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No.1187043
新人さん
5月13日は愛犬の日という記念日らしい。1956(昭和31)年5月13日に東京・日比谷公園で初の犬に関するイベントが開催され、それに参加したジャパンケネルクラブ(JKC)の前身である『全日本警備犬協会が、「愛犬の日」という記念日を制定した』という説と、同じくイベントに参加した、1952(昭和27)年創刊の"愛犬の友"を発行した『誠文堂新光社が、「愛犬の日」を設定した』という二通りの説があるようだ。誠文堂新光社の 犬に関する知識や飼い主さんとの暮らしなどの情報を掲載する雑誌は、2020年7月号で廃刊している。68年間も発行して宣伝を続けていたのだから、どうしても雑誌社の説の方を支持しがちだが、それが正しいのかは分からない。 世のなかには様々な考え方があるが、僕は犬といえども命の売買をすることにはどうしても納得しかねる。頭の中で奴隷とペットとの区別がつかないのだ。人でも動物でも、縁があってたまたま知り合い愛情が生まれるのなら良いと思うが、生き物を品物を選ぶように売り買いすることに抵抗があるのだ。避妊していなくて子供が産まれてしまったからと、他人に育ててもらうなら仕方ないが、金儲けの為に、子を産ませるのは良くないと思ってしまう。だから、ブリーダーとかペットショップには、どうしても嫌悪感を抱く。僕はすべての動物から自由を奪うことを嫌うから、鎖でつなぐことに抵抗があるし、檻に閉じ込めることにも抵抗がある。だから動物園も嫌いだ。こんな考え方をするのは僕の育ちかたが関係しているのかも知れない。僕が生まれた頃、我が家にはコッカースパニエルの仔犬がうじゃうじゃ居て、仔犬がと一緒に育ったそうだ。いつも僕に付き添う猫もいたそうだ。だが物心がついた頃には犬も猫もおらず、その代わりに卵を産んでくれる一羽の鶏がいた。鶏はやがて野犬に食い殺されてしまうが、その後 父が連れてきたのは数羽の伝書鳩だった。両手に持った時の温もりと鳴き声は良く覚えている。その鳩もいつの間にか居なくなり、次に顔が半分黒い不細工なシェパードの子犬をつれてきた。子犬といっても柴犬よりも大きい。よく彼女の鎖を外して僕の新聞配達に付き合ってもらった。彼女はロケットように走って行っては立ち止まりこちらを見つめ、またロケットのように戻ってくる。決していなくなることはなかった。父が動物をどんな意図やいきさつで連れて来ていたのかは知らないが、父がすることは動物を連れて来て小屋を作るだけだ。面倒をみないから、いつも母が押し付けられていた。母の愚痴をずっと聞かされていた気がする。僕は動物が嫌いではない。むしろ好きだと思うが、最期まで責任を取る自信が持てないから、ペットに反対するのだと思う。そして動物も人も同じだと思う。無知は不幸だから、教え(躾)は必要だと思うが、縛りつけて自由を奪うことがあってはいけないと思うのだ。いずれ未来は「愛犬の日」が世話をしなくても良い『AI犬の日』になるのだろうか?
2026-05-13 14:49:01 投稿 / 734×550ピクセル
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5月13日は愛犬の日という記念日らしい。1956(昭和31)年5月13日に東京・日比谷公園で初の犬に関するイベントが開催され、それに参加したジャパンケネルクラブ(JKC)の前身である『全日本警備犬協会が、「愛犬の日」という記念日を制定した』という説と、同じくイベントに参加した、1952(昭和27)年創刊の"愛犬の友"を発行した『誠文堂新光社が、「愛犬の日」を設定した』という二通りの説があるようだ。誠文堂新光社の 犬に関する知識や飼い主さんとの暮らしなどの情報を掲載する雑誌は、2020年7月号で廃刊している。68年間も発行して宣伝を続けていたのだから、どうしても雑誌社の説の方を支持しがちだが、それが正しいのかは分からない。 世のなかには様々な考え方があるが、僕は犬といえども命の売買をすることにはどうしても納得しかねる。頭の中で奴隷とペットとの区別がつかないのだ。人でも動物でも、縁があってたまたま知り合い愛情が生まれるのなら良いと思うが、生き物を品物を選ぶように売り買いすることに抵抗があるのだ。避妊していなくて子供が産まれてしまったからと、他人に育ててもらうなら仕方ないが、金儲けの為に、子を産ませるのは良くないと思ってしまう。だから、ブリーダーとかペットショップには、どうしても嫌悪感を抱く。僕はすべての動物から自由を奪うことを嫌うから、鎖でつなぐことに抵抗があるし、檻に閉じ込めることにも抵抗がある。だから動物園も嫌いだ。こんな考え方をするのは僕の育ちかたが関係しているのかも知れない。僕が生まれた頃、我が家にはコッカースパニエルの仔犬がうじゃうじゃ居て、仔犬がと一緒に育ったそうだ。いつも僕に付き添う猫もいたそうだ。だが物心がついた頃には犬も猫もおらず、その代わりに卵を産んでくれる一羽の鶏がいた。鶏はやがて野犬に食い殺されてしまうが、その後 父が連れてきたのは数羽の伝書鳩だった。両手に持った時の温もりと鳴き声は良く覚えている。その鳩もいつの間にか居なくなり、次に顔が半分黒い不細工なシェパードの子犬をつれてきた。子犬といっても柴犬よりも大きい。よく彼女の鎖を外して僕の新聞配達に付き合ってもらった。彼女はロケットように走って行っては立ち止まりこちらを見つめ、またロケットのように戻ってくる。決していなくなることはなかった。父が動物をどんな意図やいきさつで連れて来ていたのかは知らないが、父がすることは動物を連れて来て小屋を作るだけだ。面倒をみないから、いつも母が押し付けられていた。母の愚痴をずっと聞かされていた気がする。僕は動物が嫌いではない。むしろ好きだと思うが、最期まで責任を取る自信が持てないから、ペットに反対するのだと思う。そして動物も人も同じだと思う。無知は不幸だから、教え(躾)は必要だと思うが、縛りつけて自由を奪うことがあってはいけないと思うのだ。いずれ未来は「愛犬の日」が世話をしなくても良い『AI犬の日』になるのだろうか?