No.245545

鷹の人4

ひのさん

FE暁デインサイド中心の微パラレル。(本編では3部~4部あたりになります)ペレアス、ティバーンがメイン。ベオクの王とラグズの王。【未完です】

2011-07-29 22:20:53 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:885   閲覧ユーザー数:880

「ぶしつけで悪いのだが、少し良いか、デイン王。この場を借りて、まず、そなたらに伝えねばならぬと思った事がある」

 沈黙を保っていたハタリの女王が、豊かな銀毛の尾を揺らしながら、進み出た。その鋭い隻眼は、先ほどからじっとペレアスを見据えている。或いは、数日前の己ならば、このような視線に耐えうる事適わなかっただろう、と、ペレアスはどこか他人事のように感じていた。

「我らラグズの、ベオクとの違いというものについて、説明しておいたほうがよいだろうと思ってな」

 ベオクとラグズの種族差に関しては、ペレアスはある程度は書物で読み、ミカヤやトパック、ムワリムなどから聞いて知ってはいた。だが、詳細までは把握しきってはいない。

 王という立場である己ですらそうなのだ。この場にいる者は、ラグズと肩を並べ戦ったものばかりだが、正確な事を知っておくにこしたことはない。まして、共に戦場に立つというのであれば、尚更だ。

 ラグズ蔑視の風が強いデインにおいて、兵卒一人ひとりにまで認識を変えろというのは、無茶だった。それを変化させるには、大河の流れを変えるがごとく、長い長い時を経てゆかねばならない。

 それでも兵士たちは、恐れている「半獣」を前にしても、恐慌に陥る事なく、果敢に戦ってくれる。

 そのような中において、オルグの存在は、ミカヤ付きの奴隷という扱いで皆が納得をしていた。そういう納得の理由を作ったはペレアスだったが、ミカヤも、そしてオルグも、その事に対し、何ら不服を述べる事はなかった。

 デインという国で、ラグズがもし認められるとするならば、そうせざるをえないことを、二人ともよく理解していたのだ。

「わかりました。お願いします、ハタリの女王ニケ」

 わざわざ客人の申し出を断る理由はない。これから告げるつもりであった作戦とも関わりがあり、むしろラグズであるニケの口からの方が、説得力も増すだろう。

 ニケは鷹揚に頷くと、集う各々の様子を確認し、切り出した。

「我らラグズは、いわば、戦いに特化して来た種族、といっても良い。その精神の根底にあるものは、強い衝動だ。戦いを望む、欲望だ。それは本能のようなもの、と我らは認識している。もっともラフィエルのような鷺の民はまた別なのだがな」

 女王の視線が、すぐ背後に控える白翼の君にちらと向けられる。その、ほんの僅かな視線は、ひどく穏やかだった。ラフィエルに、何ら変化の兆しも見えない。銀細工のような、瞼を縁取る長いまつげがわずかにも動くことすらもなかった。このような、慣れぬ場であるというのに、落ち着いた態である。

 この二人は、夫婦でもあるという話は、ミカヤからペレアスも聞き知っていた。

「わかる気はします。鷺の民の方は、印象が…己を戦士と誇るガリアの民たちなどとは違う。そして、ラグズの特性のこと。クリミアの書物に記されておりました。戦いを始めれば、その衝動を止める事は非常に困難である、と。だからこそラグズは、悪戯に戦線を開くような真似は滅多にせぬ、とも」

「ほう。よく知っていたな」

 ニケが、腕を組んだまま隻眼を細めた。艶めいた豊かな唇の端があがり、黄金の瞳は照り返しを受け,獰猛さを際立たせている。それは獲物を前に舌なめずりをする狼そのものだ。

「以前訪れた折は、この国は変わっていないと感じた。だが、なるほど、デインの民はそなたのような王を選んだか」

 彼女の言葉はどこか皮肉めいていたが、己の所業が、他国の王からは嘲笑されてもしかるべきな愚行であることを、誰よりペレアスは認識していた。ニケの言葉が、だから腹が立つなどということはない。

「いかに我が国が反ラグズ思想に塗り固められているとはいえ、和睦を結ぶにせよ、戦を交えるにせよ、相手を知らずして臨むは愚かです。こと、我が国はあらゆる意味で三年もの間、閉ざされてきておりました」

「なるほど。それは道理だな」

 ただ放たれた言葉であろうとも、ラグズの王たるものの口から発せられるそれの、なんと威厳に満ちている事か。それでも、その事に動じずにあれるくらいには、ペレアスもなっていた。

「今、デイン王が言ったように、連中はおそらくこちらの目的が足止めと知っても、全力で戦うだろう。どちらかが滅びるまで、な」

「ラグズ兵たちは死を恐れることのない…それは、そのような性があったからなのですね。その性ゆえ、…全力で、戦いにくる」

 ミカヤがため息のような細い声で呟き、頭を垂れ、目を閉じた。はらりと、白銀の髪がゆれ、白い額に前髪がかかる。胸の前におかれた拳が、僅かに震えていた。

 すぐ背後に控えるサザが、ちらちらと姉に気遣わしげな視線を送っている。ノイスは、ニケの言葉に意を得たのか、姿勢は正したまま、小さく頷いた。フリーダやタウロニオも、同様だった。

「皇帝軍の大半を占めるガリア兵はその傾向が特に強い。彼らを率いる若獅子の君の気性がそれを助長もしよう」

 不安げな瞳のまま沈黙を守っているクルトナーガの表情が、わずかに動いた。

 俯きはしなかったが、両手を胸の前に握りしめ、薄い唇を頑に結び、眉根を寄せている。

「竜鱗族の力は強大だ。そして、その衝動……戦いたいという欲望を、最も強く秘めている。強大な力、相応にな」

「だ、大丈夫です!私は、大丈夫です。ペレアスがついていてくれますから」

 クルトナーガは、か細い声で、だが迷いなくニケの懸念を否定してみせた。

 あげられた顔に浮かぶ表情は、不安がない交ぜになりながら、その奥に意志を秘めたる事を感じさせるものだった。

「何、どういうことだ、竜王子よ」

 ニケの疑問に応えるように、ペレアスは卓上に置かれた魔道書を手にとってみせた。それを認めたミカヤの小さな唇が、何かを呟いた。

 漆黒色の、古びた背表紙と、記された古代文字。ハタリの女王には、その文字を読む事が出来る。

「私は闇の魔道を扱えます。その魔力の源たる精霊は、「負」の気に近い性質を持ち、また、好むのです」

「…噂だけは耳にしている。ベオクの秘術か」

 秘術。ラグズはそういう言い方をすることもある。呪術、などと文字通りの表現をするものの方が多い。

「それが、どうかしたか」

「ラグズが戦に呑まれるのは、その本質を助長させる戦場にただよう「負」の気が原因でもあるといいます。そこで私は考えました。それを、逆手に取る事が出来れば、平静さを保てるのでは、と」

 静かな声だった。だが、宣言するようなペレアスの言葉は強い意志を秘めている。何らかの確証を抱かねば、ここまでは言い切れまい。

『申し上げます,女王よ。先の戦いの折も、デイン王は私に力を授けました。お陰で、私は、冷静さを失う事なく、今、この場にいることができます』

 憶測ではないな。ニケがそう踏んだ、直後だった。影のごとくに暗がりにあったオルグが、半化身の姿のまま、主の側に寄り早口で告げてくる。

「ほう、我が側近で試した、というのか」

 顔をわずかに傾け、オルグとペレアスを交互に、値踏みするようなニケの口調は楽しそうだ、とラフィエルは思った。隻眼は、まるで若者のように輝いている。

 こういう時の女王は、楽しいのだ。戦に心を沸き立たせるのは、ラグズの本能のようなものだ。すれば、鷺の民とはひどく例外的な存在になる。ベオクとは違う。そしてラグズとも、その本質が違う。そのようなことを、ハタリの里にいた折は、あまり深くは考えてみなかった。そう言う事を、ハタリでは考える必要がなかった。

「オルグ殿にはデイン解放時よりの長い間、尽力していただいております。もし私の力で、その身の負担が軽くなるのであれば、と思ったまでです」

『デイン王は、そのため命を精霊に捧げました。私には、その申し出を断る術は、ありませんでした、女王』

「精霊に命を捧げる?……まさかそなた、精霊の護符を」

 ペレアスは前髪をかきあげ、額の刻印を露にしてみせる。

 サザとノイスが息を呑んだ。額に刻まれた、深紅の禍々しさをたたえる印。どこかで見た事があるような気がする、とサザは思った。見覚えが、ある。確かに、同様の紋様を、見た事がある。

「はい、ハタリの女王。私の身には、闇精が宿っております」

 ペレアスは前髪を戻し、再び机上に手を置いた。

 静まり返るその部屋には、誰も、ペレアスを罵る事は、なかった。勿論場を考えれば当然なのだが、それは、ペレアスの心を、またひとつ強くさせた。

 じっとこちらを見つめてくるミカヤの顔色が蒼白に近くなっている。琥珀の瞳が、不安げに揺れている。彼女はおそらく察したのだろう。

 案ずる事はないのだ、とペレアスは笑みと頷きでもって、彼女の不安に答える。ミカヤは観念したように目を閉じた。サザが彼女を労るように様子を伺うが、ミカヤは握りしめた拳をわずかに震わせるのみで、それに気がついた様子はない。

「我が側近の実力を卑下するわけではないのだがな、黒竜族ぞ?その比類なき力。そなた、耐えられるというのか」

「万が一つにも、しくじることはありません。精霊はその拠り所となる肉体を喰らいますが、決して滅ぼしはしない。精霊をこの身に宿す以上、彼らの力を使う以上、私は死ぬ事はありません」

 理屈の上では、死ぬ事はないだろう。ただ、どのような状態で生きながらえるのか。それは、わからない。

「なるほどな。魔道の道理の事は知識程度のみだが、精霊と遣い手というのは、互いに持ちつ持たれつであるということは知っている。だが」

「女王ニケ。私も耐えます。戦は恐ろしい……ですが、甥のペレアスがそう言うのです。それに、既に私は父王の戒めを破って、この場にいるのです。私自身が、決めたことなのです」

 割って入るクルトナーガの赤い瞳が、まるで燃え立つ炎のようだ。奥底に、頑なものが垣間見える。ニケはいっそう愉快になってきた。

 彼はまだ幼い竜王子だが、その気概はやはりデギンハンザーの息子であるようだ。

 大陸中の者が誰でも知っている三英雄の一人、最強の力をもつ黒竜王デギンハンザー。その名声、その威光はベオクラグズ問わず、テリウス大陸では伝説の存在に等しい。

 何とも心躍る事だ。これは、おそらく皇帝軍にあのままあったのなら、感じる事などなかっただろう。ニケは伴侶に感謝した。あのように強い調子のラフィエルを見るのは初めてだったが、これは予想以上に、愉しめそうだ。

「ふ、そうか。ならば、大陸一の竜鱗の力。いかほどのものか、見せてもらおう」

「は、はい…!」

 アムリタが退出してしまい、まるで居場所がなかったクルトナーガだったが、必ず出席して欲しい、とペレアスには念を押されていたことの意味を、改めて考えていた。

 何も考えずデインを訪れ、ただ、力になりたい、などと主張してみせたところで、それが可能かどうか。デインが反ラグズ国家であることくらいは、父王より聞いていた。それでも姉の願いを聞き届けたい、一心だった。

 戦に呑まれやすく、父王が頑に戦うなと言う言葉の意味。ノクスに辿り着いてから、不安でなかったといえば嘘になる。

 何より初めてのベオクの領域だった。

 ペレアスが、クルトナーガの言葉を信じたのかどうかはわからない、だが、追い払うでもなく、侮蔑の言葉を浴びせるでもなく、また、ノクス城塞を破壊した事を咎めるでなく、まず、クルトナーガの身を案じたのだ。

 だから、ペレアスと会ったときに感じた、どこかにひっかかるような、アムリタとペレアスが並んでいる時の違和感の事を、クルトナーガは胸の内に秘める事にした。

 

「しかし、よく短時間でそこまで考えつくものだ。デイン王、そなた、何故ベグニオンなどにたばかられた?」

 ニケの言葉は半ば感心した風だったが、やはりどこかに揶揄の響きが漂う。ペレアスの背後に控える青年のまとう雰囲気が変じる。鋭利な刃物だ。主を侮辱する言葉は、例え他国の王であろうと許さぬ。そういう無言の圧力に、ニケは満足し笑った。

「ニケ様!それは……!」

「私の、弱さと、愚かさが」

「そなたの弱さが滅びを呼んだ。そういうか」

「はい」

 ペレアスは、ニケの隻眼を真正面から受け、断言した。

 ニケはおおよその経緯をミカヤの口から聞いていた。

 補佐すべき人物に裏切られ、あげく利用されていたその愚かさは兎も角として、よくもまあこの状況で国を瓦解させずにいる、と思う。デインという国が崩壊しかけている、などという風評は、何れの口よりも聞こえてはこなかった。

 なるほど、確かに一見すれば軟弱で、頼りない。一見の雰囲気だけならば、伴侶ラフィエルに近しいものを覚えなくもない。線の細い印象すら受ける。

 だが、その深い色の瞳の奥に密かに燃えている鋭さは全く別物だった。彫りの深い目鼻立ちも、強い瞳の色も手伝ってか、頑強さを際立たせている。

 窮地に追い込まれ、化けたというのか。

 王として民を導くよりは、策謀を巡らす方が向いているのかもしれない、とニケは思った。

 だがそんなペレアスを、脆弱なニンゲン風情と馬鹿にするつもりは毛頭ない。それが、おそらく、この王の戦い方なのだ。

「国を欲するのならば、正面から戦いを挑み、打ち勝てばよい。だがどうやらベグニオンという大国は、そういう直接的な行為を厭うようだな。煩わしいことだ。卑怯者のニンゲンが好みそうな手段だな」

「ベオクは、ラグズのように皆が生来戦う為の力、手段をもって生まれるわけではありません。弱い者が己の身を守ろうとすれば、卑怯な手段や卑劣な罠も時に厭わない。それが、ベオクです」

「知恵の種族、というわけか」

「その知恵も、時にラグズの力と拮抗しうる、ということです」

 まったく、面白い。ニケは、己がこの若き王を気に入り始めている、と感じていた。

 

 女王ニケより告げられた言葉。

 それはペレアスに一つの確信を持たせた。当初の目論み通りで、間違いはなかろう。

 おそらく、あえて離間の計を施すまでもなく、現状で皇帝軍の意志の統一はなされてはいない。それは、異なる思惑を束ねればならぬ大軍ゆえの宿命のようなものでもあり、それはいくら歴戦の勇者であるあのアイクが牽引しようと、収めきれるものではあるまい。

 例えば、その僅かな綻びは、つい先ほどまでの戦いの折にも見え隠れしていた。

 ラグズ兵による、デイン兵の残虐とも言える殺し方。たった一人の新兵にすら、数名のラグズ兵が群がりその肉の一片までをも破壊し尽くす、徹底ぶりであったと聞き及んでいる。それは戦場に呑まれ狂ったという証拠に他ならない。

 神使サナキは、略奪も封じれば余計な犠牲を払いたくないと、けなげにも宣言しているが、それは猛り狂ったラグズの兵の耳になど、いかほどにも響いてはいない。こうなってしまえば、帝国皇帝である、神使であるという権威など、何の意味もなしてはいない。

 デインという、その権威を否定しかしない領域においても、あの小さな神使は、神使という権威のみにしか、すがれない。堅い忠誠を誓う部下の追従にあぐらをかき、己の正当性を、疑う事は微塵もない。なんとなれば、あの、密書の上からの物言いなのだ。敵対する者が、そのようにいわれ、さて追従の意を示すとでも思ったのだろうか。 そしてその眼は、いつしか、己が正しいと信ずるがゆえ、見えぬものがあり、その事にも気がつけないでいる。

 それを、ペレアスはどこか哀れなように感じなくもなかった。

 

 

 対するデインとしては、とにかく時間を稼ぎたい。その一点に、尽きる。そしてそれが、唯一の希望へと繋がるのだ。

 先日、ベグニオン側の密偵を何人か、捕えていた。

 余程重要な機密を抱えていたのか、或いは元老院に属する「監視」要員だったのか。

 慎重に拷問をしたのだが、最後の詰めの段階で自害された。結局誓約書はガドゥス公が後生大事に常に身につけている、という情報しか引き出せなかった。情報を吐いた者は、ペレアス自身が直接手を下した。心が痛む、という感覚が遠くなっていた。

 幸い、現在元老院は民衆の対応に追われ、疲弊しきっている。民を蔑ろにし続けた、その結果だ。

 誓約書さえ、こちらの手に入れてしまえば、呪いは不完全になる。

 呪いはあの時の誓約書に依っている、というのは、呪術祈祷といった類いに多少の知識さえあれば、自ずと想像がつく事だ。だから、時間を稼ぎたかった。

 帝都に放った「草」が無事辿り着き、首尾よく誓約書を入手し、帰還。それまでの間、耐えねばならない。

 ペレアスが歴代デイン王の私室に見つけた誓約の解除方法を知ったのは、既に「草」を放った後だった。おそらくはガドゥス公の暗殺も、有効な手段かもしれない。だが、その為に再度彼らの中でも特に手練の者を一人放った。途中、誓約書奪還の任を負ったものらと合流するもよし、単独で動くも良し。それに関しては、「彼」に一任してあった。

 絶望にも等しい状況だが、希望が絶たれているわけではない。「草」は代々デイン王家に遣える、特殊な集団だった。主に諜報活動を得意とするが、彼らの顔をペレアスは知らない。その名も、知らない。

 知っているのは、戴冠式の直後に接触して来た初老の男が、その申し出を信じさせる程只ならぬ雰囲気を秘めていた、という事ぐらいだ。元老院との密談の際のイズカの態度の謎めいた強硬さも記憶に新しく、半ば疑心暗鬼状態にあったペレアスだったが、なぜか、その男を信用してしまった。

 自分が玉座についてから、唯一、間違っていなかったと確信出来るのは、彼ら「草」を信用した事くらいだろう。

 幾度か彼らに「仕事」を頼んだ事があった、そしてその仕事は、確実だった。

 そしてまた、情や倫理観等を徹底的に廃した彼らの行動も、ペレアスに王という立場、王という存在を思い知らしめるを手伝う事になっていた。

「クルトナーガ王子の参戦に関しては、皆が懸念する必要はない。また、彼らラグズの参戦の表明などを含め全て、私が負う」

 

 堂々と宣言する様は、まさに王者然としている、と、ミカヤは思った。

 己の神通力が失われ、かわりに女神の恩寵が、神性が、そのままペレアスに乗り移ったかのようにも見える。これが、つい先日、自分の前で取り乱し、許しを請うた人物と同一なのだろうか。

 なれば女神はまだこのデインを見放してはいない。まだ、この国は滅びの道をたどるような事はない。つい先ほどまでの絶望感が、嘘のようだった。

 デインは滅びない。デインは、生き延びる。

 希望はまだ、ここにある。今のペレアスを見ていれば、そう確信出来た。

 

 

「作戦の概要を告げる前に、皆に言いわねばならない事が、ある」

 ペレアスは、あらためてその場に介した者、ひとりひとりの顔を、時をかけ、見渡した。

 本来ならば、全軍の前で懺悔をすべきだとすら思っている。勿論、それがあまりに愚かであるか、わかっていた。

 だからせめて、「誓約」の事実を知る、ここに集うものには言っておかねばならない。

 ジル、ツイハーク両名は、だが、夕刻に顔を合わせた折、それぞれが違う言葉で、同じ事を言って来た。今更、この忠義が変わる訳ではない。この場に居る事を選んだのは己で、それは己の信念に従ったまでなのだ、と。ジルもツイハークも、ともに、グレイル傭兵団とは因縁浅からぬ仲である。何度か刃も交え、言葉も交わしたという。それでも両名は、デインを選んだ。

「実を言えば、誓約を破る術。皆無というわけでは、ないんだ…」

 一斉に皆が王の表情を伺った。どういうことだ。八対の瞳が、それぞれの思惑を秘めながら一斉にペレアスに向けられる。影の様に控える側近の男は、動かない。

「ただ、これは何らかの書物に記されているようなものではなく、私自身の魔道の知識からおおよその判断を下したもの。確実とはいえない」

 だからこそ、決定的な決断を出来ずにいた。迷いが、あった。

 だがそのお陰で、最悪な事態を招いてしまった。この懺悔の相手は、罪を告白する事でその者の許す女神の神官ではない。信頼すべき部下たちだ。心強い味方だ。

 落胆させるだろう、信頼を裏切る事にもなろう。手段を持ちながら、それをせなんだ王に対し、愉快な感情を抱く臣がいるわけがない。

 それでも、黙っている事は出来なかった。それを、この場で吐露すること。それこそ、ペレアスにとっては、最後の恐怖の克服であった。

「血の誓約とは、おそらくは呪い、魔道を用いて行う呪術的なものだ。呪いに必要なものは、一定の贄、そして契約を交わす者の肉体の一部あるいは直筆の署名ーー最も一般的なのは血や毛髪といったもの。そういう話を、耳にした事がある者も、いると思う」

 魔道の知識に精通するものは、その遣い手の数に反してデインには昔から少ない。

 イズカのような学者ならばいざしらず、貴族階級においても、生来身体が弱いものでなければ、まずは騎士を目指す。

 それが適わぬものや、力に劣るも武門を志す子女などが魔道の道を目指す事はあったが、そう言ったものは殆どが長弓部隊を志す。現在のデイン軍においては、竜騎兵や黒騎兵隊と共に、主力と言ってもいい部隊だった。

 平民や義勇兵は、装備に金もかからず、殊更な訓練を積まずともよい弩兵隊を選ぶものが多い。

 先君の代より、変化の兆しは見られたが、それでもやはりデインにおいて、一般的に誉れ高き存在と言えば騎士である。竜騎兵とは言わずとも、かの黒鎧に身を包む騎馬隊に編入されることは、貴族階級の子息にとってはそれだけで栄誉である。

 いずれにせよ、魔道の遣い手というものは、どこか出世街道からは外れた、変わり者、という認識がないでもなかった。

 そしてこの場に、魔道の知識を有し、精通しているといえるのは、ペレアス以外では実際に光の魔道を操るミカヤのみだろう。タウロニオやニケのそれは、知識としての域を越えまい。

「つまり、誓約書そのものが呪いが発動する触媒なんだ。誓約書があって始めて、呪いは成立する」

「逆に、誓約書さえこちらにあれば、呪いは発動しない、ということですかな」

「ああ」

 捕捉するようなタウロニオに、ペレアスは頷いてみせる。すると、サザが、消極的な態度が常の彼にしては珍しく、言葉を挟んできた。

「それなら初めから、そうすれば……!どうして、それを」

 俺にやらせてくれなかった。ベグニオンにはつてもあるのに。言葉を、サザは呑み込んだ。

 そんな事を言えるサザではなかった。王宮を避け、ミカヤが総司令となってからも市井に活動の拠点を置くよう進言したのはサザだった。それは、どこか遠くへミカヤが行ってしまうのでは、という恐れからくる自衛だったのか。サザがペレアスを未だ信用していないのと同様に、ペレアスがサザを不信に思っていたとて、それは当たり前である。

「黙ってろ、サザ」

 咎めるように、眉根を寄せたミカヤにかわって、ノイスが鋭くサザを牽制した。その男らしく彫りの深い目元の、太い眉の影にある灰色の瞳が、いつになく厳しいものを帯びている。

「…だが!ノイス!」

「王の言葉をお前はこの耳で、聞いていたのだろう。確証が持てなかったと」

 ノイスとて、なぜサザが食ってかかるのかは理解していた。

 サザは、彼なりに、力になりたかったのだ。ミカヤの為に。それでも、以前にくらべ格段の進歩をしているな、と、肩をふるわせている青年を見ながらノイスは思う。以前のサザならば、そもそも会話に加わろうとなどしなかったろう。

「十分な確証がなきゃ動けない。それが何故か。今のお前なら、わかるだろうが」

 納得しきったわけではないだろうが、サザは一旦、その不満を腹に収める事にしたようだ。ノイスは小さく息を吐いた。

 

 血の誓約が如何なるものかは、「草」やパルメニー神殿の諜報網をもってしても、掴みきれなかった。

 それは、デインの製塩技術や鉄鋼技術などのように、他国には決して明かせぬ政治的な思惑があるのだろうということは、容易に想像がつく。あれほど他国を一方的に蹂躙出来る、理不尽とも言えるものなのだ。ましてあのベグニオンである。

 ラグズ国家は言わずもがな、属国扱いをしているデイン、クリミアにそれを自ら明かすような真似をするとは思えない。代々元老院に属する一部の者のみに伝えられる知識、おそらくはそういった類いのものだ。

 だが、行動に移れなかった決定的な理由は、そういったものではない。

「違う。違うんだ、ノイス。……確かに確証を持てず、持てなかったから、行動が出来なかった。そう言う言い方も、出来る、だが」

 ノイスの気持ちは、素直に嬉しかった。ノイスという、一見粗野に見えるこの戦士は、だが解放軍時代から何かにつけ、ペレアスと接触を持ってきてくれた。イズカの妨害にも関わらず、年甲斐も無く瞳を輝かせながら、沢山の事を話してくれた。ミカヤ、タウロニオやフリーダとは違う意味で、長い間ペレアスを支えて続けてくれた男だ。

 そんなノイスの信頼を、裏切る。

 ノイスだけではない、ここに集う者、皆の、あれほど無様な態をなした己を、それでも信じると言い切ってくれた者たちの。

 その思いは、ペレアスの口を重くするには十分だった。

 先ほどまでの歯切れの良さは何処へか、口は何度も、言葉を紡ごうと足掻く。だが、意識は言葉は、音を伴って響く事がない。

 だが、もう誰も助けてはくれない。

 イズカはいない。

 アムリタも、この場にはいない。

 側近の青年も、タウロニオも、そのような時に余計な助け舟など、出さない。なんとなれば、彼らは臣下なのだ。そして、自分は、王だ。

 臣下は、王に従うもの。それは、当たり前の事だった。

 そして、ペレアスもまた、以前と同じ、臆病で意志の弱い、王という地位に安穏とただ座っていることに満足していられる、嘲笑されて当然の、笑い者の傀儡王などでは、なかった。

「………恐ろしかったのだ」

 やっと出た言葉が喉を震えさせる事は、なかった。

「私の過ちが、ただ一つの、決定的な間違いが、我が民の命を、奪う、デインの民を、殺すということが…」

 誰も、何も、いわない。ただ、八対の瞳は、じっと言葉を連ねる王に注がれている。

「ガドゥス公の言葉を、すぐさま、信じ込み、事の重大さに怯え」

 存外に、胸中は穏やかだった。どこか、それを、過去のものと認識しているからなのか。とりかえしのつかぬ、だが、だからといって、それに囚われる事こそ愚かと、結論を自ら見つけられたからか。

「一人罪を抱え込み隠した…それが、……この事態を引き起こした、真の理由だ」

 そこまで、ペレアスは決して俯かなかった。

 以前の告白の時と、今とは違う。あの時のように、無様に取り乱している場合ではない。

 真実など、告げずにすむのならば告げずともよい。虚構を重ね、ただ、己だけを騙し続ければよい。

 だが生憎と、ペレアスはそのような事をするには弱すぎ、そして、実直すぎた。

「そのお陰で、死ななくてもいい兵士は死んだ!」

 乱暴に卓を叩く音に、そして荒げられた声が、沈黙を破る。

 サザはだが、その空気を醸し出している張本人であるがゆえ、激昂を抑えきれず言葉を次々と、吐き出した。

 ミカヤが琥珀の瞳を見開き、弟の激しい表情を直視する。彼女としても、この、弟のような子のような青年が、このように激昂する場面など、ほぼ記憶していなかった。

「受けなくともいい被害を受けた、しなくてもいい戦もした…それも、全部、王、あんたの決断がなかったせいだろう…!」

 なおも食い下がってくるサザを黙らせようと、反射的にノイスが口を開いた瞬間に、ペレアスは無言で素早く首を横に振る。

 先ほどまでの、どこか怯えた様子はどこへやら、その表情の厳しさに、ノイスは結局、喉元まで競り上がって来た言葉を、腹の中に納めざるを得なかった。

「やっぱりな…結局、デインの不幸を招いたのは、破滅を招いたのは、あんた自身の弱さじゃないか…!」

「サザ、やめて…!」

 口元に手をあてがい、首を左右に振って悲鳴のような声をあげるミカヤを無視し、サザは続ける。

「自分たちを慕う兵士が、望んで、笑いながら死んでく…絶望の中、ありもしない希望に縋って、死ぬ……それを眺める気持が、一体どんなものか。あんたは、前線に赴きもしない、だから、わからないんだろうな」

 サザは、卓に両手を付いたまま俯いた姿勢で、ゆっくりと肩を揺らしていた。チラリと見えた、弟のあまりの暗い目に、ミカヤが一瞬、息を呑む。笑っていた。冷笑のようにも、自嘲のようにも、それは、見えた。

「一体ミカヤがどんな気持で、それを見たか、見ていたか」

 誰も、サザの言葉を態度を咎める事はしない。

 なんとなれば、その吐露された激情の矛先であるペレアス自身が、じっとサザの言葉を伺っているからである。先ほどまでの、どこか怯えためらう様子が、まるで嘘のようだ。

「あんたはミカヤを信用する,と言った。だから、総司令なんてものにした……そのくせ、いざ、自分が間違いをしでかしても、その本当の理由を黙って、それでも臆面もなく、ただ戦えとあんたは一方的に命じた!その、誰も逆らえない王という名の下に、理由もわからず、ミカヤを、俺たちを、皆を戦わせ血を流させて、……それが今更何だ?元はと言えばあんたが悪い。すべて、あんたのバカさ加減が呼んだ不幸で、そいつを全部ほっぽり投げて、あげく勝手に死に逃げみたいな真似までして?そんなんじゃ…そんな腰抜け野郎を信じて、苦しんできた、ミカヤは…!」

 こらえて来たものを、息つぐ暇すら惜しんでサザは一気に吐き出した。

 最後の言葉を吐き出して、それで溜飲が下がったわけではない。

 だが、上半身で荒い呼吸を整えていれば、いささかの落ち着きは取り戻せる。

 呼吸を整える間に、脳裏を過るのは、何も苦悩しながら戦う姉の姿ばかりではない。

 ラグズの獣兵に震えながら向かって行く義勇兵。ついさっきまで談笑していた兵士が、目の前で、胴体だけになって倒れているさま。目に狂気を宿しながら、罵りの口上を共に突撃する、新兵たち。ことさら意識せずとも、目の当たりにして来た光景は、知らぬうちサザの意識を変化させていた。ただ、その日を生き抜く為に街の裏路地に、日影に生きていたあの頃とは、置かれている状況も、そして立場もまったく違う。すれば、当然価値感も変わってくる。

 サザ自身がその事を意識しようとすまいと、確実に意識の変革はどこかで、起きていた。

 だからこそ、無責任に、安易に己の死を口にするペレアスが、許せないと感じていた事の理由を、だがまだサザはわかってはいない。

 あの時は黙っていた。死に行く者を罵っても仕方ないと思ったからだ。だが、ペレアスは生き延びた。生き延び、償おうとしている。なれば、それに対し言葉を弄することも、また、無為ではない。そのように頭のどこかで、サザは結論を出していたのだ。だからこそ、今更のような苦言が、無意識のうち飛び出した。

 

 矛盾した思いを抱えるサザの呼吸が静まるまでの間、場は静寂を保っていた。荒い呼吸が静まるまでの僅かなその時間、どこか、ぎこちない空気がその場にわだかまっていたが、部屋を照らす灯は揺れず、同じ光を同じように放つばかり。

 同様に、ペレアスもまた、卓の上で両手を組み、微動だにしない。側近の青年もまた、じっとサザの様子を伺っていた。

「例え、一時の犠牲を生もうと、誓約などに恐れる事なく、元老院の罪を暴けなかった事、それは、言い訳もできない。私の決断の遅さが、民に苦を強いた事。それも、事実だ」

 時を十分に置いた上で、きっぱりとよどみもなく、それも静かな声で、詰った張本人に強く言い切られてしまえば、サザもこれ以上何かを言う事は出来ない。

 もとより言いたい事は,言ってしまったし、何かこれ以上言ってしまえば、惨めなのはサザ自身だ。

 唇を強く噛むと、鼻頭に皺をよせ、乱暴に椅子に腰を下ろし、憮然と腕を組む。ミカヤがそれを見とがめ、弟に小さく何かを囁いていた。

「今サザが言った通りだ。私には、誓約を破れるであろう術を知り、その手段もあった。にも関わらず、己の弱さから、決断出来なかった。その結果が、この現状だ。全て私の弱さと愚かさが招いた事態だ」

 なるほど、一歩踏み出してしまえば、恐れなどとるにたらぬものであったとわかる。己自身が作り出した心の闇に囚われていただけだったのだ。現実を直視出来なかった。その事実を受け入れれば、ペレアスの心を悩ませるもの皆無と言っていい。

 己の弱さ、抱えていた闇。全て吐き出した。自ら、手も汚して来た。それは何のためだったのか。何のため、何度も相応しくはないと思った玉座に、だが、無様に縋って来たのか。

 あとは、もはや、信ずるところをただ行うのみ。迷いなどはない。

「安易に死に逃げようとした。私は、断罪して欲しかった、…ミカヤに、愚かすぎる罪を成した、この身を…それも、甘えだった」

 己の死が、誓約を破れる。

 そう記された書物は、福音を告げる女神のみ言葉に思えた。縋るも縋らぬもない。絶望の大海に流され、たゆたう最中に見つけた、それは一握の藁だったのかもしれない。周りは全て黒色の冷たい水であり、身体は冷えきり、死神の囁きは既に幾度となく聞こえてくる遭難者だ。ただひとつの輝ける希望は、あまりに、まばゆく光を放つ。それに縋る事を、誰が止められよう。己の命ごときが代償で、全てを解き放てる。そんな、甘い夢に、ペレアスは縋ってしまった。

「そんな簡単に逃れられるわけもない……どこか、わかっていた」

 過去の己を振り返る口ぶりには、何の感情ものせられない。その認識の甘さを、つい先日の己自身を、ペレアスはまるで他人のごとくに思っているからだ。なんと愚かだったのだろうかと、ただ、ひたすら、哀れな道化を見ている気分になる。

「ゆえに、全ておわってから然るべき罰を受ける事を、祖霊と女神アスタルテの御名に、そして今ここに集いたるすべての兵卒に、この国に生きる民に誓おう」

 その誓言に、真っ先に安堵したかのように表情を動かしたのは、やはりノイスだった。

 タウロニオやフリーダ、そして側近の青年は全てを知っている。ニケらラグズの民は、直裁にデインと関わりは、ない。ミカヤは沈黙を保ち、弟サザも、同様に、だが、真意を推し量らんとペレアスをじっと見つめていた。

 建国の英雄、祖霊ヘンギストと女神への誓言は、歴代国王が何らかの法を発布する、あるいは形式としての基本だった。だが、加えてこの若き王は、民へと誓う。戴冠式の折もそうだった。それは、ペレアスが民衆もまた等しく、国家の礎であり、重要だと認識しているからに他ならない。

「だが、今は。今だけは、皆の力を貸して欲しい。私の為ではなく、デインという国のため、力を貸して欲しいのだ」

 ペレアスは言い終えると、深々と頭を下げた。

 

 言葉が途絶えれば、狭い部屋の中は静まり返るのみなのだ。

 風が時折窓を叩いて行く音だけが、今度はやけに響いている。また雪が降って来たのだろう。この静寂はなにも、兵卒たちがそろそろ寝入る頃合いだから、というわけではない。徐々に空気は冷えて来ている、それでも寒さを感じぬということ。部屋を支配する幾たびかの静寂は、だが今回は些か質を違えていた。

 

 全てを吐露した。

 それは、思っていた程に,恐ろしい事ではなかった。サザの苦言が、むしろそれを楽にしてくれた気がする。彼の率直すぎる言葉は、現実と向かい合うペレアスにとって、何よりの助け舟となった。おそらく、当の本人にそのようなつもりなど、全くなかったであろうとも。

「神使の密書を破ったそなたは、既に決意を固めているのであろう。それが王の意志。なれば兵卒も、おそらく傭兵どもとて、疑うことはない。それは、この場にいるものたちもな。そなたの内心が,或いはここに至る事情がどうであったかなど、どうでもいいのだ」

 諭すような口調で静寂を破ったのは、やはりハタリの女王だった。

 彼女はデインに属してはおらず、ハタリの長だ。ゆえに、たとえ一国の王であるペレアスに対しても、その立場を考えても対等に言葉を交わす事が出来る立場でもある。少なくともペレアスは、彼女を一国の主として接していた。

「時は限られているぞ。無為には出来まい。…それにそなたの罪、裁かれる時はいずれ訪れるであろう」

「はい」

 素直に肯定の意を示すペレアスに、ニケは緩やかに笑みを向けた。それは、背後に控える白翼の王子のような、向けられた者の意を、存在を、まるで抱擁するかのような、いいえぬ心地よさをもたらすそれだった。

 なるほど、ここまでの覚悟だった。なれば、神使などという存在に対する、あの強硬な態度もまた頷けるものだ。権威を振りかざし、暴挙に出るのであれば、たとえ皇帝神使であろうと屈せぬ。そのような気概を持つ王。ニケは、肚の底、胸の内に久々に沸くものを、おさえるつもりはない。

 デイン王ペレアス。道程の途中に聞き及んだ風評とは,全く違う。或いは、その評ですら、何らかの意図で操作されたものではないのか、とすら思わせる。竜王子が己の命運すら託した気持が、ミカヤが頑に信ずる理由が、なるほど、すんなりと理解出来る。

 ニケの蠱惑的な唇が、この場に招かれてより何度目かの笑みをかたどった。

 

「ペレアス王。俺みたいな…下っ端から言わせてもらえば、ですが…いたずらに嘘を重ね、民を騙すような真似を、陛下はなさらなかった。今の事も、…こうして、正直に話して下さった。それは、王が、我々を信じて下さっているからではないのですか」

「ノイス」

 ノイスは短くのばした髭の下に、笑みを浮かべた。

「俺は、嬉しいですよ。こういう事を言う場合じゃないのはわかってます、でも、言わせて下さい」

 悪くない。いや、この王が己の名を記憶し、呼ばわる事のなんと心躍ることだろう。

 一個小隊を任された。最も、部下の殆どは正規兵ではない、義勇兵だとか、傭兵だとかいったあらくれ男の集団だ。だが、彼らのような無法者は、かえってその方が都合が良かった。彼らに権威などは関係はない。己が信じられるものにのみ、忠実だ。そしてノイスは、度重なる戦役で、彼らの信頼を、その腕っ節と知恵でもって、勝ち取っていた。

 夢破れ、裏路地を死に態で彷徨っていた頃が嘘のようだ。こうして、王に目通り適うどころか、言葉を交わすことも出来ている。

 それもこれも、この若き王に出会えたからである。その邂逅こそが、ミカヤがもたらした希望に他ならない。

 確かにミカヤはデインの救世主だ。それは、何も、デインを解放に導いたその一点のみからくる評などでは決してない。

「それに今回の戦、いずれはデインを巻き込んだものになったでしょう。一度は中立を保ったクリミアですら、結局は神使やラグズ連合に助力したこと、どう口で言い繕うと、結局はこの戦に加担したに等しいことになります」

 ペレアスが、思索をするかのように瞼を落とす。だがその口元が、僅かに緩んだ事をノイスは見逃さなかった。自分の発言は、無意味ではない。この王が、決して自身で思っている程、傀儡などではないのだと、伝わっている。

 事実ノイスは、貧民窟で過ごしていた割に豊富な知識でもって、そう情勢を見ていた。

 デインという国の気質、そもそもベグニオンという国に対しての反発。反ラグズ感情。駐屯軍の暴政、元老院、神使。あらゆる要素を鑑みれば、デインが元老院側につく、という事自体、不自然ではない。

「たかだか駐屯軍を追い出したところで、まさかデインが、ベグニオンより完全に独立出来るなんて考えてるのは、一部の若者ばかりです。ベグニオンは、形ばかりはデインの独立を許してる…ですが、過去を見ても、一度とて帝国がデインの事を対等な国として扱った事なんて、ありはしません」

 穏やかに、だが断言するようなノイスの隣、サザは居場所がない思いをしながら、堅い椅子に座っていた。

 この場にある椅子は、特別なものでも何でもない。防衛の拠点で、軍議を開く際に必要なだけの、簡素なものだ。当然だが、王といえど特別な椅子をあてがわれているわけではない。そういう事に、ペレアスは不満を一切、言った事が無かったということを、唐突にサザは思い出していた。

 ペレアスは必要以上の贅を嫌う。それは、財政難に喘ぎ、資金繰りに苦しむ現在のデインであれば当然だ、とサザは思っていた。だが、駐屯軍が後生大事に溜め込んでいた財は相当だったと聞く。それを、殆ど国民に還元し、民の支持を代償にデイン王室はその財を失った。

 にも関わらず、度重なる戦の折、例えば兵糧が不足したとか物資が足りぬ、などという悲鳴を、兵士たちから聞いた事はない。ベグニオンより借金をしたという話は、誰の口にも上っては居ない。兵士たちの表情や声色は、決して衰えてはいない。

 それらが何故か、サザは考えてもみなかった。

 そして、ノイスの言うような事情があったことを、仮にもデイン軍総司令でもあるミカヤの側にいながら知らなかった。

 どちらもが、以前であればどうでもいい、と思っていたようなこと。

 だが、それが思い違いであった、少なくとも、そのような身勝手が通るといつまでも思い込んでいる事こそ、恥ずべき事なのだ。

 観念するようにサザは瞼を堅く閉じた。尻の下の、堅く冷たいと思っていた椅子も、意識するでもないほど、馴染んでいる。

「ノイスの言う通りです。神使はともかく、実権を握る元老院は、デイン、クリミア両国を属国としか思ってはないこと、以前のクリミア領土内における元老院の暴挙からも伺えます。いずれにせよ、出陣せざるをえませんでした。その時を早めたのは、神使ですが」

 フリーダがそっと捕捉するように言葉をつなぐ。

「俺たちデイン人が信じるのは、指導者と望むのは、神使じゃない。暁の巫女を見いだし、祖国を解放に導いた陛下、あなた様に他ならないんですよ、ペレアス王」

 物は言いようだった。だが、そのように考えているデイン人が、少なくはないのだ。

 ノイスの部下には、ミカヤよりも国王を慕う声も少なくはない。兵士に限定すれば、実はミカヤの威光はそれほどではないのだ。彼らの英雄は、どちらかといえばタウロニオであったし、彼らが忠誠を誓うべきはミカヤではなく、ペレアスである。彼らが王たるものの是非を問い、論じるようなことは、ほぼない

 まして、元駐屯軍兵士などは、殆どがタウロニオの口添えや王の一存で編入されている。今回の王の参戦を危ぶむより、それに奮う兵の方が多かろう。ノイスは、そう見ていた。

「この命。陛下の為に捧げられるというのなら、後悔など覚えません」

 ノイスは満面の笑みを髭面の下に浮かべた。同時に強く頷くのは、フリーダだった。

 タウロニオも、あえてこの場に宣誓するまでもないというように、小さく頷いた。

「私も、まだ…戦えます。ペレアス王、あなたを犠牲にして生き延びること、そのことの絶望を思えば……こんな、身体の負担などは、いかほどにも苦痛を感じません」

 ミカヤの琥珀の瞳に、必死な色は変わらず見え隠れするが、それでも彼女は顔を上げ、断言してみせる。サザは不愉快そうに鼻を鳴らすが、殊更に否定してみせるわけでもない。

「もとよりこの場にあれば、自ずとそうなろう。それにな、そなたの指揮下にはいることも、悪くないと思えている、デイン王ペレアス」

「私はただ、女王の傍に、おります」

 ニケの言葉を受けたラフィエル、オルグの両名もまた、それぞれに決意は変わらぬ旨を示す。

「私に異存は、ありません。最初からそのつもりですから」

 クルトナーガの笑みは、童顔である事も手伝い、場違いなほどに空気を和ませるようだ。その裏にある決意の程など、伺いようもない。

「そう、……そうか。ありがとう……皆、有難う」

 この場に及んで、おそらく初めてだろう。ペレアスは、その堅かった表情に、初めて柔らかなものを、うかべた。


 
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