No.835116

別離   9.妖

野良さん

2016-03-04 00:15:36 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:680   閲覧ユーザー数:660

 思いに沈んでいたこうめが、何かを振り切るように顔を上げた。

 その顔にはまだ迷いが残っては居たが……。

「何はともあれ、挨拶をせねばな」

 大樹の根方に設けられた、小さな祠。

 だが、こここそが、この庭の要。

「小烏丸」

「これに」

 手を伸ばしたこうめに、小烏丸は弁当とは別に用意した包みから大きなおにぎりを取り出し、手渡した。

 祠の前に置かれた綺麗なお椀に、それを供える。

 こうめが母から受け継いだ技の粋を集めた梅干が、その中に握りこまれている。

 ぱん ぱん。

 静かな庭に、主従の柏手を打つ音が響く。

「……」

 目を閉ざし、祈る。

 二人が願うことは一つ。

 

 どうかこの庭が、私達の宝箱が……ずっと平和でありますよう。

 

 空に舞い上がった天狗に向かって、無数の羽音が向かってくる。

 一つ一つは小さなものだが、それが幾百と重なると、雷鳴に似た轟となる。

 夜に狼と共に現れるという送り雀や、かの神鴉の眷属の末流に連なる三つ足を持つ烏。

 それぞれ、大して害の無い小妖怪や、神域でひっそり暮らしていた霊鳥。

 その目が、全て血の色を透かしたように赤い。

 もう、手遅れか。

 その目に、もはや正気の色は無い。

 ただ、何かに駆り立てられるように、爪と嘴で天狗を引き裂こうと、殺到してくる。

「無駄な事を」

 天狗が手にした羽団扇を一閃すると、青い炎が天狗を彩る羽衣のようにふわりと拡がる。

 だが、優雅に見えたのはほんの一瞬、その炎が、突風と共に、襲い来る鳥達を包み込んだ。

 ギィギィ、ギャーギャーと上がる絶命の叫びや断末魔の羽音を厭うように、素早く上昇した天狗が、その様を見下ろす。

 無数に舞う羽に青い炎が移り、蛍のようにふわりふわりと闇の中を漂い、そして散っていく。

「……操られて、こんな所で散るなんて」

 痛ましさに目を伏せる、その天狗に、青い炎を貫いて何かが襲い掛かってきた。

「油断だな」

「……なっ?!」

 二つの影が、空で交錯した。

 

 

 当たるを幸い、敵を縦横無尽に薙ぎ倒していた狛犬の槍が、何か堅い物に阻まれた。

「ッ……!」

 手が痺れる、だが、槍を取り落とす前に小脇に抱え込んだ狛犬が、体さら槍を振り回し、群がろうと殺到した敵を弾き飛ばした。

「……やはり来たっスか!」

 透明な壁の向こうに、巨大な獣の姿がある。

 どことなし愛嬌のある顔立ちをした妖怪で、本来はいたずら以上の悪さをするような輩では無いのだが。

「ぬりかべ」

 夜の闇の中、三つの眼が怪しく光る。

 あの妖狐の尾の力を分け与えられた、いわば分身の一体。

 ぬりかべ、神木の精霊、五十鈴の神霊、猿神、大鯰……。

 皆、元は穏やかな妖怪達ばかりだったのだが。

 だが、彼らに情けを掛けていられる状況ではない。

 眼前に立つなら、倒す。

 

「その壁、ブチ抜いてやるッス!」

 今度は槍を腰溜めに構え、槍先をぬりかべに向ける。

 全身全霊を込めて、一点を真っ直ぐに刺し貫く構え。

 だが、先ほど弾かれた時に痺れた手が、微妙に槍先を揺らす。

「うおーー、気合ッスーーーー!」

「気合もいいけど、少し休んどけよ」

 気力で力を込めようとする、その狛犬の隣を、悪鬼が駆け抜けた。

「悪鬼?ずるいッスよ!」

 慌てて狛犬が悪鬼を追って駆け出す。

「どっちがだよ、ちっとは、アタイにも獲物を回せって」

 肩に担ぐように構えた斧の重厚な刃が、走る勢いそのままに鋭く打ち下ろされた。

 その刃もまた、ぬりかべの前の空間で見えざる壁に阻まれる。

 拮抗する力。

 分厚い壁がこちらに倒れてくるような重圧が、悪鬼の腕に掛かる。

 こうして押し潰されて、何人の神主や僧侶、兵士が犠牲になったか……。

 あの日まで、花に溢れ、穏やかだった神社が、この獣一体の力で血に染まるまでに、幾許の時間も必要なかった。

(今度こそ負けねぇ)

 そこに壁があると判っていれば、それを打ち砕く為の力の使い方も出来る。

「……っらぁ!」

 溜め込んだ怒りと鬱憤の全てを叩き付ける様に斧を振りきろうとする悪鬼の力が、ぬりかべの力を押し戻した。

「狛犬も居るッスーーーー!」

 そこに、狛犬が文字通りの突撃を掛けてきた。

 あれだけの物の怪を蹴散らした力を、今は槍先一点に集中して、文字通り体ごとぶつける。

 途方も無い力をたたきつけられた壁が、流石に消えうせる、その力の反発でぬりかべが吹き飛ばされ、大地に転がった。

「頼む、白ウサ!」

「おまかせっ」

 藪の中に身を潜めていた白兎が飛び出すと同時に、矢を番え、それを射放った。

 狙うのは額の目。

 そこが奴の急所だと教えてくれた、今は亡き人の為にも絶対に当てる。

 グルルル

 地響きのような呻りと共に、ぬりかべの額の目が怪しい光を放つ。

 矢がぬりかべに届く、まさにその眼前。

 そこで白兎の矢が弾かれた。

 

「ちっくしょー、駄目かっ!」

「駄目じゃないんだよねー」

 

 ぎゃん

 

 つんざくような悲鳴が上がった。

 白兎の大好物のにんじんの葉を思わせる緑に塗られた矢が、ぬりかべの、妖しの命の源に突き立っている。

「おー、やるじゃねーか」

「さすがッス」

 一の矢を射放つと同時に、小指と薬指で持っていた二の矢を番え、射つ。

 狙いの確かさと、威力を秘めた必殺の速射が、狛犬と悪鬼の一撃の上に、一の矢を防いだ事で力を弱めた壁を貫いていた。

 

 彼女達の眼前で、のた打ち回っていたぬりかべの姿が薄れ、消える。 

 この世に留まる力を失った妖しの存在達は、こうして自然の気に還る。

 それは、彼女達も同じ事。

 この身はかりそめ、世界を巡る気の形を変えた物に過ぎない。

 だけど……だからと言って空しい物ではない。

 様々な想いが形を取った命は、無碍にして良い物ではない。

「……ごめんね」

 だから……せめて祈りを。

 

「それにしても、ぬりかべまで入り込んで来たなんて」

 既に入り込んできた妖怪達の妖気で、結界が中から力を奪われているのか。

 あれだけ狛犬が蹴散らし、悪鬼や白兎が妖怪を打ち倒したにも関わらず、彼女達を押し包もうとする妖気は減るどころか、その圧力を増すばかり。

「あんにゃろが来るのも、時間の問題……だな」

 皆感じている。

 あの大妖の存在が、ひしひしと迫ってくるのを。

 

 悪鬼たちの見上げる月が、禍々しく赤黒い色に染まる。

 

 その月を背に、二つの影が交錯する。

「あの速さ、白天狗ッスね」

 狛犬がくんくんと匂いを嗅いでから顔をしかめたのは、あの凄まじい速さを誇る難敵の存在を認めた証拠であろう。

「嘘……天狗ちゃんが一人で相手してるの?!」

「あんの、阿呆鳥」

 どこまで格好つけの強情っ張りなんだ、あのバカは。

「白ウサ、こっちは良い、天狗の助けに回ってくれ」

「うん!」

 音も無く走り出した白兎の体が、すっと藪の中にまぎれる。

 密集した藪の中だというのに、葉が揺れることも無い。

 それを見送った狛犬と悪鬼が顔を見合わせた。

 二人とも、天狗が何故あんな無茶をしたかは判っている。

 ならば、その覚悟を無駄にはすまい。

「ま、アタイらのやる事は一つだよな」

「そッスね」

 にやっと笑い、二人は得物を構えた。

 

「突撃ーーーーーーっ!!!!」

 

 判っては居た事だが、対峙してみると更に速く感じる。

 浅手ではあるが、天狗の白い手足に、白天狗の蹴爪で付けられた傷が、幾つも赤く走る。

 さすが、あの大妖から空の妖の束ねを任される存在。

 だが、それだけに尚更。

(近付ける訳には行きませんわ)

 地上の敵だけを相手にしているなら、あの面々はそうそう後れを取ることはない。

 だが、上空に意識を向けては、その切っ先がどうしても鈍る。

 私が……やらないと。

 キッと顔を上げる天狗を、僅かに上空から白天狗は見下ろした。

「我ら天狗は、高慢の病を良く患う物だが」

 白天狗の顔を覆う仮面の向こうから、くぐもった、だが明らかに嘲弄の響きを伴う声が聞こえる。

「その程度の翼と術で私を倒そうとは、高慢ではなく、阿呆の故と言われても仕方ないぞ?」

 その白天狗の言葉に、天狗が肩を震わせた。

 悔しさ故。

 一瞬そう見えたが、白天狗の耳には、紛れも無い、彼を嘲る様な低い笑い声が聞こえた。

「何がおかしい?」

「確かに、さっさと強者に付いた貴方は賢いですよ」

 いち早くあの大妖の僕となり、その力の一部を分け与えられ、強大な力を得た白天狗と、主を失った自分の力の差は、今となっては埋めがたい物がある。

 世の普通に照らせば、白天狗の行動の方が正しいのだろう。

 

 でもね。

 

 天狗の口元に蔑む様な笑みが浮かぶ。

 曲げてはならない節という物を失った存在など、神どころか人、否、畜生にも劣る。

「貴方のような、小ざかしい腰抜けを賢明というなら、私は阿呆で結構ですわ」

「弱いものは皆そう言って、空ろな正しさで己を慰めるものだ」

 白天狗の力強い翼が風を巻き、その体を更に上空に運ぶ。

「貴様のような負け犬が天狗を名乗るのも不愉快だ、そろそろ滅べ」

「負け犬……ね」

 主を失ってなお、勝ち目の薄い相手に戦を挑む式姫など、確かに負け犬なのかもしれない。

 だが、自分にはまだ爪も牙も、そして、それを突き立てる意思が残っている。

「では、負け犬の意地を見せて差し上げますわ」

 

 ぱしゃん。

 水音が響く度、闇の中で白刃が閃き、短い悲鳴と共に、妖しの気配が消えていく。

 この大樹、そして天女とこうめと男が、池に囲まれたこの場所に居るのは、不幸中の幸い。

 小烏丸はこの池を陣に見立て、そこを踏み越えて来た物を、最小の動きで斬っていた。

「増えてきた」

 表情こそ変わらないが、短く呟く小烏丸の声音に、僅かに焦りが滲む。

 皆の攻撃で押し戻された敵が、数に物を言わせて押し戻しているのが、小烏丸にも判る。

 早く天女たちが自由になってくれないと、逃げることもままならない。

 祈るように、男とこうめ、そして天女に目を向ける。

 だが、何も変わらない。

 自分達が時間を稼いでいる、この行為も無意味なのか。

 結局、あの圧倒的な力に飲まれるだけなのだろうか。

 

 こうめを守ってやってくれ。

 

 その主の最後の言葉すら、自分は守れないんだろうか。

 

 ぱしゃん、ぱしゃん。

 

 水音が離れた場所から同時に二つ。

「くっ!」

 殆ど反射的に、黒の衣を翻して、小烏丸は音の近いほうに走る。

 駆け寄りざま、小烏丸は相手の気配目掛け、愛刀を抜き打ちに切りつけた。

 キン。

 その刃が、同じく硬い鉄に阻まれた。

 闇の中、僅かに燐光を纏う、ほの白い手が握る刃。

 肉も腱も無い腕が、力強く小烏丸の一撃を阻む。

 死んでもなお、戦から開放されない、憐れな骸。

「骨侍……」

 だが、その剣の技は本物。

 訓練と実戦を重ねた剣術が、妖怪の力を得て、己の身の安全も省みず繰り出される。

 競合う刃を放す事も押し戻す事も出来ない……迂闊に動けば即座に斬られる。

 小烏丸と骨侍、その力はほぼ互角か……だが、時間を掛けていられない分小烏丸の方が不利ではあった。

 逆に優位に有るのは、平家の宝と言われた、彼女の本体たる刀の質か。

 ……ならば。

 小烏丸は、相手の錆だらけの刀を押し切るべく、腕に力を込めた。

 競っている、その力の均衡が僅かに崩れる。

 その時、噛み合っていた刃を、その骨の手が僅かに捻った。

「……む」

 相手の刀を巻き込み落とす、剣術の一手。

 力の拮抗が崩れる瞬間を見定め、その刹那に放つ達人の技。

 ぱしゃり。

 小烏丸の刀が手から離れ、池の面に落ちる。

 相手が得物を取り落としたのを見た骨侍が刀を引き、間髪入れずに鋭い突きを放った。

「甘い!」

 巻き落とされる気配を感じた時点で、小烏丸は自ら刀から手を離し、相手に向かって寧ろ一歩を踏み込んでいた。

 左袖を腕に巻きつけ、突き込まれて来た刀を滑らせつつ、小烏丸は更に一歩踏み込み、右手を骨侍の顔に突き出した。

 かしゃり。

 軽く呆気ない音を立て、小烏丸の掌打を受けた、骨侍の頭が砕ける。

 

 人の形をした物は、その形の死を以って終焉する。

 それがまぁ、術という物の限界でもあり、救いでもあるのじゃよ。

 

 その旧主の言葉通り、力を失った骨がばらばらと崩れていく。

 だが、それを見届ける事無く、小烏丸は池に落ちた自分自身たる刀を拾い上げ、走り出した。

 

 ぱしゃぱしゃぱしゃ。

 

 池を渡る足音が増え続ける。

 それに走り寄り、縦横に刃を振るいながら、小烏丸は我知らず叫んでいた。

「こうめ様、お逃げ下さい!」

 

 もう、時間がどれ程経ったのか、自分が何をしているのか。

 いや、そもそも、自分が誰なのか。

 天女には、最早その辺りも曖昧になってきていた。

 大いなる世界そのものの力の前に、自我を保ち続けるというのは難しい。

 力に呑まれ、己を失い、術の制御を失い……そして身を滅ぼす。

 天地の力を借り、術を扱うという事の危険性は、極言すればそこに集約される。

 だからこそ、術を扱う者は、どこかに、己の魂を定めておく必要が有る。

 僧や神主は堅い信仰を。

 陰陽師は学んだ理を。

 そして、式姫は、主と認めた存在を。

 己の魂が寄りかかる柱として、世界を相手にする。

 

 だが……今の天女には、その存在が居ない。

 

 途中で誰かが手を差し伸べてくれた気がしたけど……。

 でも、天女はその手を取る事が出来なかった。

 多分、あの人。

 この庭に住まっていたというだけで、巻き込まれてしまった。

 この力の奔流に巻き込まれたら、間違いなくその人も巻き込んでしまう。

 それは、幾らなんでも……甘えられる話ではない。

 

「そういうの嫌いじゃないけど、堅いね」

「だ……れ?!」

 

 天女は驚いた。

 この力の奔流の中、その声はそんな力の存在など無いかのように、涼やかな声で彼女に語りかけて来たのだ。

 驚愕ゆえか、それとも、何か他の何かなのか。

 いずれにせよ、奇跡的に天女の意識が覚醒した。

 己を取り戻し、再び世界を認識することが出来るようになった。

 その天女の、意識の目にだけ見える。

 それは、大樹の上に、光り輝く姿を見せていた。

 

「誰と言われても、おいそれ名乗れないから、ボクも困るんだけど……そう、敢えて言うなら」

 声に、どこか面白がるような響きが篭る。 

 

「この樹を砕いた者……かな」 


 
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