No.825534

別離   4.池

野良さん

2016-01-18 07:07:33 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:807   閲覧ユーザー数:791

 庭を斜めに貫く、ちょっとした小川の流れを辿る。

 穏やかな流れだが、水量は豊かで清冽。

 その流れの中に、時折魚の鱗が光を弾く。

「水音は良いな……心が穏やかになる」

「命の源の音ですから」

 小烏丸の言葉にこうめは頷いて、まぶしい水面に目を細めた。

 その細めた目の中に、くらかけみやが、左右にゆっくり尻尾を振りながら、釣り糸を垂れている姿が見えた。

「な……」

 あわてて見開いた目には、ただ、春の景色と変わらぬ小川の流れだけ。

「どうされました?」

「……いや、何でもない、気のせいじゃ」

 あの無口な猫姫がここに居るわけが無い。

 こうめの記憶が見せた幻だったのか、それとも、あの猫姫の想いがこの庭に凝っているのか。

 だとしても、無理は無い。

 くらかけみやばかりではない、ここに集った皆がこの庭を愛していた。

 暖かい陽だまりのような、この場所を。

(すまぬ)

 いたたまれない想いから逃げるように、僅かに足を速めたこうめの眼前に、この小川の源が姿を見せる。

 緑広がる庭の中に、澄んだ水を一杯に湛えた池。

 

「見事」

「綺麗ですね……本当に」

 向こう岸に渡るのに小舟が欲しくなる程の広壮な池には、立派な朱塗りの橋が架かり、一幅の絵となっている。

「そうじゃな、最初の姿を知っておる、我らにしてみれば尚更感慨深い……な」

 これが、藪の只中に暗く淀んでいた水溜りのような代物だったと知っているのは、この庭に数多集った式姫たちの中でもほんの一握り。

 

「この庭は、今は弱っておるが、間違いなく日ノ本屈指の霊地じゃ、祭儀を復活させて霊力を蘇らせれば、わしらの本拠として申し分ない……何か、そういった祭祀を行った痕跡は無いかの?」

「この塀で区切られただけの藪で、そんな結構な物があると思うかい?」

 男の言葉に、少女達は濡れ縁から広い庭を見渡した。

 葦や雑草や潅木や苔にびっしりと埋め尽くされた土地は、確かに男の言うように、庭というよりは藪原のそれであった。

「確かに……少々その、野趣に溢れすぎていますねぇ」

「これは野趣などという物ではなく、野面と言うのですわ。人が住む所とも思えませんわね、これで平気だなんて、貴方、狢か狸が化けてらっしゃるんじゃありませんの?」

 天女が苦心して選んだ言葉を、傍らの天狗が即座にぶち壊す。

 物の怪に追われてとはいえ、押し掛けて来た少女達のずうずうしい言い種に、男は苦笑した。

「ま、勘弁してくれ、天文官とは名ばかりの左遷役人の四代目じゃ、分不相応に広い庭の手入れまでは手が回らんよ」

「どの位広いのじゃ?」

「さてねぇ……ひい爺さんはやり手だったらしくて、この辺りの地頭に成り上がってな、使用人用の長屋やら馬小屋やら味噌、酒、醤油を造ってた蔵やら、色々建ててたと聞いてるんで、かなり広いとは思うが」

 今はこのザマでな。

 苦笑しながら男は肩を竦めた。

「三代目が家を潰すとはよく言ったものですわね……この場合は四代目ですか」

「墓は三代続かないとも言うよな、上手く言い当てるもんだよ、本当」

 自嘲でも何でもなく、心底そう思っている様子の男の言葉に、天狗は複雑な顔をして、それ以上の言葉を口にするのを止めた。

「でも、母屋の周りは綺麗にされてますね、殿方お一人とは思えないほど」

 確かに天女が言うように、門から母屋に至る道や、家の周囲に作った僅かな畑や納屋など、彼の生活圏と思しき部分は、華こそ無いが、過ごしやすく整えられている。

 彼が言うように、妻は愚か使用人も置かずに一人で住まいしていたというなら、寧ろ身奇麗に住んでいると言うべきだろう。

「暇なんでね、身の回りの事くらいは多少はやるさ」

「その暇を、家門の再興に充てるつもりはありませんの?」

「家門だ名誉だなんて、そんな阿呆臭い代物の為に、今不自由してないのに気苦労と命の危険抱え込めってか?」

「腑抜けですわね」

「仰せのとおり」

 挑発するような天狗の言葉に、男は気のない言葉を返してあくびをした。

 

 

「その辺りの事情は、この際どうでも良いが、その景気の良かった時代の話で何か伝え聞いておらんか……塚があったとか、社があったとか、何かを祀っておったとか」

「蔵毎に神棚程度はあっただろうけど、そういう気の利いた代物は無かったと思うぜ、まぁ俺がガキの頃から既にこのザマだったから、知る由も無いんだが」

「ふむ、それは難儀じゃの」

 考え込むこうめに、男は逆に問い返した。

「お前さんは、その場所とやらを、占いか何かで探せないのか?」

「わしは……その」

「こうめ様は、そういった事は不得手ですので」

 口ごもるこうめに変わって、傍らに控えた小烏丸が、控えめに言葉を返す。

「ふむ……しかしどうする、その祭祀の地とやら、探さないと駄目なのか?」

「今はまだ良いですが、適切な祭儀を復活し、霊気を回復しないと、いずれこの屋敷も物の怪の襲う所となるでしょうねぇ」

 それでも良いですか、と言いたげな視線を向けた天女に、男は肩を竦めた。

「そいつは勘弁して欲しいな……それじゃ仕方もねぇ、この藪、全部刈るか」

「刈るなら突撃するっス」

「斧でぶんぶん刈り取るぞー」

 それまでのやり取りをつまらなそうに聞いていた悪鬼と狛犬が、体を動かす話に俄然食いつく。

「これだからバカ悪鬼は……いくら疲れ知らずで怪力の貴女でも、この庭の藪を全部刈り取るまでに、どの位掛かると思ってますの?」

「んだとー?それじゃお前は何か良い知恵でもあるのかよ、天狗」

「知恵と言うほどの物ではありませんけど」

 そこで言葉を切って、天狗は庭を見渡した。

「空から見た所、この庭は小さな都のようなしつらえでしたわ、私達の今いるこの場所は内裏、あちらの朽ちた長屋は西京、私達の飛び込んできた門は朱雀門と言った所でしょうか」

「ふむ……都を模して庭を造るとは、俺のひい爺さんは随分と野心家だったのかね」

 恐れ多いこった。

 そう口にしつつも、ひ孫の方も負けず劣らず不遜な表情で顎を撫す。

「一概にそうとは言えませんよぉ、結局霊的に安定した土地を作ろうと思うと、四神相応という考えに基づく、あの造り方に落ち着くみたいですから……ああ」

 何かに思い当たった様子の天女と軽く頷きあってから、小烏丸が引き取るように口を開く。

「なるほど、都で地脈の要を占める位置が判れば、この庭の要もそこにある可能性が高い、という事ですね」

 小烏丸の言葉に、御明察と言いたげに、天狗は頷いた。

「ええ、まずはその辺に当たりをつけて探せば、手間は大幅に省ける筈ですわ」

 どうです、と鼻高々に天狗が一同を、中でも悪鬼を殊更に見渡す。

「……ふ、ふん」

 賛同の頷きの中、狛犬の気楽そうな声が上がる。

「それで、そのかなめってのはどこッスか? すぐ突撃するッス」

 

 ……。

 

 一同の間に沈黙が落ちる。

「……天狗?」

 こうめの促すような問いかけに、天狗は僅かに赤らめた顔を背けた。

「……生憎ですけど、私、地鎮や造営の祭儀に関しては、それほど詳しくありませんの」

「しらねーって事かよ!役にたたねーな、スカシ天狗!」

「教養程度なら兎も角、専門化された知識の深さを知らないから、そういう大雑把な事が言えるんですのよ、バカ悪鬼!」

「にゃにおー、人をバカ呼ばわりする前に、お前だって物知らずって事じゃねーかよ」

「何ですって、やりますの?!」

「望むところだこんちくしょー!」

 一触即発。

 今にも悪鬼と天狗が取っ組み合いを始めそうな雰囲気の中。

 

「池じゃ」

 

 こうめの声が静かに響いた。

「池?」

 怪訝そうな男の声に、こうめはどこか自信ありげに頷いて見せた。

「そう、龍が水を飲みに来る……龍脈を導き、留まらせるために必要な場所。池は無いか?あれば、その近くに、霊気を留める何かがある筈じゃ」

 

(大地の中には龍がおってな、その龍は喉の渇きを癒すため、清き水がある所を必ず通るのじゃよ、そしてその時、大いなる力をその地にもたらしてくれる……だからこうめ、水を綺麗に使うんじゃ、汚してはならん)

 祖父の言葉が蘇る。

 自信は正直無い。

 だが、今は祖父が彼女を助けようと囁いてくれたのだと、こうめは信じたかった。

 

「池なら有ったとは聞いてるぜ、外から小川の流れを引き込んでた筈だが……場所となるとなぁ」

「上からは判りませんでしたわ、小川も絶えているのでしょうね……まぁ敵の存在を気にしながらざっと見ただけなので、確とは言えませんけど」

「んじゃ、もっかい見て来りゃいーだろー」

「そろそろ日が落ちるというのに、暗い中で判るわけ無いでしょ、これだからバカ悪鬼は」

「なんだ、鳥頭の上に鳥目かよ、やーい鳥」

「ななな、なんですってぇ!もう勘弁なりませんわ。闇炎で、その役に立たない唐茄子(かぼちゃ)頭を松明にしてさしあげましょうか!」

「うっせー、火が出せるなら、それ灯して見て来い、ニワトリ女!」

「お主ら、いい加減に!」

 

「あれー、賑やかだね、どうしたのー?」

 

 藪の中からかわいい声が響き、桃色の耳がぴょこんとその間から飛び出す。

「あら、白兎ちゃん」

「そういえば居ませんでしたね……どちらに?」

 そう問いかける天女と小烏丸に、笑顔を返した小柄な少女はぴょんと縁側に腰を下ろした。

「えへへ、広くて楽しそうなお庭だったから、あちこち探検してきたんだよー、まだ半分も見られてないけどねー」

「この荒れ地が楽しい……ですか」

「私元々がウサギだからね、春にこういう所歩くの大好きだよー、ほら、七草とは言わないけど、色々採れたから、ご飯にしよ~」

 お腹すいてると怒りっぽくなるからね。

 白兎のかわいい手から、縁側に柔らかい春の恵みが並ぶ。

 フキノトウ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、そして。

「セリ?」

 清流のほとり、田の畦。

 清き水ある所に生える、春の七草。

「白兎、これはどこに生えておった?案内せい」

「白兎ちゃん」

「白兎」

 気色ばむ一同をのんびりみて、白兎はにっこり笑った。

「みんなそんなにお野菜好きだったっけ?」

「そういう訳じゃねぇが……帰ってきたばかりの所悪いんだが、ちょっと案内頼めるか?」

 すまなそうに言う男の顔を下から覗き込んで、白兎はにぱっと笑いかけた。

「良いよー、まだ一杯生えてたから、みんなで持って帰ってお浸しにしよ」 

「いざ、突撃ッスー!」

「狛犬ちゃん待ってよー、場所わからないでしょー」

 

「あれは、想像以上の荒れ方じゃったな」

「ええ、天狗が上から見ても判らなかったのが頷ける惨状でしたね」 

 面を隠すように、一面に葦が生い茂った池。

 蚊遣りを炊きながら、あれから必死で藪を切り開き、葦を刈り払い、落ち葉が溜まって遮っていた小川の流れを取り戻して、池に溜まった泥を浚って。

 

「あれはあれで、楽しかったの」

「こうめ様と天狗は文句の言い通しでしたけどね」

「……そうじゃったかの?」

「ええ、汚れる、蚊がいた、ヒルがいた、蛇がにょろりと這い出したと、それは大騒ぎで」

 つい昨日の事の様に語る小烏丸に、こうめは苦笑を向けた。

「まぁ記憶とはそんな物じゃ……思い出というのは、あまり苦しかった事は留めぬようじゃでな」

「そうですね……」

 

 人は、そうなんですね……。

 

 そう口の端に上せかかって、小烏丸はその言葉を飲み込んだ。

 言っても詮無い事。

 それこそがうつろう者であるこうめ達と、うつろわざる自分達の差。

 

 私達は忘れません。

 こうめ様と、あの方の勲を。

 この庭に集った式姫たちの戦いを。

 誰が忘れようと、私達だけは覚えています。

 そして、きっと……あなたも覚えて居てくれますよね。

「ご神木様」


 
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