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【哲学シリーズ12】アリストテレスは破潰されました、皆様

eye-elさん

アリストテレスを破潰する

2026-03-27 18:14:34 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:24   閲覧ユーザー数:24

アイイル

 一応、アリストテレスって知識階級だろ?

 

アイイル

 何で、裏切ったんだ??

 

 

アリストテレス…理性を提唱した哲学者であり、形相(エイドス)と質料(ヒュレー)の概念をまとめ上げ、アリストテレス哲学を作り上げた 『ニコマコス倫理学』や『形而上学』などが有名であり、自然科学や倫理学、論理学を作り上げ、「万学の祖」と言われる

 

補足すると、特に、『ニコマコス倫理学』は法律を弱弱しいものに変えた(知性を理性に、知性をねじ曲がった理性に変えた 理性は同情に肯定的である 時に、裁判官足る者は非情な判断が必要な為、理性ではなく、知性で通さなければいけなかった 理性は弱弱しいのである)

また、自然科学は科学と言う「変化を学問するもの」に対して、自然と言う物が物である事に対して、「変化しないもの」を取り込んで、科学のあり方をねじ曲げた 自然科学の中の物理学の一分野である熱力学は移熱学によって、主張を否定されている 物理学のアンチテーゼの学問として、破壊学がある

 

 

 

アイイル

 

 理性は盗める、元々、理性は因子の中の無・狂気因子として人間の中に存在していて、盗めないものだったのに…

 

 何で、アリストテレスは知識階級を裏切って、最下層民の病児教徒を支援しているんだ?

 

 

 

 盗む、最下層民の権利としてしばしば主張される

 

 他人の中に入って、他人のものを盗む、これが病児教徒、最下層民の中でも一番下であるが、病児教徒に取って最早、これが日常となっている

 

 キリスト教徒も最下層民で、地下的だが、そのキリスト教徒にすら、病児教徒は忌み嫌われる

 

 病児教徒の中でだが、上になればなる程、隠すのが上手くなる

 

 

 

アイイル

 ニーチェなんかはアリストテレスを「大哲学者」と言っている

 

 でも、まっとうな判断力を持っているなら、アリストテレスを「哲学者」として認めるべきではない

 

 理性的判断を盗む病児教徒を後押ししているわけだから

 

 

 

アイイル

 アリストテレス? いっそ〇んだらいいんじゃないか??

 

…むしろ、こんな奴が「アリストテレス哲学」などとのたまって、支えている工業は一度破潰されたらいい…まあ、もうやっているがね……

 

 

 

アイイル

 ともかく、アリストテレスはダメ、アレがいるだけで世界が臭くなって行くんだから…

アリストテレスってハンパ者?

 

自然科学・倫理学・論理学

 

アイイル

 はっきり言って、この三つは使わない

 

…そもそも、移熱学(科学)・情行学・心理学・分類学・因子哲学があれば、後、医学や精神医学などがあれば事足りる

 

 アリストテレス哲学も因子哲学にボコボコにされる位、ハンパな哲学だし、ちょっと批判された位で、「自然科学」を「自然学」に変える位、そちらもハンパなレベルでしかない

 

 アリストテレスと言う人は真装者・偽装者と言う分類学からして見れば、ハンパ者、気が狂った人などと同じ分類なのだ

アイイル

 アリストテレスは破潰されました、皆様

 現代道徳の「真理」とは、邪悪の受容にある

…この「真理」とは、邪悪を受容した者の「真理」である

 「道徳的な人間」とは、元々邪悪でなければいけないわけだ

 

 

 

 邪悪なる者に「真理」はない 邪悪なる者は「非真理」を「真理」と呼んでいるからである

 「道徳的な人間」が高慢である理由は、元々「真理」に至っているからで、しかも、「真理」をねじ曲げた先の「非真理」だから、彼らに取って「真理」は「真理」ではないのである 豚に真珠、猫に小判である 「空間の真理」に関しても、彼らの同情的な感性に言わせれば、「我々の同情的な(「邪悪の受容」と言う)真理によって、右は左であるべきであって、上は下、前は後ろであるべきである」(非合理世界)となる

 

 これは『聖書』の中でのアブラハムの「真理」への態度を想起させる アブラハムは信仰によって「真理」がねじ曲げられる事を、「あなたが右に行くなら、私は左に行こう あなたが左に行くなら、私は右に行こう」と言った

 「真理」に基づいた啓示を歪曲するユダヤ人の「真理」では、素直で優しい態度は邪魔になると言ったのである その態度はやがて、キリスト教の禁欲主義となり、「不寛容は善」となったわけである

 

 

 

 現代の私たちが普通に考えてみれば、素直で優しい態度は「事実」に繋がるし、少なくとも、「事実」の延長線上にある「真理」の邪魔になるとは思わない 普通に物を考えていれば、どちらかと言えば、「寛容こそが善」である事を知っている

 

 同じように、邪悪とは、「真理」や字義的な「道徳」と反対である事を知っている 現代道徳とはつまり、「非真理的」・「非道徳的」なのである と言うのも、ごく普通の私たちに取って、現代道徳は役に立たないものであるが、たとえば、私の挙げている「私益倫理と公益倫理」は反対に私たちの役に立つのである この「倫理」と言うのは、「個人の道徳」であって、個人の思考から生まれたちゃんとした道徳、「怠惰な道徳」ではない「勤勉な道徳(勤務的な道徳)」なのである

 

 

 

 当たり前の事、「空間の真理」(合理聖の真理)、普通に右が右である事、左が左である事…などを知っていれば、その反対があり得ない事を知っている

 

 その反対があり得るとしたら、邪悪なる人間の中の、「道徳的な思考」の中のものである たとえば、「常識人」と自分を言外に言っている邪悪が、「変態」と言う場合である 胸をじろじろ見て、「変態」と言っているなら、「常識人」の「道徳的な思考」とは反対に、※胸を見ている「常識人」自身が「変態」なのであって、これは右が右である事、左が左である事…などを十分に知っていれば、至れる見解である

 

※胸を見ている「常識人」自身が「変態」なのであって、…ブラ(ジャー)を透かして見る男、それはまごう事なき「変態」 「変態」じゃない男にはそもそも、その発想がない 著者:おっぱい男子は乳性(じょせい)によれば、そもそも女

 

 「道徳的な人間」・ユダヤ人・キリスト教徒・社会主義者・病児教徒(の中の「常識人」・「良識人」)、これらのものどもは「道徳的な思考」を使う

 

 

 

 「道徳的な思考」とは、反対の「至って普通の思考」によって、現代道徳的でない私たちは事実に至るべきであって、事実以上の真実に至るには、「きちんとした論理的な思考」で至るべきである さらに、「真理」には、「至って普通の思考」の積み重ね、事実の真理化によって、より当たり前の「真理」を見つけるべきなのである

直観理性世界と間接理性世界

 

 理性について批判して来たが、実は理性にも良い理性と、わるい理性とがある

 

 普通に言われている理性がどっちかと言うと、わるい理性である

 

…わるい理性は人間の中で、意志を持っているので、わるい人間と仲良しなのだ

 

 

 

 良い理性、実はこれは実際に役に立つ理性なのである

 

…私たちはこれを「理性」と区別して「知性」と呼んでいる

 

 

 

 まず、信頼に置けない、人間を間接的に利用する、わるい理性を「間接理性」と言って、それが支配する「間接理性世界」と言うのが、脳鍵(ブレーンロック)界(制限界)の大分、錯覚界(現実界)の非知性的な部分の全て(「闇より深い闇」(幻覚による矛盾・何らかの不条理(「いじめ」・「貧困化」・「偏見」・「犯罪」などの常八悪(イン・トーレ))・無理の強制・概念の解体・しなければいけないと思った事を出来ない・知的蔵倉(ちてきあたま)の初期化、の六つ)と名付ける)である(「闇より深い闇」は二つずつ、「常識外」・「常識そのものの履行」・「常識内」で覚えられる)

 

 脳鍵界はほとんどの割合を、間接理性によって支配されているのだ

 

 

 

…そして、信頼に置ける、人間の観察の忠実な道具である、良い理性を「直観理性」と言って、それが支配する「直観理性世界」と言うのが、脳鍵界の陰陽術、帝都東京を守る陰陽師のもの、錯覚界の知性的な部分全て、形式界(真実界)の全てである

 

 つまり、陰陽術と知性的な人間性と真実界の一性(参照性)、二性(比較性)と、

直観理性は常に、人類の味方になって来たのである

 

……だからこそ、私は、陰陽術を使う陰陽師を「正義の味方」だの、「情行」(情をもって行ずる事 「情報」の反対の”調べる事”=真実界の一性(参照性))の重要性だの、を説いて来たのだ

 

 

 

 極めて真面目に、「ウソ、作話の見破り方」も載せた事があるのだが、これはパラメーターが伸び悩んだので、消してしまった(「情行学について」-霊為学)

 

 

 

良い理性=知性=直観理性

わるい理性=(いわゆる)理性=間接理性

 

 

 

…また、キリスト教的秩序、病児教的秩序は「闇より深い闇」、つまり、「神の権威」や「常識」が存在する事で、はじめて、力を持つのである

 「閉塞理性」

、間接理性の異称、常に閉塞理性を体内に取り込む事が出来る妖怪(もの)として、キリスト教徒と病児教徒がある それらは根暗で絶望的である事が必要条件だ 病的な事に、絶望し切った感覚があるが、まさに、絶望し切っている事が、病気の根本の感覚として挙げられる

 

…また、大嘘で、根暗で絶望的である事を自己賛美の反対の言葉に言い換えるのが、簡単に盗める嘘と言う、嘘と盗みの本能のキリスト教徒と病児教徒の顔を維持する為に、さらに嘘と盗みを重ねて行くのが、彼らに取っての「経済発展」なのである まさに、「経済発展」と言う嘘と盗みの合わせ技は、キリスト教徒と病児教徒がいなければ、生まれなかった大嘘である

 

 また、審判の日と言われる心が明らかになる日、彼らの心の中の「嘘と盗みの地獄」が開け放たれ、彼らの顔が崩壊する日、彼らの中の自然が抑えきれなくなる日、面と向かって彼らが「お前は死んで地獄に行くべきだ」と言われる日

 そう言う日もどこか、記憶の合間に挿入されるであろう(世界は作話である)

 

 法律は法内を啓くものである 「閉塞理性」は法律によって啓かれなかった部分の、危険な領域(犯罪領域)を支配しているのだ また、「閉塞理性」はサタンとも呼ばれる

理性意志説

 

 理性は自分に順(したが)う意志と、

自分に逆らう意志(キリスト教の「悪魔(サタン)」など)

 

…の二つがあると言う事

 

 前者を「直観理性」、

 後者を「間接理性」または「閉塞理性(犯罪的理性)」

 

…と言う

 

理性的な人間や知性的な人間に言わせれば、「理性」、つまり、「直観理性」は忠実な道具であり、「知性」でもある

 

「常識人」や「良識人」、「嘲弄者」に言わせれば、「理性」、つまり、「閉塞理性」は仲間に出来るもの、これが「理性」と言うものであり、アリストテレスなどは、恐らくは、「知性」を「理性」と呼んだ


 
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