No.1194707

チャップリン?

新人さん

「全国カラオケ事業者協会」の設立記念日は1994年(平成6)年10月17日だ。この日は「カラオケ文化の日」という記念日になっている。 カラオケが初めて登場したのは1970(昭和45)年といわれているようだ。この年に素人でも歌いやすくアレンジされた8トラック式伴奏テープが初めて作られたそうだ。この頃 父がよく車のなかでサブちゃん(北島三郎)を歌っていたのを思い出す。1973(昭和48)年からは各メーカーが参入し、レンタルが急速に普及していったそうだ。1976(昭和51)年にはテイチクがカラオケテープの販売を開始し クラリオンと日本ビクターも参入しているそうだ。 カラオケを歌うときは 赤と青の歌本から歌詞カードを探して歌詞を見ながら歌っていたが、1980年代の初めから画面に歌詞が映るようになり、視力が低下している人は文句を言っていた。1982(昭和57)年にはパイオニアがレーザーディスクの業務用システムを開発している。1983(昭和58)年には日本ビクターも参入し、歩調を合わせるように映画レコード会社などが相次いでソフトを発売したから、カラオケは歌わない人も見ていて楽しめるようになった。1984(昭和59)年に第一興商とソニーがCDチェンジャー(リモコン選曲)を共同で開発して、旅館などにも浸透していった。この頃は、酒とタバコとカラオケがセットのイメージになっていて、居酒屋にもカラオケがあったから、苦手な人たちは静かなバーに逃れていたようだ。カラオケを定着させた1番の貢献者はスナックで、レーザーディスクのカラオケは最初から1曲200円が相場だったから、歌わせておくだけで接客しなくても自動的に収入が増えるし、常連客は自分で操作するから不労所得のようなものだ。カラオケ機材一式は 2万円程度でレンタルできるから従業員を雇うよりはるかに安くて有能なのだ。 1980年代は飲み会があると2次会の定番はカラオケスナックだった。スナックへの賃貸目的の雑居ビル建設ラッシュがあり多数のスナックが出現した。しかし、1999(平成11)年4月から施行された「騒音に係る環境基準」により、カラオケ店が規制されて淘汰されていったようだ。僕が居抜きで借りた店舗にもカラオケスナックという古い看板が残っていた。僕もカラオケをやりたかったけど、規制に従わないとすぐに警察沙汰になりそうだから、諦めてただのバーで我慢した。過去に「荒井注」さんが伊東にカラオケBOXをオープンしようとしたが、入口が小さすぎて カラオケ機器が室内に入らないためオープンを断念した話は有名だよね。あはははは。僕も8年ほど音楽を学んだから、デュエットが好きなんだけど、スナックの女性はユニゾンは上手いがデュエットは音程がとれない方が多く、遊びに行っても逆にストレスになるからつまらなかった。でも、フィリピン人の音感の良さを知ってからは、カラオケが楽しくなった。彼女等は誰も譜面は読めないから、すべて耳でコピーするのだから素晴らしい。それからは歌いたくなったらフィリピンハブに行って歌っていた。面白いことに彼女等には「ロンリーチャップリン」より「夜明けのスターライト」の方が支持されていた。いまだに理由はわからない。因に妻はシンガーではなく、ダンサーだったからカラオケは下手くそである。あはははは。

2026-10-17 15:35:46 投稿 / 978×734ピクセル

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