No.1179495

そこのけ そこのけ お馬が通る

新人さん

教養の無い僕は 一茶の句と言えば、「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」しか知らなかった。小林一茶には『おらが春』という文集があり、江戸時代後期の1819年(文政2年)12月29日に成立したという。これは一茶が編集したのではなく、没後25年も経った1852年(嘉永5)になってから白井一之という人が刊行している。「おらが春」という題は一茶の句の中にある言葉だそうだ。 一茶の生涯は、継母との折り合いが悪く15歳の時に父から奉公に出されている。(ライトノベルで流行りの追放物と同じ流れだ)39歳の時 父が亡くなり、仲の悪い継母と、弟との間で遺産のトラブルとなり、問題が解決できた時は51才になっていたという。52歳になってから ようやく結婚をしたが、初婚の妻との間にできた4人の子どもにはすべて死なれ、妻にも先立たれたそうだ。再婚した相手とは早々に破綻し、64歳の時に3度目の結婚をしたという。しかし、火事で自宅を焼失し その数ヶ月後に亡くなるなど、"不幸続きの人生だった"と言われている。他の書の解説でも「親ガチャ」でハズレを引き不幸の連続だったと、書かれている。だから白井さんは二重苦の29日に一茶の本を刊行したのかもしれないね。 しかし、本当にそうだったのだろうか? 僕は違う見方をしてみた。一茶は若い頃から流行りの売れっ子作家で、異性からモテモテの女たらしだったと仮定する。そうすると、独身を謳歌して 恋を楽しんでいたから、50歳を過ぎるまで 故意に結婚しなかったと考えられる。そうすると遊び飽きて妻帯者になっても衰えず、高齢になって三回めの結婚ができるくらい、老いて益々盛んだったと推察できるわけだ。僕のゲスな想像では、小林一茶に隠し子が多勢いいたと思うのだ。こうなると二重苦ではなく もはや福男だ。なんとも華やかで羨ましい人生ではないか。きっと 一茶は江戸時代のドンファンだったのだ。…ん~なんか腹が立つ。でも、まぁ 来年のためだ。 お馬を通してあげようか。

2025-12-29 14:50:12 投稿 / 978×734ピクセル

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