|
No.1190557
【哲学シリーズ25】アイイル哲学2(滝口哲学2)
eye-elさん
アイイル哲学(滝口哲学)
天才性
美味いは完璧さを求める
光と闇と光の闇(意識と無意識と非意識)
「くそったれ」教徒
犯罪者教徒(犯罪者集団)
ガブリエル批判
「存在」(物の存在も含む)
「存在の対価」
巨乳(器の大きさ含む)否定主義者=偏見者=虚無主義者(ニヒリスト)
2026-07-25 08:56:03 投稿 / 全21ページ 総閲覧数:68 閲覧ユーザー数:68 |
天才性
狂気(愛)のともわない行動(あるいは言動)はたとえ、天才自身であっても天才的ではない
…これが積み重なって行くと、天才と言われていても、大した業績を残せない、「つまらない人生」になる(天才でないなら、なおさら)
虚無主義(ニヒリズム)の虚無主義者(ニヒリスト)はそれの最たるものである
マルクス・ガブリエルについて
理性、知性、光性、推性…世界を虚無としない鍵は五番目の私性というものにあり、これを認めるか否かで、哲学者として自分に責任を持つかどうか?が定まって来る
そもそも、「意味の場」というのは「関係性」であって、アリストテレスについて批判した時、ものの本質はものの中に生まれる「因子」であって、「関係性」ではないと説明したが、ガブリエルはそれにたどり着いてすらいない
…私性を作っているのは、因子であって、因子宇宙の霊元である ガブリエルは前提から間違っている
後、「社会的な文脈」についても、それは「世界の作話」であって、作話に広がりなどない(必ず、一面的な広がりは行き詰まるように出来ている 例:ユダヤ教・キリスト教で言う、善のみの世界、いわゆる「神の国」) あるのは文字の連なりであって、文字面である(「世界は私の表象である」(『阿頼耶識縁起』)・「世界は七つの作話である」(「アイイルの悟り」))
邪悪学者 アイイル・滝口
アイイルの悟り
世界は七つの作話である
七つ作話があり、大現実作話に他の六つの一部(名称、意味)が転写される
その六つは、錯覚作話、太陽作話、大作話、幻想作話、良佳作話、真智作話
前の三つが作話であって、後の三つは高度な創作である しかし、創作も作話と呼んでいる
錯覚作話は病気系、太陽作話は学者系・国體系・犯罪系、大作話はアイデンティティー(歴史・思考・栄養)系、
幻想作話は物語系、良佳作話は神話系・民族のこころ、真智作話は真理系・事実系である
無意義なものに、錯覚作話、太陽作話、若干有意義なものに、大作話、幻想作話、大変有意義なものに、良佳作話、真智作話がある
大現実作話は自分を主観として作話(創作)される
現代の地震学って、プレート説=100%の否定科学なんだよね…
プレート説は飽くまで、「説」であって、他の説の可能性もあり、地震学者っていうのはいわば、「騒乱罪」の犯罪者なのだよ
六性=理性・知性・光性・推性・私性・脱性(だつせい・病気や迷信から脱する性=「『迷信』を脱する狂薬」(【哲学シリーズ19】)を参照の事)
人間世界は多様多義の記号である
記号人間世界(トランプなどのキリスト教の世界)
人間は動物であり、物であり、者でもある だが、動物を見て、自分が支配者だと思ってしまう事、自分が完全だと思ってしまう事は実はおごりなのだ
実際の所、トランプなど、マンガ顔であるし、それ自體、馬鹿にされる事でしかなく、自分が完全だと思ってしまう事は、自分を記号人間にする事であり、記号人間よりかは、動物である事を認めた人間の方が良いのである 自慰行為や食事に関しても、自分を動物と認める他ないだろうが 理性や意識がある? よろしい、人間は光と闇(意識と無意識、非意識(光と闇の間))の概念を持つ動物である
しかし、中でもヨーロッパは、ほとんどの思想が非意識から出た「くそったれ」の世界からのものなのである 言うまでもないかも知れないが、キリスト教などは「くそったれ」の世界をそのまま転写して来た、「くそったれ」の代表格なのだよ
何か、世間を騒がせている大元の思想って、「くそったれ」思想じゃない? ヨーロッパの
「血糖値(栄養学)」・「食物繊維(栄養学)」・「地球温暖化」・「プレート説(地震学)」・「反ユダヤ主義」・「社会主義(マルクス哲学)」・「民主主義(平民軍主主義)」・「神の国(キリスト教によって有名になった、元々、ユダヤ教の思想)」・「常十二悪(常識系)」・「プロテスタンティズム(キリスト教、韓国やアメリカ)」など
…こうして見ると、日本とかスイスはルソーの言う「民主主義」とはかけ離れているのかも知れない 平民軍主主義が前提だから
科学が発展して行ったのは、ヨーロッパのみの功績と言うのは、『迷信』に過ぎない
…科学を生かす方向に行ったのは、むしろ、日本やアメリカ、中東であり、この三グループはこれからも世界をリードする(ヨーロッパはむしろ、「食物繊維」・「癌」・「SNS禁止」・「確信的嘘の蔓延」・「犯罪的自由の承認(自由意志)」・「欧米(ナチズム)中心のシミュレーション」の方向に行って、科学を殺しに行っている)
……この事から考えると、世界をリードしているグループは日本とアメリカ、中東だが、その中東だけが、イスラエルという何もしていない無能に攻められるのはおかしいという事がアメリカ人には分からないんだよなぁ…
甘い 辛い 苦い 酸っぱい
甘いの中にも辛い、苦い、酸っぱいがある事を味の深みと言い、バランスがいいとおいしく感じる
…たとえば、ブラックチョコレートは甘いの中に苦いがあり、ミルクラテは甘いの中に別種の甘いがある
食事は甘いが基本であり、それから離れて辛いがある 苦い、酸っぱいは基本的に食べられない事を示すが、何事も人間中心(食べる事前提)で考えては、自然とは呼べないのである
それでも、酸っぱい・苦い・甘いのオレンジマーマレード、苦い・辛いのハバネロは食べられる
ロ山人は「甘いはうまい」と言ったが、それではカレーの辛さはうまくないのか? オレンジマーマレードの酸っぱさは? ハバネロの苦さは?
私のおいしさとはこれである
甘い 辛い 苦い 酸っぱい
…という味の多様性文化がある
これを完璧に近づけた食べ物、飲み物がよりおいしいのである
すなわち、「美味いは完璧さを求める」のだ
…私の好きなオレンジマーマレードは酸っぱい・苦い・甘いだ
カレーは辛い・甘い・苦いだ
オイルスパゲッティは甘い・辛い、食べられる味の総取りだ
しゃぶしゃぶは甘いに特化した食べ物である(二重に甘い 生(なま)の禁忌の甘さ)
唐揚げは甘い・辛い・酸っぱい(レモン)
ご飯は甘いのみ、麺つゆは甘い・辛い
豚汁は甘い・苦い
などなど
世界四味説
甘さ=現実世界の一面の味
苦さ=現実世界のもう一面の味
辛さ=快楽
酸っぱさ=男女関係など
甘さ、苦さ、辛さ、酸っぱさ、どれを欠いても世界を楽しめなくなってしまうので、あらかじめ、味を味わい尽くす事は大切
舌の甘さが世界の甘さを描写し、
舌の苦さが世界の苦さを描写し、
舌の辛さが世界の辛さを描写し、
舌の酸っぱさが世界の酸っぱさを描写する
世界の四味のバランスがいいと幸福に感じ、悪いと不幸に感じる
巨乳肯定主義
私たちは感覚を肯定出来るようになっている その肯定出来る感覚が、「巨乳」というものである
…実はその感覚を肯定する事は、私たちの本能だと言ってもいい
そこに強制はない
ただただ、巨乳について知って、私たちは感覚を肯定すれば私たちの本懐は半分は遂げられたのである
巨乳を肯定する事、それが感覚を肯定する事である
…逆に、次のようなものもある
巨乳否定主義
無性主義・虚無主義(ニヒリズム)・貧乳主義・偽乳主義・無乳主義、様々に呼べるものだが、偽乳、重ねパッドならまだいいが、豊胸ともなると、他の部位の體型で見分けるしかない
巨乳否定主義者の主張は次のようである
「巨乳女は全部どうせ豊胸なのだから、貧乳や無乳を取るのがいい」
…だが、その論理だと、女は全て整形という事になってしまい、巨乳否定主義は無性主義でもあるのだよ
こう言うレベルの滅茶苦茶な論理の持ち主が巨乳否定主義者、または、虚無主義者(ニヒリスト)なのである
私、巨乳女が皆さんにすすめる事は、巨乳肯定主義
感覚を否定するのではなく、肯定する事
…たとえ、誰かにはっきり否定されたとしてもまた、巨乳肯定主義で立ち上がる事
……なのである
巨乳否定主義を遡って行くと、
…女が皆、整形ではないという事、
…巨乳が皆、豊胸ではないという事、つまり、
…巨乳否定主義者が見た場所の巨乳が豊胸的という傾向が大きかったという事
……それがネット、明らかに上位ともなると、ほとんどは豊胸+整形でないと食い込めない
明らかに、ネットと現実は違う
巨乳否定主義者は巨乳女に対して、「偏見」を持っているのである
視界が歪んで、正当なものを「正当」と出来ず、自分のもの以外の他の可能性を否定する「否定常識」を持っている、
…それが偏見者である
つまり、偏見者が皆、巨乳否定主義者なのであり、現れとしては偏見者にて存在するのだ
社会的に平凡な人間または社会的に特権的な人間の自覚があるなら、こう言う偏見者に関わって行ってはいけないのである
「自分は”絶対に”正しい」として、自己正当化を行う人間は「馬鹿」で、犯罪者予備軍、または犯罪者(地球温暖化論者・プレート論者・自由意志論者など)である
…また、「二分罪」という概念も存在し、たとえば、ある核家族があったとして、家長が亡くなったとする すると、その息子である二人がその家長の孫、つまり、一人の内のどちらかの息子を取り合った 結果、家長の孫の目と耳を片方ずつ鼻と口を一方ずつ、腕、足、胸、腹、性器、顔全體を半分ずつ取った すなわち、殺して分割したわけだが、この二人の息子は「家長から家長の孫を私たちは相続したのだ」と言う
……そう言う事がまかり通らないように、分けるように意図して作られたものを除いて(「食物連鎖」・「自然淘汰」・「兄弟有分」など)、元々一つだったものを二つ以上に分割する事は罪なのだ(「被造不分」、たとえば、差別によって一つの国を二つに分けてしまう事(「健国」と「病国」)など ただし、ニーチェの「三階級」などは現代で言う区別、分別に過ぎないのである) この二分罪に当たるのが、南京大虐殺論者である
…それらが偏見者なのだ
キリスト教徒は「くそったれ」の意識、「糞」をまき散らすという本能で動いているのである ユダヤ人、イスラエル人、巨乳否定主義者=偏見者も同様
デカダンス=非意識=「くそったれ」(デカダンスは目的性の違いでデカダンと区別される)
常識人の「常識」=偏見者の「偏見」=※犯罪者としての意識
…これが、「知識」と言うものである
何の事はない、「くそったれ」教徒も、犯罪者教徒(犯罪者集団)も、最下層民というだけの事
※犯罪者…具體的には「騒乱罪」という名の犯罪者 つまり、情報テロの類
具體例を挙げてみると、『日本沈没』の小松左京・「不都合な真実」のアル・ゴア
存在=通常の意味での「存在」、物の「存在」も含む
ガブリエルは「存在の包摂世界は存在しない」とする立場、つまり、私たちが話し、行い、暮らしているこの空間が存在せず、フワフワしていると主張する
否、「存在」には「存在の対価」というものが存在し、それによって、この空間に存在している
「意識の非還元」、否、「世界は作話である」、つまり、ガブリエルも嘘を吐く余地があるという事 むしろ、ほとんど創作されて話される話は嘘を含み込んでいる
「ガブリエルもまた、嘘を吐く」
…しかし、これは事実である
「例えば「夢の中の出来事」や「フィクションの登場人物」もそれぞれの場で確実に存在する。」
キモ
人間の「存在の対価」としては、基本、両足で立つ事の、力学的、空間的、時間的な対価を支払う事でのみ、存在出来る はっきり言って、ガブリエル自身もそれを支払わないと”彼”として存在出来ない
「すべてを包み込む「完全な世界」というものは、それ自体が何かの意味の場に現れる必要が出てくるため矛盾が生じ」
言った通り、「世界は七つの作話である」、から、当然、相当気を付けていても、人間は存在に矛盾をきたす、その結果を「死」と呼んでいる
…で、「存在の対価」(への反論)は??
ガブリエルの「意味の場」というのは、カントの「物自體」に良く似た響きである こう言う「現実」・「苦楽」・「生活」・「肉體」・そして、「存在の対価」についての歪曲は昔から行われて来たようだ
世界とは、「存在」とそれに付随する「存在の対価」の連続であり、それらの「存在の対価」を支払える公共の「場」(主に地球生活を前提とすると、大地)を「空間」と呼んでいる それで、空間によって「存在の対価」が支払われているので、「存在」は存在出来ている為に、その「存在」の「場」をまとめて「空間世界」と呼ぶ これが宇宙(自然)というものである
結論:世界は存在する=ガブリエル哲学は間違っている=「意味の場」など存在しない
ガブリエルというニヒリストの哲学を破潰したのは誰か?
アイイル・滝口、反イスラエル人、ニーチェの「超人」の中の具體的な一つ、怪人、邪悪学者にて、信用者という者である
何の反論もない…ガブリエルという名の哲学者は今まで批判して来た哲学者の中で、特別、凡骨だった 言ってみれば、哲学を維持する必要のないプラトンレベルのBurn骨(死者の思考レベル)
「人間の意識や心は単なる脳の物質的な働きに還元できない」 栄養学的人間に潰されといて良く言うわ グルコースを多分に摂ったから、「世界の不在」を否定されているんだと、そんな単純な事も分からない? もしくは、愚かで頑なで邪悪な人間なのか??
ガブリエルという輩は天才と呼ばれているが、実は愚昧である というのも、哲学を作ってみたは良いが、あまりにも簡単に論破されるので、怖くて反論出来ないのだ いわば、彼は去勢されたハトに過ぎない 自由を得ても残すべき種(哲学)がない 〇ね いっそ、こんな〇〇(ガブリエル)は〇んだ方がマシだ
邪悪なる犯罪者たちは自分たちの犯罪的な生活の正当化の為に、侵略的な国家、「倫理」という言葉、自分を「善」とする価値観を必要とする
…たとえば、マルクス・ガブリエルは「”否定されるべきは世界であって、自分ではない”」として、ガブリエル自身を「善」としている
わがまま勝手で自由邪悪的、堕落的脳内で自己歪曲的なのである これは全ての犯罪者に当てはまる事である
デカダンスというもの、移動出来ない公善、移動できる劣悪
デカダンスの基本的な考え方は
「自分の劣悪さをどう相手に受け入れさせるか?」、反対にやられる側ならば、
「一方的にデカダンスという劣悪さを”奴ら”に押し付けられようとしている いいのか??」なのである
劣悪は弱さなので、移動出来るものだが、反対に公善は強さなので、移動出来ないので、劣悪を移動させて、弱體化を計ろうというものなのだ
二性
たとえば、「存在」(万有)と「存在の対価」(万有の空間上の対価)を繋いで、體のバランス、力の入れ方など、體の存在のさせ方全體を保っているのは、明らかに光性(意識性)ではなく、二性(相対性)であろう
理性 知性 光性 推性 私性 脱性 正性(正解を知って正す性) 二性(にせい・相対性)の八性が人間の機能としてある
具體的な二例、努力・虚力(ウソ)
具體的に存在する力として、二力挙げると、努力と虚力(ウソ)である この二つは対極的だ ニーチェによれば、努力は戦士系(転士系)、虚力は僧侶系なのだと言う
実は努力と言うのは、「理知による努力」と言うが、虚力(ウソ)よりも明らかに、燃費も良く、効率が良いのである
そもそも、虚力(ウソ)は別名を「人間についての虚力(ウソ)」と言うが、体裁を整えるのに、これ程、効率の悪い力は中々ない
…新参な私に言わせても、世界を長期的に統治するには努力が一番いいのである
……また、肉體意志と自由意志も対比され、肉體意志の概念が戦士系(転士系)のもの、自由意志の概念が僧侶系のものなのである
ヒロユキの虚力(ウソ)
そもそもな話、現代科学によって現代科学を批判してケリを付ける事は不可能なのだ
実に、科学というのは、作った人の確信で出来ていて、実際の所、可能性を十分に疑えてない分野が数多く残っている
…たとえば、”プレート説は可能性の段階でしかない”という所、こんな可能性もいぶり出せていない科学では、ヒロユキだろうが、誰だろうが、何某か批判しても、結論に至るような論議にはならない
所詮、ヒロユキの生半可な批判力では、「自分は頭がいい」という虚力、虚栄心からでしかないようで、言葉に力がない
彼についての批判は天逆心的という事くらいなのである
…つまり、実は、ヒロユキは「頭が悪い」のだよ?
「大雨で~人が死亡し…」はい、犯罪
…騒乱罪というものだよ→地球温暖化論者
……しかし、病児教の「「問題」という問題」酷過ぎ 地球温暖化自體、頭おかしいのに、CO2出している所にこう言うフェイクニュースで脅してんのな
四本覚
本能(三本能)・理性(二理性)・知性(一知性)・感覚(意識、五感覚)
|
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
アイイル(滝口)の総合的な文書