最近、多重人格が流行っているらしい
「世界は病気である」の人格、
デカダンス症候群の人格、
「アンチ・スチルド」で書かれるような病児教の人格(自閉スペクトラム症(ASD))、
『アンチ・クリスト』で書かれるようなキリスト教の人格(統合失調症)、
主人格、
S・C(いわゆる神(寄生虫))の人格、
…などである
他にも近い宗教や知識、病気の人格はそれぞれあるだろうが、主たるものはそれらである
※注:多重人格と言っても、それぞれに記憶がある、ものすごく病的なものではない程度の多重人格から、それぞれに記憶があって主人格を圧迫する、ものすごく病的なものの多重人格まである
S・Cと言う人格は、他の人格を取り込む人格であり、多くの犯罪者の場合、犯罪者そのものの人格であり、多重人格が発見されないのである
…そして、そのトリガーが見方他の妄想的人間、つまり、神々の命令である
人をその神々から引きはがすのが、アンチ・クリスト教(アンチ・スチルド教)のお仕事である
……また、多重人格の中でも、内部の人格が体の外部の他人に行くまでに病的な状態、これをデカダンス症候群と言っている
日常的に、いきなり叫んだりしている家庭や個人はこのデカダンス症候群などである
この世界の悟りなどと言うものは全てS・Cからのものに過ぎない
…だから、その事を知っている人たちは自分の考えを啓示として残すのである
…世界でもっとも危険なウイルスがある
「”一切皆苦”」、あの真理を現実にし、現実をねじ曲げる仏教の世界観に染め上げるあの破壊の悪魔、「”一切皆苦”」こそ、世界でもっとも危険なウイルスである(知識性のウイルス)
……仏教を持ち上げているニーチェはこの事どころか、仏教が神への祈りからのものを利益(りやく)とする事すら知らない
仏教こそ、S・Cを強めるだけの無益な宗教に過ぎない
任務
「”一切皆苦”」を抑えつつ、S・Cを駆逐せよ
(カフェイン・食物繊維で)
S・Cの「この世遠離幻覚」もある
…S・Cであるアッラーは不正不忠の神である
忠の根源は、空白の神、主クリスティー・スカーレットである
今までのS・Cの悪逆ぶりを見れば、主は空白でいい事が分かるだろう
〇「常識」の系譜2
…元々、キリスト教の前のユダヤ教は善悪の宗教ではなく、啓示当時は明らかに正義の神への忠・不忠の宗教であった
当時、ソロモン以降の『列王記』の内容が議論される中で、忠不忠派と言う意を拾う派があった
神は何を言おうとしているのだろう? いや、神の背後にある人間は何を言おうとしているのだろう? と、真実を明らかにしようとしていた
ところが、善悪派と言う安易な意を求める派があって、神は「悪」と言っているぐらいだから、我々の一概的な立ち位置を示そうとしているのだろう それは「善」だ
啓示と言う学問的なものを、単なる神の出した問題として、善悪派は啓示と真実を、善悪二元論と言う解釈でねじ曲げたのである
『列王記』がそれを物語っているが、啓示をねじ曲げる解釈をする者によって、啓示は時代を追うごとに何を示すのか? 分からないくらい、ユダヤ的善悪二元論と言う気難しくて近寄りがたいものになって行った
忠・不忠とは、単に神に従うのではなく、登場する神が示す、ヘブライ民族の総意にヘブライ語を解す自分も積極・消極の形で、含まれている事を表しており、神の声(ひらめき)を聞くのに、問題がない人の事と問題がある人の事を示している
…それは、三つの階級に人を分ける道しるべであり、忠と中間と不忠があり、正当に解釈して行くなら、このような国を築いて行く事が出来たのである
ヘブライ人と言う言葉は、真実によって解釈された啓示を理解する者と言う崇高な啓示的民族を示す
それに至っていないからこそ、ユダヤ人としか呼ばれないのである
(問題がない人たちの考えはそのまま思想に取り込めるし、中間は少し改良すれば、国の基礎になるし、問題がある人たちの考えはその場その場の仕事で役に立てばいい 三者三様なのである)
…そのように時代を経て行けば、ニーチェが『アンチクリスト』で書いた「三つの階級」のような、健康的な国の階級システムを築けたはずだったのである
啓示をねじ曲げる善悪派、危険なユダヤ人と呼べるような思想家は、確実にその国の階級の外、ランク外に追い出せるはずだった
それ「主のみ目に悪とされた」は、社会構築に関わる啓示だったのである
…しかし、忠不忠派ではなく、善悪派が勝利し、忠不忠派は歴史から葬り去られ、善悪二元論と言う時代錯誤のものが「常識」となり、善悪派は「常識人」となって行ったのである
結論:キリスト教の土台となったユダヤ教は異端の部類である
…詰まる所、子供な人の「常識」とは、病児的善悪二元論である
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