No.195860

そらのおとしものf ニンフの野望(ノーモアおふろイベント)全国版 後編

そらのおとしものfの二次創作作品です。
 『ヤンデレ・クイーン降臨』『逆襲のアストレア』とは平行世界のお正月用作品です。

 また、原作を知らなくても楽しんでいただける様に努力しております。ですが、キャラクターの基本的な説明は前作で行っている為にこの作品では省いています。原作を知らない方は特に『ヤンデレ・クイーン降臨』を読んでからご観覧されることを望みます。

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2011-01-14 12:02:09 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:4103   閲覧ユーザー数:3817

総文字数約15,400字 原稿用紙表記51枚

 

ニンフの野望(ノーモアおふろイベント)全国版 後編

 

 

「さあ、ニンフ。命令だ。俺の望みを叶えろ」

 いつも通りに全裸の智樹が、いつも通りではない引き締まった表情で、いつもなら絶対に言わないことを言いながら近づいて来る。

「あのっ、智……マスター?」

 私には今この瞬間が現実なのか夢なのかさえもおぼつかない。

 だって、智樹が私に命令をするなんて今までなかったことだから。智樹は私が命令を乞う度にとても辛そうな顔をして拒否してきた。

 その智樹が、私がどんなに頼んでも聞き入れてくれなかった命令というカードを今日はいとも簡単に切ってきている。そんな現実を簡単に信じられる筈がない。

「俺は女湯を覗きたい。だから手伝え」

 しかもただ自分の下劣な欲望を満たしたいが為にだ。

「どうした、ニンフ? 命令だぞ」

 だけど今この瞬間は決して夢じゃない。

「はっ、はい。マスター……」

 片膝をついて智樹の命令を受領する。

 床についた膝に感じる冷たさが、この瞬間が現実であることを物語っているのだから。

 

 智樹は私の正式なマスターじゃない。インプリンティングもしていない。契約面から言えばただの他人。

 でも私がマスターになって欲しい人は智樹以外にいない。それで私は勝手に智樹を心のマスターに指名している。智樹は私にとって事実上のマスターに他ならない。

 だからその智樹に命令という言葉を使われると私は逆らえない。逆らえる筈がない。

 だって私はエンジェロイド。エンジェロイドの存在意義はマスターの命令を遂行することなのだから……。

「流石はじいちゃん。玄界灘にコンクリ詰めで沈んでいた俺に『おっぱいの為なら……鬼畜になっても~ええんじゃね~?』なんて最高のアドバイスだったぜ。むっひょっひょ」

 智樹は海に沈んでいる間に何か変な電波を受信したらしい。だから普段だったら私に対して絶対に口にしない命令という言葉を使ったのだ。

 そう言えば頭のてっぺんに変な赤いヒトデが深く刺さっている。智樹はもしかするとあのヒトデに操られているのかもしれない。

 デルタ並のバカである智樹なら星型動物亜門に意識を乗っ取られるぐらいは可能。

 だけど経緯はともあれ智樹が私に命令したのは確か。私は智樹のエンジェロイドとしてその命令を遂行しなくてはならない。

「それで、具体的にはどうするお考えですか、マスター?」

 智樹のことをマスターと堂々と呼べるのは嬉しい。命令の遂行中にもかかわらず私は幸せに浸っている。やはり私は命令されるのが好きなのだ。命令されていると安心する。

「今回の覗きに関しては俺に既に考えがある。むっひょっひょっひょ」

 ヒトデを突き立てている今の智樹はやはりどこかおかしい。

 でも、おかしいからこそ智樹は私に命令してくれる。だから私はそれを指摘できない。

「こんなこともあろうかと密かに修理させておいた量子変換機。むっひょっひょっひょ」

 智樹は物質を何でも他のものに変えることができる機械を取り出して笑ってみせた。

「ですがマスター、女に変身してもアルファたちに既に面が割れているので潜入は難しいのでは?」

 智樹は今まで何度も女に変身して女子更衣室や女湯に潜入した前科がある。そのせいで智樹の女バージョンである智子の顔は女湯にいる全員が既に知っている。

「確かに智子になった所ですぐに発見されて、そはらの殺人チョップと会長のアイアン・クローの餌食になるだけだろう」

 死臭しか漂わない未来を語っているのにそれでも智樹の瞳は自信に満ちている。

「あいつらが知らない第三者の女に化けた所で今のこの風呂は貸し切り。怪しまれることは必然」

「でしたら量子変換機を用いての覗きは難しいのでは?」

「だからこそ、お前の助けが必要なんだよ、ニンフ」

 智樹は私の肩に手を乗せ、美香子やシナプスの元マスターのように鋭い目つきで唇の端を歪めてみせた。

「あの、それは一体どういうことでしょうか?」

 何か、今の智樹は悪党然としているけれど、とっても凛々しくてマスターっぽい。

 こんな智樹の命令だったら、私、何でも聞いちゃいそう……。

「だからニンフ、俺はお前に変身して女湯に堂々と潜入する」

「えっ?」

 だけど智樹の提案した作戦は、全く予想外のものだった。

 

 

 

「現状では女湯に見知らぬ女がいれば怪しまれる。だが、ニンフが入って来る分には誰も怪しまない」

 智樹の目は本気だった。真剣な瞳が私を覗き込んでくる。

「それは、そうかもしれませんが。……………………ま、マスター、顔が近いですっ」

 智樹から顔を逸らしながら私は困っていた。

 智樹の作戦自体は悪くないかもしれない。けれど、自分の偽者を堂々と人前に晒す行為には流石に抵抗を覚えてしまう。

「命令だ、ニンフ。俺をニンフに変身させろ」

「はっ、はい。マスター」

 だけど凛々しいマスターと化した智樹の命令を私が背ける筈がなかった。

 

「体の調子はどうですか、マスター?」

「ああ、悪くない」

 私の目の前に制服姿の『私』が立っている。それはとても奇妙な感じのする風景だった。

「だがレーダー機能や他の電算機能は使えないみたいだがな」

「量子変換機にはプログラムをコピーする力はありませんから、同じなのは外見や構造だけです」

 まるで鏡に向かって喋っているかのよう。

「まあ女湯に入るのにレーダーは要らないか。よしっ、行って来るか!」

 『私』が両手に力を込めて気合を入れる。

「男には決して入れない新大陸に向けて……クロス・アウッ!」

 掛け声と共に『私』の衣服が一瞬にして吹き飛んでいく。

 1秒後にはすっぽんぽんの『私』が堂々と仁王立ちしていた。まるで先ほどのデルタみたいだった。

「あの、せめてタオルで前を隠すとか、何か対策を取って頂けないでしょうか……?」

 本人はケロッとしているけど見ているこちらの方が恥ずかしい。

 この『私』の元は智樹だけあってデルタ以上に全裸に対して抵抗がない。

「フッ。ダッダ~ン、ボヨヨンボヨヨン。だぜぇ~♪」

 それどころか智樹は上半身を揺すって自分の胸を誇示しようとした。だけど……

「ごめんな、ニンフ。俺、調子に乗り過ぎてた……」

「いえ、別に……」

 『私』の胸は悲しいまでに揺れなかった。

 ちょっぴり涙が出た。

 自分のあり方に疑問を抱いた。

 いそいそと体にバスタオルを巻きつけていく『私』を見て何だかとても悲しくなった。

 それから智樹がずっと『私』、即ち私の裸を見ていたのだと気付いて全身真っ赤になった。

 命令とはいえ、こんなにも恥ずかしくて空虚な気持ちになるなんて。

 命令に従って生きるって、やっぱり何かおかしいのかもしれない。私は初めて、エンジェロイドの存在意義そのものに疑問を抱いた。

 

 

 

《マスター、発信機の調子はどうですか?》

《ああ、良好だ。じゃない、良好よ》

 

 エンジェロイドとしての能力を使えない『私』の耳に取り付けておいた発信機の調子は良いようだった。

 智樹は今、女湯に潜入している。

 そして私は脱衣所の隅に隠れながら、量子変換機をコントロールしている。

 

《既にわかっておられるとは思いますが、過度に興奮すると変身が解けてしまいます》

《ああ、それで今まで散々痛い目遭って来たからな。今回は心頭滅却して最後までクールに覗くぜ。じゃなくてクールに覗くわよ》

 

 智樹の言動に一抹の不安を覚える。

 でもそれ以上に現状に漠然としたもどかしさと深い空虚さと激しい不安を感じていた。

 確かに状況だけを見れば私の願いはこれ以上ないぐらいに理想的な形で叶っている。

 入りたくない巨乳(バインバイ~ン)だらけのお風呂に入らずに済んだ。

 智樹がマスターとして命令してくれている。

 私の願いはみんな成就している。

 なのに、なのに私の心に沸き起こる感情は歓喜とは全く掛け離れたもの。

 なんでこんなことになってしまっているのだろうという後悔の念が寄せては返っている。

「やっぱり私、美香子の言うとおりにポンコツなのかな……」

 自分の感情の制御さえままならない私は出来損ないのエンジェロイドなのだと思う。

 アルファみたいに感情があまり生じなかったり、アストレアみたいに感情は豊かでも深く悩むだけの知能を持っていない方がエンジェロイドとしては優秀なのかもしれない。

「あら~、やっと入って来たのね~ニンフちゃん」

「遅くなりました会長、じゃなくて美香子」

 『私』が美香子たちと接触する声が扉越しに聞こえてきた。

 いけないいけない。

 今はマスターの命令を遂行することに集中しなくちゃ。

 

《マスター、調子はどうですか?》

《ひょっひょっひょ。ここは天国じゃ。まさに絶景かな絶景かな。バインバイ~ン連峰が余の来訪を祝福してくれておる》

 

 ……ダメかもしれない。色んな意味で。

「わぁ~ニンフさんの肌、綺麗」

 落ち込んでいると、そはらのうっとりするような声が聞こえて来た。

「毎日青リンゴの特性ボディーソープで30分掛けてピカピカに磨き上げているもの。肌の艶にはちょっと自信あるわよ」

 『私』が自信満々に答える。

 智樹の言葉に嘘はない。だけど、どうして智樹が私の入浴方法を詳細に知っているのか?

 その理由を考えると全身が真っ赤になる。恥ずかしさと、それ以外の感情とで。

「それに、ニンフさんってプロポーション凄く良いよね~。本当、羨ましいなあ」

 扉越しに聞こえるそはらの声はとても意外なものだった。

「えっ?」

 思わず疑問の声を出してしまったぐらい。脱衣所の私の存在がばれないかと冷や冷やした。

 だけど、羨ましい限りのナイスボディーを誇るそはらが私を羨ましがる理由なんか少しも思い付かない。

「私なんかすぐ全身にお肉が付いちゃうからニンフさんのスレンダーな体型が羨ましくて羨ましくて。特にその細い腰なんか、替わって欲しいくらいだよぉ」

 私はそはらみたいなプロポーションになりたいといつも思っていた。胸とお尻の大きな大人っぽい体型に。

 だけど、そのそはらは私のような体型になりたいという。コンプレックスの塊みたいな私の体に。

「そうねぇ~。ニンフちゃんの腰の細さは確かにモデル並よね~。会長もあやかりたいわ」

 美香子まで私の体型を羨ましがっている。

 自分の写真集を発売するぐらい自分のスタイルに堂々と自信を持っている美香子が。

「……ニンフが、羨ましい」

 アルファまで続いた。

「……マスターも、ニンフの、プロポーションが、大好きですし」

「ええぇええええぇっ!?」

 女湯まで聞こえてしまいそうな程に大きな声を出してしまった。

 だって、いつも胸の大きさでバカにしてくる智樹が私の体を好きだなんてあり得ない。

「……でも、俺、じゃなくて私、お寺の時も、プロレスの時も、お祭りの時も、プールの時も智樹に胸のことでバカにされているのだけど?」

 『私』が私の抱いている疑問を代わりに投げ掛けてくれた。その聞き方の自信のなさから、智樹自身にとってもアルファの言葉は意外なものだったのかもしれない。

「確かに智ちゃんはニンフさんの胸が小さいってバカにしているけど、それって……」

「好きな娘を~ついつい苛めてしまう小学生男子の行動と~一緒よね~」

「……コクコク」

「「何だってぇええええええぇっ!?」」

 『私』と私が大声を上げた。そはらたちの言葉は智樹にとって衝撃的だったらしい。

でも、私にとっても衝撃的だった。

 

 

 

「どうしたの、ニンフさん?」

「う、ううん。何でもない」

 『私』の声はまだ裏返っている。

「……マスターは、私たちの中で、いつも、ニンフに、一番先に、反応します」

「そうよね~。桜井くんは~私たちが水着だったり裸だったりすると~いつもニンフちゃんの胸を最初に触るわよね~」

「智ちゃん、自分では巨乳以外は認めないみたいに言っているけれど、持っているエッチな本やDVDの3分の1は胸の小さな娘や妹系なんですよね」

「お前ら何で俺のムフフグッズの属性を……じゃなくて、智樹のエッチなアイテムにそんなに詳しいの!?」

 『私』の声は更に動転している。

「何でって、幼馴染だし、智ちゃんの隠し物の場所ぐらいすぐわかっちゃうからかな?」

「……マスターは、私のマスター、ですから」

「調べるに決まっているじゃな~い。面白いから~」

 智樹にプライバシーは存在しないらしい。わかっていたことだけど。

 それにしても智樹が大きな胸以外に、私の体に興味があるなんて全然知らなかった。

「まあ、確かに、俺も、じゃなくて私も、この体は結構……お気に入り……なのよね」

 そして『私』の口からも先ほどまでは考えてもみなかった言葉が発せられた。

 

《まっ、マスター、今の言葉って本当ですか?》

《…………………………今は作戦の遂行中だ。無駄話をしている余裕は、ない》

 

 智樹は私の問いを否定しなかった。

 それって、それってつまりッ!

 私の頭上に一筋の強い光が差し込んだような気がした。

 天にも昇る心地とは今のような心境を言うに違いない。

 私の心は今、大きな翼を広げて大空という大海の中を飛び回っている。

「だけど桜井智樹は結局巨乳(バインバイ~ン)に反応しますからねぇ。ダッダーン、ボヨヨンボヨヨンな私のスタイルの方が好きに決まっていますよ。ぷすすぅっ」

 そしてあのお邪魔虫(ダウナー)はいつでも私の魂を地上へと引き摺り下ろしてくれる。

 まじウザい。出来損ないのあのバカはいずれ廃棄処分しようと思う。

「すっ、すげえ揺れだぞ、アストレア。じゃなくて、デルタッ!」

「ニンフ先輩と私では端から勝負になりませんよ。ボヨヨンボヨヨン。ぷすすぅっ!」

 そして智樹までがあのダウナーに心狂わされていく。

 

《マスター、落ち着いてください。変身が解けてしまいますよ》

《おお、そうだった。そうだった。余は巨乳(バインバイ~ン)を末永く堪能しに来たのだった。ここで変身を解く訳にはいかんな。むっひょっひょっひょ》

 

 ……狂わされるまでもなく智樹は最初から狂っていた。

「それではニンフ、当初の目的を達成したいと思いま~す♪ きゃる~ん♪」

「ど、どうしたの、ニンフさん? 言葉遣いが何かおかしいよ?」

 思わずズッコケそうになる。

 私は血迷ったってあんな言葉は発さない。あれは智子の口調だ。

 

《マスター、心が乱れてますよ。冷静に、冷静に》

 

 量子変換機のパラメーターを見れば智樹が相当に興奮していることが見て取れる。

 このまま興奮し続ければメタモルフォーゼの安定が崩れて元に戻ってしまう。

 

《きゃるきゃらる~ん♪ むっひょっひょっひょっひょ》

 

 なのに智樹にはもう私の声が届いていないようだった。

「じゃあそはらちゃん、私がお背中流してあげるね。女の子同士だから恥ずかしくないよね。きゃるる~ん♪」

「ほんと、どうしちゃったの、ニンフさん? 言動が智ちゃんみたいだよ?」

「キャルーン! オンナノコドウシィっ! ハズカシガラナイィイイイィっ!」

「ちょっ、ニンフさんッ!? そんな強く胸を……嫌ぁあああああああぁっ!」

 女湯から悲鳴とドタバタと走り回る音が聞こえてくる。

「バインバイーンナオンナノコォモォシンボウタマランワァアアアァ!」

 更に謎の怪ビームが銭湯の外壁を吹き飛ばす音まで聞こえてきた。

 『私』は暴走を始めたらしい。それはもう、あっさりと。

 

《あのっ、マスター、落ち着かないと今にも変身が解けますよッ!》

《オンナノコドウシデカラダノアライッコォオオオォ!》

 

 私の声はもう全く智樹の耳に届かない。智樹は完全に暴走状態に入ってしまっている。

「バインバイ~ンバンザイィイイイイィ!」

 そして智樹は『私』の姿で暴走している。

 私の世間体とか評判とか、そういったものを全て粉々に破壊しながら。

「ちょっと落ち着いてよ、ニンフさん!」

「ニンフちゃんが~こんなに面白い娘だったなんて~会長知らなかったわ~」

「……ニンフ、あなたの胸は、希少価値。ステータス。だから、落ち着いて」

「ニンフ先輩ったら、胸が小さいのを気にして暴走するなんてバカですね。ぷすすぅ」

 みんな(-バカ)が私を慰めようとしているのを聞くのが悲しい。

「私、今、天罰が下っているのかな……?」

 そっと天井を見上げる。

 『私』の暴走には少なからず私が関わっている。ううん、私と智樹は共犯者だ。私の協力がなければ智樹は女湯に入れなかったのだから。

 全ては私の心の弱さが招いた事態。

 私が自分のスタイルを気にしてお風呂に入ろうとしなかったばかりに。

 私が命令という甘い果実に安易に飛び付いてしまったばかりに。

 そう、全ては私が弱かったばっかりに。

「智樹を、止めなくちゃっ!」

 だからそれが私にできる贖罪だと思った。

 

 

 

「イエスイエスイエ~~~~スッ!!」

 女湯での『私』の暴走は続いている。

 パラメーターを見れば智樹の興奮は変身を安定できる限界値を遥かに上回っている。

 にも関わらず変身が解けていないのは、智樹の体が量子変換を習得しつつあるからかもしれない。

 とにかくこのままじゃまずい。智樹の暴走を止めないといけない。

「こうなったら、仕方ないわね」

 私は意を決して巨乳の国(バインバイ~ン・ランド)に足を踏み入れた。

 

「何よ、ここは……?」

 女湯に1歩足を踏み入れる。

すると目の前に広がっていたのは予想以上に凄惨な光景だった。

 壁には幾つもの大穴が開き、浴槽にはひびが入り、水が隙間から勢い良く噴出していた。

 壁際には追い詰められて身を寄せ合っているアルファたちの姿がある。

更にその手前には……

「これが、私のしでかした業、なのね……」

 すっぽんぽんで四つん這いになりながら牙を剥いてアルファたちを狙っている『私』の姿があった。

「イエスッオンナノコドウシィイイイィガルルルルル」

 野獣そのものと化したこの『私』こそが、私の心のマスター智樹の変わり果てた姿。

 私がこの手で生み出してしまった魔物。

 智樹がこんなになってしまったのは私の責任でもある。だから、私が止めるっ!

「お痛はそこまでよッ!」

 『私』に聞こえるように大声で叫ぶ。

「ええぇえええぇっ!? ニンフさんがっ、2人っ?」

「あらあら~♪ 面白いことになっているわね~会長は大満足よ~」

 先に私の存在に反応したのはそはらたちだった。

「ジャマヲスルナァニンフゥウ」

 続いて『私』が首だけ怪物チックに180度曲げて反応を示す。振り向いて私を威圧するその顔は目を光らせながら尖らせ牙を剥く化け物そのものだった。

「どっちが本物のニンフさんなのっ!? って、考えるまでもないよね」

 そはらは私と『私』を交互に見ながら軽く溜め息を吐いた。まあこの状態なら幾ら姿形がそっくりでもどちらが本物の私かは子供だってわかる。片方は怪物と化しているのだし。

「……私たちの、近くにいるのが、ニンフ。入り口付近にいるのが、マスター」

 ……子供以下のエンジェロイドがいた。

「イカロスさん、逆でしょ、逆っ!」

 そはらが大声でツッコミを入れる。

「えぇえええぇっ!? 私も手前にいるのがニンフ先輩で、入り口にいるのが桜井智樹だとばっかり」

 ……バカには最初から期待していない。

「……醜く裂けた口と、鬼を連想させる怖い瞳が、ニンフそのものだと、思ったのですが?」

「はいは~い。私もイカロス先輩と同じをことを考えました~」

 アルファやデルタとは今の人類の歴史が始まる前から一緒にいる長い付き合いなのに、2人の私に対する理解って一体……。

 ちょっとだけ、心の汗で視界が滲んだ。

 

「とにかく~私たちの近くにいるこっちのニンフちゃんは~桜井くんが変身したもの~で間違いないのよね~?」

「そうよ。そっちの『私』は変身した智樹が暴走した成れの果てよ」

 気を取り直して『私』を見据える。

 暴走した智樹をこれ以上見たくない。

「だったら~、女湯に入って来た桜井くんには~おしおきが必要よね~。うふふふふ~」

 美香子はトロンとした病んだ瞳で『私』を見ながらクスリと微笑んだ。

「そうですよね。お痛には罰が必要ですよね」

 そはらは俯いたまま右腕を振り上げている。その表情は見えないけれど、その右腕には暗黒のオーラが漲っている。

「私たちの裸を覗いた桜井智樹のおしおき、私も加勢しますよぉ!」

 デルタが必殺の剣であるクリサオルを『私』に向かって構える。

「……あっ、スズメ」

 アルファはスズメを追って外壁に開いた穴から外へと出て行った。智樹への制裁を止めるつもりはないという意思表示だ。

 これで状況は4対1。内4人はすっぽんぽんで私はバスタオルを巻いただけという格好なのは締まらないけれど、戦況は私たちに絶対的有利。

「どうする桜井く~ん? 今、降参するなら骨の100本と~血液の50%を失うだけで~許してあげないこともないわ~」

 ジリジリと『私』を囲む包囲網を狭めていく。

「桜井くんなら~とどめを刺さずに深海に沈めておけば~きっと面白いことをしでかしてくれると思っていたけれど~ニンフちゃんに化けるなんて~会長の予想以上だったわ~」

 美香子は笑いながら握力400kgの指をパキパキと鳴らしている。美香子は智樹を殺る気満々だ。

「バインバイ~ンランドォノユメヲイマココニィッ!」

 だけど智樹は、一切怯むことなく大きく跳躍して美香子たちへと襲い掛かった……。

 

 

 

「キャルゥウウウゥンンオンナノコドウシィイイイイ」

「きゃぁああああぁっ!?」

 『私』の爪による攻撃がデルタのクリサオルを弾き飛ばした。

 反動でデルタが尻餅を打って倒れる。

 そはら、美香子に続いてデルタまでダウンを取られてしまった。

 

 私たちは『私』に苦戦していた。

 『私』となった智樹の獣の力を甘く見ていた。

 確かに『私』は私の外見を模写したもので、レーダーやジャミング兵器などは使えない。

 でも、戦闘能力を全開にしたエンジェロイドの身体能力は人間のそれを遥かに上回る。

 私だって力仕事は嫌だけど、本気を出せばスペック上1t以上の乗用車だって簡単に持ち上げられる。

 智樹の体では到底手に入れられなかった強大な力を手に入れた野獣。しかも、ヒトデだか何だかに操られて高度な知性まで身につけた魔獣。それが今の『私』だった。

「これはちょっと~桜井くんを甘く見すぎていたかもしれないわね~」

 美香子の口調はいつも通り。だけどその額には多くの汗が浮かんでいる。

「こんなことなら~素直に切り刻んで~玄界灘のお魚さんの餌にしておいた方が~良かったわね~。会長~今日は珍しく計算をちょっと間違えちゃったわ~」

 そして足に力が入らなくてもう立てないみたいだった。

 美香子が計算を間違ったのも無理はない。今の智樹は普段のスペックを大幅に超過している。もはや他の存在の領域に入っている。

「はぁはぁ。殺人チョップが、智ちゃんにまるで当たらないなんて……」

 殺人チョップを連続して放っていたそはらも立っているだけが精一杯なほどに疲労困憊していた。

 2人とも戦闘能力に優れてはいるけれど、それはあくまでも人間同士の戦いの話。エンジェロイドクラスの身体能力を持った敵と渡り合うだけの力はない。

 2人は既に体力の限界を迎えている。となると……

 

「デルタッ、あんたが頼りよ!」

「えっ? 私、ですか?」

 エンジェロイドに勝てるのはエンジェロイドのみ。

 私とデルタで智樹を抑えるしかない!

「そうよ。あんたが智樹を油断させてその隙に拘束しなさい。後は私が討つわ」

「でも、どうやって桜井智樹を油断させるんですか? 今のあいつ、言葉が通じませんよ」

 確かに今の智樹は人の言葉がまるで耳に入って来ない。欲望だけに忠実な最強の獣。

 でも、だからこそ智樹を捕まえる手段もまた簡単。

「あんた、そんな立派なものを持っているじゃない! その巨乳(バインバイ~ン)で智樹を誘惑して動きを止めなさい!」

 今の智樹ならデルタの幼稚な誘惑にだって絶対に引っ掛かる筈。

「えぇえええええぇっ!? でも、今の智樹を誘惑なんかしたら私がどうなるかわかりませんよぉ。私、まだ、嫁入り前なのに~」

 デルタが両手と翼で自分の体を隠す。その仕草が色っぽくて何だかイラッと来た。

「早くしなさい。そうでないと、世界中の女性が智樹の変態ぶりに泣くことになるのよ!」

 しかもその変態が私の顔をしているなんて私には耐えられない。世界中の女性の前に私が泣いてしまう。

「はっ、はいっ! ………………それじゃあ、だっだーん、ぼよよんぼよよん……な、なんちゃってぇ」

 デルタが生活の上で全く必要がない無駄で邪魔で不燃費で役立たずの脂肪の塊を揺らす。

 その行為は智樹のハートをアフターバーニングさせた。………………私の心も。

「イエスップロトカルチャァアアアアアアァ」

 『私』は狼の如く両手両足を使って高く跳躍すると大きく口を開いてデルタへと襲い掛かった。

「嫌ぁああああああぁ! 本当にお嫁にいけなくなるぅううううぅっ!?」

 圧し掛かった『私』は獣らしくデルタの首筋に噛み付いていた。馬乗りにされているデルタは必死にもがいて振り払おうとするけれど、『私』は食い付いて離れない。

「よくやったわ、デルタ。後は私がパラダイス・ソングで智樹を吹き飛ばすからエネルギーをチャージするまで30秒耐えて」

「30秒も無理ぃいいいぃいいいぃっ!」

 泣き言を言うデルタは放っておきながらエネルギーを溜める。普段よりも高出力にしないと肉体が強化されている今の智樹には効かない。

「後、15秒っ」

「早く、早く撃ってくださいぃいいぃ。でないと私が食い殺されますぅうううぅ!」

 デルタは完全にパニック状態に陥っている。だけど、『私』がデルタの首に噛み付いたまま離れないのは好都合だった。

「後、10秒っ」

 エネルギーの充填がつつがなく進んでいく。私は10秒後の勝利を確信していた。

 だけど、ここで事態は私の予想だにしなかった方向へ一気に急展開した。

「命令だ、ニンフ。攻撃を中止して俺の覗きを、手伝えっ!」

 変身を解いて元の姿に戻った智樹が私に命令を下してきたのだった……。

 

 

 

「ニンフ、マスターの命令だ。今すぐ攻撃を止めて俺の覗きを手伝えっ!」

 頭にヒトデを突き刺した智樹が凛々しい表情で私に命令を告げて来た。

「マッ、マスター……」

 智樹が、マスターとして攻撃中止を正式に通達してきた。

「エンジェロイドの存在意義はマスターのご命令を遂行することなんだろ? だったら俺の言うことに素直に従え、ニンフ」

 今の智樹がシナプスの元マスターとダブって見える。

 私は自分の体の震えを止められないでいた。

 驚きのあまり、エネルギーチャージが途中で止まってしまう。

「俺の命令に従い、エンジェロイドとしての本分に生きろ。その方がお前も幸せだろ?」

 智樹が手を差し伸べてくる。

「ああっ……ああっ……」

 私は震える体でその手を見ていることしかできない。

「お前が命令に忠実に従ってくれるなら、俺もお前の望みを叶えよう。どうだ、お前にとって悪い話ではあるまい?」

 話し方の高慢さまで元マスターにそっくり。まるで、シナプスにいたあの頃に戻ってしまったかのよう。

「巨乳(バインバイ~ン)の上にニンフのぺったんこが君臨する新世界のおっぱい秩序を作り出すことも俺たちが組めば可能だ。そうすればお前のコンプレックスも解消される。違うか?」

「そっ、それは、そうかもしれませんが、でも……」

 智樹の目を見ていると吸い込まれてしまいそう。あの瞳には逆らい難い何かがある。

 智樹の忠実なエンジェロイドとなり手足となって働けば私はエンジェロイドとしての本分を全うすることができる。

 それは私の理想とする生き方の筈。ずっとそうなりたいと願って来た。だけど……

「智ちゃんの悪の誘いに乗っちゃダメよ、ニンフさんっ!」

「そういう誘いは私がやるものであって、桜井くんがするべきものではないわ。ニンフちゃん、こんな悪い人の言うことを聞いてはダメよ!」

 そはらや美香子は智樹の言うことを聞くなと言っている。そしてその言葉は私の心に光を照らしてくれる。とても温かい光を。

「うるさいっ! 今は悪が微笑む時代なんだ。ニンフ、大人しく俺の命令を聞け。エンジェロイドらしく生きろ!」

 智樹が手を指し伸ばしてきた。

「あああっ……あああっ…………っ」

 この手を取れば、私は根本から変わってしまうかもしれない。地上に来てから培ってきた大切なことを全て失ってしまう。そんな気がした。

「俺の命令だけ聞いて、スタイルのことなんか気にせず、自分に不安を抱くことがない天国のような瞬間を俺と過ごそう、ニンフ」

 智樹の手が、私に向かってゆっくりと伸びて来る。

 智樹がニッコリと笑って、私の思考能力を奪っていく。

 私、私は、私はもう……

 

《……負けないで、ニンフ》

 

 智樹が私の手を取ろうとした瞬間、脳裏に直接声が届いた。

 アルファの声だった。

 その声には、そはらや美香子と同じような温かさが込められていた。

 私を思いやる温かさが……。

「そうよっ! 私は、負けられないんだからぁっ!」

 声を聞いて私の脳は再覚醒を始める。

 そして私は反射的に後ろに大きくジャンプして智樹から距離を取った。

「どうしたんだ、ニンフ? 俺の手を取れ。そして命令を遂行しろ。エンジェロイドの存在意義を果たせ」

 智樹が再び手を差し伸べて来た。

 だけど私はその手を叩いて跳ね除けた。

「一体どうした、俺のエンジェロイド?」

「さっきの智樹の言葉で私、ようやく理解できたわよ」

 智樹を、そして彼とダブって見えるシナプスの元マスターを睨みつける。

「今の智樹の言葉は確かに甘くて安寧な快感を私にもたらしてくれる。でもね、ちっとも温かくないのよ!」

 両手に力を篭める。

「普段の智樹の言葉は私に優しくない。だけど、私のことを真剣に考えた上で突き放したことを言っているのよ。今のあんたの1万倍、ううん、1億倍以上温かい言葉なのよ!」

 止めてしまったエネルギーチャージを再び始める。

「温かろうが冷たかろうがそれが何だと言うんだ? お前は俺のエンジェロイド。そしてエンジェロイドは命令を遂行することが存在意義。それで十分だろうが?」

 智樹が頭上のヒトデを揺らしながら喋る。

 それは、私がシナプスにいる時にずっと聞かされ続けてきた言葉。そして、私自身もそれが正しいと思い込んできた言葉。だけど……

「私は確かにエンジェロイドよ」

「だったら!」

「だけどエンジェロイドとして生きることだけが私の全てじゃないわ!」

 言葉と共に体中からかつてない程の力が漲って来る。

「命令を聞くだけが私の全てじゃない。私は、私の意志で生き方を決めるっ!」

「お前は日常のつまらない悩みから解放されたいのではないのか!?」

 エネルギー充填率80%、85%、90%……。

「私が今抱えている悩みも苦しみも葛藤も私の人生の大切な一部なんだから。今のお前如きの誘惑でかき消されて溜まるものかぁっ!」

 エネルギー充填率100%ッ!

 大きく深呼吸を行いパラダイス・ソングを放つ準備を整える。

「待てっ、ニンフっ! お前はまた、この巨乳(バインバイ~ン)にバカにされる日々に戻るというのか? このヴァカにバカにされる日々に!」

「きゃぁあああぁ!?」

 智樹はデルタの首根っこを捕まえて掲げ、91cmを誇るその凶器を見せ付けてきた。

「確かに胸の大きさのことでまたバカにされるのは嫌よ。でもね、感情を封じ込めちゃったり、あんたの作る歪んだ新世界で弾圧の上に頂点に立つより遥かにましよっ!」

 背筋を逸らしながらパラダイス・ソング発射の態勢に入る。

「ニンフっ、俺を撃てばアストレアも消えるのだぞ!」

「ひぃいいいいいぃいぃ! お願いですから撃たないでください、ニンフ先輩~っ!」

 デルタが涙を滝のように流しながら震えている。

 確かに、今智樹に向けてパラダイス・ソングを放てばデルタまで吹き飛ばしてしまう。

「クッ!」

 一体、私はどうしたら良いの?

 

 

 パラダイス・ソングを撃てば私たちの勝ち。

 けれど、パラダイス・ソングを撃てばデルタごと巻き込んでしまう。私に仲間殺しの称号が付いてしまう。

 私にはどうするべきなのか判断がつかない。一体、どうすれば!

 

《……ニンフ……先輩。構わずに、私ごと、撃って、ください》

 

 また声が、直接私の脳に届いた。これは……

「デルタ、あんた、私ごと撃ってくださいって、本気なの?」

「えぇええぇっ!? 私そんなこと全然言ってませんし、考えてもいませんよぉっ!?」

 デルタは驚きの声を上げている。

 

《……ニンフ先輩、早く、私ごと、撃って、ください》

《でも、デルタ。高出力のパラダイス・ソングを食らえば、いくら丈夫なデルタでも命の保障は、ううん、確実に死ぬわよ》

《……覚悟の上、です。それで、地球が、救われるなら》

 

「デルタの覚悟は固いようね」

「えぇええぇっ!? さっきからニンフ先輩の脳に語り掛けているの明らかに私じゃありませんって! オレオレ詐欺ですってば! 絶対にイカロス先輩の捏造ですって! 鵜呑みにしないで!」

 デルタの自己犠牲精神の強さに喉の奥がグッと込み上げて来る。

 

《……マスターに、裸を見せつけて、誘惑した、ダウナーで、生きる価値がない、バカな私ごと、一刻も早く、撃って、塵1つ残さず、消し飛ばして、ください。お願いします》

《デルタ……》

《……早く、私を、塵に、替えてください》

 

 右手で目を擦って涙を拭く。

「ごめんね、デルタ。私、あなたのことを忘れないよ」

「嫌ぁああああぁっ! それは私が欠片も望んでいない結末ですよぉおおぉっ! っていうか、ニンフ先輩、私を撃つことに何か嬉しそうに見えるぅううぅっ!」

 きっとデルタは智樹を油断させる為にわざと泣き叫んでいるに違いない。彼女の心遣いに感謝しながらパラダイス・ソング発射に向けた最終段階に入る。

「ニンフッ! 今すぐ攻撃を中止しろっ! マスターである俺の命令に従えッ!」

「……どんな命令に従うかは、私が決めるわよ。私は自由に、自分の意志で生きるッ!」

 目を瞑る。

 普段の智樹であれば、私の意見に賛成してくれる筈。

 智樹は私に自由に生きることを望んでいた。だけどその智樹の言葉の意味を私は理解しないでいた。

 そして今、私はようやくその言葉の意味を理解した。

 だけど逆に智樹は今、何か良くないものにとり憑かれて自分を見失ってしまっている。

 だから、今度は私が智樹を救ってあげないといけない。智樹を救ってあげたい。智樹にご恩返しがしたい。だから、だから、だからぁ~っ!

「よせぇええぇっ! ニンフぅううううぅっ!」

「パラダイス・ソングッ!」

 必殺の超音波光線兵器を私は口から放つ。

 普段の数倍の高出力の光線は智樹の体に直撃し……

「イカロス先輩捏造のオレオレ詐欺なのぃいいいいいぃっ!? ぴぎゃぁああああああああああぁっ!」

 デルタもろともその体を遥かなる大宇宙に向けて吹き飛ばしていった。

「さようなら、智樹、デルタ。そして……ありがとう」

 銭湯の天井にぽっかりと空いた大穴から、智樹とデルタのシルエットが大空に笑顔で決めていた。

 

 このツインテールのお嬢ちゃんなら~とも坊任せても~ええんじゃね~? とも坊をよろしくな~

 

 そして、智樹の頭に刺さっていたヒトデから、編み笠を被った老人のように見える白い何かがすぅ~っと天井の穴を通じて空に上って行くのが見えた。

 

 

 

 

 智樹の暴走から1週間の時が過ぎた。

 世間はお正月気分から日常への移行を開始している。

 智樹が愛した平穏な日常がこの空美町を包み込んでいる。

 その智樹なのだけど……

「きゃるきゃる~ん♪ 智子で~す♪」

 私のパラダイス・ソングを受けて宇宙から帰還して以来女の子として暮らしている。

 智樹はイカロスが宇宙空間に回収に行った所、智子の体となって浮いていたらしい。それもきっと智樹の体が量子変換に慣れてしまったからだと思う。

 だけど智樹は宇宙空間で酸素欠乏症に掛かってしまい記憶の大半を失ってしまった。

 アルファと私が力を合わせてシナプスの技術力を結集すれば智樹を治すことは可能ではある。だけど、おしおきも兼ね当分智樹の意識は戻さないことを美香子たちと決めた。

 そんなこんなで智樹にはしばらくの間、女の子として暮らしてもらうことになった。

 なったのだけど……

「ねえねえ、ニンフちゃん。一緒に学校行こっ。きゃっきゃっきゃる~ん♪」

 智樹は、ううん、智子は女に変わったことに何も違和感を覚えていないようだった。

 最初から女として生まれたかのようにごくごく自然に、しかも楽しげに振舞っている。

「ちょっとぉ、急に腕を組まないでよ」

 突然視界から消えたかと思うと、力強く腕を組んで来る智子。

 智樹が女になってしまったことに慣れないのは私たちの方かもしれなかった。

「女の子同士なんだから恥ずかしがらないの。きゃっきゃきゃる~ん♪」

 智樹が男でいた時より人生を楽しんでいるように見えるのは私だけではないと思う。

 過度にエッチな欲望から解放されて心が安定しているのかもしれない。

「イカロスちゃんも一緒に学校行こっ。きゃるきゃる~ん♪」

「わかりました、マスター」

 そんな変わってしまった智樹に動じる素振りも見せずに付き従うアルファ。流石主人に忠実なエンジェロイドの代名詞。

「…………………………………………今の内に、マスターを手懐けて、男に戻った時、一気に、ゴールイン」

 ううん、色々と計算済みの行動のようだ。

 本当なら、私もアルファに負けない様に智子に対して色々とアクションを起こすべきなのかもしれない。

 けれど、私は動かない。敢えて動かない。

「それが私の意志、自由だから」

「ニンフちゃん、何か言ったぁ~?」

「ううん、何も言ってないわ」

 私はエンジェロイドだけど、エンジェロイドとして生きるだけが全てじゃない。

 智樹は命を賭してそう私に教えてくれた。

 だから私は、焦ることなくゆっくりと私にとっての自由が何なのか、私の思いはどこを向いているのか確かめていきたいと思う。

「イカロスさ~ん、ニンフさ~ん………………それから……智ちゃん……」

「きゃる~ん♪ 私のことは、智子ちゃんって呼んで。そはらちゃん♪」

「智子ちゃんは今日も元気よね~会長も楽しくなってくるわ~」

「美香子お姉さま~おはようございますますますぅ~♪」

 幸いなことに私には道を見失ったらアドバイスをくれるとても素敵な友人たちがいる。

 おかげで私は安心して自分の答えを探すことができる。私の自由という問いの答えを。

「ニンフさん、随分楽しそうだけど何か良いことあったの?」

「別にっ。どうすればそはらみたいなナイスバディになれるか考えていただけよ」

「えっ?」

 限りなく叶う確率が低い夢を見ることだって自由。

 スタイルのことで思い悩む私って、自由を満喫していたんだって今になってわかった。

 もしかすると智樹は、私にエンジェロイドの存在意義以外のことに目を向けて欲しくてわざと私のスタイルをバカにしていたのかもしれない。

 勿論、こんなのは私の勝手な妄想。智樹がそんな先の先まで見据えて動く訳がない。

 けれど今は、智樹の行動をそんな風に受け取ってみたい。これも解釈の自由ってことで。

「ねえ、デルタはどう思う?」

 雲ひとつない快晴の空美町の青空を見上げる。

 あれ以来姿を見ていないデルタの面影が空美町の大空から私を優しく見守ってくれていた。

 

 了 

 

 

次回 私のちょっと変わったお友達(スイカ・マニア)

 

 


 
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