No.378997

そらのわすれもの5

定期更新に遅れる。
そらのおとしもの最終話です。
ニンフと智樹の最終章ですね。
連載、疲れたよ。

続きを表示

2012-02-16 22:22:56 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:1897   閲覧ユーザー数:1678

そらのわすれもの5

 

12月24日 午後3時5分

 

 イカロスが現界させた空中戦艦ウラヌス・システムはイカロスが倒れた後もこの世界にその巨体を晒し続けていた。

 だが、その全てが戦闘開始時と同じな訳ではない。その船体は前方3分の1が綺麗に吹き飛んでおり、2本の巨大アームも切り落とされている。

 鳥をモチーフにしていた筈のその空中戦艦は現在、箱のような形態となって浮いていた。角度によっては空飛ぶ棺桶のようにも見える。

 そんな空中戦艦に起きている最大の変化。それは、ウラヌス・システムの高度が目に見えて下がっていることだった。

 交戦時、日和のジャミング・システムの影響を避ける為に空中戦艦は高度約3万メートルを維持していた。

 その後、そはらによる殺人チョップ・エクスカリバーにより戦艦としての機能が大破した。その後戦艦は同じ高度を保っていたが、ニンフたちとイカロスたちの交戦の終盤頃より徐々に高度を下げ始めていた。

 現在2万5千メートルに昇ってきたニンフの眼前にウラヌス・システムは存在していた。

「5分間で5千メートル高度が下がってるって……まさか本当に墜落しているんじゃないでしょうね?」

 ニンフは冷や汗を垂らしながら最悪なケースを予想してみる。

 ウラヌス・システムには現代の科学を遙かに超越した特殊な火薬が大量に積載されている。

 加えてウラヌス・システム自体も現代の科学では製造不可能な特殊合金で出来ており、その重量は数万トン。そんな物が高度3万メートルの高さから落下して爆発すれば……。

「じょ、冗談じゃないわよ」

 その被害の大きさを想像してニンフは顔が青くなった。

 だがその被害の大きさを考えるほどに合点が行ってしまう。

 即ちこの事態こそ智樹が最初から望んでいたものではないかと。

 そんなことはある筈がないと首を大きく横に振る。

 智樹が人類の滅亡を望んでいる筈がないと。

「まったく、本当に何を考えているのよ、智樹はっ!」

 ニンフはキツい瞳でウラヌス・システムを睨みつけると、船内に向かって飛んでいった。

 

「智樹っ! アンタの悪事もここまでよっ!」

 空いた穴から船内へと乗り込んだニンフはすぐに目的である少年を発見した。

 モテ男撲滅の為の私設武装組織フラレテル・ビーイングの最高責任者フラレテル・マイスターの桜井智樹。

 少年は制服姿でニンフに向かってのんびりと手をあげた。まるで通学途中に級友に出会って挨拶するように気軽な感じで。

「よぉ、遅かったなニンフ」

「何よ……それ?」

 智樹の返事はニンフがこの場に訪れることを最初から予測していたことを意味していた。

 即ち、最強のエンジェロイドであるイカロスとカオスをニンフたちが撃破することを最初から予見していたことになる。

「”よぉ”じゃないでしょうが!」

 ニンフには智樹の挨拶がとても不快だった。今までの行動が全て智樹の手のひらで踊っているに過ぎない気がして。

「付け入る隙は与えたけども、本当にイカロスを倒すんだからニンフたちは凄ぇや」

 智樹は笑顔を見せながら驚いている。余裕を感じさせる驚き方。

「アンタねえっ! 私たちがどれだけ必死に戦ったと思ってるの?」

 ニンフの脳裏に真っ先に浮かんだのは敵である筈のイカロスだった。

 一番悲痛な覚悟で戦ったのはイカロスに違いなかった。マスターの命令に従う為に友に向かって弓を引いた。

 それが彼女の心をどれだけ傷つけたかは想像に難くない。

 にも関わらず、智樹は最初からイカロスが負けることを前提に計画を練っていた。

 それはニンフにとってとても悔しいことだった。イカロスがあまりにも哀れだと思った。

 命を賭けて戦ったニンフだからこそ、イカロスを酷い形で利用した智樹が許せなかった。

「智子……アンタとの約束、今果たすわよ」

 ニンフは鼻息荒く智樹へと近付いていく。

 そして──

「智樹の……バカぁああああぁっ!」

 渾身の力を込めて智樹の頬を引っ叩いた。

「…………ッ!」

 智樹は全く避けずにその一撃を正面から受けた。

「アルファやデルタや日和やそはらはもっともっと痛かったんだからね!」

 ニンフの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

「だろうな」

 ぶたれた頬を押さえることもなく智樹は涼しく返してみせた。

「お前らの不満が今の1発ぐらいで晴れるとは思っちゃいない。好きなだけ叩いてくれ」

「智樹が何を考えているのか教えてくれたら望み通りにしてやるわよ!」

 頬を叩いたニンフの方が泣いていた。

「そうだなあ……」

 智樹が深呼吸をゆっくりと2度3度行う。それからニンフの顔を近距離から覗き込んだ。

「俺の計画には今まで1ミリたりとも支障は生じていない。これだけ言えばニンフならわかってくれるんじゃないか?」

 智樹は爽やかに微笑んでみせた。

 

 

 

 

「俺の計画には今まで1ミリたりとも支障は生じていない。これだけ言えばニンフならわかってくれるんじゃないか?」

 智樹の言葉を聞いてニンフの体が震える。

「智樹は本気で地球に核の冬を呼び起こすつもりなの?」

 目の焦点が合わない。目の前の少年の言葉を何かの間違いだと思いたかった。

「ああ。モテ男とデートスポットを根絶やしにする為にはそれが一番なんだ」

 だが、そんな状態でもはっきりとわかってしまう程に智樹は明快に首を縦に振った。

「なっ、何でそんなことをするのよっ!?」

「モテない男たちの悲しみをもう2度と繰り返させない為には、モテ男の巣を全て叩くしかない」

 ニンフの震えに怒りによるものが加わっていく。

「核の冬なんて起こしたら、モテ男が被害を受けるだけじゃ済まないわよ! 下手をすれば人類全てが滅亡しかねないわ」

「だろうな。差し詰め俺は人類滅亡の元凶になるかもしれないな」

 智樹はまるで他人事のようにその恐ろしい可能性を述べる。

「何でそんなにフラレテル・ビーイングなんかに肩入れすんのよ!」

「そりゃあ俺が最高責任者だからな」

「アンタ、モテない男じゃ全然ないじゃないのよ!」

 ニンフが涙を流しながら悔しがる。

 今朝、言いたくて言えなかった言葉を伝える。

「私は……私は、智樹のことが好きなのよっ! 大好きなのっ! だから智樹は……モテない男じゃないじゃないのよ!」

 涙が止まらない。鼻水が次から次へと溢れ出てくる。

 こんな状況で告白しなければならない自分が悲しかった。悔しかった。

「アルファだってデルタだって日和だってそはらだって智樹のことが好きなのよ。アンタ、モテないマイスターどころか空美町一番のモテ王じゃないのよ……」

 がっくりとうな垂れる。

「そうか……ニンフがこんな俺を好きだって言ってくれてスゲェ嬉しいよ」

 智樹はニンフの頭をソッと撫でた。

「そうだよな。俺はモテない男なんかじゃない。こんな可愛い女の子に好きだって言ってもらえる最高の幸せ者なんだよな」

 ゆっくりと撫で続けていた智樹の手が止まる。

「でも俺はフラレテル・ビーイング創始者のじっちゃんの孫なんだ」

 智樹は決意を固めた表情でニンフの想いにそう答えた。

 

 

「智樹は……血の呪縛でフラレテル・ビーイングを引き継いだって言うの?」

 ニンフが苛立った表情で智樹を問い詰める。

 智樹はニンフを避ける訳でもなく、かといって近寄る訳でもなく見ている。

「いや。俺は血がどうとかは割とどうでも良いんだ。俺の両親は小学生の時から俺をほっぽいて世界周遊に回っちゃうような人だしな」

 首を横に振ってから智樹は視線を大空へと向けた。

「けどさ、じっちゃんは違うんだ」

 その視線は遠くを、ひたすら遠くを眺めていた。

「じっちゃん、桜井智蔵は俺に生き方を教えてくれた人だから」

 智樹は晴れ晴れとした、けれど泣きそうな瞳を空に向けていた。

「だから俺は……じっちゃんの理想を守っていきたいんだ。実践したいんだ」

 智樹は僅かに俯いた。

 智樹はそれで納得しているようにニンフには見えた。けれど、それは彼女にとっては不満の残る回答だった。

「けど、智樹のおじいさんって、結局は結婚したんでしょ? だから智樹が今ここにいるんでしょ? モテない男じゃないじゃない」

 ニンフの涙は止まらない。でも、言わずにはいられなかった。

「そうなんだよな。じっちゃんはモテ男撲滅の為にフラレテル・ビーイングを組織した。でも、じっちゃんに嫁さんはいたし他の女性にもちょっとはモテていた」

 智樹の顔は暗くなっている。

「だからさ、この組織はそもそもにして矛盾の塊なんだ。何もかもがおかしいんだよ」

「何でそんな矛盾した理想を智樹が追い求めようとするのよ?」

「だからさ。膨み過ぎた矛盾は誰かが破裂させなきゃいけない。その身を挺してさ。その役割を引き受けているのがじっちゃんであり孫の俺なんだ」

 智樹は軽く溜め息を吐いた。

「最近知ったんだけどさ……じっちゃんの本当の死因はフラレテル・ビーイング蜂起の責任を取っての切腹だったらしい。そんなことつい最近まで全然知らなかったんだ」

 智樹の目が曇る。

「だから俺もじっちゃんみたいにフラレテル・ビーイング最高幹部として責任を取って死ななくちゃいけない」

 ニンフが涙と鼻水まで流しながら智樹を睨む。

「フザケンじゃないわよっ! 同じ責任を取るんなら、死を選ぶんじゃなくて間違った理想を放棄して生きる方を選びなさいよ!」

「常識的に考えればそうすべきなんだろうけど……」

 智樹は大きな溜め息を吐いた。

「フラレテル・ビーイングの思想への賛同者は本当に多くてさ、放棄なんて今更できないんだ」 

「じゃあ智樹はおじいさんの理想を叶えたいとか言いながら、実際にはモテない男たちのバカ騒動の後始末に死ぬって訳? 地球を滅ぼす大罪まで背負って」

「言葉にして纏められてしまうとそういうことになるのか。うん。我ながら最低に格好悪い最期だな」

 智樹はまた他人事のようにそう述べた。

「格好悪いと思うのなら是正しなさいよ!」

「それはもう無理だな」

 智樹は首を横に振った。

「何でよ?」

「イカロスが倒された時点で俺にこの状況をどうにか出来る術はなくなったんだ」

「えっ?」

 ニンフが驚きの声を上げて周囲を見回す。

「この船はイカロスが倒された時点でもう地上に落下するしか選択肢がなくなったんだ。ウラヌス・システムは地上に落下して……地球に核の冬を引き起こすんだ」

 智樹は思い詰めた表情で、けれど決然と己が計画の深淵を述べた。

 

 

 

「この船はイカロスが倒された時点でもう地上に落下するしか選択肢がなくなったんだ。ウラヌス・システムは地上に落下して……地球に核の冬を引き起こすんだ」

 智樹が述べたフラレテル・ビーイング蜂起の最終目標。

 それはウラヌス・システムを地上に激突させることにより大爆発を生じさせ、地球に核の冬を起こすこと。

 発生した分厚い雲により太陽光が遮られることで生態系が崩壊する。その結果、地上のお洒落なデートスポットは閉鎖されてモテ男も生息できなくなる。

 それこそが智樹が定めたフラレテル・ビーイングの最終目標だった。

 だが、それはデートスポットとモテ男を地上から一掃するだけに留まらない。人類全体の滅亡をも意味していた。

 そんな危険極まりない作戦を智樹は考えていた。

 そして今まさにその作戦を実行しようとしていた。

「そ、そんな……」

 ニンフは慌ててウラヌス・システムの詳細をスキャンする。

 その結果は、惨憺たるものだった。

 これは既に超テクノロジーの産物ではなく、地上に向かって落ちていくだけのただの箱だった。

 物理的にも完全に破損したそれはそもそもプログラムがまるで働いていない。

 ただ奇跡的な偶然の要素が作用してこの次元から消失していないだけのただの巨大な落下物。

 それが現在のウラヌス・システムの状態。

「何よ。アルファがいないんだったら、こんな金属の塊なんか簡単に統制下に置いてやるんだからっ!」

 ニンフは必死の形相で床に手を当てる。

「ジャミング・システム発動っ! 推進システムを乗っ取ってやるっ!」

 ジャミング・システムを起動させてウラヌス・システムを乗っ取りに掛かる。

「クッ! プログラムと物理的な損傷が大き過ぎて乗っ取れない……」

 乗っ取ろうにも現在のウラヌス・システムはプログラムを受け付けるような状態ではなかった。プログラムに介入できない以上ジャミング・システムは発動しても意味がない。

「だったら、現界を解いてこの次元からこの船を消し去ってしまえばっ!」

 ニンフはウラヌス・システムを元あった異次元に返還しようと試みる。

 だが──

「何でっ? どうして強制返還も受け付けないの?」

 非常用にして最も単純な筈の異次元への強制返還プログラム発動さえもウラヌス・システムは受け付けない。

「ならっ! アフロディーテを起動させて掌握能力をパワーアップさせればっ!」

 かつてシナプスのマスターに捕らえられた日和のインプリンティングを解いたニンフの真の力の解放アフロディーテ。

 アフロディーテを発動させれば一時的ではあるがニンフの全能力は数倍に強化される。当然電子戦において彼女に勝てる者はこの世界のどこにも存在しなくなる。

 元々はイカロスを倒す為の切り札にしようとしていた能力。

 ニンフはその力を今解放しようとしていた。

「やめておけ。そんなことをしても無駄だよ」

 だが、そんなニンフの肩に手を置いて力の解放を止めたのは智樹だった。

「ちょっとっ! 邪魔しないでよ。アフロディーテの発動に巻き込まれたら智樹も大怪我するわよ」

 ニンフは智樹に鋭い威嚇を発する。

「ウラヌス・システムの現界維持はイカロスが最後に命令した強力な意志の産物だ。現界を解きたければイカロスを介して止めるしかないぞ」

「そんなこと言ったって、アルファは今強制スリープモードに入っているのよ。後1週間は何があっても目覚めないわよ」

 傷付き眠りに就いたイカロスを空中戦艦墜落前までに目覚めさせることは不可能。イカロスに落下を止めさせることはできない。

「もう一つの方法としては……イカロスのウィング・コアを破壊すればこの戦艦は消失するぞ」

「アンタ、それ……本気で言っているのっ!?」

 ニンフが智樹の胸倉を掴んだ。

「だから言ってるだろう。アフロディーテを起動させても無駄だって」

 智樹はニンフの目を見ながら言い返す。

 目を全く逸らそうとしない智樹を見てニンフはアフロディーテの発動を諦める。

 

「私たちがアルファを破壊できないのまで計算に入れているって訳ね」

「ニンフとはもう随分長い間一緒に暮らしているからな。お前がイカロスを殺すことなんて出来ない優しい奴だってことはよくわかってるさ」

 智樹はニンフに笑ってみせた。

「アンタといい、アルファといい……何でそんなに私のことがわかってるのに嫌なことばっかりしてくるのよ……」

 ニンフは拳を強く握り締めた。

「だって俺たちは一緒の家で暮らす家族だろ? 家族がおかしなことを始めたらそれを止めるのも家族の役目だ。俺がイカロスを巻き込んでおかしなことを始めたら……俺を止めるのは残った家族であるニンフの役目になるだろ?」

 ニンフは固く口を閉じたまま智樹を見ている。

 こんな形で智樹に家族という単語で自分たちの関係を表現されるとは思ってもみなかった。

ただの居候じゃない。智樹にとって必要不可欠な存在だと思われている。

それは嬉しい。

けれど……智樹が意味する家族はあまりにも残酷な側面を含んでいた。

「俺が計画を遂行するに当たって最も厄介で最もくみし易かった相手は他ならぬお前だよ、ニンフ」

 智樹がニンフの肩に手を置いた。

「お前の大活躍のおかげで俺のリア充撲滅地球寒冷化作戦は成就できそうだ。ありがとうな、ニンフ」

 その言葉はニンフにとって最悪な感謝の言葉だった。

 

 

 

 

 ウラヌス・システムの地上に向けての降下は続いている。

 もう地上激突までの時間は15分もないというのにニンフにはウラヌス・システムの落下を止める術がない。

「それじゃあ私たちは必死になって戦って……智樹の手伝いをしていたの?」

 ウラヌス・システムとの激闘。そしてカオスとイカロスとの死闘。

 その苦闘の果ての勝利までもが智樹の手の中で踊っていたに過ぎない。

 智樹の言葉はそれを突きつけるものだった。

「俺の勝ちだな。ウラヌス・システムを派手に壊し過ぎたせいでニンフには打つ手がなくなった。お前たちは頑張り過ぎたんだ」

 智樹は地上へと落ちていく空中戦艦の中で軽く息を吐き出した。

「まさか……私たちの大勝利が智樹の勝利条件だったなんて……」

「俺は元々これを地面に叩き落せればそれだけで良かったんだ」

 智樹はウラヌス・システムの壁を一撫でする。

「だから、イカロスとカオスの力を元々必要としてはいなかった」

「アンタねえっ! アルファがどんな気持ちで戦っていたのかわかってるのっ!」

 悔しい。ニンフに浮かぶ感情はそれだけ。

「戦いに負けたアイツら2人はお払い箱だ。もう知らん」

「アルファはねえっ! アンタの計画に最後までお供出来なくてごめんなさいって私に伝言を残したのよっ! なのに命令を出したアンタがアルファ見捨てたらあの子が可哀想過ぎるじゃないのよっ!」

 またニンフの瞳から涙が零れ始める。悔しかった。イカロスの想いを考えると悔しくて悔しくて仕方なかった。

「…………だからさ、俺の仲間でも何でもない騙されてただけのイカロスとカオスはこれからニンフたちが助けてやってくんねえか?」

 智樹は寂しげにそう告げた。

「格好付け過ぎよ、そんなのっ!」

 ニンフは大声で怒鳴った。泣きながら大声で怒鳴った。

「何よ……何よ、何よ、何よ、何よ何よ何よ何よ何よぉっ! 自分1人で罪を背負ってアルファたちを私たちに最初から預けるつもりだったのっ! フザケンなぁっ!」

 ニンフは智樹の胸を叩いた。何度も何度も。

「悪いとは思ってる。俺はお前たちの心を踏み躙っている。最低な男だ」

 智樹が俯いた。

「けどさ、思った通りの結果を導こうとしたら……頭の悪い俺じゃこのやり方しか思いつかなかった」

「フザ……ケルな。フザケ……ないでよ」

「ごめんな」

 智樹はニンフを力強く両腕で抱きしめた。

「ニンフならさ……俺が望んだことはきっとみんな叶えてくれるって思ったんだ。俺の為を思って俺を正してくれるお前ならさ。その優しさに甘えてしまってるんだ。俺は」

「私は、アンタの便利なお人形じゃないんだからぁ」

「わかってる。ニンフは俺の大切な家族だからな。わかってる。わかってる」

「智樹のバカぁ……っ」

 ニンフは智樹の腕の中で泣いていた。

 その胸の感触はとても安心させてくる温もりを持っていた。

 だが、事態の推移はニンフにひと時の安寧さえもたらさなかった。

 

 ニンフのセンサーは落下速度が急激に上昇したことを察知した。

「いけないっ! このままじゃ後10分でウラヌス・システムは地上に落下しちゃう!」

 ニンフは慌てて智樹の腕の中から飛び退いた。

「なら、ニンフは早くこの船を離れろ。そしてイカロスたちを連れて出来るだけこの空美町から遠くに離れるんだ」

 智樹はニンフに脱出の指示を出す。

「もうこれ以上智樹の手の中で踊らされるなんて冗談じゃないわっ!」

 対してニンフは舌を出してあっかんべーをして返した。

「おいっ? ニンフ?」

 ニンフの行動に戸惑いを見せる智樹。

「こんなでっかいだけが取り得の金属なんかにシナプス最高の電子戦用エンジェロイドである私が降参して逃げる訳がないでしょうっ!」

 床に手をついてもう1度ウラヌス・システムの状態を詳細にチェックし始める。どこかに希望が残っていないか隈なくチェックを光らせる。

 絶対に希望を探し当てないといけない。

 どんな些細な異変だって見逃さない。

 強い想いを篭めて懸命なサーチを続ける。

 そして、見つけた。

 大逆転劇のプロローグとなる異変を。

 

「えっ? ウラヌス・システムの船内に私と智樹以外の生体反応があるの?」

 ニンフは今まで目を向けて来なかった船体中央部右壁部分へと目を向ける。智樹もニンフにつられて視線を移す。

 そこには人間の青年が立っていた。

 金色の髪を逆立たせ全身からも黄金のオーラを発した青い服の男が立っていた。

「ようやく決着をつける時が来たようだな、アインツベルンの雇われ魔術師よ」

 先ほどイカロスのアポロン攻撃からニンフを救った謎の男が再び2人の前に堂々と現れた。

 

 

 

 ××県冬木市。

 かの地では7人の魔術師が万能の願望器“聖杯”を巡り、己が召喚したサーヴァントを駆使して激しい殺し合いが行われていた。

 第4次聖杯戦争。魔術師たちの殺し合いはそう呼ばれていた。

 その聖杯戦争に1人の年若い天才魔術師が参加していた。

「フッフッフ。アインツベルンの面汚し魔術師よ。手下の放った爆弾が直撃したぐらいでいい気になるな」

 その男は名をケイネス・エルメロイ・アーチボルトと言った。

 魔術の名門アーチボルト家の⑨代目当主で、魔術の最高峰時計塔で講師を務める天才魔術師である。

彼は前回、羽の生えた少女からの矢による暗殺攻撃を防いだが、頭上から降って来た爆弾により吹き飛ばされた。

 だが、世界最高峰の実力を持つ魔術師はそんな絶体絶命の危機さえも乗り切っていた。

「よもや、金色のオーラで全身を包むことにより体の能力値が100倍以上となり超高速空中移動が可能になるとは思い付くまい。さすがは私だ」

 前回、ゲート・オブ・バビロンに入って異世界を放浪中に身に付けた新能力を自画自賛しながらケイネスは髪を掻き揚げた。

 ケイネスは天才魔術師なのでそれぐらい朝飯前だった。天才だから仕方ない。

 

「それにしても、アインツベルンの姑息なやり方は目に余る」

 ケイネスは魔術師としての自分に誇りを抱いている。

 その為に魔術師の品位を汚すような輩がどうしても許せない。

 そのケイネスにとって一般人を聖杯戦争に平気で巻き込もうとしているアインツベルン陣営のやり方は見過ごせるものではなかった。

 

「アインツベルンの面汚し魔術師よっ!」

 ケイネスは少年を指さしながら睨んだ。

「アンタ、一体誰だ? アインツ何たらってなんだ?」

 少年はとぼけようとした。だが、そんな誤魔化しが通じる天才魔術師ではない。

「貴様が魔術か怪しい薬かで若返ったアインツベルンの魔術師であることはとうに見抜いている。何故なら髪型が似ているのだからっ!」

 名探偵ケイネスの名推理が炸裂した。

「はぁ?」

 少年となったアインツベルンの魔術師はまだ正体を隠そうとしていた。

「まあ良い。貴様がとぼけたいのなら好きなだけ白を切るが良い」

 ケイネスは少年魔術師を睨みつける。

「だが、貴様は実に情けない奴だ」

「何がだ?」

 少年魔術師はむっとして返した。

「この天才魔術師である私に勝てそうにないからといって、人類を抹殺することで聖杯戦争をうやむやにしてしまおうとはな」

「はあ? 聖杯戦争って一体なんだ?」

 アインツベルンの雇われ魔術師はこの期に及んでもまだ何も知らないフリをした。

「だが、貴様の悪事もここまでだっ!」

「いや、だから俺の話を聞けよ。お前は鳳凰院のバカ野郎か?」

 2人の話は噛み合わない。

 けれど、天才魔術師は少年の顔を見ながらニヤリと笑った。

「貴様とそこの羽の生えたちびっ子娘との会話を全て地上に流させて貰った。貴様の悪事はもはや魔術協会に知れ渡っている頃よ!」

「誰がちびっ子よっ!」

 羽の生えた一般人の少女は天才魔術師に顔を真っ赤にしながら抗議した。が、そこでふと気づいた。

「アンタ、今、私たちの会話を地上に流したって言ったわよね」

「ああそうだ。そこの男の悪行は私が魔術を介してこの国中の民の知ることになったであろう」

「そ、そうなんだ」

 少女は俯いて何かを考え始めた。

「そ、そうよ。私1人じゃどうにか出来なくても力を合わせれば何とか……」

 少女は深く悩んでいる。だが天才魔術師は一般人の少女に構っている暇はなかった。

 

「アインツベルンの魔術師よ。本来なら貴様を今すぐ誅罰に処したい所ではある。聖杯戦争に一般人を巻き込むだけでなく、人類を抹殺しようと企んでいることは甚だ許し難い」

 天才魔術師は怒りの波動を少年魔術師に向ける。

「だが、今貴様と決着をつけている暇はない」

 ケイネスは少年に背を向けた。

「この空中戦艦の落下を食い止めた後、貴様との決着を正々堂々とつけてやるっ!」

 天才魔術師の声は決然としていた。

「このウラヌス・システムは数万トンもあるんだぞっ! 人間の力でどうにかなるものか!」

 ケイネスの背中に少年の声が響く。

 だが、天才魔術師は少しも揺るがない。 

「ふざけるでない。たかが金属の塊1つ。この天才魔術師ロード・エルメロイが押し出してやるっ!」

 ケイネスの全身から再び黄金のオーラが吹き出していく。

「バカなことはやめろっ!」

「やってみなければわからんだろうが」

「お前、正気か?」

 少年の声には動揺が感じ取れた。

「貴様ほどイジケ過ぎもしなければ、人類に絶望もしてはいない。何故なら私はアッカリンともっかんを愛する真のリア充なのだからなっ!」

 ケイネスは空中へと飛び立ち、空中戦艦の底部へと移動する。

 そして--

「ウラヌス・システムの落下はもう始まっているんだぞっ!」

「天才魔術師スーパーケイネスは伊達ではないのだよっ!」

 巨大落下物体に両手を付けて上空に向かって押し返し始めたのだった。

 

 

 

「ウラヌス・システムを、手で押し返す?」

 ニンフは突如船内に出現した男が空中戦艦を高高度へと押し戻そうとし始めたことを見て必死に頭を回転させていた。

「押し返す? そうよ。まだ、手がある筈なのよ。この状況からウラヌス・システムを地上に落とさずに済む方法が」

 必死に、必死に考える。

 だが、残り10分を切ってしまっているタイムリミットに焦りが生じてしまってなかなか考えがまとまらない。

 その間にも智樹と男の応酬は続いていた。

「おい、アンタっ! 幾らアンタの力が優れていようと無駄だ。この戦艦がどれだけ重いと思っているんだ!」

 男は全身から黄金のオーラを発しながら必死に船を押し返そうとしている。だが、戦艦はあまりにも重量が重すぎた。

 天才魔術師の必死の対応にも関わらず悠然と落下を続けていた。

「アンタ、その力を無駄に消費していると何で気付かないんだっ! 押し潰されて死ぬだけだぞ」

「貴様こそ、このような魔術戦艦を操る力を持っていながら、何故自ら滅びの道を選ぼうとする?」 

 智樹と男は今し方会ったばかりの筈なのに激しい意見のぶつかり合いを繰り広げていた。

 後数分でウラヌス・システムは地上に墜落し、人類はその歴史を終えてしまう。

 そのプレッシャーと人類への熱い想いが両者の口を饒舌にしていた。

「フンッ! 命が惜しければ、イカロスやカオスを満足に戦えない状態にして送り出したりするものか!」

「何だと?」

「イカロスたちがニンフに完勝したとして、そこに何の意味がある?」

「貴様は戦いを、そして人間をバカにしている。そうやって貴様は永遠に他人を見下すことしか出来ないのであろう! 旧態依然とした悪しき魔術一家そのままの男よ」

 智樹と男の口論は続く。

 一方、ニンフは必死に考え続ける。人類が滅亡しなくて済む方法を。みんなが笑顔で過ごせる道を。

「絶対、絶対ある筈なのよ。その方法が。もう、もう喉元まで出掛かっているのにぃ~っ!」

 ニンフは両手で頭を抱えながら船内を移動する。

 ニンフが船体隅に寄って間近に迫ってきた大地を見下ろした時のことだった。

 地上から何十、いや、何百、何千の男たちがパンツの翼を羽ばたかせながらウラヌス・システムへと昇ってくるのが見えたのだ。

 

「えっ? 何、この光景?」

 ニンフは眼前の光景が信じられないでいた。

「うぉおおおおおぉっ!」

パンツの羽を生やした男たちが巨大戦艦へと張り付いていく。そして戦艦を上空へと押し返そうと懸命に力を込め始めたのだ。

「な、何でだよ? 何でモテない男たちが、フラレテル・ビーイングの戦士たちがこんなことをしているんだよ?」

 智樹もまた呆然としながら目の前の光景を見下ろしていた。

「天才魔術師さんだけに良い思いはさせませんよ」

 男の1人が黄金のオーラを輝かせる天才魔術師に語り掛けた。

「フンッ。こんな金属私1人の力で十分に押し返せる。が、このロード・エルメロイの偉業を手伝いたいと言うのならば別に構わん。貴様らもその力を存分に奮うが良い」

 数千の男たちがウラヌス・システムを押し返そうと力を合わせる。

「何で? 何でなんだよ? お前らはモテ男をこの地上から一掃したいんじゃないのかよ? どうして、落下を阻止しようとするんだよ?」

 智樹は大きく戸惑っていた。 

 智樹はモテない男たちの為に空中戦艦を地上に落とすことを決意した。

 なのに、その男たちがウラヌス・システムを空中へと押し返そうとしていた。

 それは明らかに矛盾だった。あってはならないことだった。

「それじゃあ、俺がやっていることは何だって言うんだよ?」

 智樹が頭を抱えて悩む。

 蜂起に当たり智樹を支えていた物が根底から揺らいでしまっていた。

 

「だったら確かめてみれば良いじゃないの」

 ニンフが智樹の肩にそっと手を置いた。

「あ、ああ……」

 智樹はニンフを伴いながらフラフラと男たちへと近付いていく。

「何でなんだ、お前たち?」

 呆然とする頭で必死に問い掛ける。

「思い出したんですよ。クリスマスはモテ男とバカップルだけのものじゃないって」

 ウラヌス・システムを必死に押し返そうとしている男の1人が答える。

「えっ?」

 智樹が大きく口を開いた。

「クリスマスは子供からお年寄りまでみんなが楽しめる行事だって思い出したんすよ」

 空美学園の制服を着た男が笑顔を見せる。

「家族でケーキを食べてクラッカー鳴らしてクリスマスプレゼントに胸を躍らせる。そんな楽しみは誰にだって許された権利なんです」

 昔を懐かしみながら男の1人が語る。

「まあ、モテ男が殺したいほどに憎いのは確かなんですけどね」

 大きなお友達が大きく口を開けて笑った。

「それじゃあお前たちは、モテ男を滅ぼさなくても良いのか?」

「女子供を傷つけてまでモテ男を滅ぼしても、何の良いこともありませんよ」

 そう言った男はとても良い表情を浮かべていた。

 他の男たちも一斉に頷いてみせた。

 智樹の作戦に賛同する者は1人もいなかった。

「ああ…っ。そんな。そんな。そんなそんなそんなぁっ!」

 智樹は膝を折って崩れ落ちた。

「それじゃあ、俺は一体何の為にぃ…………っ」

 少年は年相応の表情で呆然と男たちを見ている。信じるものを失ってしまった男の悲哀がそこにはあった。

 フラレテル・ビーイングの最高指導者である桜井智樹はその身を律して来た大義名分を失い心の空白を漂流していた。

 

 

 

 フラレテル・ビーイングの仲間たちからノーを突きつけられ、智樹の意識は漂流を続けている。

「智樹はさ、もう十分過ぎるほど頑張ったわよ。だからもう……1人で苦しまなくて良いの。1人でフラレテル・ビーイングの呪縛に囚われなくて良いのよ」

 そんな智樹をニンフは背中からそっと抱き締める。

 とても優しい抱擁だった。

「俺は、何てことを……誰も望んでなんかいなかったのに。何てことを……」

 智樹の目の焦点は合っていない。ただただ自分の愚かさと世の無情さを嘆いていた。

「俺は、俺は、俺は、俺はぁっ!」 

 智樹は錯乱一歩手前の状態だった。

「俺はぁあああああああああああああああああぁっ!!」

「罪は償いましょう。智樹の罪は、私も一緒に受け止めるから。私も一緒に償うから」

 ニンフは強く強く智樹を抱き締めた。

「ニン……フ?」

「私は智樹と一緒にいたい。だから、智樹の背負う物は私も背負いたいの。それが、私の意志だから。私のしたいことだから」

 ニンフは泣いていた。そして彼女を見ている智樹もまた泣いていた。

 

「俺……ニンフが家族で本当に良かった」

 智樹はボロボロと涙を流し続けながら語る。

「俺はさ、見ての通りのガキだから、甘やかされるばっかりだと増長しちゃうだけなんだよな」

「私の教育方針は……リンゴ飴と鞭なんだから甘やかしてばっかりはあげないんだから」

「俺がバカだったから……ニンフにもイカロスにも悪いことをしちゃったな」

「今頃気付いたの? 本当、バカなんだから」

 2人は涙を流しながら互いの想いを確かめ合う。 

 ようやく、2人の間に雪解けの時が訪れた。

 

 だが、智樹の態度の軟化とは逆に事態は困難を極めていた。

 

「うわぁああああああぁっ!」

 ウラヌス・システムを押し返そうとしていた男の1人が弾き飛ばされ地上へと落ちていく。ボロボロになったパンツの翼は再び羽ばたくことはなく男は地面に墜落していった。

 更にその男が合図になったかのように男たちは次々と墜落していった。

 男たちが次々に命を散らしていく光景を見て、智樹は再び愕然とした。

「やめるんだ。こんなことに付き合う必要はないっ! 下がれ。来るんじゃないっ!」

 智樹は叫んでいた。フラレテル・ビーイングの同志たちの命が次々に目の前で尽きていく。自らが蒔いた種のその結末を見ながら智樹は驚愕していた。

「お前たちのその装備じゃ死ぬだけだ! ウラヌス・システムが地上に落下する前に遠くに離れるんだっ!」

 智樹は必死になって叫ぶ。

 だが、誰1人として空中戦艦から離れる者はいない。

 むしろ智樹の声を聞いて全員がより一層の力を込めながら戦艦へと張り付いていく。

「地球が駄目になるかならないかなんです。やってみる価値はありますぜっ!」

 圧倒的重量に押し潰されていきながら男たちは笑顔を忘れない。また1人、笑顔を浮かべたまま地上に向かって墜落していく。

「無理だっ! パンツ・ウィングが破壊されて墜落するだけだっ!」

 智樹の言葉に合わせるように次々と男たちが地面へと落ちていく。 

「もう良いんだっ! みんなぁっ、止めてくれっ!」

 人間が木の葉の様に空中に舞っていく。

「後は頼みましたぜ、モテないマイスターと天才魔術師さま……っ」

 ウラヌス・システムの巨体を制止させることなどただの人間には出来ない。だが、それでも誰も諦めない。諦めないままに燃え尽きていく。

「アインツベルンの魔術師よ。これが貴様が今成していること。そしてこれから地球全土で起こそうとしている悲劇なのだっ!」

 何千という男たちが命を燃やし尽くしていく中で天才魔術師だけが必死になって戦艦を押し返そうと支え続けていた。 

「お、俺は……っ!」

 目の前の光景を直視する力が智樹の体から抜け落ちてしまいそうだった。

 そんな少年を支えたのは彼の大切な家族だった。

「まだ私たちに出来ることがあるでしょう。智樹」

 少年を背中から抱き締めながら少女は囁いた。

「俺たちに出来ること?」

「あの男たちが命を賭して教えてくれたの。私と智樹が力を合わせれば出来る、ウラヌス・システムを地上に落とさなくて済む方法を」

 智樹が向き直ってニンフを見る。

「その方法ってのは?」

 

「智樹の股間の超電磁砲(レールガン)を推進力にして、この船を地球の引力圏の外まで運び出すの」

 

 ニンフが導き出した答えを聞いて智樹はハッとした。

「けど、俺の超電磁砲といえども、こんなデカ物を宇宙に運ぶだけの出力はないぞ」

「だから私がアフロディーテを起動させて、智樹の超電磁砲の出力を最大限引き延ばすわ」

 ニンフはアフロディーテを智樹の股間に使うと述べた。

「確かにその方法ならウラヌス・システムを宇宙にまで持っていけるかもしれない。だけど、宇宙に出てしまったら……」

 智樹がニンフの顔を覗き込む。対してニンフは首を縦に頷いてみせた。

「私は智樹と一緒にいたいって言ったでしょ? たとえそこが宇宙であっても、この世じゃなかったとしても……」

 ニンフは決意を篭めた瞳で智樹を見ている。

「……ありがとう、ニンフ。それじゃあ俺と一緒に、このデカ物を宇宙に放り出してくれないか?」

「それは命令?」

「家族へのお願いだ」

「うん♪」

 ニンフは嬉しそうに大きく頷いてみせた。

 遂に、ウラヌス・システムを宇宙へと押し出す方法に辿り着いた。

 

 

 

「それじゃあ行くわよ」

「ああっ。お願いするぜ」

 ニンフは智樹を抱えてウラヌス・システムの船内から飛び立つ。そしてすぐに船底へと移動した。

「何をしに現れた、アインツベルンの魔術師よ?」

 たった1人、まだ戦艦を押し返そうとしている天才魔術師が智樹に尋ねた。他の男たちはもう力尽きてもう母なる大地へと落ちていってしまっていた。

 そんな中、残った天才魔術師はたった1人で孤独な戦いを続けていた。

「お前があんまりにもモタモタしているから、戦艦を押し返す見本を見せてやろうと思ってな」

 智樹はニンフに支えられながら戦艦に張り付いた。

「情けない貴様に一体何が出来ると言うのだ?」

 智樹はニンフと顔を見合わせた。

「まあ見ていろって。それじゃあ頼んだぞ、ニンフ」

「任せておいて」

 2人が頷き合う。

 そして……。

「脱衣(トランザム)っ!!」

 智樹は自身の能力を最大限まで引き出せる紳士スタイルに変身した。全裸となることで智樹の身体能力が急激に上昇していく。

「アフロディーテ、起動っ!」

 一方、ニンフは隠されている真の力を全開にした。ニンフの身体能力と共に電子戦能力が飛躍的に上昇する。

 

「智樹の股間の超電磁砲の出力を最大まで引き上げるわよっ! ジャミング・システム行っけぇ~~~~っ!」

 ニンフは自身の持つ全ての能力を注ぎ込んで智樹の股間を強化する。全身全霊を掛けて智樹の強化に望む。

「来たぁああああああああああああああぁっ!」

 智樹の股間にかつてないほどのパワーが集まっていく。

「一体、何が起きていると言うのだ?」

 天才魔術師も目の前で起きている事態への理解が追いつかない。

 そんな天才魔術師を尻目に、智樹は股間の超電磁砲のエネルギーを充填していく。

「すげぇ。いつもの5倍、いや、10倍以上のエネルギーが股間に集まっていくっ!」

 智樹自身が、驚異的に高まっていく自身のエネルギーに驚いていた。

「これならスゲェベルが鳴らせるっ! 俺の最高のベルがっ!」

「そうよ。一番凄いベルを鳴らして一緒に地球を救いましょうっ!」

 智樹の言葉にニンフが呼応する。ニンフのセンサーにも智樹の股間にシナプスのどんな兵器よりも高出力のエネルギーが集まっていることが計測されていた。

「大丈夫。智樹なら出来るわよっ!」

 ニンフは確信をもって智樹の背中を押した。

「ああっ、行くぜ! 地球上に鳴り響け。俺のベル。超電磁砲発射ぁああああああぁっ!」

 そして放たれる智樹の超電磁砲。

 イカロスのイージスをも打ち破る高出力光線が普段の10倍以上の出力で智樹の股間から発射された。

 

 

「ば、バカなっ! こんなことが本当に起こりえると言うのか?」

 巨大戦艦に張り付きながら天才魔術師は自身の目が信じられないでいた。

 数万トンの超重量を誇る巨大戦艦がたった1人の少年から放たれたビームによって大空高く舞い上がっているのだから。

 それも尋常な速度ではなかった。

 キロでは測れない。マッハでも幾つと表示すれば足りるのかわからないほどの高速でウラヌス・システムは宇宙に向かって飛んでいた。

「この天才魔術師ロード・エルメロイを驚かすとは。少しはやるようだな、アインツベルンの魔術師よ」

 戦艦の装甲に突き刺さり、抜けなくなってしまった手で天才魔術師は心の中で密かに拍手を送っていた。

 天才ゆえに、相手の才能を認めることもやぶさかではない。何故なら天才ゆえに相手の才能を瞬く間に追い抜くことなど造作もないのだから。

 

「行っけぇえええええええええええぇっ!」

 智樹の掛け声と共に空中戦艦は宇宙へ宇宙へと進路を採って行く。

 高度が上がっていく程に智樹のテンションは上がっていく。

 後数分で宇宙空間に出られそうだった。

「せめて宇宙空間に出るまでは保って……私の意識」

 一方でニンフはアフロディーテを起動した反動から体がオーバーロードを起こしており、今にも気絶してしまいそうだった。

 けれど、今気絶する訳にはいかなかった。この数分の頑張りが、地球と智樹と自分の命運を分ける。絶対に意識を保たなければならなかった。

「宇宙にさえ出ちゃえば……気絶しても後は智樹がウラヌス・システムと私を地球の引力外まで運んでくれる」

 頭に浮かぶ唯一の目標だけを何度も何度も繰り返し唱えながら必死に耐える。

 そして──

「やっと……宇宙だぁ……」

 ニンフの前に広がる光景が変わる。

 その闇は確かに地上から見上げる空とは別のものとなっていた。

「ここまで来れば……後は智樹と宇宙の果てまでランデブーするだけ……」

 朦朧とする意識の中、ニンフは目標を半ば達成したことを喜んでいた。

 そんなニンフに対して、智樹は小さく首を縦に振った。

「そうだな」

 一瞬の沈黙。そして紡ぎ出された次の言葉。

「後は……ニンフに地球に戻ってもらって、俺が宇宙の果てまでコイツを連れて行けば任務は完了だな」

「えっ?」

 ニンフの意識が瞬間的に一気に覚醒する。

「と、智樹っ? 何を、言って?」

 ニンフには智樹が言っていることがわからない。わかりたくなかった。

「イカロスとカオスの世話をニンフにお願いしたくてな。特にホラ、イカロスの奴はすげぇ落ち込むと思うから。だから、なっ?」

「なっ? じゃないでしょっ!」

 意識がまた霞んでいく中で必死に抗議する。

「けどよぉ、俺まで地球に戻ったらコイツはまた地面に墜落し始めるぜ。だから、俺は戻れない。代わりにニンフにあいつらのことを任せたいんだ」

「私は……智樹と一緒に行っちゃいけないの? 私を、連れて行ってくれないの?」

 視界が黒く反転していく。もう、時間がない。

「ニンフにはさ……地球のみんなを明るくしてやって欲しいんだ。まあ、そんなデカイ話を今すぐに実現しろとは言わないから、せめて空美町の奴らをさ元気付けて欲しいんだ。それが、大罪を犯した俺の今の希望なんだ」

「そんな希望だけを私に背負わせるの?」

「ニンフはさっき、俺の背負うものを自分も一緒に背負いたいって言ってくれただろ? だから、俺の希望も一緒に背負ってくれると嬉しいんだ」

「本当に智樹は……いつも自分勝手なんだから……」

 意識が……飛んでいく…………。

 もう…………何もわからな…………い………………。

「もしもさ……また会うことが出来たらさ……俺は……ニンフに……」

 智樹が何を言おうとしたのか。

 ニンフにはもう最後まで聞き取ることは出来なかった。

 ニンフに残っている最後の記憶。

 それは腰を掴んでいたニンフの手をそっと離す智樹の手とその感触だった。

 

 

 

 

 

 2月14日

 

「みんなぁ~。朝ごはんにするから居間に集合しなさ~いっ!」

 ニンフがフライパンをお玉で叩いて朝食の合図を鳴らす。

 クリスマスから毎日の恒例となった光景。

「わ~い。ごっはんごっはん」

 智子がクルクルと回りながら呼応する。

「智子はたまには手伝いなさいよっ!」

「え~。だってぇ~、智子は右腕負傷しちゃったからお料理とか手伝えないし~」

「智子の腕はもうとっくに完治しているでしょうが」

 ニンフは大きな溜め息を漏らした。

「ごっはんごっはん♪」

 智子の横では彼女の前をしてカオスが踊っている。

「カオスもこの駄目人間の真似は止めて行儀良く座ってなさい」

「は~い。ニンフお姉さま♪」

 クリスマス以来、カオスは桜井家で生活している。

 それを提案したのはニンフ……ではなく、智子が先だった。ノー天気のようで智子は周りの存在をよく気に掛けていた。

 

「さて、私はアルファを連れて来るわね」

 ニンフはかつて智樹が使っていた部屋へと歩いていく。

「入るわよ」

 返事がないことはわかっているので特に待つこともなく室内へと足を踏み入れる。

 カーテンが締め切られた真っ暗の室内にはイカロスが体育座り姿勢でいた。

 机の上に置かれた智樹の写真を眺め続けながら。

「朝ごはんよ」

 ニンフはイカロスの肩を掴む。

「もう、ご飯? さっき夕飯食べたばかりなのに?」

 振り返りながらイカロスは首を捻った。

「あれからもう12時間過ぎているわよ」

 大きく溜め息を吐く。

「じゃあ、起きる」

 イカロスはのっそりと立ち上がると1階の居間を目指してゆっくりと歩き始めた。

 そんなイカロスを嬉しさ半分、悲しさ半分の瞳で見送るニンフ。

 

 イカロスがニンフのご飯を食べるようになったのは2月も第2週に入ってからのことだった。

 クリスマスから1週間。新年を迎えてイカロスはようやく目を覚ました。

 そして智樹の未帰還を知った。

 イカロスはそれからしばらくの間、全く心を閉ざしてしまっていた。

 そんな彼女を少しずつでも立ち直らせたのはニンフや智子をはじめとする友たちの励ましの声と態度だった。

 イカロスは今でも智樹の部屋から出ることは滅多にない。食事の時に1階に下りて来るだけ。それでも当初から比べると大きな変化だった。

 

「だけどアルファが以前みたいに元気を取り戻すには……やっぱりアンタが必要よ」

 ニンフは写真盾の中で笑っている少年を眺める。写真の中の智樹はノー天気に笑っていた。

「智樹がいないと元気になれないのは……私も同じか」

 1日3度の食事を作って、家事を全部こなして忙しくしているから落ち込んでいる暇がない。

 それが多分自分の状態なのだとニンフは分析する。空元気でも元気。今の自分はそうなのだ。

「でもさあ、私はアルファと違って智樹が帰って来るって本気で信じているんだからね」

 写真の少年のおでこを突きながら予感を口にする。

「アルファのアポロンを防いじゃった、何だかよくわからない不思議な力を持った変な男が一緒にいるじゃない。だからその内2人でひょっこり帰って来るって私は信じているから」

 それは科学的な根拠は何もないただの想像。シナプス最高の電子戦用エンジェロイドとは思えない空想。

 だけどニンフはこの空想がいつか必ず叶うと信じている。

 それもきっとそう遠くない日に。

 

「バレンタインのチョコ……駄目になっちゃう前に早く帰って来なさいよね」

 

 ニンフはチョコレートが入った四角い箱をそっと机の上に置いてから居間へと戻っていった。

 

 

 

 そらのわすれもの ―完―

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
3
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択