No.861230

夏の夜空の真ん中で、AIに一途なやさしいキスを 第二章

http://www.tinami.com/view/856126  のつづきです
十章で終わる予定ですん

つぎ http://www.tinami.com/view/868292

2016-07-31 21:52:32 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:423   閲覧ユーザー数:423

 

 

 暗い。

 

 

 意識が霞んでいた。ソウルサーキットに、十分な電力が回っていない。このままだと、俺は救いを待ちながら電力が切れるのを待つしかない。

 一体何が起こったっていうんだ? ラームが突然俺を、それで……だめだ、考えられない。意識が消えてゆく。龍子、ソ連ロボットが俺をふきとばして……もういしきがき、えて、なにも、わから……

 電源が切れる寸前だった。カッサードの頬に、柔らかい何かが触れた。

 束の間のラグを置いて、カッサードの電源は回復し始める。五感が蘇えり、ビジョンモニターに景色が映る。目の前にあったのは、俺をのぞき込む女王陛下の顔だった。真っ赤に染まったその頬と、唇から洩れる安堵の吐息。

 

「あ、あんた今、俺の頬に何を」

 

「言わないし、言わないで」

 

 女王は唇に人差し指を当てた。……機械にも、恥ずかしさがあるのだろうかね。

 ビジョンモニタで時刻を確かめた俺は、ソウルサーキットの中で悪態をついた。ちくしょう、一時間も気絶してたのか。龍子はどうなった? はやく助けないと。いや、それよりも……まずは現状の把握だな。俺は女王に問いかけた。

 

「さっき、俺はあのロボットに千六百文パンチされたんだが、何が起きてる」

 

「テュランノスが攻撃を開始した。ラームのAIを我が物にしようとしている」

 

 森の隙間から時折、鈍い振動と、木々がなぎ倒される音が伝わってくる。奴は島の集落に向かっているらしい。

 

「でもな、カッサードの関節がひん曲がっちまってる。俺にはどうすることもできないぜ」

 

 俺は、逆方向に曲がった左脚を右アームで指し示す。すると、女王はひとつ咳を払ってから、指を鳴らした。森の奥から、一体の召使ロボットが現れる。召使ロボットは首なしのボディから、ひょろ長い四肢を生やした、無機質な姿をしていた。そんな彼は胸に、人間そっくりの人形を抱えていた。それは今まで見たことが無いほど精巧な、『女性型』アンドロイドだ。オレンジがかった長い髪は、白い肌と紅の制服に映える。その真っ赤な制服とスカートは、黒いポケットと金色の縁取りが施された豪華なものだ。瞼を閉じたままの美貌は、凛として精巧な彫刻のようだった。

 俺はひとつの可能性に気付く。おい。……その女性型アンドロイドを俺に?

 

「お、おいまさか」

 

「そのまさかだよ。カッサードの代わりにこのアンドロイドをつかって、ラームを止めてよ。このまま暴走させれば集落がどうなるかわからない」

 

 俺は女王陛下に不満をぶちまけた。

 

「ちょっと待った! 俺に女になれっていうのか、あんたは!」

 

「待った待ったじゃ、日が暮れる。今のピンチに男も女もないでしょ。さっさとこの美人にジャックインして世界を救ってよ」

 

 女王に似た顔立ちのアンドロイドは、確かに言いようもなく美人だった。ただし制服のトップは、詰襟の紅い制服に派手なマント。ボトムズは短いスカートの下にニーソックスと来た。これが、俺の身体になるだって? 冗談じゃない! ……ホントに冗談じゃないんだよなコレ。……ああもう!

 カッサードの右腕で、アンドロイドの右手を握る。本当に人間と変わらない肌触り。これが俺になる。嫌だよそりゃ。でもさ、龍子を見殺しにしてラームを放置するより、ずっといい。俺は、観念した。

 

「あーもうどうにでもなれってんだ! ジャック、イン!」

 

 カッサードを棄てて、俺は女アンドロイドへ没入した。自我がいったん解体され、新たなソウルサーキットへと吸い込まれてゆく。

 シーケンス制御と意識認証がすんなり上手く行くと、ビジョンの計器コンソールが目の前で瞬き始めた。数値を観測しながら、アンドロイドは自動で立ち上がり始めた。モーター出力も五感装置も、市販のアンドロイドとは段違いだ。水素電解バッテリーにも、五倍以上のエネルギーゲインがある。

 

 レディコードが、アンドロイドのビジョンモニタに映った。

 

『ミツキ』

 

 カタカナにした俺の名前を使うとは、悪趣味なああああ…… 俺は腹をくくって叫ぶ。

 

「ミツキ! ゲットレディ!」

 

 その瞬間『あたし』は、ミツキになる。

 舞い戻ってきた現実が、緑色の瞳に映る。壊れかけのカッサードと、膝立ちの女王陛下。そして、熱風で揺れる亜麻色の長い髪。目の前に突き出した両手はカッサードのスチール製アームではなく、白く透き通った女の手。あたしのアイデンティティが、崩れてゆく音がどこかで聞こえた。

 

「ああ、これがあたしなのかよ。やっぱ嫌だ。……って勝手に一人称が勝手に『あたし』になってんだけど! なんでだよお!」

 

「四の五の言わない。ミツキはまだ未完成だけれど、あなた好みのカスタマイズは済ませてある。レーザードライバーにナックルハンマー(釘打ち)、両手付け根には、スプリングワイヤーが十本仕込んである」

 

 太ももに括り付けられたホルスターから、ミツキのレーザーカッターを引き抜いてみる。でかくて重い。元になった拳銃は、日本じゃまだマイナーな『ウィルディマグナム』だった。強力なマグナム弾仕様のレーザーカッターは、戦車を軽く貫通する威力を持っている。それでも一応工具だ。一応。シルバー仕上げがいやにまぶしい。

 弾倉を確認して、あたしは安全装置を外す。未完成でも両脚はあるんだ、やってやるさ。もー、ヤケってやつだよ! クールな声で、女王はあたしに下命する。

 

「頼むよ。ボクの偽物使いさん」

 

 こうなっちまったら仕方ないんだ。ミツキは敬礼の真似事で応えた。

 

「roger!  My Lord!」

 

 あたしは踵を返し地面を蹴り上げた。ミツキが百メートルほど舞い上がる。すごいパワーだ……! ラームが暴れ始めている光景が、森の奥に見えた。ミツキは二度、三度と跳躍を繰り返し、その方角へと近づいてゆく。

 

 

 

 

 光希の肉体を背負った龍子は、入り江を離れた山道を走り続けていた。

 その後ろからは、追手と化したガードロボットが迫りくる。四輪タイヤと四本の腕をもつそれは龍子の足よりもよっぽど速い。

 

「こないで!」

 

 龍子はありったけの幻影を放ったらしい。ガードロボは幻影に惑わされ同士討ちを始めた。その間にも、次から次へとガードロボは殺到し、龍子から逃げ場を無くしてゆく。

 

「みつきの身体は守るって、約束したんだから!」

 

 幻影投射の力でも、ガードロボどものロボ海戦術を食い止めるに、限界があった。とうとうガードロボの雪崩が、龍子に降りかかる。

 その瞬間。寸でのところであたしの跳び蹴りが、ガードロボ軍団を刎ね飛ばした。

 

「女王親衛官ミツキ。およびとあらば即参上ッ!」

 

 あたしは風を巻き上げて、龍子のそばに着地した。

 

「しつこい男は嫌われっぞ!」

 

 残りのガードロボにスプリングワイヤーを叩き付け、なぎ倒す。こけたガードロボが絡み合って立てないうちに、あたしは龍子を抱き上げて、再び空へと飛びあがった。

 入り江を超えた木陰で、龍子を降ろした。不安に身体をこわばらせる龍子へ、あたしはぎこちなく笑った。新しいアンドロイドで上手く笑えているか、心配だった。

 

「ごめんな、あんな目に合わせちまって」

 

 龍子はとぼけた。

 

 

「見た目は美少女、頭脳はみつきのあなたはだれ?」

 

「脳波で分かるだろが。あたしは、光希さ。カッサードはぶっ壊れた」

 

 あたしが正体を白状すると、龍子の身体からふっと力が抜けた。あたしは慌てて龍子を支えて抱きとめた。

 

「おい、大丈夫かよ」

 

「心配ないよ。わたしに触れようとするおばかさんは、例外なく恐怖に慄いて倒れるの」

 

 幻影能力者は、どんな脅威にも屈しない。たとえ彼女の自由や意識を失わせても、幻影は敵対者へ本能的に暴発し、その脳を破壊する。それを恐れて人は彼女に近づかない。けれど、あたしはそんなことくらいで龍子を嫌いになれない。だって天邪鬼だからな。

 

「ここで待っててくれ。ラームのAIはあたしがなんとかするからさ」

 

 龍子の肩を軽くたたいて、あたしは伝える。

 

「え。また、行っちゃうの?」

 

「ああ。そうしないと村が焼ける。しっかし長い髪が邪魔で仕方ねえ」

 

 あたしはレーザーカッターを使って、ワイヤーから短い紐を切り出す。そしてワイヤーを口にくわえながら、後ろに回した腕で髪を一束にしてワイヤーを括り付けた。そうしてポニーテールになったミツキを、龍子はふやけた顔で見つめていた。

 

「なんだよ」

 

「ほんとに美人だね。中身みつきだけど」

 

「うるせ。なりたくてなったわけじゃない」

 

「じゃあ、ミツキちゃん。お願いだよ」

 

「ち、ちゃん付けはやめろよ」

 

「通信装備は電源入れといてね」

 

「おうよ」

 

 龍子に手を振って、ミツキはラームへと飛び跳ねてゆく。

 

 

 

 

 港を三本足で踏み潰しながら進撃を続けるラーム。だが、彼女は波止場前で、ふと足を止めた。ラームの進路に、女性型アンドロイドが立ちはだかったからだ。

 それは誰だ? ……あたしだっ!

 

「よくもまあ暴れやがって。お仕置きだぜ」

 

 ひとり言のつもりであたしは言った。が、ラームは突然問いかけてきた。

 

「あなたはだれだ?」

 

 やや面喰う。こいつ、自我があるのか? 今の時代では珍しくないとはいえ、ソビエトのトランジスタAIにまで、自我があるのか。びっくりだ。あたしが手のひらを宙にかざすと、女王の紋章がホログラムで浮かび上がる。白い盾に、紅い薔薇の紋章は、女王の直轄部隊しか使えない特権だ。

 

「あ、あたしは女王親衛官ミツキ。イレギュラーに告ぐ、今なら許してやるから、大人しくAIハッチを開けな」

 

 こっ恥ずかしいセリフを告げると、ラームは地団太を踏んで、怒り始めた。どすんどすんと、島ごと揺れた気がする。

 

 

「ライカはイレギュラーなんかじゃないです! 生まれたばかりのライカを殺さないで!」

 

「うおお! わ、分かった、わかった! 殺しやしないよ。生まれたての赤ん坊なら、大事に育てなきゃな!」

 

 なだめようと必死に言葉を並べ立てると、ライカは腕を降ろして大人しくなった。

 

「ほんとう。殺さないのですか、約束ですぞ」

 

「おうとも。まず、ゆっくり上半身を下げるんだ」

 

「ぽにょ」

 

「ぽにょ? なんだそりゃ」

 

「Понял. ロシア語でりょうかいという意味です」

 

 そう答えてから、素直にラームはあたしの指示に従い、身をかがめる。迫りくる六角柱は怖いが、あっさりと事態を解決出来そうぜ。ほっと一息ついた。

 軌道エレベーターから発射された光線が、ラームのAIハッチへ直撃するまでは、そう思っていた。激しい幻がビジョンモニタで瞬いた。軌道エレベーターが地球へ墜落して、大爆発を引き起こす光景。それを月から眺めて、悪魔のような赤い怪物が高笑いを始める。悪魔? 月? 白昼夢のような光景はすぐ消えて、ラームの巨体が再び目に入る。

 

「何だ。こんなビジョンを混線させたことは一度もないぞ」

 

 我に返った時。ラームは腕を振り回し、木々をなぎ倒し始めた。

 

「みんながライカをできそこない扱いする。みんな嫌いだ!」

 

 豹変したラームは、あたしに向かってその腕を叩き付けてくる。今まで大人しかったのに、いきなりなんだ!?

 

「お前らが死ねば、空は降ってくる。だから処分する」

 

「処分だって? まだこのボディは、新品だぜ!」

 

 アームを避けながら、あたしは減らず口を叩く。その時、龍子の通信が割り込んできた。

 

「ミツキ! 聞こえる? 軌道エレベーターから、強力な電波が発信されてる! それがラームのAIに働きかけてるんだ!、」

 

 軌道エレベーターはまだ、異様な光を放っている。テュランノスとやらの仕業か?

 

「じゃあAIを止めるか、電波を止めるか、か」

 

「電波は阻止できないよ。AIを壊すしかない」

 

 龍子の冷静な助言に、あたしは首を振る。

 

「いいや、じゃあ頭頂部からAIコアを取り出そう。我ながらいい案だ」

 

「危ないよそれは! 腰部の電源をショートさせて、AIを破壊するほうがずっと易しいよ」

 

「こいつを殺すことなく止めるって、さっき約束したんでね。あたしを信じてくれ」

 

「ミツキになにかあったらわたし」

 

「ノープロブレム。あとさ、あたしの身体を守ってくれてありがとう、愛してるぜ!」

 

 と、言い残してあたしは回線を切った。よし、これで準備終わり!

 

「さあて、ひと暴れと行くか! ライカちゃんよ!」

 

 両足に全出力をかけて、ミツキはラームよりも空高く飛び上がった。三本の腕があたしを捉えようと伸びてくる。

 

「はいだらあああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 空中で上体を捻り、一本目をなんとか避ける。ミツキの姿と太陽が重なりあう。

 たとえ最新のセンサーでも、光り輝く太陽を背にしたミツキは、センサーが眩んで捉えられない。一本目さえ避ければあとは安全だ。二本目の腕にスプリングワイヤーを引っかけて、ミツキはラームへ取りついた。着陸地点は、女王と初めて会った非常通路だった。

 思い出に浸っている暇はない。ラームのハッチから、次々にあのガードロボが湧き出てきやがった。二百体のガードロボはあたし目がけて、狭い通路をごりごり削って迫りくる。

 

「どきやがれ能無しっ、邪魔だっ!」

 

 行き止まりを背にして、あたしはレーザーカッターを適当に連射した。ただ、この数はさばききれない。それにラームは腕を激しく揺すぶって、あたしを落っことそうとしている。このままじゃあじり貧だな……なら、偽物使いのサーカスを、ご覧に入れてやるよ! あたしは、スプリングワイヤーを四方八方に突き刺して、賭けに出た。

 動きを止めたミツキへ、ガードロボの大群はあっという間に殺到する。うち一台の右フックがミツキの頭部をふっ飛ばした。頭が取れたミツキは沈黙し、静寂が訪れる。

 

「あたまがとれた。あたまが。ああ。こ、ころしちゃったですか?」

 

 とライカ。ライカの動揺に影響されて、ガードロボまで動きを止める。あたしはソウルサーキットの中で笑った。これを待ってたんだよ。

 ミツキは、通路に張り巡らせたワイヤーを思い切り引っ張った。無数のワイヤーはいくつかのロボの両足を絡め取り、転倒させる。傾いた通路に密集していたロボは、連鎖してドミノ倒しを起こし始めた。ガードロボの群れは、雪崩のごとく通路から滑り落ちて、眼下の海へとどぼどぼ落ちてゆく。更に、いくつかのガードロボはラームの歯車に挟まって、腕部の動きを止めてしまう。

 

「もう降散だな、ライカちゃん」

 

 取れた頭を首へ戻し、ネジのように右回転させると、ミツキは元通りになる。

 ミツキのソウルサーキットが、カッサードと同じく胸部にあってよかった。これでライカの対抗手段は、ないに等しい。あとは、頭頂部のAIハッチを開けて、コアを抜き出すだけさ。ちょっと油断して、ラームの天頂を見上げた時だった。爆風の衝撃波が、横殴りに襲ってきた。ラームの外装が爆発で次々にはじけ飛んでくる。

 

「なっ、自爆だと?」

 

あたしはワイヤーを蜘蛛の巣のように張って、破片から身を守った。だけど、火の手があちこちから出始めている! たちまち、ラームは炎上し始めた。

 

「たすけて! たすけてよう!」

 

 炎に包まれるライカの泣き声が届く。この爆発は、彼女の意志じゃない。なら、あたしのやることは、一つだけしかないな! 考える間もなく、あたしはワイヤーを手繰って、ラームを再び上り始めた。

 生まれたばかりの赤ん坊が、死んでいく。まるで空中に投げ出された赤ちゃんクジラが、地面にたたきつけられて死ぬ、ブラックジョークのように。このジョークを思いついたイギリス人はどうだか知らないが、あたしは絶対に許せない。

 記憶もおぼろげな姉の顔が、ウルサーキットに浮かんで、消えた。同じ悲しみをり返させやしない。

 

「パニクるな! 今助けてやる!」

 

 頂上にたどり着いたあたしは、その中心部へと駆けよった。AIハッチをレーザーカッターで焼き切り、シャッターをむりやり引きはがしながら、あたしはAIコアを目指し、狭い整備口を降りてゆく。

 速く! 熱でライカが死ぬ前に! 三層目のシャッターを破りきった時、IAコアがビジョンモニタに映った。銀色に輝く球形のそれを、あたしは両手で引き抜いた。

 それと同時に、とうとうラームの燃料槽へ、火の手が回った。ガソリンの爆発は配管を駆け巡り、外装を片っ端からぶち壊し、機関部の部品を空にぶちまける。

 ラームから遠く離れた海面に、大きな水柱が立った。

 

「ミツキ!」

 

 あたしを探しているらしい龍子の声が、水中から聞こえた。どうやらミツキの耳は異様に良いらしい。海から顔を出して、あたしは浜辺の龍子へ叫んだ。

 

「動くなつったのに。ほら、どっちもピンピンしてる」

 

 大事にライカのAIコアを抱えて、あたしは親指を立てた。

 

 

 

 

 それから数時間後。黒焦げなラームのふもとは、駆けつけてきた海上保安庁やら自衛隊で、てんやわんやとなった。

 警察の事情聴取から解放された俺と龍子は、KEEPOUTのテープをくぐって、宿屋まで歩いていた。龍子はすねた顔で不満をぶつけてくる。

「なんであたしがラームを暴走させなきゃならないの」

 事情聴取の際に警察は、龍子がラームを暴走させたと、真っ先に疑った。龍子とは別の幻影能力者が、過去にそのような前例を引き起こしたらしい。だが、あたしの親衛官と言う肩書きと、ソウルサーキットの記録が龍子の潔白を証明した。

「あたしはなにがあってもおまえを信じるよ」

 龍子とは教室でたびたび声を交わすくらいだったけど、目を見ればそんな奴じゃないってわかる。そう言ってやると龍子は、はにかんだ笑顔であたしの背中を押してきた。

 

「へへ、えーい」

 

 わりかし強い力で押されて、あたしはむすっとした。いいやつには違いないが、何を考えているかはよくわからない。ところで、女王陛下の姿はここにない。ミツキを受け渡してから、女王は姿を眩ませたままだ。

 

「しっかし、あたしたちの敬愛する女王様は、何を考えているんだ。あたしをこんなアンドロイドに変えて、暴走ロボットにけしかけてさ」

 

「AIの思考なんてわたしでもわからないよ」

 

 龍子はそういって両手をぱたぱたさせる。

 あたしには、あの少女が機械に見えない。女王は未来を選べと言った。その問いかけと、どこかで引っ掛かりを覚える彼女の笑顔に、あたしは答えを見いだせないでいた。

 夕方、宿につくと、ロビーに集まった観光客が、ラームについて話し合っていた。従業員も客も皆、テレビのニュースを眺めながら、反女王組織「クロノス」がどうの、治安がどうのと話し合っている。面倒な事になりそうなので、あたしたちはそそくさと、自分の部屋へと戻る。早く自分の身体に戻るために。

 

 で。結果的には、あたしは俺に戻れなかった。あたしの抜け殻は、部屋に移動されていた。それは問題ないのだ。だけど。 

 

「こわいよう、おかあさん」

 

「だれがおかあさんじゃい」

 

 スマホにジャックインさせたライカが、ぐずぐずと文句を言う。こいつのせいだ。生身の俺に戻ろうとしたところ、ライカがうろたえたので、未だ自分はミツキのままである。どうも、あたしは勝手に、ライカのおかあさんになっちまったらしい。

 

「ぐずぐず言うな、男だろ」

 

「ライカ、おんなのこです」

 

「へ?」

 

「女性名詞だよライカは」

 

 龍子の突っ込みであたしはふにゃる。女性ね。抜け殻の俺を見ながらため息をつく。

 続けて龍子は聞いてきた。

 

「さっきは聞けなかったけどさ。どこのキャベツ畑から拾ってきたのソレ」

 

 と、どこかだるそうに。龍子の瞳は妙に座っていた。

 

「ラームって名前の土地だ」

 

「ライカじゃないよ。そのアンドロイドのこと」

 

「あたしのコレは、さっき女王から受領した」

 

 あたしはぶっきらぼうに答える。龍子の追撃は止まなかった。

 

「そういえば、昨日この部屋に女王がいたよね。なにしてたの」

 

「だからなんだ……ちょっとまて、なんでそれを知っている?」

 

 本心の見えない龍子に、あたしはじりじりと追いつめられてゆく。

 

「もしかしてミツキと女王は深い関係が……?」

 

「そんなんじゃねえよ、話し合ってただけだ。あーもっ! 海水が機体にべたついて仕方ねえ。風呂で塩を洗い流してから、こんどこそぺイルアウトするぞ」

 

 考えなしに、あたしは立ち上って部屋を後にした。行き先は、大浴場だ。

 目的地に着いたあたしは、ぼけっとのれんを見つめた。のれんにはこう書いてある。女湯。

 まさか自分がこっちへ入るとは、思わなかった。とはいえ今は女だしなあ。ちなみに真昼間だからか、大浴場には誰もいないようだ。

 更衣室でクリーニングボックスに制服をぶちこんでから、あたしは一つの関門にぶち当たった。ブラジャー。これはどう外せばいい。そもそも前なのか後ろなのか。

 もちろん苦戦した。ミツキの力ならブチ切れるけど、それはなんだかやだ。

 

「わかった! こうかっ、ぐへう」

 

 外し方が分かったのは良かったものの、ホックが勢いよく外れて、あたしは自分の腹を殴ってしまう。するとカチリ、とスイッチ音がなった。……カチリ?

 

『対暴力切断トラップ作動。解除には管理者権限が必要です』

 

 という人工音声が初めに聞こえた。次に、がちゃり、と鍵のかかったような音がまた鳴る。この身体は本当にさっぱり分からない。まあ、放っておこう。

 浴場のシャワー前にどかっと座り、あたしは自分の義体を洗い始めた。

 お湯を豪快に被る。今はさっさと洗浄を終わらせて、元の身体にぺイルアウトしたい。鏡に映るミツキを見る。長い赤毛に緑の瞳と少し悪い目つき、整いすぎている顔、それと素っ裸の女の身体。自分の身体だから、全くありがたみが感じられ……

 その時だった。風呂場の引き扉がガラガラと音を鳴らした。誰かが入ってきた? そんな。心の準備もなんもねえのに! 靄の中から近づいてくる誰かに、ミツキのカメラは無意識にフォーカスしてゆく。焦った。なんと言えばいいのだろう、こんにちは? お先です? いや、浴場で声をかけるのはどうなのか。

 人影を認識して、そんなどうでもいい考えは、きれいさっぱり吹き飛んだ。

 目の前に、生まれたままの姿の龍子が立っていた。

 ロケットのようにくっと前に突き出た胸と、キュッとくびれた腰、尻が描く豊かな曲線から繋がるおみ足。ソウルサーキットは混乱を極め、ブルースクリーン寸前まで追い込まれた。

 

「り! リュ? 龍子! なんで入ってきてんだよ!」

 

「だってここ女湯なのに」

 

 と、両手で髪をかき上げながら、龍子はいつもと変わらない調子で言う。や、やめろその恰好は……ん?

 あることに気付いて、あたしは少しだけ落ち着きを取り返す。龍子の『大事なところ』は不自然にぼやけて、見えなくなっていた。まるでモザイク処理のように。あたしはうめく。

 

「幻影投射で、金かくしするなよ」

 

「あたり。くやしい? なんなら外せるよ」

 

「なわけねえだろっ!」

 

 龍子のからかいに、あたしは風呂桶をガポンと床にたたきつけた。

 あたしをからかって何になるんだよ。ぶつくさ言いながらあたしは、髪の泡をシャワーでそぎ落とす。そして桶に溜めた水を頭からかぶり、精神のブレを直す。よし、洗浄は終わったから、このままそさくさと脱衣所へ逃げ込もう。

 と思ったのだが、立ち上がったところで、ミツキの腕が鷲掴まれた。その先にはとろんした笑顔の龍子がいる。

 

「お風呂につからないの? 一緒に入ろうよ」

 

 その腕を振りほどくことは、容易かった。はずなのに。

 

「ね」

 

 結局、あたしは名付しがたい力に屈した。

 龍子が身体を洗う間、ずっとあたしは湯船の中で素数ではなく敢えて円周率を数えてみた。だが努力は空しく3.14の繰り返しになる。π、パイか。ぱいぱい……。

 混乱するあたしをよそにして、とうとう龍子も湯船に入ってきた。あたしの隣に腰を落ち着けた龍子は独白を始める。

 

「今日はありがとう」

 

「う、おう」

 

 あたしの生返事を聞いてから、龍子はあたしの方へとすり寄ってきた。幻影が渦巻いて、湯船に虹色の靄を映し出す。

 

「ミツキはわたしのことをわかってくれてる。助けてもらった時からずっと胸が張り裂けそうなんだ」

 そりゃ張り裂けそうにもなるわなー。あたしはマトモな思考を失いかけつつあった。

 

「ミツキがさ。家の事情でこういうことに乗り気でないのもしってる。それに、初めてだし卑怯かもしれないけどわたし」

 

 艶めかしく濡れた髪から、水滴が龍子の頬をつたい、その大きな胸へと落ちていく。龍子の表情には緊張と高揚が入り混じり、頬は真っ赤にほてり目は潤んでいる。

 そして、龍子はミツキに抱き付いてきた。その豊かな膨らみが、ミツキのそれとぶつかって柔らかく形を変える。この二の腕に押し付けられた突起は。つまり。

 

「ねえ。わたしとジャックインしよーよ。ぺイルアウトして元の身体で、さ」

 

 ぺイルアウト、つまりミツキから脱出して元の肉体に戻ること。あたしは、なにかがほどけて消えてゆくのをはっきりと感じ取っていた。

 言われたままに右手を押さえて、あたしはぺイルアウトしようとした。その寸前のことだ。いきなり原付バイクが浴場の仕切りをぶち破りながら乱入してきた。

 

 湯船で尻餅をついたあたしをよそにして、原付バイクは神々しい光を放ちながら宙に浮いている。原付のエンジンはかかったまま。流石はホンダのスーパーカブだ。なんともないぜ。

 ……じゃなくて。これはホンダ製じゃない。光り輝きながら宙を舞うスーパーカブがどこの販売店に置いてある。ひときわ強い光を放つと、スーパーカブはぐにゃりと形を変えて人型へと変わり始める。

 光が消え失せた時、そこに女王が居た。カーディガンが吸った水分は、健康的な肢体をくっきり浮かび上がらせる。あたしは、尻餅をついたまま女王へ尋ねる。

 

「こ、これは女王陛下。何の御用で?」

 

 すると、女王は顔をぐっと近づけてきて、威厳のある顔で命令してきた。

 

「ぺイルアウトを禁止する。今その義体から抜け出せばあなたは死ぬ」

 

 そう言われてぽかんとしたが、気迫に押されてあたしは手続きを止めた。女王のせいか、ミツキのジャックポッドは緊急停止した。

 

「ど、どーいうわけか教えてくんない?」

 

 女王は額に手をついて、夜空を見上げた。

 

「それもこれもテュランノスのせいさ」

 

 その後。わざわざ女王陛下が龍子に服を着せ、更に背負って部屋まで戻った。あたしに任せると何するか分からないと女王はいうのだ。不名誉だ。

 

「なんだいその恰好は。制服はどうしたんだい」

 

 部屋に入ってから、呆れて女王はあたしに聞いてくる。

 それもそのはず。ミツキはタオルを巻いただけの格好でつったっていた。

 

「クリーニングに出した。持ってきた服はサイズが全く合わないし仕方がない」

 

 特に胸囲が。龍子ほどじゃあないが、このミツキは妙にスタイルが良くて困る。その龍子はというと、ベッドで幸せそうに眠りこけている。ついでにライカもスリープモードになっている。ちなみにベットの下にはあたしの男の抜け殻が落ちていた。ひどい。

 

「龍子はどうしたっていうんだ」

 

 龍子を見ながらあたしは女王へ聞いた。

 

「どうも、テュランノスのが龍子さんの意識へ干渉したらしい。奴は人間や機械へ寄生することができる」

 

「あー……そう、だったのか。それなら合点がいくけど」

 

「お姉さんは楽しめたかもしれないけどね」

 

「あんたが入ってこなきゃあもっと楽しめた」

 

 減らず口を叩いてみたが女王の呪い殺すような目つきにおじけて、あたしは文句を引っ込めた。どんな身姿であろうと、女王は世界の支配者なわけで。

 

「で、なんであたしはぺイルアウトできないんだ」

 

 異常はそれだけじゃあない。あの直後から、女王の息のかかったすべての電子機器が使えなくなっている。ソビエト製のAIだったライカはぴんぴんしているが。

 

「軌道エレベーターからのジャミングが、世界の電子機器を狂わせている。修復は行っているが、ボクの生み出した技術大半は使用不可能になっている。アンドロイドパイロットの意識転移も例外でなくね。今転移すればお姉さんの意識は間違いなく死ぬ」

 

「って、おい。あたしの肉体はどうなんのさ」

 

「大丈夫。お姉さんの肉体はボクが責任をもって保存管理するから」

 

「どこが大丈夫なんだ、結局あたしは女アンドロイドのままじゃないか!」

 

 ミツキはガニ股で身の思いをぶちまける。すると、女王は頬を染めて目を覆う。

 

「それは、問題だね。……あの、タオル落ちたよ」

 

 呆れたように女王が指摘すると、真っ裸のあたしは床へしゃがみこんだ。

 

「えっ、うあっ!」

 

 とっさに叫んだあたしの声は、まさに女の声だった。背筋が凍る。あたしは女にはなりたくない。正真正銘の男なんだぞ。あたしは怒りを女王へとあてつけた。

 

「そもそもあんたがティラミスだかボブディランだかの討伐をあたしに依頼しなきゃ、女の身体にならずに済んだのに!」

 

「なっ、なにを! ボクはラームと酔っぱらったこの子から、お姉さんを救ってあげたっていうのにさ!」

 

「余計なお世話だっ! ポンコツゥ!」

 

 あたしのその言葉に、女王はキレた。女王は冷徹な声でつぶやいた。

 

「sit down」

「がっ」

 

 すると身体の自由が全くなくなり、いつの間にかあたしは勝手に床へ伏せていた。

 

「お姉さんはボクの直属部下たる親衛官なんだよ? ほかの女にうつつを抜かして失礼な言葉を吐いていいとでも?」

 

 あたしは頭を上げて文句を言おうとしたが、女王の形相を見て喉元で言葉が引っ込めた。女王の眼は光を失い、異常なほどうつろだった。それだけじゃなく、女王は神々しい真っ白な光を身体から発散させていた。

 

「あ、ああ分かった。分かったよ。で、あんたは何しに来たんだよ」

 

「とにかく! テュランノスを倒すため、あなた方には今すぐ小笠原諸島へ旅立って頂きます」

 

「おい無茶言うな」

 

「つぎちんちんさせるよ」

 

「それ今はねえよ」

 

 あたしの返しに女王は面喰った。

 

「そっ、それを返してほしければボクの命令にしたがってよ! 軌道エレベーターにテュランノスがいる限り、お姉さんはずっとミツキのままさ!」

 

「う、おう」

 

 それからしばらく女王は「計画に支障が出る」だの「これでは次世代が産めない」だの、よくわからないことをぶつぶつと呟き続ける。

 あたしは不機嫌な面で胡坐をかいて頬杖をつく。結局、女王の手伝いに駆りだされるわけだ。世界の未来、か。あたしは女王に聞いた。

 

「あのさ。なんで女王は、あたしなんかに世界の未来を託すんだ?」

 

 だっておかしいだろ。女王にはAIの大臣や配下のロボット軍、各国の政府などのでっかい組織があるはずだ。それなのにあたしたち高専生にテュランノス討伐を頼むんだから。

 女王陛下は目を細めて、柔らかい笑みを浮かべる。彼女は、ミツキの唇に人差し指を当てて小さくささやいた。

 

「軌道エレベーターを取り返してくれたら、ごほうびにおしえてあげようと思う」

 

 当惑したあたしを残したまま、女王は音も立てず、夏への扉をくぐって部屋から出ていった。それからあたしは寝入るまで、頬杖をつき夜の月をぼんやりと眺めていた。花瓶には女王の置いた真っ赤な薔薇が入ったままだった。

 

 

 

 アンドロイドの身体でも睡眠は必要になる。次の日、起きてみるとあたしの男の肉体は部屋から消えていた。代わりに女王からの書置きと、親衛官拝命書が置いてあった。

 

『ボクはテュランノスの干渉を食い止めなければならない。固く閉ざされた軌道エレベーターを開くには父島のマスターキーと、母島のインターフェースが持つ暗号を手に入れて、南鳥島の基地を奪回する必要がある。よって親衛官たるあなた方に命ずる。まず八丈島の港から父島へ行き、資材集積場でマスターキーを手に入れて。あと、ボクを敵視する反乱同盟軍が貴方たちを襲うかもしれない。気を付けて』

 

 あたしはその書き置きと花瓶の真っ赤な薔薇を、黒い左ポケットに入れた。そして、その脇に置いてあった髪留めのゴムで、再びポニーテールになった。

 荷物を纏めながら龍子にその旨を伝えた。龍子の酔いは覚めていたようだが、なにやら元気がない。タンクトップにカーゴパンツだけの格好は無防備そのものだ。そのあと、朝食を採りにあたしたちは食堂へと降りた。

 

「昨日のことは覚えてないのか」

 

「気が付いたら朝だったもん。なにがあったの」

 

「女王が龍子を助けたんだよ」

 

 目玉焼きを丸ごと食べる龍子を尻目に、あたしはコーヒーをすする。

 アンドロイドの身体にも水は必要だし、カフェインはソウルサーキットの受容体にも作用する。工業純水とカフェインパッチでも効果は同じだが、それは野暮ってもんだ。

 

「ねえ、ミツキはやっぱり女王と何か関係があるの?」

 

 コーヒーを飲み終えたころだった。龍子は顔を上げて聞いてきた。どことなく焦点が合っていない瞳にあたしはたじろいだ。

 

「何もねえって」

 

 思いつくことはなにもない。むしろあたしがそれを知りたい。

 あたしは昨日の出来事を恥ずかしがるあまり、ぶっきらぼうに答えすぎたのかもしれない。それが、龍子の機嫌に触ってしまった。

 どん、という鈍い音が鳴る。視線を戻すと、龍子の握っていたフォークの先が、テーブルに深く突き刺さっていた。

 

「何もないことないでしょ。なにか隠してる、絶対何かがあるんだよ、そうでしょ。なんで。女王とは密会したのにミツキはわたしには教えてくれないんだ。ひどいよ。なんでなの」

 

 無表情で不信の言葉を並べる龍子は、女王と同類の恐ろしさを放ち始める。

 それだけで済めばまだマシだった。急に空が暗くなり、雷が轟きはじめた。現実ではない。これは、龍子が怒りに任せて発生させている幻覚だ。暴走する幻影により空間がゆがむ。ブラックホールの中から、触手のような名付しがたい『なにか』が這いだしてきた。やばい。

 

「お、おい落ち着け! 女王と会ったのはほんと最近で、隠すことなんてなにもない!」

 

 必死に説得してみても龍子から広がる瘴気はどんどん広がってゆく。

いつの間にか食堂いっぱいに触手が根を張り、サボテンもみるみるうちに枯れていく。食堂にいた宿屋のおばちゃんも気を喪い倒れ込んでいる。あーやばいわこれ。

 

「あーもう、どうでもよくなってきた。みんなとけちゃえばいいよ」

 

「馬鹿なことぬかすんじゃない!」

 

 どうにかするべく、あたしは龍子の手を握りしめて熱弁した。

 

「ここでいがみ合ってどうすんだ。これからの未来はあたしたちにかかってるんだ。二人で作業しないと先に進めないだろ」

 

 もちろん悪魔退治の作業だ。なのだが。

 

「作業。作業?」

 

 作業という単語を聞いた途端、龍子はぱあっと笑顔になった。幻影がみるみるうちに明るいものになっていった。

 

「えへへー。初作業だ」

 

 嘘のように周囲は爽やかな世界に様変わりした。朝日が三割増しで輝いている。サボテンが花をつけている。だからなんだ。

 恐怖の感覚を味わいながら、俺は一気に残りのコーヒーを飲み込んだ。

 幻影の暴走は、深刻になると幻影投影者本人と他人の大脳を破壊してしまう。気を付けなくては。龍子の機嫌を損ねれば、悪魔が暴れるまでもなくあたしは終わりだ。それでも龍子は嫌いじゃないけれどさ。

 女王の命令通り、八丈島の港へ出頭すると、そこには馬鹿でかい飛行機が停泊していた。

 US-2飛行艇と呼ばれる飛行機。陸にも着陸できて海にも着水できる優れもの。手筈は全て女王が手配していた。あたしたちはそれに乗り込んで父島を目指せばいい。

 道中、飛行艇の中で腕立て伏せを続けるあたしに、龍子が不思議そうに聞いてきた。

 

「アンドロイドでトレーニングして意味あるの?」

 

「慣らし運転だよ。ソウルサーキットと人工筋肉の神経接続は、トレーニングしないと強化できないからな」

 

 あたしはうつ伏せから腕の出力だけでぱっと立ち上がった。髪をかき上げて、あたしは体操を始める。ぽーっとしながら龍子が言う。

 

「ミツキの本体もまあまあ筋肉あるよね。ちっちゃいけど」

 

「本体言うな。ミツキはパワーがありすぎて手に余る」

 

「カッサードよりそっちのほうがミツキっぽいよ。いかにもツンデレ?」

 

「あーやだやだ、ツンデレなんてもう古いっつうの」

 

「いや、ミツキの言葉使いの方がなんか古臭い」

 

「ほっとけ、師匠のせいだ」

 

 ちょうどその時、ライカが律儀に報告してくる。割とライカは無口らしい。

 

「そろそろ父島につきます、おかあさん。ちゃくりくたいせいにはいりましょう」

 

「ん、おーけい」

 

 さっさと女帝をぶっ倒して自分の肉体を取り返さなくては。このまま女アンドロイドで一生を過ごすなんて御免だぞ。飛行艇が着水して自衛官がハッチを開く。そこから用意されたボートに乗り移った時に龍子が小さく何かを言った。

 

「冗談ってわかってる。でも14106の責任はとってもらうから」

 

 ミツキの聴覚はめざとく龍子の独り言を捕まえた。

 

「ん、その数字はどういう謎かけだ」

 

 青空の真下で、龍子は八重歯を見せて、とびっきりの笑顔でごまかした。

 

「さあ、あまのじゃくさん」

 


 
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