No.1194191

ミス・ビードル号

新人さん

日本のど真ん中の北緯40度〜30度付近の中緯度に吹いているジェット気流は「太平洋戦争中に B 29による日本爆撃の際発見された」と言われていたようだが、ジェット気流=偏西風が発見されたのは、第二次世界大戦より前である第一次世界大戦後の1924年であり、日本の大石さんが発見したそうだ。高度9km付近に風速72m/sの西風を観測したという。しかし、これがジェット気流だと気が付いていたのかは分からない。このころは第一次世界大戦の後で1920年から飛行機による世界一周ブームがおこり1937年まで西欧諸国はスピードを競っていたようだ。だから僕は偏西風を利用して世界記録を出していたかも知れないと考え調べたのだが、初の航空機による世界一周を成功させたのは大石さんが偏西風を発見したのと同じ1924年に、アメリカ陸軍のチームがアメリカをスタートしてアラスカから日本を通り西へ向かって一周している。みなさん強い向かい風に逆らって飛んでいたのだから、ご苦労さまである。このころ日本に向けてアメリカを飛び立つ太平洋横断計画がことごとく失敗する中、最初の太平洋無着陸飛行に成功したのは1931(昭和6)年10月5日だった。ミス・ビードル号というアメリカの飛行機が日本から東に向かって飛んで行ったのだ。このころには偏西風が周知されていたようだ。Wikipediaによるとミス・ビードル号のレプリカが青森県立三沢航空科学館に展示されている。真っ赤なミス・ビードル号(Miss Veedol)が青森県三沢村の淋代海岸(さびしろかいがん)から離陸したのは1931(昭和6)年10月4日だという。クライド・パングボーンとヒュー・ハーンドンの乗ったミス・ビードル号は、41時間を飛行して、翌5日にワシントン州ウェナッチ市に着地したそうだ。ミス・ビードル号は1931年型のベランカ スカイロケットJ-300型の長距離改造型で、800ガロン(約3028.3L)の燃料を搭載できたそうだ。パングボーンとハーンドンは、日本滞在中に空気抵抗を減らすため離陸後に主脚を切り離せるように改造して、燃料搭載量も増量したので離陸時には950ガロン(3595.7L)を搭載していたという。日本に来たのは世界一周の早回り飛行が目的だったからだが、日本に到着したころには記録更新は絶望的だったようで 目標を「太平洋無着陸飛行」に変更したらしい。悪天候の中アメリカに着くと ワシントン州やオレゴン州には着陸できそうな飛行場がなかったため、ハーンドンの故郷近辺のウェナッチ市へ無事 胴体着陸したそうだ。プロペラが折れたが機体は修理して、イタリアの医師に自家用機として売り払ったそうだが、そのあと飛行中に行方不明となり大西洋に沈んでしまったという。他のいろいろな記録を出した機体は博物館で大切に保管されているのにミス・ビードル号はレプリカしかないのが残念だ。1981(昭和56)年に三沢市とウェナッチ市は姉妹都市となり、イベントやホームステイなど現在も交流が続いているらしい。 1939(昭和14)年に世界一周をした「ニッポン号」も羽田から北海道、アラスカ、北米へと東回りのコースを選んでいる。 第二次世界大戦中には、日本軍は偏西風を利用して風船爆弾をアメリカ本土まで飛ばしている。気球で太平洋横断を成功させたのは1981年になってからだ。偏西風にはもっと頑張ってもらって台風を太平洋に追い払って欲しいものだ。

2026-10-05 15:35:11 投稿 / 978×734ピクセル

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