No.1175698

【黒冥土の溟と白姉の夕闇第二章】第十話:キリスト教は破潰(はかい)されました(キリスト教大批判)(パート四:第十話~第十二話(全四パート:全十二話))

eye-elさん

祝200Hits!!!!!

先にインパクトのある方を投稿

キリスト教の「アンチキリスト」への反論は第四話に転載

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2025-10-21 17:33:04 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:249   閲覧ユーザー数:249

1.アンチ・クリスト、アイイルによる告白

 キリスト教の言う「神」とは実は”悪魔”の事である(キリスト教の「神(少なくとも、一神教的神)」はいない)

…逆に、キリスト教の言う「悪魔」とは実は”神”の事である(まさに、「悪魔」の”嘘つき”とは、キリスト教徒の事だ!)

 

 なぜなら、イスラム教でも「被造物」的である、「愛」(キリスト教のアガペー(ストーカー的一方的愛)・アッラーから降り注ぐ愛として天使が現れ出る表象(イメージ))や「言葉」(”キリスト”と言う神の言葉であるイエス)や「光」(「この世の光」、イエス・「あの世の光」、精霊)が、自分を「神」だと名乗り出す、これ、”悪魔”の特徴である・

 

…つまり、誤解を恐れずに言うなら、キリスト教の言っている「”イエス・キリスト”」とは邪教をまき散らす”悪魔”の代名詞なのである(キリスト教のイエスは「神の子」と言うより、「悪魔の子」

 

(”これ”を見て、キリスト教徒は決まって「反キリスト」と言う いや、私たちは反キリスト者(アンチ・クリスト)だ)

 

 イスラム教(の唯一神アッラー)の言っている「”イエス・キリスト”」とは別物なのである

 

…言うなれば、自分を「神」だと名乗っているバージョンの『新約聖書』の「言葉」の奥底にあるものが、分をわきまえない”悪魔”だと、私は言うのである

(いわば、「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の福音記者達は”悪魔”の召喚士である そこから出て来る多数の”悪魔”がキリスト教徒である …彼らを「人間」と思ってはいけない)

 

 

 

…「愛」、これは”キリスト教の本能”、”キリスト教を作った本能”、体内の寄生虫である(キリスト教の「愛」は精神ではなく、物質であり、キリスト教の「精神性」は否定される

(信仰、聖書の意義(”人が手を加えてはならない聖なる書”と言う意味の)、

論説

(「三位一体」説、「二性一人格」説、「予定」説

(イスラム教の「定命」は神から与えられるもの、アンチ・クリスト教の「計算」は神が計算して人を計って使う事、キリスト教の「予定」は神が定めるもの、神が定めるものである「予定」を人が何で知る、とイスラム教の神、アッラーは言っている))、

キリスト教の「愛」

(隣人愛、兄弟愛、神愛))

 

…これが見方他な「変態」、すなわち、彼ら自身の言う「真っ当な社会人」が言う「悪」と(「常識人」の中では「変態」=「悪」)、「常識人」、すなわち、彼ら自身の言う「真っ当な社会人」が言う「善」を作り出す根源である(「常識人」の中では、「常識人」=「善」)

 

 だが、実際には、多様性の社会がもっとも嫌うものは、「絶対にこれ(善)である」と言う独善である

 

 

 

 問題なのは、「典型的な「常識人」による善悪二元論」である

 

 

 

 この「常識人」から見て「悪」なのは「変態」だけではない、「”特別な理由”なく仕事を休む人」・「精神障害者」・「知的障害者」・「ニート・フリーター」が、ひと昔前は「オタク」・「結婚しない女性」が、見方他の妄想的人間、つまり、「常識人」の代弁者なる「常識人」の神的存在にけなされる存在だと言うので、「悪」とされた

 

 そして、私は言う、その”見方他な「変態」と「常識人」の義定”は偽善・邪悪(”悪”と自覚しない”悪”)・劣悪・極悪であると・

 

 

 

 キリスト教の物質の「愛」…これこそがキリスト教の一(はじめ)の悪魔

 

 

 

 これは、時と場合によれば〇(ゼロ)知〇能の悪魔になり得る

…〇の悪魔である

 

 「主」、すなわち、ユダヤ教の「創造主」は破潰された(第三項)(神は死んだ、後に残ったものの為に二神として、創造の女神ロヴェインお嬢様・光性の女神トロニティーお嬢様が現れなすった)

 

 キリスト教的意味の「被造物」(「世」)と言う考えは破潰される

 

 「”取る”」と言う概念を破潰した(「”主は取られた”」)事で、キリスト教の「”天国”」を破潰した 「”地獄”」も破潰した

 

 要するに、「地図世界の二次元錯覚」から、「”天国”」と「”地獄”」は生まれたのである

 

 

 

 すなわち、第一世界の中にある「愛」と言う悪魔がこそ宇宙の始めから全体、自然の神ロヴェインお嬢様に被造されなかったのである

 

 

 

…また、多記号世界により、最大の宗教的真理・表象世界を破潰した

 世界はイメージ性ではない 記号なのだ

 

 キリスト教の「真理の神」(「表象世界の神」)は破潰される

 

 

 

…「光」、「”光あれ”」の言葉の”光”である

 

 

……これがキリスト教の三の悪魔

 

 

 

 デカダン(共生的指向)は”愛”だと私は言ってはいるが、ムスリム(イスラム教徒)の「解釈からの神」とすれば、これは”絶対唯一”なのである

 

…私達が神々を名乗るのは、回りくどいが、神(アッラー)の権力を盤石にする為であり、神の計算によるもの、神を表す「神々の神」の”神々”である

 

 ムスリムとアンチ・クリストはいわゆる人間的な共生関係にあると言える

 

 

 

…ちなみに、アンチ・クリストとは、「反・キリスト教徒」と言う存在を表す言葉であって、キリスト教・イスラム教の言う”反キリスト(アンチキリスト)”とは関係がない!

 

……名前も”AntiChrist”(アンチキリスト)ではなく、”Anti christ”(アンチ・クリスト=反・キリスト者)である

 

(「アンチキリスト」の項は書いているキリスト教徒が、「神の意志」を否認している事と、神の計算を持って価値を計られて、「神のもの」から外されている事を前提に考えれば、とてもではないが、信用に置けるものではない事が分かる

…事実、国家としても、キリスト教国は悪名高い ムスリムからはテロをされ(アメリカ)、この世界で浮きまくった行動をして(イギリスの「三枚舌外交」・アメリカの「戦争外交」・ロシアの「ウクライナ戦争」などである)、世界中から批判を浴びているのは、イギリス・アメリカ・ロシアではないか?

 

 これらはキリスト教国である!

 

 生産者の中では、秀作を見る時、馬鹿ではない方の”普通”の「馬鹿」を完全に味方に付けられる生産者を除き、他の生産者は、キリスト教国は悪い(イントーレだ))

 

 キリスト者には三種類ある・

 一つに、いわゆる「霊命」を盲信する自称キリスト者、二つに、『聖書』の教えを理性で理由付けして自分に命令するキリスト者、

…三つに、これらの禁欲とニーチェの「望欲」では納得いかない反・キリスト者(アンチ・クリスト)、

……つまり、第三の「情行(じょうこう)」(誰かに教えられるのではなく、自分の”情”を優先して”行”ずる・憎然でも他然でもない)の教えを取る者である

3.キリスト教は破潰されました

 

(『アンチクリスト』(ニーチェ著)によれば、キリスト教は「破壊のみを目的とする」邪教・)

 

「「なんで、おっぱい男子が、存在するんだ??」

 

 おっぱい男子は『聖書』的秩序「神によって造られた男と女の秩序」

 

…つまり、「”神は人を男と女とに創造された”」(原文だと、『創世記』1章27節:「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」、すごく頭悪そう…)

「”人が男と女とに産まれるのは、神の全くの設計によるのである”」

 

を破潰する

 

…これは、キリスト教的秩序、キリスト教そのものの破潰に繋がる

 

…なぜなら、少なくとも存在として、おっぱい男子はキリスト教の言う「神によって造られた男と女の秩序」に含まれないからである

 これは生殖をともなう可能性のある多様性である

 

 よって、自然の摂理として、(インテリジェント・デザイン論(知的設計論)の一つ)

「神(自然の神ロヴェイン(Love’in)・スカーレット)は人を男と女と”ふたなり”とに観念創造された」

「人が男と女と”ふたなり”とに産まれるのは、神(上述のロヴェインお嬢様)の全くの設計によるのである」

「人は創造された観念に従って、事実、母の内から産まれる・これが”人の子”である」

 

…になる

 

 そして、「男と女」のキリスト教的秩序は破潰される・

 

 キリスト教の言う「神」も破潰される・

 

 

 

…ユダヤ教の「主」と言う考え方だが、”主と見れる従”と言う「主の根拠」はただの錯覚に過ぎず、よって、概念的な主としての神は存在しない・むしろ、実行的な主としての神が存在する

 

……したがって、「主」として取る事も与える事も不可能であり、ムハンマドの『コーラン』と『創世記』は孤立する(内、ムハンマドは『コーラン』の言葉(ロゴス)とされていて、それは認めてもいい、また、アッラーは「与える神」である)

 

 そもそも、全能者に従者など必要ないと言うわけである・(元々、罪悪こそが神であって、神・即・行動であった事は、後述する通りである)

 

 

 

 「主」を否定された以上、キリスト教的な権力は全て破潰される(破潰の神と言う私の力によって・私の力は”人”である)

 

 

 

「”だから、出て行って、すべての人々をわたしの弟子とし、彼らに、父と子と聖霊との名によってバプテスマ(洗礼)を授けなさい”」

 

 それは無理と言うもの・なぜなら、少なくとも多様な人間を認めるまともな人々と、多様な人間の一つであるおっぱい男子、つまり、ふたなりは全て、心からキリスト教徒にならない・

 

…よって、「福音書」のイエスの※1カトリック性(「普遍的」と言う意味)も破潰される!(つまり、キリスト教カトリック派そのものが破潰される)

 

 

 

 もう一つの宗派であるプロテスタントは「抗議する者」と言う意味であり、

カトリック性に対してプロテスタント(抗議)すると言う意味を持つ・

 

…つまり、そのカトリック性は破潰されているから、プロテスタント性もまた、無意味と化す

…よって、「福音書」のイエスのプロテスタント性も破潰される!(つまり、キリスト教プロテスタント派そのものが破潰される)

 

 

 

 これによって、第一世界(この世界、キリスト教の言う「この世」)は一つであって、日本国はおっぱい男子を含めた、アンチ・クリスト的二神教的秩序を私達は享受しなければ治まらない」

(白シスター・夕闇)

 

これによって、「キリスト教は”破潰されました”」

 

シシス・セイター、第二世界の主神ディセン・トロンの部下の神は、その報告を聞いていた…

結論:キリスト教は間違っている

4.ユダヤ教は破潰されました

 

「…ユダヤ教は「罪”の罪”」と言う考えによって、破潰される

 

…まず、「遅れる」と言う罪がある(『エノク書2』第十五章の一節「なぜならあらゆる遅れは罪だからである」)

 罪、すなわち、罪悪感は遅れて来るものである

 

…すると、※2「罪そのものは主なる神に忠実であり、罪悪感は「神の第二の言葉」である」と言う前提が崩れる

 

…「神の第一の言葉」(「第一※3ロゴス(ユダヤ人の屈従感の神格化(全能の神エル・シャダイ))の信仰」に基づく『創世記』)はおっぱい男子に否定され、「神の第二の言葉」(「第二ロゴス(罪悪感の神格化(律法の神ヤーヴェ))の信仰」を前提にした『出エジプト記』とそれ以降)は「罪”の罪”」に否定される・

 

…アンチ・クリストに『聖書』内の唯一の啓示書と認識されている『サムエル記』※4『列王記』の内、『列王記』では、ユダの王ヨシヤが、「遅れる」と言う罪を認識していた

 

(また、ヨシヤと言えば、罪悪であるヤーヴェに融け入ろうとしなかったクズではないか

…さらにまた、「申命記改革」と言えば、『列王記』の末期頃に起きたとされる「ユダヤ人が罪悪以外に”神”を見出した偶像崇拝主義」だろうが!

 神と反対の方向に跪いているのが、『列王記』のヨシヤである

 

 『旧約聖書』三十九書の作られた順番として、『列王記』→『サムエル記』→『ダニエル書』・『ヨブ記』・『ヨナ書』→『申命記』→『創世記』→『出エジプト記』→『レビ記』・『民数記』→その他の書である・

…だから、『列王記』のヨシヤの「律法(『申命記』)発見」の記述は後付けに過ぎないのである!

 

……啓示書『列王記』の正体は改竄(かいざん)された後の歴史書に過ぎなかったのである!!)」

(アイイル・滝口)

 

…よって、「ユダヤ教は”破潰されました”」

 

 ※5クリスティー・スカーレットお嬢様は、この報告を静かに聞いてらした…

結論:ユダヤ教は間違っている

5.「自己の公共化」と言うユダヤ人とキリスト教徒の本質

 

「ユダヤ人は屈従感を「神すなわち世界」にして、自分達を公共化した」

 

言ってみれば、これだけなのである!

 

 これはキリスト教徒にも当てはまる

…そして、これらに共通する「”公共化”の哲学」を今回は否定した

 

 『聖書』、特に『新約聖書』の大部分は、キリスト教徒が「”公共化”の道具」に何事かを利用している、で片付くのである!

 

…もっとも、ユダヤ人は”公共化”に一度は成功して、ハスモン朝を立てているが、キリスト教徒は「”公共化”の道具」に色々なものを利用して失敗し、最終的に世界を”公共化”する事を実験しているのである しかして、ニーチェなど、アンチ・クリストの台頭により、その実験は失敗が露呈しつつあるのだが・いや、失敗しているとキリスト教徒は認めたくなかったらしいが・

 

 ”破潰”なのは、「破壊」では、キリスト教のやり方になってしまうから・

 

 

 

 イスラエル王国統治下のパレスチナでは、罪悪は肯定される神のもの、キリスト教では、罪悪は否定される悪魔のもの、法律では、罪は否定されるべき悪者のもの、イスラエル王国から後のユダヤ人は、法律の罪の逆風を受け、罪悪を罪化して来た

 

 キリスト教の罰は受けさせるべき悪魔のもの、法律の罰は受けるべき悪者のもの、キリスト教の罰は全て、キリスト者の上に!! 罰を刑罰化せよ!!!

 

 パウロが語った「不死の信仰」は”殺人”と言う罪へと一部のキリスト教徒を導く キリスト教の言う「”悪魔”」である、キリスト教徒は、自分勝手な目的の為に、”殺人”と言う「”悪魔”」の業(カルマ)を行うのである

…彼らは既に「”悪魔”」と一体である!

 

 彼らの信仰とは「”悪魔”である自分自身への信仰」なのであるから…

 

(※6旧統一教会の山上被告を見ろ 反省の色もないあの態度

…こう言うキリスト教徒の犯罪はキリスト教の罰の刑罰化によってのみ、防げるものだ!

 

 灰すら残らない”ゲヘナ”(キリスト教徒の殺人者の焼却炉への投入処刑)・

 

悪魔(キリスト教徒の殺人者)、

獣(性欲ギンギンの半ば犯罪者のキリスト教徒)、

偽預言者(キリスト教徒がイエスにキリスト教徒の都合の良い事を預言させた、そのキリスト教徒)、

罪を悔い改めない人(キリスト教徒の殺人者)、

死(キリスト教徒の殺人者)、

ハデス(過去のキリスト教徒の殺人者の骨)が投げ入れられる”火の湖(第二の死)”(キリスト教徒の殺人者の活火山のマグマへの投入処刑)

と呼ばれる死刑方法が確立されるならば、「不死の信仰」を持つ、キリスト教徒も恐れて、犯罪抑止になると言うもの)

 

(「”ミロク大神”」とか言っている、無政府主義者(アナーキスト)の『日月神示』教徒もよろしく)

6.現界と馬界の陽極と陰極

 アンチ・クリストの精神として、現界と馬界(ばかい)の考え方がある・

 

 現界とは、現実的なもの、肉体や(後述する馬界の影響を受けやすい)精神は全て肯定すべきもの

 

…と言う考えの下に、肯定されるべき現界の事・

 

 馬界とは、非現実的なもの、キリスト教の「精神」や幻覚の世界の「者」や実社会の「悪魔」、つまり、偏見、ユダヤ人の「自殺的指向(デカダンス)者」などは全て否定すべきもの

 

…と言う考えの下に、否定されるべき馬界、純粋に馬界と言う事は少ないので、否定されるべき「現界以外の場所のもの」、つまり、(馬界の影響を受けやすい)精神を批判したり、破潰したりはしても、結局の所、現実世界の人々は肯定さるべき、なのである

 

……また、この馬界が本質のレベルになってしまった者と言うのが、キリスト教徒や病児教徒、犯罪者や廃人、狂人なのだ・もちろん、これは、偏見による項目を除いた上での事だが・

 

 

 

 理性は(幻覚の世界の「者」と言う)馬界を利用して、「心の中」と言う概念を作り出した

 

…今度は、有識者と呼ばれる情行学を知らない、愚かな者の知性(意識)が馬界に利用されて、「世界の外」と言う概念を作り出そうとしている!

 

 その人その人の感覚が「作話の世界」と言う概念を作る

…もちろん、これは私の事ではない!

7.ルネサンスのコラール(讃美歌)

 

…見よ、このアイイルが生まれてすらいない、ルネサンスから、「キリスト教の破潰」(ここでは、キリスト教的ではないコラールの普及)はあったのだ・カール大帝、バッハ、…ルターでさえ、コラール広告に与している程である!

8.主のヴァーレット(直接の従者)

 

 神崇拝から離れる事が、善(トーレ=寛容)である

 

…神や神々や仏を崇めなければいけない、と言う空気を作り出す事そのものが、既に善(トーレ=寛容)ではないのだ!

 

……だから、神崇拝とは、悪(イントーレ=不寛容)であり、神崇拝から離れる事においてのみ、善(トーレ=寛容)を選択したのである

 

 

 

 私(アイイル)が、主のヴァーレット足るのは、その事を教えて、神を悪的(イントーレ的=不寛容的=信仰的)に見る事を勧めないからである

 

…イントーレ(悪)がイントーレ(不寛容)なのは、キリスト教を見れば、分かろうものだ!!

 

 

 

…悪魔崇拝や人間崇拝は神崇拝以下のものだから、当然、これも悪(イントーレ=不寛容)・

 

…仏崇拝も神崇拝と同程度のものでしかないので、これも悪(イントーレ)


 
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