No.772163

艦これファンジンSS vol.32「ゲルマンの魔女」

Ticoさん

ぷりぷりして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで艦これファンジンvol.32をお届けします。

今回は雪風が主人公、ヒロインをプリンツ・オイゲンでお届けします。

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2015-04-19 08:28:02 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:877   閲覧ユーザー数:874

 おいっちにー、さんしー。にーにっ、さんしーっ。

 明るい声をあげながら、その少女は桟橋の上で体操に励んでいた。

 時折吹く潮風が、茶色の髪と、セーラー服にも似た白い衣装の裾を揺らす。

 栗鼠にも似た丸いくりくりとした目は、まっすぐに海に向けられていた。

 それだけなら、海好きな快活な女の子で片付いたかもしれない。

 だが、彼女は無骨な魚雷発射管を背負い、肩から鞄のように連装砲を提げていた。

 鋼の艤装――それを身にまとう者がただの女の子であるはずがない。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 ひとしきり身体を動かしてから、額に浮いた汗を拭い、満足げに息をつく。

 体も温まった。あとは皆を待つだけだ。

 小さな駆逐艦は一番格下の存在。任務の際は一番早く集合場所に着いていることが求められる。だが、そんな慣習とは別に、一番乗りして皆を待つのが彼女は好きだった。

 皆を待つ立場なら、置いていかれる心配もない。

 笑顔の下に隠している、それは彼女がひそかに抱いている思いだった。

 自分の名を呼ぶ声が聞こえる。雪風は顔を向け、手を挙げてそれに応えた。

 駆逐艦、「雪風(ゆきかぜ)」。

 それが彼女の艦娘としての名前である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 艦娘にとって、戦いは日常の一部である。朝に目覚ましを止めパンを食べる行為に特段の理由や意味を求めないように、多くの者にとってはなぜ戦うのかは問う必要のない事柄であった。そんなことよりは、勝つこと、生き残ることが重要なのだ。

 とはいえ、彼女たちも乙女の心を持つ存在。まったく疑問を抱かないかと言うと、そういうこともないのであった。

 

「またこの顔ぶれなのね」

 雪風を含めたその場の面々を見て、彼女はそう短くそう言った。

 丈の短い青い袴に弓道着に似た衣装。肩から二の腕に備えた長大な飛行甲板は、空母の証。その静かな口調がどこか冷たさを感じさせるのはいつものことながら、今のはどこか諦めたような、あきれたような色が滲んでいる――航空母艦の加賀(かが)である。

「そうですね。これで通算四十二回目の出撃任務です」

 眼鏡をそっと直しながら答えたのは、軽快そうな露出の多い碧の衣装を着こんだ艦娘。温和な顔に理知的な雰囲気を漂わせている――重巡の鳥海(ちょうかい)であった。

「へえ、僕たち、もうそんなにあそこに行ってるんだ」

 鳥海の言葉に、感嘆まじりの声をあげたのは、黒髪を長いおさげにした艦娘。黒い衣装はどこか学生服を思わせ、その顔立ちは降りしきる小雨のように穏やかだった――駆逐艦の時雨(しぐれ)である。

 そんな三人に、雪風は首をかしげて、訊ねた。

「やっぱり、また中部海域なんでしょうか?」

「間違いないね。それもMS諸島沖さ。賭けても良い」

 時雨がそう言うと、鳥海がうなずき、

「足柄(あしがら)さんが来ていませんけど、彼女が揃えば間違いないでしょう。わたしもMS諸島沖に賭けます」

「そうね。わたしもMS諸島沖に一票」

 加賀までそう言うのに、時雨は困ったような笑みを浮かべて言った。

「それじゃ賭けにならないよ」

 雪風は、やはり、とうなずいた。口には出さなかったが、彼女も行くならそこだろうという確信があった。

 中部海域、MS諸島沖。

 いまの鎮守府にとって、そこは「最深部」であった。

 深海棲艦の本拠地――そんなものがあるとしてだが――そこに既知海域でもっとも迫っているのがMS諸島沖だと言われていた。それを裏付けるかのように、出没する深海棲艦は紅や金の燐光をまとう強力なものばかりで、攻略においては困難を極めた。

 とはいえ、いったんは中枢戦力を叩いた海域である。通常であれば、哨戒線を引いて、定期的な偵察だけで深海棲艦の出方を窺うだけでよいはずであった。

 その中部海域に、雪風たちは、このところたびたび出撃している。

 五回や十回なら、実戦訓練だとも、威力偵察だとも言えただろう。

 それが、四十二回である。およそ尋常な回数ではなかった。

「あんな場所に何の意味があるのかしら」

 加賀がおとがいに指を添えながら、眉をひそめる。

「それも、このメンバー。最精鋭揃いじゃない」

「MS諸島沖の敵中枢戦力を撃滅しようと思えば、当然の編成ですが……」

 答えた鳥海はそう言いながらも、やや困惑の表情だった。

 加賀。鳥海。時雨。雪風。そしてまだ来ていないが足柄。

 それに率いる旗艦の艦娘が「彼女」であれば、まさに鎮守府最高練度といえた。

 言い換えれば、ことさらに練度を積まなくても充分な者たちということである。

 訓練や偵察に出すには贅沢すぎる。なんとしても遭遇した敵戦力を撃破するという、強い意思がそこに込められているように思われた。

 考えこんだ加賀と鳥海を見やりながら、時雨がちょいちょいと雪風をつつく。

「君はどう思う? 僕もこの出撃は不思議だと思っているんだ」

 そう問われて、雪風は口をへの字にして、むーとうなった。

 ひとしきりうなった後に、腕を組んで見せた。

 のみならず、身体を横にくの字に曲げる。

 そこまで悩みに悩んだ挙句、雪風はにぱっと笑顔を浮かべて、言った。

「――わかりません!」

 元気いっぱいの声に、時雨がガクッと肩を落とす。

「うん、わかっていたさ。君にはちょっと難しい質問だったね……」

 たははと苦笑してみせる時雨に、雪風は笑顔のまま続けて言った。

「雪風はみんなと一緒でうれしいです。この人たちとなら、安心して戦えるし、きっと一緒に生きて戻れると思うのです。だから、絶対、だいじょうぶ!」

 その無邪気に明るい声に、時雨が、加賀が、鳥海が、そろって微笑む。

「そうか、そうだね。君の言うとおりだ」

「少々、悩みすぎかもしれません。わたしたちは艦娘。作戦には従うのが役目」

「疑問を持ったからといって、どうにかなるものではないわね」

 最後に加賀が漏らした言葉に、雪風は目をぱちくりとさせた。

「あの、それなんですけど」

「なにかしら?」

「いつもの編成なら、旗艦はあの人だから、直接聞けばいいと思います」

 雪風のなにげない言葉に、加賀はふっと目つきを鋭くしたその時。

「――待たせてすまないな」

 凛とした声が、皆に向けてかけられた。

 潮風になびく長い黒髪。端整な顔立ちに漂う武人の雰囲気。

 鋼の艤装はどこか無骨さを感じさせたが、それがかえって重量感を与える。

 鎮守府の艦娘なら知らぬものとてない、艦隊総旗艦の長門(ながと)であった。

「装備点検後、ただちに抜錨、中部海域に出撃する――なんだ、その顔は?」

 皆が揃いも揃って自分に何か問いたげな眼差しを送っていたのが気になったのだろう、長門が眉をひそめて訊ねる。

 加賀は、何か言いたげに口を開きかけたが、すぐにつぐんだ。

 代わって長門に質問したのは時雨である。

「抜錨、って、まだ足柄さんが来ていないのだけど……」

「足柄は今回参加しない」

「じゃあ、五人で出撃するんですか?」

「いや、もう一人とは沖合いで合流する」

 長門の答えに、鳥海と加賀は不審そうに顔を見合わせる。

 艦娘は通常、鎮守府にいて、出発時にはこの桟橋に集まるの普通だ。

「……遠征先から戻ってきた艦娘が合流するのかしら」

 ささやく鳥海に、加賀がかすかにかぶりを振る。

「まさか。疲労が溜まっている子にそんな真似させないでしょう」

 そんな、ひそひそと交わされる言葉をかき消すように、

「行けばわかる――中部編成、出撃するぞ!」

 長門がひときわ大きい声でそう号令した。

 

 複縦陣で鎮守府の沖に出て間もなく、雪風たちは「彼女」を見つけた。

 最初、島影からシルエットが現れたときは、深海棲艦かとぎょっとしたものだ。

 だが、近づいてくるにつれ、彼女が艤装をまとった女の子だとすぐに分かった。

 艦娘のはずだが、見慣れない顔だった。

 二つのおさげにまとめた蜂蜜色の髪。青い眼をした異国の顔立ち。

 身につけた衣装は軍服に似た灰と黒の色合いで、腕には鉄十字の紋章があった。

 その彼女は、雪風たちに寄せてくるや、快活な声で、

「グーテンターク!」

 やはり、異国の挨拶をしてきた。

 雪風たちは目をぱちくりさせていた。鳥海がおそるおそる、

「は、はろー?」

 と返してみせると、彼女はくすくすと笑い出し、

「だいじょうぶ、です。言葉、通じます。勉強してきましたから」

 思ったよりも流暢に話してきた。

「アドミラル・ヒッパー級三番艦、プリンツ・オイゲンです。ドイツから来ました。皆さんとは初めましてですね、よろしく!」

「ドイツ……?」

 加賀が不思議そうにそうつぶやくのに、長門がうなずいてみせた。

「ああ、海外の艦娘だ。見慣れないのも無理はない。普段は鎮守府とは別施設で待機しているからな」

「海外……ですか」

 鳥海が戸惑ったようにそう言う。深海棲艦による海上封鎖からこのかた、世界中で通信も寸断され、この国以外の状況の様子は杳として知れない。ましてや、海外からの増援など望むべくもない状況に思えたのだが、この艦娘はその海外から来たという。

 当のプリンツ・オイゲンは長門の隣に寄せてきて、にぎやかに、

「ナガト、ひさしぶり! みんな会いたがってたよ! こうして一緒に戦えるなんて、わたし、うれしい!」

「わかったから、あまり寄せるな。抱きつく気か」

「そんなことしないよー。相手がビスマルクお姉さまなら考えてみるけど」

「やめてやれ。ああ見えてあいつは存外に乙女なのだからな」

「えー、それはナガトも同じじゃん」

「ば、ばかなことを言うな」

 そんなやりとりを見て、時雨が雪風の隣に寄せてきて、

「なんか……二人とも気安い仲みたいだね……」

「んー、知り合いなんでしょうか?」

 雪風は首をかしげてみせた。そこへこほんと咳払いが響く。

 見ると、加賀が棘のある目つきでプリンツ・オイゲンをじろりとにらみ、

「その子が、足柄さんの代役というわけですか」

「ああ、そうだ」

「申し訳ありませんが、わたしは彼女を見知っていません」

 加賀の声はあくまでも淡々としており、それだけにはぐらかす隙がない。

「足柄さんは重巡最古参の精鋭。その彼女に匹敵するだけの腕前がある、と?」

 その言葉に、鳥海もうなずいてみせる。

 加賀のするどい眼差しをまっすぐに受けて、長門がうなずく。

「ああ。彼女の技量は足柄と比べて遜色はない。それは請け合おう」

「証明できますか?」

 端的に問うてきた加賀の言葉に、長門が困った顔をしてみせる。

 そこへ、プリンツ・オイゲンがひょいと加賀の前に顔を出してみせた。

 ぎょっとしてたじろぐ加賀に、彼女はにこやかに言ってみせた。

「ちゃんと腕前は見てもらいますよ。敵が出てきたら、ね」

 にぱっと笑うその顔に、加賀がしぶしぶと言ったふうにうなずく。

 その様子に、時雨がじとりとした目で雪風と見比べて言った。

「なんだか、あの子、雪風に似てる気がする」

「えっ、そうですか? 全然スタイルとか違いますよ」

「いや、そうじゃなくてさ。明るいというか、どこかマイペースというか……」

 時雨は最後まで言えなかった。すぐにプリンツ・オイゲンが寄せてきて、

「ヒュプシュ! 二人とも可愛い! 駆逐艦ね?」

 満面の笑みでそう声をかけてきて、なかなか離れようとしなかったからだ。

 

 ドイツ娘の腕前が証明されたのは、経由する泊地を目の前にしてのことであった。

 あいにくのスコールに見舞われ、雪風たちは激しい雨に打たれていた。

 重く垂れ込める雲、降りしきる雨、波も高く、視界はこの上なく悪い。

 そんな中、いち早くそれを発見したのは、プリンツ・オイゲンだった。

「――敵発見! 三時の方角、数は四つ! 軽巡が一、駆逐艦が三!」

 まさか、と鳥海が目をみはってみせたが、ややあって長門が続いて、

「こちらの電探でも確認した――泊地を前にして、厄介だな」

「迂回して泊地に避難しますか?」

 鳥海がそう提案してみせるのに、長門はかぶりを振ってみせた。

「いや、万が一に泊地へ寄るところを観測されたら増援を呼ばれて厄介なことになる――ここで叩くべきだろう」

 長門の言葉に、雪風と時雨が顔を見合わせてうなずく。

 スコールという条件下の攻撃なら駆逐艦の出番だ。雨に紛れて、その快速で敵に接近して魚雷を撃ち込む――危険だが、もっとも確実な方法といえた。

 だが、そこで声をあげたのが、プリンツ・オイゲンだった。

「ナガト、ここはわたしに任せて。技量を見せる良い機会でしょう?」

 自身満々に言う彼女に加賀と鳥海が胡乱な視線を向ける。

 鳥海が眼鏡の位置を直しながら、訊ねた。

「駆逐艦に混じって雷撃に参加すると言うんですか?」

「まさか! わたしもユキカゼたちもそんな危険なことしなくていいよ。レーダーで射撃データ取って砲撃で遠距離から沈めればいいじゃない」

 あっけらかんと話す彼女に、鳥海の眼鏡がややずり落ちたように見えた。

「そんな精度の高い電探射撃、できるわけないじゃないですか」

「そうかなあ?」

 どこかあどけないプリンツ・オイゲンの顔に、一瞬、挑発的な表情が浮かぶ。

 鳥海が困った顔で長門を見ると、編成指揮を務める彼女は意外にも、

「いいだろう。お前にまかせた」

 それを聞いて、プリンツ・オイゲンが笑みを浮かべて、早速、海を駆けようとする。

 鳥海が慌てて雪風と時雨に声をかけた。

「あなたたちも行って。万が一、あの子が仕留め損なったら、出番よ」

 その指示に、雪風たちはうなずき、プリンツ・オイゲンの後を追った。

 駆逐艦の快速なら重巡に追いつくのはたやすい。前後を固める形で彼女に寄せてきた二人を見て、プリンツ・オイゲンは口をとがらせた。

「あーあ、ついてきちゃった? どうせ見てるだけだよ?」

 そう言うや、その表情を引き締め、スコールの彼方をきっとにらみつける。

 雪風も目を凝らしてみた。ぼんやりと、何かの影が浮かんでいるように見える。

 あれが敵ですか、と聞こうとした矢先。

「――第一斉射、フォイア!」

 威勢の良い声と共に、プリンツ・オイゲンの艤装の砲が一斉に火を吹いた。

 轟音が一瞬スコールを裂き、放たれた砲弾が雨のカーテンの向こうへ消えていく。

 そして、数秒後には、豪雨の向こう側に爆炎がちらつくのが見えた。

「当たった!? 初弾命中なのか?」

 時雨が驚きの声をあげる。初弾でも挟叉すれば腕前は上々と言われる。ましてや命中など初弾ではありえない。にも関わらず、彼女はやってみせたのだ。

「すごいです……こんなの、見たことありません」

 雪風が目を丸くしてドイツ娘を見ると、彼女はにっと笑ってみせて、次いで叫んだ。

「まだまだいくよ! 第二斉射、フォイア!」

 行進曲を奏でるかのようにプリンツ・オイゲンの砲は立て続けに火を吹き、そのマーチングのリズムに合わせたかのごとく、射撃のたびに爆炎がちらついた。

 軽巡に三発、駆逐艦に二発ずつ。

 プリンツ・オイゲンの砲撃は正確無比の百発百中だった。

 

 

「すごかったですねえ……」

 そうつぶやきながら、雪風は茹だっていた。

「そうだね、あれには驚いたよ」

 応じる時雨も湯気に包まれてお湯に浸っている。

 すっかり雨雲も去った空は、いまは夜の帳が落ち、無数の星がまたたいていた。

 満天下の星空を見ながら、二人が堪能しているのはドラム缶風呂である。

 深海棲艦の部隊を退け、無事に泊地にたどりついた艦隊は一晩の休憩を取っていた。

 翌朝にはMS諸島沖へ向けていよいよ出撃である。

 鎮守府から中部海域へは遠く、そこで利用するのがこのような出先の基地だ。

 泊地だ基地だと行っても、ここは普段は無人だ。

 たまに遠征部隊が立ち寄って物資を補充していく以外は、こうして訪れる人もいない。よって、設備も最低限の倉庫と寝床ぐらいで、風呂など望みようもなく、やむなくドラム缶に水を張って沸かしてから入る即席の湯船しかない。それでも冷たいスコールに打たれた後は、お湯の温かさが身体に沁みて元気がもりもりと戻っていくのが感じられた。

「練度が相当すごいんでしょうか」

「どうなんだろうね。装備がそもそも違うのかもしれない」

 雪風の問いに、時雨がそう応じる。海外から来た艦娘ということは、当然ながら艤装も海外の技術が使われているということだ。艦娘の国際的な技術水準というものはまったく想像できるものではなかったが、それでも雪風たちの使う装備よりもずっと進んでいる可能性がある。

「海外ですか……外国っていまどうなっているんでしょうね」

「そもそも貴重な戦力のはずの艦娘がなぜこっちに来ているんだい」

 そんなことを話していると、

「ふふーん、知りたい?」

 いきなり声をかけられ、雪風と時雨はひゃっと声をあげて振り返った。

 いつの間にかプリンツ・オイゲンがドラム缶風呂のそばまで来ていた。あの灰と黒の服は脱ぎ捨て、白い裸身にバスタオル一枚巻きつけただけの姿だ。彼女は、ふんふんと言いながら雪風のドラム缶と時雨のドラム缶を見比べていたが、

「決めた! ユキカゼの方にするね」

 そう言うや、止める間もなく、脚立を使って雪風のドラム缶に入ってきた。

「わっぷ、だめですよ、お湯あふれちゃう」

「二人で入るから仕方ないでしょう」

「どうして二人で入るんですか」

「だってドラム缶二つしかないんだもの」

「なんで雪風の方なんですか」

「時雨の方が女の子っぽい身体つきしてるから」

 そう言われて、時雨が頬を赤くして口元をお湯に沈め、ぶくぶくと泡を立てた。

「雪風、なんだかひどいことを言われている気がします」

「そんなことないよ。雪風も可愛いよ。うちのレーベやマックスほどじゃないけど」

「誰ですか、それ」

「うちの駆逐艦たちだよ。みんなとっても良い子なの」

「プリンツ・オイゲンさんは――」

「プリンツでいいよ。長いと呼びにくいでしょう」

「じゃあ、プリンツさん。海外の方は普段どこにいるんですか?」

 その問いに、プリンツ・オイゲンは束の間思案していたが、

「まあ、それは話しちゃいけないって言われてないし、いっか。鎮守府の北に岬があるでしょう? そっちに別の施設があって、そこにいるの」

「雪風、そんなの見たことありません」

「カモフラージュされているから、近寄らないと分からないと思うよ。あ、でもアドミラールの許可なしに近寄っちゃだめだよ? わたしたちのことはアドミラールよりもっと上の方からナイショにしておくようにって、言われているらしいから」

 アドミラール、とは提督のことだろうか。雪風は考えた。その提督の上といえば、帝都の大本営ということだ。正直、雪風には雲の上の話すぎる。自分にぴったり肌をくっつけて一緒に茹だっているドイツ娘がにわかに天上界の住人めいて見えてきた。

「――ドイツといえば、海外はいまどうなっているんだい? 艦娘を何人もこっちに寄こす余裕があるなんて信じられないんだけど」

 お湯から顔をあげた時雨がそう訊くと、プリンツ・オイゲンは眉をひそめ、

「“大陸封鎖令”を発動させて、欧州は深海棲艦を相手にしなくなったんだよね。それでも沿岸地方の警備にわたしたちの出番もあったんだけど、“ツェルベルス計画”が開始してからは出番もすっかりなくなったし」

「大陸封鎖令? ツェルベルス計画?」

「ああ、そこは分からなくてもいいよ。とにかく、ええと、こっちでは『カンムス』って呼ぶんだっけ。そのわたしたちは半分お役御免なのよ」

 そう言って、プリンツ・オイゲンは、なんともいえない表情をしてみせた。

 羨ましそうな、悲しそうな、痛みに耐えているかのような、そんな顔を。

「艦の娘と書いて『カンムス』……良い言葉ね。こっちでのわたしたちがどんな扱いを受けているか、その言葉だけで分かるわ。アドミラールには一度お会いしたことがあるけど思った通り――優しくて、そして、とても冷酷なのね」

 その言葉に、雪風も、時雨も、ぽかんと口を開けて、彼女を見つめていた。

 この子は、間違いなく自分たちよりも多くのことを知っていて、多くのものを見てきたのだろう。あの提督を捕まえて、「優しい」と評する艦娘は多いだろうが、「冷酷」と評する者はそうはいない。

 ただ、彼女の口からそう言われると、なぜか不思議な説得力があった。

「――ところで、さっきの射撃はすごかったね? やっぱり電探かい?」

 沈黙が気まずくなったのか、時雨が話題を変える。プリンツ・オイゲンはすぐにぱっと笑みを見せて、答えた。

「そうそう、自慢のFuMO25レーダーでね――」

 答えながら、プリンツ・オイゲンが雪風を軽く抱きしめてくる。

「ちょ、ちょっと、プリンツさん」

「なあに?」

「どうして、ぎゅってしてくるんですか」

「ユキカゼ、ちっちゃいから、抱っこしやすいの」

 どんな理屈だと思ったが、プリンツは止めようとしない。雪風もそれ以上は強く抗議はしなかった。お風呂のおもちゃ扱いされながらも、抱きしめてくる彼女の肌はとてもすべすべしてやわらかく――多少、窮屈ではあったが、雪風はまんざらでもなかった。

 

 浜の方で駆逐艦の子らとドイツ娘がきゃっきゃと賑やかにしている。

 その光景を窓から遠目に見ながら、長門は背中ごしに訊ねてきた。

「それで、わたしに用とは何だ」

 長門の声は低く、どこか不機嫌そうだった。

 だが、そんなことでひるむ加賀ではなかった。

「この作戦の真意について」

 加賀の短い言葉を引き取って、居合わせた鳥海が続ける。

「通算で四十二回も出撃し、うち中枢戦力到達は二十回、完全撃破は十一回。深海棲艦の勢力を叩くには充分な反復攻撃だと思いますが?」

「……よく数えていたものだな」

「ここでの戦訓は貴重です。研究会の材料にしようと思っていました。ただ――」

 鳥海の眼鏡が白熱電球の光を反射してきらりと光る。

「――研究テーマに挙げようにも、この回数は説明できないほど多すぎます」

 それを聞いて長門がふうとため息をつき、加賀と鳥海に向き直った。

「不満があるなら、なぜ出発前に聞かなかった」

「不満というわけではないわ。不審に思っているだけ」

 加賀の声は淡々としていた。

「出撃回数はまだなんとか納得ができるわ。わからないのは、あのドイツから来たという子よ。足柄さんではなく、あの子を入れたことになにかの意図があるとしか思えない」

「練度的にも能力的にも充分足りていると思うが?」

「問題はそこではありません」

 加賀の問いに答えた長門に、言葉をかぶせたのは鳥海だった。

「あのプリンツ・オイゲンと名乗る子はたしかにわたしたちが知る艦娘と同じです。ですが、鎮守府で姿を見たことはない。だとしたら、秘匿されたイレギュラーな存在と見るべきです。その彼女をわざわざ表に出してまで、この任務を遂行することに、何か特別な意味があるのでは、と考えるのです」

 鳥海と加賀が、じっと長門を見つめる。

 しばしの沈黙のあと、肩をすくめて観念したのは長門の方だった。

「――彼女たちのことについては、大本営の意向を受けて提督が秘匿されていたことだ。だが、そのままというのは不憫すぎる。いずれは鎮守府の皆に引き合わせて、正式に迎え入れるつもりだった。今回の件は、彼女たちの戦力価値を示すためのテストケースであることは否定しない」

 そう言って、長門は再び窓の外へ目を向けた。

 視線の先に捉えるのは、くだんのプリンツ・オイゲンか。

「だが、ドイツ艦娘の中でもとりわけ彼女を参加させたのは、この作戦の真の目的のために彼女の存在が不可欠だったからだ。わたし一人でどうにかなるかと思ったが、彼女も揃わねば目的は達成できんと思ってな――ただ、これは合理的な計算ではなく、おまじないや祈りに似たオカルト的なものに基づくがな」

「おまじない、ですか?」

 鳥海が首をかしげてみせる。加賀が眉をつり上げた。

「そこまでして果たしたいこの作戦の目的とは、何?」

 その問いに、長門はかぶりを振ってみせた。

「すまない――いまは、皆には言えない」

「いまは、ということは、そのうちには話してもらえるのかしら」

「――確約はできない」

「同じ艦娘どうしであっても?」

「同じ艦娘どうしだからこそ、だ」

 長門の答えは、うめくようだった。

 そんな彼女の背中をしばし黙って見つめていた加賀だったが、ややあって、ため息をひとつつくとそっと長門に歩み寄った。

 そうして、ぽんと肩に手を置き、長門の顔を覗き込む。突然のことに、長門が目を丸くしていると、加賀がかすかに口の端をもちあげて笑んでみせた。

「気がついてるかしら。最近のあなた、提督に似てきたわ」

 加賀の言葉はまさしく不意打ちだった。長門がかすかに頬を赤くする。

「でも、提督ならそうね――しれっと『そのうち話すさ』と言ったでしょう。あなたにはとてもじゃないけどそんな芸当はできない。だからこそ、わたしたちの艦隊総旗艦なのだけど」

 加賀の言葉を引き取って、鳥海が続けて言う。

「長門さん、ひとつ忘れてますよ。わたしは足柄さんに続く重巡では二番目の古参。そして加賀さんは正規空母では最古参。あなたより、先輩なんです――いまではすっかりあなたの方が格上だけど、たまには先輩に頼ってみてもいいんじゃないでしょうか」

 その言葉に、加賀もうなずいてみせる。

 長門はいうと、不意をつかれたような顔をしていたが、ふっと笑みを浮かべて、

「そうだったな……すっかり忘れていた。その時が来たと思えば、必ず話す――だから、いまは作戦に従ってもらいたい。だから、頼む。この通りだ」

 そう言って、長門は深々と頭を下げた。いっそ見事な最敬礼だった。

「――わかりました。かくなるうえは全力を尽くします」

 ややあって、声をかけたのは加賀である。

「今までのやりとりでわかったわ。今回の作戦、提督の意向だけでなく、長門さんの希望も入っているのね。だから、自ら指揮を執った。他の誰にも任せられないものだから」

「それだけ分かれば十分です。われらが艦隊総旗艦の望みとあっては、同じ艦娘としては果たしてあげないわけにはいかないでしょう――まして、その艦隊総旗艦に頭を下げて頼まれたとあっては」

「あなたの『お願い』にはそれだけの価値があるということよ――分かっているだろうけど、無駄撃ちはしないことね。切り札はここぞで使うからこそ効果があるのよ」

「いいのか……それで」

「納得できる理由があれば戦えるわ。そしてその理由は何も事実である必要はない」

 加賀が目を細めて、優しげな眼差しで言った。

「長門さん、あなたが何かを抱え込んでいるのは分かる。それを無理に話す必要はない。でも――だからといって、なにもかもが信用できないと思ってはだめ。信頼に足る何かを見出せれば、艦娘は戦える。あなたが、提督に感じたものと同じように」

「そのとおりですよ――さあ、お茶でも沸かしましょうか。あの子たちがそろそろあがってくる頃です。今夜はしっかり眠って、明日に備えないと」

「手伝うわ」

 てきぱきと動き始めた鳥海に、加賀が手を貸す。

 そんな先輩二人に、長門は小さく「ありがとうございます」とつぶやいた。

 

「敵防衛線突破!」

「主機上げ! 全速離脱!」

「レーダーに感あり! 前方に敵中枢部隊とおぼしき反応! 近いわ!」

「偵察機でも捉えた。敵影見ゆ。十一時の方角、会敵まで十五分」

「あまり時間はないな――各員、損害報告」

「鳥海、中破……だいじょうぶ、まだ砲は動きます」

「加賀、小破。艦載機発着に支障なし」

「時雨、中破――魚雷は使えないかな。防空戦闘はこなせると思う」

「雪風、無事です。まだまだやれます!」

「プリンツ・オイゲン、健在。かすり傷はもらってるけどね」

「無傷というわけにはいかないか……」

「だいじょうぶです!」

「――雪風?」

「今朝出発するときに思いました。長門さんも、加賀さんも、鳥海さんも、それにもちろん、時雨ちゃんも、プリンツさんも、目がきらきらしていました。泊地につくまでは、正直ちょっと嫌な感じだったけど、それがすっかりなくなっています! だから――」

「――だから?」

「――だから、絶対、だいじょうぶ!」

「……稀代の幸運艦に太鼓判を押されては弱気など吐いていられぬな――全艦隊、単縦陣に! これから作戦を説明する。一度しか言わないからよく聞いてくれ!」

 

 金色の燐光を纏った空母ヲ級が幽鬼にも似た異形の艦載機を吐き出す。

 その前に、門番のように立ちふさがるのは、同じく金色の燐光の戦艦ル級。その両腕に備えた砲をぎょろりと蠢かせて、轟音と共に放つ。

 そして、その後ろに控えるのが、ぶくぶくに肥大した金色の燐光の輸送ワ級。

 そして、それを守るように囲むのが、紅の燐光の軽巡ツ級と、二体の駆逐イ級。

 人の姿に似たものから、まるで似ないものまで、その集った様は百鬼夜行に見える。

 雪風たちが深海棲艦を視認するや、次の瞬間には、周囲に次々と水柱があがった。

「全艦隊、我に続け!」

 長門が号令をかける。雪風たちは「応」と答えて、配置についた。

 加賀が後方に控えて艦載機を放ち、敵の艦載機を迎撃する。

 艦隊の正面を進むのは、もっとも頑丈な長門。彼女が戦艦と空母の相手をする。

 長門の随伴が鳥海だ。まともに撃ち合うのは無理でも、長門の支援はできる。

 三人を守るように、時雨が縦横に駆け、防空戦闘で敵機を落とす。

 そして、その隙に――快速を活かして、雪風とプリンツ・オイゲンが側面後方から回りこみ、輸送ワ級を射程に捉える。

 これが長門の作戦であり――そして、それを実現させるだけの練度が、雪風たちには備わっていた。

 敵機の雲霞の群れと、こちらの猛禽の群れがぶつかり合い、巴戦を始める。次々に火を吹いて落ちる艦載機の数は、敵の方が多く、こちらの方が航空戦は優勢に進めているようだった。漏れた敵機は時雨が的確に叩き落し、味方によせつけない。

 観測機の支援を受けた長門と鳥海には、充分な精度の砲撃が可能だった。初弾から敵の戦艦と空母を挟叉し、続く砲撃は至近弾となって水柱をあげる。爆圧に戦艦ル級も空母ヲ級も海の上でかしぎ、その血の気の失せた顔は、苦痛を感じたかのようにゆがんだ。

 そして、戦場全体を大きく弧の字を描いて機動した雪風とプリンツ・オイゲンは、狙い済ました豹のように、輸送ワ級とその防衛陣に挑みかかった。

「ユキカゼ、行くよ!」

「任せてください!」

 全速で駆けながら、二人が叫ぶ。プリンツ・オイゲンが次々に砲を放ち、敵の布陣を乱した隙に、雪風が素晴らしい快速で敵に肉薄する。それを押さえようと、敵の駆逐二級が揃って前に出てくる。

 その鯨のような異形の巨体が射線上に並んだ瞬間を、雪風は見逃さなかった。

「いまです! 」

 そう叫び、大きく面舵を切って進路を曲げる。

 そして、背中の魚雷発射管から、酸素魚雷を放った。

 航跡の見えない雷撃が駆逐二級に吸い込まれ、そして爆発する。

 爆炎と共に、うめきながら駆逐二級が波間に没していく。

 それを見た雪風がきゅっと拳を握ったのも束の間、前方に次々と水柱があがる。

 雪風は慌てて再転舵した。取り舵に切った次の瞬間、そのままでは突っ込んでいたはずの水面に大きな水柱があがった。軽巡ツ級だ。あれがまだ立ちふさがっている。その両腕にごてごてと重ねた砲が立て続けに火を噴き、濃密な弾幕を形成していた。

「あいつはわたしに任せて! ユキカゼはワ級をお願い!」

 プリンツ・オイゲンがそう叫び、速度を上げ、砲撃を続けながら軽巡ツ級に迫る。

 その行動に気づいた軽巡ツ級が向き直り、砲撃を応酬する。

 巡洋艦同士の砲撃の殴りあいに、プリンツ・オイゲンは幾たびも煙に包まれ、その艤装が徐々に歪んでいく。それでもなお、彼女は前進をやめない。その顔は誇らしげな笑みを浮かべ、戦うことの喜びに満ちているようだった。

 彼女に加勢するとしたら、輸送ワ級を沈めてから――雪風はそう思いなおし、きっと前方をにらみつけた。金色の燐光の深海棲艦がそのぐずぐずに太った体をもてあますかのようにゆっくりと回頭し、戦場を離れようとしていた。時折放つ砲は最後の悪あがきとはいえ、駆逐艦の身で受けては命に関わる。

 魚雷は残り少ない。はずすわけにはいかない。

 雪風は波を蹴って、海面を駆けた。

 鍛え上げた練度が、スペック以上のスピードをたたき出し、敵に肉薄する。

 それは、あまりにも速く、それゆえに輸送ワ級は対応しきれなかった。

 攻撃チャンスは一瞬。

 敵の横をかするような速さと距離で――雪風は至近から砲撃と雷撃を加えた。

 波しぶきを立てながら海を駆け抜けた雪風の背後で、爆音が響いた。

 振り返ると、輸送ワ級が炎に包まれながら、かしいで波間に消えていくのが見えた。

「やった! やりましたよ! いまいきます、プリンツさ――」

 喜び勇んでそう叫びかけて、しかし、雪風は最後まで言えなかった。

 軽巡ツ級とプリンツ・オイゲンが互いに至近で砲を撃ち合い、双方ともに爆炎に包まれながら、互いが互いをひきずるかのようにもつれあって波の下へ沈んでいく。

 その光景を、雪風は、否応なく、しっかりと目に焼きつけていた。

 

 

 勝利であった。

 雪風の戦闘が終わるのと同時に、長門たちも敵の戦艦と空母を海の下に沈めていた。

 文句なしの敵中枢の撃滅である――ただし、その勝利を全員では祝えなかった。

 プリンツ・オイゲンが行方不明であった。

 軽巡ツ級に引っ張られて波の下へと消えたという雪風の報告を受けて、皆で捜索してみたものの、いっかな見つからない。

 唯一、鳥海が灰と黒の帽子を見つけただけであった。

 雪風は帽子を握り締めて、泣き出しそうな顔をした。

 時雨が雪風の肩にぽんと手を置き、かぶりを振る。

 雪風はうなずき、懸命に涙をこらえた。

 加賀は不機嫌そうに沈黙し、鳥海はうなだれている。

 誰かが言わねばならない。だが、その言葉を口にするのは、はばかられた。

 戦う以上は死と隣り合わせとはいえ、「轟沈」などと口にするのは。

「……鳥海。皆を連れて先に戻れ」

 長門が、思いがけないことを言った。

「ですが、まだ敵が――」

「中枢戦力を撃破した以上、しばらくは散っているはずだ。万が一遭遇しても、わたしならどうにか切り抜けられる。わたしは、しばらく捜索を続けてから、復帰する」

「探すなら、全員で続けた方が……」

「矛盾するようだが、まだ敵が去ったわけではない。わたしの我が儘で皆に迷惑をかけるわけにはいかない――頼む」

 長門の声は、まるでコンクリートのように冷たく、硬かった。

 鳥海は何かを言いかけたが、かぶりを振ると、言った。

「分かりました。編成指揮、引き継ぎます――全艦隊、帰投します」

 海面を駆ける鳥海に、加賀が、時雨が続く。

 雪風も、後を追った。しばらく海を駆けてから、一度だけ振り返る。

 海上に立ちつくす長門の姿を、立ち込め始めた霧が瞬く間に覆い隠しつつあった。

 

 しばらくは誰もが無言だった。

 いつもなら勝利を祝い、警戒はしながらも明るい雰囲気だ。

 だが、いまは沈鬱な空気が四人を包んでいた。

 雪風は、灰と黒の帽子をきゅっと抱きしめ、思った。

 艦娘になってからは、置いていかれることはないと思ったのに。

 記憶の中では、雪風は常に「取り残される側」だった。

 数多の戦いをかいくぐり生き残ってきた幸運艦。

 それは裏を返せば、多くの仲間の最期を看取ってきたということだ。

 艦娘になってからは、そんなことはないだろうと思っていたのに。

 雪風は唇を噛んだ。

 プリンツ・オイゲンが波間に沈んでいく光景はありありと目に焼きついている。

 自分が輸送ワ級を仕留めるのがもう少し速ければ、彼女は助かったかもしれない。

 あんな、“至近距離で”撃ち合い、“もつれ合うように”沈むことはなかった。

 ――そこまで考えて、雪風はふと違和感を覚えた。

 彼女はスコールの中で深海棲艦を仕留めるほどの腕前だ。わざわざ近づかなくても、距離をとって撃つだけで充分仕留められたはずなのだ。それを敵にぶつかるように接近していった。雪風から注意をそらすためとはいえ、不自然すぎる。

 それに、なぜもつれ合うように沈んでいったのか。軽巡ツ級に絡まれたのなら、それをほどけばいい。彼女の両腕は自由だったのだから。

 雪風の脳裏で、記憶の中の光景が閃いた。

 プリンツ・オイゲンは“軽巡ツ級をつかんでいた”のだ。

 まるで、“沈もうとする敵を助けよう”とするかのように。

「鳥海さん!」

 雪風はたまらず声をはりあげた。

「もう一度、長門さんのところへ戻ります! 確かめたいことがあるんです!」

「ちょっと、雪風、何を言っているんだい!」

 時雨の制止も、はなから聞くつもりはない。雪風は舵を切って回頭した。

 そのまま、全速で元の戦場へ戻る。

 灰と黒の帽子を握り締め、思った――あの人がそう簡単に沈むはずがない。

 

 戻ってみた戦場は、すっかり霧が立ち込めていた。

 深海棲艦との戦いの後は多かれ少なかれ、こうなのだ。

 覆い隠すかのように霧が発生し、それに紛れて深海棲艦の残骸が沈んでいく。

 そして、霧が晴れた後は、すっかり何事もなかったかのような海が広がる。

 その平和な海も束の間のこと。ほうっておけば、またすぐに敵が湧いてくる。

 何度も、何度もその繰り返し――そのことにうんざりしたある艦娘がこう漏らしたという、「まるで何かの罰ゲームみたいだ」と。

 そこまではっきりと雪風は考えたことはなかったが、深海棲艦の数は無限に思えるようなときはしばしばあった。時折、そのことに怖くなるが、深く悩まないことで雪風はやりすごしてきた。なにはともあれ、いまは敵も出ないはずだ。

 長門と合流するには、それがなによりありがたかった。

 雪風は目を凝らした。乳白色のベールの向こうに、ぼんやりと人影が見える。

 声をかけようと思い、雪風は、しかし、思いとどまった。

 “人影は三つあった”のだ。

 プリンツ・オイゲンが無事だとしても勘定が合わない。

 慌てて周囲を見回した雪風の足に、なにかがごつんとぶつかった。

 よくよく見ると、撃破した駆逐二級の残骸が浮かんでいた。

 半分を水面下に沈めてなお、鯨のような巨体だ。

 雪風はその陰に隠れて、そっと様子をうかがった。

 霧がわずかに晴れ、人影の正体があらわになる。それを見て、雪風は思わず驚きの声をあげそうになった。

 長門は分かる。残る二人は、ここにいるはずのない人物だった。

 一人は、ピンクがかった赤い髪、幾つものクレーンを備えた艤装。

 もう一人は、ポニーテールにした銀の髪に、小柄な体に似合わぬ大振りな艤装。

 工作艦の明石(あかし)と、兵装実験軽巡の夕張(ゆうばり)だった。

 鎮守府にいるか、遠征に出ているはずの、この二人がなぜここに。

 さらに不思議なことに、夕張はドラム缶に似た白い円筒状の物体を曳航していた。

 大きさと形こそドラム缶だが、もっと白くなめらかで一体成型されたようだった。

 三人は、もうひとつの駆逐二級の残骸を囲んでいた。

「間違いないわね。信号はこの下から出ているわ」

 夕張がそう言うと、長門がうなずいてみせた。

「わたしがこれをどかそう。早く海面に出してやらねば、彼女といえど、もつまい」

 言うや、長門は鋼のワイヤーを駆逐二級の残骸にかけ、引っ張った。

 戦艦の馬力で鯨の巨体がずるりと海をすべる。

 そして、どかされてあらわになった海面に、蜂蜜色の髪がぷかりと浮かんだ。

「――けほっ、けほっ……ダンケ。もうちょっと遅かったらわたしも危なかったわ」

「遅れてすまない。確保はしてあるのか?」

「この子ったら、また深海に沈んでいこうとするんだもの――手をつないで浮き続けるの大変だったわ」

「いま、クレーンのフックおろします。対象にひっかけてください」

「ヤーヴォール」

 明石の言葉に、プリンツ・オイゲンがうなずく。

 海面に落とされたフックを受け取り、なにやらごそごそと身動きしたかと思うと、

「アレスクラー。引き上げて大丈夫よ」

 そうして、自身は長門の手を借りて、海面に這い上がった。

 プリンツ・オイゲンの艤装はずいぶんとゆがんでいたが、それほどひどい損傷ではないようだった。砲もいくつか動いているし、本人も目立った傷はない。

 本当なら、駆けつけて抱きつきたい。

 だが、雪風の目は続く光景に奪われていた。

 明石のクレーンが、海面下から軽巡ツ級をひきずりあげる。

 その白い人型を、まるで拘束するような黒いいびつな有機質の艤装。

 夕張が、艤装から、大振りのナイフを取り出した。

 そして、それをずぷりと艤装につきたてる。

 マグロの解体を見ているようような、それは手慣れた動作だった。

 艤装をこそげおとすようにはがし、海に落としていく。

 そうして、すべての作業が終わると、そこにあったのは――

 ――短い髪の、生気のない、真っ白な人型だった。

 首にフックをかけられたその顔は、眠っているとも、死んでいるようにも見えた。

「……お前から『見つけた』と通信を受けたときは驚いたぞ」

 長門の言葉に、プリンツ・オイゲンがうなずいてみせる。

「この子、ユキカゼに向けて砲を撃っていたのに、目はずっとわたしとナガトを追っていたんだよ――間違いない、当たりだと思う」

「工廠で適合試験してみるまで、なんともいえませんけどね」

 明石がそう言い、夕張にうなずいてみせる。

 夕張がフックから白い人型をそっとおろす。

 同時に、電子音と共に、曳航してきた白いポッドが開く。

 その中へ、夕張は人型を押しこみ、再びポッドを閉じた。

「回収終了、っと。それじゃあ、戻ろっか」

「そうですね。わたしたちはこの場にいないはずの艦娘ですから」

 夕張と明石が顔を見合わせ、うなずきあう。

「二人ともご苦労だった」

「ダンケシェーン、気をつけてね」

 長門とプリンツ・オイゲンが敬礼して二人を見送る。

 やがて、白いポッドを曳航した夕張と明石は霧の向こうへと消えていった。

 

 一連を見ていた雪風は、がたがたと震えていた。

 何を見たかは分からない。何をしていたのかも分からない。

 ただ、見てはいけないものを見たのだということは直感で分かった。

 静かに、こっそりと離れようとして――だが、手を突いた駆逐二級の残骸がゆらりと大きく揺れたのは、まったくの誤算だった。

「――誰かいるのか!?」

 鋭い長門の誰何の声。

 それに弾かれたかのように、雪風は回れ右して一目散に海面を駆けた。

 背後から、止めようとする声が聞こえたが、恐怖の方が勝った。

 なぜ逃げるのか分からなかったが、見つかればただではすまないと思った。

 この霧で駆逐艦の快速なら追いつけまい。

 紛れてしまえば、分からずじまいだ。

 そう考え、ひたすら海を駆けていると。

 雪風のすぐ横に水柱があがった。

 その大きさで誰が撃ったか分かる――プリンツ・オイゲンだ。

 雪風は振り返った。霧の向こうから、ひたひたと迫る気配を感じた。

 主機の速度を上げ、振り切ろうとする雪風に、また至近で水柱があがる。

 何発か雪風の隣であがった水柱は、今度は彼女を挟叉して立ち上った。

 沈める気ならいつでも沈められる――あの人の電探射撃を相手にしては、駆逐艦の快速をもってしても逃げ切る前に捉えられるだろう。

 息を切らしながら、雪風は主機を下げ、速度を落とした。

 ややあって、背後から海面を駆けてくる音が聞こえた。

 その人物は正面に回りこみ、ついと手を伸ばして、雪風のあごを上げさせた。

「やっぱり、あなただったのね。主機の音で、もしかしてと思ったんだけど」

 プリンツ・オイゲンは、笑顔の似合う艦娘だった。

 短いつきあいだが、雪風の記憶の中では、どんな時も笑っていた艦娘のはずだった。

 それがいまはどうだ。一切の表情を消した無感動な顔で雪風を見つめている。

 その青い瞳からは光が消えうせていて。まるで深淵を覗いたような目をしていた。

「――つかまえたか」

 遅れて、長門がやってくる。がたがたと震える雪風を見て、彼女はため息をついた。

「よりによって、お前か――いつからいた」

 “何をしていた”でも、“何か見たのか”でもない。

 彼女たちは、雪風に見られたことなど織り込み済みなのだ。

 にもかかわらず――長門の顔には、かすかな怯えの色があった。

 そんな長門など見たことがない。そのことが、ことの重大さを物語っていた。

「何も見てません! 何も聞いていません!」

 ぶんぶんとかぶりを振りながら、雪風は必死に言った。

「ただ、プリンツさんを探しに来ただけなんです!」

 そう主張する雪風のあごを、プリンツ・オイゲンがつかんだ。

「ナガト、この子どうする? 沈めちゃうのは簡単だけど、そうしたらわたしの寝覚めが悪くなっちゃう気がする」

 プリンツ・オイゲンの目がじっと雪風を見つめている。

 あの泊地のお風呂で見せた顔とは別人の、鮫のような表情。

 地獄の底から響いてくるような、低い、凄みのある声。

 雪風は、あごをつかまれながら、いやいやと顔を左右に動かした。

 太ももの内側にあたたかな液体が伝う感触は、錯覚ではあるまい。

 しばしの沈黙の後、長門の硬い声が、雪風の耳を打った。

「当たりと引き換えにこの子を失っては、本末転倒だな」

「ふうん。優しいのね――この子も引き込むの?」

 プリンツ・オイゲンの言葉に、長門がぐっと声を詰まらせる。

 そんな長門の様子に、プリンツ・オイゲンは肩をすくめてみせた。

「シェルツ。ユキカゼみたいな良い子にそんなことができるナガトじゃないわよね」

 そう言って、ドイツ娘は、真剣な声で雪風に問うた。

「誰にも言わない自信がある? 何か聞かれても、知らんぷりを通す自信がある?」

 その問いに、雪風はごくりと唾を飲み、そしてこくこくとうなずいた。

 雪風の様子を見て、プリンツ・オイゲンは表情を変えないまま、ささやくように、

「グート……わたしとの約束よ、忘れないでね」

 そう言ってから、ようやく彼女は優しげな目つきになり、雪風の手を握った。

「それじゃあ、皆のところへ戻りましょう。心配しているだろうから」

 プリンツ・オイゲンが主機を上げて海面を滑り出す。

 雪風も手を引かれるまま、その後についていく。

 背中を向けたまま、蜂蜜色の髪のドイツ娘は言った。

「……あちらとこちらとでは、事情が異なるから、わたしたちの知ってることはあなたよりもずっと多いの。アドミラールが皆と会わせてくれないのは、そのあたりが理由かもしれない――でもね、ユキカゼ。知識が多いからって良いことばかりじゃないの。知らない方が幸せなことって、世の中には確かにあるのよ」

「……知ってしまったら、どうすればいいんですか?」

 か細い声で訊いた雪風に、プリンツ・オイゲンは振り向いて笑ってみせた。

「考えないこと。そして、忘れること。だいじょうぶよ、あなたみたいな子なら、ご飯食べてお風呂入って寝ているうちに、気にならなくなるから」

 あどけなさの残る、彼女の顔。笑みの似合う可愛らしい顔。

 しかし、助言を語るその笑顔が、雪風には魔女の笑いに見えた。

 

 作戦から帰投して数日後のことである。

 雪風は、甘味処で満艦飾あんみつをほうばっていた。

 MS諸島沖の作戦は危険なものだから、出される手当ても破格のものだ。

 束で渡された“間宮券”をいいことに、雪風は帰投してから連日通い詰めだった。

 甘いものを食べていると、気が紛れた。

 紛らわしているうちに、あの時のことが夢だったように思えてくる。

 プリンツ・オイゲンとは、鎮守府の沖合いで別れた。それから姿を見ていない。

 会わなければ、思い出すこともない。

 忘れろ、忘れろ、忘れろ。そう自分に言い聞かせながら、栗鼠がえさ袋に木の実を詰め込むかのように、雪風は一心不乱にスプーンを口へと運んだ。

「――-ああ、ここにいた。探していたのよ」

 不意に声をかけられて、雪風は顔を上げた。

 声をかけたのは、矢矧(やはぎ)だった。

 長い黒髪をポニーテールに束ねた、阿賀野型軽巡四姉妹の三女。

 見ると、矢矧以外に三人連れ立っていた。

 二人は分かる。矢作の姉たちだ。だが、残る一人は初めてみる顔だった。

「うちの末っ子がようやく鎮守府に来てくれて。ほら、挨拶なさい」

「はじめまして。酒匂(さかわ)って言います。よろしくね、雪風ちゃん」

 そう名乗って、その艦娘は手を差し出してきた。

 なにげなくその手を握った瞬間、雪風は酒匂の顔に既視感をおぼえた。

 どこかで見た顔だ――記憶のページをたどると、思いがけない場面に行き当たり。

 雪風は、たまらず、口に含んだあんみつを喉につまらせた。

「ぴゃあ! 大丈夫ですか?」

「どうしたのよ、急に」

 酒匂と矢矧が心配そうに覗き込むのを手で制して、雪風はほうほうのていでお茶を手に取り、あんみつを喉の奥へ無理やり流し込んだ。

「だいじょうぶ、だいじょうぶです――ちょっとびっくりしただけ」

「えっ? わたしの顔をみて驚いたの?」

「食べてる最中に挨拶はまずかったかしらね。ごめんなさい」

 酒匂と矢矧が頭を下げながら去っていく。

 精一杯の笑顔を作って見送りながら、雪風は地面がなくなった感覚に襲われていた。

 酒匂のあの面立ち。

 血の通ったいまではわかりづらいが、それはまぎれもなく、プリンツ・オイゲンが手放そうとせず、長門たちが回収していた、あの軽巡ツ級の人型だった。

 どういうことなのか。

 なぜあれが「酒匂」を名乗って話しているのか。

 死んだはずのそれが、生きて動いているのはなぜなのか。

 疑問が次々と波のように押し寄せ、思考が流されそうになったその時。

 雪風の脳裏に、あの人の言葉がよみがえってきた。

 考えないこと。そして、忘れること。

 だいじょうぶよ、あなたみたいな子なら、

 ご飯食べてお風呂入って寝ているうちに、気にならなくなるから。

 ――雪風は、再びスプーンを握り締めた。

 そうして、またあんみつをほうばりはじめる。

 甘味と同時に、思い出した記憶も飲み込んでしまおうとするかのように。

 プリンツ・オイゲンの笑顔も、垣間見せた鮫のような目も、自分が見たあの光景も。

 何もかも腹の底へ沈めてしまおうとするかのごとく。

 自棄になって、何度も何度もスプーンを口に運ぶ。

 その目に、じわと涙が浮かんでいることを――雪風自身も気づかなかった。

 

〔了〕


 
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