No.836096

別離   10.神

野良さん

2016-03-07 21:56:57 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:599   閲覧ユーザー数:590

 祈りを終えて目を上げる。

 拭き清められた祠には、こうめの供えた大きなおにぎりの隣に、自然に折れたと思しき桜の一枝が供えられていた。

 綻びかけた、少し濃い紅は、山桜のそれか。

「……朝も早くから、マメな男じゃな」

 賞賛の言葉というよりは、どこか嫌味の風情が漂うこうめの言葉に、小烏丸は苦笑した。

 他の女性への贈り物は、神への供え物でも面白くないらしい。

 成程、恋する乙女は面倒くさい。

「ふふ」

「わしが、何か可笑しな事でも言うたか?」

 機嫌の悪そうな主人の気を逸らすように、小烏丸はあいまいに微笑んだ。

「いえ、あの方は大雑把なようで、良く私たちの事を見てくれて居たなぁ、と思いまして」

「お主らのような美姫揃いなれば、男子が鼻の下を伸ばして仔細に見ておっても不思議は無いわ」

「また、そのような……」

「ふん、かぶきりの胸元やおゆきの襟足を見るあの目つき、お主らにも見せてやりたかったぞ」

 まぁ、その辺は殿方ならば、ある程度仕方ないと思う。

 寧ろ、傾城傾国と呼んでも差し支えない姫君たち相手に、良く理性を保っていた物だと感心する程。

「そうだったんですね……でも」

 私達が、あの方の視線を、客観的には意識できなかったように。

「でも……何じゃ」

「いえ……」

 あの方がこうめ様に向けていた優しい目が、どれだけ私達に羨ましかったか……こうめ様には多分判らないのでしょうね。

 

「この樹を……砕いた?」

 天女の顔が強張る。

「そう、君が復活させようとしているこの樹は、ボクが打ち砕いた」

 天女の声が緊張を孕んだ事は気が付いて居るのだろうが、声の主にしてみると、その反応も面白がっている風情がある。

「何故?!」

「質問を返すようで悪いけど、ボクからも聞きたい事が有ってね」

 先にいいかな?

 軽くそう口にされた言葉に込められた威圧感に、天女は我知らず頷いていた。

「そう緊張しないで欲しいな、話を聞く為ではあるけど、君に掛かっていた力を少し軽くして上げたのはボクだよ」

「あなたが?そんな事……」

 天女の声に驚愕が滲む……だが、今の自分の状況を見れば、それが嘘ではない事も判る。

「本来やっちゃいけないんだけど、今は特別だからね」

 肩を竦めるような気配に続き、軽いため息。

「まぁ、それは良いよ。問題は君達さ……何がしたくて、この樹を復活なんてさせようとしてるんだい?」

「それは……この樹が、この土地の霊気の源だからです、だからそれを復活させて、この土地の結界を復活させようと」

「それだけ?」

 表情は相変わらず見えないが、声に不審の響きが混じる。

「ええ」

「ふぅん……この家の主に頼まれたの?」

「いえ、彼はこの樹の存在すら知りませんでした」

「知らなかった?本当に?」

「ええ、余程に演技に長けているなら別でしょうけど」

「そうじゃない、と言えるのかい?」

 そうなんだろうか。

 彼もまた、この突発の事態を奇貨として、式姫の力を得ようという野心を、その笑顔の仮面の下に隠した……。

 否。

 天女は頭を振った。

 

「ええ、違います」

 

 天女の力強い断言に、その存在は何か言い返したそうな雰囲気をしばし見せていたが、軽く首を振って別の言葉を口にした。

「成程、一世代で忘れられるか。人の記憶は儚いものだね……」

 低い呟きの後に、しばし沈黙が続く。

「私から聞いても良いですか?」

 どうぞ、と言うように、頭が振られる。

「この樹は何なのです?結界の要のご神木では無いのですか?」

「まぁ、大体は君の見立て通りではあるんだけど……」

 そこで言葉を切って、その存在は切り株に優しく手を当てた。

「この土地は地震が多く、飢饉なども多い土地だった……そこで京から来た一人の男が、この地の平安を願い、要の地にこの樹を植え、そこに良い気をもたらすために、地相や家相術の粋を集めて、この庭を作り上げた」

 その言葉に、天女は軽く頷いた。

 この地を京と見立てた天狗の目は、どうやら正しかったらしい。

「ただ、それでは足りないと思ったのか、もう一つ、彼は人が喜びの裡に働き、愛し合い、子を為し、そして恨みを残さず良き死を迎える、そんな循環が続いていくような世界を作り上げた……人がこの場所で生きることを愛し、感謝してこそ、この地はより強固になる、それを知っていたからね」

 

 ひい爺さんはやり手だったらしくて、この辺りの地頭に成り上がってな、使用人用の長屋やら馬小屋やら味噌、酒、醤油を造ってた蔵やら、色々建ててたと聞いてるぜ。

 

 彼の言葉が蘇る。

 そういう事だったのか。

 どうも、左遷された天文官と地頭という二つが結びつかなかったのだが、そういう話なら頷ける。

 恐らく、やんごとない筋からの命で、この地に安定をもたらすために、彼の曽祖父は赴任して来たのだろう。

 

「二つの力に支えられ、この樹は霊樹として、ありえない程早く、そして強く育ったんだ……神々も驚き、そして喜んだ……最初はね」

「最初は?」

「そう……最初は」

 声が僅かに暗く沈む。

 

「人という力を組み入れたのが、成功の元であり、また失敗の種を宿していた」

 

「失敗……」

「君が、今目にしている通りさ」

 枯れ果てた神木、荒れ放題の庭、朽ちた建物。

 その滅びたかつての栄華の地で、彼は何を思い、一人で生きてきたのか。

 

「それに気が付いた時は、もう手遅れだった」

 

 最初の契機は、妖狐に唆された一人の商人の訪ない。

 もっと豊かになれます。

 酒も味噌も醤油も馬も、ここで出来たものは全て高く売れます。

 元になる米や大豆が足りなくなった?

 他から奪えばよいのです、金もあり、人も居る。

 武器なら、私が幾らでもご用立て致しますよ。

 なぁに……力有る者は、皆やっている事です。

 

「大樹に集まる気はどんどん濁って行った……ただ、濁っていても穢れていても力には違いない。全てをお構い無しに、この樹は取り込んでいった」

「神に成りかかりの存在は、そうですね」

「そう、赤子みたいな物だからね、手当たり次第に気を取り込んでしまう……正邪善悪お構いなし、神となるか妖怪となるかなんてのは紙一重さ」

 

 この地が強勢になるにつれ、庭に人がどんどん集まってきた。

 尽きることの無い欲望が、更に強大な力となって大樹に注がれて行き、育った大樹は禍々しい加護を、この庭に集った者たちに与えた。

 やがて、収奪と嘆きがこの地を覆った。

 それを主導したのは、この庭の二代目。

 父の願いを踏みにじり、そして、その行いは父の行いを無にする所か、全てを最悪の方向に導く物になってしまった。

 

「これだけの霊樹を使って封じようとしていたものが何か……今の君なら判るんじゃ無いかな?」

「ええ」

 この樹の命の根に触れた天女には確かに判った。

 この樹の下、その根に封じられていた大いなる存在。

 

「地龍の封、つまり地震封じ」

 

 天女の答えに満足そうに頷いて、その存在は言葉を継いだ。

「そういう事、この樹、そしてこの庭は巡る良い気を地龍に送り、それを鎮める為にあった」

 その言葉に、天女の顔が僅かに強張った。

「では、その気が濁れば」

「……地龍もやがては濁りはて、地震を起こすだけじゃなく、この世界に顕現して暴れだす……あの狐の目論見はそれさ。そして、それは殆ど成り掛けていた」

 世界が混迷し、悪しき気が増せば増すほどに、あの大妖狐は力を増す。

 それを座視する訳には行かなかった。

 

 既にこの庭を覆うほどだった大樹を、ある日、天地を引き裂くような霹靂が襲った。

 二つに裂けた樹が、間髪を置かず炎に包まれる。

 炎を纏った、丸太のような枝がこの庭の中に住まう、多数の兵と馬を家さら薙ぎ倒した。

 

「ボクが砕くしか無かった」

 

 その言葉の後に、しばし沈黙が続いた。

 無数の悔恨と、そして諦念の入り混じった沈黙。

「そして、ボクはこの樹に宿り、代わりに地龍を押さえて来たのさ……間抜けな事だよ」

 自嘲するように、その存在は低く笑った。

「さて、ボクがこの樹の復活を懸念する理由は判ったかな?」

「そうですね、良く判ります」

「判ってくれて嬉しいよ」

 その何気ない言葉には、どこか天女の背筋を寒くさせる響きがあった。

「何を?」

 その存在が無言で手を上げる。

 光り輝く姿の中、一際眩い光がその手に凝った。

 その指差す先。

「駄目!」

「悪いとは思ってるけどさ」 

 男と、そしてこうめの姿。

「何故お二人を?!」

「理由はどうあれ、この家の子孫が式姫を使い、この樹を復活させようとする……途方も無く危険だよ」

 その存在は、否定するように、ゆっくり頭を振った。

 

「災いの芽は、早い内に摘まないとね」


 
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