理性(リアリズム)への批判:理性とは主體する幻聴であり、ランド哲学の「理性」とは、『神々の沈黙』(ジュリアン・ジェインズ)における”意識のない世界への退歩”に他ならない
合理的な利己主義への批判:ランドの「利他主義の否定」は、「利己主義の否定」の社会主義との合流であり、キリスト教的なアメリカ式の社会主義であると出来る
理性の重視:「信仰や感情、宗教を否定します。」
への批判
「大サーターヌ」への服従の必要性:宗教の中にも「大サーターヌ」と言う知識の権化の力が及んでおり、たとえば、仏教の「表象世界」、伊勢神道の「正直」など、人間が服従すべき教えが教えられている だから、宗教の否定は「大サーターヌ」と言う概念に逆らう行為である あるいは、それは世界に反する行為に他ならない
形而上学(客観的現実):「世界は人間の意識や願望とは無関係に、客観的な事実として存在するという立場をとります。」
への批判
客観的な事実として存在しないものに、性別があり、性別として存在するのは、形質性である これは、外から見える性別の事で、服の上から、あるいは、下着の上から、あるいは、裸により、見える性別の事なので、それと「客観的現実」はどう関係するかと言うと…
…「客観的現実」とは、可能な限り、良く見た現実の事であり、観察的、しかして、解釈的である …と言う事は、実は、「客観的現実」はなく、「解釈としての世界」のみが存在する
つまり、残念ながら…、「客観的現実」などは存在せず、”形質性の現実”のみが存在し、当人の解釈がその見え方に反映される、と言う事が実際なのだ
…つまり、私が批判をするのは、アイン・ランドの哲学が、社会主義などに悪用されるのではないか?? と言う懸念からであって、たとえば、こころを追い詰める為に、攻撃しているわけではない事を、誤解なきように…
正直な所、私もからだの要素はほとんど、女なので、心苦しい所もあるが、やはり、社会主義は許せないし、第二の社会主義は当然、防ぎたい所もある
…飽くまで、個人的な攻撃ではない事を、ご理解いただきたい所
形質性とは、現実世界の人間が言う、「見たまま」の事である しかし、「見たまま」を決めるのは、解釈だ それはつまり、異性は「欲望の鏡」と言う事である なぜなら、解釈は本能が決め、本能の反映が”欲望”だからだ
…つまり、現実世界は人間の欲望に関係し、「欲望の鏡」の「欲望の鏡像」は単に顔が良かったり、単に體型が良かったりするだけで、それを「運命」としてしまう事すらもある
…既に、事実世界のものではなく、愛的(ラヴィン)なものに昇華されているのだ それだから、「世界が客観者」などと思う事はそもそもおかしいものだと思われるのが良い むしろ、「世界は愛されるべき愛の告白者」なのが自然なのだ やはり、世界は「病気」や「常識」などではなく、共愛主義なのだと
ちょっとアレ? お前つまらない女性だな? そもそも、比喩的な所だし、お前に告白するつもりもないんだが… 少しは反応してもいいんじゃない?? まあ、アレか、いわゆる自立女性的なツンケンな感じなのか はっきり言って、女性としてつまらない そもそも、私は女性と言っている感じだが なんか、想像していた女性像とのギャップがすごい こんなものなのか …それとも、子供扱い(男性扱い?)なのか
…同じ女性としてすごくつまらない
……こんな女性、批判する価値があるのか??
…こう言う女性を相手に理想を語っているアメリカ人って幼稚園児レベルの男性レベルなんじゃ…むしろ、そもそも、男ではないような お前ってホントに女?
アイン・ランドのような性別:女でしかないが増える事で、民族の堕落力は向上して行く民族の堕落力は民族への消極に繋がり、民族への消極は民族からの脱落に繋がる
…はっきり言って、こう言うランド系がいっぱいいる国程、男女は堕落的であり、堕落力的である 堕落力とは魅力の正反対の概念であり、それすなわち”男性的な侮辱”、”女性的な侮辱”でしかない つまり、子供を産む(生む)事の出来ない出来損ないを意味する ランドのような人間の子孫はいずれにせよ、いなくなり、ランドのようなニセモノの思想を引き継いだアメリカは没落する 所詮、ランドと言う人間の価値は無に過ぎない …いわゆる「無能女」である
…こうした批判はランドだけでなく、現代人の女性にも当てはまるものなのだ
ちゃんと物事について批判をする文化的な私自身、滝口からしてみれば、アイン・ランドと言う人間は「民族の堕落力」でしかないのである
…こう言う人間は関わった人々を残らず腐敗させて行く
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アイン・ランドを破潰する