プラトン哲学は破潰されました、皆様
想起…場所や創作物を想起し、それを現実とする事
うまく使えば、整理術とする事が出来、わるく使えば、いつまで経っても整理出来ない癖にもなる
…これで、善のイデアの想起者(善人)を想起し直すと、
「善」のアイディアの想起者、つまり、信仰者となる
嘘吐きのヨブなど、明らかに、信仰的でない、「信仰的な」(『コーラン』などは、信仰的な・「信仰的な」の二つを「信仰的な」で強引に囲っている)、まあ、現イスラエル人やキリスト教徒など、「無信仰的である」から、
こちらは信仰的なのか?と言うと、信用的でないのである
現イスラエル人・キリスト教徒はプラトン的と言われているが、プラトン的でないと破潰(なんか失敗した ただの破壊(批判) やはり、プラトン哲学程度では…)出来る
悪のイデアも不信仰者で同じように(…つまり、”不信仰者はいない”(現イスラエル人やキリスト教徒は「無信仰」)と結論出来る 善悪二元論は「トーレ・イントーレ」のような明確な基準がなければなり立たないのである)
…まず、プラトン哲学は善のイデアとか、悪のイデアなんて言っているが、少なくとも他言語では字義的になり立っていない 再解釈で潰れる程もろい ギリシャ語でしか出来ない哲学でそもそも、使えない 言語的に依拠しない哲学で幻覚的であるから、病気の産物でしかない そもそも、プラトンは病的で、卑信的であり、おどされたら信じる、おどされなければ信じない 今の世の中の人と同じ、いわゆるデカダンスで、科学者的でない …つまり、信じるに値しない
「感覚的な世界」・「超感覚的な世界」、私たちの世界は現実あるのみである つまり、「感覚的な世界」、その「感覚的な世界」を超えた世界はどこにあるのか? 指で示して見よ 次に、指で示したもののどこが現実を超越しているのか? 示して見よ 理由があるのか? それを明確に文字にして示して見よ
…この三示(さんじ)によって、示せなかったものはただちに破潰される
プラトンの自己陶酔論
プラトンは”今の自己に満足する事”を「自己満足」と言うタイプらしい
もちろん、成長は必要なものだが、「自己陶酔」、つまり、まずは楽しみを見つける事が必要な事なのである 哲学者や他の様々な者において
…でなければ続かないからである 「自己陶酔」も必要な事であって、プラトンのは、批判というより攻撃でしかない
プラトンが私の破潰シリーズを「幼い」と攻撃するなら、プラトンはそれ以上に「幼い」のである
「破壊」と攻撃しつつ、彼は「破壊」を続けるのではないかな?
プラトンが何を破壊しているのか?と言うと、中庸=人として当たり前のバランス感覚=肉體と欲動のバランス感覚や精神のバランス感覚、
…それらを「善のイデア」という破壊の力で破壊した
中庸の一部はアリストテレスに語られている
プラトン哲学のような、一義(一つの解釈)に頼り切ったものでは、多義(多くの解釈)のこの世界は物事の解決は全くと言っても良い程出来ない
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プラトンの「善のイデア」・「悪のイデア」・「想起」・「感覚的な世界」・「超感覚的な世界」を破潰する