No.599482

三匹が逝く?(仮)~邂逅編・sideジム=エルグランド~

投稿106作品目になりました。
この作品は私、北の大地の西ローランドゴリラこと峠崎ジョージと、
今でも何故にここまで親しくなれたのかよく解らない”旦那”こと小笠原樹氏(http://www.tinami.com/creator/profile/31735 )、特撮という熱き魂で結ばれた私の”義兄弟”ことYTA氏(http://www.tinami.com/creator/profile/12343 )がリレー形式で進行させていきます、ザッピング形式の異世界ファンタジー小説です。
詳しい設定・コンセプト等は下記アドレスの樹さんが更新されました1話にてご確認くださいませ。

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2013-07-20 03:52:45 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:3438   閲覧ユーザー数:2961

『不倶戴天』~ "It's no use crying over spilt milk."~

 

 

 

 

「―――そうかい、亡くなったかい」

「あぁ……結局、間に合わなかった」

「出来ることは、全部やったんだろう? だったら、可哀そうだけれど、仕方のないことだよ」

 

予想はしていた。恐らく、そうなるだろうとは思っていた。だが、改めてその事実を突きつけられると、この上ない無力感に苛まれる。

街の外れ、森と街道の境目に、その建造物はある。最低でも半世紀は経過しているであろう古びた石造りのそれは、嘗て教会の礼拝堂だった頃の名残なのか、宵の淡い月明かりで透かされた色彩鮮やかなステンドグラスの影が床にすぅっと伸びている。そしてその最奥、現代に生きる者なら聖イエスの面影を見るであろう、腰布と刺々しい棘の冠を被った痩身の男性の彫刻の下を皺だらけの顔で仰ぎながら、杖をついた白髪の老婆は悲しそうに呟いた。

 

「最期までメシも満足に食えずに、それでも笑って、安らかに逝った。絶対に、天国行きだ。でなけりゃおかしい」

「……そうだね。きっとそうだよ」

 

ブリジット=ヴァランティーヌ・ド・ボワエルデュー。それがこの孤児院の院長であり、噛み締め嚥下したような悲しみをしみじみと溢す老婆の名前である。詳細までは知らないが、彼女は若い頃、術式を扱うのではなく、視る事に長けた凄腕の”鑑定士”だったらしい。嘗てはギルドでも高ランクに属していたとかで、ジムは術式関連で自分ではどうしようもない事態が起こった場合の殆どは彼女を頼っていた。そう、彼女は他人との必要以上の接触を好まないジムが数少ない”頼る”人物の一人である。

そして、

 

『これは、私も見たことのない呪術だよ。恐らく新規に開発されたものか、かなり古い技術を用いているね。多分だけど、これから解呪しようと思ったなら、最低でも一月はかかるよ』

 

3日前。少年に施されていた呪術の解析を依頼した際に、彼女は苦渋の表情でこう返答した。

彼女の解析によれば、この呪術は”特定の範囲外に出た”もしくは”反抗の意志をとった”と術者にみなされることを引き金として発動する代物らしい。

呪術は大きく2種類に分類される。一つは、施術した瞬間から解除まで常に発動し続ける”常時発動型”。そしてもう一つは、時間の経過や特定の行動、その回数などを引き金あるいは禁止事項として発動する”条件発動型”。そして、今回の少年のそれが後者であることは、ジムも予測できていた。”常時発動型”のような強力な制限を与える為には手間やコスト、そして相応の魔力が必要であるため、コストが低い”発動条件型”の特定条件をより明確に定めることで、低い効力を高めていくことが多い。

 

『呪術はね、施すよりも解く方がずっと難しいんだ。一度作ってしまったお料理を、材料に戻すようなものだと思ってくれればいい』

 

そして、今回の”料理”の最も厄介な点は、”材料”が上質であっただけでなく、拵えた”料理人”にあった。

本来、”沈黙”ならばまだしも”断食”のような、生きる上で最低限必要な三大欲求を完全に禁じるほどの強力な呪術は”条件発動型”では有り得ない。”常時発動型”でも精々3~4日が限度だと言う。それ以上は、並大抵の術者では魔力を支払いきれないからだ。どれほど膨大な貯蓄があろうと、電池が切れれば機械は動かない。

だが、その電池を”複数”用意していたなら、どうだろうか。

 

『少なくともこの術式は”緑”以上の術者が10人近くで施しているね。でないと”条件発動型”でこんなに強力な束縛力は生み出せないもの』

 

電池(呪術)が強力であればあるほど、回路(少年)への負担も大きい。その上”蠱毒”によってただでさえ衰弱している体力を更に奪われている。最悪の場合、今から解呪を試みるよりも、少年を”範囲内”に戻した方が生き永らえる可能性は高い。そう判断したジムはここ数日、ひたすらにその”範囲内”を探し続けた。彼を発見した小川の上流をひたすらに遡り続け、少年の”匂い”を辿り、そして最終的に”とある場所”に行き着いたのが、つい今朝方のことだった。そして、一刻も早く連れて行こうと戻ったつい先ほど、少年は息を引き取っていたのである。

 

「行くのかい」

「あぁ」

「相手が”貴族”だったとしてもかい?」

「関係ねぇ。犯罪者に貴賤もクソもあるか」

 

そう、少年の”匂い”を辿った先は、あろうことかこの地を取り仕切る貴族、アレクシス=エマニュエル・ル・ロワイエ公爵の屋敷だったのである。術式の規模からしてまず一般人ではないだろうとは思っていたし、現国王や中枢の連中の大半が腐り切っていることは以前から知ってはいたが、とうとう地方にまで腐食が進行していたらしい。

 

「”婆ちゃん”が言ったことだぜ。『自分に嘘を吐くな。正しいと思ったことは最後まで貫け』って」

「そうだね、私は確かに、そう教えたよ。でもねぇ」

「でも、何だってんだよ」

「はぁ、相変わらず、自分のことは何にも考えてないんだねぇ、ジミー」

「……その呼び方、止めてくんねぇかな。妙にむず痒いんだけど」

「何を言ってるんだい。そもそも”ジム”って名前自体、私が名付け親じゃあないか」

 

呼称で察しがついだろうが、彼女はジムの”育ての親”にあたる。

預けられてか、それとも捨てられてかは不明だが、ジムの物心がついてからの記憶は、この孤児院時代以降のものしかない。故にジムは自分の正確な出生を知らず、家族といえば精々ブリジットを始め、孤児院の職員や子供たちくらいなのである。

 

「”息子”の名前くらい、好きに呼ばせなさいな。こういうことでもないと、お前は滅多に帰ってきてくれないんだから」

「けど、俺は、」

「まだ、あの”夜”のことを引き摺っているのかい?」

「…………」

「あれは、お前一人の責任じゃあないだろう。忘れろ、なんて言うつもりはないけれど、どうしてお前はいつも一人で全部背負い込もうとするんだい?」

 

背を向け黙り込むジムに、ブリジットは苦笑を浮かべる。その声は決して責め立てている訳ではなく、文字通りに不器用な息子を慈しむ母親のそれであった。

 

「無関係の人を巻き込みたくないっていうお前の考えは解るし立派だと思うけれどね、私はこうも教えたはずだよ?『肩の力を抜きなさい。適度な息抜きと手抜きは違う』ってねぇ」

「……よく、解んねぇんだよ。その、力を抜くってのが」

「まぁ、昔に比べれば随分良くなったけれどねぇ。これも、”姫様”のお蔭かい?」

「……知らねぇよ。もう行くぞ」

「いってらっしゃい。いつでも帰って来なさいな。子供たちも喜ぶよ」

 

そう言い放ち、さっさと礼拝堂を後にするジムを見送って、ブリジットは嘆息を一つ零して言った。

 

「やれやれ、一体誰に似たんだか。そろそろ引きずりすぎて、すり減っていてもいい頃なのにねぇ……」

 

その瞳は、保護者としての慈愛だけでなく、遠い過去への懐旧と、どうしようもない後悔への葛藤を携えているようでもあって、

 

「……天に召します我らが主よ。愛しい我が子に、現世より旅立つ幼き命に、どうか貴方の祝福を」

 

彼女は皺だらけの掌を合わせて、深く深く、祈りを捧げるのだった。

 

 

ジムは滅多にギルドの集会場に顔を出さない。混雑や喧噪を好まない性格だというのもあるが、その理由の大部分は彼の”知られ方”にあった。

壊し屋(クラッシャー)”などという、聞こえの宜しくない異名もそうだが、それ以前に彼はここら一帯では外れの森に住む”赤い目の怪物”として恐れられている。その怪物の噂には統一性がなく、堅牢な角や鋭い爪牙を持ち、強固な鱗は如何なる刃をも通さず、巨大な翼で竜種にも劣らぬ速さで空を飛び、強靱な尻尾の一振りは大木すら薙ぎ倒し、挙げ句の果てには口から万物を焼き尽くす業火を吐き出す等々、パッと思いつくだけでもこれほどの荒唐無稽な流言があるくらいで、街の大人たちはよく自分の子供に”あの森に近づくと赤い目の怪物に食われる”などと言い聞かせていたりもする。まぁ、その大半が実際にジムと会った訳でなく、人伝に聞いた噂に何故か尾鰭どころか背鰭に胸鰭、その上ご丁寧に鰓までがくっついて鼠算式に伝播していったのが主な原因なのであって、当然ながらジムに食人の趣味や衝動などなく、そもそも人間を襲った経験自体が皆無なのだが。特に”壊し屋(クラッシャー)”の異名が知られるようになってからは、その傾向が顕著になった気がしないでもない。

兎に角、この界隈で真紅の虹彩は一種の畏怖の対象であり、無闇に混乱を引き起こすのを好まないジムは、街に出る際にはブリジットの(まじな)いによって虹彩の色を誤魔化せる眼鏡をかけ、その上でなるだけ人目を避けて行動している。孤児院やブリジットを通じて幼い頃からジムを知っている一部の住人たちは「気にしなくてもいいだろう」と笑い飛ばしているが、それでもジムは念には念を、と欠かさずそうするようにしていた。

だがまぁ、それを抜きにしても、身の丈2mを越えた筋骨隆々の大男となれば、否が応でも目立ってしまうわけで、

 

「おい、アイツまさか―――」

「いっ!? なんで町中にっ!?」

「おか~さん、なんかスゴいひといるよ~」

「しっ、目を合わせちゃいけません!!」

 

夜も更け始めたとはいえ、決して人通りが全くない訳ではない。どれほど目立たないようにしても、酒場ですっかり酩酊していた青年たちが急激に酔いを醒まして道を開けたり、これより夕食の支度を始めるのだろう母子が素知らぬ振りをして傍らを通り過ぎていったりする。その性質上、仕方がないとはいえ、ギルドの集会場が繁華街のど真ん中にあることが、時折恨めしくなる。

 

(聞こえてんだよ。せめて口に出してくれるな……)

 

後ろ指を指される機会が多いことと、それに対する耐性があるということは、決して”=”ではない。ジムとて出生や環境故に早熟にならざるを得なかったというだけで、未だ20代前半(正確な年齢が解らないので推測でしかないが)の若者なのだ。酸いも甘いも噛み分けるほど老練してはいないし、かといって完全に笑い飛ばせるほど無邪気でもない、年相応の感性の持ち主でしかない。表情や言葉に出していないだけであって、全く傷ついていないなど、大間違いなのである。

 

(大体、このレンズだって普通に透明でいいだろう。何で黒いんだ……)

 

”とある理由”で五感が人より圧倒的に鋭いジムにとって、砂漠地帯などの強すぎる陽光を和らげるのにこの黒いレンズはもってこいだが、普段はより威圧間を底上げしているだけに思えてならない。ただでさえ強面だという自覚があるというのに、これ以上周囲を怖がらせてどうするというのだ。ブリジットがこの眼鏡を贈ってくれた時、随分と興奮した様子で確かこんなことを言っていた覚えがある。「若返った気分だわぁ。 あの頃に戻ったみたいねぇ」あの人にしては珍しく頬を紅潮させて声を弾ませていたが、一体どういうことなのだろうか。

心中でだけ溜息を吐いて、ジムは歩みを早める。やがて見えてきた集会場のスイングドアを開け放つと、恐らく余所者なのだろう、疎らに席を陣取っている見覚えのない冒険者(クエスター)たちがこちらを見ては即座に視線を逸らす。紅眼を隠していたとしても、ジムの外見はそれだけでまず特定できるほど特徴的だし、何より集会場(このば)に現れた時点でまず間違えようもないだろう。殆どがランク”青”、せいぜい”緑”である彼らにとってランク”黄”、それも既に実力は”赤”と同等かそれ以上と謳われている上に、”あの風評”の張本人でもあるジムは、正に触らぬ神に何とやら、といった危険物のような存在なのだろう。中には数人、物珍しそうな好奇の目を向ける物好きもいるようだが。

 

「上に来てるか?」

「はい、お待ちになられておりますよ」

「そうか」

「気に入られてますねぇ、ジムさん」

「物好きなんだよ。俺なんぞをどうしてあんなに高く評価出来るんだか」

「ふふっ。相変わらず謙遜ばかりですね。お仕事、頑張って下さい」

「ん」

 

尋ねると、一見女中のような服装をしたカウンターの受付嬢は特に怖がる様子もなく、むしろ親しげに話しながら上階への階段へ視線をやった。滅多に来ないとはいえ、ジムは若くしてランク”黄”まで上り詰めた、このギルド支部における出世頭である。世間の評価こそああだが、少なくともジム=エルグランドという人物像とその腕前を知る者たちにとって、彼が心強く頼もしい存在であることは自明の理である。そして冒険者(クエスター)としてジムが一部の人間には評価されているその最たる”理由”が今、上階の部屋で彼を待っているという。

短く答え、階段を上る。冒険者ギルドは基本的に依頼の窓口と、外から出張ってきた冒険者たちを迎え入れる宿屋として機能しており、この街の支部では1階に受付嬢のカウンターと、冒険者ギルドと商会を繋いであらゆる物資を調達、提供する手配屋の窓口、そして腹を満たすための食事処を兼ねた酒場を構え(一般人も利用可)、2階は格安で身体を休められる個室が幾つも用意されている。その一つ、最奥の角部屋の戸をノックすると、

 

「―――右手に短刀と毒薬」

 

ドア越しに聞こえた、感情を感じさせない、低く平淡な女性の声。先を促すような沈黙。鍵の開く気配はない。そして、

 

「……左手に、銀貨三十と荒縄か?」

「ふふっ、正解。入って」

 

呆れ混じりにジムがそう言うと一転、弾むような愉快な声に変わり、がちゃりと錠の外れる音がする。

とりあえず、部屋に入ったジムは眼鏡を外して、開口一番にこう言った。

 

「今度は退魔師(エクソシスト)の本でも読んだのか?」

「周囲の皆には通じないんですもの。文学には意外と博識な貴方なら、拾ってくれると思ったわ」

「むしろ王族連中が知ってたら驚くっての。拾えてなかったらどうしたんだ?」

「勿論、偽物は排除しなくちゃ」

「窓の外と、天井裏の連中を差し向けて、か?」

「冗談よ、ご免なさい。それにしても流石ね。”赤”相手でも背後をとれるほどの手練ばかりなのに」

「匂うんだよ。気配も解る」

「あははっ」

 

ころころと上品に口に手を当てて笑いながら、備え付けのベッドに腰掛けているのは、烏羽色の艶やかな長髪が印象的な、外套に身を包んだ女性だった。見るからに人族。年頃は20代となって間もないくらいだろうか。ジムよりは年上のようである。上から下まで身なりの意匠こそ庶人のそれだが、明らかに用いられている生地が上等すぎる。それが余りに不釣り合いに感じられてならない。言葉遣いこそ年相応のようだが、所作や纏う雰囲気からして、明らかに平民の出ではない。それもそのはずである。彼女の身体に流れるその血は、由緒正しき統制者のそれなのだから。

 

「で、”候補者”のあんたがわざわざ出向いて来てんだ。野郎が黒幕ってことで、いいんだな?」

「……そうね。お喋りはこの辺にして、本題に入りましょうか」

 

すると、先ほどまでの爛漫な笑顔はなりを潜め、代わりに表れたのは凛と張った”公”の顔。王位継承権序列”第11位”にして現国王の末娘、アナスタシア=セレスティーヌ・ド・プラティーヌ、その人であった。

 

「貴方から受け取った伝書鳩の情報を元に調べてみたのだけれど、ロワイエ公爵は5年前に元王宮魔道士とその弟子8人を内密に雇い入れていたわ。その殆どが、嘗て呪術に携わっていた疑いがあるし、それ以外も人格に難有りとされて、昇級試験に落第した者ばかりね」

「そもそも、ロワイエってのはどういう野郎なんだ?」

「貴方らしいけれど、何処で誰が聞いているのか解らないんだから、呼び捨ては一応止めてね? そうね、何と言うべきかしら。優秀な人なのは間違いないのだけれど」

 

良くも悪くも”王族”。それがアナスタシアの公爵に対する見解であった。徹底的な人間史上主義。人間にあらざる亜人はすべからく、選ばれた”人間”が支配するべきである、と常日頃から掲げ、それを実行してきた人物。解りやすく言うなら古代ローマの選民主義におけるローマ人を人間、それも貴族に、属州や周辺国民を亜人に置き換えれば、あるいは解りやすいかもしれない。

 

「……胸糞悪い。何様の積もりだ」

「貴方なら、そう言うと思ったわ。私も考え方には賛同出来ないけれど、叔父様の手腕が王国にもたらしたものも沢山あるの」

 

人物像を聞いてのジムの第一声は、表情をしかめての吐き捨てるようなそれだった。腕を組み、立ったまま壁に背を凭れている彼を見て、アナスタシアは苦笑しながら、しかしそれを諫めるように続ける。

 

「叔父様……血縁なのか、あんたの」

「それはそうでしょう。王位継承権第9位。数字で見れば、私より上なのよ?」

「そう、か……スマン」

「? ……あぁ、気にしなくていいわよ。状況が状況だもの、貴方が叔父様に嫌悪感を示すのは当然だわ」

 

心持ち、気まずそうに視線を逸らすジムに、アナスタシアは疑問符を浮かべて、すぐに気づく。彼は何よりも”情”を大切にする。わざとではないにしろ、他人の”家族”を目の前で貶してしまったことを申し訳なく思ってしまっているのだろう。

彼は直情径行ではあるが、決して愚者ではない。少なくともアナスタシアはそう思っていた。”自分”という、軸のぶれることのないはっきりとした”芯”を持ちながら、時には一歩退いて他者を慮ることの出来る人物だと、年下ながらそういった点は尊敬に値するとも思っている。”赤い目の怪物”の噂を信じている連中も一度でいい、腰を据えて彼と向き合ってみればいい。そんな噂とは余りにもかけ離れた、ひょっとすると我々よりも余程”人間らしい”人物かもしれないと、そう感じるはずだ。

 

「それで、正式に今回の件は貴方に依頼しようと思っていたのだけれど」

「……何か、問題があるのか?」

「パトリエール卿、知っているかしら?」

「”白”のオッサンだろ。仕事で何度か顔を見たことがある」

「……どうして”黄”の貴方が見たことがあるのかは気になるけれど、それは一端置いておいて。彼は今回の事件を別口から追いかけていたようでね、数日前にランク”赤”に依頼しているのよ。ギルドを介した形で、正式に」

「”赤”、か……あんたの権利で変更できないのか?」

「無茶言わないで頂戴。ギルドの創設に携わった兄様や姉様たちならまだしも、私一人じゃ大したことは出来ないの。大体、兄様や姉様たちが味方についてくれたとしても、何て説明する気なの? ”信用できないから”とか”自分の手で決着(けり)をつけたいから”なんて言う訳じゃあないでしょうね。自分から”赤”への昇級を断り続けている貴方が」

「…………」

 

冒険者ギルド『アルカンシェル』は、正確には国王ではなく、国の行く末を憂いた国王の子供たちによって創設された組織である。上は竜種を筆頭に危険種の討伐から、下はご近所付き合いのトラブルまで、依頼内容は実に幅広く、多岐にわたっており、それらの解決を生業とする冒険者(クエスター)たちはその実力によって5段階のランクに大まかに分けられている。ランクは下から”紫”、”青”、”緑”、”黄”、”赤”。当然、ランクの高さと与えられる義務や権利、依頼の危険度や報奨金の額は比例しており、ランクを上げるのに必要なのは知識であったり技術であったりと、得意とする職種によって様々だが、要は監査官に、ひいてはギルドの上層部に”ふさわしい実力を持っている”と認めさせればいい。故に、稀に本来の実力とランクが釣り合っていない者がいる。それは試験の際に実力を出せなかった者だったり、意図的にそのランクに留まっている者だったりする。そして、ジムはその後者だった。

”赤”ともなれば、依頼主は一定以上の権力者であることが大半である。時には今回の公爵のように胸糞悪い連中の警護、なんてこともこなさなければならないかもしれない。一度そのランクになれば、それが永続する訳ではなく、ある程度のノルマをこなさなくてはランクの降下、あるいは冒険者(クエスター)資格が剥奪されるシステムの為である。それほど厳しい条件が課されているではないが、時と場合によっては依頼内容を選んでいる余裕はなく、それに付随する義務などを鑑みれば”赤”には個人の自由意志など殆ど許されていないというのは、予想に難くないだろう。

ならば、意図せず悪事に荷担する可能性があるくらいなら、端から”赤”よりもある程度の自由が利く”黄”の方が都合がいい。何より、分不相応な金や権力は身を滅ぼす。ランク”黄”の依頼内容で充分に衣食住は保てているのだから、わざわざ”赤”に昇級する必要もない。そして何より、ジムには先述の理由以外にも、”赤”に対する悪印象があった。

 

「貴方が”赤”を嫌っている理由は知ってるし、理解もできるわ。でも、全てが彼らの意志じゃない。それは、貴方だって解っているでしょう?」

 

10年ほど前だったか、各地で猛威を振るった100人規模の盗賊団がいた。その討伐の為に”赤”の一人が駆り出され、圧倒的な実力差に追いつめられた盗賊団の頭領はさらった子供を人質に見逃す取引を持ちかけた。そして、子供一人の命よりも凶悪犯の確保を優先したその時の”赤”は、何の躊躇いもなく、子供ごと頭領を殺そうとした。そして、何より不運だったのか、この子供が”あの孤児院”の子供、ということだった。

ここまでのジムの言動で察せただろうが、彼にとって命に貴賤など全くといってなく、例えそれが見知らぬ少年少女だったとしても、彼はきっと同じ行動に出ただろう。しかし、それが日頃より親しく接するものだったとしたなら。自分を兄と慕い、無邪気にじゃれついてくるような”家族”だったとしたなら。

 

(当時は、本当に大変だったのよね。まさか冒険者登録もしていない素人の少年がランク”赤”を、それも素手で倒した上に、そのまま盗賊団を壊滅させた、なんて前代未聞な出来事、誰も予測なんて出来る訳がないもの)

 

この事件を切欠に、それほどの実力者を放置しておくわけにもいかない、とその少年、ジム=エルグランドは半強制的に冒険者登録されることと相成ったのである。余談だが、”赤い目の怪物”の噂が流布され始めたのもこの頃であると記憶している。

 

「確かに”赤”の中には冷酷な者もいるけれど、それは何も”赤”に限った話ではないし、皆が皆そうじゃないことくらい、今の貴方なら理解出来るでしょう?」

「…………」

 

相変わらずの沈黙だが、仄かに空気が弛緩しているのを感じる。確かに彼は最終的に”情”を優先することが多いが、基本的にしっかりとした”理”であれば通じるし、不承不承ではあるだろうが、納得もしてくれるのである。彼女がそれを知ったのも”あの事件”の重要参考人として城に連れてこられていたジムを初めて目の当たりにした、その時だった。

最初は、ただの好奇心だった。”赤”を素手で倒すほどの実力者。それも、自分よりも年下の少年。末娘ということもあり、他の子に比べて自由に育てられた彼女は腕白な面が強く、興味を持てば何にだって手を出すし、首を突っ込む性格をしていた。四肢を拘束され地下牢にいると聞いて看守を説得(脅迫)し、いざ檻の中をのぞき込んだその時の彼を、アナスタシアは一瞬たりとも忘れたことはない。

 

(人を傷つけることを、殺すことを、何より嫌う貴方なら、何が正しくて間違っているかの区別を誤るはずがないもの)

 

牢獄の中で、彼は泣いていた。血の匂いを、肉を殴る感触を、断末魔の叫びを忘れることが出来ずに、ただ静かに、苦しみながら、泣き続けていた。聞けば、彼は連行されている間も表情一つ変えずに、ひたすら唇を引き結んで黙り込んでいたというのに。そして、後に真実を知った。盗賊団の卑劣な行為。それに対する”赤”の対応。そして、彼の境遇と、彼がこの時初めて、人を殺めてしまったということ。

大局的に見たなら、当時の”赤”の判断は決して間違いではない。頭領を逃がしていたなら子供一人どころではなく、甚大な被害が更に拡大していたことだろう。しかし、同時にこうも思ったのだ。例えば自分が彼の立場で、人質に取られていたのが自分の家族であったなら、大切な人であったなら、果たして自分は冷静でいられるのだろうか、と。

”木を見て森を見ず”と多くの貴族が少年を見下し蔑んだが、ギルドの一部の人間はむしろ逆の見解であった。自分たちが”森を見すぎて木を見ない”からこそ、彼のように”常に木を見られる者”が必要なのではないだろうか、と。

 

「……だったら、手を引けってのか?」

 

奥歯を噛みしめ、嫌な音がギリ、と鳴る。俯いているから表情は窺えないが、見なくても解る。間違いなく、憤怒の形相だ。

 

「目の前で一人、ガキが死んだんだぞ」

 

ビリビリと、肌を刺激する怒気。直接矛先を向けられている訳でもないのに、全身を震え上がらせるような恐怖を感じさせられる。果たして、これを直接ぶつけられてまともでいられる者が、どれほどいるだろうか。まず間違いなく言い切れるのは、”赤”でもそうはいないということくらいか。

 

「家にも帰れずに、親にも会えずに、見知らぬ世界で、独りで死んだんだぞ」

「独りじゃないわ」

「あ゛ぁ!?」

「貴方がいた」

「っ」

「貴方が、側にいて、最期まで見届けてあげたんでしょう? だから、あの子は笑って逝くことが出来た。違う?」

 

でも、それでも、こんなに優しくて強い怒りを、私は知らない。こんなに悲しくて尊い怒りを、私は知らない。

彼は言葉に詰まる。そんなことはないと、そう思っているのだろう。どうして、こんなにも自己評価が低いのだろうか。少なくとも、君に”救われた人間”がここに一人、いるというのに。

 

「それにね、私は貴方に”何もするな”と言いに来たんじゃないわ」

 

どうか、君にはそのままでいて欲しい。出来る限りは、叶う限りは、君の思うままでいて欲しいし、君の思うままにして欲しい。だからこそ、私は告げる。一人の姫として、友人として、そして、何があっても変わることのない、君の味方として。

 

「パトリエール卿の依頼の内容はあくまで黒幕の生け捕りでした。でも、貴方の主目的はそっちじゃあないし、何より私も被害者がその少年一人だとは到底思えません。そもそも、異世界人は保護が基本原則であり、呪術など以ての外。これまでに異世界人がもたらしてくれた知識や技術は幾度となく文明の発展に貢献してきました。幾ら王族とはいえ無断で、それもこれほど強力な呪術を用いての拘束など言語道断です。ここまで言えばもう解りますね、冒険者(クエスター)ランク”黄”、ジム=エルグランド」

「―――あぁ」

 

どす黒い憎悪に染まっていた虹彩に輝きが戻っていた。いつものように、燃え盛る炎のような怒りと、暖かく寄り添う灯のような優しさを秘めた、紅蓮の瞳。紅玉(ルビー)にも石榴石(ガーネット)にも劣らぬ、高貴な輝き。何故に人々はこれを恐れるのだろう、そこだけは理解できない。

 

「王位継承権第11位、アナスタシア=セレスティーヌ・ド・プラティーヌが、直々に貴方に依頼します。アレクシス=エマニュエル・ル・ロワイエ公爵の屋敷を調査、一刻も早く被害者を全員、無事に救出してみせなさい。主犯格の身柄は必ず確保。私の名に誓って、厳正な裁きを与えると約束しましょう。何より、被害者たちの呪術の解呪法を吐かせる必要もあります」

「……心得た。必ず、遂行する」

 

眼鏡を戻し、部屋を後にするジム。その広く逞しい背中を見送って、ドアが閉じた途端、

 

「―――ふぅ」

 

アナスタシアは安堵の吐息を一つ漏らして、ベッドに横になる。肩肘張った物言いはあまり得意じゃないし、そもそも好きでもない。使わなければならない場所の方が圧倒的に多いのだけれど、それでも嫌なものは嫌なのだ。その上、今夜は本来なら”使いたくない相手に使わなければならない”というのだから、尚更気に食わない。

 

「毎度毎度、聞くこと聞いたらすぐ行っちゃうんだから……」

 

もう少し残ってくれたっていいだろう、そう思ってしまう。彼の頭の中は既に救出の件で一杯になっていると解っていても尚、そのほんの片隅ででいいから、自分のことを考えてくれないだろうかと、望んでしまう。

 

「こっちはわざわざ変装までして、人目を忍んで来てるのに」

 

彼の、思いこんだら真っ直ぐだったり、誰に対しても平等に接する性格は非常に好ましいけれど、それは逆を返せば誰に対しても特別扱いすることはないとも言えて、本当にそれを望むならば、

 

「家族、か……羨ましいな」

 

自分には程遠い言葉だなぁ、とアナスタシアは憂鬱げに呟くのだった。

 

 

一度通った道を忘れることはほぼないと言っていい。普通ならば延々と変化なく見えるであろう獣道も、彼にとっては異なって写っているからだ。木々の枝葉の位置やそれらが落とす影、草花の生え方一つとっても、全く同じ道など決してない。人間が町中で特定の彫像や噴水、建造物を目印とするような感覚で、彼は生えている植物の種類や大きさ、形状を頼りに大まかな位置を知ることが出来るのである。何より、かなり薄れてこそいるものの、今回は嗅覚による”道標”もあるのだ。迷え、という方が難しいというものである。

 

「ここ、だな」

 

深緑生い茂る森の中、あの少年を保護した渓流を遡った先に、水路への入り口はある。水の精霊が住まう土地とされていたこの地には、嘗て暮らしていた人々が彼らを祭るために建てた神殿跡がある。随分と前に戦争の被害で破壊されてしまい、そのまま財政難から再建もされぬまま放置されていたと聞いていた。となれば必然、役割を果たすことがなくなり、今は何も排出されていない水路であるはずなのに、数日前にこの水路を発見した際からそうだったが、明らかに流れ出ている水が濁っている。ここ数年の川の生態系の変化はこのせいだったか、と納得した。そりゃあヌシもいなくなるというものである。体躯の大きな生物ほど、環境の変化には敏感だったりするものなのだから。

ガチャリ、と鳴る金属音。ジムは基本的に得物を使わず、その筋肉質な長身から繰り出される長いリーチとパワーを最大限に活かした肉弾戦を主とするため、戦闘の際には動きを阻害しない最低限の手甲と脚甲、帷子(かたびら)を身につける。とはいっても、並大抵の金属では防具として役目を果たさぬ上、熊や猪さえも素手で難なく相手取れる彼のパワーの前では、消耗品も同然となってしまう。壊れる度に買い直していたのではきりがない。そういった判断から、彼の防具は特別な金属で作られていた。

 

「さて、行くか……」

 

現代で言う下水道を一回りか二回り狭めたような水路へと、身を屈めて踏み込んでいく。平均的な人間の身長であったなら丁度いいくらいの空間なのだろうが、如何せん2mを越える彼の身の丈では余りに不釣り合いで、頭を下げなければ天井で頭を研磨する羽目になってしまう。なるだけ物音を立てぬよう、水路には踏み込まず両端の通路の上を、足音を消して慎重に歩いていく。日の光の届かない真っ暗な空間にあって尚、しかし彼の纏う防具は薄ぼんやりと、光を放っているように見えた。日向で蓄えた陽光を緩やかに放出しているようなそれは、揺蕩う波間のように赤銅色の輝きを揺らめかせている。見る者が見たなら、これだけで真っ先に気づくだろう。彼の防具は、ヒヒイロカネ製なのだということに。

日緋色金(ヒヒイロカネ)は太古の日本において、現在で言う鉄や銅のような感覚で使用されていたという伝説の合金であり、祭祀用の鈴や剣などに用いられていたが、時代の流れと共に資源が枯渇したのか、それとも精錬技術が失われていったのか、雄略天皇の時代を最後に完全に精錬されなくなったとされている。その常温における驚異的な熱伝導性は、ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすには木の葉数枚の炎で十分であったほどだそうだ(正に”エネルギー保存の法則”クソ食らえ、である)。最も、その存在が記されている『竹内文書』自体が偽書とされているため、実在云々以前にその伝承そのものの真偽が疑われていたりするのだが、それは置いておくとしよう。無粋極まりない(なら何故書いた)。

ジムが装備にヒヒイロカネを選んだ最たる理由は、金よりも比重が軽量でありながらその硬度は金剛石(ダイヤモンド)よりも硬く、永久不変で絶対に錆びないという点にあった。戦闘方法が原始的な白兵戦である以上、相手との接触は当然多い。金属は衝撃を与えれば疲労し脆くなる。脆くなれば、当然壊れる。いつ何時壊れるかもしれない防具というのは、不安要素以外の何物でもない(本来はそれが普通なのだが)。決して壊れず、強固で、その上軽量ともなれば、それを選ばない手はなかった。少々大金を叩く羽目にはなったが、5年近く経った今でも錆びるどころか、傷一つないというのだから、それだけの価値は十二分にあったと言えるだろう。

 

(臭ぇ……糞尿の臭いが混じってやがる)

 

微かに目を細め、悪臭と予感の的中に眉間に皺を寄せる。少なくともこの先に、糞尿を排泄する必要があるほど滞在している人間がいるという、何よりの証拠である。

更に奥へと進む。あの少年の一件からこちらにも警備がいるだろうと踏んでいたのだが、気配は全くといって感じられない。正面突破よりは面倒にはならないだろうと思っていたが、これでは文字通り警備連中を”掻い潜る”だけで簡単に潜入できそうだ。排水口から進入する者などいるわけがないと高をくくっているのか、それとも貴族としてのプライドとやらが許さないのか、いずれにしても間抜けにもほどがある。

 

(あるいは、野郎が雇ったのが阿呆なのか)

 

王宮魔導師にその弟子8人だけ、ということはまずないだろう。身辺を警護させるために、きな臭い連中も金に物を言わせて揃えているはずだ。むしろ、そういった連中に見つかって先んじて逃げられることを懸念していたのだが、

 

(……着いちまったぞ、おい)

 

多分、少年はここから落ちて川まで流されたのだろう。明らかに崩落の形跡がある。申し訳のように数枚の板で塞がれていることから見ても、雇い入れている連中の質は明らかに低いらしい。ここまで何の障害もなく簡単に来られたことも、軽く肩すかしである。何かしらのトラップや警報くらいはあると読んでいたのだが。

 

(むしろ、下手に守りを固めない方が怪しまれなくはあるか……)

 

何にせよ、手間はかからないに越したことはない。まずはこの板を除けなくては。ジムがゆっくりと右腕を掲げた、次の瞬間、

 

 

 

 

―――その右腕が文字通り”変貌”し、黄金色の体毛と長く鋭い爪が瞬時に生えたかと思うと、まるでバターように音もなく、塞いでいる板を細切れにしてしまったのである。

 

 

 

 

「…………」

 

黙したまま、見るからに猛虎のそれであった右腕を人間のそれへと戻すジム。これこそが、彼の身体能力や五感が人間のそれより優れていたり、幼い頃より”壊し屋”としてランク”黄”として登録されている原因の、彼が唯一行使できる”魔法”である。

いつからかの自覚はないし、修得しようとした覚えもないのだが、気が付いた時にはもう出来ていたことで、彼は肉体の一部、あるいは全身を他の生物のそれへと変異させることが出来るのである。生物とはなにも獣に限らず鳥類、魚類、昆虫、植物に至るまで、彼が知っていて”この世界に実在している”ならば、その制限はないに等しく、この事実を知る者は殆どいないと言っていい。

彼が人目を避け、人里離れた山奥でひっそりと暮らしているのは、無論個人の趣味でもあるが、これが大きな理由だった。今でこそ自在に制御出来ているが、幼い頃は感情の高ぶりですぐに発動してしまい、何度も周囲を危うくさせた。魔法と言うよりは、体質と言い換えても差し支えはなく、それ故に心ない言葉の刃は彼の心を幾度となく傷つけ、苦しませたりもした。まぁ、その話はいずれ書き記すとして、そのような経験から、ジムは滅多に他人の目がある前でこの力を使わない。

まだその変化に気づいていないのだろう、そっと穴から中をのぞき込むと、すっかり怯えきっているのか、部屋の隅で丸くなって動こうとしない、やはり少年のような見たことのない服装をした子供たちがそこにいるだけで、見張りのような人影は見当たらなかった。

下手に騒がれでもしたなら、連中に気付かれる可能性もある。限界まで息を潜めて気配を殺し、音もなく上がり込む。それでも何人かがこちらに気づき、息を呑んでいるように見えたが、口元に人差し指を立てて静かにするよう促し”助けに来た。静かにしてろ”と小声で囁くと、半信半疑といった顔ではあるものの、助かる望みがあるのなら、と口に手を当てて沈黙の意志を示してきた。

 

(よし……)

 

余談だが、彼は自分が強面であり、他人からすれば明らかに恐れられるだろう外見をしているという自覚はある。そのため、孤児院ならばまだしも、こういった見知らぬ人間、特に子供と接する時は腫れ物を扱うように慎重になることが多い。が、どうやら相手は毎度そうは思っていないらしく、子供たちの中にはまるでテレビや漫画の中のヒーローが助けに来てくれた、と言わんばかりに瞳を爛々と輝かせ、嬉し涙を流している者までいた(ジムには自分を怖がり怯えているように見えている)。そう、何故か彼は子供には非常に好かれる体質なのである。幼い頃の目はその人の本質を見抜く力がある、とも言うが、大の大人でも彼を見ると腰を抜かして逃げ出す者たちが圧倒的に多いというのに、一体どういうことなのだろうか。

 

(鍵は……そこか)

 

牢屋の鍵はこれみよがしに鉄格子の真向かい、壁のど真ん中に吊り下げられていた。大人の体格でも、いくら腕を伸ばしても届かない距離。なまじ目で見える場所にある分、ここからはどう足掻いても出られないということを見せつけているようで、非常に腹立たしくなった。

ジムの腕力と”能力”ならばこの程度の鉄格子を破るのは容易だが、当然それには轟音が伴ってしまう。可能な限り、この子たちを危険に晒したくはないし、呪術のカラクリは未だに解明出来ていないのだ、何らかの手段で彼らの命を人質に取られてしまえば終いである。

そう判断すると、ジムは再び格子の隙間から腕を伸ばし、更にその腕から黒く光沢を放つ巨大な角を伸ばした。指叉状のそれはどうやら堅牢な甲殻で出来ているようで、大きさこそ何倍も大きくあるが、甲虫(かぶとむし)のそれだと解った。その先端の突起を鍵の輪の部分にひっかけると手元に手繰り寄せ、難なく牢屋の錠を開け放つ。

 

(いいか。俺が表の連中を黙らせるまで絶対にここから出るな。もし、かなり時間が経っても俺が戻ってこなかったなら、その時はそこの穴から必死で逃げろ。水路を通って川づたいに逃げて、丸太小屋が見えたら、そこにはお前たちの味方になってくれる兵士がいるはずだ。解るな?)

 

こくり、と肯定するのを見て、ジムは牢屋から屋敷へ通じているだろう戸に耳を当て、向こうの様子を伺う。

自分の小屋の所在を、アナスタシアは知っている。起こす気も起こさせる気も全くないが、自分に万一の事態が起こった場合を想定して、彼女には信頼できる私兵を何人かそこに待機させておくよう、潜入の前に再び伝書鳩で頼んでおいた。王族は気に食わない奴らばかりだが、そんな中でも彼女は例外だとジムは思っている。依頼主がその要である子供たちを危険に晒すような真似をするわけがないし、そもそも約束を破るような人物では、決してない。

 

(呼吸音と声色からして全部で5人。気配の位置からしてドアの向こうに2人、少し進んだところに3人か。まるでこっちに意識を向けていない。俺のことにも気付いている様子でもない。本格的に雇う連中を間違えたな、ロワイエ)

 

こういう時だけは”ああいった噂”も悪くはないと思える。無駄な戦闘を避けるのに、非常に役立つからだ。

満身の力を籠めて思い切りドアを蹴破り、その衝撃で纏めてそこにいた2人を吹き飛ばす。そこで初めて異変に気付いた残りの3人がこちらを見て、それぞれの獲物を慌てて手に取ろうとしているのを見て、ジムはゆっくりと黒いレンズの眼鏡を外し、

 

「だ、誰だてめぇ!! どっから入った!!」

「…………」

 

言葉は必要ない。ただゆっくりと瞼を開くだけで事足りる。何せ、ここら一帯では”壊し屋”としてよりも、親が子供に言って聞かせるほどに、自分はある意味で有名なのだから。

 

「あ、あ、赤い目ぇ!?」

「嘘だろ、なんで、なんでこいつが!?」

 

変身魔法でただ一つだけ、未だに自分で制御できない部分がある。どういう仕組みなのかは知らないが、昔から感情が高ぶると、瞳が赤く光ってしまうのである。普段はこの黒い眼鏡の呪いで誤魔化しているが、今に限っては必要ない。こういう奴らは、怖がらせた方が手っとり早い。そう、光っていると確信するほどに、今の自分は怒っているという自覚があった。

少年の衰弱状態から、こいつらがまともに面倒を見る気がなかっただろうことは解っていた。だが、いざ目の前にしたあの子たちの容体は見るからに深刻だった。明らかに痩せ衰え、栄養失調寸前。瞼の下に隈も見えた。まともに眠れてすらもいないのだろう。この辺りの夜はただでさえ冷える。時折、暖炉に火をくべなければならないほどに。だのに、あの牢獄には明り取りの窓と、水路へ繋がっているあの大穴(恐らく簡易的なトイレだったのだろう)しかない。これで怒るなという方が、無理な話だった。

 

「―――ロワイエは、何処だ?」

「ひ、ひぃいいいいいいいいいいっ!!」

 

四肢を変化させる。鋸状の細かい鱗にびっしりと覆われた表皮。鎌状に歪曲した大きく鋭い爪。やがて背中を突き破って生えるのは巨大な双翼としなやかな迅尾。この世界に生きていれば誰もが恐れる自然界の覇者、竜のそれである。その圧倒的な膂力は城塞を粘土細工のように叩き潰し、爪牙は鋼鉄すら難なく切り裂き、尻尾の一振りは攻城砲にも匹敵すると言われる。そして、何より人々を震え上がらせるのが、

 

「スゥゥゥゥ―――GIAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 

体内の器官を組み替え、盛大に吸い込んだ空気を一気に吐き出す。それは瞬時に高熱を帯び、周囲の酸素を悉く飲み込んで煉獄の塊と化す。それは、一筋の”道”のようでもあった。

種によって異なる、口からの強力無比な吐息(ブレス)。竜種の最大の特徴にして切り札。それは時に爆炎の剛球であったり、極寒の吹雪であったり、千万の稲妻であったり、猛毒の粘液であったりするのだから、恐れるのも当然である。

雄叫びと共に仰いだ真上、天井を貫いたのは、極太の熱線であった。光線とも言えるだろうそれは石造りの天井に大口径の風穴を開け、黒焦げの天窓を拵えていた。胸糞悪い下種野郎への宣戦布告の狼煙を兼ねたそれは、天を衝かんと逆立つ怒髪を現しているようでもあり、誰の癇に障ったのか、逆鱗に触れたのか、これでもかと言わんばかりに、これ以上なく訴えかけていた。

 

「あ、あが、あ……」

「お、お助け……」

 

あの噂が間違いではなく、少なからず事実だったと知り、既に戦意喪失した残りの連中は呂律も回らず、中には腰を抜かして失禁している者までいた。反抗の意志など欠片も見られない。噛みつく度胸もない窮鼠を、一体誰が恐れようか。

 

「モウ一度聞ク。ろわいえハ何処ダ」

「あ、だ、旦那なら、多分、上の、玄室に、」

「食べないで、殺さないで」

「ナラモウ用ハナイ。トットト俺ノ視界カラ失セロオオオオオオオオ!!」

 

大気を経て肌を刺激する咆哮は、地鳴りのように石製の室内を震撼させる。”我来たり”そう大々的に知らしめるためのもの。”赤い目の怪物”や”壊し屋”としての異名が圧倒的に知られているジムだが、それとは違うギルドに正式に登録されているコードネームの知名度は低く、数少ない彼の”能力”を正確に知る者たちの間では―――主に王族貴族たちの間では―――畏怖の象徴のように知れ渡っている。彼の行動理念に貴賤や貧富など無関係であり、一部の貴族たちが幾度となく”彼の携わった案件”で破滅に追い込まれているからである。無論、彼の性格からいって、その破滅に追い込まれた貴族が”どのような連中”なのかは、言うまでもないだろう。ジムの正式なコードネームは”命獣(キマイラ)”。獅子の頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つと言われる伝説の獣の名を冠するのに、ふさわしい力を持っていると言えよう。

尻尾を巻いて逃げ出す、というのは正にこういうことを指すのだろう。既に見張り番の連中は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、脱兎の如く室外へと出て行った。その後を追って階段を駆け上がると、やはり同じような連中が軽く見積もっても2、30はいたが、ジムの姿を見た途端に、蜘蛛の子を散らしたように逃げまどい始める。金で雇った連中は確かに瞬時に大勢用意できるが、その反面で義理や忠誠心というものは欠片も持ち合わせていない場合の方が圧倒的に多い。端からその積りもなかったが、どうやら暴れる必要もなさそうだ。

 

「さて、玄室とか言ってたな……」

 

変身を解除する。最早人っ子一人残っていない。地上にいた連中も、先程の熱線と咆哮の示威行為で、そうそうこちらに踏み込んでくる者はいないだろう。暫く邪魔は入らないはずだ。

玄室とは本来”暗い部屋”を意味する、横穴式石室の呼称であると記憶している。特定は難しくない。嘗て神殿として作られた建造物だ、構造もそこまで複雑ではないだろう。実際、すぐに場所は特定はできた。が、

 

「……なんだ、この匂いと気配は」

 

微かに鼻を突く鉄の匂い。でありながら、気配は片手で数えるほどしか感じられない。これが何を意味するのか、解らない筈もない。

入り口に手を掛ける。そして、

 

重い扉を、ゆっくりと開け放った―――

 

(続)

 

後書きです、ハイ

 

随分長くなってしまいました……執筆時間自体はそんなんでもないんですけどね。

はてさて、色々やらかした気もしますが、まぁ私の知ったことじゃあないですし、既に色々やらかされてるんですから、どっこいどっこいですよね?(ォィ

 

ほいでは、次は新規参入されました方の更新ですかな。お楽しみに。


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