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No.1181383
【変態論議シリーズ4】「常識」の常識 ~根暗な「常識人」(病児教徒)についての暴露~+「常識」は破潰されました、皆様
eye-elさん 2026-01-29 09:39:29 投稿 / 全7ページ 総閲覧数:49 閲覧ユーザー数:49 |
まず、言っておくべき事が…三つ
1.「常識」とは善悪のツール
2,「常識人」とは、中立的な立場の人たち(良心を持った人たち)ではなく、自分を「常識人」=「善」としている人たちの事
3.現実問題に対して、「常識」は何の役にも立たない
1から説明する
1.「常識」とは善悪のツール
「常識」とは何だろうと考えた時、どんなものが思い浮かぶだろうか?
…まず、思い浮かぶのがこれ
”低レベルの者を弾き、中レベル、及び、高レベルの者だけで話をする事の出来る補助ツール”
しかし、だまされないで欲しい、これは飽くまで副次的な効果のものであって、主力としては善悪のツールでしかないのだ
…最初に、「善」と言う始点を立てる 次に…「悪」と言う排他的な条件を立てる
分かりやすいのが「善」とは「常識人」、「悪」とは「変態」(彼ら「常識人」はそれらのように呼ぶ)
これが「常識」を作る「常識人」のやり口とされる
…つまり、逆に言えば、
……彼らに「悪とすべき者たち」があって、自分がそれと比べられたくないばかりに、「常識」を作って、自分たちを「常識的」・「常識人」な「善」とし、それから安全に差別(攻撃)をする為に、「悪」と言う基準を立てて、あらかじめ目を付けておいた「悪とすべき者たち」をそこにそれとなく入れる
「常識」とは、善悪のツールであり、それは安全に差別(攻撃)する為のものであり、反撃されない為の卑近な”自分たち”を守る為の防御柵であるのだ
…その”自分たち”と言うのが、「常識人」、自分を「常識的」・「常識人」とする子供な人たち、宗教的に言えば、病児教徒=根暗教徒(根暗なやり方で攻撃するから)なのである
2,「常識人」とは、中立的な立場の人たち(良心を持った人たち)ではなく、自分を「常識人」=「善」としている人たちの事
分かりやすく言うと、常識人と言うのは、中立的な立場の人たち(良心を持った人たち)であって、「」を付けた自称常識人が「常識人」であって、実は、この中立的な常識人より「常識人」の方が少数派なのである
…実に、中立的な人たちと言うのは、別に、「常識」で差別しない人たちであるが、普通に考えておかしい人たちは排撃する
それが「常識」とは言われているものの、中立的な人たちは善悪のツールである「常識」ではなく、”普通の事”を思うのである
…この公然たる”普通の事”を自分の事のように思っているのが、中立的な人たちであり、「常識人」は”普通の事”を「常識」として扱い、利用する事しか考えていない
それが常識人と「常識人」の大きな差なのである
……結局の所、問題なのは、”普通の事”が「常識的な事」と言い換えられ、「常識人」の子供な人たちと対照の、私たち、大人な人たちが「子供な人たち=変態=悪」と言い換えられていると言う現状である
…そして、「善」である「常識人たち」が根暗であり、”子供”であり、病的であり、また、その病気を大多数の中立的な立場の人たちにうつし、また、犯罪者たちが多くの場合、これらの特徴を持つ病児教、その神々に命じられて、犯罪を行っていると言う事である
神々だと言うので、犯罪者たちは勢いづいて、犯罪に取り組んでいるのである
私は「神崇拝すべからし」と発信しているが、それは犯罪を命じる神々がいるからで、「神社にどうしても行くな」と言う意味ではないのである
(普通にとらえる事も出来れば、合理世界の意味にとらえる事が出来る)
従うにしても、肉体を持つゴー・グ(神の神々)、祈るにしても第三世界の三神に祈る事をすすめているのである
はっきり言って、宗教をやらないにしても、こう言う発信の裏を見れる人間にはなって欲しい所ではある
私たちは公然とこう名乗る「アンチ・スチルド(反・病児教=反・根暗教)」と・
アンチ・クリスト(反・キリスト者)と同じ存在である
「常識人」は「金」と幸せを結び付けている
…はっきり言えば、幸せを得るには、「常識人」が独占している「金」ではなく、別のものを幸せと結び付けなければいけない
「金」とは、一律的な価値を持つ概念だ 「金」で買えるものと言うのは、「常識人」によって分かりづらい慢性的な不幸に陥るように、今されている
…と言うのも、自慢するにしても、ガチのオタクには、持っているマンガの数、やったゲームの数なども敵わないわけだし、ゲーム課金や押し活にしても、虚空に消えて行くわけで、未来への投資にはならない
……結局の所、「金」と幸せを引きはがす事でしか、幸せは得られない
その幸せを得る為には、ちゃんと現代向けにスタイルアップされた無料の哲学・体(體)術・宗教・小説をまずは読む事なのである
その為には、ちゃんと、哲学の歴史を学んだり、造詣深い本などやそれを下敷きにしている事なども、あらかじめ見ておいた方がいい 思考の裏を見たり、教義の目的であったり、小説の読み方も勉強しておけば、そう言ったものからの幸せが分かって来るのである(深浅(しんせん)からの幸福)
…重要なのは、ちゃんと現代向けに土台から作り上げているか? と言う所である
それを何とするか? と言うのも解釈の問題ではあるが…
3.現実問題に対して、「常識」は何の役にも立たない
中立的な立場の人たちの”普通の事”と言うのは、「常識」ではない 要するに、世間で扱われている「常識」とは、現実問題を解決しようとして、出来たものではないと言う事だ
飽くまで、善悪のツールとして、なくては自分たちが困るので、「常識人たち」が作ったに過ぎない
「常識人たち」が自己中心的な精神から作ったのであって、従って、自己中心的な事にしか使えないのである
問題解決とは、問題そのものを嘘なく見て、さらに、嘘を見破り、現実的な解決方法を考え出すと言うものである
その慎重で科学的な手法に、たとえ話(「豊臣秀吉がうんぬん」などや「たとえば~としたら」)と言う粗雑な話を挟み込む事は、思考を乱されるだけであって、解決になるどころか、ますます、こんがらがるだけである(さらに、彼ら、「常識人たち」は嘘つきである) たとえ話と言うものを組み込むと言う事、自分の事ではない何かを挟むと言う事 いつもいつも己の保身の事しか考えていない人たちなのだな……
…だから、現場で使える人間と言うものを絞ると、どうしても、「常識人」は邪魔になるだけなのである
つまり、対照的に「常識人」とは無能である なぜなら、役に立つ話、たとえば、「マルクス哲学の労働価値説に対して、物理学者たちはどんな反論をしたか?」のような類の話を一つも知らないのだから、さらに、無知なのである
…故に、現実問題の解決に「常識」と「常識人」は一つも役に立たない
「常識人」は人に「変態」と言う事で、嘘を言うとともに、その人の裸を幻覚している真性の変態である事、を雄弁に物語っている
「変態」
「変態はてめえだよ」「裸でものぞいたのか? どこでだ? 確信をもって言える、それ胸を直接見た証拠だ まさか…犯罪者?」
「変態」と言える証拠として、彼らが必ず挙げるのが、裸の幻覚だ この時点で、彼らは嘘をついている
さらに、彼らは変態だ 胸を見て、偽物だと確信する 自分が女でもないのに、ブラジャーについて知っているわけがない 気持ちの悪い彼らは幻覚の裸を見て、男と確信する(女ではない、この「常識人」である私が「変態」であるわけがないからだ!) その確信こそが偽物であるにも関わらず…… 彼らは変態なのだ 裸の幻覚を服を着ている人間の服の上から見ているのだ その時点で、その始点の時点で、彼らは犯罪者であろう
こうして、”変態”の「常識人」の「常識」とは、”変態”の「常識」である事を私は明かす
”変態”の「常識」すなわち、痴漢と同じ論理・「抵抗しない=性的によろこんでいる」と言うサディズムであろう
つまり、「常識」的サディズム、「常識」的サディストである …これが変態である そして、これが「常識」のい・ろ・はなのだ
……「常識」は破潰されました、皆様
「常識人」は「変態」と言っている時点で変態なのであり、「根暗」と言っている時点で根暗なのであり、「常識人」の口の裏にはキリスト教の本能=寄生虫S・Cがあり、
…キリスト教のロゴス信仰が背景にある
「常識」の裏にはこのような信仰がある
…レッテル化信仰である
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常識人についての暴露