No.201275

真・恋姫無双 EP.64 喪失編

元素猫さん

恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。

2011-02-13 02:14:32 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:3837   閲覧ユーザー数:3372

 ぐるぐると目が回り、吐き気がする。頭が重く、視界が霞んでいた。雪蓮はよろめきながら、ただ、何かから逃げるように走り続けている。

 背後から、暗闇が迫る足音が聞こえた。

 

「嫌……」

 

 うめきながら、もつれそうになる足を必死に動かして、雪蓮は走った。

 

(冥琳を……冥琳を殺した……)

 

 いつの間にか降り始めた雨が、雪蓮の顔を伝う。それを必死に拭おうとして、雪蓮は何度も顔をこする。しかしその度に、手に付いていた血がその顔を赤く汚してしまうのだ。

 

「私が……冥琳を……」

 

 冷えた意識が、急激に現実を突きつけた。蘇る光景――崩れる冥琳と、逃げ出す自分。

 妹たちと同じくらい大切な、かけがえのない友人をその手で刺してしまう。いつも恐れ、夢でうなされた出来事。それがとうとう、起こってしまったのだ。

 

「私は……わたしは……ワタシ……ハ…………」

 

 光の届かぬ闇の底。落ちて、落ちて、たどり着いた先。雪蓮の心は、正気を失いつつあった。

 

(血が欲しいのだろう?)

 

「違う!」

 

(肉を切り裂き、断末魔の声を聞くのが快感で仕方がないんだ)

 

「違う!」

 

(他者を殺めることでしか、生きている充足を味わえないのさ)

 

「違う! 違う!」

 

 否定しても、否定しても、嘲笑うように心を浸食する。消えることのない、『狂戦士』の誘惑の声が雪蓮を蝕んだ。

 雨に濡れた虚ろな顔で、亡者のように行く当てもなく彷徨い歩く。目を背けたい現実から、ただひたすら逃げるように――。

 

 

 雨が、降り始めた。逃げ出す雪蓮の背中を呆然と見ながら、ハッとなって明命は冥琳に駆け寄った。腹部に剣を刺したまま倒れた冥琳は、かろうじてまだ意識がある。

 

「冥琳様!」

「明命……早く……雪蓮を……」

「で、でも……」

 

 何かを言いかける明命の腕を、冥琳が掴む。瀕死とは思えない強い力で、必死に何かを訴えているようだった。明命はすぐにその気持ちを汲み取り、大きく頷くと部下に指示を出す。

 

「すぐに馬車を用意して、冥琳様を運んでください。出血の可能性があるので、お医者様が来るまで剣は抜かないように。それから――」

 

 暗殺者の確保を指示しようと思って辺りを見回すが、いつの間にか姿を消していた。木々の間の遙か向こうに、かろうじてその背中が見える。追っ手を指示しようか迷ったが、今からでは追いつかないだろう。それよりもまず、雪蓮と冥琳の事を優先すべきと判断した。

 

「張勲様と祭様には、あなたから事情を説明してください。私はこれからすぐに、雪蓮様の捜索に向かいます。部隊の半分は私と一緒に来てください。くれぐれもこの事は内密に。それと私の存在も、張勲様には黙っていてください。たぶんまだ、知られてはいないでしょうから」

「わかりました」

 

 墓参りに随行している兵士たちは、皆、昔からの忠臣たちである。思いは一つだ。事態の深刻さを理解し、その目に決意を漲らせていた。

 明命は一同の顔を見回し、頷き合う。そしてすぐさま、雪蓮が消え去った方角に向けて走り出す。半数がそれに従い、雨が降る視界の悪い森の中を駆け抜けた。

 

(雪蓮様……冥琳様……)

 

 大きな二つの柱を同時に失うかも知れない状況に、明命の心は不安に揺れる。しかしこんな時こそ、自分たちの真価が問われているような気がした。

 

(一刀様……)

 

 不意に、洛陽で戦った日のことを思い出す。一刀ならば、どうするだろうか。まだそれほど昔のことではなかったが、明命はあの共に過ごした短い日々を懐かしく胸に蘇らせていた。

 

 

 霞む視界に、雪蓮の背中が消えてゆく。

 

「明命……早く……雪蓮を……」

 

 最後の力を振り絞ってそれだけを伝えると、冥琳はがくりと全身の力を抜いた。周囲の音が遠ざかるが、意識はまだあった。

 

(私は、死ぬわけにはいかない――!)

 

 自分を刺したと気付いた時の雪蓮の顔が、脳裏に蘇る。光を失いつつある瞳には、深い悔恨が滲んでいた。長い付き合いだからこそ、冥琳にはわかった。

 

(ダメよ雪蓮……負けてはダメ……)

 

 大切な親友の心が、まさに闇に呑まれようとしていた。自由奔放で自己中心的に思われがちが行動が多いが、誰よりも人を愛し、慈しむのが雪蓮なのだ。街の者たちと、まるで家族同然のように接して、弱者の痛みを己の怒りに変えている。

 

(優しすぎて、自分の無力さが許せない。その渇望が『狂戦士』を生み出してしまった。自身の中の狂気に恐れながらも、雪蓮は戦う道を選び続けた)

 

 冥琳に出来ることは、そんな雪蓮の苦痛を和らげることだけだった。少しでも多くの人が笑顔になれば、雪蓮は自分を責めずに済む。だからこそ、冥琳はどんな汚いこともやった。

 

(大丈夫よ、雪蓮……私は、死なない)

 

 冥琳は薄れゆく意識で、届かぬ思いを親友に伝える。

 

(こんな傷で、死んだりはしない。あなたの剣で、死んだりはしない。だから、戻って来なさい)

 

 死ぬものか。自分が今、この怪我で死んだら、もう雪蓮は戻っては来ない。だから自分は、どんなことがあっても死ぬわけにはいかない。どんな身体になろうとも、生きてみせる。

 勢いを増してきた雨が冥琳の顔を濡らし、まるで涙のように伝って落ちた。

 

 

 息を切らし、血が垂れる腕を隠して紫苑は街中を歩いていた。雨が幸いし、人目を引くことはない。紫苑の様子に気づく事はなく、皆、足早に通り過ぎて行く。

 

「璃々……」

 

 うわごとのように、紫苑は娘の名を呟いた。結果から言えば、暗殺は失敗に終わった。しかし成功した時の約束ばかりで、失敗した場合はどうなるのか何も聞かされていない。焦る気持ちを抑えながら、周囲に気を配って紫苑は待ち合わせ場所に急いだ。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 そこは裏通りにある、愛想の悪い主人の安宿だった。人気のない入り口から、軋む階段を上って二階の一番奥の部屋に向かう。

 

「……私よ」

 

 扉の前で、声を掛けた。しかし返事はない。ゆっくりとドアノブに手を掛けて、紫苑は扉を開いた。薄暗い部屋の中には、誰の姿もない。

 

「お婆さん?」

 

 ふと見ると荷物はあったので、老婆が先に来ているはずだった。隣の寝室の扉が開いており、隙間からわずかな光が漏れている。紫苑は、寝室の扉を開けた。

 

「――!」

 

 そこに広がる光景に、紫苑は息を呑み声も出なかった。天井から一本のロープを首に巻き、老婆がぶら下がっていたのだ。鬱血して顔は赤黒く変色し、床には汚物が散乱している。よほど苦しんで暴れたのだろう、その表情は目を背けたくなるほど恐ろしいものだった。

 

「そんな……」

 

 紫苑はその場に、倒れそうになった。これで娘に繋がるものが、何もなくなってしまったのだ。崩れかけた心を、だが奮い起こす。

 

(よく考えるのよ。連中はまだ、私が失敗したことなど知るはずもない。つまりこのお婆さんを、最初から殺すつもりだったのだわ。私を放っておくのは、接触することで正体が知られる危険があったから。それに暗殺に失敗しても成功しても、私は孫家の人間に追われる身となったわけだものね)

 

 思い通りにはさせない。紫苑は部屋にあった自分の荷物をまとめる。大切な娘を取り返すまで、諦めるわけにはいかなかった。

 宿を出た紫苑は娘を救うため、雨の降る街中に消えていった。

 

 

 小さく、お腹が鳴った。ご飯は食べたが、何だか物足りない。しょんぼりと項垂れて、美以は石の壁に寄りかかった。ここに入れられて、どれくらい過ぎただろうか。お腹いっぱいご飯が食べられた日々が、遠い昔のような気がした。

 

(美以はどうなるのかにゃ……)

 

 自慢の猫耳をピコピコさせながら、美以は周囲の様子をうかがった。ここは洞窟を利用した場所で、結構な広さがある。そこに自分のような幼い子供が、十名以上は閉じ込められていたのだ。皆、誰とも話すことはなく、一人それぞれの場所でうずくまっていた。

 

 ぐうぅぅ~。

 

 また、お腹が鳴る。食事は一日二回、朝と夕にだけ配られた。時間はわからないが、夕食まではまだまだ先だろう。

 

「ねえ、お腹すいてるの?」

「みゃ?」

 

 不意に、声を掛けられて美以は顔を上げた。そこには自分よりも少し小さい女の子が、心配そうに立っていた。

 

「何なのにゃ?」

「お腹すいてるの?」

「ぺこぺこにゃ……」

 

 少女の質問に素直にそう答えると、少女はポケットから大切にしまっていたパンを取り出し、半分にして美以に差し出した。

 

「くれるのかにゃ?」

「うん」

 

 にっこりと少女は笑い、美以の隣に座る。

 

「ありがとにゃ。美以は美以にゃ」

「私は璃々だよ。ねえ、そのお耳は本物なの?」

「もちろんにゃ!」

 

 もらったパンをおいしそうに食べた美以は、少しだけ元気が出た。でもまだ食べ足りない感じで、しょんぼりとする。それを見た璃々が、食べようとしていたもう半分の自分のパンを、そっと美以の手に乗せた。

 

「にゃ? ……これ?」

「食べていいよ。私は大丈夫」

「でも……」

「平気! だってきっと、お母さんが助けに来てくれるもん! 璃々のお母さんはね、とっても強いんだよ! だから大丈夫!」

 

 美以はうれしかった。だからそのパンはさらに半分にして、璃々と分け合った。こんな優しい子が信じているなら、きっとお母さんという人はすごい人なのだろう。自分も信じてみよう、美以はそう思いながら、小さなパンを口に頬張った。


 
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