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真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第八十九話

ムカミさん

第八十九話の投稿です。


魏の新たな歩み、その一歩――――の前段階。

2015-10-17 05:55:22 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:3164   閲覧ユーザー数:2614

「――――というわけで、馬騰との会談は完全に失敗に終わってしまったわ。

 

 これは完全に私の読み間違えが起こしてしまった結果よ。皆には本当に申し訳が無いわ」

 

きびきびとした、しかし抑揚の少ない華琳の報告の声が響くここは、魏の都・許昌にある城の軍議室。

 

華琳の帰還に合わせて、手を空けられる文武両分野の将一同が集い、その報を待っていたのである。

 

しかし、そこに齎されたのは事前の予想を大きく外れた結果だった。

 

浮かない表情の華琳、顔色の冴えない一刀。更には普段から無口無表情がトレードマークのような恋までが、沈んだ表情を見せている様は、まさに魏の面々にとって異常な光景なのであった。

 

「そんな……馬騰が呼びかけに応じない可能性は確かにこちらでも考慮していたけれど……

 

 まさか、恋と一刀がいて、それでも向こうの温情で逃げ帰るのが精一杯だなんて……」

 

「…………恋のせい。零、ごめんなさい」

 

「恋さん、これは恋さんが謝ることではありませんよ。聞く限りでは本当にどうしようも……

 

 それと、零さん、少し――」

 

「分かってるわ。分かっているのよ、理性ではね。

 

 それでも少し……衝撃だったの。ごめんなさいね、恋、一刀……」

 

額に手を当て、顔を仰け反らせるようにして零は自身の甘さを反省する。

 

普段から零は言いたいことはズバズバ言うタイプの人物である。そんな零が、今は言葉を濁している。

 

それだけ報告された内容が衝撃的だったのだろう。

 

それは他の軍師たちの様子を見ても分かる。

 

未だ勉強中として許昌に拘束され続けている音々音も、不用意に恋に声を掛けられないほどなのであった。

 

そんな重苦しくなる一方の軍議でしかないそれを、華琳も嫌だったのだろう、伝えるべきことだけ伝えると締めに掛かったのだった。

 

「馬騰は私たちを見極めると言っていたわ。

 

 それがどのような方法でなのかは分からない。けれど、恐らくこの先、どこかの戦場で彼女たちと相見えることはあるでしょうね。

 

 ただ、私たちが為すべきことは何も変わらないと思ってくれていいわ。

 

 この大陸に天下泰平を。我が覇道を以てそれを成し遂げる。それが我が魏国の目標よ。

 

 それでも、一つだけ、今この場で皆に宣言しておくわ。

 

 皆は”天の時”、”地の利”、”人の和”は知っているわね?

 

 私は今まで、”天の時”を重く見過ぎていたわ。今回の件でそれがよく分かったの。

 

 これからは”人の和”を最優先にして、”人”の力を以て”地の利”を引き寄せることを最重要とする。

 

 ”天の時”は飽くまで事を為す指標、判断材料の一として考えることとする。

 

 このことを皆も肝に銘じておいてちょうだい」

 

皆が一様に真剣な表情を崩すことなく頷きを返す。

 

それを見届けてから華琳が軍議の終了を宣言した。

 

「皆の中にはまだ整理のつかぬ者もいるでしょう。

 

 今この場は解散し、思うところのある者は後々に聞きに来なさい。

 

 一刀、桂花。あなた達のところにも、向かわせても構わないかしら?」

 

「ああ、大丈夫だ。俺自身が考えるべきことは、既に帰路で考え尽したからな」

 

「はっ、承知致しました。文官の立場として知りたいことがある者は、華琳様のお手を煩わせるよりも私の下へ、ということで」

 

「ありがとう、二人とも。

 

 それじゃあ、皆、今日の仕事に戻ってちょうだい」

 

華琳に促され、各々のいるべき場所へ。

 

その場に残ったのは華琳たち帰還したばかりの者と文官代表として零のみ。

 

そこから零と桂花を中心に今後の仕事の割り振りが行われた。但し、早くても翌日の分から。

 

この日は皆、疲れを癒すために休養日となったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一刀っ!」

 

自室へと足を向ける一刀に、背後から声が掛かる。

 

振り返れば春蘭が秋蘭と共にこちらへと近づいて来るのが目に入った。

 

「どうかしたの、春蘭?」

 

「あ~、なんだ、その、アレだ……今日は少し、飲まないか?」

 

最初に感じたのは、珍しい、だった。

 

いつもならば、「今日は飲むぞ!」と問答無用に連れていかれるところである。

 

それが今日に限っては一刀の意見を伺うように、誘う、という形を取ってきたのだ。

 

ちなみに、この時の春蘭は言い淀んだ際に若干俯いた顔から上目遣い気味に問うてきている。

 

普段の勇ましい春蘭とのギャップには、恋人補正かはたまた誰でもそう感じるのか、秋蘭がよく使うあの台詞が頭を埋めんばかりだった。

 

そんな第一波が過ぎた後、次に感じたことは、ありがたい、であった。

 

帰路にて色々と考え込んだとはいえ、気持ちの整理が完全についたのかと問われればノーと答えざるを得ないのが今の一刀の状態である。

 

「それはいいな。今から?」

 

気付けば一刀は諾の返答を口にしていた。

 

それを聞いた春蘭は顔をパッと輝かせる。

 

「あ、ああ!今からだ!」

 

「まだ夕方前だけど、まあいいか。

 

 秋蘭もそれで?」

 

「うむ。偶にはこういったこともいいだろうしな」

 

「そっか。それじゃあ、どこでやる?

 

 お店――はさすがにあれだよなぁ……

 

 俺の部屋で飲もうか。酒は自分たちで持って来る感じで」

 

「ああ!」 「うむ」

 

「じゃあそういうことで。

 

 俺もちょっと流琉に貰ってくるよ。手持ちじゃあ少し足りないかも知れないからな」

 

二人に軽く手を挙げてから一刀は足を厨房へと向け、一旦二人と別れるのだった。

 

 

 

 

 

言葉通り、春蘭と秋蘭は程なくすると一刀の部屋を訪れてきた。

 

それぞれ、手に持つは自身の所有していた酒。

 

一刀もまた二人が来るまでに部屋と酒を整え終えていて。

 

用意しておいたテーブルに二人を招き、その後に自らも席に着いた。

 

そうして夕方の日も落ち切らぬ内からの、早くもささやかな酒宴が始まりを告げた。

 

 

 

元より低かった日もすぐに窓の奥に見える街の向こうに沈み、外は闇を深めていく。

 

残照も全て残らず消え去った頃、それまで他愛無い話ばかりだった酒宴はようやくそれを開いた本題に移ろうとしていた。

 

「なあ、一刀。実際に対峙して、馬騰はどうだったのだ?」

 

「随分と突然だなぁ。まあ、それが春蘭らしくもあるか。

 

 馬騰、馬騰なぁ…………ありゃ、化け物だよ」

 

いつかは出ると分かっていただけに、一刀の返答も比較的早いもの。

 

それに多少驚いた感を出して答えたのは秋蘭だった。

 

「ふむ、一刀をして化け物と言わしめるか。

 

 だが、私たちにとっては一刀や恋も十分に化け物の部類なのだぞ?」

 

「そうかな?

 

 凪や梅、流琉や季衣、それに斗詩、猪々子ならまだまだかもしれないけどさ。

 

 春蘭や菖蒲、霞とそれに秋蘭も。日常的に手合わせすることで差は着実に縮まって、手が届かないほどとは感じないだろ?」

 

「なるほど、確かにな。

 

 だが、それでも私達が勝ったことが無いのもまた事実だぞ?」

 

「そうだそうだ!大体、一刀!お前は一度だけ恋に勝ってるからいいかも知れないが、私達はまだ恋に勝機の欠片も掴めていないのだぞ!」

 

少し逸れちゃってるなぁ、と苦笑しつつ、一刀はやじる春蘭に答えて話を戻す。

 

「恋は武に関しては天性の勘を持ち合わせているからね。一種、獣じみているとも言えるほどの勘の良さだ、そう簡単には勝てないと思うよ。

 

 それでも、見ていたから分かっているとは思うけど、馬騰はそんな恋を遥かに凌駕していた。

 

 全く、いまだに思い出すだけで震えそうになるよ……」

 

ここで一刀は溜め息を一つ。そして少し話題を変える。

 

「俺はさ、一度斗詩に話したことがあるんだ。

 

 才なんてものは道を歩む速度の違い程度でしかない、真の強者になれるかどうかは、弛まぬ努力をどれだけ続けられるかなんだ、って。

 

 俺のこの持論とは少しだけ違うけど、こんな言葉を聞いたこともある。

 

 『才能は有限、されど修練は無限』。要は努力こそが最も大切なもの、ってのは色んな人に認識されてるものなんだろうね」

 

一刀の語る内容に、二人は黙って耳を傾けている。

 

話の主題は変わっていても、一刀が無意味な内容の話を突然するはずが無いだろうという、信頼があったが故である。

 

一刀もそこに感謝し、話を続ける。

 

「けど、そんな中にも”資質”というものはあると思っている。

 

 各々の資質に合わない修練は、いくら積んでもそこそこまでしかいかないんだろうってな」

 

「資質?」

 

「そ、資質。例えばさ、春蘭。自分が秋蘭や俺みたいに頭を使い続けて理詰めで相手を攻撃する姿って想像出来るか?

 

 同じように、秋蘭が理なんか一片も考えず力任せに突っ込んでいく姿って考えられるか?」

 

「む……全く想像が付かんな」

 

「つまり、一刀の言いたい”資質”とは、型のことなのか?」

 

「平たく言えばそうだよ、秋蘭。もうちょっと正確に言えば、資質に合わせて型を調整することで初めて全力を出し切れると思う。

 

 斗詩も大金槌から双剣に変えて、つまり斗詩の資質にあった型に変えて武力は上がっただろう?

 

 勿論、鍛錬の質が今までより上がったのもあるんだろうけど。

 

 まあ、そんなわけで、その人の型を見ればその資質が、つまりどんなことが得意なのか、逆に苦手なのかが大体分かるはずなんだけど……」

 

そこで一刀の言葉が一度途切れる。

 

それは改めてかの光景を思い出していたから。

 

一刀の脳内でその作業が終わり、幾度も出した同じ結論にまたも溜め息が口を突いて出てしまった。

 

「ほんの一瞬、たった一合だけとは言え、馬騰に見えた資質には穴らしい穴が見えなかったんだ……」

 

「は……?穴が無い……ってことは、それはつまり、無敵と言う事なのではないのかっ?!

 

 おい、どうなんだ、一刀っ!!」

 

珍しく瞬時に一刀の言いたいことを理解した春蘭が、その内容に驚き、食って掛かる。

 

一刀が何事かを答えるよりも早くそんな春蘭を宥めたのは、秋蘭であった。

 

「まあ、落ち着け、姉者。一刀、勿論お前なりの見解が何かしらあるのだろう?

 

 それを教えてくれないか?」

 

「ああ、勿論。

 

 後天的な努力等によって身に着けることの出来る技術とは違って、資質ってものは生まれつきのもの。つまり、変えられない。

 

 そして、そこには望むと望まないとに関わらず得手不得手が出来てくるはずなんだ。

 

 それが見えないということは……相反するような、互いに穴を埋められる資質を複数同時に持つのか?それはやはり考えにくい。

 

 ならば馬騰の資質が万能なものなのか?それもまた考えにくい。なんでもそつなくこなすことと資質が万能であることは等号では表せない。

 

 こうなってくると、俺に考えられるのはたった一つだったよ」

 

僅かに開けた間。それが俄かに緊張感を増す効果を生む。

 

春蘭も秋蘭も思わずゴクリと唾を飲んで一刀の言葉の続きを待った。

 

「馬騰は既に、資質がどうこうというところを超えたところにいる。

 

 所詮、資質は自身の学ぶ速度、その部類において強くなれる速度の差程度でしかない、と理論上の話だけど、馬騰はそれを体現しているのかも知れないな」

 

「つまり、馬騰は様々な闘い方を全て極めるほどに高めている、というのか?」

 

「飽くまで予想だけど、ね。

 

 けれど、それが考えられる唯一にして、最悪の結論だったよ……」

 

事態は常に最悪を想定しろ。一刀はそれを自身の行動を起こす前の旨としている。

 

その考えが今回のこの結論に至っていた。

 

最強。無敵。凡そ誰もが憧れながらも実現など出来ないと心のどこかで理解しているこれらの言葉。

 

だが、この結論から導き出せる馬騰の真の実力はそう言い表せる可能性を多分に秘めたものなのであった。

 

秋蘭もそれを理解し、帰路における一刀同様にどうすればよいのやら、と悩む。

 

静まりかけた部屋の空気が落ちきらなかったのは、直後に春蘭が良いアイデアを思いついたと言わんばかりに声を上げたからだった。

 

「むぅ……ならばより強い力で一気に叩き潰せば!」

 

「姉者、それはあまりにも――――」

 

「俺も近い考えを持つに至ったよ、春蘭」

 

「なっ?!か、一刀っ?!」

 

珍しく秋蘭が慌てる姿が目の前に。

 

それも仕方が無いかな、と一刀は思っている。

 

一見、短絡的に過ぎるように見える考え方。

 

だが、色々と理詰めで考えた結果、一刀の考え得る打開策はこれしか無かったのであった。

 

「まあ聞いてくれ、秋蘭。

 

 さすがに春蘭の言い方は、その、ちょっとアレだけど、考え方の方向性が俺の結論と同じなんだよ。

 

 それに至った大体の思考の流れも、勿論今から説明するからさ」

 

諭すようにそう言われ、秋蘭もまずは話を聞こうと落ち着く様子を見せた。

 

春蘭もまた、秋蘭同様に黙って耳を傾ける態勢を作っている。

 

そんな二人を交互に見てから、一刀はその説明に入った。

 

「さっき、馬騰は資質云々を超えたところにいる、って言っただろ?

 

 当然のことだけど、馬騰も初めからそんなだったわけじゃないはずだ。

 

 得意な型や戦法があり、同時に苦手なそれもあって。時には思わぬ苦戦を強いられたりもしたのかも知れない。

 

 じゃあ、どうして彼女が今のような力を得たのか。

 

 簡潔に言ってしまえば――――飽くまで俺の予想なんだが――――様々における血の滲むような努力、なんだろう。

 

 きっと、普段からの鍛錬は凄まじいものだったはず。それに……」

 

くっ、と軽く唾をのみ込む。思うだけで未だに奔る戦慄に、自然と一刀の体が反射としてそれを行ったのだ。

 

そのちょっとした動作が、春蘭、秋蘭にも緊張を呼び起こす。

 

「実戦経験の、桁が違う……馬騰とは踏んだ場数が余りにも違い過ぎるんだ。

 

 武官に従事している年数の違いも勿論あるが、聞いた話ではそれ以上に、彼女のいた環境が問題だ。

 

 かつては中央軍の将の一人として各地の賊を討ちに走り回り、中央を離れてからは五胡との終わりなき衝突……

 

 きっと、何百何千という死線を越えてきたんだろう。

 

 そして、それこそが馬騰の実力を確固たるものにしている。

 

 命懸けとなる実戦は、たった一度とて幾十の鍛錬にも勝る修行となり得る。

 

 それだけに、数多の戦を渡り歩いてきた馬騰を超えるのはあまりにも難しいことだろう」

 

一刀のその見解には春蘭も秋蘭も異を唱えない。

 

二人とも、間近で馬騰を見たことで、一刀の話が大きく外れていることは無いと分かっているからである。

 

「数えきれないほどの鍛錬と実戦に裏打ちされた強固に築き上げられた馬騰の武力。

 

 ある意味で、彼女は究極の努力家と言えるんだ。

 

 決して卓越した戦闘勘や生まれ持った資質に頼り切りなわけじゃない。

 

 こうなってくると、最早おいそれと付け入る隙は無いよ。あったとしても、付け入るには馬騰と様々な面で同等以上でいなければならない。

 

 まずもって、今の俺たちには誰にも無理なことだ」

 

ここで一刀の視線はツイッと春蘭へと向けられる。

 

その口は淀むことなく説明を続けていた。

 

「だからこそ、さっきの春蘭みたいな考え方が難題ながらもほぼ唯一の道だと考えている。

 

 各能力を満遍なく馬騰の領域まで押し上げるなんて、それこそ神懸った成長速度を維持し続けても無理なことだろうしな。

 

 尤も、十年単位で時間を取ることが出来るのならば別の道もあるんだろうけど」

 

「なるほど。つまり、一刀はこう言いたいのだな?

 

 一つ乃至二つ程度の能力をより特化させて力を増し、その一点をもって馬騰攻略の糸口を見つけよう、と」

 

「そういうこと」

 

「むむ……だが、一刀、それは口で言うほど簡単なことなのか?」

 

珍しく春蘭が核心を突いた質問を繰り出してくる。

 

当然、それは秋蘭も同様に感じていたことだ。

 

「うん、簡単なことじゃあ無いよ。だから、俺はこれからハードスケジュール――かなり無理をした鍛錬計画を立てることにした」

 

「ふむ。一刀、私達の分の計画もそれに沿って立ててはくれないか?

 

 私達もこのままではいけないと思っているのだ」

 

「うむ!私からも頼むぞ、一刀!

 

 華琳様をお守りし、魏武の大剣の名に恥じぬようにするには、もっともっと強くならなければならないからな。

 

 馬騰をこの目にして痛感した。私はまだまだ弱い」

 

一刀に頼む二人の真剣な表情には一切の欺瞞など無かった。

 

ただただ真摯に、武官としての格を上げたい。その願いが並ぶ瞳からは滲みだしていた。

 

「ああ、分かった。それなら、ついでに他の皆に関しても、するしないはともかくちょっと考えてみることにするよ」

 

「うむ、頼んだぞ、一刀。

 

 そういった鍛錬の計画などを立てるは、効率等の面からやはり一刀が適任なのでな」

 

「ああ、承った。

 

 っと、随分と酒の手を止めてしまったな。

 

 春蘭、秋蘭。辛気臭い話はこれくらいにして、今日はもうちょっと飲もう」

 

「ああ!」 「うむ」

 

さっと話を切り上げ、三人は先ほどまでの飲み会へと戻っていく。

 

と、暫くしてからふと気づいた一刀が秋蘭に向かって尋ねた。

 

「そう言えば秋蘭、今更だけど、もう随分といい時間だ。

 

 そろそろ戻っておかないと明日に仕事に障りが出はしないか?」

 

その言葉を聞いた秋蘭の表情が、不意に妖艶なそれに変化した。

 

「なんだ、一刀、そんなこと。

 

 この時間、この状況……私達も理解した上でまだここにいるのだ。

 

 皆まで言わせてくれるなよ?」

 

「う、うむ……」

 

見れば春蘭も、こちらは顔を赤くして俯き気味ではあったが、頷いていた。

 

「…………こんな時にあんまり求めて、がっつき過ぎとは思われたくなかっただけなんだがな」

 

「ふふ。一刀、私達はもうちょっとがっついてくれてもいいと思っているのだがな……」

 

「そっか。それじゃあ……

 

 春蘭、秋蘭。まだまだ夜は長いぞ、ってことで」

 

「うむ」 「あ、ああ」

 

 

 

その後、三人は久々の幸せに存分に浸ったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

太陽も随分と高く昇った頃、一刀たちの姿は許昌の調練場にあった。

 

春蘭はまだ少し眠そうにしてはいたが、隈が出来ている、というようなことは無い。そこだけは幸いだったと言えるだろう。

 

なお、一刀と秋蘭は平然としている。その職務上、早起きや短時間睡眠はざらにあることだからかも知れない。

 

一刀たちの周囲、調練場には武官のほぼ全て、加えて華琳と零が集っていた。

 

要するに、武に覚えのある者が一同に会していたのである。

 

これは予め定められたものでは無い。急遽、一刀が華琳に許可を取り、集めたのであった。

 

それが故に、集まり方は一刀と華琳が前に出て、その眼前に残る面々が立っている、といった形である。

 

招集を掛けた者たちが集まったのを見て取ると、一刀が挨拶から入ってその理由を説明し始めた。

 

「皆、おはよう。急な要請にも関わらず、ちゃんと集まってくれたことにまずは感謝したい。

 

 今日集まってもらったのは他でもない。

 

 先日、俺たちと馬騰との間のやり取りは皆が聞いた通りなんだが、そこから俺が考えたこと諸々を伝えようと思う」

 

一同は特別ざわついたりはしない。

 

タイミング的に、十分に予想されたことである上、元より一刀の雰囲気がそれを物語っていたからである。

 

一刀の話は誰にも妨げられることなく続けられる。

 

「立ち上げからここまで、魏は着実に力を付けてきた。それは皆も実感しているだろう。

 

 沙和や三姉妹のおかげで兵数も大幅に増している。

 

 凪を始め、各将も新兵訓練を受け持つことで、練度も他に比べて高く保っている。

 

 そして、皆が鍛錬に手を抜かないが故に、将の実力も格段に増している。

 

 だが、それでも。それでも、だ。それでもなお、馬騰と、そしておそらくだが孫堅とも。

 

 彼女らと対峙しようとするには、まだまだ足りない。今のままでは誰一人、まともに打ち合えずに負けてしまうだろう……」

 

沈鬱な一刀の表情が、それが紛れも無く一刀の本音なのだと皆に理解させる。

 

一人残らず理解出来たからこそ、次の言葉が瞬時に皆に染み込むこととなる。

 

「軍として、国として勝つことだけならば、可能かも知れない。それこそ、ただ数をのみ投入すれば良いのだから。

 

 だが、それは愚策も愚策、例え最終手段としてでも使ってはいけない策だ。

 

 敵の個としての最大戦力を、こちらも個として最小限抑えられるように。それがこの大陸においてこちらから戦を仕掛けられる条件だと俺は考えている。

 

 つまり、だ。

 

 俺は、最低でも二人、馬騰と単騎で渡り合える将をここから輩出しなければいけないと考えている。

 

 馬騰と孫堅。あまりにも強大な力が今後立ち塞がる可能性が高い今、早急にそれを為さなければならない!」

 

これにはさすがに皆がざわめいた。

 

それでも、一刀が昨夜語ったようなまでの絶望感は見受けられない。

 

それもそうだろう。彼女達が知るのは、魏で随一の武を誇る恋がいとも簡単にのされてしまったという事実だけなのだから。

 

一刀たち西涼を訪れた者達とそうでない者達との間に温度差が生じていても、今は仕方が無い。

 

ゆくゆくはこの辺りも是正していかないとな、と内心で考えながら、一刀は結論を口にする。

 

「故に、俺は本日よりの将として個人で行う鍛錬を、より自身を追い込むように組み直すことにした。

 

 正直なところ、かなり無茶な内容になるだろうと考えている。

 

 それでも、あの二人に対抗するためには死にもの狂いでの鍛錬が要されることは間違い無いんだ。

 

 そして、ここからが本題だ。

 

 俺自身も無茶だと自覚するような鍛錬だが、これに参加したい者は申告してくれ。俺は拒まない。

 

 無論、途中で投げ出したとて、責めることは無いと約束しよう。ただ、初めから中途半端な気持ちでは名乗り出ないで欲しい。

 

 それは他の者の足を引っ張ってしまいかねない。許される時間が短いと予測している今、それだけは避けたいことだからな。

 

 ちなみにだが、既に春蘭と秋蘭は賛同してくれている。というよりも、こうして話を拡大することにしたのは二人がきっかけだ。

 

 今日中にでも新たな鍛錬法を纏め上げ、俺たちは明日の鍛錬から、すぐにでも新たな手法に移るつもりだ。皆もそれを見――――」

 

「恋も、やる。恋、まだ弱い。だから、強くなりたい。ううん、なる」

 

一刀の言葉に食い気味に恋が声を上げた。

 

いつもの彼女にある独特の間も無く、強い意志を感じさせる瞳を真っ直ぐに一刀に向けて、そう言い放つ。

 

これが皮切りとなり、続々と声が上がる――――という事態には、残念ながら今回はならなかった。

 

こればかりは先程も感じた温度差に原因があるのだろう。

 

まあ、今はこれでいい、と一刀は考えた。

 

「ありがとう、恋。

 

 他の皆は、今の話を後々自分なりに咀嚼して、それで俺たちの新たな鍛錬を見て、それから結論を出してくれたらいい。

 

 一応俺なりの意見を言っておくと、参加しない方を推奨する。

 

 身の安全性は度外視するくらい、無茶をやらかすつもりですらあるからな」

 

一刀のその宣言は若干なり場の空気を重くするものであった。

 

異例の宣言、異例の事態。それを皆に色濃く意識させたのである。

 

一刀は話を終えると目配せで華琳に何か言いたいことは無いかと尋ねる。

 

それに答える華琳は首を横に振っていた。

 

「よし、それじゃあ、皆。聞きたいことがあれば今のうちに何でも聞いてくれ。

 

 …………いないのかな?後々に疑問が湧き出たのなら、俺のところに来てくれればいい。その時に回答しよう。

 

 今日の用件は以上だ。改めて言う。皆、ありがとう。

 

 今日の仕事に戻ってくれ」

 

一刀により解散が言い渡される。

 

将たちは三々五々、今の話の内容を語らい合いながら散って行ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し話がしたい。夜、一人で部屋に来るように。

 

一刀が華琳にそう言われたのは一日も終わりに差し掛かる、夕焼けに空が赤く染まった時間帯のことであった。

 

廊下でのすれ違い様、そう囁かれたのだ。まるで人目を避けるかのように。

 

華琳もその立場上、色々あるのだろう。そう考え、一刀は素直に華琳の要望に従うことを決めた。

 

そして件の夜。

 

一刀は華琳の部屋をノックし、来訪を告げる。

 

「一刀ね。入っていいわよ」

 

中から聞こえてきた声に、一刀は部屋の扉を開く。

 

部屋に入り、扉を完全に閉めてから一刀は声を出した。

 

「どうしたんだ、華琳?何か人には言えない相談事か?」

 

「あら?分かっているのなら話は早いわね」

 

あっさりとそう言い切った華琳に、逆に問うた一刀の方が驚く結果となった。

 

一刀の開口一番の台詞は半ば冗談のように掛けたものだったのだ。

 

それほどまでに華琳が人に相談するという姿が思い浮かばないものだったのだから。

 

しかし、考えてみれば先日考えた内容は華琳にもまた当て嵌まる。

 

如何に強力なカリスマ性を有し、鋭い覇気を宿し、卓越した智を以て良く広大な魏国を治める華琳と言えど、その余計な情報を剥ぎ取った所にいるのはまだまだ若い少女なのだ。

 

当然、人並みに悩みを持つこともあるだろう。

 

一刀はそれを失念してしまっていたことに気付かされたのだった。

 

「珍しい、って言いたくなるな。

 

 まあ何にせよ、俺に出来ることなら何でもしよう」

 

国王という立場に収まっている現状では、例え些細なことだとておいそれと相談できる者が周りにいない。

 

ならば、せめて対外的な立場の上では華琳と同等となっている一刀くらいは、そういった相談相手になってあげよう、とそう考えた。

 

それを汲み取ったのか、はたまた単純にいつもの癖か、華琳は口元に微笑を浮かべると、相談内容を簡潔に口にした。

 

「一刀。今朝の鍛錬の話なのだけれど、あれを私にもつけてもらえるかしら?」

 

「…………へ?」

 

「あら?聞き取れなかったのかしら?」

 

「いや、ちゃんと聞き取れているけど……えっと…………

 

 なあ、華琳。どうしてまた急にこんなことを?」

 

一刀は己を満たす困惑にどう対応すべきかを全く考えられない。

 

あの場に華琳にいてもらったのは、許可を得る際に詳細までは話していなかったが故に、今後の武官の鍛錬計画の変更を手早く知ってもらうためであった。

 

零にも半ばそのつもりで来てもらっていた。

 

一応この二人も武の素養はある。

 

が、主たる仕事は机仕事な二人だけに、今回の鍛錬強化の人員には初めから一刀は考慮していなかったのだ。

 

華琳は困惑する一刀が面白いとでも言うかのようにクスリと笑うと、これを切り出した理由を説明し始めた。

 

「今回の馬騰の件、貴方だけでなく私も色々と痛感したことがあるのよ。

 

 中でも、特に深刻だと感じたことが、今のままでは最悪の場合、我が身をすら守れないかも知れない、ということ。

 

 いえ、少し違うわね。覇道を歩むと決心して以来、踏み外せば討ち取られる覚悟くらいは決めていたのだから。

 

 ただ、明確な抵抗の意志を持って相対した上で為す術もなく討ち取られることだけは、私の矜持が許さないわ」

 

「なるほど。その時が来たのだとすれば、最低限の誇りだけは保っておきたい、と」

 

コクリと華琳が頷く。

 

ようやく冷静になれてきた一刀は、改めて華琳の話を反芻する。

 

そして会話の矛盾に気付いた。

 

(何というか……華琳らしくないな。

 

 やろうとしていることとそれの目的とがズレている。華琳自身がそれに気づかないわけが無いだろうに)

 

気付いていないわけが無い。ならば、気付いているものとしてその先を思考する。

 

指摘待ちをしているのか。それは今の華琳の態度等からは考えられない。

 

敢えて気付かないようにしているのか。だが、そうというわけでも無さそうである。

 

ふと一刀は思う。難しく考えすぎてはいないか。

 

それが頭を過ぎると、いつの間にか一刀の口は言葉を紡いでいた。

 

「華琳。さっきも言ったように、俺に出来る限りのことはしよう。

 

 だけど、出来れば隠さず話してくれないか?これに関しては、建前だけではちょっと気が引けるから」

 

一刀に言われ、華琳は目を丸くする。

 

こう言われるとは考えていなかったのだろう。

 

暫しの沈黙。そこに一刀が更に言葉を掛けた。

 

「華琳。君は確かに魏の王、誰よりも上に立ち、それ故に誰にも気軽な相談は出来ないのかも知れない。

 

 だけど、そうやって溜め込み過ぎると、いくら華琳と言えど参ってしまうだろう?

 

 せめて俺にくらいは、些細な愚痴でもいい、話してくれないか?

 

 魏王・曹孟徳としてではなく、一人の女の子・華琳として」

 

「…………ふふ……あははははは!

 

 そうね、それもそうだわ。言われてみれば、確かに私も気負いすぎていたのかも知れないわね」

 

ふぅ、と溜め息、そして深呼吸をして華琳は仕切り直す空気を作った。

 

一刀もまた華琳に真摯な視線を向け、何でも聞くと態度に示している。

 

「馬騰に恋が吹き飛ばされた時、私は恐怖してしまったの。

 

 恋が、一刀が……魏でも比類ない武の二人でも敵わない相手は、きっとどこかに存在する。それは頭では分かっていたわ。

 

 けれど、私自身でも驚いたのだけれど、私の心は二人を大陸で最強だと信じていたみたいね。

 

 そんな恋が負けて……一刀も当たる前から馬騰に気圧されていて……

 

 初めて明確に、自身の死の可能性が脳裏を過ぎったわ。その時に感じたのは、圧倒的な恐怖だった……

 

 恋でも勝てないのに、私なんかでは打ち合うまでも無く殺される。それを脳が理解する寸前、私は恐怖に呑まれて立ち竦んでしまったの。

 

 その後、色々あってあの街を発って……

 

 私の頭に残ったのは、もっと武を高めておきたい、闘争の場で生き残れるだけの力を備えておきたい。そんなものだったわ。

 

 ええ、そう、さっきの建前とは全くの逆よ。こんなことを考えてしまう私を――」

 

「負の感情の類は感じないよ。大丈夫だ、華琳」

 

華琳の自嘲するような言葉に被せ、一刀がはっきりと言い切った。

 

そのまま華琳に言い聞かせるかのように言葉を続ける。

 

「人間に限らず生物の本能が従うものは何か。それは生存願望だ。

 

 生存するためならば、例えどれだけ見苦しかろうが形振り構わない。それが生物として当然なんだ。

 

 そしてそれと同じくらい、生物は”死”というものに恐怖する。

 

 これは産まれる前から既に心に摺り込まれたもの、それを恥じる必要性なんてどこにも無いと俺は考えている。

 

 現に、俺の技の中にも、”生き残る”ことをのみ考えたものがある。華琳も聞いてはいるだろう?」

 

一刀が口にするは、自身の技、”卑剣”のこと。

 

武士・武官の矜持などあったものでは無いあの技でも、一刀は有効と感じれば迷いなく使うだろう。

 

”天の御遣い”などと称されている自分でさえこれなのだから、華琳も何も問題無い、と暗に示したのである。

 

ついでに、一刀は完全な断定口調を以て説明した。

 

一刀が語った内容にも多少なりの例外は存在する。が、それを華琳に感じさせないようにするためであった。

 

「……ふふ、ありがとう、一刀。

 

 貴方にそう言ってもらえるのであれば、分かったわ、私ももう、気にしないことにしましょう」

 

一刀の言いたいことはきちんと華琳に伝わり、華琳も笑みをもってそう答えたのだった。

 

「よし。それで、華琳。具体的にどうしようか?

 

 正直なところ、鍛錬を行った後に政務は出来ないくらいになると思うが」

 

「なら、夕方、政務後にお願いするわ」

 

「分かった。但し、華琳が望んだことだ、手加減無しでいくぞ?」

 

「ええ、望むところよ」

 

ニヤリ、クスリとそれぞれの笑みで笑い合う。

 

その微笑み合いで話は終わりとの雰囲気が漂い始めた。

 

そろそろ戻るか、と一刀が立ち上がる。

 

「それじゃあ、華琳。鍛錬計画を立てたらまた伝える。

 

 日程は華琳自身で決めてくれ。さすがに華琳の政務内容までは把握していないからな」

 

それだけ言い残し、一刀は部屋を退出しようとした。その時。

 

「待って、一刀」

 

華琳が一刀を呼び止める。

 

一度終わりの雰囲気を出してからこれとは、またも華琳にしては珍しいな、と感じつつ一刀は振り返る。

 

「どうかした、華琳?」

 

「ねえ、一刀。また…………また、こんな話をしたい時、呼び出してもいいかしら?」

 

微妙にぼかした言い方ではあったが、一刀は華琳が言いたいことを理解した。

 

華琳が言いたいのは一刀への頼み事の類の話――では無い。

 

要するに、華琳自身が君主たるに相応しくないと考えるような悩みや愚痴を聞いてほしい、と。

 

「さっきも言ったろ?何でも話してくれ、って。

 

 遠慮しないでいいからな、華琳」

 

「……ありがとう」

 

普段の華琳からは想像もできない、随分としおらしい態度。

 

それはもしかしたら、一刀が初めて見た華琳の”本当の”素だったのかも知れない。

 

それも次の瞬間には消え失せてしまったのだが。

 

「それじゃあ、おやすみなさい、一刀。

 

 明日からは本格的に働いてもらうわよ?頑張りなさい」

 

「はは、ああ、了解。おやすみ、華琳」

 

一刀の挨拶を締めに、パタンと扉が閉じられた。

 

それから一刀はこの夜に改めて気付かされた色々を深く胸に刻み込み、静かに自室へと戻っていくのだった。

 


 
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