No.1184502

【哲学シリーズ11】シュタイナーは破潰されました、皆様

eye-elさん

シュタイナー像を破潰する

2026-03-23 18:39:22 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:43   閲覧ユーザー数:43

シュタイナーによれば、「精神病患者は悪魔」

 

 シュタイナーの言っている事はこうである

 

 熱自覚と言うものがある

 

 七年ごとに体熱は、その都度変化するにせよ、大まかな熱パターンが変化する

…で、その熱パターンが十数パターン七年ごとにあると言うのが、シュタイナーの主張だ

 

 

 

……しかし、私はこう考える

 熱に浮かされていようが、体が異常に冷えていようが、意識がある限り、自分は自分である

 

…つまり、熱パターンではなく、自分が自分である事を知っている本能の中の知性が自意識を決定付けているのである、と

(わかりやすく言うと、物性熱と言うカテゴリーがあって、それとは別のカテゴリーに当てはまる、知性熱から人間が人間を見分けていると言う事(判・知性熱説))

 

 

 

…シュタイナーは精神病患者を「逸脱者」と考えるが、……それは彼のおそれの表れなのだ

 彼が精神病患者をおそれていなければ、何故、そんな発想が出るのだろうか?

 

……つまり、彼は精神病患者をおそれて、人間以上、悪魔のような存在と見ていたと言ってもいいだろう

 

 シュタイナーの精神病患者を「逸脱者」とする、この考えは、社会に浸透し、精神病患者は悪魔のように今見られている シュタイナーは偏見を助長したのである(シュタイナーの主張から、「逸脱者」を作るものども、病児教徒=シュタイナー派「常識人」 中立派「常識人」と別)

 

 

 

…結局は、その最も足る私はこう結論する

 

 体の熱ではなく、知性熱によって、自分と言うものを自分は見分けているのだ、と

シュタイナーは差別主義者

 

 シュタイナーのやった事と言えば、人を「平衡感覚」によって二つに分けた事、一つは「正常人」、もう一つは「異常人」である

 

…確かに、そこで犯罪者としてくくれるものはあるものの、彼のやった事は徹底的な偏見の押し進めである

 

 まず、「平衡感覚」と言うのは、体の感覚であるように、聞こえなくはないが、心の感覚について言っているようにも聞こえる

 

……「平均感覚」ならば、公平さやフェアな心だなと、取れるが、「平衡感覚」では、まるで、軸がブレている人がいて、治しようがない、むしろ、社会全体として締め出すべき、と言う意図を感じる

 

 これを十二感覚の一つとして挙げているシュタイナーは差別主義者なのだと、考えて至る事が出来よう

 

 実社会で使われている語として、「変態」・「キチガイ」・「オカマ/オナベ」・「オタク」・「虫も食わない女(非女性)」・「女の腐ったような奴(非男性)」・「悪魔の子」などである

 

シュタイナーは「アンチキリスト」を想起させる

 『ヨハネの黙示録』の「獣のしるし(666)」を彷彿とさせるもので、邪悪極まりない

…仮にその通りだとすれば、『ヨハネの黙示録』の「アンチキリスト」とは、哲学者ルドルフ・シュタイナーの事と言う事になる

 シュタイナーは同じ最下層民であるキリスト教徒からも嫌われているようだ

 

…だから、「アンチキリスト」扱いされる事は避けた方が良かったのであるが……

 スチルド(病児)・シュタイナーと一緒にされる事だけは避けた方が良いに決まっているのである

シュタイナーは自己中心的

 

 シュタイナーの考え方は「平衡感覚」で人々を二分する事と、もう一つ、「自我感覚」で自己中心的に考える事である

 

・私から近い(善である)

・私から遠い(悪である)

・私に似ている(善的である)

・私に似ていない(悪的である)

 

…こんな自己中心的に考える奴がもてはやされている世界があるなんてな……

 

 シュタイナーは要するに、一部の人に都合のいい感覚を哲学と言って、「十二感覚」と名付けて、もっともと思えるようなものを用意し、その中に「平衡感覚」(差別主義者の根本感覚)と「自我感覚」(自己中心的な人の根本感覚、こう言う感覚を自己中心的な「常識人」などは「常識」と呼んでいる)を挿入して、世間の目から隠したのである

 

 こんな奴が哲学者だの、教育者だの、言われている、随分、低レベルな世界があったものだ……

 

 二、三度言うが、シュタイナーは差別主義者であり、自己中心的な人間でしかない しかも、スチルド(病児=病的で”子供”)である

シュタイナーの正体は寄生虫

 

 「生命感覚」、これは命が二つあれば、体が分裂したりするもの

…と言うのも命をスチルド(病児教徒)は盗む

 

 奴らは実は寄生虫であって、たまに分裂している(キモッ)

 

 現実性の言い訳として、「実はこう言う事だった」と言うものの、奴らが人間でない事に変わりはない

シュタイナー哲学の破潰

 

シュタイナーの人間構成(四つ組)は第五要素を付ける事で一番目以外、全て破潰される

 

1肉体

2生命体

3感情体

4自我

 

・この第五要素は肉体に生命し、生命させ、感情し、感情させ、私(わたくし)し、私させる …その名を本能

 

…また、「自由の哲学」は

ベクトルの自由=ベクトルの不自由

(自由にして良い事になってかえって、決定の仕方が不自由になる

 

 自由と言えば、民主主義、民主主義になって、他の方法を国々は試さなくなった シュタイナー教育、自由と言っても、教育としては、どうせシュタイナーでしょ? …かえって不自由でしかない 自由の国アメリカ、多様性社会(ダイバーシティー)なんてものがさかんに主張されるが、結局の所、アレすら、他人の自由の強要でしかない(私に関して、「変態」だなんだとか、言っているが、多様性社会の力が及ばない、そう言うものがまだ、自由であると言う…代わりに犯罪的ではあるのだが…… 他人の自由の強要がされない、そう言う町がまだマシな程である))

 

ゲーテ的認識

 

 科学とは、疑う事、疑い深くある事、疑り、信じ込まない事にあるのに、

…神秘性とは、物事を信じる事、信じ込む事、疑わない事にあるので、

 

融合と言うのは、二律背反であるから、出来ないと言わざるを得ない

シュタイナー哲学の破潰2

 

シュタイナーの「4つの気質(胆汁質・多血質・粘液質・憂鬱質)」

 

 人間の中には、

多血質のアンチテーゼ、

…冷たい中にも熱いものを持つ人間性と熱い中にも冷たいものを持つ人間性もある

 

粘液質のアンチテーゼ、

気持ちいい中にも気持ち悪いものを持つ人間性と気持ち悪い中にも気持ちいいものを持つ人間性もある

 

胆汁質のアンチテーゼ、

溶けないこり固まった中に気持ちの悪い生温かい目を持つ人間性もあれば、気持ちの悪い情欲の中にいやに冷静な視点を持つ人間性もある

 

憂鬱質のアンチテーゼ、

憂鬱なイメージのある人間が頑ななまでに自分の意志を示す人間性もあれば、真面目で写真を愛する快活なイメージにも関わらず、忌み嫌う宗教の事となると破潰(すり潰す)レベルの事をする憂鬱な一面を見せるニーチェのような人間性もある

 

…シュタイナーとは、こう言った人間性をごったまぜにするデカダンスに過ぎない

 

……デカダンスとは、「自分の持っている本能がダメになると、自分に害のあるものを好きになってしまう事」 教育者としてどうしようもないのではないか?

 病児教徒の病児(スチルド)とは、シュタイナーが幻覚させる病の中の児(スチルド)であって、邪見の児(こ)、虚言の児、邪説の児、邪義の児、虚妄の児、破壊の児、邪道の児、邪信の児である

 

…病児教徒の正反対の人間に、アンチ・スチルドがある

……こちらは正見の人、正語の人、正説の人、正義の人、誠実の人、利益の人、正道の人、正信の人である

 

 

 

 シュタイナーの「十二感覚」の内、

…生命感覚から彼が正気なのか? 怪しくなって来る

…言語感覚、「言語に手足があって感覚器官が備わっている」と言うイメージが為される、とても病的で酷い幻想だ

…思考感覚、これも同じ「思考に手足があって…」

 

…要するに、シュタイナーとは、危険で邪悪な幻覚者なのである

 

 病的な人が描いた絵よりも、ずっと危険さや邪悪さが加わっていて、常悪(イン・トーレ)的なのだ

 

 

 

「人間の存在とは感覚的な存在と感覚を超越した世界が統合されている存在で、この点で人間は動物や天使と違っている

感覚を超越した領域には客観的な実体があり、現象世界も同様である」

 

 文献学的に読んで見ると、こう

 

「人間の感覚とは、現実的な感覚と、病的な感覚がある この二つが、病的な人間の中にまとめられた内情、自然が吐き気を催すような人間は、通常の自然淘汰的動物や神の介在存在と思想される使徒と違うあり方である

 病的な領域には、「特別」と名付けられた、不自由性の錯覚(幻覚)があり、同じようなやり方で(不自由的に)、”現実上のものも錯覚(幻覚)し直す事が出来る”」

 

 病的で、確信的で、倒錯的で、破壊的な「教育者」と言うのが、ルドルフ・シュタイナー、病児(スチルド)なのである

 

 そんな「教育者」がいてたまるか

 

 ちなみに、「不自由性」「不自由的」と言う言葉が出て来るが、病児教徒の特徴である「いつまでも子供のままでいる」と言う事を彼らは「常識的」と教えるが、実際は「不自由的」=障害者的なのである そう言うわけで、精神病患者<病児教徒=「常識人」>障害者と言う式が出来、その誤解は今も解けていない

シュタイナーを支持する江原啓之破潰

「この世は魂の修行の場」

 

 いつだったか、ニーチェは「「世」はキリスト教が生み出した考え方」、と言っていた

 

「「大我」の精神」

 

「小我を捨てる」と言っているようだが、その調子で言うなら、「大我」は「小我」を包摂する字義になっている …その通りだとすれば、江原はエゴイスト、自分の「常識」の中に、自分のエゴを潜ませる「常識人」、つまり、常悪人の一種

(常悪人は自分の事を「キチガイ」と呼ぶ(「キチガイ」とはサタン、常悪人の「理性」でもあり、サタンは精神を狂わせる神々ともされる ニーチェをして、最下層民と言われるキリスト教徒にさえ、常悪人は「霊的に死んでいる」と馬鹿にされるのである)、シュタイナーの「十二感覚」に「平衡感覚」ってあったはず、その「平衡感覚」を崩している人間が実は江原自身だと言う事に、彼は気付いていない)


 
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