No.890426

別離   16.小烏丸

野良さん

2017-01-25 20:46:36 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:1110   閲覧ユーザー数:1103

「わしの、未来?」

「ああ、こうめの決めた未来に、俺は、思いを託せた」

 

 だから、悔いは無い。

 

「そりゃ、寂しいけどな」

「お主も、寂しいのか?」

 当たり前だ、阿呆。

 そう言いながら、男はこうめの頬をつまんで引っ張った。

 こんな真似をしたのも、何年かぶりだろう。

 幼子の頃なら、気安く接することもできたが、ある年を境に、彼はほとんどこうめに対し、親しく接することはしなかった。

 激化する戦闘、拡大する戦線、増え続ける仕事を、自他への言い訳に使ったが、結局、どんどん美しくなっていく彼女を直視するのが怖かったんだろう。、

 幸い、自分など居なくても、彼女の母親や姉代わりになってくれる存在達は沢山居た。

 そして、今……こうめ自身に、彼女の人生を返す時がようやく来た。

 

 顔の位置が思ってたより高い。

 あの、やわらかくてもちもちしていた頬も、今では滑らかだが鋭い輪郭を形作っていて、つまむのも大変。

 十年。

 全く、あの食欲魔人のちんちくりんが、綺麗になっちまってまぁ。

 ほっとするような、寂しいような。

 

「ひゃにほ」

「こうめ……俺の祭りは終わったんだ」

 

 神々の戦いに、式姫達と共に挑んだ、一世一代の大祭。

 

「何を言う、そんな事は」

「いいや、俺の祭りは終わった」

 何か言い返そうとしたこうめの言葉を、男は優しく、だがきっぱりと否定した。

 

「こうめや式姫みんなのお蔭で、ちゃんと、笑って終わらせる事ができたんだ」

 みんなで泣いて、その終焉を惜しんで。

 でも、笑顔で終わらせた。

 

 だから、式姫の皆は寂しそうに、でも誇らしそうに。

 確かに笑顔で、この門から彼に見送られ、一人また一人と去って行った。

 だけど自分は。

 

「……いやじゃ」

 あの日々が終わりなどと、言わないで欲しい。

「いや……か」

「いやじゃ」

 式姫たちと話し、彼女たちの心情を聞かせて貰い、自分でもよく考えて、結論を出した。

 そのつもりだった。

 せめて、出会いからずっと迷惑をかけ続けた人と、別れの時くらい、困らせずに去るつもりだった。

 

 だが、最後に庭の名残を惜しんできた事が、その決心をぐらつかせる。

 あまりにこの庭は、今までの彼女の生と想いの、最も濃密な部分でありすぎた。

 

「わしは……」

 ここに。

 式姫の一人も居なくなった……貴方の傍に。

 

 黄龍の顎が建御雷に迫る。

 それを力を込めて押し返してはいるが、もはや建御雷は防戦一方。

 均衡はすでに崩れていた。

 増大する一方の黄龍の力と、乏しくなっていく自分の力。

「く……」

 罵り声を上げる余力も無い。

(ボクは!)

 自分のこのかりそめの体が消えるのは仕方ない、神たるこの精神は不滅。

 だけど。

(今ここで自分が倒れたら)

 ボクが認めた、あいつらは……。

 

 

「では、軍神建御雷よ……式姫としてこの者を認め……」

 何か言いかけたこうめを、建御雷は手を上げて制した。

「必要ない」

「必要ないとは、いかなる?」

 

「ボクはそいつを殺そうとしたんだよ」

「……!」

 その言葉にこうめという少女の顔が強張り、無意識なのか、その小さな体で、男をかばうように前に立とうとする。

「心配するな、こうめ」

 その小さな肩を苦笑しながら押さえて、男は建御雷に向き直った。

「殺気は伝わってこない」

「例え実体化したにせよ、殺気なんて見せずに君を殺すくらいは出来るよ」

 ふんと鼻を鳴らして、建御雷は男を睨みつけた。

「武神たるボクが、自ら手を下そうとした程の男だぞ」

 暴走した慈愛の光の力を抑え込み、ボクの手による死すらかいくぐり……この庭の主となった男。

「最初から……認めてるさ」

「……ありがとよ」

 あっさりした言葉のやり取り。

 これで、二人の約定は済んだ。

 式姫と主が誕生した。

 それが判り、安堵の息をつくこうめの傍らで、だが男と建御雷は厳しい表情を崩さなかった。

 

 今交わされた約定は、恐ろしく重いもの。

 式姫と主は、その運命を共にする。

 神々としての建御雷の強大な力と共に、彼女が負ってきた重荷を、彼も担うことになる……。

「君こそ、本当に良いのか?」

「ああ」

 自分が開放してしまったもの、それがもたらすもの。

 建御雷の記憶が、教えてくれた。

 

「君が、ボクに代わってこの地の守りを担うことになるんだぞ」

「判ってる」

「……ずいぶん、あっさり言ってくれるね、軽く考えて無いかい?」

「やるしかないんだろ」

「まぁ……ね」

 

 二人だけが判っていた。

 傍らで見ていたこうめには、判らなかった。

 10年後に……残酷な現実として突きつけられるまでは。

 

 

 黄龍の顎の圧力が更に高まる。

 それに抗するために力を高めるにつれ、体から失われる力も膨大になっていく。

「……もしかしたら、ここで終わりにした方が良いのかな」

 所詮、今を切り抜けた所で、その後に待ち受ける試練と比して、余りに得ること少なき報い。

 ……なら、いっそ今滅び、神々の戦いに全て委ねてしまった方が、あいつには楽かもしれない。

 あいつはやると言ったけど……ボクの重荷を背負わせる位なら。

 

「腑抜けんな!」

 

 怒号に近い声が、建御雷の頭の中で響いた。

 結びつき深き式姫と主は、言葉を介さず、意思をやり取りできる。

「君は!?」

「何を弱気になってやがる!軍神なら軍神らしく、勝つことだけ考えろ」

「だが……君も判るだろ、今のボクじゃ」

「だから手を貸すと言ってるんだ、ちっとはてめぇが見込んだ主と式姫達を信じろ……俺は」

 

 この庭と……あの、頼もしい奴らの主だぞ。

 

「狛犬ちゃん、ここです!」

 天女が地面の一点を示す。

「判ったッス!」

 槍の残骸、そう呼ぶのも悲しくなるような、今や狛犬の背より、わずかに高い程度になってしまった槍の柄。

 その先を雑に削って尖らせたそれを手に、狛犬が走り出す。

 この槍は、常に彼女とともにあった。

 多くの物の怪と彼女の血を浴びながら、あらゆる戦場で、彼女と味方の運命を切り開いてきた、先駆けの槍。

 走る勢いを一切緩めず、狛犬は高く跳躍した。

 目指すのは天女が指さす地の一点。

 刺し貫く場所があるならば、彼女に一切の迷いなし。

「うおーーーーーー!突撃ッスーーーーー!」

 

 大地、そして溢れるほどの龍脈を走る気の力。

 それすら物ともせず、上空からの狛犬の一撃で、槍がその身の半ばに達するほど、大地に撃ち込まれる。

「うがー……これ以上は無理ッス!」

「十分よ、狛犬ちゃんは離れて……悪鬼ちゃん」

「任せろ!」

 傍らにいた悪鬼が、あの一つ目入道が携えていた巨大な棍棒を振り上げた。

「アタイにゃ力しかねーかもしれねぇけどよ」

 ならば、その力を磨きに磨け。

 そうして磨いた珠を手にした時、全ては逆に、単純な解決に収斂する。

(アタイらはそれで良い、だよな、姉ちゃん)

「おらぁ、斧で一発ぶっ叩けっ!」

 

 狛犬の撃ち込んだ槍の柄が、悪鬼の叩き付けた棍棒により、完全に地にめり込んだ。 

 

「天女、これで良いか!」

「ええ!」

 長きにわたり式姫の手にあり、自他の血に塗れ、今や霊槍に等しいそれを、狛犬と悪鬼、二人の式姫が打ち込んだ。

 霊気の流れを断ち切る杭として、これ以上の物はない。

 悪鬼の力のすさまじさを示すように、棍棒自体も大地を穿ち、周囲を陥没させながらめり込んでいる。

 その柄、まだ悪鬼が握ったままのその上に、天女は手を重ねた。

 大地を穿つ槍を通して、その深奥に意識を繋ぐ。

 強大な力だが、あの大樹と対したときに比べれば、この程度の力、何ほどの事があるだろう。

「土枯れ……水淀む……」

 普段の彼女に似ない、禍々しい響きの言葉が、その可憐な口から零れだす。

「病あれ、厄あれ、災渦あれ」

 悪鬼もまた、それに和すように、低く呟く。

 彼女が式姫になった時に封じた、もう一つの姿。

 地を痩せさせ、水を汚し、風に悪疫を撒き……この世界を弱らせる、悪鬼の力。

 それを、地脈に流し込む。

「弱れ、絶えろ、こんちくしょーが!」

 

「天女さんも無茶を考えますこと」

「だよねー、天女ちゃんって、怒らせちゃダメな類の人だよね」

「……ですわね」

 天狗と白兎が、一見のんきな会話を交わしているのは、空の上。

 小柄とはいえ、白兎を支える帯が、天狗の肩に食い込み痛い。

 後ろから抱きかかえる、本来は力仕事に向かない、華奢なその腕も悲鳴を上げている。

「天狗ちゃん……大丈夫?」

「あまり大丈夫ではないですね、それより白兎さんは、この状態からでも撃てますか?」

「私も大丈夫じゃ無いけど……ね」

 胸の下を押さえつける紐や天狗の腕が苦しい、肺が詰まる。

 

 でも……やる。

 

「始めますわよ」

「うん!」

 二人が眼下に目を向ける。

 闇の中、大地に、燐光のような淡い光の線が走る。

 あの一本一本が黄龍に力を送る、地脈の光。

「……綺麗だね」

「……ええ」

 自分たちが今から行うのは、この美しい光の乱舞を汚す行為。

 

 白兎が不自然な姿勢で矢を番える。

 息をつめ、右手を引き大地の一点を見据える。

 

(私たちで、地脈の勢いを弱めます)

 天女が静かに計画を語りだす。

 その弱まった地脈の、次の要。

(上から真っ直ぐに、深く鋭く調伏の呪を込めた征矢を射こむ)

 始点と終点は見えている……だが、次にどこが急所になるかは誰にも判らない。

 だから、上から見続けて、生じた一瞬を捉え、そこに撃ち込むしかない。

(天狗さん、白兎さん、お願いします)

 

 出来ますか?とは聞かれなかった。

 つまりは、そういう事。

「やれやれ……」

 白兎を抱きかかえ、天狗が低く真言を唱えだした。

「オン シュチリ キャラロハ……」

 羽団扇の力を失った今、術の負担は全て彼女の身に掛かる。

 消耗しきったこの身をさらに削る術。

 天狗の笑みに凄愴の気が籠もる。

(貴方様だけに、汚れを負わすなど……)

 もとより、己の命程度を込めずに、為せる術でもない。

 

 後ろから白兎を抱く、そのお腹の前で交差された天狗の腕から、異様な力が白兎の手を通し、矢じりに集まっていく。

 身を伝う、異質でありながら、馴染みのある力。

 気持ち悪い。

 だけど、この手は揺るがさない。

 見据えた目も閉ざさない。

 

 銀の鏃が、人参の色を模した矢羽が、昏い光に包まれる。

 

「終わりましたわ」

 天狗の息が荒く、いつもは澄んだ響きの声がひび割れる。

 視線を眼下に据えたまま、無言で白兎は軽く頤を引いて、了解の意を示す。

 

 後は、術の助けを借りて、この姿勢と高さを維持しないと……。

 掛かる白兎の重みに腕がきしむ。

(まだ……ですの)

 白兎は、弓を引き絞ったまま、身じろぎ一つしない。

 卓越した射手らしい、途方もない集中力で、視線を動かす白兎。

 その視線を辿った天狗の先で、光の道の中、一つの太い光の線が明滅した。

「あ」

 覚えず天狗から声が零れる。

 ごく自然に、なんの気負いも無く放たれた白兎の矢が、その明滅した光の線に吸い込まれる。

「白兎さん」

 大地を走る光が、激しく瞬く。

「大丈夫」

 急激にせき止められた力が、行き場を失い、暴れ、そして。

 数多くの細い流れに、散り、明らかに光が弱まった。

「……お見事」

「えへへ、天狗ちゃんも……ね」

 

 大樹の根。

 男とこうめの傍らで、小烏丸は静かに目を閉ざしていた。

 心気を澄ませ、足下にした大地の力の……そのわずかな違いを感じ取ろうとする。

 最初はただ、その力に圧倒されただけだった。

 だが、徐々に、見えてくる。

 巨大なそれに圧倒されるのではなく、その巨大さを計る。

 

 刀とは不思議な武器だ。

 槍のように、長さで敵の間合いを制する戦いが出来るわけでもない。

 斧のように、破壊力で敵を圧倒出来るわけでもない。

 弓のように、そも相手に己を認識させぬうちに倒せる射程もない。

 

 だからこそ、刀は常に、相手の見せる隙を逃さず、その刹那に最高の一撃を放つ事で戦ってきた。

 いかなる相手にも怖けず、対抗しえないと思われるほどの相手でも、目を反らすことなく見続けて、その隙を探り、生死の狭間を見切る事で、その先の生を掴む。

 

(最後は小烏丸さん)

 彼女自身である、神鉄の刀身を振るい、地脈を絶ち切る、最後の一撃を。

(貴女に託します)

 

 

「地脈を絶つ!?」

「ええ、地脈があの龍に力を送る道になっています。全ては無理でも、大きな一つでも絶てれば」

 均衡は崩せるはず。

 地脈は龍脈。

 龍の力の源。

 天女の言は正しい……正しいが。

「地脈を絶つって、でも、それは」

 

 呪詛そのもの。

 

 地脈を絶つという事は、その地に流れ込む力を遮断、拡散させ、その地を衰退させる事。

 多くは、その土地を攻め、再起すら阻むために、敵対国が行う……おそらく最悪の呪詛の一つ。

「……私たちがそんな事をしてしまって……良いと思ってますの?」

「良いとは思っていません、ですが体が死のうとしている時、その腕を絶って体が生きるなら、それも一つの方策です」

「ですが、天女、そんな真似をしたら、私たちの本質まで穢れを背負う事に……」

 小烏丸の言葉に、天女の端正な顔が悲しげに歪む。

「……それは私が」

 

「俺が引き受けよう」

 

「お主……」

「お前たちが為す事、その結果は、俺が全て引き受ける」

 出来るんだろ?

 そう問いかける男から、天女は目を反らしたが、天狗はそれを受け止めた。

 

 人が背負うべき罪穢れを、形代に背負わせ、それを焼き、あるいは川に流す。

 呪術というのは、本来がそういうもの。

 だが、その形代と痛みや穢れを、主が共に負う事で、単に使役するだけの式神では及びもつかない、力を式達は行使できるようになる。

 そんな、普通はあり得ない考えの下で生まれた。

 それが、式姫。

 式に全てを負わせ、己だけが高みの見物をせんとする、そんな怯懦な輩は、如何に陰陽の法を修めようと、式姫の一人も従うことはない。

 そして、共に命を懸けて戦場の血泥の中に臨む覚悟があるならば、只の村の少女であれ、彼女たちの主足りうる。

 

 普通の術者は、式姫と心通わせ、寄り添い、式姫と触れ合う中で徐々にその真実に至る。

 だが、この術の心得すら無い筈の男は、その過程を飛ばして、そこに至ってしまったのか。

 なるほど、偶然とはいえ、建御雷を式姫として従えただけはある。

 

「よくご存知ですわね」

「誰かの主になるってのは、そういうもんだろ」

 反論を許さない様子で、男はきっぱりそう言い切って、一同を見渡した。

「何でもいい、やってみてくれ。頼む」

 そう言って空に視線を向ける。

「いくら強大な神だからって……あいつを一人で戦わせて、苦境に陥ってるのに指咥えて見てるだけなんぞ」

「ししょー」

「お兄ちゃん」

「余りに情けねぇだろうが」

 

 

(ご主人様)

 不思議な縁で、私たちの主になってしまった方。

(貴方様が、私たちの為す事の罪穢れを、共に負うと仰って下さるならば)

 腰を落とす。

 深く息を吸い、止める。

 己の気で、世界を乱さぬように。

 己の内なる気を、他に散らさぬように。

 深く深く、その力を全身に満たす。

(私は、貴方様の運命を切り開く、刃となりましょう)

 朱鞘に収まる、神剣たる彼女の分身の鯉口が切られた。

「ご主人様」

「……何だ?」

 普段無表情な小烏丸の顔が、莞爾と笑みを浮かべた。

 

「この小烏丸、地獄の底まで、ご主人様にお供致します」

 

 腰間より光が迅る。 

 本来は形無き大地の力が、今の小烏丸には、迫る龍の姿としてはっきり見えていた。

 その真向に斬り付けた、その手に衝撃が走る。

 硬い……何より、その力も重圧も圧倒的。

 地脈を絶とうという行為は、大地そのものに斬りつけているようなもの……無理もない。

 だが、無理など最初から承知。

 私は刃。

 抜き打ちに斬り付けた右手の内を引き締め、さらなる力を伝える。

 左腕をたたみ、相手を押し切るように、片刃の背に左肘を叩き付ける。

 ぎしり……と軋む音と共に、小烏丸の刃が、龍に潜り込んだ。

 私は、人がその心魂を傾けて鍛え上げた鉄。

 鍬として大地を穿ち、斧として森を切り開いてきた鉄。

 ずぶり……ずぶりと刀が龍を切り裂いていく。

 私は、人が自然と戦うために手にしてきた、そんな「もの」の精髄が凝って姿を得た、刀の式姫。

 その刃が、大地の精髄を確かに捉えた。

 

「小烏丸……龍殺し仕る」

 


 
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