No.362026 そらのわすれもの22012-01-11 20:50:55 投稿 / 全5ページ 総閲覧数:2082 閲覧ユーザー数:1797 |
そらのわすれもの2
12月24日 午前9時
クリスマス・イヴの朝。ソレは何の前触れもなく始まった。
『全世界のモテない男たちに告げるっ!』
晴天を誇る空美町の大空という名の大スクリーンに桜井智樹の顔が大きく映し出された。
『もはや忍従の時は過ぎ去った。奴ら、モテ男共は我々モテない男たちからクリスマスを楽しむ権利を奪い取り、あまつさえ我々を出汁にしてより一層自らのリア充ぶりを満喫している。モテ男の享楽は我々モテない男たちへの際限なき搾取の上にのみ成り立っている』
イカロスと似た白い鎧を身に纏った智樹は大きくマントを翻した。
『我々は解放しなければならない。我々自身をっ! そして、モテ男のいない理想のクリスマスを実現しなければならないっ! 我々自身の、この手でっ!』
大空に投影されている智樹の演説をニンフは苦々しい思いで聞いていた。
「智樹の奴、本気で全世界に喧嘩を売る気なの?」
智樹の後ろにはイカロスと成長したカオスが控えている様子が見える。
確かに最強のエンジェロイドを2体も引き連れていれば戦力的に全世界と戦うことも十分に違いなかった。
それどころかイカロスとカオスの持つ戦闘能力なら全世界の軍隊を合わせた武力よりも遥かに強いのは間違いない。
だが、ニンフが問題にしているのはそうではない。智樹に対する全世界からの敵意と憎しみの集中。その点が心配だった。
『俺の名は桜井智樹。モテ男根絶の為の武力介入組織フラレテル・ビーイングの創始者桜井智蔵の孫にして、現最高責任者フラレテル・ビーイングのモテないマイスターだっ!』
「何、自分の素性を普通に名乗ったりしちゃってんのよ……」
ニンフは俯きながら拳を精一杯の力で握り締めた。
「ニンフ先輩……」
アストレアが駆け寄って来てニンフを宥めようと手を伸ばす。
けれど、その手はニンフに触れる直前で止まった。そして当惑した表情を浮かべながら伸ばした手を引っ込めた。
代わりに空に映っているに智樹の顔をキツい視線で睨みつけた。
『全世界の志あるモテない男たちよっ! 俺と共に戦えっ! この福岡の地に集えっ! 世界の理想はこの地より始まるのだっ!』
高々と両手を上げてみせる智樹。
その智樹の動作に呼応して空美町の各地から雄叫びの声が上がったのがニンフやアストレアの耳に届いた。
『フラレテル・ビーイングに栄光あれっ! モテない男たちに栄光あれっ!』
智樹の演説の締めくくりと共に空美町の至る所から大歓声が上がるのが聞こえてきた。
ニンフとアストレアはただ、その演説の最後を呆然と見つめていた。
智樹の映像が終わってもニンフとアストレアは呆然とし続けていた。
しかし、その静寂はふすまが開く音によって破られた。
「まずいことになった」
「守形」
呼び鈴も鳴らさずに桜井家の居間へと足を踏み入れたのは守形英四郎だった。
「まずいことになったって?」
「空美町を中心に福岡へと全世界からモテない男たちが集結し始めている」
「智樹の演説のせいで……」
ニンフは再び拳を握りしめる力を入れた。
「智樹の演説が始まって数分の内に千を超える男たちが空美町へと侵入してきた。福岡全体では既に空美町の総人口を上回るモテない男たちが流入しているものと考えられる」
「それって、既に7千人以上のフラレテル・ビーイングが湧いてしまったってことじゃないの!」
具体的に数値で表すと驚異的な増加としか言いようがなかった。バレンタイン蜂起では百名程度の人数しか参加しなかったというのに。
「このまま放置しておけば、今日中に福岡は全世界からやって来た数十万、いや、百万人以上のモテない男たちに埋めつくされてしまうことになるだろう」
ニンフには守形が大げさな話をしているのではないことがわかった。彼女のレーダーは今も続々と空美町に男たちがやって来ていることを報告していた。人が波となって押し寄せてきている。
「そして彼らがフラレテル・ビーイングの隊員として活動を開始した場合、福岡は、いや、日本中が破壊の渦に飲まれて焦土と化してしまうだろう」
「智樹のバカっ! みんなに嫌われてどうするのよ?」
もし、日本が焦土と化すような事態を招けば智樹は許されざる悪人として歴史に名を刻まれることになる。それはニンフにとって最悪と言うべき事態だった。
「そして今回のフラレテル・ビーイングの蜂起に対して空美町も全力で対処することになった」
守形は言葉を切って空を見上げた。
「だが、如何に空美町が総力を結集しようとも、アレが、そしてあの中に最強のエンジェロイドが2人も健在な限り意味などなさないだろう」
守形の視線の先にはイカロスの最強武装であるウラヌス・システムが迷彩も施さずにその巨体を青空の中に晒していた。
男たちは空中戦艦の勇姿に智樹の本気を感じ取り続々と集まっているとも言えた。
フラレテル・ビーイングは最強の盾と矛を手にしている。負ける筈がない。それがモテない男たちに勇気と野蛮を与えている。
ニンフはウラヌス・システムの細部をスキャンしながら確認してみた。
「あれっ? ウラヌス・システムから何か大量に投下されているわ」
投下物に照準を合わせて再度スキャンする。
「投下されているのは……女物のパンツ?」
スキャンの結果はその物体が若い女性の下着であることを物語っている。しかし、それが意味する所をニンフは知らなかった。
「女性もののパンツ、だとっ!?」
一方でニンフのスキャン結果に敏感に反応を示したのは守形だった。
「そのパンツは空を飛んでいないか?」
「何を言っているの? パンツが空を飛ぶ訳がな……ええぇっ!? パンツが、パンツが空を飛んでいるっ!?」
ニンフの電子頭脳では理解し難い事態が展開されていた。数千枚のパンツはその布地を翼としながら大空を舞っていた。
「そう言えば智樹がパンツを飛ばしていたのはまだニンフが空から降りてくる前だったな」
「パンツなんか飛ばして何をしていたの、智樹は?」
ニンフは智樹の特殊な性癖をまだ完全に理解した訳ではない。特にエロの追求に関していえばニンフはイカロスの足元にも及ばない理解度しかなかった。
「当時の智樹はただのパンツ好きが高じただけだった。だが、今回パンツをこの空美町でわざわざ解き放ったのは……ヤツが本気だからだろうな」
守形は鋭い瞳で空を見つめる。
「本気って?」
「パンツの舞っていく先をよく観察してみろ」
ニンフはスキャン対象をパンツの群れに合わせ、パンツがどこに向かっていくのか追跡調査した。
その結果、パンツはゆっくりと地上に降下しているのが確認できた。
地上へと舞い降りたパンツは次々と特定の男たちの背中へと張り付いていった。
そして──
「嘘っ!? 背中にパンツの羽を生やして変態たちが空を飛んでいる!?」
センサーを通して見るその光景はまさに悪夢だった。背中からパンツを生やした男たちが空を華麗に舞っていた。絵的に少しも美しくなかった。
そしてそれは、空を独占してきたシナプスの出身であるニンフにとって非常に不快な光景だった。
「やはり、智樹はフラレテル・ビーイングの戦士たちに機動力を与えたのだな。空を飛ぶ変態テロリスト。これで、地上にいるフラレテル・ビーイングも捨て置けない危険分子になったと見て間違いないだろう」
フラレテル・ビーイングの目的が襲撃や破壊であると考えれば、空を飛べるようになるのはあまりにも危険過ぎた。
「こうなった以上、一刻も早く智樹を止めなければならない。ニンフ、アストレア。一緒に来てくれ」
守形はニンフたちの返事も聞かずに玄関に向かって歩き出す。
「どこに行くの?」
守形は振り返らずに答えた。
「空美町フラレテルビーイング対策本部だ」
それはニンフに戦いの始まりを予感させる一言だった。
空は青く、だが、ニンフの瞳には分厚い雲に覆われて見えていた。
暗雲が空美町の空を覆っていた。
12月24日午前10時
「へぇ~、空美学園がフラレテル・ビーイング対抗の前線基地なのね」
生徒会室の窓から外を見下ろす。
幾重にも鉄条網が敷かれ、さながら軍事要塞と化した空美学園を見ながらニンフは感心の息を吐き出した。
「ああ。空美学園は男子生徒男性教諭の3分2以上がフラレテル・ビーイングの構成員と言われているテロリストの温床だ。だが、同時にフラレテル・ビーイングを憎む女子生徒や男子生徒の士気が最も高いのもここだからな。本部には丁度良い」
「フラレテル・ビーイングを憎む女子生徒……」
自分のことだ。ニンフはそう思った。
智樹はモテ男とモテないマイスターの間で揺れ動いていた。それを知っていた。
にも関わらず、智樹を引き止めることが出来なかった。自分のことをどうしようもない程にバカだと思った。もっと無理矢理にでも引き止めるべきだった。
そして同時に、智樹を闇の世界へと引きずり込んだフラレテル・ビーイングが憎かった。
この空美学園は智樹と自分の光と闇を否応なしに強烈に意識させる場所。守形がこの場を本部に選んだのは正解だと思った。
「でも、今回の蜂起に対しては随分と準備が前もって進んでいるように見えるわね」
校庭、校舎に張り巡らされた鉄条網、巧妙に迷彩を施されながら設置されている砲台などは事前に入念な準備が積み重ねられていたことを意味する。
「仮に智樹があちら側に付かなかったとしても、フラレテル・ビーイングの蜂起は予想済みだったからな。準備ぐらいはしておくさ」
守形は涼しい顔をして答えた。
「そして空美町ではフラレテル・ビーイングに総力を挙げて対向する為に、この町の三極を成している五月田根、鳳凰院、守形の三家が史上初めて手を結んだ」
「フラレテル・ビーイングを倒す為に空美町が1つに纏まったのね」
それはフラレテル・ビーイングの存在なくしては考えられなかったこと。だが──
「世界の悪意が見えるわよ、智樹」
智樹は空美町共通の敵としてみなされているに違いなかった。それがニンフにとっては腹立たしかった。
「現在美香子、義経の両名が隊長となって部隊を率いて空美町及び周辺自治体のデートスポットの防備を固めている。だが──」
守形は空を見上げた。
「フラレテル・ビーイングの総数は予想の100倍以上。更に飛行能力まで得ている。そしてウラヌス・システムと最強エンジェロイドが2体。要所を守り切るのはまず不可能だ」
守形の瞳は憂いを含んでいた。無表情のはずの男がとても辛そうな瞳を向けていた。
「だからこそ、先手を打って彼らが活動を本格化する前に桜井智樹を討ち滅ぼさないとダメなのよ」
「智子……」
生徒会長室に入って来たのは桜井智子だった。だが智子はいつになく険しい雰囲気を纏っている。ニンフは近付くのを躊躇った。
「でも、智樹を討ち滅ぼすなんて穏やかじゃないわよ。もっと平和的な解決の道を……」
「無理よ」
ニンフの提案に智子はニベもなく首を横に振った。
「智子と智樹は元々同じ存在だったじゃない。智子なら智樹の説得の仕方も知っているんじゃないのっ!?」
ニンフは必死だった。智樹の死を突き付けるような流れが嫌だった。
「説得は無理よ。だって今の智樹は戦って死ぬ気満々だもん。平和を愛するハーレム王と世界に破壊と革新をもたらすフラレテル・ビーイングの総責任者。その狭間で悩んだ結果が世界を改変する責任を取って死ぬことなんだもの。説得は無意味ね」
「でも、だからって! 智樹を殺す算段なんて絶対に嫌なのよっ!」
ニンフは泣きそうだった。智子を責めてもどうにもならないことは知っている。けれど、誰かに当たらずにいられない心境だった。
「落ち着いてください、ニンフ先輩」
アストレアがニンフの肩を後ろから押さえる。ニンフを押さえるアストレアの手もまた震えていた。
そんなアストレアの心情を思ってニンフは僅かに冷静さを取り戻す。
「…………けど、どうやって智樹を討つって言うのよ? 智樹はウラヌス・システムの内部にいるわ。それに智樹の側にはアルファとカオスが控えているのよ」
改めて考えてみると智樹を討つのが困難、というか不可能であるという結論に落ち着く。
自分やアストレアの戦闘力だけでウラヌス・システムに対抗することは不可能に等しい。ウラヌス・システムに唯一対抗できるのはカオスだが、そのカオスは智樹陣営にいる。
更に、イカロスとカオスというエンジェロイドの戦闘性能も自分たちより遥かに高い。
勝てそうな要素などひとつも思い浮かばなかった。
「うん。だから守形先輩にこの1週間、桜井智樹打倒の策を練ってもらっていたの」
智子は感情を込めずにそう打ち明けた。
「守形に? 私じゃなくて?」
自分が作戦担当に選ばれなかったことにニンフのプライドは刺激された。
「だってニンフちゃん、桜井智樹を殺す為の作戦なんか立てられないでしょ?」
対して智子はサバサバした口調で返答した。
「それはそうだけど。でも、だけどっ!」
智子に見透かされていたことが何だか悔しい。
「絶対に勝たなきゃいけない戦いなの。半端な作戦を立てられて智子たちが全滅ってなったら、もう誰も桜井智樹を止められなくなる」
「そ、それは……」
智子の真剣な瞳にニンフはそれ以上何も言えなくなる。
智子は守形の方を向き直った。
「それで先輩、ウラヌス・システムとイカロス、カオスを倒す算段はつきましたか?」
守形は一息吐いてから鋭い視線で答えた。
「ああっ。ニンフ、アストレア、見月、風音が力を合わせればウラヌス・システムを破壊することも、最強のエンジェロイドを倒すことも十分に可能だ」
守形は堂々とした声と態度で返答してみせた。
「ポンコツ、バカと言われた私たちで最強と名高いアルファたちを十分に倒せる?」
その守形の返答はニンフのプライドをくすぐるものだった。けれど嬉しいものではなかった。
ただ時代が、時が流れて新しい時代が到来しようとしていることを感じ取っていた。
「ねえ、智樹……何かがおかしいよ。絶対何かがおかしいよ」
何故智樹も智子も守形も戦いの運命を受け入れているのか。ニンフの電算頭脳は何度計算し直してもその答えを導けなかった。
12月24日 午前11時15分
空美学園生徒会室では、見月そはら、風音日和の両名を加えて桜井智樹を打倒する為のブリーフィングが開かれている最中だった。
「智樹は浮沈戦艦ウラヌス・システムに乗り込み、周囲を最強のエンジェロイドであるイカロスとカオスに守らせている」
守形は黒板に桜井智樹、イカロス、カオス、ウラヌス・システムと文字を書いた。
「それは一見完璧な布陣を敷いているように見える。だが、実際には幾つかの綻びがある。そこに勝利の鍵がある」
守形は黒板中央に綻び、勝利と大きな文字で書き、更に丸で囲った。
「勝利の鍵って……私とデルタの連合でも戦力比1対99にしかならないじゃないの」
ニンフは守形の説明を聞きながら、ウラヌス・クイーン、イカロス、カオスのスペックを再度チェックしながら大きな溜め息を吐いた。
数値で見る限り、戦力差は絶望的なまでに大きい。
守形はどんな綻びをみつけたと言うのか?
「まず、イカロスの現在の状態であるが、12月18日より現在までウラヌス・システムを現界させ続けている。その為に体力的にも処理能力的にも限界に近い」
守形は窓の外に小さく見えるウラヌス・システムに目を向けた。
「イカロスからのエネルギー供給により動いているウラヌス・システムもまた、もはや限界と見て構わないだろう。つまり……」
守形は黒板に書かれたウラヌス・システムという文字に赤いチョークで斜めに線を入れた。
「一度破壊してしまえば修復されて戦線に復帰されることはない」
守形は黒板を手で強く叩いた。
「ウラヌス・システムの具体的な破壊方法に関しては先程配った資料の通りだ。ニンフたち4人が力を合わせれば必ず勝てる!」
「「「す、凄いですね」」」
アストレア、そはら、日和の3人は感嘆の声を出している。
一方新大陸以外のことで守形がこんなにも熱くなるのは珍しいことだとニンフは思った。
いや、必ずという点を強調したかったのだと思い直す。つまりこのミッションは疑いを持ったり、弱気に駆られながら臨めば敗北が待っている相当危険なものであると。
ニンフはそれを口に出さなかった。出せば気持ちの優しいそはらや日和の命の危険が増してしまうと思った。
「続いて、イカロスとカオスへの対策だが……」
守形は黒板に書かれているイカロスの文字に目を向けた。
「イカロスは先程話した通りに、ウラヌス・システムの連続限界により何もせずとも満身創痍の状態だ。現在も攻撃力の高さは健在だろうが、彼女のもう一つの強さである驚異的な回復能力は失われているとみて間違いない」
守形はイカロスという文字の横に赤い波線を書き入れた。
「イカロスは一度大きなダメージを与えれば自動修復モードでしばらくは目覚めなくなるに違いない。たった一度、ダメージを与えるだけなら相手が空の女王といえども不可能なことではない」
守形がニンフを見た。
「ニンフ、素粒子ジャミングシステム・アフロディーテは自分の意思で起動できるか?」
「起動できなきゃ私たちはアルファを止められないんでしょ? なら、やってやるわよ」
ニンフは頷いた。
「ニンフはイカロスの火器管制の無効化・無力化を担当。そはらは殺人チョップでイカロスを行動停止に追い込む。2人の動き方の指示は俺が地上より行う。イカロスとは数的優位を忘れずに戦う。いいな」
「わかったわ」
「は、はい」
そはらの声には戸惑いが含まれていた。
そはらはイカロス相手に全力で戦えないかもしれない。ニンフはそれを感じ取った。
しかし、自分の体を改めて観察しながら思う。守形はそはらに対して実際とは逆の役割分担をわざと言っているのだと。
イカロスの武装の火器管制は彼女のコアである可変ウィングにより行われている。可変ウィングを管理下に置くとは即ちイカロス自身を乗っ取ることに他ならない。
つまり、アフロディーテが成功してイカロスを乗っ取ればそはらのトドメは要らない。
それは守形にもよくわかっている筈だった。にも関わらず、守形はそはらに大役を任せるように述べた。それは何故か?
「守形も相当な悪人よね。でも……その悪人の意図を読み取って黙っている私も同じ、か」
ニンフは軽く溜息を吐き出した。
けれど、やはり自分たちが120%の力を出さないことにはウラヌス・クイーンには勝てない。守形はその為の万策を期しているのだと思い、素直に騙されることにした。
「残るはカオスだが、彼女の相手はアストレアと風音に担当してもらう」
「は、はい」
はいと答えた日和だが、その表情は浮かない。
無理もない話だとニンフは思った。何故なら──
「成長したカオスはスペック面で言えばウラヌス・クイーンと化したイカロスをも上回っていると見て間違いない」
カオスは現時点での最強エンジェロイドに違いないのだから。
だが、守形はそんな日和やニンフの不安を一蹴するように力強く黒板を叩いた。
「しかし、それはあくまでも理論上のスペックの話だ。実際のカオスの運動性能は幼女体型に比べて遥かに劣る」
「「えっ?」」
ニンフと日和の声が揃った。
「確かに成人化したことによりカオスの持つ運動能力は飛躍的に上昇している。純粋な速度、馬力などは数倍に上がっていることだろう。だがっ!」
守形は再び黒板を力強く叩いた。
「一方で彼女の電子頭脳は全く進化を遂げていない。カオスは小さな体を動かすように作られたOSで、より高度で大掛かりな処理を必要とする大きな体を動かすことになる。そんなものは機能不全を起こすだけだ。つまり、今のカオスにあの体の能力をフルに発揮することは出来ない!」
守形はまた熱く語っていた。
ニンフはその意図を察し、再び黙った。
「幼女体型の時より弱いカオスであれば、アストレアと風音で相手することは十分に可能だ。風音は電子戦を仕掛けてカオスの遠距離兵器の発動を妨害し、アストレアは近距離戦闘でカオスを倒せっ!」
「わ、わかりました。頑張ってカオスの背中の羽を使えないようにしてみます」
「近接戦闘なら私は誰にも負けません。えっへん」
2人は守形の提案に納得したようだった。
「そして残るは智樹なんだが……」
守形は黒板の中央に書いてある桜井智樹の文字を見た。
「智樹に関してはどこに逃げ隠れしようと、智子が見つけ出してとっ捕まえてみんなの前に差し出す。それで良いでしょ?」
手を挙げたのは智子だった。
「智子的には桜井智樹は死ぬべきだと思うけれど、そうしちゃうとニンフちゃんたちはやる気が出ないでしょ? だから、智子が捕まえて処分はみんなで決めれば良い。どう?」
ニンフたちは一斉に顔を見合わせた。
「智樹を死なさなくて済む道が開けるのなら私は構わないわ」
ニンフは強い瞳で自分の考えを述べた。
「そうだよね。智ちゃんにはお仕置きをしてしっかり生きてもらうのが必要だよね」
そはらが同意の言葉を加える。
「私も、桜井くんに生きて欲しいです」
「はいは~い。私はとっ捕まえた桜井智樹を長時間笑ってやりたいで~す」
日和もアストレアも賛同した。
「全員の賛同が得られたのだから、これはもう決まりだな。桜井智樹は智子が生きたまま捕獲する」
守形が宣言し、智樹に対する方針が決まった。
「そうよ。私は智樹を殺す為に戦うんじゃない。智樹に生きてもらう為に戦うのよ」
自分の言葉の中に多くの詭弁と嘘が含まれていることはよく理解している。
けれど、それでもニンフは自分の言葉に勇気と希望をもらっていた。
それだけは事実だった。
ほんの少しだけ、空美町の空が晴れ渡って見えた気がした。
12月24日 正午
2011年クリスマスにおける最大の激戦地空美町の戦いは1発の砲声から始まった。
「フラレテル・ビーイングは全世界のモテ男を武力介入対象と認定し、攻撃を開始する」
昼時、守形が1人で軽い昼食を取っていると大空のスクリーンに突如智樹の顔が浮かび上がった。
「フラレテル・ビーイングの同志たちよっ! 新しい時代を切り開く刻は訪れた。各々持てる力を全て費やして理想社会を建設するのだっ!」
空美町の至る所からオーッと呼応する雄叫びの声が上がる。
「これはその、始まりを告げる祝福の一撃っ!」
ハチドリの形をしたウラヌス・システムの先端部が激しく光り、そして──
「これがっ、モテない男たちの魂の力だぁ~~~~っ!」
一条の閃光が空美の空を2つに引き裂いた。
××県冬木市。
かの地では7人の魔術師が万能の願望器“聖杯”を巡り、己が召喚したサーヴァントを駆使して激しい殺し合いが行われていた。
第4次聖杯戦争。魔術師たちの殺し合いはそう呼ばれていた。
その聖杯戦争に1人の年若い天才魔術師が参加していた。
「下の階で火事か。まあ間違いなく放火だろう。人払いの計らいだな」
修道服を意識させる蒼いスーツを着た男は、家事を知らせるホテルのフロントからの電話に少しも動じた様子を見せなかった。
「セイバーのマスターは可能な限り槍の呪いを解消したい所だろうからな。ランサー、下の階に降りて迎え撃て。無碍に追い払ったりはするなよ」
金色の髪をオールバックで固めた男は、自らのサーヴァントである絶世のイケメンに指示を与えていた。
「承知しました」
泣き黒子を持つイケメンは天才魔術師に恭しく一礼をすると姿を消した。主の言いつけを守り迎撃に出たのだった。
「御客人にはケイネス・エルメロイの魔術工房をとっくり堪能してもらおうではないか」
この世で最も強く、そして美しいサーヴァント・イケメンを使役する天才魔術師は名をケイネス・エルメロイ・アーチボルトと言った。
ケイネスは魔術の名門アーチボルト家の⑨代目当主で、魔術の最高峰時計塔で講師を務める天才魔術師だった。
彼の信条は『魔術の優劣は血統の違いで決まる。これは覆すことができない事実である』であり、自分の出自に誇りを抱いていた。
そして彼は名門の名に恥じない天才魔術師であり、今回の聖杯戦争においても誰もがその実力に一目置いていた。
そう、ケイネスは優秀な魔術師だった。
「フロア一つ借り切っての完璧な工房だ」
彼は自身が拠点としているホテルの37階フロアを見ながら誇らしく独り言を述べた。
「結界24層、魔力炉3基、猟犬代わりの悪霊、魍魎数十躰、無数のトラップに、廊下の一部は異界化させている空間もある」
ケイネスが対魔術師用に仕掛けた備えは完璧の更にその上を行くものだった。
どんな強大な力を持つ魔術師が侵入を試みた所で、絶対にケイネスの元へは辿り着けない。天才魔術師はその名に恥じない鉄壁の要塞をホテルの中に築き上げていた。
「フハハッハハハハ。お互い存分の秘術を尽くしての競い合いが出来ようというものだ」
ケイネスは待ち望んでいた。
自らが魔術師としてどれほど優秀であるのか実戦をもって証明できる瞬間を。
己の優秀さを証明する為に参加した聖杯戦争で、その実力を遺憾なく発揮できる瞬間を。
そして──
「フッハッハッハッハッハ……アッ?」
その瞬間は永遠に訪れなかった。
「爆発オチなんて最低ぇ~~~~っ!!」
天才魔術師が人生で最期に聞いた言葉。それは幼女のダメ出しの声だった。
魔術の名門アーチボルト家⑨代目当主、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトはその生涯をホテルの爆発オチと共に終えた。多分……。
「バカっ! 俺が狙えと言ったのは昼間からお客満載のラブホテルだろうがっ! あのホテルには、婚約者をサーヴァントに寝取られたモテないかつ完全無欠のネタ男しかいなかったんだぞっ! リア充モテ男に欠片もダメージが与えられないだろうが!」
智樹はイカロスの頭をゲンコツで叩いた。
「しかもアーチボルトはな、1行余白が余ってれば生き返るような軽い存在なんだぞ! フラレテル・ビーイングの壮大にして重厚な目的に全くそぐわないネタキャラを倒してどうするっ!」
イカロスを糾弾する智樹。彼は放送を切り忘れていた。
「……すみません、マスター。照準が合いませんでした」
イカロスは無表情のまま頭を擦っている。
「とにかくだっ!」
智樹が再び正面を向いた。
「現在の科学力を遥かに超越したこのウラヌス・システムが浮かんでいる限り、俺たちフラレテル・ビーイングに負けなど有り得ないっ! みんな、安心して戦うんだぁ~っ!」
これまでより一際大きな声で歓声が上がる。
それと共にパンツを背中に生やした男たちが一斉に空へと飛び上がっていく。
ここに、2011年最大の決戦、空美町防衛戦は始まりを告げたのだった。
「始まったな」
守形は空美町の至る所から空中に向かって放たれている銃声を聞きながら述べた。
鉄仮面の異名を誇る男が不快さを隠さない瞳を空に向けていた。
空を舞うフラレテル・ビーイングの戦士たちに無数の銃弾が浴びせられ、1人、また1人と散っていく。
「今の所、美香子が第三新東京市に配備される筈だった無人迎撃システムがよく稼動しているようだな」
美香子はフラレテル・ビーイングとの戦いは地上戦を念頭に置いていた。だが、守形の助言に従い、空中戦にも対応できる迎撃システムを導入しておいた。
勿論この迎撃システムは、空を飛ぶモテない男たちを落とす為に導入したのではない。エンジェロイド、特にイカロスが敵に回ったことを想定してのシステムだった。
桜井智樹がフラレテル・ビーイングについた場合、マスターに忠実なイカロスは智樹側につくと守形は最初から予見していた。
「だが、所詮21世紀序盤程度の科学力では……シナプスの、新大陸の科学力に太刀打ちする術はない、か」
守形は小さく息を吐いた。
その次の瞬間だった。
ウラヌス・システムから幾条もの閃光が空美の町に向かって降り注いだ。
そして、一瞬遅れて大きな爆音と光が守形の耳へと届いた。
光の柱が空美町の地の何箇所からも沸き生じ上がる。
確認するまでもなく迎撃システムがウラヌス・システムの攻撃により沈黙させられたに違いなかった。
すると、先程まで劣勢だったフラレテル・ビーイングの隊員たちが今度は我が物顔で空を舞い、デートスポットの上空を旋回している様子が見て取れた。
「やはり、この戦い、そして全世界の命運を握っているのは4人の少女たちということか」
守形は小さく舌打ちをした。
「まったく、平和に生きたいと願う彼女たちの手を借りねば世界を守ることができんとは。無様だな、俺たちは」
守形は生徒会室を出て屋上へと向かいながら携帯電話を取り出した。
「せっかく智樹が準備くれた僅かな勝機だ。絶対に無駄にはしない」
強い決意を込めながら守形は携帯のボタンを押した。
「ニンフ……聞こえるか?」
『ええ、感度は良好よ』
携帯は発信音を鳴らすことなくニンフへと繋がった。
この携帯はニンフが改造を施してあり、発信方法も従来の電話とは異なり、シナプスの特殊技術を用いた無線となっている。
「智樹たちがヤンチャを始めたのでな。予定より1分早いが、ウラヌス・システム撃破作戦、ミッション名“空の終焉”を始めるとするぞ」
守形は頭上に浮かぶ巨大要塞を見上げた。
『ええ。こっちはそはら、日和共に所定の位置に既に着いたわ。デルタも守形の合図でいつでもいけるわ。準備万端よ』
準備万端。
それは少女たちを戦いの渦の中へと巻き込んでしまうことを意味していた。
だが、守形は首を横に振って懸念を一蹴する。
今はとにかく、彼女たちの力が必要だった。そして、彼女たちも戦うことに同意してくれた。彼女たちの持つ力とやる気に賭けるしかなかった。
「今から1分後に現存する迎撃システムを全て用いて派手な弾幕を張る。その煙に紛れてアストレアがウラヌス・システムに切り掛かる。後は手筈通りだ」
『わかったわ』
ニンフの声に迷いは見られない。
智樹を生き残らせる為の戦いと覚悟を決めたようだった。
「頼んだぞ。地球と桜井智樹の命運はこれから始まる一戦に掛かっているっ!」
守形は携帯を壊れてしまいそうな程に強く握り締めた。
12月24日 12時09分
ニンフは公民館の屋上でステルス迷彩を自身に施した状態で守形の指示を仰いでいた。
その守形は1分後に作戦が開始されることを告げて来た。
「いい、デルタ。1分後には出撃よ」
ニンフによりステルス迷彩が施された状態でアストレアは山盛りのおむすびを頬張っていた。
「もぐもぐ。わっかりました~♪ もぐもぐ」
両頬におむすびを溜め込みながらアストレアはご機嫌に答える。
「アンタよくこんな状況で食べる気になるわね」
「もぐもぐ。こんな状況だからですよ」
アストレアは山のように積み重ねられていたおむすびを1つを残して食べきってからニンフに答えた。
「戦いでは何が起こるのかわかりません。生きて帰れるかもわかりません。だから、戦いの前には好きなことを全力でやろうって決めているんですよ」
「デルタにしては随分深く考えているのね」
アストレアが死の危険性を感じながらそれでも懸命に戦っていたとは知らなかった。ニンフはアストレアのことを見直した。
「この間読んだ漫画のセリフそのままなんですけどね」
「私の感動を返しなさいよ!」
作戦前なのにドッと疲れが溜まった。
「……自分が今までやって来た行動に意義と言葉を付けてくれるとバカは助かるんです」
アストレアの呟きはニンフの耳に届くことはなった。
「お腹いっぱいパワーもいっぱい。今日の私は一味違いますよ!」
アストレアはこれから最も危険な地帯に単独で乗り込むにも関わらず余裕の表情を浮かべていた。
「どうしておむすびを1つだけ残してあるの?」
「それは帰って来た時に頑張った自分へのご褒美ってヤツですよ」
「フ~ン」
アストレアはもしかすると戦闘の前後で自分よりも視野が広いのかもしれない。
そんなことをニンフは考えた。
『ニンフ。今から10秒後に迎撃システムによる一斉攻撃を開始する』
「デルタ……出番よっ!」
「わっかりました~っ!」
ニンフとデルタは空を見上げる。
『3、2、1……一斉射撃、開始っ!』
守形の声と共に無数の対空砲が空美町の大空に向かって放たれた。
数千発の砲弾により擬似的な弾幕の雲が発生する。
「さあ、行きなさいっ、デルタっ!!」
「アイアイサーっ!」
ステルス迷彩を施したアストレアがクリュサオルとイージスLを掲げるような体勢で一直線にウラヌス・システムに向かって飛翔加速していく。
「頼んだわよ、デルタっ!」
一方ニンフは次のポイントである川原へと飛行しながら移動していく。
ニンフが迎撃システムの砲台から距離を置きながら飛行しているその時だった。
空から無数の閃光が空美町へと降り注いだ。
ウラヌス・システムの攻撃により一瞬にして消滅する迎撃システムの砲台。
今の攻撃で空美町の対空迎撃システムは稼働率が0になったに違いなかった。
「迎撃システムにもう少し近付いて飛行していたら私も消滅していたわね」
ニンフは動力炉をギュッと手で押さえた。
だが、それよりも、今の攻撃が地上にどれほどの人的被害を出したのかが気になった。
システム自体は無人とはいえ、その付近で戦っている防衛軍とフラレテル・ビーイングの戦士たち、そして一般人が巻き込まれていない保障は何もない。
美香子たちは無事なのか。ニンフはとても気になった。
そして地上の人的被害以上に気になったのが上空を飛んでいるアストレアだった。
「あの子……無事よね。無事に決まってるわよね」
ウラヌス・システムの攻撃はアストレアを狙ったものではない。
だが、放たれた数百の閃光が偶然アストレアを捉えないとは限らなかった。
ニンフは集音センサーを上空へと集中させる。
そして──
「まったく。バカな癖に運だけは良いんだから」
安堵の溜息を吐いた。
『行っけぇえええええええええええええぇっ!』
センサーを通じてアストレアの掛け声が入って来た。
アストレアはウラヌス・システムに向かって一直線に距離を縮めていた。
「ウラヌス・システムはデルタを補足できていない。今がチャンスよ!」
アストレアの隠密性を高める為に通信は遮断している。なのでニンフの声は彼女に届かない。けれど、そんなことはどうでも良かった。
何故ならアストレアは何も言わずとも目標まで一直線で至ることに特化したエンジェロイドなのだから。
『クリュサオ~~~~ルっ!!』
弾幕の雲を貫通して強烈な光の柱がニンフの視界に入り込んできた。次いでニンフのセンサーは続けて空気が激しく振動する音を捉えた。
ニンフは川原から上を見上げた。すると、上空から巨大なアームが2本川原に向かって落ちて来るのが見えた。
切り口鋭く斬られたそれは、分離したのではなく切り落とされたことを物語っていた。
「アームを、しかも2本とも一度に切り落とすなんてやるじゃない。デルタ」
ニンフは空を見上げながら微笑んだ。
その横で2本のアームは地中深くまでめり込みながら地中へと突き刺さった。
ニンフは落ちてきたアームに触れて解析を始める。ウラヌス・システムに関して少しでも多くの情報を収集する。それが空中要塞撃破の為の第二段階で必要なことだった。
『予定とは違うけれど、ここで一気に勝負を決めてやるっ!』
再び上空が光る。
アストレアが再びクリュサオルを発動させたに違いなかった。
『今度は、本体を真っ二つにしてやるんだからぁ~~~~っ!』
ニンフのセンサーが空気の振動音を捉える。
しかし──
『ああっ!? 真上に逃げられた~~っ!』
アストレアの剣はウラヌス・システムに届かなかったようだ。
だが、ニンフはアームの解析を進めながら笑っていた。
「ウラヌス・システムはデルタが苦手な垂直方向への急加速退避行動を取る。デルタをよく知るアルファの行動を予測した守形の読みどおりね」
ウラヌス・システム、アストレアが共に更に上空に向けて急加速して行くのを感知する。
ここまでウラヌス・システムは守形の立てた計画通りに動いてくれていた。
「さあ、本当の勝負はこれからよ。アルファ、智樹っ!」
アームの解析を終えたニンフは上空に向かって叫んだ。
智樹とニンフたちの戦いはまだ始まったばかりだった
続く
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