「助けてあげましょなァ」

 そう言いながら、藻は遊女然とした、ぞろりとした袂から何かを摘まみ出した。

「そ……れは!」

 陰陽師の男が目を見張った。

 赤く輝く、見覚えのあるそれは。

「ああ、これなァ、お城から掘り出して来ましたんですゥ」

 こんなきれいな物、無駄にしては、勿体ないですからナァ。

 クスリと笑う口を、もう一方の袂で隠す。

「お前……な」 

 何を、と続けようと開いた口に、殺生石を握った藻の腕が、凄い力で無造作に突き込まれた。

 前歯が折れ、喉が裂ける。

 上がるはずの絶叫すら、その腕に封じられる。

 呻きながら、自分の口中に突き込まれた藻の腕に自分の手を掛けて、顔を上げる。

 闇に浮かぶ白い顔。

 その顔に、心底嬉しそうな笑みを浮かべて。

「力に抗うには、力が要りますでなァ」

 当たり前の事ですわァ。

 止めようとする男の手の存在など無いかのように、藻の腕が肘まで入る。

「お楽に、お楽に、直ぐ済みますからなァ」

 ずぶりずぶり。

 上腕の半ばまで腕を突き入れ、藻はにいっと笑った。

「この辺で宜しいでしょ」

 ずるりと引き抜く、その手にはもう、殺生石は握られていなかった。

「大地の力を吸い上げていたこれは、貴方様の新しい骨肉となりますのやァ」

 その言葉に呼応するように、男の背中が大きく膨れ上がる。

「……新たな、こつ……にく?」

「あい、その体では殺生石の血は抑えられませんのでなァ」

 肉が膨れ上がる。

「おま……さいしょ……から」

 ヒトならざるモノに変わっていくただ中で、言葉と言う人の業に最後に縋るように、彼は声を絞り出した。

「あい」

 にんまりと……心底楽しそうに。

「陰謀を企むお方は、不思議と、自分が騙されているとは、思わない物なんですなァ」

「キ……サマ!」

「それ、そのお顔」

 膨れ続ける肉塊に手を添え、そこに流れ込む血の中に立って、藻は男を見上げて艶然と微笑んだ。

「自分もまた、間抜け扱いしてきた騙される側と同じだと悟った時の、お利巧な人たちのお顔ときたらナァ」

 その絶望と怒りが、心底美味だと言うように。

「妾は、それが愛おしゥて、愛おしゥて」

 藻は長く赤い舌をぺろりと出して、ふっくらした唇をねぶった。

「ぁあぁぁぁあああ!」

 

 膨れ上がっていた肉塊が、急速に引き締まっていく。

 金色と黒。

 彼の欲と怒りが噴出したかのような色合いが複雑に絡み合う獣毛が、全身を覆う。

 しなやかで細身、だが圧倒的な力を感じさせる四足の獣。 

「これが……貴方様の魂の形なんですなァ」

 この日ノ本の国には居ないとされる、唐土では力の象徴とされる獣に似た体。

 うずくまっていた体が伸び、立とうとする、だがその足がもつれ、それは地響きを立てて大地に転がった。

「ああもう……まだ足りないのに、せっかちですなァ」

 そう言いながら空を見上げた、藻の口元に笑みが浮かぶ。

「貴方様の魂、大地の力得た骨肉、式の力で目覚めた血……そしてそれらを動かす」

 すいと上げた藻の手に、空を飛んできたそれが、ぬちゃりと落ちる。

「野心に狂い、滾り立つ、ヒトの心臓」

 四の力、ここに揃えり。

 握ったそれを、目の前の巨獣の前にかざす。

「さぁ、妾の為に目覚め、この世に死をもたらしておくれ」

 巨獣の口から、意思を持つようにあふれ出した血が、その心臓を絡め取り、それを飲み込んだ。

 ややあって、うずくまっていた巨獣の中で鼓動が生じ、地響きとなって、大地を揺るがせた。

「元気のいい事……可愛いなァ」

 

「な、何だ、こいつ!」

 

 その時、丘の上の方から声が聞こえた。

「式姫かえェ」

 藻が、その切れ長の目を、声の方に向ける。

 斧を携えた浅黒い艶やかな腕が、淡い月光を受けて朧に浮かぶ。

 短めに切りそろえた髪の間から、二つの角が天を突く。

 こやつその者ではあるまいが、その佇まいや気の在り様に覚えがあった。

 

 戦鬼。

 

 ざわり、と。

 その存在と力を認めて、彼女の長い髪が、生き物のように蠢いた。

「これはなァ、私の可愛い玩具ですわァ」

「てめぇ、何者だ?」

「それを妾に聞くかァ、式姫ェ?」

 そう答えた女の顔を、羅刹はにらみつけた。

 “こいつ”は知らない。

 だが、その邪悪を練り固めたような存在には覚えがあった。

「……化け狐」

「ほほほほほほ!」

 その狂ったような高笑いが答えだった。

 斧を握る羅刹の手が、強敵の存在を認めて引き締まる。

「安心おしな、式姫、お前の相手はこやつが致すでなァ」

 ぐるると、低いが、暴風のそれを感じさせる唸りを、傍らの巨獣が上げる。

「虎、いや!?」

 闇の中、朧に月光を弾く黒と黄色の斑の毛皮、しなやかだが、強靭極まる筋肉に覆われた、四足の体。

 だが、その大きさが桁外れ。

「さ……そこの女に存分に遊んでもらうが良いなァ」

 ぽんと藻の手が、その背を軽く叩く。

 巨体が、うずくまった姿勢から、一気に羅刹に向かって跳んだ。

「早ぇ!」

 だが、やはり獣か。

 斜め上から振り下ろされる前脚の一撃は凄まじい速さと威力を秘めては居るが、単純な動き。

 それを見切って、ぎりぎり躱す。

 そこから反撃に移ろうとした、その羅刹の脇腹を、しなやかな何かが鋭く打ち叩いた。

「……ガッ!?」

 押された肺が、血と共に大量の呼気を口から押し出す。

 僅かな浮遊感の後に、体が大地に叩き付けられる。

 だがさすがは羅刹である、叩き付けられた痛みに耐えて跳ね起き、さらに襲い掛かって来た獣の放つ止めの一撃を、後ろに跳んで、辛うじて躱した。

 斧を構えながら、羅刹は眼前の獣を睨みつけた。

 今の攻撃は、彼女の注意と視線を腕の攻撃に引き付けて繰り出された完全に計算されたそれ。

「単純な獣じゃねぇって事かよ……」

 立っているだけでズキズキと胸が痛む。

 アバラをやられた……。

 斧を構えるその手が僅かに揺れる。

「ほほ、どうじゃな鬼姫よ、妾が手間暇かけて作った玩具じゃ、存分に愉しんでおくれナァ」

 そう言って、藻は踝を返した。

「……てめ……何処へ?」

「何処へ?」

 そうですなァ。

 彼女は、にんまりとした笑いを羅刹に向けた。

「妾も随分と世話になったでなァ、ヌシらの主殿のお悔やみに、伺おうかと思ってますのやァ」

 縁側に円座を二つ引っ張り出して、一人月を見ながら酒を呑んでいた熊野は、傍らに気配を感じて、目を向けた。

「何をしてきたかは知らないが、お疲れ様」

「防備の点検をしてきただけだから、疲れたという程の事は無いんだがね」

 口とは裏腹に、疲れた様子で、鞍馬は空いていた円座に腰を下ろした。

「防備は、余り考えなくて良い館だったんじゃ無かったかな?」

「彼の力が、何らか失われた時の備え位はしていたさ」

「流石に周到だね」

「こんな形で、役に立つとは思っていなかったけどね」

 苦い笑みを浮かべて、鞍馬は目の前に用意されていた酒杯を手にした。

「……では、気疲れにはこいつを処方しようか」

 するりと片口から注がれた清き酒を見て、鞍馬は目を細めた。

「ここのお酒じゃないようだね?」

「いや、ここのお酒を貰ったよ」

「そうかい?色味や香りが違うようだが……」

 すいと顔の前に運んだ杯を口元に寄せて、鞍馬はその形の良い鼻を僅かに動かした。

「薬酒?」

「処方だと言っただろう、まぁ騙されたと思って呑んでみたまえ」

「ふむ」

 一口含むと、親しんだこの家の酒とは違う、僅かに強い香りが鼻を抜ける。

 香りや味が口中や鼻に拡がる感触を存分に愉しんでから、鞍馬は二口目を大目に口に含み、喉を潤す。

「薬酒かと思ったが、それとも違うね……何だい?」

「本来の薬酒は、お酒に薬草類を漬け込んで、数か月掛けて作る物だからね、これは私が常備している丸薬を酒に溶かした物さ」

「ほう……」

 杯に残った分を飲み干すと、頭がすっきりして、疲れが抜けていく感じがあるが、それでいて酒の酔いも確かに感じる。

 名医の常備薬とは、かくのごとき物か。

「本来は、その辺で急ごしらえに掘った井戸水を清める為に作った薬だがね、こうやって酒に濃く溶かすと、また格別だ」

「貴重な物だろうに、悪かったね」

 一粒で、綺麗な水の確保に困らないとは、戦の時には重宝だろうなぁ。

 ふと、そんな事を思ってしまった自分の業の深さに、鞍馬は僅かに苦笑を浮かべた。

「気にする事は無いさ、薬は人の用に立てる為に在るのだから」

 そう言いながら、熊野は鞍馬の杯に酒を満たし、自身も杯を手にした。

 それを軽く合わせて、ちびりと口に含む。

「もてなすつもりだったんだが、こちらがご馳走になってしまったかな」

「何、さっきも言ったが、人の為に薬を用いるのは医者の務めさ」

 そこで言葉を切って熊野は月を見上げた。

「空気がざわついている……今夜は無事には終わるまい」

 神軍の先導を務めた神鴉を、その眷属に持つ彼女が静かに呟く。

「今の内に、君も少し泣いておけ」

 その言葉に、ふと胸を突かれたような顔をして、鞍馬の口元まで杯を運んだ手が止まった。

 ややあってから、酒を口にして、鞍馬も月を見上げた。

「泣き方なんて、忘れてしまったよ」

「……そうか」

 それ以上何も言わずに、熊野は鞍馬の杯に片口の酒を注いだ。

 自分にも注いで、それで用意した酒は終わった。

「替りは?」

 そう口にした鞍馬に、熊野は静かに首を振った。

「いや、止めておこう」

 呑み干した杯を、軽く振るって雫を払い、熊野は杯を伏せて、席を立った。

「残りは祝いの席で頂くよ」

「……ああ」

 歩み去る熊野の背中を目で追ってから、鞍馬は残った酒をゆっくり口にした。

 ほぅ。

 口を離す時、吐息ともつかない息が漏れる。

 祝いの席か。

「私の報酬は酒と米くらいしかないと言ったよね、主君(あるじくん)」

 君自ら注いでくれた酒が有ったから、私はまた戦いの中に身を投じたというのに。

「……さっさと帰ってきたまえ、私はまだ給金の残りを貰ってないぞ」

 残った酒の面に、波紋が一つ拡がった。


 
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