No.902800

【5章】

01_yumiyaさん

5章。続きもののようななにか。独自解釈、独自世界観。捏造耐性ある人向け

2017-04-25 23:30:47 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:1565   閲覧ユーザー数:1565

【氷劇の海域】

 

事情が変われば己も変わるような愛

相手が心を移せば己も心を移そうとする愛

そんな愛は愛ではない

 

 

底冷えする風が帆を揺らし、それに呼応するように波が高々と舞い踊る。荒れた海の上にぷかりと浮かんだ船の上、海賊たちは嵐に備えて走り回っていた。

ヤバいのが来そうだと大慌てで帆を閉じて、耐えてくれよと船体に祈る。海賊とて、大自然には敵わない。

 

彼らは世界を一周してやろうという志があるわけでもない、新大陸を見つけてやろうという野心があるわけでもない、名の通りの海の賊。

好き勝手暴れて、好き勝手生きて。略奪強奪お手の物、殺伐極まる世界の住人。

もしも自分たちが惨めに死んだときには地獄で笑ってやるのだと、彼らは酒を片手にただ嗤う。

それが海賊という生き物なのだ。

 

そんな海賊ではあるのだが、まあ流石に嵐には勝てない。

粗方片付け終わり、雨も降ってきた。海賊たちは大急ぎで船室へと避難する。

この船の船長は全員避難したことを確認し、それじゃあ俺もと仲間が手招きしている室内に足を向けた。

その時ちょうど良く高波に襲われ、船体が大きく跳ね上がる。

その衝撃で船長はバランスを崩し、濡れていた甲板で滑り、冷えた風に身体を攫われた。

荒れた船の上でそんな目に合えば、起こりうる結末はひとつ。

船長はぽんと暗く荒れた海の中へと落とされていった。

今まさに真っ黒な波へと呑み込まれていった海賊の名を、アズールという。

 

慌てたのは仲間たちだ。なんせ目の前で船長が海へと落ちていったのだから。

降りしきる雨も忘れるほどに船員たちは外へと走り出し、アズールの落ちた辺りを覗き込む。

眼帯を付けた海賊が飛び込もうとするのをツノのついた船員が慌てて引き止めた。

 

「ええいヨルド離せお頭がっ!」

 

「いやいやいやいや無理だから無理だから!アンカーまでいなくなったらウチの海賊団潰れちゃうでしょ!?」

 

せめて浮いてくれれば助けに行けたものの、荒れた波がそれを許さない。波は重なるように覆い被さり、先ほど呑み込んだ人間の姿を隠してしまった。

こうなってしまえばもう天に祈ることしか出来ない。

 

「…大丈夫だよ、きっと。アズールはなんか妙にしぶといから」

 

己に言い聞かせるように、ヨルドはアンカーを羽交い締めにしながら宥めた。宥められ歯を食いしばり、アンカーは大きく揺れる波間を睨み付ける。

ザパンザパンと船体を叩きつける海を見ながら、ずぶ濡れになった船員たちは船長の安否を祈り続けた。

 

■■■

 

ゴポッと空気の塊が口から抜ける。そのおかげで上下は判別出来るものの、酸素を失ったアズールの身体は最早沈むことしか出来なくなっていた。

水面は嵐で荒れていたものの、水中はそこまで荒れていない。流される心配は無さそうだが、ただただ光すら届かない水底へと吸い込まれていく。

まだ夢があった、自分の海賊団をもっともっと大きくしたいと。たくさんの仲間に囲まれて、みんなで好き勝手楽しく生きたいと。

その夢がここで潰える。

嫌だな、まだ何もしてないのに。

こんな死に様カッコ悪いなと朦朧とした意識の中、引かれるままに水底へと顔を向けた。

光すら届かない深い深い海の底、真っ黒で真っ暗な海底で何かの光が目に映る。

 

「…あん?」

 

思わず口を動かしてしまい、最後の空気が己から吐き出された。視界から空気の泡が流れていき、アズールはしまったと口を抑える。ヤバいこれはマジで死ぬ。

抗ってはみたものの、すぐに口を抑えていた手から力が抜けてアズールはピクリとも動かなくなった。

薄れゆく意識の中で「さっきの光はなんだろう、もしかしてお宝かな?」と口元を緩める。

死の淵にいたのだとしても、宝があればそれを喜ぶ。

彼はそういう生き物だった。

 

■■■

 

先ほどの声を聞きつけて、力尽き沈んでいくアズールを目ざとく見付けた魔物がいた。

下半身が魚のような尾ビレで、顔立ちも人とは作りが違う。耳もヒレのような形をしていて、水棲生物だと主張していた。それでも可愛らしいと評せるような大きな目をした女の子。

人と魚が半分ずつ、種族としては人魚と言うのだろう。

その人魚は不思議そうな顔ですいと泳いでアズールに近寄ると、驚いたように見つめしばらく頬に手を当て見惚れていた。

ぼんやりと沈むアズールを眺めていた人魚は、満足したのか辺りをキョロキョロと見渡して、誰もいないのを確認するとアズールの手を取り泳ぎ出す。

上へ上へ、水底から離れるように。

人魚は泡のようにふわふわと水面を目指し、時折アズールの顔に目をやり頬を赤くして、ひらひらと尾を揺らした。

ポコンと水面に顔を出し嵐が去っているのを確認した人魚は、連れていたアズールも外へと出したが未だピクリとも動かない。

困った表情を浮かべ、人魚はそのまま陸を目指して泳ぎ始めた。

 

砂浜に到着し、人魚はアズールを引きずり波に呑まれぬ場合へ横たわらせる。

飲んだ水を吐き出させ甲斐甲斐しく介抱していると、ようやく呼吸が戻ってきたようだ。まだ弱々しいが先ほどよりは生気が感じられる。

ほっと安堵の息を吐き、人魚は気絶したままのアズールの顔に微笑みかけた。

 

「…このひと人魚は好きかしら」

 

小首を傾げアズールの頬を軽く突き「起きないかな?」と期待したような目を向ける。

素敵な声のひとだから、もっとたくさん音が聞きたい。

パタパタと尾を跳ねさせつつ、人魚はアズールが目を覚ますのを今か今かと待っていた。

元より歌や音楽を好む人魚は、声に惚れ込むことが多い。

水の中で聞き取れたのはひとことだけ。僅かに聞こえたその声に惹かれ、こっそり抜け出し探してみれば、ぷかりと沈む彼がいた。

惹かれた声の持ち主が、好みの外見もしていたのだから、人魚としては惚れる以外に道はない。

 

「……」

 

なかなか目覚めないアズールを見て、寝てるならもうちょっといいかな、と人魚は顔を真っ赤にしながらそろそろと手を伸ばす。

アズールの頬に人魚の手が触れかけたと同時に、海の方から大きな声が掛けられた。

 

「ちょっと何してんのメロウ!クジェスカ様が探してるわよ!」

 

「ひゃっ!?」

 

慌てて飛び跳ね、メロウと呼ばれた人魚はあわあわと手をバタつかせる。

背でアズールを隠すように振り向いて、メロウは「今すぐ戻るわ、ありがとセイレン」と取り繕うように海へと戻っていった。

ふんと不機嫌そうに音を返し、セイレンは先に帰ると海へ沈んでいく。

有難い事に大気が濃すぎて、セイレンにはアズールが見えなかったらしい。

ほっと胸を撫で下ろし、メロウもあとを追うように海へと戻った。最後にちらりとアズールを振り返り、また顔を赤くする。

 

とぷんと沈んで神殿を目指す合間、メロウは陸に置いてきた人間を思い出しひとり頬を緩ませた。

素敵なひとだったな、と。

また逢いたいな、と。

今度はもっと声を聞きたいな、と。

けれども人魚は陸では目がよく見えない。大まかには見えるのだが水中に比べればボヤけてしまう。

悲しげな顔でメロウは思った。

わたしも人間になれば、陸でもあのひとの顔がちゃんと見れるのに、と。

あのひとの顔を見ながら素敵な声を感じられるのに、と。

 

 

■■■■

 

水中に特化した人魚という生物は

どうやら陸だと大気が邪魔して

ものがよく見えないようです

 

人間と逆ですね

人間は水の中だと見え方が変わりますから

 

何故人間になりたいと

あそこまで固執したのか

そこが大事

いやはや

欲というものは天井知らず

果てしないものですね

 

ああそういえば

人魚というものは

声を聞いてしまうと船が事故に遭ったりする

そんな不幸と不吉の象徴なんですよ

それは皆さま知っての通り

 

ですので

「魔物」と評しても問題ないでしょう?

むしろ魔物と評する以外に

何かありますかね?

この化け物の呼び名には

「魔物」以外の適切な言葉は

存在しませんよ?

 

 

 

■■■■

 

波の音が耳を襲い、その合間合間に人の声が混ざっていた。

まだダルいんだよ寝かせろとアズールが不機嫌そうに目を開けば、眼前には半泣きのアンカーの顔がドアップで映し出される。

 

「ぎゃ!?」

 

「お頭…、っうおお!?生きてた!」

 

寝起き様にアンカーの顔面を見て、思わず叫んだアズールだったがアンカーの台詞に引っかかりを覚え眉をひそめた。

生きてたってなんだよ寝起きに言う言葉じゃねえだろ。

むっとしながらアンカーに目をやれば、オイオイと男泣きの真っ最中。これにはアズールも目を丸くする。

 

「…どうしたよ?」

 

そう問うてもアンカーは泣くばかり。困ったなと頭を掻いてアズールは己の記憶を辿り始めた。

確か昨日は、普通に海賊稼業やってウハウハで、そのまま海を走ってたら、天気が悪くなってきて…、

 

「…あ。そうか、落ちたな俺」

 

「無事で、無事で良かった…」

 

未だグスグスしているアンカーの肩を叩き「悪い、心配かけたな」と言えばふるふる首を振られた。

アンカーがこれなら他の船員も心配してくれただろう、早く戻らないととアズールは苦笑いし首を傾げる。

海に落ちた自分がなんでこんなとこにいるんだろう、と。

流されたということはない、この辺りの海流は少し特殊でこの場所には流れ着かないはずだ。

現に今ここにいるのはアンカーだけ。海賊団の船も他の船員も姿はない。船は恐らく少し離れた場所に付けたのだろう。

妙だなと再度首を傾げたものの、アズールはまあいいかと立ち上がり団と合流するため歩き出した。

 

アンカーに案内されるまま砂浜を歩けば予想通りの場所に己の船が停泊している。

その近くの砂浜には上陸用の小舟があり、その側には仲間たちが集まっていた。

アズールがその集団に近寄れば、気付いた仲間たちがわっと歓声をあげながらアズールを取り囲む。

 

「ほらやっぱり大丈夫だった」

 

安堵したようにヨルドがポンとアズールの肩を叩き微笑んだ。妙に悪運強いよね、とからかうように言う。

ヨルドの言葉に不敵に笑い「だから海賊が適職だろ?」とアズールが返せば、その通りだとばかりに仲間たちは笑った。

一頻り笑った後、出航しようと提案すれば異議なしと声が揃う。

満場一致で可決したその案はすぐさま実行され、海賊団は早々に広い海へと舞い戻った。

船長が無事で良かったと、元気に歌を歌いながら。

 

海賊というものは、まあ時代や団にもよるが、ある程度のルールに基づいて活動していた。

狭く限られた船の中で円滑に生活出来るように、仲間同士で争わないようにするための掟。

例えば、船長というリーダーがいたとしても独裁的に全てを決めるわけでない。

船長も乗組員も立場としては皆同じ。会議で話し合って多数決、どこに行くのも何をするのも、船員全員の投票で決める。

キャプテンといっても上下関係はなく、皆同じ立場で動き同じ部屋で寝て同じものを食べる。平等な世界を築いていた。

まあ他の人が持っていない技能があるとか、熟練者は分け前が増えるとかそういった差はあるのだけれど。

そのため掟を破った人間や和を乱した人間は、それが船長であったとしても、厳しく罰せられる。

まあ、こんな風に。

 

「…おい動けねえんだけど」

 

海賊団の船の上、大きな柱に括り付けられながらアズールは不満を漏らす。

不用心にも落ちたから、とか、予定外の捜索になったから、とか、全員を心配させたから、と色々言われつまりは「しばらく大人しくしてろ」と船に固定された。

割と肌寒いこの海上で、ひんやりとした柱に貼り付けられ、冷たい風と船の揺れをダイレクトに感じるこの罰は思った以上に辛い。

 

「生ぬるいほうでしょ、あたしたちの寛容な心に感謝しなさい」

 

「ヴィラ…」

 

ぶーぶー不満を吐き出していたアズールに、海賊団唯一の女性乗組員が笑いながら話し掛けた。

俺をこんな風にして船の操舵が出来ないだろとアズールが言えば、あたしが出来るしと一蹴される。

ヴィラは航海士の知識があり、普段は船長の補佐をしていた。アズールが海に落ちたときも、冷静に海流気候を計算し、流れ着くならこの辺だと混乱する船員に指示を出し、船長代理として立ち回っている。

 

「身体酷使、鼻削ぎ、鞭打ち、無人島への置き去り。それをしなかっただけでも喜びなさいよ。あそこに置いてっても良かったんだからね!」

 

「ぐっ…」

 

海賊ならば確かにそうだ。無能な船長だど判断されれば、無人島放置程度の処罰あっさり下される。

船に乗せて貰えるだけまだマシ、というか極上の処罰ではある。

呆れたようにヴィラはアズールの額を弾いた。

 

「あんたを船長として失うのは惜しいって皆思ってんだから、今度から気を付けなさいよ。足滑らせて海に落ちるなんで馬ッ鹿じゃないの?」

 

正論すぎて言葉も出ない。

というかそんなことよりも、徐々にアズールの顔色が青からドドメ色に変化してきていた。

返事がないことを不審に思ったヴィラがアズールの様子に気付き、ため息を吐きながら括り付けていたロープを外す。

 

「吐くなら海にね。勿体無いでしょ、せめて撒き餌にしなさいよ」

 

そうつまらなそうに言われ海に向かって蹴り飛ばされたアズールは、間一髪で船を汚すことだけは回避出来た。

船長の威厳とか海賊のプライドとか男の矜持とかその他諸々はズタボロにされたが。

「船酔いなんて日常茶飯事だもの、その程度でギャーギャー騒ぐわけないでしょ」とさらりと言い放ったヴィラがこの船で一番男前なのではないかと、せり上がってくる胃液に耐えながらアズールは思った。

 

■■■■

 

このまま柱に括り付けられていると甲板に胃液を垂れ流すただの生肉となりそうだったため、アズールへの罰はこれで終わりとなったらしい。

ぐるんぐるんする頭と胃に耐えつつ、アズールはヴィラに引かれるまま船室に放り込まれた。

酔って吐くなら舳先に括り付けたほうがよかったかしらという恐ろしい単語を聞かなかったことにしつつ、アズールは椅子にぐったりと身を任せ呟く。

 

「出すもんねえのにまだ出そう…」

 

普段ならば平気だが一番揺れる場所に長時間固定されれば流石に無理だと真っ青な顔で呟けば、船室にいた仲間たちは同情しつつ「ざまぁみろ」とでも言いたげな爆笑で返す。

そんなもんだとアズールも笑った。

思い切り笑って気分が晴れたのか、アズールは思い出したように仲間たちに問う。

 

「あ、そうだ。俺が落ちた場所の海図あるか?」

 

突然なんだと首を傾げながらアンカーが周囲の海図を開き、ヴィラが場所を指差した。

ヴィラの指先を見てアズールはニヤリと笑い、羽根ペンを取り出し印を付ける。

「どうしたの?」とヨルドが問えば、ドヤッと表情を浮かべアズールは高らかに宣言した。

 

「落ちたときになんか光るモンが見えたんだ!きっとどデカイ宝だろう、行こうぜ!」

 

溺れ掛けてもタダでは起きない船長に、あるものは苦笑しあるものは呆れあるものは尊敬の眼差しを向ける。

まあアズールは宝物を発見する能力は人一倍高い。恐らく本当に何かあるのだろう。

しかしながらヴィラがため息を吐きつつ反対した。

 

「無理よ。しばらくあの辺りは立ち入れないわ」

 

「なんでだよ!?」

 

ヴィラの言葉にアズールが噛み付いた。その顔には早く行かねば俺のお宝が誰かに盗られると書いてある。

再度大きく息を吐き出し、ヴィラはアズールを睨み付け言い聞かせるように理由を話した。

 

「あそこ、人魚が出たのよ。あたし船を沈めさせる趣味なんかない」

 

そう言ってヴィラはふんとそっぽを向く。

お宝があるかもと浮き足立っていた仲間たちは、この言葉にカキンと固まり困ったように互いの顔を見合わせた。

人魚の歌は人間を狂わせる。

海に生きる者としては、人魚は忌避すべき生き物だ。天秤に賭けるにはリスクが高い。

「ならやめようか」という空気が船室に漂う中、アズールだけは頬を膨らませていた。

 

「必ず出るってわけじゃねーだろ、出るか出ないか確率は半々。半分は成功するんだぜ!?」

 

「ギャンブル狂いの意見は聞いてない!」

 

アズールの主張はすぱんとヴィラに蹴り飛ばされる。

行く行かないと言い合いが繰り広げられるなか、ヨルドがふたりの間を取り持ち引き剥がした。

「揉めたら多数決!決闘するなら陸上で!」と掟を叫べはふたりは黙る。

血気盛んな海賊たちが揉めるたびに船の上で決闘なんかすれば、船がいくつあっても足らない。というか喧嘩のたびに船を壊されるなど御免被る。

そのため決闘などを行う際には船の外、つまりは陸の上で行う決まりとなっていた。

こんな喧嘩で決闘などとは割に合わないと、アズールたちは多数決を取る。

結果は察しの通り「行かない」に票が集まり、ヴィラは得意げな表情を浮かべた。

お宝は欲しいが自分の命のほうが惜しいと、他の仲間たちも思ったのだろう。

多数決で決まったからとアズールは渋々引いたが、しばらくの間、印を付けた海図を抱え船の隅でイジケる姿があったとか。

 

 

■■

■■■

 

ざあと水を切る音が甲板に鳴り響く。今日は珍しく、海賊たちの船の上に青い空と暖かな陽が射していた。

「海賊のお通りだ!」と高らかに叫び、遮蔽物のない大きな海を我が物顔で駆けていく。

先頭にいるのはこの海賊団の船長。キャプテンとして成長したアズールだった。

伸びてきた顎髭を撫でながらアズールは、今日はどこを襲おうかと楽しげに嗤う。

アズールと同じように仲間たちも海賊として立派に成長した。ここいらで俺らに敵う奴なんかいないだろうと、今日はこちらで明日はあちら、広い海を我らの庭だと主張して好き勝手に荒らしまくる。

船の上では飲食物の入手に苦労するが、それよりも入手が困難なものがある。薬や包帯、つまりは医療品だ。

毎回買いに行くのも面倒臭いと、海賊たちは交易船を狙う。目的は品物ではない。人間だ。

交易船を襲い、乗組員を人質に「こいつらを殺されたくなければ医療品を寄越せ」と脅しを掛ける。交易船を出せるレベルの商店ならば品物に不自由しているはずはない。大概成功し、十分な医療品を確保できていた。

まあ稀にケチ臭いオーナーに当たり、残念な結末になることもあるのだが。

楽しげに嗤うアズールの懐には、あの時の海図が今も眠っていた。あの時は仲間たちに反対されたが、お宝回収の野望は消え去っていない。

今ならきっと行けるだろうとアズールはニヤリと笑い、ヴィラに声を掛ける。

 

「まだ諦めてなかったわけ?」

 

ヴィラがため息を吐けば、俺様がお宝を諦めるわけねーだろ!とアズールは得意げに胸を張った。

そんなアズールをスルーして、ヴィラは「あの辺は人魚が出るんだってば」と反対の意を示す。

不満げな表情をするアズールをキッと睨み付け、ヴィラは怒ったように問いを出した。

 

「あのね、お宝と命どっちが大事?」

 

「おたから」

 

唐突な質問に、アズールがつい思わずうっかりと素直に本音を漏らしたら盛大なビンタがアズールの頬を襲う。

キャプテンの威厳など、そんなものはこの船に存在しない。

あんたねとワナワナ震えるヴィラの掌に恐怖を覚え、アズールが首を左右に振りながら「違う間違えた間違えた!」と言い訳するが放った言葉は取り消せない。パァンと良い音を響かせて再度平手が繰り出された。

頬についた紅葉の跡を手で抑え痛ぇと呟くアズールに厳しい眼線を向け、ヴィラは怒ったように吐き捨てる。

 

「ホントあんた死ねばいいのに。お宝と仲間の命天秤にかけてお宝を取るなんてー…」

 

「ん?命ってそっちか、なら命だ。仲間を危険な目に合わせる気はねえよ」

 

自分の命とお宝だったら迷いなくお宝取るけどよ、とアズールが答えればヴィラはぽかんと目を丸くした。

アズールは元より、まだ危なそうな区域なら、自分だけで小舟を使い探索するつもりだった。仲間たちには近くに待機して貰い、死にかけたら回収してもらおうと。

 

「クソ長ぇ縄を、こう腰に括り付けてさ、ヤバくなったら引き寄せてもらおうと思ってた。危ないトコに行くのは俺だけでいいだろ」

 

「…そこまでして行きたいの?」

 

おうとアズールが頷けばヴィラは優しい息を吐き「ホント馬鹿だね」と呆れたように笑う。

ふっと空を眺め天候を確認したのちにヴィラはアズールに向き直った。

 

「天気は良さそうだし、今日は様子見するだけ!いいね?」

 

「えー」

 

不満げなアズールの帽子をひょいと取り上げ、くるくる回しながらヴィラは微笑む。

「お宝回収をひとりじめするなんてズルいじゃない。みんなで行くんだからね?」と悪戯っぽく笑い、だから危ないかどうかちゃんと調査するよ、と帽子を弄んだ。

 

「はいと言うまでこの帽子は返さないから!」

 

「危ないかもしんねぇんだろ、いいのか?」

 

そりゃ全員で行くのは嬉しいがとアズールが頭を掻くとヴィラは笑い、さも当然というように言葉を並べる。

あたしたちは『アズール海賊団』なんだから、あんたが行くなら一緒に行くに決まってるでしょ?、と。

 

「流石にアブナイとこにひとりで行くとか言われたら止めるけど。てかあんた自分の命を軽く見過ぎ、怒るよ? んで、どーするの?はい?イエス?」

 

「1択じゃねえか」

 

苦笑しながらアズールが答えを言えば、ヴィラは「よろしい!」とニッと笑い、奪った帽子をぽすんと返した。

じゃあ作戦立てないとね、と軽い足取りで去って行く。他の仲間たちに声を掛けに行ったのだろう。

返された帽子を深く被り直し、アズールは嬉しそうに嗤った。

 

■■■

 

ザワザワと賑やかな船室で次の冒険について語られる。

一応反対意見もあったが、今回は調査だけだと知ると調べるだけならと引っ込んでいった。

もしも人魚が出たらと不安の声も上がったが、海賊のひとりが呟いたひとことに全員の目が集まる。

 

「ついでに人魚の唄を書きとれたら儲けもんだな」

 

確かにそうだと騒めきが広がり、調査とはいえ儲け話に変わる可能性があると気付いた海賊たちは目の色を変えた。

人魚の歌声は恐怖の対象だが、船乗りが誰しも聞き惚れるもの。記録出来れば希少なものだと売れるだろうし、良い娯楽になる。その上もしかしたら分析し対策がとれるかもしれない。

 

ああだこうだと話し合い、マストに体を括り付けて落ちないようにしてみるかと案が出た。

あとはそれを誰がやるかなのだが、その件もキャプテン自ら手を挙げてやってやるぜと胸を張る。

危険な役をキャプテンがやるのはと仲間たちが躊躇したが、アズールが笑って

 

「俺を死なせたくなかったらガチガチに縛り上げろよ?」

 

と挑発するように言ったものだから、仲間たちも笑い「日頃の恨みを込めて縛り上げてやりますわ」とノッてきた。

虚を突かれたのはアズールだ。「お前ら俺に不満があるなら言えよ…?」と戸惑ったように声を震わせる。

そんなアズールの姿が滑稽で、船室の中では豪快な笑い声が響き渡った。

 

話し合いも終わり、件の海域周辺に差し掛かる。

「よっしゃお前らやれ!」とマストに背を付けアズールが仁王立ちすると、ぐるぐると過剰なほどにロープが巻かれアズールの体を固定していった。

もちろん、唄を書き留めるために両手は自由に動かせる。というか道具を持っているのだが、その分腹にロープが巻き付きすぎて若干苦しい。

やりすぎじゃね?とアズールが引きつった顔を仲間たちに向ければ、まだ足りないと首を振られた。

 

「お頭を死なす気はありません」

 

この役にアズールが選ばれたことを最後まで反対していたアンカーが、執拗なほどにロープを巻いていく。

アンカーは最後にロープをぐっと引っ張り「これで良し!」と満足げな表情を浮かべた。アズールの「ぐげ」という声は聞こえなかったらしい。

 

「いいですかお頭、危なくなったらすぐ言ってくださいね。このアンカー、すぐさま飛んできますから!」

 

「…、ぉぅ、」

 

中身出そうで今が一番危ないと思いつつその言葉を飲み飲んで、アズールはアンカーになんとか返事を鳴らした。

その返事に満足したのかアンカーも指定された場所に移動する。

人魚が出た海域に入る直前、ヴィラから最後の指示が入った。

 

「みんな準備はいい?そろそろ海域に入るわよー」

 

そう前置きしてヴィラは一度大きく息を吐く。

全員耳を塞ぐから声は通らなくなることを注意し、アンカーにはアズールの様子がおかしかったらすぐ教えろと、ヨルドにはその場合船の速度を上げるから手伝えと、他の船員には何か異変が起きたらすぐ対処しろと命じ、一呼吸開けたあと「全員耳栓!」と指示を出した。

その合図で海賊たちは耳を塞ぎ、音が聞こえるのはアズールひとりだけとなる。

普段喧しいこの船が静まり返っているのは変な感じだとアズールは小さく笑い、周囲の音に耳をすませた。

波の音はこんなにも心地よいものだっただろうか。

海鳥たちはこんな鳴き声をしていただろうか。

風はこんなにも涼やかな音色を奏でていただろうか。

奏でられる自然の海の曲にアズールは思わず目を瞑り、全てを耳で感じたいと穏やかに微笑む。

と、

ちらりちらりと不自然なノイズが入り込んできた。

折角海を聴いているのにとアズールが不愉快そうに目を開けば、雑音のように感じた音は初めて聴いた誰かの唄声。

よくよく聞けば、澄んだ声の歌声と整えられたハープの調べだった。

集中していないとどんなに良い唄でも雑音に聞こえるなと己の耳を軽く撫で、アズールは任された役をこなそうと歌声に耳を向ける。

 

「これが、人魚の唄なのか…?」

 

人間の鳴らす音とはまるきり違う、心に直接響くようなハープの音色と、それに合わせた透明な氷のような声を聞き、アズールは声の鳴る方向へと顔を向けた。

海の上、少しばかりの岩場に座り、ふたりの人魚が誘うように音を流している。

ひとりはハープを抱え揺らすように弦を弾き、もうひとりは声を世界に溶かしていくように歌っていた。

曲も素晴らしい、しかしアズールの目に映るのは楽しそうに目を瞑って歌う人魚。

優しく、母のように恋人のように透き通った歌声を響かせ、ただただ唄うその人魚の声は「俺のために歌っている」と錯覚するほどに惹かれてしまう。

この唄を聞き取り書き留めることも忘れ、アズールは人魚たちの歌に聞き惚れていた。

 

「綺麗な歌だな…」

 

ついそう声を漏らせばこちらの船に気付いたのか、ハープを弾く人魚が歌っている人魚の肩を突き「…ロウ」と声を掛ける。

今のは名前だろうか。

アズールがぼんやりと人魚たちのやり取りを眺めていると、歌っていた人魚がぱちりと目を開き歌いながらも小首を傾げアズールに顔を向ける。

その瞬間、電気が流れた。

ぱっちりとした大きな瞳はアズールの姿を吸い込んで、ふわふわの髪は絡め取るようにゆるりと揺れる。細くスラッとした手は柔らかそうで、大きな尾びれが儚く動くたびに身体の鱗を煌めかせた。

アズールが彼女に目を奪われていると、彼女はこちらを見て少し目を見開いたあと、嬉しそうに幸せそうに小さく柔らかく微笑みを浮かべる。

その笑顔を見た瞬間、もしくは声を聴いたときには既に、それとも姿を認識した時か、アズールは呼吸を忘れるほどの衝撃を受けていた。

瞬きも忘れ、ただ彼女だけを視界に入れる。脳裏に焼き付かせるように。

それでも限界が訪れたのか、アズールは大きく息を吹き返し目を閉じ彼女から視線を外す。

遅れてやってきたのは、自分のものとは思えない鼓動。心臓だけ別の生き物であるかのように、生まれて初めて感じる音を響かせていた。

 

「…ッ…?」

 

なんだこれ、と混乱しながらアズールは無意識に目を開け彼女を探す。

可愛らしい微笑みはまだそこに健在で、彼女を視界に捉えたアズールは再度目を逸らしてしまう。

心臓がおかしい、顔が熱い、上手く息が吐けない。

突然の不調に戸惑っているとアズールの手から持っていた紙とペンがすり抜け甲板に落ち、彼女たちの演奏を妨げる不快な音を立てた。

 

しまった

俺はなんてことを

俺のせいであの歌は

台無しになってしまった

 

アズールが泣きそうな顔で彼女に目を向ければ、アズールの目には悲しそうな瞳が映る。

「っ、違う、俺は、」とアズールが彼女に向けて声を出した刹那、何故か船の速度が上がり始めた。

このままだと、俺は彼女から、離れてしまう。

なんで

俺が

彼女から離されなくてはならないのか

 

アズールの想いとは裏腹に、船は逃げるようにその場から遠ざかっていった。

今すぐ船から飛び降りて、彼女の元に行きたいのに、何故か体が固定されていて身動きが取れない。

嫌だという悲鳴のような声にならない声を喚きながら、アズールは彼女から引き離されていった。

 

■■■

 

しばらく船は海上を滑り、徐々に速度が落ちていく。

船のマストの根元には、ぐったりとした風貌のアズールが残されていた。

船がゆったりとした速度になった頃、耳栓を外したアンカーがアズールに駆け寄りロープに手を掛ける。が、アズールの様子がおかしいことに気付いたアンカーは、真っ青になって肩を揺すった。

 

「お頭!どうしました!?お頭ァ!?」

 

アンカーの大声に他の海賊たちも慌てて駆け寄り、アズールを心配そうに取り囲む。

ロープを外しはしたが、その場に崩れ落ちるアズールを見て全員がオロオロと眉を下げた。そんななかヨルドがアズールの顔を確認するように触れ、困ったように頭を掻いた。

 

「…誰か気付け薬持ってない?」

 

これは魅了状態に近い。しかもかなりの深度だ。

確かに人魚の声を聞くと舵を取られ船が沈む、とか、人魚の歌のことしか考えられない状態になる、とか色々言われているが、妙に深い。

ここまで堕ちるのは珍しいなとヨルドが首を傾げていると、アンカーが大慌てで大きな酒樽を両手いっぱいに抱えて持って来た。

 

「…えっ?」

 

「?気付け薬だろ?」

 

なんで酒樽と目をパチクリさせるヨルドと、言われたものを持ってきたと首を捻るアンカー。

まあ確かに、酒という名を隠すために気付け薬と呼ぶこともあるが、今この状態で言葉通りのものを持ってくるとは。

しかも酒樽から漏れ出す香りは非常に甘い。これはアズール秘蔵の酒だろう。勝手に持ち出して良いものだろうか。

ヨルドはどうしようかと一瞬悩んだが、度数も高いしまあいいやとアンカーから酒樽を受け取りパカンと封を開け飲ませようと杯に汲む。と、

 

「俺の酒だろこれ!」

 

香りで気付いたのかぼんやりしていたアズールが突然飛び起きヨルドの胸ぐらを掴んだ。

流石は「乱暴で酔っ払いの連中」と言われる海賊の船長だ。酒の気配には敏感らしい。

長い航海だと水は腐るから持って行けない、しかし度数の高い酒ならば傷むのが遅い、ならばコレを持って行こう。酒を水の代わりにするぞ、いやむしろ酒が水だ。つまりコレは水なんだ。

そんな言い訳を携えて、アズールは自称水を何処からか大量に入手し船に積んでひとりで楽しんでいた。

その水を3杯も呑めば眠るアズールを見て、全員「あの悪酔いっぷりはただの水っつーより悪魔の水だろ」と呆れ返っていたのだが、興味自体はあったらしい。

封を開け広かった芳醇な匂いに仲間たちは皆アズールの心配を忘れ、ヨルドの持つ酒樽に目を向けている。

 

「…みんなー、キャプテンが『心配させたし人魚の歌書き留めるの失敗したからお詫びにこれ飲んでいい』だってさー」

 

胸ぐらを掴まれたままのヨルドがそう言えば、海賊たちがワッと酒樽に群がっていった。

船長秘蔵の水雫は瞬く間に消え去り、それに比例して酔っ払いを量産していく。数人にひとりは甲板に大の字になって眠りこけていた。

仲間たちを止めるべきかヨルドをぶん殴るべきかと迷っていたアズールは、みるみる消えた我が水を見て「ああああああ」と情けない声を漏らす。

 

「ヨルド!」

 

「心配したのは事実だし、書き留めるのに失敗したのも事実でしょ。ついでに優しく介抱しようとした相手の胸ぐらを突然乱暴に掴んだのも事実じゃないか」

 

ぷいとそっぽを向いてヨルドが反論した。

恐らく最後のひとつの理由が原因で怒っているのだろうと察したアズールは、諦めたようにヨルドから手を離す。

悪かったなと小さく謝罪してアズールはポンとヨルドの頭を叩いた。

 

「テメーら、俺の分残してあんだろうな!?」

 

そう怒鳴りつけながら、アズールは酔っ払いの集団に混ざっていく。

今回の結果を話し合いたいが、目の前に酒があるならまずはそれを飲むことを優先すべきだ。

だってアルコールがあるのだから。

 

■■■

 

死屍累々。そんな言葉が相応しい船の上で、アズールはひとり夜の海を見下ろしていた。

先ほどまで賑やかだった船内は、今や地の底からかと錯覚するような呻き声や地響きのようなイビキに支配されている。

ある意味賑やかではあるのかもしれないと現実から目を背け、アズールは船内とは真逆の静かな海をぼんやりと眺めていた。

 

「アイツ、なんて名前だったかな…」

 

暗い海に映るのはあの時の、気持ち良さそうに歌う彼女の姿。

もうひとりが呟いていたのは聞こえたが、はっきり聞こえたわけではない。

ちゃんと名前を知りたかったなと残念そうに息を吐いた。

 

宴会が始まった時に、ヨルドに言われたことがある。

大丈夫?という前置きをし、ヨルドは頭を掻いて忠告した。

『稀に、廃人になるほど人魚に魅了される人間がいるから。さっきのアズールは結構深かったし、今後は人魚に近付かないでね』と。

人魚というものは、罪を負い地上から追い出され海中に住まざるを得なくなった魔物だと。

地上から追い出された代わりに得たのが、人間を誘惑するような美貌なのだからと。

仲間から人魚接触禁止令出された。

 

「うーん…ま、しょうがねえよな。俺様も運命には逆らえねえぜ」

 

そう言いながらもアズールは不満げに船を叩く。

ならあの時の胸の高鳴りは、頬の熱さは、彼女が輝いて見えたのは、全て魅了されていたからに過ぎないのか?

人魚という魔物の歌に姿に、惑わされ酔わされ魅了されただけ。

不機嫌そうに舌打ちをして、アズールは首を振る。

 

そんなはずはない

あの時の想いはそんなもんじゃなかった

あの時感じたものは

そんなものではなくて

 

アズールは再度海に、人魚がいた海域に目を向けた。

ほらだって、今も彼女の姿が見え、る…、

 

「…俺酔ってんのかな」

 

ついに幻覚まで見え始めた。

心奪われた相手の幻影が見えるほど酔っているのかと、アズールは己の目を擦る。

何度擦っても彼女の幻影は消えない。

それどころかその幻影は、アズールが見ていることに気付いたのか慌てたような行動を見せ、顔を真っ赤にしてゆっくり沈んでいった。

彼女の姿が、またあの時のように遠ざかる。

 

「っ待ってくれ!」

 

思わずアズールは船から飛び降り、人魚を追いかけていた。

幻影でもかまわない、夜の海に飛び込めば酔いも覚めるだろう。

だがもし本物だったら、そう考えてしまったから。

アズールはなりふり構わず海に飛び込み彼女の細い腕に手を伸ばした。

掴んだ彼女の手は小さくて柔らかく、ここにいると力強く主張する。

 

幻影じゃなかった

本物だ

 

それに気付いたアズールは、海中だということを忘れ喜びの声を上げる。

つまりそれは、自ら酸素を手放したことを意味していて。

人魚の手を掴んだまま息苦しさでバタバタもがけば、人魚は困った顔しながら海中でアズールを見つめてきた。

目の前に彼女の顔があることに気付き、アズールはもがくのも忘れ見つめ返す。

吸い込まれそうな澄んだ瞳と整った顔立ち。

やっぱ可愛いよなとアズールが見惚れていると、彼女の掴んだ手とは逆の手がアズールの頬に添えられた。

気付けば彼女の顔が徐々に近付いてきて、不意に唇が重ねられる。

混乱したアズールが固まっている間、ずっと、彼女の唇の柔らかさだけが頭の中を支配していた。

 

「っうわあ!?」

 

我に返ったアズールが真っ赤になって人魚から口を離すと、人魚も同じように真っ赤になって俯いている。

アズールが言葉にならない単語を吐きながら、口元に触れ彼女に目を向けまた口元に手をやり、とハタと気付いた。

海中にいるのに呼吸が出来ており、声も出せる。

 

「…あれ?」

 

「あっ、あっ、えっと、あの、こう、こうすると、人間でも水中でっ、息ができるって!聞いたことが、ある、から…」

 

真っ赤なまま照れ隠しのように尾をパタパタ振るう人魚は、今にも気絶しそうだった。

その姿がなんかとても愛らしくて、アズールはへらっと微笑み彼女の頭をふわりと撫でる。その瞬間、人魚は沸騰しそうなほどに顔を赤くしてプルプルと固まった。

 

「あの時の人魚だよな?綺麗な歌を歌ってた」

 

「は、はいっ!」

 

ひらひらと彼女は尾ビレを揺らし、ところどころつっかえながらも「つい追いかけて来てしまった」と語る。

人魚は「昔逢ったときから、あなたのことが忘れられなくて。また逢えて嬉しい」と頬を染め微笑みながら、アズールの手を握った。

昔?とアズールが不思議そうな表情を見せれば、昔嵐の日に海に落ちてきたときに、と柔らかく返される。

人魚のその言葉で思い出し、アズールはあの時か、と驚いたような顔を向けた。

 

「あの時、妙な場所に流れ着いたなと思ったが…。あんたが助けてくれてたのか」

 

コクコクと頷く人魚を見て、アズールは目の前にいる彼女が命の恩人であったことを知る。

昔助けてくれた命の恩人で、素晴らしい歌を聴かせてくれた子で、ここまで追いかけてきてくれて、今ようやく出会えて会話が出来た。

これを運命と言わずして何と言う。

会うべくして逢ったのだ。

今日この時間この暗い海の中で、昔から繋がっていた糸を手繰って出逢う運命だったのだ。

しょうがねえよな。俺様も運命には逆らえねえぜ。

先ほどと同じ言葉を真逆の意味で使い、跳ねる心臓を抑えながらアズールは彼女を見つめて口を開く。

 

「そっか、あの時はありがとうな。それで、その、」

 

君の名前を教えてくれないか?

 

真っ赤になってそう問いかければ、嬉しそうな声で「わたしは、メロウっていうの」と微笑まれた。

アズールがかわいい名前だなとぽーっとしていると、メロウは「あなたは?」と小首を傾げられる。

慌ててアズールが名乗れば、メロウは「アズール」と小さな口で可愛い声で己の名を奏でた。名を呼ばれただけで心臓が掴まれた気持ちになる。

名前を呼ばれることは、こんなに嬉しいことだっただろうか。

アズールが「…メロウ」と思わず呟けば、メロウも同じようにビクンと跳ね照れ照れと幸せそうに頬を緩ませた。

 

どのくらいの時間手を握り合っていただろうか。会話らしい会話もしてない、お互いに見つめあっていただけの、それでもふたりにとっては幸せな時間。

その時間はメロウの名残惜しそうな声で遮られた。

 

「あっ、こっそり出てきちゃったから、わたし帰らなきゃ。怒られちゃう」

 

「そっか…。どこに帰るんだ?」

 

アズールの問い掛けに、クジェスカさまのところ、とメロウが教えればアズールはふむと頷く。

また逢えるかなと必死に尾ビレを振るメロウに対し、アズールはニッと笑ってこう言った。

 

「大丈夫、すぐに逢えるさ」

 

アズールの言葉の意味がわからず首を傾げるメロウの頬を撫で、アズールは触れていたメロウの頬に軽く口付ける。

あわあわしているメロウに、今のを忘れる前に迎えに行ってやるよとアズールは約束し「信じられないっつーならもう一回してやろうか?」と意地悪く聞いた。

その言葉にメロウは真っ赤になって頬を抑え「これ以上されたら茹で上がっちゃう…」と瞳を伏せる。

さっきはメロウからしてくれたのにとアズールが笑えば、メロウは不可抗力だものとパタパタ反論した。

 

「あなたは、水の中では息ができないから」

 

「それでも、なんつーか、俺からやりたかったな、ってさ」

 

頭を掻きつつアズールが頬を膨らませれば、メロウはぼっと茹で上がった。

クスクス笑いながらアズールは「水ん中でのはじめては取られちまったけど、陸でのはじめては俺が貰うからな」とメロウの髪を撫で、名残惜しそうに別れを告げる。

またな、という再会を示す言葉を。

メロウも真っ赤なまま同じ言葉を返し、すいと水底へ沈んで行った。

 

それを見送りアズールも浮上のために足を動かす。

そろそろ口付けの効力が切れるのだろう、だんだん息苦しくなってきた。

陸でしか生きられない己の身体を憎々しく思いながらアズールは呟く。

 

「俺は、海賊だ。欲しいものは奪う。メロウをクジェスカってヤツから奪ってやるさ」

 

欲しいから奪う。

アズールはそう言った。

愛しい彼女が欲しいから、と。

 

「奪ったら俺のもんだ。そしたらずっと一緒に居られるよな」

 

そう言って堂々と笑うアズールの目に水面が映る。

水の中から見上げる空には、月が出ているのだろう、光を反射しキラキラ輝いていた。

ああ、月が綺麗だな。

 

アズールがぱしゃんと海から顔を出せば、すぐそばに自分の船が浮いている。

さて、

どうやって戻ろうか?

高く大きな船体の横で、アズールは船を見上げぼんやりと途方に暮れた。

 

 

■■■■

 

人魚というものは

吸血鬼レベルで色々な能力があるんですよ

皆さん人魚好きですよね

 

悲愛の対象だったり、

崇拝の対象だったり、

嫌悪の対象だったりと

どこの世界も人魚がいる

 

そんな人魚の能力には

人魚にキスされれば水中でも息が出来るというものがありまして

先ほどのはそれでしょうね

いやはや大胆な方だ

 

人間は水の中では生きられず

人魚は陸に上がったら死ぬのが定説ですが

それがひっくり返る力があるとは

 

いちど食べてみたいものです

鱗が生えて死ぬのは御免ですけども

 

 

■■■■

 

なんとか船に引き揚げられたアズールは、夜が明け二日酔い気味の仲間たちを笑ってしばらく休暇を宣言した。

このまま海に出るわけにはいかないから、と。

ついでに仲間たちに飲み干された己の酒を補充したいとアズールが睨み付ければ、仲間たちは目を逸らし鼻歌を歌いながら誤魔化し始める。

そもそも良質な酒を独り占めしていたのが悪いのだが、船長の私物を飲み荒らしたのは事実。それと同時に船の食料も心許ない。

満場一致で海賊団は陸地を目指すことになった。

 

「そっか、なら…」

 

というヨルドの小さな呟きは海風に攫われていく。

ヨルドが上陸後の予定を立てていると、仲間たちも久しぶりの陸地だと嬉しそうに伸びをした。

買い出しと仲間たちの休養と船のメンテナンスのため、しばらく陸地暮らしとなったアズールは仲間たちに「略奪はそこそこにな」と忠告を入れる。

暴れすぎて追い出されたら休むどころではない。忠告に軽い返事をし陸に上がった海賊団は、一時解散と相成った。

 

仲間たちから離れ、アズールはサクサクと砂浜を散歩する。近い未来、彼の息子が同じ場所で同じ海を眺めるとはつゆ知らず、アズールは広い海原に視線を向けた。

穏やかな波音は船上とはまた違った曲を奏で、冷え冷えとした風が頬を撫でる。

陸は陸で良いものだが、やはり何か物足りない。

小舟でも借りて軽く船旅をしてみようかと、その足で舟を奪いに走って行った。

 

首尾よく小舟を手に入れたアズールは、ちゃぷちゃぷと舟を漕いでいく。

目指すは、メロウがいるらしい魔皇クジェスカの神殿だ。

あの時メロウの口から魔皇の名が出たのには驚いたが、ひと泡吹かせるチャンスだと内心喜んでいた。

魔皇クジェスカは、ひと言で言えば「氷の女王」。陸も海も凍らせる非常に迷惑な存在で、アズールとしても非常に疎ましく思っていた。

氷海を船で渡るにはそれなりの装備が必要だ。流氷や浮かぶ氷を蹴散らし進むには船体の強化をしなくてはならない。

しかしそのためには、海賊団が今所持しているお宝全てを売り払っても足りないくらいの予算が必要だった。

ならば氷のない場所を、と思っても魔皇は支配地域をじわじわ広げており自分たちの海が侵食されていく。活動範囲はかなり減らされていた。

魔皇マジ死ね、とアズールが思うのも無理はない。

海が駄目なら陸地から襲ってやろうと計画しても、陸地では魔皇の兵士がウロついているわ、目を付けた場所は魔皇に先回りされロクなお宝がないわで利益が得られない。

そんな不愉快な存在からメロウを奪ってやったなら、あの高慢な笑みを歪ませられるだろう。

そのためには、まずは敵情視察。

神殿に近付いたアズールは気配を消して、ゆっくりと舟を漕いでいった。

 

■■■

 

魔皇の居住している神殿を探れば、入り口の側から生き物の声がする。

門番でも居るのかとアズールは舌打ちし、確認のため覗き込めば入り口近くの海に人魚がひとり歌を歌っていた。

やはり綺麗な歌だとアズールはうっかりその歌声に聞き惚れて、握っていた櫂で岩場を叩いてしまう。

その瞬間、怯えたように人魚の歌が止まった。

我に返ったアズールは「見つかった」と慌てて逃げ出そうとしたのだが、聞こえてきたのは侵入者を咎める声でも魔法を放つ音でも武器を振るう音でもない。

嬉しそうな声が己の名前を呼んでいた。

 

「アズール?」

 

その場にいたのは魔皇軍の手下ではなくメロウ。嬉しそうに尾ビレを揺らし、こっそりと近寄ってきた。

ほっと安堵し、アズールは舟から身を乗り出して愛しい娘を抱き締める。

敵情視察するつもりが、早々に目的のものを手に入れてしまった。

幸いだとアズールはメロウに問う。

 

「メロウ、俺と来るか?」

 

問答無用で拉致ってしまっても良かったが、断られない自信があった。

アズールの想いに違わず、メロウは少し照れながら嬉しそうな声で「はい」と答え、ぎゅっと優しく抱き返してくる。

両者とも想いは同じ。共に行こうと睦み合うふたりだったが、そのせいでアズールの乗って居る小舟はバランスを崩しぐらりと揺れた。

小さな舟がひとたびバランスを崩したならば、転覆する他ない。アズールはバシャンと大きな音を立て海中に投げ出された。

 

「ぷは!」

 

「アズール大丈夫!?」

 

沈んだアズールを慌てて引き上げたメロウが、心配そうに声を掛ける。びしょ濡れになりながらも「こんなん屁でもねえ」とアズールは笑った。

とはいえ乗っていた小舟がひっくり返り、アズールは困ったように頭を掻く。この舟は俺のじゃないから別に良いが、元に戻すのは手間だとメロウの手を取り笑いかけた。

 

「仕方ねえか、泳いで逃げようぜ!」

 

アズールの言葉に微笑みながら頷き、メロウはアズールを引っ張るように泳ぎ出す。

メロウはもう既に魔皇に未練など微塵もなかった。だってこのひとはこんな危険な場所にまでわたしを迎えに来てくれたのだから。

しかし魔皇は人間をよく思っていない、暑苦しいと不快を示す。

ならば、魔皇に見付かる前にこのひとを安全な場所にまで連れて行ってあげなくちゃ。

そう考え、メロウはアズールを引き連れ広い海原へと逃げ出して行った。

 

■■■

 

しばらく泳いだだろうか、もはや神殿は見えなくなっている。

逃げた先にあった岩場の影に隠れながら、このまで来れば大丈夫だろうとメロウは来た道をちらりと振り返った。追っ手らしきものはいないとほっと息を漏らす。

安堵感を堪能したあと、メロウはハタと気付く。なりふり構わず泳いでしまったが、アズールは大丈夫だっただろうかと。

手は繋いだままではあるけれも、と己の手の先に視線を向ければアズールは真っ青な顔でプカプカ浮いていた。

速すぎたらしい。

慌てて岩場にアズールを寄りかからせ「ごごごごめんなさい!」とメロウが謝罪すれば、岩場にしがみつきながらアズールは「このくらい、なんとも、ねえ」と息も絶え絶えに見栄を張った。

申し訳なさそうな顔でさらに謝罪してくるメロウを見て、アズールは苦笑しひとつ我儘を口に出す。

 

「ああ、なら、…歌ってくれないか?」

 

メロウが俺のために歌ってくれたら元気がでそうだと、アズールは泣きそうな顔のメロウの髪を優しく梳いて微笑んだ。

そんなことでいいの?でもそれであなたが元気になるのなら、とメロウはゆっくりと息を吸い、流れるような音階を唱え始める。

船を沈める時の曲とは違う、アズールを癒すためだけの唄。それはじわりと心に浸み込み、泡のように溶けていった。

俺のために、歌う唄。

それが愛しい娘の可愛いらしい口から流れている。

俺のためだけのコンサート。

戯れに言ったひとことだったが、グッタリとしていたアズールの身体はみるみるうちに回復していった。

気力の戻ったアズールは、ほとんど無意識に歌っているメロウの腰に手を伸ばし己の傍へと引き寄せる。

驚いたメロウが小さく悲鳴を上げて歌を止めると、アズールはメロウの頬に手を添えてその無防備になった唇に口を寄せた。

自分が今何をされているか気付いたメロウは一瞬目を見開いたが、抵抗せずされるがままに静かに瞳を閉じる。

辺りには、岩場に打ち付ける波音だけが響いていた。

 

どのくらい重ね合わせていたのだろうか。

ようやく名残惜しそうにふたりの唇が離れると、メロウは頬を染めぼんやりと力を抜き、アズールはメロウを抱き締めその肩に顔を埋めながら「あー…めっちゃ元気出た」と小さく呟いた。

そのまま彼女の小さな肩から細い首へと唇を這わせれば、メロウからくすぐったそうな甘い声が漏れる。

 

大丈夫。

今、ここには俺たちしかいないのだから。

ここは俺たちだけの世界なのだから。

何をしても、咎めるモノはいない。

だから、…

 

 

 

気が付けば陽は落ち海も暗く染まっていた。

アズールとメロウは岩場で海水に浸かりながら寄り添っている。まあメロウのほうは疲れたのか、すやすや眠っているのだが。

そんなメロウの髪を撫で、アズールは優しい眼差しでメロウの寝顔を眺めていた。

仲間たちに人魚禁止令とか出されてた記憶があるが、忘れよう。

小さく笑ってアズールは海から上がり、岩場にゴロンと横になる。流石に水に浸かりながら眠ることは出来ない。

なんで俺人間なんだろう、同じだったら寄り添ったまま眠れただろうに。

己の種族を呪いながら、アズールは眠っているメロウの手を握り離れないようにしたあと目を瞑った。

 

■■■

 

東から昇った朝日に早々起こされ、アズールはバキバキと音を立てながら身体を起こす。やはり岩場で眠るのは辛い。

繋いでいた手を引かれたからか、メロウもぼんやりと瞳を開けた。

 

「あ、悪いな。起こしちまったか」

 

「…」

 

アズールが声を掛けたがメロウはぼんやりとしたまま動かない。

メロウは水棲生物だからか、ある程度身体が温まらないと活動出来ないようだ。

そんなところも可愛いなとアズールは笑い、思い付いたようにメロウを抱き締めた。熱を渡すように全身ぴったりくっついて。

しばらく抱いているとメロウの身体が温まったのか、徐々に瞳に光が宿ってくる。そのまま己の置かれている状況を把握したのか、メロウは「ひゃあ!?」と可愛い悲鳴をあげた。

真っ赤になりながらアズールに顔を向けるメロウに「あったまったか?」と笑みを返せば、機械のようにコクコクと頷かれる。

 

「もう…。あなたといると、わたしいつか絶対茹で人魚になっちゃう…」

 

「それは困るなー」

 

アズールはケラケラ笑いながら身体を離し、離れる際にさり気なく頬に口付け、離れたあとには頭をポンポンと撫でた。

その行為にメロウははわはわと頬を染め手で抑え、潤んだ目でアズールを見つめることしか出来ない。

そんなメロウを笑いながら、アズールはいい香りだったなと彼女に触れた己の手を嗅ぎ直した。

朝っぱらからイチャついているふたりだったが、とりあえず最直の問題点を話し合う。

メロウは魔皇のもとから逃げ出しているからもう戻れない。

アズールは船が修理中だから現状船には帰れない。それにメロウを連れて行ったところで仲間たちが受け入れてくれるかも疑問だった。

悩むように唸るアズールだったが、そうだとメロウに向き直る。

 

「お宝を手土産にすれば大丈夫かもしんねえ。なんか知らないか?」

 

人魚という魔物に抵抗感を持つ海賊たちだが、人魚の宝、もしくは人魚のおかげでお宝を入手出来たと知れば興味の方が勝るだろう。

そこから切り崩して行けば、メロウを海賊団に迎え入れられるかもしれない。

そう思いアズールが問い掛ければ、メロウは少し悩んだあと、ぽつりと答えた。

 

「あなたと初めて会ったところの奥深くに、宝石があると聞いたことがあるわ」

 

昔アズールが海に落ち、そこで見かけた光はやはりお宝だったらしい。

目を輝かせたアズールだったが、気付く。彼女が奥深くと言うということは、海の底のことだろう。

そこに、行けるのだろうか。人間の俺が。

困ったように眉を下げたアズールだったが、メロウは微笑み己の唇を軽く指差しこう言った。

 

「大丈夫。わたしが、連れてってあげるから」

 

妖笑を浮かべたメロウはアズールを海に引き込み、優しく唇を重ね合わせる。

人魚からの口付けで水の中でも動けるようになったアズールは、やられたと言わんばかりの照れた表情で頭を掻いた。

行きましょう?と伸ばされた手を素直に掴み、ふたりは海の底へと沈んでいく。

暗い暗い海の底へと。

 

しばらく泳ぎ、しばらく沈み、辺りはほとんど真っ暗になっていった。

海の底まで陽の光は届かない。

不思議だな、とアズールは思った。陸地のどこでも照らす光は、海には届かず闇に負けるのか、と。

光が全てを照らすことなど出来ないのだと、海の生き物には光などいらないのだと、海の生き物には光の加護がないのだと。

なれば、海の守護者も海の番人も巫女であろうと海に住むのならば、光の加護は与えられず、光で救われることはない。

救済されてはいけないのだ。だって己からその道を選んでいるのだから。

上も下も何もかもがわからないまま深海へと向かうアズールは、救いのない真っ暗な世界で小さく身震いした。

怖いな、と。

 

アズールは恐怖を感じていたのだが、メロウは迷いなくするすると進んでいる。

この子は道がわかるのだろうか、見えているのだろうか。ならメロウと一緒ならば海の底も怖くない。

そうアズールが錯覚し始めたころ、メロウはピタリと動きを止めた。

 

「…この先、なんだけど。ここから先は…」

 

困ったように語尾が消えていく。

詳しくは知らないらしいが、この辺りは深海の帝が封じられているらしく、メロウとしても怖いから行きたくないようだ。

目的の宝石はその深海の帝の物らしい。ここに来てようやく「行くなと言われていた場所」だったと思い出したとメロウは語る。

アズールとしても恐怖感はあるが、メロウの発した単語に目を輝かせた。

深海の、帝。しかも封印されてるっぽいヤバいヤツ。

そいつが持ってたらしい、お宝。

それは恐らく、かなり貴重な物だろう。

 

「…そっか、なら俺だけで行ってみるよ」

 

幸い、目的の宝石は近くにありそうだ。お宝センサーがビンビン反応している。

それに、光の届かない場所でありながら、ちらりと輝くモノが見えた。

ひとりでも行けるだろう。

 

「じ、じゃあ、わたしここで歌ってるね?戻るときはわたしの声のほうに来てね?」

 

アズールの決意に、メロウは心配そうな表情で提案した。

メロウとしても歌っているほうが気が紛れるらしい。声を目印にするようだ。

途中で息が切れないようにとまた口付けて、メロウはアズールを送り出す。

誰もが拒絶する、深い深い闇の中へと。

何故光の届かない深海でソレが光っていたのかと疑問を持たず、アズールはメロウに見送られ目的の宝石目指して沈んでいった。

 

流石深いだけある。少し沈んだだけで暗闇に覆われメロウの姿が見えなくなってしまった。

まあ声は聞こえているから不安はないとアズールが泳いでいけば、ぼふんと何かにぶつかった。

驚いたが掌に伝わる感触は土とか砂に近い。

マジで海の底に来ちまったと嗤い、ここまで来た海賊は、いや人間は俺が初めてだろうとアズールは得意げに胸を張った。

今度仲間たちに自慢してやろうと、アズールは底に足を付け海底を歩く。海中を歩くなんて妙な感じだと愉しんでいた。

ふわふわ歩きアズールは、海底の海藻に引っかかっている光っている物を発見した。

それは六角形の宝石で、妖しく、それでいて美しく光を放っている。

まるで深海魚が小魚を誘うような、真っ暗な深海で目立つ程度の弱い光。小魚はそれに魅せられ罠に掛かるのだが、この海賊もそうらしい。

 

「これは…なんてお宝だ…。なんて…美しいんだ…」

 

うっとりとした声色でアズールは迷いなくその宝石を手に取った。

光に誘われて手に取ったのだが、近付けて見ればその宝石は深い深い吸い込まれるような藍色をしていた。

暗闇の中で見ると藍色なのだから、きっと、光の下で見ればメロウの瞳の色と似ているだろうと、アズールは蕩けたように宝石を覗き込んだ。

お宝は確保した、早くこの宝石を光の下で見たいとアズールは海底を蹴り浮上する。

アズールが離れた海底から「深淵に魅せられし者よ…」と不気味な生き物の声がしたのには、気付かなかった。

 

■■■■

 

深い淵、水の中の淀んだ場所

 

深淵とはそういった意味がありますが、

悪魔的には

「進化の終着点」

つまりは人間の行き着く、最後の未来を意味するんですよ

落伍者の行き着く場所、ですね

 

それに魅せられた人間が

真っ当な人生歩めると思いますか?

 

「深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちら側を覗き込んでいるのだ」

 

とは有名な言葉ですが、

今回は文字通りで良いでしょう

己の終焉に惹かれた彼は、己も終焉に惹かれている、と

「おわり」だと

 

彼は終わりへの道に魅せられて

自らその道を選び

ただただその道を歩いていく

 

誰が悪いかって

判断を下し嬉々としてその道を進んでいるのは

当人の意思ですよ?

当人以外にいないじゃないですか!

 

さあ

ダイスはもう投げ出され

終わりに向かうしかありません

それでもそれまでもう少し

つまらぬ茶番をお送りいたしましょう

 

いやはや本当に

彼らは最期の最期まで

異様に醜く生き汚い

 

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■■■

 

宝石を懐にしまい込んだアズールは、声を頼りにメロウの元へ向かった。

水の中は陸上よりも音がよく通る。探るのは多少骨が折れたが、なんとか無事にメロウと合流することが出来た。

 

「ああ、アズール!よかった…」

 

「見てくれこれ!綺麗だろ!」

 

安堵した声で迎えたメロウに帰還の挨拶もせず、アズールは入手した宝石を自慢する。

わたしがこんなに心配したのにすぐお宝の話なんて、とメロウは頬を膨らませたが、不機嫌な顔も可愛いなと緩んだ顔で頭を撫でられたら怒るに怒れない。

でもお宝に負けたことが悔しかったのは事実なので、メロウはアズールの服をグイと引っ張りアズールの胸の中へと引っ付いた。

そのまま甘えるように擦り寄れば、アズールが動揺したのだろう、大きく跳ねる心音がメロウの耳に届く。

 

「…うん悪かった。心配掛けて悪かった。その、ただいま、メロウ…」

 

バクバク鳴る心音と弱々しい声の差が面白くて、メロウは隠れて小さく嗤った。でもまだ許してあげません。

アズールの言葉にメロウが無言を貫き通せば、アズールからオロオロとした雰囲気が伝わってくる。

アズールは困ったようにメロウの身体を抱き締め、メロウに見せるように宝石を差し出した。

 

「その、これ、メロウの瞳に似てるなって、綺麗だなって、思って、早く見せたくて、な?」

 

そんなに似てるかなぁ?と深い藍色の宝石を見て首を傾げたメロウだったが、必死に言い訳を並べるアズールが可愛いらしくて笑みを浮かべる。

もういいかなとメロウは顔を上げ、アズールの顔を視界に入れた。困った顔可愛い。

ふふと柔らかく微笑んで、メロウはアズールに口付ける。もう許してあげましょう。

 

「行きましょう?ここ暗くて怖いわ」

 

「お、おう」

 

海中だと主導権握られっぱなしだなと、アズールはメロウに手を引かれたまま苦笑した。

可愛いからいいか。

 

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真っ暗な海の底からゆっくりと浮上する。

上がるたびにじわじわと光が差し込み始め、いつもの綺麗な海色が戻ってきた。ああやっぱ落ち着くなと、アズールは海の中から空を見上げる。

ぱしゃんと海から顔を出すと、目の前に広い砂浜が映った。

ただいま陸地とアズールは泳ぎ、ゆっくりと砂浜に足を乗せる。一応ここは砂浜だが、少し先は雪と氷に覆われた場所だ。メロウは大丈夫だろうかとアズールは気遣うように振り返った。

砂浜近くの波打ち際でぱしゃんと尾ビレを揺らすメロウは、少しだけなら大丈夫、と身体を這わせ砂浜に上陸する。

 

「…でもあんまり陸にはいられなくて…」

 

悲しそうな表情でメロウが呟けば、アズールは笑いながらメロウに近付き「これなら大丈夫だろ?」とメロウを抱き上げた。

俗にいうお姫様抱っこをされ、嬉しいやら恥ずかしいやら、メロウは真っ赤になって手で顔を隠した。

辛かったら言えよ、とメロウを抱き上げたままアズールは陸地を進んでいく。ここから仲間たちの元へ行くなら陸を進んだほうが早い。

雪をサクサク踏み荒らしながら歩いていると、突然メロウの様子がおかしくなった。

顔を真っ青にして小さく震えている。

寒いのだろうか、それともやはり陸上は辛いのだろうか。

どうしたのかと口を開いたアズールだったが、その言葉はメロウの声に飲み込まれてしまった。

 

「すみません、クジェスカ様…わたし…」

 

その言葉に目を鋭くさせ、アズールは慌ててメロウの視線の先に顔を上げる。

そこに、いた。

純白のドレスを身に纏い、仮面を着けた人型の悪魔。

魔皇クジェスカがアズールたちを見据え、氷の上に立っている。

供なのだろう、どうみても氷な兵士に指示をしながらクジェスカは冷たい声を奏でた。

 

「裏切り者よ、我が手から逃れられると思ったか!」

 

メロウに杖を突き付けて、裏切り者と罵る魔皇は間髪入れずに魔法を落とす。

そりゃそうだ。己の居住地のすぐそばに、明らかに人間が乗っていたらしき舟が放置されており、それと同時に人魚がひとりいなくなったのならば。両者の死体が揚がっていないのならば、人魚が魔皇を裏切って人間と共に逃げたと判断するだろう。

魔皇がたかが配下の人魚1匹を追うのも不自然だが、裏切りは許さないという見せしめのために姿を現したらしい。

躊躇なく撃たれた魔法を避けようとアズールが動けば、その先には氷の兵士が待ち構えていた。アズールごとメロウを斬り伏せようと剣を振るう。

戦いたいがメロウを抱えながらだとそれも難しい。

多少道から外れてしまうが仕方ないと、アズールは方向転換し雪の森へと逃げ込んだ。

氷を擦り合わせるような音を背後に感じながら、アズールは森の中をひた走る。

途中木だか何かにぶつかりながら、足場の悪い雪森を駆け抜けていった。

逃げる中でも大事な娘の安否は気になるらしく、水がなくて大丈夫だろうかとアズールは必死に声を掛ける。

 

「メロウ大丈夫か!?」

 

「う、ん。平気、アズールは大丈夫?その、走りにくいなら、」

 

邪魔なわたしを置いてって、と言われた言葉は聞こえない。置いていくわけねえだろと奥歯を噛み締め、アズールはがさりと外に向かって飛び出した。

その先は、

 

「っうえ!?」

 

大きな湖だった。森を突き進み、島の中心にある湖に来てしまったらしい。

そこで止まれれば良かったものの、急には止まれずアズールは、そのまま湖の中へと吸い込まれていった。

ドボンと派手な水飛沫を撒き散らし湖の中へ沈むアズールの手を取り、メロウは水中なら任せてと猛スピードで泳ぎ渡る。

氷の兵士は泳げないらしく、湖の淵で右往左往していた。

 

■■■

 

一応危機は去ったと判断出来るまで水中に潜んだアズールたちは、夜になってから顔を出す。

どうやらもう大丈夫そうだ、例えまだ見張りがいたとしても薄暗くて捕まらないだろう。

ほっと安堵しアズールは陸地に上がろうと手を伸ばした。が、近くの村の子供だろう。その子の憤慨したような声を聞き、アズールは慌てて身を隠す。

 

「またやられた!こっちも備蓄には限りがあるのに!」

 

ぷりぷり怒ったような声の主は「海賊なら海にいてよ海に!」と文句をいいながら、焚き木を拾い集めているようだ。

どうやら彼はアズールの仲間たちに、自宅の焚き木を盗られたらしい。

長い棒を持っていることから、一応子供ながらに警戒し武装をしているようだ。

あれほど略奪はほどほどにしろと言ったのに。

アズールは仲間たちを恨んだが子供ならば簡単に殺せるだろうと、タイミングを見計らう。

運が悪かったな、こんな夜遅くにひとりで出歩いているお前がいけない、メロウを人前に出すわけにはいかないんだと剣を怪しく光らせた。

アズールが飛び出そうとした瞬間、その子供がなんかモフモフした白い物体と接触したのを見て慌ててアズールは勢いを殺す。

なんだ?と再度観察を始めたアズールは、目の前にいる生物に目を丸くした。

 

「イエティ…!?」

 

アズールが貴重で高価な毛を持つ品物を見間違うはずがない。

アズールの視界に映ったのは、この辺りに隠れ住むイエティと呼ばれる白くモフモフした不思議な生き物。普段は雪に紛れ、滅多に見かけることはない。そいつが姿を現していた。

敵対生物を見掛けたら暴れまわるイエティだ。あんな子供、一瞬で吹き飛ばされてしまうだろう。

邪魔な子供を始末でき、同時に高価な毛皮も入手できる。よっしゃラッキー!とアズールは思ったのだが。

 

「焚き木集めの手伝いありがとー」

 

のほほんとした声が聞こえ、少年がイエティにもふんと抱きついた。

なんであのガキ近寄れんの!?

和気あいあいと戯れる少年とイエティの絵面を見て、信じられないとアズールは目と口をあんぐりと開く。

毛皮が高く売れるせいか襲われることの多いイエティは、警戒心が非常に強かった。人間を見ただけで逃げ出し、逃げられないと気付くや否や暴れまわる生き物なのだ。

それが、人間の子供と仲良く戯れているなど、ありえない。

 

「きみも狙われたみたいだし、今度海賊を見掛けたらちゃんと追っ払うからね。大丈夫だよ、ぼくがきみを守るから」

 

イエティのモフモフな毛を堪能しながら少年がそう言うと、イエティのほうも嬉しそうに鳴き声を響かせ近くにある木をドスンと叩き折った。

そんなイエティを見て少年は「そう?ありがと!一緒にやっつけようね」と弾んだ声をあげる。

どうやらイエティは、自分も戦うとでも言ったらしい。

少年とイエティの恐ろしい宣言を耳にしたアズールからさっと血の気が引いた。

ヤバい殺される。

あのガキはなんだイエティ保護派かなんかか、アレと意思疎通出来るとかバケモンか。アレを使役出来るとか何モンだあのガキ。

だらだら脂汗を流しながら、ここに上陸するのはマズいと判断し、アズールはメロウに移動の意思を伝えた。

アズールが何に慌てているのかよくわからなかったものの、メロウはこくんと頷いてアズールの手を取り湖を移動し始める。

静かな夜の湖で、ふたりぶんの水を切る音だけが響いていた。

 

アズールたちが陸地から離れたあと、不思議そうな顔をして先ほどの少年が湖のほとりに姿を現わす。

何か音がしたんだけどな?と辺りを見渡し小首を傾げた。

そんな少年に「ばふぉ」と窺うような鳴き声が掛けられ、少年は「気のせいだったみたい」と明るく声を掛け不安そうな友人を落ち着かせる。

少年に声を掛けられ安堵したのか、イエティは嬉しそうに少年に駆け寄り寄り添った。

「夜の湖もきれいだね」とイエティに寄りかかりながら少年は幸せそうに呟く。

モフモフあったかい。

 

少年はイエティを使役しているわけでも従えているわけでもなく、ひょんなことから友人となり隠れて頻繁に会いに来ていただけ。

当人は気にしていないのだが、イエティと友情を育んでいる様子は第三者から見たら異様に映る。故に海賊も勘違いしたようだ。

まあともあれ、珍獣だろうとなんだろうとあっさり懐に収めてしまう心の広い少年の話は、いつかまた。気が向いたら。

 

 

■■■■

 

夜通し泳いでようやく辿り着いた離れ小島でアズールは目を覚ます。

昨日は無駄に疲れたと大きく伸びをすれば、「おはようアズール」と柔らかい声が掛けられた。

アズールも挨拶代わりに頬に口付け、今日も逃げるかと笑いかける。

しかしながらこの島は人通りは皆無の離れ小島。魔皇の追っ手から逃げるためにも、仲間たちの略奪で荒れたであろう陸の住人から隠れるためにも丁度良い物件だった。

しばらく、ほとぼりが冷めるまでここにいてもいいかもしれない。

そう考えたアズールは、その旨をメロウに話す。

メロウも「あなたと一緒にいられるなら、どこでも」と了承してくれたので、しばらくこの島にとどまることにした。

 

数週間後、そろそろ大丈夫だろうとアズールは仲間たちと合流するため、小島を離れる。

イカダでも作ればよかったのだが、メロウがいるため必要ない。海を渡るならば引っ張って貰ったほうが早いのだ。

この数週間、ただイチャイチャするだけの日々だった。天国かな?

小島に着いた時よりつやっとしたアズールは、元気いっぱいに船を停めた陸地へ足を踏み入れた。

人前に人魚が姿を現わすのはマズいとメロウを海に残し、アズールは船へと向かう。

と、船の側で仲間たちがたむろっていた。悪さをした仲間たちが追われ、船の近くまで避難していたらしい。

だろうなと呆れながら、アズールは自分に気付いた仲間たちにため息を漏らす。

以前伝え聞いた悪さ程度で収まる奴らではない。

狼藉を働いたらしき仲間たちにゲンコツを落としながら、アズールは「やりすぎんなっつっただろ」と腕を組んで威圧した。

 

「こういう時はバレないようにやれよ。こっそりやるのは性に合わねえだろ?皆殺せば罪も罰もなくなるじゃねえか」

 

海賊らしい台詞を吐きながらアズールは、海賊たちの見張りだったのであろう、近くに隠れていた陸地の住人に嗤いかける。

海賊たちを追い出したい住人たちだったが、下手に歯向かえば殺されかねない。憎々しげな瞳を向けつつも押し黙っていた。

こんな目を向けられるのは気分が悪い。頭を掻きながらニヤリと嗤い、アズールは仲間たちに問う。

 

「あー、そうだな。ムカつくからもう出航するか」

 

ここに居残るのと人魚が付く船とどっちがいい?

そんなアズールの言葉に、仲間たちは混乱した顔を見せた。人魚だと?とザワザワ淀みが広がっていく。

会いに行くか?とアズールは仲間たちを引き連れ、メロウの所へと歩いて行った。

 

砂浜に到着した海賊一行は、アズールの呼びかけに姿を現した人魚に驚愕する。

それは人魚、つまりはメロウも同じだったらしく、海賊たちの姿に驚いてアズールの背に隠れてしまった。

 

「お頭、それは、」

 

「俺の嫁」

 

自慢げにメロウを撫でながらアズールは言い放つ。

嫁だということは品物や食料ではなく、生きたまま傍に置くつもりなのだろう。それに気付いた仲間たちは、次々に疑問の声を上げた。

それに対し答えを返し、説明し、最後に「メロウがいたから入手出来たお宝」を提示すれば徐々に反論の言葉は減っていく。

最後まで苦い顔をしていたヨルドは、ふと人魚の姿を眺め目を丸くした。

 

「ちょっと待ってアズール。この人魚妊娠してない?」

 

「えっ?」

 

ヨルドの言葉に驚いてメロウに顔を向けるアズールだったが、メロウ本人も驚いて己の胎に手を当てている。

いろんな意味で呆れるヨルドだったが、困ったように頭を掻いた。

船長の子供を宿した人魚を、殺すわけにも捨てるわけにも売るわけにもいかない。

連れて行く以外の選択肢がなくなったと、ヨルドは仲間たちに説明した。

トドメとばかりにメロウがおずおずと「人魚の唄を相殺できるから、船は沈まなくなる」と語れば、空気は「仕方ないか」という雰囲気に包まれる。

 

「ふ、船には乗れなくていいです。ただ、えっと、アズールと一緒にいさせてください…」

 

潤んだ瞳でメロウがそう訴えれば、数人が落ちた。その数人に対しアズールが人が殺せそうな目付きで睨みつけていたが置いといて、多少騒ついたが人魚を同行させることで一致となる。

嬉しそうに微笑んだメロウに、アズールは同じく嬉しそうに笑いかけ「そっか、子供がいるのか」と頭を撫でた。

そして仲間たちに向き直り、

 

「俺らは家族さ!楽しくやろうぜ!」

 

と白々しい言葉を吐きながら満面の笑みを向ける。

苦笑する海賊たちのなかで、ヨルドだけが難しい顔をして立っていた。

「ああ、そうだアズール。さっき見せてくれた宝石、あまり表に出さない方がいいと思うよ」と、それだけ忠告してヨルドはふらっと持ち場に戻る。

どうせ何言っても聞きゃーしないんだろうけど。

 

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■■

 

海賊団のなかでも人魚に嫌悪感を示し去っていった者も数人いるが、概ね何事もなく日々が過ぎる。

そしていよいよメロウの出産の日を迎えた。

母体が人魚であるため水中出産。

甲板をそわそわと落ち着きなく歩き回るアズールに、「人型だったらどうするのさ」とヨルドが小舟を用意しアズールを蹴り込んだ。

ヒトだったら船の上、もしくは陸上で育てなくてはならない。産まれたら引き揚げてこいとアズールを送り出す。

アズール立会いのもと、メロウの出産が始まった。

 

数刻を経て、胎から子供が産まれてくる。ぷかりと浮かんできた赤子をアズールが引き揚げれば、アズールと同じ肌の色、メロウと同じ髪の色の子供。アズールと同じ瞳をした、姿形は人間の男の子だった。

アズールが抱き上げた瞬間堰を切ったように泣き出す赤子に戸惑ったが、小さな手足をばたつかせる小さな柔らかい生き物にアズールの父性が刺激される。

沈めないように赤子の身体を洗い、おくるみに包んで抱き上げれば落ち着いたのか赤子はすやりと目を瞑った。

苦労を押して出産した母親であるメロウを労おうと海に目を向ければ、メロウは未だに苦しそうな顔をしている。胎を確認すればまだ大きい。

まさかもうひとりいるのか。

戸惑うアズールを尻目にメロウは再度いきみ、もうひとりの赤子を出産した。

混乱しながらはじめの子を転がらないように固定してから船に置き、ふたりめの赤子を引き揚げる。

今度はメロウそっくりの肌色にメロウそっくりの髪色、瞳の色もメロウと同じ女の子。外見はメロウと同じだが、この赤子には二本の足があった。

兄である赤子が人魚の血を引く人間ならば、妹であるこの子は人間と人魚のちょうど真ん中、ハーフマーメイドとでも言えばよいのだろうか。

新種かもしれねえと混乱しながら、アズールはたどたどしい手つきで産後の処置をしていく。

今度こそ胎のへこんだメロウを労い、アズールは負担にならぬようそっとメロウの頭を撫でた。

 

「お疲れメロウ。よく頑張ったな、ありがとう。産まれた子はふたりとも元気だ」

 

アズールのその言葉に疲れ果てぐったりとしながらも、メロウは嬉しそうに優しく微笑む。

そのまま精根尽きた顔で目を閉じたメロウを、アズールはいつまでも撫で続けた。

これまで経験のない大仕事を終え、頑張りぬいた嫁を労わるように、偉かったなと褒めるように、ずっと。

 

メロウの介助と赤子たちの世話のため、アズールは船には戻らず小舟の上で夜を明かす。

母親と同じように眠る、同日に産まれた我が子たちを見てアズールは柔らかな眼差しを向けた。

男の子だったこの名前、女の子だったらこの名前、とメロウと一緒に考えていたがすぐに両方使えるなと嬉しそうに笑い、

 

男の子のほうに「ダンテ」

女の子のほうに「ポワン」

 

と名付け、アズールは我が子たちを両手に抱え上げる。

己が腹を痛めて産んだわけではないせいか、実感というものは非常に薄い。

どう接すれば良いのか、どう扱えば良いのか悩みつつも、我が子の重さを腕に感じた。

抱え上げた赤子は小さくて、弱々しくて、柔らかくて、暖かい。

簡単に折れてしまいそうな小さな命に、こんな也でも懸命に生きようとする生命に、愛おしさが湧いてくる。

ほんわかと我が子をあやしていると、ポワンのほうがアズールに向けて手を伸ばし微笑みを向けた。

まだ目も見えていないだろうし、意識して微笑んだわけでも手を伸ばしたわけでもない。赤子の本能で身体を動かしただけだろう。

それでも我が子のその姿にアズールは胸をときめかせる。

かわいいな、と頬を緩ませアズールはこいつらを守ろうと心に決めた。

アズールが父親となった瞬間だった。

 

■■■

 

子供が産まれて数日、アズールの海賊船には大きな泣き声が響き渡っていた。

この小さな身体からどうやってこんな大きな音を出しているのかとげっそりしながら、アズールは船の横に並走させている小舟に降りる。

 

「メロウ〜、泣き止まねえ〜」

 

アズールが泣きそうな顔で母親にヘルプを求めれば、メロウはちゃぽんと海から顔を出しクスクス笑いながらアズールの頭を撫でる。

大丈夫よと母親の顔でアズールを慰め、メロウは我が子に顔を向けた。ギャンギャン泣き喚く子供たちを、落ち着かせるように歌を歌う。

子供がぐずった時はメロウの歌が一番だなとほっとしつつ、俺じゃ駄目なのかと少しへこみつつ、アズールは歌うメロウと我が子を幸せそうに見つめた。

なんだろう、この一家団欒感。

こんな日がこれからもずっと続けばいいのに。

 

そんなことを思った矢先、

メロウがいなくなった。

 

呼べど探せど姿を見せない。

突然夫と子供たちを捨てて、どこかへ行ってしまった。

パニックになるアズールに対し、ヨルドが言う。

「人魚って帰巣本能が高い生物なんだよ」と。つまりは本能に抗えず、海に還ったのだろうと。

そんなヨルドの言葉をアズールは否定する。

 

「あいつが俺たちを捨ててどこかへ行くはずがない」

「きっと何か理由があるんだ」

「ああそうだ、クジェスカが俺らの幸せを妬んでメロウを拐ったに違いない」

 

ひとりでそう決めつけて、アズールはメロウを取り返しに行くと言い張った。

そんなアズールの意見に仲間たちは首を振った。嫌だ、と。

人魚は本能的に還った可能性が高く、犯人であるか不明瞭な状態で魔皇に喧嘩を売る気はない、と。

海賊たちがそう判断するのは当然なのだがアズールは理解出来ない。

大事なひとが拐われたのだから、助けに行くのが、取り返しに行くのが当然だと。

海賊たちの制止も聞かず、船から小舟を奪い魔皇の元へと飛び出してしまった。

 

「待ってくださいお頭!」

 

そんなアズールをアンカーが慌てて追い掛けていく。

ふたりが海の彼方へ消えた頃、残された海賊たちは各々呆れたような表情を作り持ち場に戻った。

「このガキどうするかな」とひとりの海賊が、元船長の置き土産を見下ろし呟く。

育てる義理はない。掟を破ったつまり海賊であることを辞めた奴の子供なのだから。

海にでも捨ててしまおうかと、海賊はひょいと赤子を持ち上げ笑った。

泣き出す赤子を煩そうに睨む海賊だったが、その表情はすぐさまキョトンとした顔に変わる。

ヨルドが持っていた赤子を横取りしたからだ。

赤子をあやしながらヨルドは笑う。

 

「今この子たちを処分したら、もし万がいちアズールの言ったことが事実で、もし万がいちアンカーと一緒にここに戻ってきたとき、ボクら全員殺されるよ?」

 

アズール喧嘩だけは強かったから、だからキャプテンやってたんだし、とヨルドが付け足すと海賊はバツの悪そうな表情となった。

実際そうなるだろう。たとえここにいる海賊たちが全員で襲いかかっても、アズールとアンカーのコンビに勝てる可能性は低い。

しかし航海するにあたり、赤子が邪魔なのは事実だ。何の役にも立たないのだから。

 

「うん、だからボクがこの子たちを連れて陸に降りるよ」

 

へらっと笑ってヨルドは、仲間たちに提案する。

小舟はアズールとアンカーが盗っていってしまったから、陸まで運んで欲しいと。仕方ないかと海賊たちは船を走らせた。

 

甲板でヨルドは赤子を抱いて、流れる雲と空に目を向ける。

アズールもこの子たちも気付かなかったのだろうか、この子たちを見る人魚の目が嫉妬に染まっていたことを。

あの人魚は我が子に対して愛情よりも、嫉みのほうが強かった。

そりゃそうだろう。

この子供たちは人魚が欲して止まなかった、二本の足を生まれながらにして持っていたのだから。

兄のほうはまだマシだ。父親と同じ姿形だったのだから。

問題は妹のほう。己と殆ど同じであるのに、ヒレではなく足を持っていた。

足を持っているから、ずっと陸地にいられる。ずっと傍にいられる。

理想の姿が目の前にあったのだ、妬まないはずがない。

 

だから人魚は姿を消した。

人間になりたいという欲が再燃したから。

 

やはり面倒臭い種族だとヨルドはため息を吐く。

己の欲を優先し、己のことしか考えない。乳飲み子を捨て子育てを放棄し、己の欲のために動く生き物、獣以下だと吐き捨てた。

そのままヨルドは抱いている赤子に目を落とす。

 

母親には愛されず妬まれ、

父親からは母親以下の愛情しか持たれず、

海賊たちには疎まれ邪魔者扱いされた。

産まれた瞬間から

誰にも愛されない哀れな子供

 

せめて母親が、真っ当に母親やってくれればよかっただろうに。

確かに育児中の母親に息抜きは必要だが、毎日まともに子育てせずぷかぷか浮かんでいただけの魚。

飯やぐずったときだけ世話をし、その唯一の時間でさえも嫉しそうに子供を見る。

最後には乳飲み子を置いて、己が欲を満たすために姿を消した。

 

「なんのために生まれてきたんだろうね、キミら」

 

ヨルドは迫り来る陸地に目を向けながら、ぽつりと呟く。

異物が無理矢理混ざってきたから、海賊団はバラバラになってしまった。

もうこの海賊団はアズール海賊団とは呼べない。アズールがいたから己はここにいたのだ。その当人が団を捨てたのだから自分はもうここにいる意味はない。

大事な居場所を潰したあの魚には恨みしかないがアズールには世話になったから、その年月だけなら子供たちを世話してやろう。

そう思いながら、ヨルドは大きくため息を吐いた。

 

■■■■

 

ヨルドが陸地に着いた頃、アズールたちも魔皇の神殿に到着していた。

着くや否やアズールは怒鳴り声を上げる。

魔皇を完全に犯人だと決め付け、迷惑なクレーマーのように入口で喚いていたら、すいと神殿から人影が現れた。

魔法使いのような風貌で、フードを被った女性。

魔皇の配下にこんな女いただろうかとアズールは首を傾げたが、魔法使いが杖を構えたことで敵だろうと判断する。

刃を構えたアズールに対し、魔法使いは「アイス」と氷の魔法を撃ってきた。

 

その声に、聞き覚えがあった。

 

それは忘れるはずのない愛しい娘の声にそっくりで、驚いたアズールは回避が遅れ、彼女の撃った魔法弾を見事に腹で受け止める。

その場に崩れ落ちるアズールだったが、彼女から目を離さない。

倒れながらも覗き見れた彼女の顔は、メロウそっくりだった。

 

「メロウ…!」

 

息も絶え絶えに彼女の名前を呼べば、彼女は冷たい目でアズールを見るばかり。

動かないアズールを見て彼女は「クジェスカ様、敵を排除いたしました」と機械的に言葉を発し、スタスタと神殿の中に帰っていく。

腹に受けたダメージとメロウらしき女の態度にショックを受けたアズールは、そのまま意識を手放した。

 

子を捨て夫を捨て、

家族を捨てて

己の欲を叶えた彼女は、

何もかもを忘れていた。

 

家族は彼女の欲に負けた。

彼女にとって家族とは

欲を叶えるためなら捨て去れるものだった。

それだけのことだった。

 

■■

 

意識を失ったアズールが目を覚ますと、目の前に厳つい男のドアップが映し出された。

 

「ぎゃ!?」

 

「お頭!」

 

なんか昔も似たようなことやったなとアズールが逃げ腰になりながら冷や汗を流せば、厳つい顔が安堵したように緩む。

ようやくお頭に追い付いたと思えばぶっ倒れており、肝が冷えたとアンカーは頬を掻く。

大丈夫ですかい?と尋ねるアンカーにアズールは言葉を濁して目を伏せた。

メロウそっくりの女を見かけた、ただその女には人魚ではなく足が生えていた、俺の呼び掛けに答えてくれなかった、とアズールが語ればアンカーは悩むように腕を組み、ポンと膝を打ってアズールに笑い掛けた。

 

「なら確かめに行きましょうや!奥方かそうじゃないか、ちゃんと話せばわかるでしょう?」

 

にっかりと笑ったアンカーに引っ張られ、アズールも「そうか、そうだよな」と立ち直る。

あの女は神殿の中に入って行った。ならば地の果てまでも追い掛けようとアズールは腕を回す。

それでこそお頭!とアンカーは豪快にアズールの背を叩き「派手に行きましょうや!」と錨を構えた。

 

神殿に潜入し、見張りを倒しながら先に進むがなかなかメロウは見つけられない。アズールたちの通った道には、氷の残骸だけが残されていった。

あちこちで兵士たちを崩しながら奥へと進むと、ようやく裏庭らしき場所で件の女性の姿を捉える。

再度見てもあれはやはりメロウ。例えるならば、人間になったメロウ、とでも言おうか。

「メロウ…」とアズールが声を漏らせば、件の女性は怪訝そうな表情でアズールを睨み付けた。

 

「またあなたなの?何故私に関わろとする!?」

 

「メロウ、どうしちまったんだよ…。俺だよ、俺!」

 

必死に己をアピールするが、メロウは嫌そうな顔をするばかり。覚えのない相手に彼氏面されれば、誰もがこういった反応を示すだろう。

アズールの存在そのものを不快だと言わんばかりの態度に、アズールは泣きそうな顔となる。

鬱陶しいと言いたげに、メロウは氷の広範囲魔法を放ってきた。完全にアズールを敵だと判断している。

その魔法を避けながら、アズールは考えた。

 

コレは、メロウではないのではないか、と。

 

姿形を似せただけの偽物ではないか、こうすれば俺はこの女を攻撃出来ないから。

コレは偽物で、本物はどこかに捕らえられているのではないか。

そう、思い込んだ。

冷静に考えれば、魔皇が海賊ひとりに対策を立てるはずもなく、たかが人魚1匹に偽物を作る必要性はないと気付くのだが、己を世界の中心だと思い込んでいる自意識過剰な海賊にはわからない。

ただの妄言を事実と認識し、アレを倒せば本物が助けられると思い込んだ海賊は、一太刀で"偽物"のメロウを叩っ斬った。偽物はいらないと言わんばかりに。

魔法使いが海賊に武力で敵うはずもなく、その一太刀は彼女にとって致命傷となった。斬り裂かれた肌から熱を感じ、赤い血で雪と氷を染めながら彼女はふらりと膝をつく。

急激に温かさを失った彼女の体は、もはやほとんど動けない。ただ体が冷えたことで、彼女は"以前"の感覚、冷たい魚であった頃の感覚を取り戻した。

己が欲に溺れ、全てを忘れた薄情な彼女は、死の間際にようやく少し思い出す。

 

「ああ、なんてこと…」

 

今後悔しても、今気付いても、もう遅い。

魚は魚、人と同じ道は歩けない。

それにようやく気付いた彼女は、小さく子供たちの名を呼んで息を引き取った。生の苦しみを押し付けながら。

 

■■

 

偽物を倒しても本物は現れない。

焦るアズールの前に、凛と冷たい空気が流れた。

ヒュウと雪風を纏わせて、氷の女王が姿を現わす。倒れているメロウをちらりと見下し、つまらなそうに記憶から消した。

最初から最後まで己のことしか考えない、愚かな魚だった、と。コレが我が配下であったことは恥でしかない。

冷静に笑うクジェスカを見て、顔を真っ赤にしながらアズールは怒鳴り散らした。

 

「メロウを、メロウを返しやがれ!」

 

アズールの言葉に苦笑しか出てこない。魚と思慕を交わした結果、頭の中まで魚のようになったのかと。

貴様が求める大事な魚は、今さっき己の手で刺身にしただろうに。

滑稽すぎるアズールの姿を見て、クジェスカは堪えきれず笑い声を外に出した。

 

「アハハハハハ、愚か者よ!」

 

これが笑わずにいられようか。ただの茶番を悲劇のように振る舞われ、乾いた笑いしか生まれない。

ひとしきり笑ったクジェスカは、ふんと口の橋を歪ませた。

よかろう、そこまで望むならば叶えてやろう。

私が一緒にしてやる。あの世でな。

 

なんせ根拠もなく犯人扱いだ。不愉快にもほどがある。

あの魚は自らここに戻ってきたのだ、クジェスカが所有していた秘薬を盗みだすために。

魚に足を生やす薬。自然の摂理に逆らう薬。

そのせいか代償として大事なものを支払う必要があった。ものによるが大半は声を喪うか歩くたびに激痛が走る。声も歩行も大事なものだから。

あの魚は、記憶を代償にしただけ。大事なものの記憶を綺麗さっぱり代償にした。まあそれは己の名前すら忘れていたことからわかるだろう。

あの魚は己のことが一番大事だったのだから。

 

秘薬のことは教えてあった、代償が必要なのも知っていたはずだ。

大事なものを喪ってもいいと思ったから、あの魚はあの秘薬を飲んだのだ。

足を生やすことは、大事なものを捨て去っても得たいものだったのだと、己の行動で証明してみせた。

最後に思い出したらしい、一番大事ではない記憶が子供のことだというのも面白い。

まあきちんと姿が見えていなかったから、愛情が薄かっただけだろうが。

そんな薄情な魚の、どこが良いのだろうか。人間とは滑稽な生き物だなとクジェスカは笑う。

 

「ああ、貴様に子供がいるのなら、貰ってやっても良い。ちょうど配下が1匹潰れたことだしな」

 

愚かな魚と愚かな人間の子供、どう足掻いても愚かな生き物としてしか成長しないだろう。ピエロとして置いても面白そうだ。

ケラケラ笑いながらクジェスカが言ったそれは、アズールの怒りを買うのに十分だった。

怒りのままにアズールはとある宝石を手に収める。

ヨルドに忠告され気になって調べてみたところ、この宝石は呪宝と呼ばれる類の代物だった。使ったが最後、身体が変質し元の姿には戻れなくなる。

出来ればこいつは使いたくなかったが、嫁を貶され子供たちを馬鹿にされた。

ならば躊躇する必要はない。呪宝を構え、アズールは最後に「人間」として言葉を遺す。

 

「…ダンテ、強い男になれよ。ポワン、兄ちゃんを頼むぞ…」

 

それは、もう二度と人間の姿では会えないであろう子供たちへのメッセージ。

この場にはアンカーがいるのだ、いつかちゃんと伝わるだろう。

アンカーに退避の指示を出し、アズールは呪宝を使った。

その瞬間、彼は波に包まれ身体が変質し始める。

 

いつか昔、願った通りに。

水の中でも自在に動けるような

水の中でも眠れるような

愛しい彼女と同じ場所で過ごせるような

水に特化した魔族の姿に

 

人間だったときの意識は、波に流されたかのようにほとんど掻き消えていた。

それでも唯一、最後に思ったことだけはアズールの中に燻っている。

「俺様の大事なものを貶したクジェスカを、ぶっ飛ばす」

その気持ちに従って、アズールは思い切り拳を振るった。

 

素手での喧嘩は慣れている

たしか、どこだったかな、あれは

仲間がたくさんいた、場所で

わいわいと、

武器は無しだとルールを決めて

戦って、勝って、勝って、勝って

 

『よっしゃ!俺様がキャプテンだ!』

 

最後まで立ち続け、

拳を天に掲げたのは、

天に掲げた拳を見ているのは、…

 

ぼやけた記憶と、今の己の姿が重なりじわりじわりと上書きされる。

 

仲間がいたんだ、俺には

あいつらどこいったかな

早く見つけなくちゃ

早く集めなくちゃ

俺は、

キャプテンなのだから

 

仲間を増やして

お宝探しに出掛けよう

俺の庭を、この世界の全ての海を暴れ回ろう

休むところも必要だ

今度は、陸地も奪ってやろう

…今度?

今度、とは、何故だろうな

 

静かになった神殿の中で、魔族がひとり立ち上がる。

疲れたと言わんばかりの表情で、ふらふらしながら神殿の奥へと歩を進めた。

今は眠りたい

どうにも頭が痛く身体が安定しないと、休める場所を探して水の魔族は姿を消した。

 

近い未来、彼は海も陸も支配する。

その傍若無人っぷりから、魔王と呼ばれるモノになるだろう。

他の人間からみれば、我が物顔で暴れ回る厄介な生き物。

街も国も海も壊し何人も殺し、大陸の全てを奪って行く。

けれどそれは、昔の記憶に沿って動いているだけだったのだと知るものはいない。

彼はただ「海賊」を続けていただけなのだ、と。

 

 

 

■■■■

 

「アズール」が帰ってこないまま、数年が経った。

最近は雪も溶け、青い空が頻繁に顔を覗かせている。

そんな空を見上げるヨルドの服が、つんと引っ張られた。

 

「…」

 

「ん?どうしたの、ダンテ」

 

あの時赤子だったダンテは、ひとりで歩けるほどには大きくなっていた。

そんなダンテが不思議そうに首を傾げ、ちらちら海に視線を向けている。

うん?と首を傾げ、ヨルドは周囲を見回し気付いたように頷いた。

 

「人魚は帰巣本能が強いからね。妹ちゃんのほうは海に還ったんだよ」

 

キミも遅かれ早かれ還るかもね、と笑いヨルドは「海は魚たちのものだから。自分から帰ったなら追わないことだよ」とダンテの頭を撫でる。

 

「しかし早いな。流石そっくりなだけあるね。…伝えそびれちゃったな」

 

ダンテに目線を合わせ、ヨルドは優しく微笑んだ。

キミのお父さんはね、飲んだくれでギャンブル狂の人だったけど喧嘩だけは強かったんだ、と前置きして、アズールからの伝言を教える。

 

『ダンテ、強い男になれよ』

 

アズールの最期の言葉を伝えればダンテはキョトンと首を傾げた。

クスクス笑いながらヨルドは妹ちゃんには「ポワン、兄ちゃんを頼むぞ」だったよ、と言葉を教える。

まだ難しかったかなとヨルドが笑えば、ダンテはムッとしたように頬を膨らませた。

 

「つよく…」

 

ぽつりと小さく呟いてダンテは己の拳を見つめたあと、空に、そして海へと顔を向ける。

よくわからないが、ならばそうなってやろうと決意するように、ダンテは父親とそっくりな笑顔を浮かべた。

そうして数年後、ダンテは強くなるために強そうな奴に喧嘩を売り始めるのだが些細な話。

そんなダンテを見て、ヨルドは嬉しそうに、そして寂しそうに微笑んでいた。

 

 

■■■

 

 

■■■■

 

悲劇だと、しつこいほど仰るので。

 

一応そうなるようにと仕向けましたが

どうにもなりませんね

元より悲劇でもなんでもないものを

喜劇にしかならないものを

悲劇にするのはやはり無理がありますよ

 

いやはや度し難い度し難い

 

だから

どれだけ取り繕っても

全て滑るように宙を舞い

そこかしこが破綻するんです

語れば語るほど

悲劇から遠くなる

良い家族から離れていく

貴方はそれがお望みですか?

 

適度な困難で悲劇にうっとり

締めは私だけ幸せ

美しく死に逃げ

軽く説教をかまして

見事に純愛で隠される

ヒロインの欲望

その辺のあざとさを

文芸か純愛の香りでうまいこと隠す

 

そんな物語は

誰の心にも響きません

泡のように消えるだけ

 

さてさて、

もう良いでしょう?

次は、海の騒ぎは潮風に消して

気が向いたら

雪と氷の大地を見て回りましょうか

滑らぬよう

気を付けて

 

next?

 

 


 
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