どこだ……式姫ども。

 鵺は、いや、鵺と変じ、今やその力を全て我がものとした陰陽師が、必死でその気配を探る。

 山林のただ中に逃げ込まれると、さすがに上空からは追い切れない。

 山は命の宝庫。

 逃げるもの、密やかに身を潜めるもの。

 獣や山怪、そういった物の気配が混然となり、逃げ出した三人を探り切れない。

 彼女らが彼と正対していた時のような気配を放っていれば、あの圧倒的な力を追う事も出来たが、今は静かに身を隠しているらしい。

 未だ、あの鬼に受けた傷の故か目も良く見えない。

 今の彼はただ、風の唸りや、気配を頼るのみ。

 故に、空に逃げ、この辺り一帯の空を黒煙で覆い尽くした。

 黒雲の上に身を隠す彼にしてみれば、彼の姿を捉えられない地上の敵など物の数では無い。 

 故に、相手となるのは、あの大天狗のみだが、空を飛べばその羽ばたきは空気を揺らし、いかに彼女が速かろうと、その居場所をたちどころに彼に伝える。

 場所さえわかれば、無数の雷撃で迎え撃つのみ。

 

(まぁ……良いか) 

 

 危機は去った……ならば、今はこの身に受けた、数多の傷を癒すとしよう。

 未だに左前脚に深く食い込んだ羅刹の斧に、あの鬼女に斬りおとされた右前脚。

 そして何より額に大きく開いた傷。

 何れも深手だが、この身には、禍々しくも、旺盛な生命力が満ち満ちている。

 時さえ稼げれば、この傷すら、癒す事も叶うだろう。

 低く唸るように、猿に似たその口から、呪言が漏れ出した。

「あいつの神鳴り止まったねー、どうしよっかハバキリさん」

 洞穴という程ではないが、山の斜面に出来た小さな隠れ場所からそっと顔を出して、おつのは空を見上げた。

「地上への攻撃を諦めたという事は、恐らく私や童子切、紅葉を見失ったんでしょう」

 目で追えなくなったか、気配を探れなくなったかは判断できないが……。

「ふむふむ、でもこっちもあいつを見失ったって点じゃ一緒だよね」

「ええ、あの空一面の黒煙の上に身を隠したあいつの居場所は、こちらも同様に判らない」

 判らない以上、お互い仕掛けようも無い……お互いに攻め手を失った事による、時折戦場に訪れる奇妙な平穏。

「私が雲の上に偵察に行こうか?」

「おつのさんの力は重々承知したうえで言いますが、単独で相手するには危険極まります……それに、万一おつのさんが倒れたら、私たちは空中に居る奴への有効な攻撃手段を完全に失います」

 奴に、致命の一撃を与える目途が立つまでは自重を。

 そう口にした天羽々斬に、おつのはぷーっと頬を膨らませた。

「でもでもー、時間与えると、奴も回復しちゃうよー、あいつ元気にさせると手が付けられないと思うんだけどなー」

「焦っては相手の思う壺……大丈夫、機は必ず訪れます」

 対峙して判ったが、やはりあいつの傷は浅くない。

 いかな強大な妖と言えど、何らかの治療を施さないと、早晩命に係わる傷だったのは間違いない。

 おつのが言うように、安全を確保した今、奴が優先的に取る行動は間違いなく治癒の為の何か。

 そこに、何か、付け込める隙がないか。

 いや、有る筈だ。

 いかなる存在にも訪れる、緊張の鎧を一瞬脱ぐ時。

 その瞬間こそが、殺しの時。

 

「ねぇ、ハバキリさんてば……」

 何か言いかけたおつのが、珍しくそこで言葉を切った。

 沈思する天羽々斬の目が、普段は見せない異様な光を湛えていた。

 それが、さしものおつのの口すら閉ざさせた。

 

 何となく判った。

 余り知りたくは無かったが、これが、暗殺者としての彼女の目。

 その目が、更に昏く凝った光を湛えた時。

 彼女はその光を宿した目を上げた。

「おつのさん……ちょっとですが、危ない橋を渡って貰っても良いですか?」

「忙しくなって来たわね」

 雷の一撃を受け、その衝撃で気を失ったままの鈴鹿御前の顔を一撫でしてから、おゆきは、鈴鹿に慈愛の光を注ぎだした。

 命に別状は無いようだが、未だに彼女が気を失っているという事は、相当な衝撃だったのだろう。

 それを示すような、滑らかな彼女の白い肌のあちこちに走る、痛々しい火傷の痕を見て、おゆきは眉を顰めた。

 しかし、この鬼神まで倒すとは……。

「羅刹……ちょっと治療後回しで良い?」

「ウチなら、もう大丈夫だぜ」

「そう?それじゃお言葉に甘えるわよ」

 それが強がりなのはおゆきにも判ったが、今は騙されたふりをする事にした。

「しかし、鈴鹿までこれ程の傷を負わされるなんてね」

 そう言いながら、おゆきは視線を紅葉と童子切に向けた。

「至近から、奴の雷をまともに受けちゃ、さすがの鈴鹿もな」

「とはいえ、流石に、ただやられはしませんでしたよー」

 童子切が、担いだ鵺の右前脚をほれほれと振る。

「……まだ持ってたのかよ、それ」

「馬鹿と鋏では無いですが、これにも使い途があるんですよー」

「どんなだよ、中々重そうだから棍棒替わりになるかも知れんけど、こいつであんにゃろうをぶん殴るのか?」

「ある意味、そうですよー」

「あん?」

 存外に真面目な顔で、童子切は紅葉にそう返して、おゆきの方に向き直った。

「物は相談ですが、おゆきさん……失せ物探しの術とか使えませんか?」

 この緊急の時に、それは余りに平和な相談で。

「失せ物探し?」

 おゆきが、自身の耳を疑う表情で童子切に聞き返した。

「ええ」

 大真面目な顔で頷かれ、おゆきは当惑の表情で頭を振った。

「私は……ちょっと、そっちの心得は無いわね」

 雪と氷を自在に操り、その大いなる山姫の慈悲心を以て癒しの術を極めた彼女ではあるが、そういう細々した人の使う類の術は、とんと疎い。

「そうですか」

 童子切には珍しく、表面上は兎も角、その声に若干の無念がにじむ。

 仕方ない、他の策を……。

 

「わっちが心得ておる」

 

 今の今まで寝息を立てていた仙狸が、ぱっちりと目を開けて、童子切を静かに見据えていた。

「仙狸、ちょっと大丈夫なの?」

「大丈夫かと聞かれると、正直なわっちとしては返答に困るがな」

 冗談めかしてそう呟いてから、仙狸は僅かに身を起こした。

「お主の事じゃ、失せ物と言うても、つまらぬ探し物ではあるまい」

「無論です」

 急ぐ様子で、童子切は仙狸の方を向いた。

「……今、使えますか?」

 深傷から回復しきっていない、その身で。

「いと易いとは、強がりでも言わぬが」

 静かに童子切の鋭い視線を受け止めて。

「今、必要なのじゃろ」

「ええ」

「では、やるしかあるまいよ……っ!」

 立とうとついた脚から激痛が走り、さしもの仙狸が姿勢を崩す。

「と……無理しなさんな」

 その崩れそうな体を、浅黒い、力強い腕が支えた。

「忝い、紅葉殿……済まぬが、そのまま支えてくれるか?」

「お安い御用だ、しかし軽いねぇ」

 彼女は大して力を入れた様子も無かったが、肩を貸してくれるその腕に支えられて、何とか立てた。

「ふ、割と最近、余計な肉が付いてきておったが、そう聞いて安心したわ」

「そうかい?あたしが男なら、泣いて喜ぶ絶妙な抱き心地だぜ」

「そちらこそ、わっちが乙女なら、泣いて喜ぶ力強さじゃぞ」

 仙狸の体が冷や汗に濡れている……それを感じた紅葉だったが。

「良いだろ、仙狸も筋肉付けようぜ、筋肉」

 口にするのは、気楽そうな一言。

 仙狸の意地を、挫くような事は言うまい。

 多分自分も、同じ状況では同じように振舞っただろうから。

「お誘い忝いが、猫は柔らかい方が重要でな、要り用の筋肉しか付けぬよ」

 ふっと、一息ついて、童子切に向き直る。

「して、何を探す」

「探して欲しいのは」

 そう言いながら、童子切は虎のそれに似た、鵺のごつごつした前脚を、仙狸の前に差し出した。

「これの持ち主」


 
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