No.823026

恋姫異聞録  IF 呉√ 七

絶影さん

あけましておめでとうございます
久しぶりに更新しました。ゆっくりではありますが、引き続き更新させていただきますのでよろしくお願い致しますm(_ _)m

2016-01-04 21:46:54 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:6540   閲覧ユーザー数:5461

 

 

「寿春は、我らにお任せください」

 

「うむ。では七乃、出陣じゃ!」

 

「はい!美羽様!」

 

帝からの勅を受けた袁術は、文官たちの進言のまま直に玉座の間にて雪蓮へ兵を貸す代わりに前線で戦をせよとの通達を出した

雪蓮は、昭の言葉に従い、わざと一度は不機嫌になりながらも渋々と行った形で承諾していた

 

「フフッ、下手な芝居だったな」

 

「笑わないでよ、意地悪ね。ああしなきゃ、文官達どころか紀霊とかって武官にも背後から狙われて、戦どころじゃなくなっちゃうんだから」

 

「そうだ、仕方がない。武官の中にも知恵の回る人間がいるからな。仕えているのが不思議なくらいだ」

 

騎馬に跨がり、袁術の銅鑼に合わせ出陣する雪蓮率いる孫家の軍

 

掲げる旗は、孫と袁の旗の混合だ。旗を見上げて舌打ちをする祭

 

「不機嫌そうね、祭」

 

「粋怜か、不機嫌にもなろう。違うとはいえ、仇敵である袁の旗を掲げねばならぬのだからな」

 

「でも、お陰で孫家の兵はそれほど減らさなくて済みそうよ。あの子の考えた策らしいわ」

 

「わかっておる。冥琳にも言われたわ、兵の眼に焼きつく戦をせよとな。しかも、程々の戦果でと難しい事を」

 

「そういいながら、やる気は十分のようね」

 

騎馬に跨る祭の美しい白髪が風ではなく、彼女の熱い気迫で揺れ動く

漏れだす闘気に、最早後退の二文字はない。口では悪態を吐きながらも、握り締める弓がミシリと音を立て語っていた

 

ようやく昭が創りだした戦いの機会。しかも、兵を袁術から引き出しての事だ気合が入らぬわけがないと

 

「儂らは、昭の望む戦をするのが仕事。昭は、既に仕事は済ませて居るのだからな」

 

「そうね、後は私達が結果を出すだけよ。頑張りましょう」

 

そう言うと、粋怜も同様に美しい蒼玉のような色をした髪がふわりと靡く

握る鉄脊蛇矛に力が籠もり、熱気を帯びた闘気を身に纏う

 

彼女たちを初めて見る袁家の兵達は、己の寄騎である二人の将に震え立っていた

居るだけで心が震え戦へと向かう士気がいやがおうにも上がっていくのがわかる

力が沸き立つような感覚を覚えていく。これが、戰場ならばどれほどになるのだろうかと兵達は喉を鳴らし

与えられたように瞳に闘気を宿していた

 

城壁で見送りをする昭は、袁術と眼が合うとにこやかに手を振って応え、袁術はそれに対して笑みで応え兵を進めていった

 

「行ったか。幼兵」

 

「はい、此処に」

 

「お前にこれを渡す。使い所は、冥琳にまかせてある」

 

「えっ、これは!」

 

城壁の上、城を護る衛兵達が全て見送りに出払っている中、渡されるのは二つの装備

 

一つは、袁術が率いる兵達が着こむ鎧。もう一つは、薊と炎蓮の遺体を回収するときに回収をしていた

袁成の兵が着る鎧であった

 

「初めは、袁術の装備を着て、雪蓮の率いる兵に混ざれ。後は、他の兵と同じように紀霊将軍の元に戻るんだ」

 

「は、はい。それで、その後は」

 

「袁成の軍も必ず出るはずだ。近づいたら、軍を離れて袁成の兵に紛れ込め。意味は理解るな?」

 

ゴクリと喉を鳴らす明命。昭が言っている意味とは、袁成の軍に紛れ込んでの暗殺

大将首を戦の混乱に紛れて討てと言っているのだ

 

「・・・はい、必ず私がしとめてみせます」

 

命令に明命は僅かに顔をうつむかせた。以前の行いで昭を信用してはいたが、此処のところの彼の評判は良いものとは言えず

それは、彼女の眼に映り耳にも届いていた。言葉では、従順に従っていたが、心は是としていなかったのだ

 

もしかしたら、自分は捨て駒のように扱われるのかもしれない。いけないとわかっていても、こんなことを考えてしまうのは

目の前で同胞が殺されても眉一つ動かさない彼の動向のせい。いいや、自分の主が信じているのだから、信じなければ

 

葛藤する明命。そんな、明命の心を知ってか知らずか、男はもう一つの防具を手渡した

 

「それと、最後にこれだ。お前の躰に合うように作らせた」

 

「これは、革?ですか?」

 

「イール・スキンという素材だ。強度は牛の革よりも強靭で靭やかだ。だが、軽いだろう?盲鰻の革だからな」

 

手渡された三つ目の装備は、イール・スキンと呼ばれる盲鰻を使用した中に着こむ皮鎧

強度は牛革の1.5倍を誇り、軽さは盲鰻を使用しているため牛革よりも軽く柔らかいという特質を持つ特別製

 

「いーるすきん?盲鰻ってあの盲鰻ですか?!投網でいっぱいかかるあの気持ち悪い・・・」

 

「盲鰻の革を渋柿の汁でなめしたものだ。あいにく、これ一つしか出来なかったが。着用してくれ」

 

受け取る明命は、手にした革鎧を見てその継ぎ接ぎだらけの革鎧が苦心して作ったものだと理解し

昭の手を見れば、包帯が巻いてあった。作らせたなどとウソであるのは明白であった。何度も縫い合わせるのに苦心したのであろう

 

「お前に死なれては困る。この先も、雪蓮の為に働いてもらわねば困るからな」」

 

重要な依頼。顔を上げ、昭の眼を見た時に明命は理解していた。本気の眼、本気の言葉

自分の誇りをお前に賭ける。お前を信じる。必ず、我らの思いを遂げてくれと口を開かず語る昭に感じていた

 

何を馬鹿なことを考えていたのだろう。これほどまで、自分を大切に思ってくれているのだ

でなければ、わざわざ自分で皮鎧など作ったりはしない。疑う事自体が間違いだったんだ

 

ぶっきらぼうに言い捨てる昭に、明命はクスリと笑みを零して元気よく頷き

 

「はいっ!お任せください!」

 

口を引き結び、強い眼差しを返す明命は、背を正して抱拳礼を自然にとっていた

 

再び、真っ直ぐ昭の顔を見ると城壁を登る兵の足音が聞こえ、昭が兵の姿を見た時には既に目の前から明命の姿は消えていた

 

「いかがなさいました?ああ、お見送りでしたか、久しぶりに袁術様がごきげんでよろしゅうございましたね」

 

「ああ、そうだな。ところでお前、コレをやる。まだ使えるぞ、今さっき巻いたばかりの新品だからな」

 

「あ、ありがとうございます。所で、何故包帯など巻いているのですか?怪我もないようですが」

 

包帯を外し、怪我など一つもしていない手をさらけ出すと、まだ新品のそれを兵へと投げ渡す昭

 

「怪我をしたと思っていたんだが、勘違いだったようだ。まあ、気にするな」

 

「はぁ・・・?」

 

首をかしげる兵に、昭は軽く手を振ると城壁の階段を降りて、市へと姿を消していった

兵は、疑問に思いながらもまだおろしたての包帯を丁寧に巻取り懐へしまい、昭の去った後を暫く眺めていた

 

 

宦官の口添えから帝は、黄巾の乱が起こった事に対し、何進を大将軍として諸侯を率い討伐隊を組織することを各地に通達

 

本来の歴史ならば、黄巾の乱の後に中央に集中していた諸侯を地方に分散させるながれだが

 

元々分散していた為、中央に逆に寄せる動きになっていた

 

炎蓮が長沙に居たことも、黄巾まえから各地に分布する異宗や帝を快く思わない、いや宦官を快く思わない者達を潰すため

 

各地の諸侯も、勅を受けこの機に名をあげようとする者、朝廷に忠義を示そうとする者、様々な思惑を抱え

この戦へと集っていった

 

 

出陣から二日、小沛へと軍を進めた雪蓮率いる袁術の軍は、孫家の将の訓練のかいがあってか大した被害もなく

無難な勝ち方を繰り返していた。だが、その一つ一つの戦の好機に必ずと言っていいほど孫家の主、雪蓮が絡み

兵達の視線は、華々しく活躍を繰り返す彼女に釘付けとなっていた

 

「ちょっとやり過ぎてるかしら」

 

「いいや、目立ちすぎるほどではない。此処ぞと云う場面で切り込めている」

 

黄巾兵を切り伏せ、剣に着いた血を払う雪蓮は、追いついた冥琳に小首を傾げれば

冥琳はなんてことはないと腕を組む。為す術無く倒れ、地面を覆い尽くす黄巾兵等

もう、どれほど殺したのか分からないほどであったが、雪蓮は息一つ乱すことはなく

 

「でも、退いて押してって窮地をワザと作り出すとかやり過ぎじゃない?」

 

「そうでもしなければ、弱すぎて活躍を見せる間もなく鏖だ。文句なら、お前たち自身の武に言うのだな」

 

「そうだね、ゴメンね!」

 

戟を肩に、にこやかに笑う梨晏。彼女の担当していた右翼を見れば、敵兵など居らず孫家の旗のように紅の大地が広がり

立ち尽くす祭が、遥か遠方で此方に進軍する敵兵の出鼻を矢で挫いていた

 

「祭が敵の指揮官らしき人物を潰しているから、後は貴女の思うがままよ」

 

「助かります。粋怜様」

 

「さあ、行きましょう。先陣は任せて頂戴」

 

「あ!私も行きますよ先輩!」

 

走りだす梨晏と粋怜。二人に続く雪蓮、冥琳。最早、小沛は既に落ちたと言っても過言ではなかった

 

 

 

 

戦果を知ってか、昭は特に何かをするわけでもなく、交易をし資金を増やし

資金を食料へと変え呉と寿春の民へと配っていた

 

自分に対しての評価が梨晏の口から出ていたように低く信用が下がっていると言うのを理解して居る彼は

民にどのように思われようと構わないが、一定の評価は保とうとしていた。全ては、この先を見てのこと

 

「精がでますね。民に食料を個人で配るなどとそうそう出来るものではありません」

 

「閻象(えんしょう)殿、これはお恥ずかしいところを」

 

市で貧しい者へと食料を配る昭の元に現れたのは、スラリとした長身で、髪を後に束ね、髭を蓄えた袁術配下の文官、閻象

 

閻象は、特に供を着けず、着ている服も他の文官たちのような綺羅びやかなものではない

 

しかし、他の文官達とは違う心胆の強さを持っていた。正しき行いを、この袁術の元で行なおうとする気概がある気骨のある人物

その証拠に、この時、昭の側に立つと背に担いだ荷を下ろして中から新たに食料を取り出していたのだ

 

「正しき行いを恥じることはありません。私も微力ながら、お手伝い致しましょう」

 

「かたじけない」

 

頭を下げる昭にお気になさらずと首を振り、同じように民へと施しを行う閻象

一人ひとり、顔をみて言葉を交わし、最後には笑みで見送るその姿に、民は閻象に対して大きな信頼を寄せていた

 

「皆、閻象殿に信を寄せているようですね。私が配る時とは大違いです」

 

「はは、何をおっしゃいますか。確かに、皆は良い顔をする私に好意を寄せるでしょうが、それは表面的なもの

目を凝らしてみれば、此処に来てより続けておられる張昭殿の方が、よほど信をえられておられます」

 

「そんなことはありません。私の行いに、誰もが不満を持っているはずですから」

 

頭を掻きながら情けない顔を見せる昭に、閻象は微笑むと、昭の側に近づいて民へと施しを行い始めた

まるで、二人が手を取り合って民へと施しを行うように、人々の眼には映ったことだろう

 

「これでは、閻象殿まで私と同じ不満を民に持たれてしまいますよ」

 

「構いません。互いに手を取り合う。いがみ合っていても、孫家の者であろうとも」

 

にっこり微笑む閻象に、昭は同じように微笑み返すが。心中は穏やかなものではなかった

 

今、孫家の者と言った。元孫家ではなく、孫家の者と。袁術の前で、孫家に恨みがあると語ったはずなのに

誰も、今の自分を見て孫家の人間だとは思うはずが無いはず。口にだすなら袁術の犬。袁家の臣下と言うはずだ

なのにも関わらず、この閻象と言う男は孫家の者と言ったのだ

 

カマかけであるとしたら、随分と感が良いと言えるだろう。閻象の狙い通り、昭の表情の変化を引き出せたのだから

 

「それが、私の信条ですから。いずれ、袁術様にも理解していただけるはずです」

 

「ええ、そうですね。きっと、理解していただけます」

 

残りを全て配り終え、片付けをする閻象は、続けて昭の方を見ずに口を開く

 

「所で、何故、袁術様に取り入ろうとしておられるのですか?まだ、幼いあの方のお命を狙って居られるのですか?」

 

「ふふっ、お戯れを。だとすれば、私はもっと早くに袁術様を討ち滅ぼしましょう」

 

単刀直入に言葉を放つ閻象

確かにそうですねといって、瞳を閉じて顎を撫でる閻象の仕草はとてもわざとらしく

昭の眼には、確信の持てぬ言葉を出して、己の疑問や引っ掛かりを確かなモノとしようとしているように思えた

 

「確かに。張勲殿と引き離した所で、十分に狙うことは出来ました。となれば、やはり狙いは袁成殿でございましょうか?

孫堅殿の仇であるならば、理由としては十分。同じ袁家の袁術様に近づけば、機会は星の数ほど多くなる」

 

「やれやれ、閻象殿は、どうしても私が孫家のもので、不忠な行いをすると決めておいでのようだ」

 

己の正義感からか、それとも正しい事を行なおうとする義侠心からなのか、閻象の口から出てくるのは

昭を疑う事ばかり。だが、昭はのらりくらりとそれを受け流していた

 

同時に、昭の中で閻象は袁術に仕える文官の中で最も警戒すべき人物であると認識されていた

 

「ええ、そうですね。その通りです。私は、貴方を危険であると認識しております」

 

「ほう、それは何故でしょうか?」

 

「そうですね、私であれば忠義を尽くそうとした王が、貴方と同じ事になれば私も同じ事をするからですよ」

 

はにかんだようなほほ笑みを見せた閻象に昭は、心の中で舌打ちをした

 

【なかなか鋭いじゃないか。流石、歴史上で袁術の蛮行に苦言を呈しただけの事はある】

 

そう,昭の考えは、閻象に完全にばれていた

 

「う・・・ん、どういう事でしょうか?」

 

「とぼけても無駄です。貴方は、意図的に張勲殿と袁術様を離した。狙いは、袁術様に気に入られるため。

そして、自分の言葉を通りやすくするため。違いますか?」

 

「考えすぎです。私が袁術様の信を得るためにあのお二人を離す等と」

 

「養蜂場の知識など与えたのがそもそもおかしいのですよ。養蜂場など、誰か他人に任せれば良い。なのにもかかわらず

あれやこれやと危険を煽り、張勲殿を養蜂場に貼り付けにした」

 

「貼り付け、ですか?危険なのは、閻象殿のご存知のはず。現に他の文官の方々は養蜂場の価値を見出し

今も狙っておられるではないですか」

 

「ええ、他の皆様方は確かに養蜂場に価値を見出しておられる。ですが、貴方にはそれはただの口実、よい隠れ蓑

貴方の狙いは袁術様に己の価値を見出してもらうこと。張勲殿が側に居られれば、貴方の言葉はいくら魅力的でも

路傍の石ころ同然の価値にしか過ぎない」

 

ニコリと微笑む閻象に、昭はなるほど面倒くさい人間だとますますの警戒心を抱かせた

おかげで、師である薊の教え通り笑みで返すことができていた

 

「それは、勿論私も同様ですが」

 

大仰に笑う閻象に対して、昭は心揺さぶられることはなく、平常心で笑みとうなずきで返していた

薊の教えの賜物であろう。何度も、同じような経験をつまされてきていた昭にとっては、何一つ

心を乱れさせる言葉にはならなかった

 

思い起こされるのは、ただ重要な交渉を薊によって一人任される記憶のみ

失敗すれば、母である炎蓮の不利益になる。だからこそ、昭は必死で相手の一挙手一投足に敏感にならざる得なかった

 

それに比べれば、このような質疑応答などなんの苦も無い

 

「主に己の価値を見出して頂くことを願うのは、それほど不自然でしょうか?それで、閻象殿は私をどうするおつもりですか?」

 

「ふふ、私は、何も貴方をどうこうしよう等と考えてはおりません。大人しくしていただければそれだけで何も

望みはしませんので」

 

「何の事か分かりませんが、分かりましたとお答え致しましょう。私も、まだ命は惜しくないものですから」

 

「その返事だけで十分でございます。何卒、おかしな考え等おもちにならぬようお願い致します」

 

昭の返事に閻象は満面の笑みで返し、そのまま踵を返すと政庁へと向かい歩を進めていった

 

「そうかそうか。閻象殿、貴方は随分と賢いようだ。側近の阿呆共と違ってな」

 

見送る昭は、閻象の後ろ姿を酷く濁った瞳で見送っていた。切り裂いたように口角をつりあげて

 

既に、黄巾の乱については昭は予想がついていた

それは、雪蓮と冥琳に対する絶対の信頼だ

 

小さい頃から共に歩んだ道、交わした拳、交わした剣が、昭の中で絶対の信頼となって次の行動へと手足を動かす

 

「睡蓮、居るか睡蓮」

 

「はい、兄者」

 

「仕事だ。閻象の情報は掴んであるな?」

 

「妻が一人、娘が一人、親戚で力があるものはおりません」

 

「母が、お前を死んだものとして俺に付けた意味は此処にある。働いてもらうぞ」

 

「御意」

 

己の部屋に戻った昭は、小さく呟いた

 

 

 

 

 

桃色の髪、褐色の肌、雪蓮や蓮花にそっくりな顔立ち。であるというのにもかかわらず、顔と髪を布で覆い

豊満な胸をサラシでキツく抑える全身黒ずくめの女が昭の背後に音もなく現れた

 

睡蓮と呼ばれたのは、孫家の三女である孫翊。歳は蓮華のひとつ下。彼女は、蓮華の後に生まれ、皆から姉たちの良い忠臣になると

期待されていたが、母親である炎蓮の悪いところだけを煮詰めたような性格をしており、鍛錬もせず放蕩三昧で

徒党を組んで民の家々を荒らして過ごしていた所、母の炎蓮に徹底的に潰され、果ては死んだこととされていた

 

「必ずや、兄者の雄志を叶えてご覧に入れます」

 

姉たちとは違い、一言で言えば屑そのものであった。人を人とも思わぬ言動、そして己が人とは違い上流の階級に居る

という驕り。その意識のズレは、彼女を獣に落とすのに時間はかからなかった

 

「気負うな、確実に捉えろ」

 

「承知」

 

驕り高ぶった彼女を叩きのめしたのは、言うまでもなく母、炎連

 

【最後に言うことはあるか?聞いてやるぜ?】

 

首に剣を押し付けられ、怯え、涙を流し、失禁すらしたその場で、自分と母の間に入り身を呈して護ったのは他でもない

 

【妹を殺すというのならば、妹の不貞を諌め止めることの出来なかった私も同罪!】

 

【フンッ、お前も死にてぇようだな!?獣になっちまった奴には死のみが救いだ!!】

 

【妹が獣ならば、妹を人に戻すこと事こそ私の、母上に救われた私の使命であると心得ます!どうか慈悲を!】

 

【慈悲だ?面白いこと抜かしやがる。お前は、獣を人に戻せるとぬかしやがるんだな?】

 

幼少でありながら、母の殺気に震え、怯え、ボロボロと涙を流し唇を噛み締めながらそれでも瞳を逸らさず立ち向かった兄であった

 

【必ずや人に、私の妹に戻して見せます】

 

【ハッ!言いやがったな、吐いた唾は呑めねぇぞ!三月待ってやる。それまでにどうにかしやがれ!】

 

命を救われた睡蓮は、その時からまるで蓮華に仕える思春のように、昭に仕えるようになっていた

 

【今からテメェは、昭の犬だ。孫家の人間じゃねぇ、死んだ人間だ。良いな、恩を返せ。テメェの身をもってな!】

 

己は、既に母によって死んだ身、なれば生かしてもらった昭に少しでも恩を返そうと

母の言葉に何も疑問を抱かなかった。むしろ、当たり前のことを言っている母に首をかしげたくらいだ

ただ静かに影に沈み、音もなく、ひたすら忠実に、昭の言葉に従う犬になっていた

 

陽が沈むのを待ち、己の部下を静かに閻象の屋敷に配置させ、音もなく閻象の急所を一撃で抑えこむ

 

鋭く、静かに、その様はまるで月下で吹き荒びながらも気づかれぬ風のように

 

陽が昇る頃には、睡蓮によって昭の前に閻象の妻と娘が拘束された姿で城門の外、数里の所の小屋に捕らえられていた

 

「ご苦労」

 

跪き、頭を垂れる睡蓮は、昭が閻象の妻子に振り向くと同時に姿を消してた

 

「私の事はご存知で?」

 

「え、ええ、知っているわ。袁術様の玩具。犬。いくらでも呼び名は有ります。私と娘をどうする気ですか!?」

 

手足を縛られた閻象の妻は、気丈に娘を庇いつつ昭を睨みつけた

しかし、昭はそんな目線など気にする様子も無く、無表情に貼り付けた笑みを見せていた

 

「どう、とはどういう意味でしょうか?今の時点で、貴女方は私の思うがままですよ、四肢を引き裂こうが

命を奪おうが、私の思うがまま。で、あると言うのに貴女は私にどうするか等と問うのは、随分と余裕があるのですね?」

 

「っ・・・」

 

「流石は閻象殿のご夫人であらせられる。肝が座っておられることで」

 

閻象の妻の眼に入った景色は、目隠しと猿ぐつわをされ手足を縛られる自分の子供。そして、鉄の筒を抱えるようにして

手足を縛られた自分の姿。部屋は何もなく、中央に置かれた質素な机と椅子。そこで短刀を蝋燭の火にかざし

刃こぼれを確認する男の姿

 

「ああ、貴女の抱いているそれですが、作り損ねた鐘です。もったいないから買い取ったのですが、まさかこのような使い方

があるとは思いませんでした」

 

「今にあの人が来るわ。そしたら貴方は終わりよ。袁術様に首を刎ねられるわっ!」

 

「ええ、勿論此処に来てもらいますよ。そのために招待状も認めたのですから」

 

目があった瞬間、閻象の妻は背筋がゾクリと粟立った。静かな口調であるというのに、表面上では笑みを作っていると言うのに

眼は一切笑っておらず、鋭く細められていたのだ

 

「こ・・・殺す、つもりなの?」

 

「そんな面倒な事はしませんよ。お子さんも居られるでしょう?」

 

「・・・」

 

閻象の妻は、昭の言葉に絶望を覚えた。彼の言葉は何一つ信用出来ない。自分は、殺されるかも知れない

子供も、何をしても助からない。あれは、そういう眼だ。幾度も人を殺し続けてきた罪人の眼と同じ

 

処刑前に見たことがある、己の死ですら安々と受け入れる恐ろしいまでに冷酷で狂気に満ちた眼

 

「兄者、お客様が約束通りお一人でお見えになられました」

 

「そうか、通してくれ」

 

恐ろしさに耐え切れず、いつの間にか顔を伏せていた閻象の妻は、急に現れた睡蓮の言葉に顔を上げた

夫が来た。自分を助けに来てくれたのだと

 

「残念だ。この短刀は不要になった」

 

顔を上げた瞬間、己の頬を掠め壁に突き刺さる短刀に、全身が震え麻痺したように動かなくなる閻象の妻

一人で来なければ、私達を殺す気だったのだと理解し、ゆっくりと頭を伏せていた

 

「よくいらっしゃいました。私の願いをお聞き届けて下さったようで、ちゃんとお一人ですね」

 

「貴様、妻に何をしたっ!」

 

「何を?何もしてませんよ、まだ何も」

 

「このような事をしてただで済むとは思うまいな、袁術様が戻られた時には、この事を報告し追放して」

 

「まあまあ、落ち着いてください。そもそも、貴方が悪いのですよ」

 

勢い良く部屋に入り、妻と子の姿に憤慨し昭に詰め寄る閻象は、昭からの予想外の言葉に一瞬だけ言葉が止まった

 

「私が悪いだと!?私は、忠告をしたに過ぎない!我らが無用に争う必要など無いのだ、張昭、貴方のやり方に

いずれ気がつく者が出る。知恵の足りぬ文官共とて、犬の真似をする狼に何時までも気が付かぬはずは無いのだ!」

 

「はい。ですから、貴方が悪いのですよ。狼と気がついているのに、何もしなかったのですから」

 

「何だと!貴様の心に仁と儀は無いのか、お前のためを思い、私は正しき行いを」

 

「仁と儀では腹は膨れません。正しい行いは、孫家の王がなせば良い。私は、正しく無くて良い」

 

「やはり、孫家を」

 

「ええ、貴方の仰るとおりですよ。と言うか、今は乱世であるというのですから、少々警戒された方が宜しいかと。

此方に来てより、ずっと貴方がたを調べて居ましたが、よほど安全な場所に居られたのですね。今日も、私の

草から屋敷に入るのに何の苦労も無かったと聞いております」

 

何をと閻象が言いかけた所で、閻象の影からぬっと出てくる睡蓮。その手には、バケツのような物と火箸が握られており

バケツからは紅々と光を放つ焼けた石が覗いていた

 

「何をするつもりだ!」

 

「そうそう、閻象殿。良ければ私の仲間になって頂けませんか?この地を手に入れるために、私の駒になってほしいのですよ」

 

「何を言っている!馬鹿な真似は止めろっ!放せっ!!」

 

バケツを昭に手渡し、昭に飛びかかろうとする閻象を軽々と地面に押さえつける睡蓮

 

昭は、閻象の妻が抱きかかえる逆さの鐘に紅々ひかり、熱を放つ石を一つ落とし入れた

 

「あ、ああ、いやぁぁぁぁぁっっ!」

 

「今日は、寒いですからね。あと1つ2つで直ぐに暖かくなりますよ。3つも入れれば、良い匂いが漂うはずです」

 

妻の悲鳴に閻象が力の限り暴れるが、睡蓮の力に抑えられ抜けだすどころか身じろぎすら満足に出来ず

愛しい人間の歪む顔をただ見る事しか出来なかった

 

「止めろっ!止めろぉっ!!」

 

「私が聞きたいのは、是か非かで、その言葉では無いのですが」

 

再び紅々と熱を放つ石が鐘に落とされ、熱が閻象の妻の足と腕に襲いかかる

泣き叫び、暴れ、鐘から手足を外そうともがくが、鐘は重く、手足も固く固定され、ただ己の肉が焦げるのを

絶望と共に見る事しか出来ない

 

「ああ、そうそう。安心してください、次はお子さんですから。その後は閻象殿。親子仲良く、同じ体験をしていただかなければ」

 

「馬鹿なっ!子供は関係無いっ!!」

 

「はぁ・・・それを決めるのは私であって、貴方ではありませんが」

 

叫ぶ閻象であったが、昭は呆れたように頭を掻くだけで、意にも介さず焼けた石をもう一つ落とした

 

「解ったっ!解ったから止めてくれ!!」

 

「解ったとは?」

 

「従う。仲間に、この地を捕る事に手を貸す」

 

「はあ、そうですか」

 

耳は聞こえているであろう子が震え涙をながす姿と妻が絶叫する姿に耐えられなくなった閻象殿は、観念し仲間になると

口にしたはずが、昭は更に次の石を鐘に落としていた

 

「なっ!!何故だっ!!仲間になるとっ!!」

 

「お前は何だ?兄様が狼ならば、貴様は犬。いや、それ以下のただの肉塊だ」

 

髪を掴まれ、思い切り首を引き上げられた閻象は、雪蓮と同じ鋭く荒々しい殺気を纏う蒼い瞳と目が合った

 

「な、仲間に、私に手伝いをさせてください。お願い申し上げます」

 

「承知いたした。睡蓮」

 

「はい」

 

拘束を解かれた閻象殿は、地面に力なく崩れ、指示を受けた睡蓮は、壁に突き刺さった短刀を引き抜いて

未だ叫び続ける閻象の妻の手足にキツく結ばれた紐を断ち切った

 

「睡蓮、報告の通りのようだ。警備の兵に緊張は無く、袁術が外に出ているというのに何の警戒もない」

 

「はい。閻象の私兵ですら緩んでおります。いかが致しますか?」

 

「ああ、雪蓮が何も手を下さずこの地が手に入るよう、あと数人俺の仲間になってもらいたいのだが」

 

「御意」

 

影に染みこむように、憔悴しきった閻象の妻を抱え消える睡蓮

昭は、ガタガタと震えながら地面に転がる閻象の子供を抱き上げ、閻象の側へと近づいた

 

「子と夫人は、我が【孫家】の屋敷でお預かり致します。そうそう、親戚の方達にも一応書簡を送らせて頂きました。

ご安心を、私の部下がちゃんと届けますので」

 

既に逆らう気は無いであろう閻象に追い打ちをかける昭は、私が子や妻を預かる口実を考えてくださいと

更に耳打ちをし、己の配下に閻象と子を頼むと、小屋から出て馬に跨った

 

「予期せぬ事であったが、今回のことはいい機会だったな。おかげで、閻象殿意外はまだ誰も俺を警戒しておらず

未だ、馬鹿な犬と思ってくれている。有難いことだ」

 

己の草に警戒させつつ、大きく動いてみたが、誰も動かず兵も動かず

黄巾党討伐に出兵しているため、この地を他勢力が攻め込めば直ぐに落とされる程であるというのに

警戒が薄すぎる。確かに、この地を攻めこむ大義はなく、何者かがむやみに攻め込めば黄巾討伐へと出兵している

他勢力が、袁術に力を貸してこの地を取り返すべく動くだろうと考えているからなのだろう

 

「外の警戒は、そこそこ。だが、内側に対して全く警戒をしていない。雪蓮、俺が最高の戦果をお前に贈ろう」

 

呟き、昭は城へと馬を走らせるのであった

 

 

 

 

 

 

 
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