No.833619

別離   8.戦

野良さん

2016-02-27 01:02:53 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:694   閲覧ユーザー数:683

「罪……ですか」

「違うか、小烏丸よ?」

 自分が彼に式姫の主になるよう、頼まなければ。

 いや、そもそも、自分がここに逃げ込まなければ。

 思えば思うだけ、自分という存在が、彼にとっての疫病神でしかない様に思えてしまう。

 楽しかった数々の思い出すら、その思いの前では苦い。

 

「そう……」

 小烏丸は顔を上げて、大樹の葉の間から空を透かし見た。

 空の青と日の光が、無数の松葉の重なり合いの間を抜けて、複雑な陰影を投げかける。

 人の世も、またこのようなものでは無いのだろうか。

 人と交わった、その軌跡が、その人の心に綾目を刻んでいく。

 罪というのが、その人の刻んできた美しい綾を乱し、汚す行為であるならば……。

「私はそうは思いません」

 多くの人や妖や、式姫の織り成したこの庭が美しいように、彼とこうめが織り上げた様々な物は、小烏丸には、この上なく美しいものに思える。

 

「ですが」

「ですが……何じゃ?」

「こうめ様がそう思われるのも、判りはします」

「大人の答えじゃな」

 どこか苛立ちの混じった主の言葉に直接は答えず、小烏丸はこうめの傍に歩み寄った。

「こうめ様、肝心なのは、あの方がどう思われているか、ではありませんか?」

「それは……」

「行きましょう、こうめさま」

 小烏丸が主を促す。

 こうめと彼と式姫たちが織り成したこの綾を、彼が愛してくれるなら、それは罪ではないだろう。

 それは、小烏丸が知りたい事でもある。

 あの方は、私たちとの時間を、良い記憶の中に留めてくれたのだろうか。

 

 それは結局、本人に聞くしかない。

 そんな事はこうめにも判っている。

 でも、聞くのが怖い。

 怖いと言っても、詰られる事を恐れているのではない。

 

「……彼が、本心を語ってくれると思うか、小烏よ」

 

 自分が傷つきたくないから、別れに臨んで、更に彼に嘘をつかせる……自分がそんな卑怯者になってしまうのが、こうめには怖かった。

 だが、この問題を解決しない事には、こうめは本当の意味で、この庭を去る事は出来ない。

「そうですね……優しい方ですから」

 小烏丸の言葉に、こうめが俯く。

 

 どうすれば良いのじゃ……わしは。

 

 

 男は不意に、自分がちゃんと地面の上に立っている事を感じた。

 重圧は相変わらずだが、少なくとも、自分が今何処にいるのかは、認識できた。

 例えるなら、濁流に流されながらも、流木に掴まれた状況……と言ったところか。

 彼を救ってくれた、小さいけど確かな存在。

 腹周りに感じる、か細い力。

 ぼやけた目に、猫の耳よろしい髪型に結った、可愛らしい頭が写る。

「こう……め?」

 こいつが……俺を引き止めてくれたのか。

 ぎゅっと抱きついてくるその腕に、か細いが必死の力を感じる。

 彼の声が聞こえたのだろう、顔を押し付けたまま、こうめがくぐもった声で、彼に答えた。

 

「一人で苦しむな、足りぬ力なら、足りぬ技術なら、足りぬ知識ならわしらが貸す」

 

 こうめの言葉に、男は、ふっと胸を突かれたような表情を浮かべた。

 ……滑稽だな。

 子供にかけた言葉を、そのまま返されている己は、何と間の抜けた存在か。

 そんな自己嫌悪を覚えると同時に、この言葉に何とも言えない安堵を感じる。

 それに身を預けたくなる……。 

 

 だけど、俺は一人で何とかしないと。

 誰にも頼らずに生きてきた。

 そして、これからも。

 彼女達だって、いずれ去っていく存在達。

 

「こうめ……離れてろ、命の危険があると言ったのはお前だろ」

 それに、男には何となく判った。

 自分の意識に、僅かだが余裕が出来たのは、こうめが、この力を少し引き受けてくれているからだと。

 こんな途方も無い力、こうめのような少女がいつまで耐えられる物ではない。

「嫌じゃ」

 辛い中から絞り出した、弱々しい、だけどきっぱりした言葉。

 確かに苦しい、男の気遣いも判る、だがこうめは嬉しかった。

 祖父の血に連なる者故か、自分にも天女との絆があった。

 主たるには足りないようだが、この力を受け止めてやる位は出来る。

 自分にも、この中で分かち合える事があった。

 どれだけ苦しくても、離したりしない。

「良いから離れてろ、俺は一人で」

 

「ふざけた事を言ってるんじゃありませんわ!」

 彼女の細い体の何処から、という程の天狗の大声が辺りに響いた。

 この男はどうして……こう。

「何でこうめ様の心が判りませんの……この」

 更に言い募ろうとした、天狗の肩に手が置かれる。

 キッとした顔で振り向いた天狗の前に、真剣な小烏丸の顔があった。

「何ですの?」

「……天狗、敵です」

 押し殺した小烏丸の低い声に、天狗が鋭く視線を巡らせた。

 

 藪の間に光る目が。

 地の上で蠢く影が。

 上空で時折、月光を遮る翼が

 

「追手……」

 無理も無い、あの油断のない大妖は、これだけの霊気の動き、すなわち自分の脅威になりうる存在を許しておくほど甘くは無い。

「まだこの屋敷の結界が、大物は阻んでくれているのが、せめてもの救いですが」

「これだけ荒れた状態じゃ、動物さんに取り憑いたような小物は、どうしても入ってきちゃうよね」

 くんくんと鼻をひくつかせていた狛犬の瞳が、夜闇の中に、僅かに光る。

「匂いからして、えーと沢山が沢山って所ッス」

「って訳だ、天狗よー……アタイらはアタイらで、やる事があるみてーだぜ」

「……みたいですわね」

 言葉を費やす時間は終わり……なるほど、あの腑抜けの言うとおりだ。

 だが、これはこれで……。

 

 くすくす。

 

  

「何が可笑しいんだ、天狗よー」

「いえ……」

 羽団扇を一振りしただけで生じた突風が藪を強く揺らす。

 その風で恐れをなしたのか、小さな者達の狼狽の気配が拡がるのを見て、天狗が凄みのある笑みを浮かべた。

「これで、ここに居る全員が命と存在を賭けて戦う事になる、と思いまして」

 

「そうですね……不謹慎ではありますが」

 小烏丸が帯びた刀の鯉口が切ると、硬い鉄が擦れる低い軋みが、静かな庭に響く。

「見ているだけより、気が楽ではあります」

 

「はぁ、戦うのやだなぁ……」

 口ではそう言いながら、白兎が短弓に素早く弦を張る手付きは、熟練の戦士のそれ。

 張りを確かめるように軽く弾いた弦が、ピィンと高く張り詰めた音を立てる。

「でも、死ぬのはもっと嫌だしね」

 

「幾らでも掛かってきやがれ」

 悪鬼の構えた重厚な鉄(くろがね)の刃が、月光を弾いてぬめりと光る。

 戦鬼として昂る血が、体の隅々まで行き渡っていく感触が快い。

「一匹たりとも生かしちゃおかねぇ」

 

「今度は負けないッス」

 その身に倍する長さの槍先が、小揺るぎもせずに、相手を定める。

 逃げるための血路を開くのではない、今度こそ勝利を掴むために。

「本当の突撃を見せてやるッス」

 敵がじわりじわりと距離を詰めて来る。

 彼女達の手ごわさは、嫌と言う程、その身に染みて知っている者達の動き。

 

「包囲を狭めてから、一気に攻め入るつもり……ですかね」

「でしょうね、面白くありませんが、守るこちらとしてはそれを待つしか……」

「守って駄目なら攻めるッス」

「お、おい、待てって、狛犬!」

「こうめ様達を守らないと駄目なんだよ」

「守るなら、近付けないのが一番ッス、つまり先に蹴散らすッス」

「そんな、無茶な」

 呆れた様な小烏丸の後ろで、天狗が顎に手を当てた。

「……一理ありますわね」

「ちょ、ちょっと天狗?」

 珍しく慌てたような表情を浮かべた小烏丸を面白そうに見て、天狗は肩を竦めた。

「こちらは少数の上に援軍のあても無し。防備を固めても、先がありませんわ……」

 まして、天女と主人を欠くこちらは、明らかに持久戦では不利。

 ならば、短期決戦で相手に打撃を与え、士気を削ぎ、退かせるしか手はない。

「それじゃ、良いッスか?!」

「存分に!」

 

「うおーーーー突撃ッスーーーーーーーー!!!!!!」

 

 もはや彼女の突進を阻む物は何も無い。

 穂先を天に振り上げ、いわゆる剣術で言う所の八双に構えた狛犬が、途方も無い速さで走り出す。

 虚を突かれ、動き出しが一瞬送れた敵の群れに、唸りを上げて、長大な槍が振り下ろされた。

 その槍の軌道上に居た鳥のような妖が、槍先に掠られただけで真っ二つに引き裂かれる。

 だが、その程度では勢いは止まらない、狛犬が突進しながら振り回す槍の範囲に居た不幸な敵が、唸りを上げる柄に打たれ、体をひしゃげさせながら、右に左に、天に地に、叩き付けられ、弾き飛ばされる。

「すごーい、狛犬ちゃん」

「力余りすぎじゃねーか、あいつ……」

「生きた暴風ですわね……白兎さん、巻き込まれない辺りから援護を、バカ悪鬼は白兎さんを守りつつ、狛犬さんを抜けて来た敵の始末を」

「うん」

「しゃーねーな、今は言う事聞いてやらぁ」

 二人が走り出す。

 それを見送った小烏丸と天狗が、お互いの顔を見交わした。

「それで、天狗……私は?」

「貴女はこうめ様の護りを」

 あの方の最後の言葉と願いを託された貴女がそれを。

「天狗は?」

「私は……そうですわね」

 見上げた空に掛かる月が黒く濁る。

 あいつも動き出したのか。

 今はまだ、この屋敷の結界に阻まれているようだが、それも時間の問題だろう。

 近隣の神域を制圧して得た圧倒的な妖気が、周囲の景色を暗く歪める。

 あの方が、私達を率いても勝てなかった。

 

 もう駄目かも知れませんわね……。

 

「そこの腑抜け」

「……ん、だよ」

 あの力の奔流の中、それでも返事を返して寄越すとは大したものだ。

 こうめ様とのやり取りを見ていても思ったが、人に弱みを見せるのが嫌いなんだろう。

 全く……。

 天狗は内心で苦笑した。

 

 この男は、本当に、昔の私に良く似ている。

 

「私達の主になると言いましたね」

「ああ」

 

 こんな状況で、まだ躊躇い無く、そう言えますの。

 強情というか、腹だけは据わっているというか。

 知識や力が足りてないのは不満ですけど……まぁ、たまには、こんなのも。

 

「確かに天女さんとの絆は結ばれましたわ、でも、主人にはなれてませんわね」

「……」

 顔をしかめたのは、どこかにその自覚があるからだろう。

「手がかりを教えて差し上げますわ」

「頼む……」

 この期に及んで勿体ぶって、そう言いたげに男の顔が皮肉にゆがむ。

 

 意地悪をしている訳ではありませんのよ。

 時間は無論惜しい、答えを教えれば、それで済むなら、天狗もそうしている。

 

 答えを口にしてしまうと、簡単そうに思えてしまって、逆に答えから遠ざかってしまう。

 

 この答えはそういう物。

 とても簡単で、とても難しい。

 だからこそ、自分で答えに辿り着き、その答えを受け入れる必要がある。 

 

「一つ、こうめ様は何故、あなたの言葉をあなたに返したのか?」

「何?」

「二つ、自分から出た言葉なのに、その言葉は確かにあなたの心を揺らした……それは何故か?」

 もっと術の専門的な話を期待していたのだろう、訝しげな顔で、男は天狗を見返した。

「それが手がかり?」

「ええ、その答えが、すなわち……まぁそういう事ですわ」

 

「何の判じ物……だ」

「手がかりである事は保障しますわ。しっかり考えて下さいませね、腑抜けの上に阿呆で鈍感では、この先話にもなりませんもの」

「言って……くれる」

「ええ、言いますわよ」

 ばさりと力強く打った翼が、彼女の華奢な体を宙に持ち上げる。

 

「いずれ、私の主になって頂くのですから……ね」

 

 そう言い残し。

「天狗?まさか、一人では無茶です!」

 引き止めようとする小烏丸の手が宙を掴む。

「私は、空へ」 

 彼女は、戦いの空へ飛び立った。


 
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