No.245501

鷹の人2

ひのさん

FE暁デインサイド中心の微パラレル。(本編では3部~4部あたりになります)ペレアス、ティバーンがメイン。ベオクの王とラグズの王。【未完です】

2011-07-29 21:59:10 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:646   閲覧ユーザー数:642

 兵士達は疲れて、しかしその士気は驚く程に高い。異様な光景だった。

 篭城という最後の選択肢も奪われたというのに、彼らは自分たちの勝利を疑うそぶりはどこにもなかった。「王。ミカヤ殿がいる限り、我らは負けません」まっすぐな目でそう言ってくる将校もいた。そんな彼らに対し、ペレアスは微笑んで、肯定してみせた。

 すべて嘘だ。

 状況は絶望的だ。

 辛うじて残された一筋の光も、か細い。

 だがここでうろたえては、彼らの前で気丈に振る舞ってみせたミカヤの努力をすべて無駄にすることになる。

 彼女だけではない。今までの戦で命を落としたもの、傷を負ったもの、彼らの思い、存在を無駄にすることにもなる。

 

 久しぶりの酒と、充分な食料。その意味を知らぬ者は、このデイン陣営内に一人もいなかった。

 

 ひととおり瓦解しかけたノクスの城内を歩いてまわり見た。埋伏を命じられていたものたちは、凍える夜中の戦場にある。

 既に仮眠をとっている者もあった。皆、気負った様子もなかった。食料庫はまだ空ではない。ノクスの兵糧管理は流石に見事なものだった。

 デインは他国と比べ年間を通して寒冷な気候で、また、昔から兵糧や物資管理に際しては優れた独自の技術を有していた。このノクスの守備長も、その手腕は確かであり、兵糧も物資も、豊富とはいえぬものの、それなりの数が蓄えられている。

 ついで、城が瓦解したとはいえ、兵糧の殆どは地下にあり、その入り口が閉ざされなかったのは、まさに僥倖といってもよかった。

 対する皇帝軍は、報告によれば兵糧に関しては矢張り不足しているとのこと。

 兵糧を管理している兵達は異様な緊張感に包まれており、運び出しも慎重すぎるくらいであったという。

 なにせ彼らは大軍団であり、その実に半数をラグズ兵が占めている。兵糧の消費も、ベオクのそれに比べ段違いだ。出来れば、兵糧は奪いたいところだろうが、何故かそういう手段を彼らはとらない。冬場に入り、略奪をしにくいという条件はあれど、そこまで多くの被害報告は入ってはこなかった。国内のどの領地でも、皇帝軍と見れば扉を、城門を閉ざしていたのだ。そこにあえて攻め込むような事をしている暇はないのだろう。さらには、積極的に略奪をするわけでもない。

 甘すぎる、とペレアスは思った。

 以前ならば当然だと思っていただろう。だが、その甘い認識がして悲劇を生んだのだ。絶望に直面すれば、考え方、物の見方を変えることなどはなるほど容易だ。本来ならば、このような事態になる前に悟るべきであったのは、言うまでもないが。

 もとより、略奪を禁じたところで、彼らは国境を侵した時点で侵略者なのだ。宗主国とはいえ、ベグニオンとデインとの関係は、デイン建国当時から決して良いとは言えない。

 そして勧告を無視し、こちらが書簡の返事をする前に国境を侵した。事を急ぎ過ぎ、ゆえにデイン軍が彼らを迎え撃つ正当性が生じてしまっている事に、或いは気がついてはいないのだろうか。

「ベオクとラグズ。親ラグズに傾きすぎた神使は、デインの事を何も理解してはいない…理解する気もない、ということか」

 誰とはなしにペレアスは呟いた。小さな部屋の中、細く燃える燭台に灯されているのは、油を使ったものではなく魔道の光だった。風や雪の中でも決して消える事はなく、灯した者の力量にもよるが、およそ二刻ほどはもつ。

 そっと手を伸ばして、光に触れる。熱くもなく、冷たくもなかった。あかりを灯す奇蹟は、祈りを力の根源とする司祭たちの光の魔道の、初歩のものだ。従軍した神官兵たちが、灯したものだった。

 呟きに、応える声はない。

 側近の青年のうち一人は既に休ませていた。元は傭兵でもあった彼は、明日こそ王を守り戦えるのだ、と張り切っていた。

 燭台から手を戻し、机上でペレアスは手を組み、視線を落とした。古い木机は、その重ねて来た年代を語っている。ノクスは、古くからデイン王国の砦として、代々国境トレンガン長城を侵し侵入した者を、退けつづけてきていた。決して、侵される事のない、堅牢な要塞だった。地下水脈と、険しい地形。ここを突破されてしまえば、あとはやすやすとベグニオンへの侵入を許すのみだろう。

 自分は一体どれほどの命を踏み台にしているのか。あえて数えるような真似は、止めていた。

 兵たちと言葉を交わすついでに、突然合力を申し出て来たラグズ三名とも少し、話をした。ペレアス自身、彼らに対する偏見は薄れてはいたが、なくなった、とは言えなかった。だから、もう一度言葉を交わす必要があると思ったのだ。そうでなくとも、明日の戦いは熾烈を極めるであろう。皇帝軍にとっては、緒戦かもしれないが、デイン軍にとっては決戦だった。元々ラグズ連合側にいた筈の彼らを、手放しで受け入れる、ということは流石に出来ない。

 ハタリの女王と白鷺の王子両名は、デイン解放の折も助力してくれていた。女王の側近オルグなどは、あれからずっとミカヤの身を守るように付き従っている。間諜という可能性はないのだが、その意図を知っておきたかった。

 そしてもう一人。アムリタと親し気に言葉をかわしていた青年は、ゴルドアの竜王子だと言う。ペレアスの記憶が確かならば、彼ら竜鱗族は、他のラグズとは違い、そもそも国が永世中立、傍観の立場を建国以来貫いているはずだ。よりにもよって、その王族でもあるクルトナーガが、何故今になって助力する、などと言い出したのか。

 結果、ニケらは純粋にミカヤを助けたいと願い、クルトナーガはアムリタの実弟であるのだという。そして三名とも、明日の決戦の折はデイン軍に所属し、デインの為に戦う、とはっきりと言い切ってくれた。

 敵陣へと侵入してまで助力を申し出たニケとラフィエル。種族の戒めを破ってまで、デインを訪れたクルトナーガ。

 ここまで来て彼らを疑いたくはなかった。特にクルトナーガなどは、戦場に立つのは初めてなのだ、と言い、震えていた。竜鱗族は、戦場に立ち力を解放することは滅多にない。その理由を、直接クルトナーガとアムリタの口からペレアスは聞き、考えた。

 彼らの存在が、あるいはデインに奇蹟をもたらしてくれるのではないか、と。そして、彼らを呼び寄せたのは、他ならぬミカヤの存在があってこそだ、とも。

 暖炉に火を入れれば、眠気が襲ってくるであろう事は容易に想像がついた。まだ、耐えられぬ寒さではない。無駄は一切省かねばならない。流石に兵たちにまでそれを強要するつもりはなかった。これは、ただの自己満足に他ならない。耐えたところで、何がどうなるというわけでもない。だが精霊を体内に宿して以来、なにゆえかこの身体は不思議なところで強かさを発揮するようになっていた。路地で筵にくるまり眠った夜もあったのだが、普通ならば凍死するところを、生きながらえていた。

 なるほど、精霊は宿主を殺さない。

 流石に肉体を切り刻まれ、あるいは心の臓を抉られでもすれば死ぬだろう。しかし、安易な死を、この身に宿る精霊すらも、許してはくれなかった。

 感謝しなければならないかもしれない。精霊と契約した過去の自身に。この、忌まわしき力の源に。

 窓に向かい置かれた椅子に腰を落とす。側の机上にあるものは、魔道書と指揮杖。手を伸ばして魔道書を開く。

 表紙の裏に、挟まっていた褐色に変じた小さな小さな花が、魔道のほのかな光により照らし出される。

 触れてみた。乾燥しきったそれは、僅かに力を加えれば、粉々に砕けてしまうだろう。ペレアスは枯れ花をそのままに、表紙を閉じ、てのひらを乗せた。

「お師様。戒めを破る事、お許し下さい。力が、必要です。私の為ではない、今、デインの為に、この忌まわしい力も、希望の光になりえるのです」

 

 

 孤児院といえど、穏やかな司祭や修道女が子供達を養い、その信心を養うような穏やかな場所では、それはなかった。

 だが、孤児院の主の老人は、彼なりに子供達を愛していた。

 老人はペレアスに、決して額の印を人には見せるな、と強く戒めた。

 老人に見いだされた頃、ペレアスは言葉をほぼ失っていたのだ。目の前で養い親を喰らわれ、そして身に余る力を手に入れ、弱っていたとはいえラグズをその手で無惨に殺した。その事に、ペレアスの生来の弱く穏やかな心は耐えきれなかった。

 老人はそのことも踏まえ、ペレアスをあまり表に出す事は好まなかった。とはいえ、他の孤児達のすることまで制限はしなかった。

 所詮子供達の集まりである。その中でも年長でありながら、言葉を発する事はなく、身体も決して丈夫ではないペレアスだったが、他の子供たちはよく懐いていた。その頭の中にある知識もだが、何より穏やかな振舞いが、幼い子供たちにとっては厳しさばかり先立つ老人からの逃げ場になっていたのだろう。何か悪い事をすれば、ペレアスが彼らを庇った。子供達はそのことをよく理解していた。

 そしてそれが、不幸な出来事のきっかけになってしまった。

 凍てつく寒さがより一層厳しくなる、それは年越しの祭りを三日後に控えた、夕暮れ時のこと。

 年越しの祭りとは、テリウス全土で行われる、女神の聖誕祭だった。全ての者の母でもある女神の生誕を祝い、感謝し、そして更なる息災を願う。場所によって具体的な手法は異なっていて、野の花を捧げるという風習は、特にデインに限ったものだろう。厳しい冬の時期に、それでも咲く花を、女神の祝福に他ならないという意味を持っている。それを入手し、祭壇に捧げる事が出来た者は、女神の祝福を受けるという伝説が、デインにはあった。

 孤児院には、ペレアスの他にも何人か、老人に才を見込まれた子供達がいた。その中で、最年少の少女が帰っていない。

 朝からの吹雪は大分おさまってはいたが、もうすぐ日は落ちる。彼女も生まれつき虚弱で、足にわずかに患いがあった。ゆえに、あまり外に出る事はなく、ペレアスに一番懐いていた子供だった。

 老人は、一人で捜しにいった。そして残る子供達には、決して自分が帰るまでは外に出るな、と重ねて忠告をしていった。

 孤児院のあるあたりは、貧民窟の中でも決して治安の良い場所ではなかった。変わり者が多く、気が触れたものなども徘徊することもある。だが、手に入りにくい品を入手しやすいーー闇市の立つ場所でもあり、どうも孤児院の経営はその闇の商売からの金銭でなっていることを、ペレアスだけが知っていた。そしてこの年越しの祭が行われる時期は、ことさらに治安が悪化しがちだったのだ。窃盗が横行し、大事にはいたらぬ犯罪もそこかしこでおきていた。年越しの祭を終え、女神が地に降り立ったその瞬間を、聖地の方向を向き祈る事で、一年の罪が払われるーー儀式的な意味合いをもつその祭は、どこかしら歪んだ形で、このネヴァサ貧民窟にもまた訪れるのだ。多少の罪を犯そうとも、年越しの祭の前後であれば、懺悔するだけで許される。それを逆手に取った犯罪が急増する時期だった。ゆえの堅い忠告だったのだが、当然ながらそんな言葉通りにじっとしている事が出来る子供ではない。ペレアスが制するにも構わず、数人が飛び出していった。残った子供たちは、逆に怯えたように、じっと動かなかった。開け放されたままの扉から雪が入り込んでくる。だが、それを閉めに行くものは、誰も、いなかった。

 

 

 

 

 風雪が頬に触れ、ペレアスは我に返った。窓から、すきま風が入り込んでいたらしい。窓の側の床には、うっすらと白いものが積もっている。

 手に携えた魔道書に、縋るように、そっと胸元に運ぶと、立ち上がる。窓を開けた。

 闇の中、だがそこかしこで焚かれる篝火の照り返しを受け、ノクスの城塞はあかあかと燃えるようだった。視界の端には、煙があがっている。向こうに、おそらくこちらのおおよその兵力は掴まれているだろう。それでも、無駄と判りながらも虚勢を張る事をペレアスは命じた。こちらに、ゴルドア竜王子やハタリの女王が合力していることは、わかっているだろう。

 追いつめられてはいる。だが、まだ、こちらに手段はある。そう、思わせる。

 重だるい頭は変わらない。それでも思考は明晰だった。

 辛い記憶を呼び起こす、時間はまだあると感じた。それは必要な事だった。

 逃げない。それは、他でもない、ミカヤとの約束だった。薄れていた、と思っていたのは、ただの思い込みだった。忘れるわけがない。忘れられるわけがない。

 順を追って、記憶の糸をたぐり寄せる。ぼんやりと、記憶の底に沈んでいるものを、ゆっくりと。外気の冷たさは、あの冬と同じだ。

 

 

 

 孤児院を飛び出したペレアスは、大人では入り込めなく、子供の独壇場となっている裏路地の廃屋、その先にあるわずかに開けた空間にまず向かった。

 そこは、たまたま周りの建物が瓦解しているがゆえにぽっかりとあいた空間で、貧民窟の中でも薄暗いこの一帯で唯一日の当たる場所なのだ。それを、真っ先に見つけたのが、その少女だった。

 他に考えられなかった。彼女が刻限通りに帰らなかった理由。それも、こんな日に。一時止んでいた雪は、高く哭く風を伴い、再び降り出している。

 

「さわぐんじゃねえよ。何、とって食おうってんじゃない。言う事をきけばあったかいところにつれてってやる。メシも喰わせてやる。あんなボロい建物なんかとは、おさらばだ」

「い、や!はなして!はなして!」

 幼い叫び声と、しわがれた男の声が、ペレアスの耳に飛び込んでくる。

 弾かれたように駆け出す。だが、息がすぐあがってしまう。虚弱な身体を呪いながら、それでもペレアスは駆けた。細い路地を抜け、廃屋を越えた。痛んだ床や朽ちかけた柱に肩や腕をひっかけ、あちこちに傷が出来ることも、気にしなかった。

「俺の言う事、聞けねえのかッ、このクソガキが!」

 悲鳴。甲高い音がした。鈍い音。ふたたびの悲鳴。絹を裂くような、細い、長い、絶望の声がひとしきり続き、そして途絶えた。

「おいおい、お前が力任せにひっぱたいたら、こんなガキ死んじまうじゃねえか。せっかく捜しつづけて見つけたってのに、まったくお前ってやつはよ……」

「ケッ、別に構いやしねえさ」

 走った。悲鳴はもう、聞こえない。

 胸が押しつぶされそうになるのは、苦しいからなのか。

 それとも不安からなのか。

 漠然とした恐怖からなのか。

「ったく、手間、かけさせやがる」

 走って、肺が呼吸の限界を伝えても、走った。

「あーあ。おい、加減しろよ。こんなクソ寒い最中、何が悲しくて俺はお前の趣味につきあわなきゃならんのか。ったく」

 息が苦しい。雪が頬を叩き、目の中に入るのも、構わない。

 視界が開けた。

 こぎれいな、貧民窟には似合わない風情の男が二人。片方は、醜いその尻を剥き出しにしている。その装束には相応しくはない下卑た笑い。物言い。

 そして、その足元には気絶した小さな妹。

 地面に無防備に投げ出された細い剥き出しの素足。それにかぶさる、尻を剥き出しにした男。それを眺めるように、もう一人。

 それをペレアスが認めた瞬間、声が、迸った。失っていたものが、戻って来た。

 それは人の言葉ではなかった。

 それは、少年が絞り出せるような声でも、また、なかった。

 突然の絶叫に驚くように男が振り向く。

「なんだ、てめ…」

 言葉を言い終える前に、少女を凌辱していた男はペレアスの渾身の体当たりにより、体勢を崩した。

 鈍い音と共に投げ出された男が、突然の侵入者に気がつく前に、もう一人がペレアスにつかみかかろうとする。避けられるわけがなかった。渾身の力駆け、そしてぶつかり、身体はふらついていた。

「…フン、おおかた、このガキの兄貴か何かだろ」

 ぐい、と掴まれた腕をねじり上げられる。酒とおかしな臭いのする息を、吹きかけられた。

「だが遅かったなあ、お兄ちゃんよ。お前さんの大事な妹は、もうこいつのモノになっちまったなぁ?」

 男が顎でしゃくるように示し、だみ声で笑う。倒れた男は、うめき声をあげながらようやく身体を起こしたようだ。

 言葉の意味は、理解できた。

 怒りが、肚の底から沸いて来た。妹は小さかった。足が弱かった。何も、悪い事などしてはいない。何も、出来ない。ただ生きていただけだ。何故、こんな目に遭わなければならなかったのだ。

 押さえつけられているというのに、臓腑の奥から沸き上がるものは、恐怖心をどこかへ消失させていた。

 血流が沸騰するようだった。ペレアスは脳裏に浮かんだ言葉を、無意識に紡いだ。それは、古の、呪いの言葉だ。

「なんだ?こいつ……ブツブツと、意味のわかんねえこといいやがって」

 男は言葉を全ては喋る事はなかった。次の瞬間、喋る事すらも出来なかったからだ。

 もう一人が体勢を整えきるまえに、もう一度ペレアスは呪詛を吐いた。小さな妹ごと、男は、闇に喰われた。すべては無音だった。

 わずかな瞬間の出来事。

 ほんの数分前までの、貧民窟にはよくありがちな悲劇は、その痕跡を跡形もなく消滅した。

 呆然と、立ち尽くす少年。その足元には、小さな黄色の花が、揺れていた。

 

 その後の事を、ペレアス自身がよく把握はしていない。

 とにかく、老人が兄弟達とともに迎えに来て、その日から兄弟達の自分を見る目が変わった事。

 時折彼らがささやく「印付き」という言葉。小さな妹は、盗賊に殺されたということに、老人がしたということ。それでも大幅に何かが変わる訳ではなかったが、ペレアスが外に出る事を、老人が禁じた。だが、それでも時折どうしても外に出なければならぬことがあり、そのような時に人とすれ違うと、畏怖の眼差しで見られ、あからさまに避けられるようになったこと。「印付きだ」とささやかれ、石を投げられた事も、少なくはない。

 何故そのような事態になったのか、ということを深くは考えなかった。人の口に戸をたてることなどできはしない。まして、あの悲劇を、目撃していたのは、おそらくペレアス一人ではあるいまい。ただ、そのような日常に起こりうる不幸に、ここの人々は鈍感なだけだった。己の身を守ることで精一杯の人間に、そこまで求める事など出来はしない。

 それでも、それらの事をのぞけば、それからの日々は至って平穏だった。避けられればこそ、波風立たぬ生活が享受出来ることの皮肉さを噛み締める事に慣れてしまえば、どうということなどは、ない。

 兄弟たちは、一時期こそペレアスと距離を保っていたが、以前とすっかり同じとはいかぬまでも、彼らなりに老人に諭され、理解をしたらしく、あからさまに避けるということはしなくなった。孤児院を出る一ヶ月前あたりは、以前のように声をかけてくる子供もいた。

 

 イズカに見いだされ、孤児院を出立するその日その時。戸口の影から様子を伺う子供たちのまなざしは、どこか寂しそうだった。

 そして老人は言った。

「決して、その力を人前で使うな。お前の力は強い。その身に宿す精霊も同様に」

 皺だらけの顔の奥に光る黒い目が、深い色をたたえてペレアスを直視する。

「だが、強すぎる。強すぎるが故、不幸を呼ぶのだ」

 老人は、ペレアスの両肩に、手を置く。まるで枯れ木のような腕だが、しっかりと力がこめられている。

「そしてその不幸は、おそらくお前のみに留まらない。だがペレアス。己を呪うな。お前は、その力に屈することはない。私はそう信じる」

 老人は、表情を動かしはしなかった。ただ、両肩におかれた骨張った手が、震えていた。片手でその手の平を覆って、ペレアスは目を閉じた。

「ありがとうございます。ここまで育てて下さった事、感謝します。皆、健勝でありますよう、女神のお導きを」

 数年ぶりに口にしたまともな言葉は、別れの言葉だった。

 誰も、何も、それ以上言わなかった。

 

 

 老婆を喰った半獣を、そして暴漢と妹でもあった少女を殺したのは、他ならぬ己だ。

 戒めの言葉。老人は、ペレアスの魔道の才を高く評価していた。そして恐れてもいた。途中から魔道の学問ではなく、観念的な理論にうつったのは、恐らくはその才の真価を老人が察したからなのだろう。

 闇の精霊を身に宿すということは、その身に常に負の気をまとうことに等しい。平静な状態であれば、それはさして害をなさない。

 だが命を奪い、奪われる、そのような危機的な事態に直面した場合、術者がその荒ぶる精霊を制御しきれず、暴発する。それは通常の理魔道にも同様に言える事だったが、闇の魔道は、威力の高さの代償に、暴発の可能性は格段に高い。ゆえに、それなりの力量がなければ、己が扱う術に喰われ、自らは滅び、そして周りを巻き込み惨事を引き起こす。

 この広い大陸中に、ほとんど闇の魔道の遣い手がいない理由。彼らが畏怖の対象であると同時に、疎まれ、蔑まれる理由はそこにあった。

 

 

 手にもったままの魔道書は、こうして携えていたところで、何も語ってはこない。

 その内に記された文言を編めば、常人より遥かに体力に劣るペレアスでも、屈強の戦士の命を一瞬で奪う事も容易だった。その代償として、己の命を削りながら。

 護符の話をした時の、ミカヤの瞳に走ったなにやらいいえぬ物悲しい光。それに、気がつかなかったわけではない。

 今であればわかる。おそらく彼女は、……真に、印付きなのかもしれない、と。そう考えればすべての辻褄は合う。彼女の不思議な力は、デインではほとんどその存在を知られてはいない鷺の種族のものに近いように思う。あの、人心を安らがせる琥珀の瞳やどこか輪郭のない存在感。

 ラグズ奴隷解放軍の首領である少年は、鷺の民を奇跡の種族だ、と、彼なりの言葉で讃えていた。そして、ミカヤが伴っていた、白鷺の王子ラフィエル。何故、あの時気付かなかったのだろう。半獣など、というデイン人であれば誰しも少なかれもつ差別的な感情が、彼らの姿を歪ませて目に映していた。そう、考えるしかあるまい。

 ミカヤの力は、鷺の種族のそれに酷似している。人を癒し、人の心を安らがせる。その姿を見ただけで、安堵する。

 印付き。ラグズと同様に、言う程に恐れるような者ではないのだろう。ただ、人とどこか違う。ベオクとどこか違う。周りに当たり前のように存在している日常の範囲内のものと、いささか異なる。その違和感が、恐怖になる。

 そのことを、ペレアスもまた己の身をもってよくよく理解していた。

 だが、同時に思うのだ。ミカヤの、人心を安定させ魅了する力は、おそらくそのようなベオクとラグズの両種族の間に横たわっている深い深い溝のような差別的感情も、吹き飛ばす事が出来るのではないか、と。

 

 

 用意されたとはいえ、日頃から特別扱いを嫌うペレアスの意を側近が理解してるため、他の将校と何ら変わりのない殺風景な部屋を、退出する。明かりをともした燭台は、廊下に掛けておく。

 初歩の魔道とはいえ、使うものにはそれなりの代償を必要とする事に変わりない。魔道書を介さぬかわり、こういった手合いの魔道は、直接本人の精神に影響を及ぼす。ゆえに、消える事のない光を用いるのは、このような非常時に限られていた。

 手には馴染んだ魔道書と、ノクス付近の地形を記した地図。そして馴染まないー馴染みようがなかった指揮杖。

 様々な事を考えるだけは考えてみた。やれる事もやった。立ち止まっている暇などは、もうない。ミカヤたちに全てを告白したのが、数ヶ月前のような気もする。その間、殆ど眠ってはいない。死ぬ気になれば、恐れというものは自ずと遠ざかるのだという実感を、今まさに抱いている。

 今回ばかりは、総指揮はタウロニオに任せるつもりだった。

 ミカヤの体力が限界だ。彼女は、ただ、戦場にあるだけでよい。彼女にはひたとよりそう弟のサザや常に従う狼の民であるオルグもいる。ミカヤの事は、彼らに任せておけばよいだろう。

 それに、ミカヤに付き従うものは他にも居た。先ほどの戦闘の直後に合力を願い出て来た二人のラグズ。癒しの術をその身に秘める、白鷺王子ラフィエルとハタリの女王であり同時に屈強の戦士でもあるニケ。

 それでも彼女を戦場に出す事には変わらないーーその事を、ペレアスは自嘲するつもりはなかった。ミカヤにもまた、覚悟があるのだ。

 静かな、灯だけがこうこうと輝く廊下を歩む。あれほどにざわついていた夕刻とは違い、兵達の気配はあまりない。彼らは既に、各自待機しているのだろう。あの時、ノクスが瓦解しかけた時の混乱がまるで嘘のようだ。やはり、この軍は強い。この結束力は、それだけで、力だ。そしてこの結束力は、ひとえにミカヤの存在があるからこそのものだった。

 冷たい音を響かせて、長い廊下を歩き、やがて辿り着いたノクス城中心部。無骨な大広間の扉を開けた。

 既にそこにはタウロニオとミカヤ、サザがいた。ハタリの女王やラフィエル、オルグの姿もある。他には、ペレアスのもう一人の側近でもある男、それからゴルドアの竜王子とアムリタ。そしてミカヤ直属部隊でもある暁の団からはノイス。それで、この場にいる者は全てだった

 入って来たペレアスを認め、その手に携えたものに気がついたミカヤとタウロニオが、それぞれ違う反応で驚きを見せる。ミカヤはむしろ、漆黒の背表紙の魔道書に不安を覚えたらしかった。

 中央にある質素な机の上に置かれた燭台に灯されたのは魔道の光を応用したものだろう。揺れる事もなく、そして、こうこうと広い部屋を照らし出している。

 ペレアスは魔道書と地図を机上に置き、指揮杖を一度握る。己の立場。言うべき事。なすべきこと。頭の整理をした。そして、指揮杖も卓の上に重ねて,置いた。


 
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