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真・恋姫✝無双 ~夏氏春秋伝~ 第四話

ムカミさん

第四話の投稿です。

今回より郁様の創作武将を一人使用させて頂いています。

インスパイア先の画像見て一目惚れでした。

2013-09-03 11:12:06 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:12573   閲覧ユーザー数:8878

 

「取り敢えず任務は終わったけど…」

 

独りごちる一刀。

 

「特筆すべき事なんて何もないじゃん。事前情報通り、数だけだったな」

 

そんな一刀に応える者はいない。

 

それもそのはず、現在一刀は潜入偵察任務のため、南皮の街、そこに構える城の内部にいた。とは言っても余りにも警備が薄く、予想以上の短時間で任務を既に終えてしまっていたのであるが。

 

特に報告することも無いが任務が完了したことには変わりない。

 

そろそろ陳留へ引き上げるか、と思案していたところである会話が一刀の耳に入った。

 

「おい、荀彧、この竹簡持って行ってくれ」

 

「はぁ?何で私が?あんたが自分でやんなさいよ!」

 

「おいおい、誰に向かって口利いてるんだ?俺は上級文官だぞ?下級文官は黙って上級文官の言うこと聞いてりゃいいんだよ」

 

それだけを言うと偉そうにしていた男は荀彧と呼ばれた少女に竹簡を押し付けさっさと去っていってしまった。

 

「何よ、あいつ!他の奴らにしても!どうしてここはクズで無能な男ばかりいるのよ!…はぁ。ここに仕官したのはやっぱり間違いだったのかな…」

 

仕事を無理矢理押し付けられた少女は暫く激昂したあと突然意気消沈してしまった。

 

(あの子、さっき荀彧って呼ばれてたよな。ってことはあの子が『王佐の才』荀文若か。探った限りでは上級文官は腐敗具合が凄まじかった。荀彧もその犠牲者の一人となっているのか。となれば…)

 

恐らくこのまま放置したところで、彼女は直に曹操の下に仕官しに来るだろう。しかし、この世界では不測の事態が起こりかねない。そこで一刀はより万全を期すことにした。

 

いくらザル警備といえ、昼間から接触を図っては発見されてしまいかねない。そこで一刀は夜になるのを待って行動を起こした。

 

 

 

 

夜。

 

月明かりがぼんやりと照らす庭に荀彧の姿はあった。

 

「はぁ。いくら献策しても麗羽は地味だと言って取り合わないし、馬鹿な男の文官共は私腹を肥やすことに執心していて聞く耳を持たないし。ほんと、どうしようかな」

 

荀彧は己の文官としての能力の高さを自負している。しかし、麗羽-袁紹-の下に仕官してからというもの、その能力が活かされることはなかった。上層部が活かしきれないのでは無く活かそうとしていない。それほど長く仕えているわけでは無いが、それでも最早荀彧は袁紹を見限っていた。

 

そんな荀彧に気配を殺して近づく影が1つ。雲が月を隠し、辺りが闇に包まれた時、その影が荀彧に語りかけた。

 

「荀彧殿とお見受けします。少しお時間よろしいでしょうか?」

 

「だ、誰!?」

 

突然掛けられた声に驚く荀彧。振り向いた視線の先には黒い衣装に身を包んだ男の姿があった。

 

「な、何よ、あんた!この城の者じゃないわね?!男なんかが私になんの用?!」

 

「荀彧殿は現在お悩みでなのではないかと。本日私はその悩みに対する一つの答えをお持ちしました」

 

「な、何を根拠に!それにたとえそうだとしてもあんたなんかに関係ないでしょ!」

 

「袁紹殿も他の文官も荀彧殿の能力を理解できていないと見られます。それどころか、荀彧殿の仕事を奪おうとすらする始末。そのことを大層歯痒く思われてはおりませんか?」

 

「な…た、確かにそうよ。でもそれがどうしたってのよ!」

 

「正当な評価どころか、理解すら得られない。それは余りにも辛いものです。その状態が長く続けば、全てを投げ出してしまいそうになる程に。しかし、あなたは現状のまま、朽ち果ててよい方ではありません」

 

「…何が言いたいのよ?」

 

「私はあなたの能力を高く評価しています。それこそかの『王佐の才』に勝るとも劣らぬ程であるかと」

 

「お、王佐の才?私が?ふ、ふん!グズな男の割にはよくわかっているようね!で、結局用件は何?」

 

「このまま袁紹殿の下に居てはその貴重な能力が飼い殺されてしまいかねません。もし、袁紹殿をすぐにでも見限る覚悟がおありでしたら、是非とも我らが主にそのお力を貸して頂きたく」

 

この時、荀彧は内心では非常に喜んでいた。袁紹に仕官してからというもの、自らを正当に評価してくれる人物は一人としていなかった。そんな中、遂に自らを評価してくれる人物が現れたのだ。しかも、己の悩みと心情を理解してくれている。この男の言うとおり、このままここに居ても腐ってしまうだけだろう。今後の身の振り方を考えていたところにこの話である。荀彧はこの話に乗ってもよいだろうと思い始めていた。

 

「随分と直球で来たわね…確かに麗羽には愛想が尽きてきたのも事実だわ。でも、だからと言って名前も知らないような田舎君主に仕える気は無いわよ?それに仕える相手を変えた所で状況はさして変わらないこともあり得る。私がそう考えるだろうことはあんたもわかってるんじゃないの?それでも推してくるあんたの主ってのは一体誰なのよ」

 

「そうですね、ごもっともです。しかし、あなたの不安に関しては大丈夫であると断言しましょう。我らが主は陳留が刺史、曹孟徳です。曹操様は才ある者を重用する方。決して不遇な扱いを受けることは無いでしょう」

 

「そ、曹操様?!」

 

曹操の名前が出たことは荀彧にとって予想外に近いものだった。

 

ここ最近、陳留の曹操の名前は急速に広まっていた。理由は主に大陸屈指の治安の良さ、軍隊の精強さ、そして革新的な政策のためである。それだけ大陸各地で話題に出るようになれば、当然諸侯は内情を探ろうとする。しかし、どの諸侯も陳留の街の様子は隠密から入ってくるものの、曹操陣営の内情は全くと言っていい程入ってこなかった。それは袁紹のところにしても同じである。

 

荀彧はこの一事を見て曹操陣営は優秀な武官、文官を多数揃えている、と判断していた。その為、未だに無名の状態であり、実績をほとんど残せていない自分のところに曹操からの勧誘が来るとは思っていなかったのである。

 

「曹操様の下には優秀は人材がたくさんいるでしょう?なぜ私に声を?」

 

「何点か訂正を。まず、今回の私の接触ですが、これは私の独断です。曹操様の意向ではありません。しかし、荀彧殿であればすぐにでも曹操様は気に入られるでしょう。ですので声を掛けさせて頂きました」

 

「そ、そうだったの…」

 

曹操の意思では無い。そのことに多少は落胆した。しかし、同時にこの男が自分を思った以上に高く評価してくれていることに喜びも感じていた。

 

「次に、優秀な人材がたくさんいる、と仰った点ですが、こちらは誤りです。優秀な武官は少数います。けれども、優秀な文官ともなるとほとんどいないようなものです。今頃、優秀な人材発掘のための試験を陳留の方で行っているはずです」

 

「そ、そんなはずないわ!だって曹操様の所の軍の精強さはよく聞くし、逆に内情は全く漏れてこないじゃない!」

 

「軍の強さは将軍の数よりも一般兵の質、つまり錬度を上げる方が重要です。それに我らが軍の武官は一騎当千の力を誇っておりますので」

 

「情報は?!情報を統括する文官が余程優秀でないとこれほどまでに内情が漏れないことはないでしょう?!」

 

「そのことに関しては極秘事項です。なお、この際なので言っておきますが、私は荀彧殿をその情報統括を担う文官として推挙しようと思っております。あなたにはそれだけの能力があるでしょうから」

 

「……」

 

最早言葉を出すことも出来なかった。荀彧は情報の重要性を十分理解している。この男はそれを知ってか知らずか、その情報の管理を任せようとしてるのだ。

 

「伝えたいことは以上になります。もし、私の提案に乗って頂けるのでしたら、明後日に南皮を出る商隊に同行下さい。その商隊は陳留へ向かうはずですので」

 

その言葉を最後に男は去ろうとする。それを見て荀彧は慌てて呼び止めた。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!あんた、名前はなんて言うのよ!」

 

「これは失礼しました。そうですね…北郷、と名乗っておきましょう」

 

それだけを言うと今度こそ男は姿を闇に消した。

 

「北郷…」

 

その名を耳にしたことは無い。しかし、自らの道を示してくれた人物である。今はただ、その名を心に留めるだけ。

 

やがて、月を覆っていた雲が晴れる頃、荀彧は決意を込めた瞳を真っ直ぐに歩み出す。その足は袁紹の下へと向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「…よし、これで大丈夫だろう」

 

荀彧に曹操への士官を提案してその場を去った一刀は、南皮の街を去ろうとしていた。

 

荀彧の返事は十中八九諾であろうことはその瞳が如実に語っていた。

 

急遽の予定も無事こなし、南皮から出る門のある通りに出た一刀。

 

「もし…そこのお方」

 

そんな一刀に声をかける者があった。既に夜は深い。こんな時間に、しかも南皮の人間ですらない自分に一体何の用か、と一刀は訝しむ。

 

声のした方向に振り向くと、そこには目深にフードを被った人物がいた。

 

一刀が見つめていると、徐ろにその人物が語りだした。

 

「お主は……」

 

………。

 

この時、この場で誰にも知られずひっそりと行われた2人の会話。これが後に数人の人生を大きく左右する事態へと繋がる、その第一幕なのであった…

 

 

 

 

 

 

2日後、荀彧の姿は商隊の中にあった。

 

しかし、その顔は浮いていない。

 

理由を探るには南皮を出発する直前にまで遡る。

 

商隊に同行を願い出た荀彧は許可を得た後、商隊の頭にあることを尋ねた。

 

曰く、北郷という人物が同行していないか。

 

しかし、返ってきた答えは否。

 

あわよくば本郷の正体を、最低でも先日ちらとも見せることのなかったその素顔を拝んでやろうと思っての問い掛けだったが、思惑が全て外れてしまった。

 

そんな荀彧の思いなどいざ知らず、商隊は只々陳留を目指して歩を進める。

 

 

 

 

 

商隊と行動を共にすること数日、荀彧は遂に陳留の街へと到着した。

 

「すごい…」

 

陳留の活気に荀彧は圧倒され、思わず言葉が漏れていた。

 

「嬢ちゃん、陳留に来たこと無かったのかい?ま、ここまで活気が出てきたのはここ最近だが、今の刺史様は民をないがしろにしないお人だからな。民の生活を良くする為に色々とやって下さるんだ。結果、この街の中での犯罪はほとんどなくなったし、これだけの活気が生まれたのさ。この活気は見せかけだけのものじゃないぜ?」

 

立ち尽くす荀彧に1人の商人が陳留の簡単な説明をする。

 

言われて辺りを見回してみれば商人や買い物をしている人々に混ざって子供達が走り回っている。そして人々の顔には笑顔が浮かんでいることにも気づく。

 

「一体どんな施策を行えばこんなに…」

 

漢王朝の腐敗が至る所で進み、民の生活を圧迫しているこの御時世、普通の善政を敷いた程度ではこうなるとは思えない。何より曹孟徳が陳留を治めるようになってからまだ1年足らず。そんな短期間でこれほどの活気を生み出す策を荀彧は知らないし、かけらも想像できなかった。そのことに文官としての敗北を感じつつも、それだけの策を打ち出す文官の存在に興味を持った。

 

少し陳留の街を見回してみるとすぐに他の街との違いをいくつか発見できた。

 

一つ、前後左右の通りの先がよく見渡せること。一つ、至る所に兵士が駐留し、困り事を抱えた民たちに嫌な顔一つせず、むしろ笑顔で対応していること。

 

実はこれらは一刀が陳留の街で新たに献策した制度に基づいたものである。その制度とは『碁盤目』及び『交番制』。これらは共に『割れ窓理論』の補助策として献策されている。街を『碁盤目』状に区画整理することで前述のとおり通りをよく見渡すことができる。結果、人目の届かない裏路地などがかなり減り、どの通りにいても必ずと言っていい程人目につくようになった。人の目があれば犯罪は起こりにくいもの。『碁盤目』制度の効果は上々だった。また『交番制』は言わずと知れたもの。一定区間ごとに兵士の詰所を設置、常駐させることで常に犯罪の監視、また民たちの困り事への即時対応を可能としていた。

 

これらの策の成功が犯罪抑止に大きく作用し、現在の陳留の基盤を形作っていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼、貴方が荀彧殿で合っているかな?」

 

商隊と別れた後も尚、陳留の街並みを観察しながら歩いていた荀彧に女性の声が掛けられる。

 

振り向くとそこには綺麗な青い髪の女性が立っていた。

 

「ええ、そうだけど、貴方は?」

 

「私は陳留が刺史・曹孟徳様の将、夏侯淵だ。荀彧殿、とある者の推挙により貴殿の曹操様への謁見許可が既に下りている。付いて来てもらおう」

 

「わかったわ」

 

夏侯淵。その名前は荀彧にも聞き覚えがあった。曹操軍一の将・夏侯惇の妹で弓の名手として既に名を轟かせ始めている。それほどの者が迎えに来たのだ。表面は冷静を装っていても内心は非常に緊張していた。

 

夏侯淵の後に続いて城に向かって歩く。その間も街の観察を行う。城に着くまでの僅かな間でも陳留の街が他の街に比べて大きく異なっていることがよくわかった。すぐにでも色々と質問を重ねたいところだが、今の状況を考えそれを堪える。

 

そうして2人は謁見の間に辿りついた。

 

「華琳様。例の文官候補をお連れしました」

 

「そう。ご苦労様ね、秋蘭。さて、貴方が荀文若ね。早速だけど試験を行います」

 

「は、はい」

 

息つく間もなく登用試験が始められる。政治の細かな案件から用兵術に至るまで、あらゆる分野の事柄を華琳が問い掛け、荀彧はそれに淀みなく答えていく。全て仮想の案件とは言え、荀彧の回答は穴らしい穴がなく、策の成功が十分に予想出来るものだった。

 

四半刻程の問答の後、華琳が最後の問いを投げかける。

 

「では、次を最後としましょう。秋蘭、竹簡を」

 

「はっ、どうぞ、荀彧殿」

 

秋蘭は華琳の合図で予てより用意していた2つの竹簡を荀彧に渡す。

 

「上の竹簡は我が軍の総規模、そして下の竹簡は今から討伐に向かう賊の規模。それらの情報から貴方はどれだけの兵、物資を用意する?」

 

荀彧が竹簡に目を通す暫しの間、場を沈黙が支配する。やがて、荀彧は徐ろに筆を取り、竹簡の一つに何かを記す。

 

「こちらの通りで問題ないと判断します」

 

華琳は荀彧から竹簡を受け取って目を通すと口元に笑みをたたえて再び問いかける。

 

「用意する兵の数は私の考えとほぼ同じね。でも、糧食は私の予定の半分ほど。これでは満足な日数軍を保てないのではなくて?」

 

「曹操様の将兵は屈強と聞き及んでおります。また、練度も他の諸侯に比べ段違いであるとも。であれば、会敵から短時間で賊の討伐を終える方法はいくらでもあります。また、用意する糧食を減らせば、その分輜重隊の速度が上がり、引いては行軍速度自体が上がります。速度が上がればその分少ない日数で賊討伐を迎える事ができます。後は私が考える策を以て討伐を行えば、糧食を切らすことなく帰還することができるでしょう」

 

「なるほど。秋蘭、貴方はどう思う?」

 

「考え自体は問題ないかと。賊を短時間で討伐出来るだけの策を本当に示せるのでしたら実現可能でしょう」

 

「そう。わかったわ。では荀文若よ、貴方を此度の賊討伐に軍師として連れて行きます。先ほどの話を為せるだけの策を期待するわ」

 

「ありがとうございます」

 

こうして荀彧の従軍が決まったのだった。

 

早速糧食、兵站準備の監督を命じられて退出しようとする荀彧。扉に手を掛けようとしたところでふと疑問に思ったことを尋ねてみることにした。

 

「あの、最後に一つよろしいですか?」

 

「あら、何かしら?」

 

「『北郷』という人物はどのような役職に就いている者なのでしょう?」

 

それを聞いた華琳はたたえていた笑みを消し、荀彧を見据える。

 

「…何故その名前を知っているの?」

 

華琳の視線のあまりの鋭さに荀彧は怯んでしまった。

 

「そ、それは…南皮の城にて私に声を掛けてきた曹操軍の者が北郷と名乗っていたからです。私はその者との会話がきっかけでここに来ることを決断しましたので…」

 

「そういうこと…結論から言うと、私も知らないわ」

 

「えっ?そ、それはどういうことなのでしょう?」

 

全く予想外の返答に即座に意味を理解できず、荀彧は思わず聞き返してしまう。華琳はそれに対し苦々しげに答える。

 

「『北郷』とは今まで大陸の誰もが考えもしなかったようなことを献策してくる者の名よ。上申書には確かにその名がある。けれど、軍のどこを探しても北郷という名の者はいないのよ」

 

「姿を決して見せない、ということでしょうか?そのようなことをする利点があるとは思えないのですが…それにしても、よくそんな者の策を採用なされましたね」

 

「それは試してみたくもなるわよ。こんな上申書を提出されては、ね」

 

そう言って華琳は一切れの紙を荀彧に渡す。

 

その紙を受け取った荀彧は飛び上がらんばかりに驚いた。

 

「なっ、何なんですか!?こんな上質な紙、見たことも聞いたこともありません!そ、それにこの策の内容…確かに、理には適っている…」

 

「策を採用したくなる気持ち、わかるでしょう?」

 

「は、はい…もしや、短期間での陳留のこれ程の発展はこの北郷が…?」

 

「ええ、そうよ。この者の打ち出す策は前代未聞、けれどそれでいて非常に的確。いくつか失敗した策があるけれど、それは完全に私達の力不足。どのようにしてこれ程の策を打ち出せるのか、それを知りたくてずっと探しているのよ」

 

「この者はこれ程のことを為していて、褒賞を要求してこないのですか?」

 

「してきていたら探すのはずいぶん楽だったわね。褒賞を与える時に嫌でも顔を合わすのだもの。貴方は南皮で北郷に直に会ってるのよね?顔は見てないの?」

 

「はい。夜でしたし、月も雲に隠れていましたので。それに、顔まで覆うように黒い布をその身に巻いていましたので、見ようと思っても見れませんでした」

 

「なら仕方ないわね…」

 

結局2人には『北郷』の正体について何らの手がかりも得ることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は移り、一刀の自室。

 

そこでは謁見の間を退出した秋蘭が一刀と話をしていた。

 

「荀彧殿もお前の策には驚いていたぞ。それに『北郷』の正体をかなり気にしているようだ。勿論、華琳様も正体を暴くことを諦めてはおられないぞ」

 

「はは、まあそうだろうね。それだけ1500年以上もの時の流れってのはすごい力を持つんだよ。前も言ったと思うけど、俺なんて所詮そこらへんにいる一介の平民に過ぎない。そんな奴が当たり前に知っているようなことがこの時代の最高クラスの文官を驚かせる程に、ね」

 

「ふふ、相変わらず謙虚なものだ。それに、久々に天の言葉を聞いたな」

 

「あ、ごめん。やっぱり気を抜いてるとどうしても出てしまうんだよね」

 

言うまでもなく秋蘭は『北郷』の正体が一刀であることを知っている。しかし、一刀に頼まれて華琳達にその事実を伏せているのだった。

 

「それにしても、一体いつまで正体を隠す気なんだ?むしろ名乗り出た方が利となるだろう」

 

「そう言えば秋蘭にもまだ話してなかったっけ?正体を隠すのにはいくつか理由があるけど、一番大きな理由は数年前に流れたっていう例の予言だね」

 

「天の御遣いの予言、か。一刀は否定していたな」

 

「そ。俺は決してそんな高尚な存在じゃない。ただ、どうしてか未来から来てしまっただけの平民なんだから。でも、夏候僥さんのところにいた時もそうだったけど、未来の知識はこの大陸ではまるで天の知識のように映るよね?実際秋蘭も『天の言葉』っていう言い回しはずっと使っているし」

 

「そうだな。確かに一刀は我々では考えも及ばないような策を打ち出してくる。今でも、天の御遣いだ、と言われたらそう信じるだろうな」

 

「聡明な秋蘭でさえそうなんだ。他の人たちなら言わずもがな。曹操様にしても疑いはしつつも大筋では認めてしまいかねない。そして、今の状態ならともかく、正体が知られれば『北郷』の存在を隠す意味も必要もなくなる。けれど、もしそうなって、曹操軍には天の御遣いが存在する、なんて噂が民の間に流れて、更にそれが帝の耳に入ったらどうなると思う?」

 

「…なるほど。確かに皇帝陛下は天の化身と言われている。そこに天の御遣いなんて者が現れたら、反逆を疑われて攻められたとしても文句が言えない、ということか」

 

「そういうこと。でも、直にその虚名が有効な世が来る。今はその時のために種を捲くだけ」

 

「自ら神輿になるというのか?」

 

「それで少しでも早く戦乱の世が鎮まるなら、ね」

 

「そうか…わかった。では今しばらくは伏せておこう」

 

一刀の瞳に決意の炎を見て、秋蘭はそれ以上このことについて話すことを切り上げた。話が終わり、秋蘭は部屋を出ていこうとする。扉に手をかけたところであることを思い出し、一刀に声をかけた。

 

「ああ、そういえば、一刀が南皮に行っている間に2人ほど有能そうな者が登用されたぞ。武官1人に文官1人だ。ただ、どちらもちょっとした問題があるのだが…一度会いに行ってみるといい。武官の方は今は姉者と共に修練場にいるだろう」

 

「了解。それじゃ、また」

 

今度こそ秋蘭は部屋を出て行った。それを見届けた後、一刀は徐ろに立ち上がり、修練場を目指して歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

修練場。

 

そこでは青みがかった長い銀髪の女性が春蘭と対峙していた。

 

「華琳様より私が直々にお前の実力を測ることになっているからな。遠慮せず全力で来い!」

 

「はい…では、参ります!」

 

銀髪の女性は可憐な見た目に不釣り合いな大斧を振りかぶり、横薙ぎを繰り出す。

 

「ぬぅっ!」

 

春蘭は自身の大剣でその一撃を受け止めようとするが、想像以上の重さに僅かに押し込まれる。

 

「はあっ!」

 

「おぉっ?!」

 

女性が一際気合を入れると春蘭が驚きの声と共に弾き飛ばされた。

 

「なかなかやるではないか!次はこちらからいくぞ!はあぁぁっ!!」

 

今度は態勢を整え直した春蘭が自慢の豪擊を放つ。

 

「きゃっ!」

 

女性は大斧で春蘭の大剣を受けるが春蘭の一撃を受け止めきることは出来ず、態勢を崩される。

 

「これで…終わりだ!!」

 

「くっ…!」

 

態勢を崩されながらも振り下ろされる大剣に大斧をぶつける。しかし、万全の態勢であっても受けきれない攻撃を捌くことは出来なかった。

 

甲高い金属音と共に大斧は空高く弾かれ、離れた場所に落ちた。

 

「ふぅ…参りました、春蘭様。さすがは曹操様の筆頭将軍。お強いですね」

 

「はっはっは!それほどでもあるぞ!お前も中々強いではないか。すぐにでも将軍になれるぞ」

 

「いえ、私などはまだまだ…」

 

立ち合いが終わると先程までの気迫はどこへやら、女性は非常に謙虚な姿勢になっていた。

 

不意に拍手の音が聞こえてくる。

 

2人が音の方向に振り向くとそこには一刀の姿があった。

 

「さすが春蘭。また一撃の重さが増したんじゃないかな?」

 

「いたのか、一刀!華琳様の為に毎日鍛錬しているのだから当然だ!」

 

「そちらの方も相当の腕みたいだね。特に最初の一撃は春蘭でさえ押されてたし」

 

「あ、あの…そ、そちらの方は、どなた…ですか?」

 

「ああ、こいつは一刀だ!」

 

春蘭の大雑把な紹介に一刀は苦笑しつつ、補足する。

 

「春蘭、それじゃわからないよ。初めまして、私は夏候恩と言います。春蘭、秋蘭…真名じゃない方がいいか。夏候惇、夏侯淵両将軍の副官を務めています」

 

「あ…あ、あの、私は姓を徐、名を晃、字を公明と申します」

 

「徐晃さんですか。よろしくお願いします」

 

互いの自己紹介が終わると春蘭が妙案を思いついた、とでも言いたげな顔で声を上げた。

 

「そうだ!一刀、菖蒲と仕合ってみろ!」

 

「えっと、徐晃さんのことだよね?何で俺?」

 

「強い奴と戦いたいのは武を持つ者として当たり前だろう?菖蒲もそれでよいな?」

 

「あの、えっと……はい」

 

突然すぎて少々戸惑う2人だが、結局春蘭の勢いに押されて仕合いを行うことになった。

 

仕方なく一刀は春蘭から刃を潰した鉄剣を受け取り位置につく。

 

「成り行きでこうなってしまったわけですけど…やるからには全力で行かせていただきます」

 

「あの…お手柔らかに」

 

まだ気後れしているのか、少し言葉に詰まる徐晃。そんな彼女を見て一刀はこのまま仕合いを始めても大丈夫なのだろうか、と不安に駆られた。

 

「私が審判を務めてやるぞ。では…始めぃ!!」

 

「はぁっ!」

 

「やぁっ!」

 

開始と同時に両者が一直線に突っ込む。

 

一刀は鉄剣を力の限り縦斬りに、徐晃は大斧をこちらも力の限り横薙ぎに振るう。

 

両者のちょうど真ん中で鉄剣と大斧が激しくぶつかる。一瞬の均衡。そしてどちらからともなく互が後ろへと飛んで距離を取る。

 

「はは、さすがの豪擊。腕が痺れてますよ…」

 

「お褒めいただき光栄です」

 

内心一刀は驚いていた。仕合いが始まる直前まではオドオドしていると言っても良いような状態であった徐晃。それが仕合い開始の合図と共に人が変わったように積極的に攻めてきたからである。

 

しかし、いつまでも驚いているわけにはいかない。すぐに切り替えて徐晃の攻略法を考える。

 

(徐晃さんは基本は春蘭と同じタイプの力押し型。だけど、恐らく…)

 

「ふっ、はぁっ!」

 

「その類の攻撃は通用しません!はっ!」

 

一刀がフェイントを織り交ぜた攻撃を繰り出す。ところが、徐晃はフェイントに全くと言っていい程反応しなかった。一刀の実の攻撃にのみ大斧をぶつけて的確に捌いていく。数合打ち合った後、再び両者は距離を取った。

 

(やっぱり…徐晃さんはずいぶん『良い目』を持ってるな。恐らく相手の僅かな動作や気配から虚実をほぼ完璧に見抜いている。相手の実の攻撃さえわかればその攻撃ごと相手を倒してしまえばいい。それ故の力押し型、か。春蘭とは入口が全然違うわけだな)

 

「来ないのですか?ではこちらから…やぁっ!!」

 

「くっ…!」

 

攻撃の手が止まった一刀に再び横薙ぎにされた大斧が襲いかかる。一刀はそれを鉄剣で受け止めた、はずだった。受け止めたと思った大斧は鉄剣との間に金属音を響かせながら逸れていく。そして…

 

「んっ…やぁっ!」

 

徐晃は大斧を振り切る勢いそのままに体を回転させ、大斧の速度を増して再び横薙ぎを放ってきた。

 

「うおっ…」

 

より重くなった大斧の一撃。それをなんとか防御に徹することで防ぐことが出来た。

 

「一撃目でも十分な威力を誇っているのに、それをただの加速装置としての二連撃…見事な技です」

 

「ありがとうございます。でも、まだまだいきますよ…やぁっ!」

 

この二連撃は徐晃だからこそ為せる技、と言えた。一撃目で倒せるのであれば万々歳、もし一撃目を受けられるようであれば先程のように二擊目につなげることが出来る。仮に一撃目を避けられたのであれば二擊目には移行せず、他の攻撃に移るなり距離を取るなりの行動も可能。これらの瞬時の判断を徐晃はその卓越した『視力』でもって行っていた。

 

結果、一刀は有効な攻略法を見出すことが出来ず、完全に防御に徹することでなんとか防いでいるというジリ貧状態となっていた。

 

しかし、いくら強力とはいえ、どのような技にも欠点はある。この技の欠点は重い大斧を水平方向に振り回すことになる為に体力の消費が激しいことであった。

 

数十合も打ち合うと両者とも息が上がってきていた。

 

「さすがにこれだけ重い攻撃だと避けるのも受けるのも体力を使いますね…ただ、そちらも大分体力を消耗している様子。このままどちらかが体力切れを起こすのを待つだけ、というのは些か華がない。ですので、次の一撃で最後にしましょう」

 

「ええ…そうですね」

 

次の一撃にすべてを込める為に両者ともに腰を深く落として力を溜める。そして、数瞬の静寂の後。

 

「おおおおぉぉぉぉっ!!」

 

「やあああぁぁぁあっ!!」

 

2人はほぼ同時に突っ込む。それぞれの全力でもって振るわれた鉄剣と大斧が甲高い金属音を上げて激しくぶつかり合う。そして…

 

「っ?!」

 

「くぁっ…!」

 

一刀の手から鉄剣が弾き飛ばされた。

 

「勝者、菖蒲!!」

 

それを見て春蘭が仕合い終了を宣言する。しかし、勝者であるはずの徐晃の表情は複雑なものだった。

 

(最後の一瞬、確かに見えました。なぜ夏候恩さんはあんなことを…?)

 

徐晃は最後のぶつかり合いにおいて、初めは敗北を覚悟した。事実、ぶつかり合った瞬間は確かに徐晃が押されていたのである。ところが、その時、一刀は自らの鉄剣を僅かに傾けた。その僅かな変化がもたらした結果はまさに今目の前にある。

 

(あのままなら負けていたのは私でした。まさか、わざと負けにきた?いえ、そんなことをする利点が彼にはありません。一体、どういう…)

 

「あの、どうかされましたか?」

 

突然俯き黙ってしまった徐晃を心配した一刀は、気遣うように声を掛けて顔を覗き込んだ。

 

思考の渦に飲み込まれていた徐晃は、一刀の声で我に返る。そして、目の前まできていた一刀と目が合った。

 

その瞬間。

 

「きっ…」

 

「き?」

 

「きゃあああぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 

「うおわ?!がっ、ごふっ…」

 

突然徐晃が悲鳴を上げ大斧を振り回した。一刀は初撃はなんとか避けたものの、高速かつ無軌道な大斧の軌道を読めず、その後の攻撃を頭と腹にもろに喰らい、沈んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「お~い、起きろ~、一刀~」

 

「…ん、ここは…」

 

しばらく気絶していた一刀が春蘭に起こされた。

 

「っと、そうか、気絶してしまったのか」

 

自分の状況を思い出した一刀は、まだ少し朦朧としている頭を振りつつ立ち上がる。

 

「あ、あの。先程はすいませんでした…お体の方は大丈夫ですか?」

 

徐晃は既に落ち着いており、申し訳なさそうに春蘭の後ろに立っていた。

 

「ああ、大丈夫ですよ、徐晃さん。気にしないでください。こちらが驚かせてしまったみたいですし」

 

「いえ、違うんです!」

 

「え?」

 

一刀自身は本当に自分が驚かせてしまったことが原因だと考えていた。なので、徐晃が何を否定したのかがわからなかった。

 

「あ、いえ…確かに驚いたのもあるのですが…あの、実は私、男性が、その、少々苦手、でして…」

 

「あ~…そういうことだったんですか。では尚更すいません。知らずとはいえ怖がらせてしまっていたんですね…」

 

「いえ、そんなことはありません。あなたが酷い方では無いことは武器を交えたことでわかっているつもりです」

 

「そう言っていただけるのは光栄です」

 

(なるほど。オドオドしているように見えたのは男が突然現れた驚きと恐怖から、だったのか。所謂男性恐怖症…戦闘中は集中することで何とか大丈夫みたいだけど、一軍の将ともなれば周りは男だらけの環境になる。これ、大丈夫なのか?)

 

徐晃の抱える問題を知って、一刀は思索にふける。とは言っても、この時点ではまだ他人事との意識が強いものだったのだが。

 

「そう言えば、徐晃さんは此度の賊討伐に出陣されるのですか?」

 

「あ、はい。華琳様からは将として参戦するように伺っております」

 

「私も出るぞ!久々の戦で腕が鳴るな!」

 

「春蘭はともかく、徐晃さんもいきなり、それも将として出陣ですか。随分と思い切った決断ですね」

 

「あら、そうでもないわよ」

 

突然響く声音に一同は一斉に声の主を振り向く。

 

声の主は調練場の入口に立っている華琳であった。

 

「華琳様!」

 

春蘭が直ぐ様嬉々として名を呼び、一刀と徐晃が会釈をする。その間に華琳は3人の下まで歩いてきていた。

 

「元々今回の賊討伐は私が春蘭と秋蘭を連れて出陣するはずだったの。逆に言えばそれだけでも討伐出来る程度の賊と言うこと。ならば不安要素が小さい今回のような機会に武官として使えるかどうかを試すのは当然でしょう」

 

「なるほど。確かにその通りです。そこまで考えが及びませんでした」

 

「当たり前だろう!華琳様の深~い考えが我々にわかるはずなどないのだからな!」

 

「いや、俺は春蘭よりはマシな自覚があるつもりだよ…」

 

「な…!そ、それはどういうことだ、一刀!」

 

「いや、だってさぁ…」

 

華琳の説明にそれぞれの反応を示し、いつものように漫才染みたやりとりを始める一刀と春蘭。そんな2人を見て華琳は楽しそうに笑っていた。

 

「ほんとに貴方達はいつも愉快ね。それと、ちょうど良かったわ。一刀。貴方にはこれから菖蒲の男を苦手とする体質、その改善の任に就いてもらうわ」

 

「え…ええ?!わ、私がですか!?私は一介の副官ですよ!?」

 

突然の華琳の爆弾発言に春蘭との会話をそっちのけで慌てる一刀。

 

「確かにそうかも知れないわ。けれど、貴方が我が軍の男の中で最も強いこともまた事実よ。これに関しては男でないと意味がないことだし、ある程度男に慣れるまでは菖蒲の攻撃を受けても死なない者でないと務まらないわけだし、ね」

 

しかし、華琳は一刀の咄嗟の僅かな反論にも理路整然と適任である旨を伝える。こうなっては最早一刀に勝ち目はなかった。

 

「…徐晃さんはそれで構わないのですか?」

 

「は、はい。私も将を任されるに当たってこの体質は治したいと思っておりましたので…」

 

「…分かりました。その任、お引き受けします」

 

「頼むわよ、一刀。それじゃ、皆、出陣時刻には遅れないようにね」

 

『はっ!』

 

華琳が調練場を去ると一刀は大きなため息を一つ吐く。

 

「まあなんだ。頑張れよ、一刀」

 

「ああ…では、改めまして、これからよろしくお願いします、徐晃さん」

 

「は、はい、こちらこそよろしくお願いします、夏侯恩さん」

 

「あ、徐晃さん。これからは私のことは一刀と呼んでください」

 

「わかりました。では私も真名をお預けします。私の真名は菖蒲と申します」

 

「いいのですか?」

 

「はい。これから何かと迷惑をかけると思いますが…」

 

「ああ、それなら大丈夫ですよ。割と春蘭で慣れてますから…」

 

こうして徐晃改め菖蒲が華琳の幕下に加わったのであった。

 

ひと波瀾ありはしたが、特に問題らしい問題はなく賊討伐の準備は着々と進んでいたのだった。

 


 
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