたら、智樹の頭が潰れちゃう!

「そ、そうですよ、師匠っ。そんなことをしたら本当に桜井智樹が死んじゃいますよ!」

「え~でも~、会長はアストレアちゃんの願いを聞き入れているだけだし~」

 美香子は智樹を握る力を一向に緩めない。力を篭めるほどにご機嫌な顔をしている。

 これでまた、1つはっきりした。

 バカに美香子をどうこうする権限はない。最初からわかりきっていたことだけど。

 と、なれば…。

 

「で、美香子の要望は何なの?」

 交渉のテーブルに着くしかない。美香子がセッティングした不利極まりないに違いないテーブルに。

「ええと~、要望は何なの~、アストレアちゃん~?」

 あくまで美香子は介添え人の役に徹するつもりらしい。なら、それでも良い。

「次は確か……そうです! 桜井智樹を賭けて私と勝負してください、ニンフ先輩っ!」

 バカがズビッと指を突き刺して来た。

「……それで、いいの?」

 美香子を鋭く睨みながら答える。

 このバカが相手なら、たとえ体の機能が99.999%停止していても勝てる。心が折れていない限りは。

 それは美香子もわかっている筈。だったら何故そんな結果の見えた勝負を指示するの?

「わ~、流石はアストレアちゃん。素晴らしい考えだわ~。会長感激~」

 美香子は私の眼光をスルーし、デルタの頭を撫でながら誉めた。

「でも~どうせだったら~、桜井くんのことが好きな女の子が全員集まって~白黒ハッキリ付けるのが~もっと素晴らしいんじゃないかしら~?」

 もしかして、美香子の狙いはっ!?

「あれっ? 師匠っ? 台本にそんな台詞ありましたっけ?」

 あのバカも知らされていないと言うことはやっぱり!

「断ったら、どうなるの?」

「公開処刑~♪」

 美香子の指が智樹の顔に更に食い込む。頭蓋骨が軋む嫌な音が鳴り響く。

「……わかったわよ」

 ガックリと膝をつく。私に選択の余地はない。降伏するしかなかった。

「交渉成立~。それじゃあニンフちゃん。イカロスちゃんとそはらちゃんに明日1時ごろに学校の校庭に来るように行っておいて~。遅刻は厳禁よ~」

 思った通りの要求が出される。

「それじゃあ今日の所は引き上げましょ~、アストレアちゃん」

「あっ、はい。わかりました、師匠」

 美香子は私の前から立ち去ろうとする。智樹を掴んだまま。

「美香子はわかっているの? 自分が何を呼び起こそうとしているのか。アレは私たちの手には余る代物なのよ!」

 遠ざかろうとする美香子の背中に向かって叫ぶ。

「英くんにも~同じようなことを言われたわ~」

「だったら!」

 美香子は首を横に曲げデルタのメガネを見て笑った。やっぱり、あれは……。

「みんなこの所~ラブやらバトルやら~お涙やらとっても忙しそう~。なのに会長だけいつも蚊帳の外~。会長もたまには~世界の中心に~立ちたいのよ~」

「そんなつまらないことの為に、ヤンデレ・クイーンを再び降臨させようと言うの!」

 デルタと私を争わせて高みの見物をするだけならまだ良い。けれど、デルタを生贄に、もはや心と体の制御が効かなくなって来ているアルファを挑発するのは危険すぎる。

「イカロスちゃん以上にヒロインしている~ニンフちゃんにはわからないでしょうね~。会長のこの虚しさは~。英くんも最期までわかってくれなかったわ~」

 美香子の瞳の奥にはデルタとは比べ物にならないほどの復讐の闇が存在していた。

「明日、イカロスちゃんを連れて来なければ~即刻桜井くんを処刑するから~」

「クッ」

 私だけで美香子を何とかしようと思ったけど、それも読まれていた。流石は悪の親玉。デルタみたいな小物とは訳が違う。

「それじゃあ本当に帰りましょう~。アストレアちゃん」

「はいっ」

 美香子とデルタが遠ざかっていく。

 私は膝をついたまま2人を追うことができなかった。

「今日の演技は最高だったわ、アストレアちゃん~。アカデミー賞も夢じゃないわ~」

「本当ですか、師匠? 途中から師匠とニンフ先輩が外国語で喋りだして話の内容がチンプンカンプンで困っていたのですが」

 全部日本語よ、バカ。

 

 

 こうして私は逆襲に燃える美香子とそのおまけの陰謀により、再びヤンデレ・クイーンと対決する羽目になった。

 できることなら抑制の効かない今のアルファとは戦いたくない。だけど、戦わないと智樹が美香子に殺されてしまう。

 それに、明日の戦いは智樹を賭けた戦いになる。だからどんな勝負でもアルファにもそはらにも負けたくない。他のことは全部負けても構わないから智樹だけは譲れない。

 なので明日は、私が争奪戦に勝利して智樹を奪還し、かつアルファの暴走は抑えて美香子の思い通りにはさせないという2つのミッションを同時に達成しなければならない。

 それは容易く達成できる目標じゃないのは間違いない。美香子が私に直接喧嘩を売ってきたということは、明日のシナリオを自分の思い通りに運ぶ自信があるからだろう。

 それに羽のない今の私では正常時の5%も力が出せない。頼れるのは自分の頭脳と、適当に使い捨ての便利な手駒にできそうなバカ(デルタ)だけ。

 たったこれだけの戦力でアルファや美香子たちに立ち向かわなければならないのは正直厳しい。でも、負けられない。

「愛する智樹と、智樹が愛しているこの世界の平和の為に負けないわよ、美香子っ!」

 願わくば、どうか明日という日が、バカ1人だけの犠牲で済みますように。

 

 

 ちょっと気は早いけど、デパートのガラス向こうの空にデルタが笑顔でキメていた。

 

(中編に続く)

 

 

 


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