No.245519

鷹の人3

ひのさん

FE暁デインサイド中心の微パラレル。(本編では3部~4部あたりになります)ペレアス、ティバーンがメイン。ベオクの王とラグズの王。【未完です】

2011-07-29 22:15:04 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:440   閲覧ユーザー数:440

 大広間といえど、元は防衛の砦として築かれた城だ。さして広くはなく、余人ははいる余地はない。十名も入れば、それだけで満員という程度の広さの部屋の中央に、円形の卓が置かれ、中央には燭台がある。壁に等間隔で並ぶそれには、一つおきに蝋燭が置かれたもので、細い炎が燃えていた。

 部屋の外に待機している兵は、どちらもが、タウロニオに義理があり、彼自身に忠誠を誓った元ベグニオン駐屯兵だった。彼らの家族はデインに既に移していた。人質のような真似だが、彼らが望んだ。

 そして一時はベグニオンの正規軍所属であった彼らは、ベグニオンの諜報部隊のことも、良く、知っていた。

 ベグニオンは、軍隊においても家柄、地位が最優先される、古めかしい風習が未だに根強い国家である。本来ならば重要である諜報員などを、だが、軍の上層部でもあり支配権を持つ元老院議員などは、重要視はしない。彼らにとって諜報員というものは、奴隷同然の存在だった。概してそのような仕事に携わる者は、見下された。所詮は手ごまのうちの一つであり、見目華々しい軍人などとは比べ物にならぬ、という考え方は,恐ろしい事にまだかの国の一部では罷り通っているのだ。

 ゆえに、彼らに、個々に何らかの義を直接その上官に感じる場合はあれど、徹底した忠誠心というものは、あまり見られるものではなかった。

 かの国の信じられぬような実態は、何もそれだけではない。ペレアスの元に届く情報は、必死に国を建て直そうと、血のにじむような努力をしているペレアスにとって驚くような、あまりにも愚かな内情だった。大国の奢りがして、今回の戦、内乱を引き起こしたのであろう。

 ペレアスに付き従う青年も、デイン生まれではない。解放軍時代、ペレアスの人柄に惹かれ、その穏やかな見た目とは裏腹に、密やかに秘められた情熱に心動かされ直接忠誠を誓った。ベグニオン駐屯軍で、情報の収集及び撹乱を担っていた平民だった。

 入室し、ペレアスはぐるりと広くはない部屋を見回す。

「将軍、フリーダの姿が、ないな」

「は。どうやら、敵の手の者を捕えたらしく、…今しばらくのお待ちを」

 タウロニオが進みでた。流石にあの白銀の一揃えは身につけてはいなかったが、鎖帷子はそのままだ。身なりは流石にきっちりとしたものだが、それでも、色濃く戦の臭いが残っている将軍は、声を落とす事なく報告をする。

「やはりここまで入り込んでいるか……元老院のものか?」

「いえ。彼女の口ぶりでは、どうやらそれは神使が放ったもののようで」

「神使、だと…」

 タウロニオの言葉に、一斉に場がざわついた。

 皆、信じられぬ、というように互いに顔を見合わせる。

 サザなどは、あからさまに渋面を作っていた、成る程,彼は、旧知の仲でもあるベグニオンはラグズ奴隷解放軍の首領トパックと密に連絡をとり、常に神使その人の動向を知ろうと彼なりに動いていてくれた。だが、今の今まで、神使及びベグニオン側から、表立った報告は、先日の帝都シエネにおいてクーデターが起きた、ということのみ。その報は迅速ではあったが、神使その人から、直接の接触は、こちらが望んでいるにも関わらず、今の今まで一度たりともなかった。

 かわりに、元老院は頻繁にこちらに間者を送り込んできていた。サザの要請により、本来は国家とは独立している組織でもある、ネヴァザの盗賊ギルドの連中の協力もあり、それらはほぼ捕え、情報を吐かせ、駆逐しているが、完全に防ぐ手立てはない。また、わざと偽の情報を流させるため、泳がせているものなどもある。

「…神使親衛隊か。フリーダはなんだと?」

 神使が独自に諜報機関を活用した試しはない。存在はしているらしいが、それはほぼ宰相セフェランが動かしている。そして、その宰相は長らく不在であった。神使が真に己の意を伝えようとする時、真っ先に使うのは、かの空駆ける白き優雅な天馬駆る乙女たち、神使親衛隊だった。

「何やら、こちらに接触の機会をうかがっているらしいゆえ…試してみると」

「…なるほど、やはり、その道に通じている者ではないということか」

 ペレアスその人との接触が目的であるならば、真っ先に王の居室を狙い定め、接触してくるはずである。だが、ここ数日、そのような気配をペレアス自身も、側近の男も感じた事はなく、報告も皆無だった。急激に動いた事態に、向こうも慌てている。ペレアスはそう思う事で、納得することにした。

「遅れました、申し訳ございません!急ぎ対処すべき事態にあいなっておりましたゆえ」

 女性にしてはいささか低めの声が、扉を開く音と同時に飛び込んでくる。

 暗めの赤毛をきっちりと結い上げた褐色の肌をした女騎士が、彼女にしては珍しく慌てた様子を、その愛らしいーー彼女の高潔なる人柄と武勇を、とてもではないが想像出来ないほどーー顔に浮かべいた。

「フリーダ将軍。今、その話をタウロニオから聞いていた。その首尾は?」

「は。神使サナキはこの状態をもってしても、話し合いを望んでいるようです」

 フリーダは、騎士としても、そして領主としても優秀だった。その若さでマラド領を治め、自らも馬上で槍をふるうだけある。

 彼女の報告は、常に簡潔で、そして明確だった。ランビーガの娘という通り名に、彼女自身が誇りを持っているからに、それは他ならない。父の名を貶めたくはなく、女という事を言い訳にしたくはない。テリウスにおいて、就労の機会から始まり性別による差というものは、殆ど無いに等しい。それはかのベグニオン帝国の始祖であり、三英雄オルティナその人もまた女性であったことも、関係が深かった。

 それでもやはりすべて同等というわけにはいってはいない。それは、ベオクとラグズが互いに絡みに絡んだ歴史を紡ぐ、はるか昔から存在していた違いであり、違ってしかるべきなものであった。

「………何を、今更」

 吐き捨てるような調子で呟いたのは、サザだった。ミカヤが弟を咎めるように目配せするが、サザは憮然と、鼻を鳴らし、そっぽを向いた。

「神使自身に戦う意志はなく、もし言うべき事、伝えるべきことがあれば、かの間者を通して伝えよ…と。書状も、こちらに」

「ありがとう、フリーダ」

 フリーダは一振りの杖を、ペレアスに渡す。一見して、特に変わったところなどは見られない、どこでも流通している、教会が秘蹟を授けた聖杖だ。

 だが、手に持つと、いささか軽い。力なき僧侶たちが扱うから、柄の部分に金属などは使われないが、それにしても軽い。

 その事に気がついたペレアスは受け取るや否や、本来奇蹟の間力を秘めるべき輝ける石に触れてみる。狙い違わず、あっさりとそれは外れた。宝玉を外し、中を確かめれば、紙片が筒状に、その空洞になった柄の中に入っている。

 取り出し広げてみると、『女神アスタルテの名において』の一文で始まる書式文言は確かに、ベグニオン皇帝神使サナキにしか使えないものだ。例え元老院とあっても、この文言を使う事は、禁じられている。

 小さいながらも、鑞で厳重に封をされている。

 封をあけ、書面の確認をした。そこには、フリーダが報告した旨と同様の内容が、乱雑な文字で記されていた。

 末尾にベグニオン帝国の印。そして『女神の恩寵により、始祖オルティナの血脈に連なりし神使にして偉大なるベグニオン帝国の僕』の文言、本人直筆のサイン。そこまで確認すると、ペレアスは顔を上げ、フリーダを伺う。

「この事、元老院は察知しているかな」

「……おそらくは」

「神殿が動いた様子は」

「いえ。特に報告はございません」

「やはりトメナミ殿は、あくまでも介入を拒むという姿勢を崩さないか。借りを作ることになるな」

「今回の事は」

「おそらく知っている。むしろ、今回の戦の性質を考えれば、先に神殿側に使者がいったのかもしれない」

「では、件の間者は、こちらで処理してしまって構わないのではないでしょう」

「ああ。それで、その間者は、今どこに?」

「これに」

 フリーダが主君に向かって一礼し身体をずらすと、なるほどすらりとした身の丈の女性が、這うようにして、膝をついていた。後ろ手に縛られ、上半身は拘束されている。

 質素な僧服を身にまとい、長い頭巾を被って誤摩化してはいるが、どうにも馴染んでいないとペレアスは思った。そもそも、その灰色の地味な僧服が体格にしっくり合わず、女神に祈るにはいささか、そのてのひらは無骨であり、世間と隔絶されたる修道女にしては、彼女の眼差しも表情も,鋭すぎる。まるで仮装の態である。真に優秀な間者であるのなら、まず、違和感など感じさせない。

 神使親衛隊のいずれか、身のこなしの優れたる者を神使は送り込んできたに違いない。これは元老院の間者に見つからぬというほうがおかしい。

「わざわざ、敵地に単身乗り込むとは、その度胸と忠節は見上げたものだな」

 間者が息を呑む。切れ長の鋭い眼差しが、ペレアスをきつく見据えている。一国の王に対する態度ではないのだが、そのような事は、ペレアスにとってはどうでもよかった。気弱な性根というのは、治そうとして治るものでもない。今この瞬間ですら、心のどこか、片隅に、この期に及んでも逃げてしまいたい思いがあることを否定はしない。

 ペレアスはだが、一度死を覚悟し、受け入れようとした。そして自分を弱いのだと認めた。記憶の底に封印してきた過去とも対峙し、受け入れた。

 ゆえに、たとえどのような侮蔑の言葉を浴びせられようと、強い調子で罵られようと、動じる必要が、ない。

 弱いのだ。怯えて当然なのだ。弱さを認めたとたん、影に怯える心は、外の世界に怯え、縮こまる意志は、消え失せていた。

 こうして敵の間者と対したところで動じない心は、デイン王という立場を与えられればこそ、得ることが出来たのだ、とペレアスは思う。

「返答は、否だ」

 言うと同時に、間者の目の前でペレアスは書状を破き、円卓の中央部の燭台にくべた。羊皮紙は、あっという間に燃え、そして炭になる。

 その様子を目にした女間者の瞳の鋭さに、殺意に近いものが宿った。ペレアスは彼女の黒い瞳をじっと見る。凛とした、強さと美しさをもっている。このような強いまなざしを持つベグニオンの間者を見るのは初めてだ。

「我が国は帝国とは袂を分った時より、常に帝国に屈せぬを良しとする気風が強い。初代国王より脈々と受け継がれたるその気概と精神、今をもってしても決して変じはしない」

 まるで、与えられた台本を読む役者のようにすらすらと言葉は出てくる。元々ペレアスは決して愚鈍ではなく、むしろその頭脳のみならば、明晰な方だった。だが、強く己を主張する事が出来る傲慢さ、自信に、あまりに欠ける性格をしていた。それが、人を統べ人の上に立つものとして致命的だった。

 いくらその内に潜む理想、力があれど、それを表に出せなくば、無能と同じことなのだ。いくら優秀な部下がいようと、彼らを信じ彼らを的確に動かせなくば、まさに宝の持ち腐れである。その事にペレアスが気がつくのは、遅すぎた。

 

 だが、まだ、全てが終わったわけではない。

「我が国を属国たらんとする、帝国の傲慢なる態度。更には半獣と共謀し我が国を滅ぼさんとする帝国の意図は何か。先に国境を侵したるは、そちらだ。それについてはどう言い訳をするのか」

「神使様のご意向を無視し、返答を悪戯に遅らせたるはそなたではないか!何を、まるで我らが悪者ような言い方を!」

「口を慎むのだな、そなた、己の立場をわきまえているのか」

 フリーダが、縄を強くひいた。引きずられ、縄が身体に食い込み、女間者はうめく。それでも決して顔を俯かせる事はない。

「いや、フリーダ。構わない。縄もほどいてやるんだ」

「王!それは……」

 僅かに言いよどみ、フリーダは、間者と主君双方を何度も目線で確認し、最後にペレアスに顔を向けた。

「宜しいのですか?」

「縄を、ほどけ、ランビーガの娘、マラドの蒼薔薇」

 逡巡のそぶりを見せるフリーダに、ペレアスは、以前は見せた事もないような強い調子で告げる。

 マラドの蒼薔薇とは、ランビーガの娘同様の、彼女を讃える意図でつけられた通り名だ。青い薔薇などは、現実に存在はしない。存在はしない、だが、それは花を愛でるものにとって、憧れの的でもある。 空想上の花の名を持つ騎士は、今まで見た事もないような主君の様子と声色に、一瞬あっけにとられた。側近の青年は、だが、動かない。タウロニオもまた、事の次第を見守っていた。部屋に集うもののうち、サザの目が鋭くなり、アムリタの顔色がやや、変じた。

「貴様……どのようなつもりか?我に情けを、かけるのか?!」

「必要がない。神使にこちらの言葉、確実に伝えてもらわなければならない」

「だが縛めを解けば、私の命と引き換えに、貴様を殺す事も出来るぞ」

 間者の言葉に、背後で細い悲鳴があがる。母アムリタだった。彼女は、言葉にならぬ言葉でもって、間者を罵りつづけ、あの者を殺せと喚く。母を想う心に偽りはなかったが、それでも、煩わしい、とペレアスは想った。

「母上を寝所に」

 視線は間者を見据えたまま、ペレアスは口早に告げた。側に控えた青年とタウロニオが素早く動き、アムリタのつんざくような悲鳴がさらに増す。弱々しく叱咤するクルトナーガの声も、聞こえた。

「母上、お休み下さい。これ以上の無理は、お体に触ります」

 戦士とみまごうばかりの体躯をした青年と、歴戦の猛将タウロニオの二名でもってして,苦労しながらアムリタを連れてくる。なるほど、母が竜鱗族であるというその言葉は確かに真実であるようだ。そこから生じる疑問に対しては、ペレアスは思考を停止させていた。今それを問うべきな場合では、ないのだ。そのようなことは、全てが終わってから後、悩めばよい。

「ここ数日、母上のご心労、知らなかったわけではありません。あとは私に任せて、母上はどうぞお休みを」

 彼女の姿を認め、ペレアスはことさら声色を穏やかにして、告げた。最愛の息子に、柔らかな笑みをもって言葉を重ねられれば、アムリタも流石にわきまえたのだろうか。まるで錯乱の態をなしていた様とは裏腹の素直さで、彼女は青年とタウロニオに促され、部屋を後にした。タウロニオは主君の側に留まり、側近の青年は、アムリタと共に退出する。

 女間者は、その様子を黙って観察していた。ペレアスは、母に言葉を告げるその一瞬を除き、彼女から視線を外さなかった。

「殺すか。なるほどこの状況で、それが可能というのなら、構わない。とはいえ真に話し合いを望む神使の密使なら、私を殺す事の愚かさも、心得てるはずだ」

 ペレアスはそこまでを傲然と言い放ち、フリーダに目配せをする。呆然と主君の様を見つめつづけていた騎士は、素早く頷くと、間者の縛めを解いた。

 自由になると、間者は立ち上がり、手首や間接を動かしながらフリーダを、まるで乞食や物取りでも見るような目つきで睨みつけ、同様の眼差しをペレアスとタウロニオにも向ける。

「……………甘いな。私を解放するなど」

 お前を侮蔑しているのだ、といわんばかりに、唇の端のみならず顔をゆがめ、彼女はせせら嗤った。だがそれは、彼女なりの虚勢だった。

 話し合いの可能性、神使の意志を全うしたければ、そもそもペレアスを殺しにかかるなど愚行極まりない。

「甘いのは、どちらだ。もっとも、一方的に国境を侵しながらも、その大軍勢を率いながらも略奪を禁じ、悪戯に戦火を広げなかったこと。退却する我が軍を虐殺するような真似に走らなかった事、再三話し合いをという神使の言葉を裏付けるものにも、なるのかもしれないが」

「愚弄するか!」

 ペレアスの堅く告げる声に、灰色の瞳の中に挑発的な殺意が加わる。白磁の肌に、朱が差した。僧服になんともそぐわない。美しくも、滑稽ですらあった。

 以前の自分ならば、このように強い瞳を向けられたのならば怯んでしまい、何も言えなくなっただろう、とペレアスは思う。今動じないで済むのは王という立場を与えられたからだ。すべてのデインの民の命を、背負っているその重さだ。その重さの愛しさが、一個人の恐れなど何ものでもないと知らしめてくれる。

「そもそも、四年前の所業を忘れたとは言わせない……その上、国境を侵し、半獣の軍勢を率い我が民を怯えさせたにも関わらず、話し合いなどと、戯れ言にも程がある。…それを聞き入れる耳を、何れの者が持ち合わせていると言うのだ」

「おお……女神アスタルテよ」

 僧服の間者は、呆れたような口ぶりとともに、祈り、きっと顔をあげる。敬虔さと鋭さが同居する、如何にも神使親衛隊といった風情だ。

「女神の代弁者たる神使様のお命を狙うのみならず、そのような暴言まで……なるほど、デイン新王は噂に違わぬ愚か者か」

 女は、薄い唇の端を上げ、くくく、と喉の奥から嗤った。フリーダが、腰のものに手をかけると、間者はさっと袖の下を探る。タウロニオは微動だにせず、ペレアスは、フリーダの動きを、手を挙げる事で制した。

「そうだ。あなたの言うおり、私は愚かな王だ」

 まるで宣言のような口ぶりに、女の目がいぶかしむようにすっと細められる。一体何を言い出すのか。

「私は我が国の事しか見えない、考えられない、器の小さな王だ。デインという国に対し、その偉大なる皇帝神使様はいったいどのような所業をなされたか?」

 ペレアスは間者に近づく。間者は、だが、動かない。

「私の言葉、意向、そのままに、あなたの主に伝えてほしい」

 そのままペレアスは声を落とし、彼女の隣に立ち、一言一言を強調するかのようにささやいた。それは、背後に立つタウロニオにも聞き届けられぬほどのものだ。無論、間者の脇に控えているフリーダにも。そして王の視線は、閉まった扉にあった。

「………我らは我らが意志にて動けない。だが、この事を直接は、言うな。おそらく…あなたがたも、監視されている」

 最後の言葉と僅かに変わった声音、突如落とされたその調子に、間者の顔色がさっと変わった。説明を求めるように、細い瞳を見開きペレアスを伺う。だが、ペレアスは厳しい表情のまま、何も言わず、顔も動かさない。

「早々に、立ち去れ」

 女は、とっさに言葉の意図を掴みきれなかったのか。だが、それも一瞬。女は突然、気が触れたかのように甲高い声をあげ、嗤った。ミカヤとクルトナーガが、ぎょっとしたかのように身体を竦ませ、サザが腰のものに手をかけた。

 静まった場には女の笑い声が響く。やがて、修道女は祈りをきった。

「噂に違わず愚かな王!我が主の恩情にすら、すがらぬか!下らぬ誇りが国を滅ぼすとも知らずにな……このような報告をせねばならぬこと、至極残念だ、デイン王ペレアス」

 ねめつけるような、蛇の目がペレアスの横顔を睨む。女は重たく息を吐くと、駆け出した。そして女は駆け出す直前、小声で囁いた。「承諾した」と。

 

 

 翻る灰色の頭巾と長衣の裾を見つめながら、よくもこれだけの真似が出来たものだと、ペレアスは今更ながら、胸を撫で下ろす思いをしていた。

 呼吸を、常よりも意識をして深くするが、それでも鼓動は早い。背中がじわりと冷たくなっている。気を抜けば、脱力の余り膝から砕けてしまうだろう。

 気を引き締めるように、騎士フリーダを促し、卓につく。側近の青年が、扉を閉める音が、その合図になった。

 神使が、具体的に接触して来たのは初めてだ。

 ベグニオンの間諜部隊とは、その殆どが下級貴族あるいは平民で構成されている。おそらく、もとは神使派が多いのではないか。だが家族を人質にとられるか、高額な報酬をちらつかせられたか…弱みを握られ逆らえないのか。ベグニオンは、身分差別の激しさも、デインやクリミアの比ではない。

 ゆえに、ベグニオンは確かにデインに多くの間者を派遣してはきたが、多くがすぐさま暴かれていた。間者は、旅人、商人や巡礼僧に姿を変える事が多く、そしてデインにおける信仰の中心地パルメニー神殿のトメナミ司教は、そちらも「遣り手」だった。デインを訪れるものは皆、パルメニーかネヴァサを目指す。王都ネヴァサの大聖堂の司教もやはりパルメニー神殿の一派であり、共にベグニオン総本山に対して、宗教的に独自の姿勢を貫いていた。

 ゆえに、ベグニオン駐屯軍時代のデインの教会からは、徹底してパルメニー神官達が取り除かれ、これを機会と総本山は、駐屯軍と結託し次々と司祭クラスの人間を送り込んで来ていた。だが彼らも、王都解放と同時に捕えられ、大部分は処刑あるいは労役に就かされている。

 パルメニー神殿の手にかかれば、手練の間者とて、赤子同然に暴かれ、神殿の地下深くある坑道で、朝も昼もわからぬ労役に就かされる。或いは、偽の情報を流す為に放たれる。

 神殿長でもありデインにおける権威も並々ならぬトメナミとは、独立運動の折に誼を通じて以来の仲であった。

 王家筋は先君により尽く誅殺され、親王派といわれる貴族達も、その殆どがやはり先君の時代に駆逐されていた。つまり、ペレアスに頼れる伝や縁などは皆無に等しい。そのような中で、トメナミは一貫してペレアスを支持してくれていた。先君とは対象的な気質を持つ新王に対する彼の期待の現れでもある。先君アシュナードは、とかくパルメニー神殿を低く評価し、その権威を徹底して否定していた。

 彼らの協力は、突如王に仕立て上げられた若き王にとって、国の流通や情報を把握する上で、この上なく心強いものだった。その情報網はテリウス全土に渡っており、手の者をラグズの国にまで潜入させているというのだから、その徹底さたるや見事なものである。

 彼が纏めてくれた情報によれば、やはりベグニオンの、その圧倒的な数を誇る民衆の支持は、サナキにある。今回の内乱も、その現れだ。

 しかし政を行っているのは元老院であり、何より各地に点在する神殿もまた、彼らには逆らわない。何故ならば、逆らわぬ事でその利のおこぼれを手にし、かわりに熱心な信者の寄進を元老院議員の袖の下に包む、といった具合である。当然ながら彼らは私利私欲のため、暴政を敷き、他国に対しても高圧的な外交を当然とばかりになしてきた。民や神使の意志などは、あってないようなものだ。

 形式としては絶対的な王を戴き、その下に元老院、貴族、司教、そして民衆というまさにデインのそれと同一の様相を呈しながら、しかし、ベグニオンという国は、国としての土台が最早腐りきっていた。

 切れ者と噂の宰相セフェランも、何やら不穏な動きばかりしている。トメナミは、あの若き宰相こそ、気を許してはならないのだ、とペレアスに直接書をしたためてきたこともある。

 それでもベグニオンは大国には他ならない。その力も、決して侮れない。そして、その中で、神使の権力というのは、あってないようなものである。あれほど巨大な国ともなれば、その国の構造を変えることは難しかろう。その事はペレアスも十二分に承知していたが、それでも神使の不甲斐なさには憤りすら感じる。宰相と神使の名を持ってすれば、多少の強引な改革も可能であろうに。それに、ペレアス自身は神使を信頼などしてはいない。査察の折も、一度は宰相をよこすなどと言っておきながら、結局直前になりガドゥス公がよこされた。国境侵犯に関しても、具体的な接触をもってきたのは、この、切迫した状況になって初めてだ。

「……元老院とは別の思惑が、あるいは動いているか…?」

 ペレアスの呟きに、間者と入れ違いに戻って来た側近の青年と、フリーダ、タウロニオが同時に反応を示す。それを知ってか知らずか、ペレアスはしばし考え込んでいた。

 あの間者の口ぶりからすれば、こちらの返書は、神使には届いていないということになる。その使からは未だ連絡もなく、帰還もしていない。

 元老院の間者により消されたのかと思い、神使が国境を越えたとの報が入ってから、二人目を派遣したが、こちらも戻ってはいない。二人目は「草」を使った。確実性を増す為だ。だが、彼も未だ消息不明である。「草」とは、王家直属ながらも独自で判断し、徹底した働きをする諜報組織の便宜上の名称だった。彼らが何故王家に忠節を誓うのか、それはペレアスもわからない。

「早急に『草』を放ち、あの者の追え。決して、殺さぬよう…殺されぬようにとな。阻むものは、元老院以外のものかもしれない」

 側近の青年にペレアスは告げた。青年は黙って頷き、退出する。

 ペレアスの囁きを聞いたのは、フリーダとタウロニオの二名だった。タウロニオはだが、既にあてがわれた席についている。

 フリーダは、己の席につきながら、主君の言葉の意を探っていた。生かし放った間者は、いずれにせよこちらと接触したもの。元老院にとって、デインと神使が接触したというその事実だけでもまず恐ろしい筈だ。さて、どう動くのか。

 仮に元老院側に勘付かれたとて、現にデインは皇帝軍の国境越えを阻止すべく、軍を展開している最中。呪いを発動させれば、彼らは自分で自分の首を絞める事になる。デイン軍が崩壊すれば、阻む者のなくなった皇帝軍は、この砦の兵糧を奪いそのまま帝都になだれ込むであろう。

 更に、すぐさま呪いを発動すれば、こちらは元老院に逆らわぬ理由がなくなる。

 そうなったら最後、おそらくペレアスは神使に、元老院により罠に嵌められた事実を直訴するだろう。それでは全てが無に帰す。気がついておらぬ場合は、考慮するまででもない。

 フリーダは改めて、この若き主君の聡明さに頭が下がる思いだった。そして、そのような主君に、間違いを犯させた事を悔いた。

 我らが、当初よりこの方のお側近くにあり、その心よりの信頼を得ていたのなら……フリーダは、王都解放前のペレアスの言葉を思い出していた。あのとき、確かに感じたのだ。この王があればこそ、デインは生まれ変わる事が出来るのだ,と。

 それを、この王にさせなかったのは、そして他ならぬ自分たちなのだと、フリーダは薄い唇を噛み締める。血の味が、舌に滲んだ。


 
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