No.706005

艦これファンジンSS vol.8 「感謝と願いをかたちに」

Ticoさん

もしゃもしゃして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで、艦これファンジンSS vol.8をお送りいたします。おかしいなあ、週刊ペースのはずだったのに、なぜアップした三日後に書いたんだろう……

冗談はさておき、今回は、時雨、島風、夕立、雪風の、「うちの鎮守府」ではエース級の駆逐艦娘四人のお話です。彼女達が普段どんな姿をみせているのかなと思い書き始めましたが、夏イベント前ということで当初の目論見とはちょっと違うものができあがりました。

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2014-08-03 19:56:41 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1236   閲覧ユーザー数:1205

「対潜掃討準備!」

「はいっ!」

 旗艦の言葉に応じて、少女は海面を疾駆した。

 海面にいくつも水柱があがる中を、巧みな機動で避けながら突き進む。

 すでに敵の主要艦とこちらの戦艦が大口径砲で撃ちあいをしている最中だ。さらに空母陣が艦載機を展開し、爆撃の雨を降らせている。巻き込まれては自分ごとき駆逐艦ではひとたまりもない。

 黒を基調としたセーラー服に似た衣装を身にまとい、ゆるく編んだ髪を前に垂らした彼女は女学生にも見えたが、海面をすべるように駆ける姿、そしてなにより身体の各所に身にまとった艤装が、ただの女の子ではないことを如実に示していた。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 彼女の隣にもう一人、艦娘が躍り出る。肩で切りそろえた茶色い髪、白いセーラー服に似た衣装。くりっとした愛らしい目は、いまこのときは真剣な眼差しだった。

 黒い服の艦娘は、僚艦に向けて声を張り上げた。

「いくよ、二人でしとめる!」

「はいっ、艦隊をお守りします!」

 本格的な砲撃戦では駆逐艦の出番は少ない。だが、彼女達には重要な役割があった。

 敵の陣形から離れた箇所に潜み、こちらの主要戦力に向けて一撃必殺の魚雷を放ってくる潜水艦を掃除するのだ。普段ならば潜水艦ごとき無視して純粋な殴り合いで圧倒してもよい。だが、標的となる敵泊地の防衛部隊を完全殲滅が任務とされている今回は、一体たりとも仕留めそこなうわけにはいかなかった。

 砲撃戦の交戦域から離れ、水中聴音機で耳をすませる。

「逃すもんか……みんなの邪魔はさせない!」

 黒い服の彼女はそうひとりごちた。緊張で汗が一筋、頬を伝う。

 駆逐艦、「時雨(しぐれ)」。

 それが彼女の艦娘としての名である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断され、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 実際の艦艇がそうであるように、艦娘たちも戦艦や空母、巡洋艦、駆逐艦といった種類に分けられていた。それぞれ役割も戦力も異なり、わけても小回りの効く駆逐艦は回復されたか細いシーレーン確保のために各地へ派遣されていた。

 そんな働き者の駆逐艦たちでも、第一線の打撃部隊に随伴できる艦娘は鎮守府でもごく一部に限られており、数少ない彼女たちはいわばエースといえる存在だった。

 

「いやー、惜しいところまで行ったのにねえ」

 言葉とは裏腹にあっけらかんとした口調で、今回の作戦の旗艦をつとめた艦娘が言う。緑の弓道着に、飛行甲板と長弓の艤装――空母の蒼龍(そうりゅう)である。

「敵中枢まではいけたんだけどねえ、撃ち負けたか」

 蒼龍の言葉に応じて、黄色い弓道着に長弓をたずさえた艦娘――飛龍(ひりゅう)が言う。蒼龍と飛龍は通称“二航戦”と呼ばれ、コンビで組むことが多かった。

「ごめんなさい。わたしの狙いがもう少し的確なら……」

 一同の中でもとりわけ長身で優美な、そして大口径砲が目立つ大仰な艤装が目を引く艦娘――大和(やまと)が言う。かつての戦争でも最強の戦艦として知られた艦の記憶を受け継ぐ彼女は、艦娘としても鎮守府随一の砲撃力を誇る。

「ははは、あいかわらずおぬしは本番に弱いのじゃな」

 しゅんとしおれる大和に、緑の上着にスリットの深いスカートを身に着け、髪をツインテールにまとめた、快活そうな艦娘――航巡の利根(とね)が声をかける。からからと笑ってみせる声に揶揄の色はない。むしろ励ましているように聞こえる。

「気にするでない。この我輩も今回はいまいち狙いが甘かった。勝負は時の運じゃ」

 その言葉に、蒼龍が応じる。

「まあ、でもせっかく時雨が潜水艦をしとめてくれたのにね。それを活かしきれなかったのは、“お姉さんたち”の働き不足は否めないよねえ」

 そう言って、蒼龍は時雨にウィンクを送ってみせる。話を聞きながら、前に垂らしたおさげをいじっていた時雨は、いつものおだやかな笑みにたおやかな声で答えた。

「僕だけの働きじゃないよ。雪風(ゆきかぜ)も手伝ってくれたからさ」

 少年っぽい言葉遣いだが、これが時雨の普段のしゃべり方なのである。

 時雨に名指しされた艦娘――茶色い髪にくりっとした目、どことなくリス科の小動物を思わせる雪風が照れ笑いを浮かべてみせた。

「雪風は艦隊を守れたのがうれしいのです!」

 元気一杯な彼女の声に、沈みそうになっていた一同の空気がぱっと明るくなる。

 その言葉に時雨がうなずいて、“お姉さんたち”に言った。

「勝てなくても、全員無事に帰れたのがなによりさ」

 駆逐艦の時雨と雪風は、戦艦の大和、空母の蒼龍と飛龍、巡洋艦の利根に比べると、背も小柄で見た目も少し幼く見える。思いがけず“年下”から諭されてしまった彼女たちはそれぞれに苦笑いを浮かべてみせた。蒼龍がぽつりと言う。

「『帰ろう、帰ればまた来れるから――』か」

「その言葉、提督の言葉でしたっけ?」

 大和が首をかしげると、飛龍があごに人差し指をそえて思い出すように、

「うーん、提督の教官の言葉じゃなかったかな」

「まあ、しかしそのとおりじゃな! 無事に戻ってこれればまた行くことができる。このメンツならきっとまた羅針盤がくるわずに敵中枢まで行けるのじゃ!」

 利根が腕組みしながら言うのに、一同はうなずいてみせた。

 時雨たち一行が提督から指示されたのは、リランカ島の泊地に拠点を構える敵戦力の撃破である。過去にたびたび攻略艦隊が編成され、何度も叩いているのだが、深海棲艦はあぶくのように湧いてきては戦力を立て直す。

 リランカ島周辺の海域は航路が複雑に入り組んでいるうえに、深海棲艦の勢力圏下ではよくあることだが、地磁気妨害で進路があさっての方向に行くことがしばしばだった。進路が思い通りにいかないことを、艦娘たちは「羅針盤がくるう」と呼んでいる。敵と戦うことと同等、あるいはそれ以上に航路が思い通りにいかないのは攻略に際しての大きな悩みであった。

「時雨と雪風がいてくれたおかげかもしれませんね」

「そうじゃな! 二人とも幸運艦で、なにより腕利きのエースだからのう」

 大和と利根がそう誉めそやすのに、時雨は思わず頬が赤くなるのを感じた。自分なりにそれなりに自信はあるものの、やはり面と向かって強運の持ち主だ、精鋭だといわれると照れくさいものがある。

「まあまあ、リランカの話はこのくらいにして――蒼龍、あれはもう決めた?」

 飛龍がぽんぽんと手を叩いてから言う。訊かれた蒼龍は微笑みながら、

「お中元の話ね。やっぱりこういうのは食べ物だと思うけど、何がいいかなあ……」

 その言葉に時雨はきょとんとした顔をして言った。

「お中元って、なんのことだい?」

「ああ、うん。提督と、あと一航戦の先輩に贈ろうと思ってね。本当はもっと早めに贈るものなんだけど、昨年も贈れなかったみたいだし、今年は限定作戦前に日ごろの感謝と景気づけも兼ねて贈ってみようかな、って」

 蒼龍の返事に、大和が神妙な顔をして考え込む。

「お中元――この時期だと暑中お見舞ですね。提督に、ですか」

「うん、普段、色々よくしてもらってるから、こういう時ぐらい、艦娘から何か感謝のしるしを贈ってあげてもいいんじゃないかなと思ってさ」

 飛龍の言葉に、しかし、大和は考え込んだまま、別のことに思考が向いてしまっているようである。お中元、プレゼント、提督のお好きなものを贈る、と、ぶつぶつとつぶやいているのを見て、利根が「困ったものじゃのう」と苦笑いを浮かべた。

「――あ、駆逐艦寮に着きましたよ」

 雪風が声をあげる。蒼龍がそれに応じて、

「あらら、ずいぶん話し込んじゃったわね」

「じゃあ、ここで解散にしましょうか」

 飛龍の言葉に一行はうなずいた。空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、それぞれに寮は分かれている。お互いに手を振り、挨拶を交わしながら、ばらばらに散っていく。

 時雨は“お姉さんたち”を見送りながら、ぼそりとつぶやいた。

「提督にお中元か……」

 

「というわけなんだけど、島風(しまかぜ)はどう思う?」

 翌朝。日が昇りきった直後に、時雨は鎮守府の運動場に来ていた。

「お中元贈るともっと速くなるのかな?」

 訊かれたほうはというと、なかなか意味不明な回答をしてみせた。

 時雨は、たははと笑ってみせた。まあ最初の返事はある程度予想の範囲ではある。

 彼女の視線の先には、やはり小柄な駆逐艦の艦娘がいた。柔らかな亜麻色の長い髪、うさぎの耳に似た黒いリボン、セーラー服を模した袖なしの上着、丈の妙に短いスカート。全体としてなかなか刺激的な格好をした艦娘――島風はというと、体操に没頭している。身体をねじり、ひねり、関節を折り曲げ伸ばし、念入りに身体をほぐしていた。

「相変わらず熱心だね」

 時雨がそう声をかけると、島風は身体を動かしながら答える。

「身体があったまらないうちに走ったりしたら怪我するじゃない」

「走らなければいいと思うんだけど」

 時雨のつっこみに、島風が振り返る。何を言ってるんだと怪訝そうな表情だった。

「せっかく走れるんなら走ったほうがいいよ。時間がもったいないよ」

「いつもそうやって伝令の最中にぶつかりそうになるんだから」

 ため息をついてみせる時雨に、島風はにひひと笑ってみせた。

 島風も鎮守府では駆逐艦のエースと目されている艦娘であるが、なによりもその快速で知られていた。艤装を身に着けて海面を疾駆する彼女は鎮守府でも一番の速力をたたき出し、深海棲艦にも彼女に追いつけるものはいないという。

 難点があるといえば、せっかちな性格からなのか、陸の上でも走り回ってばかりでよく他の艦娘にぶつかりそうになることだろうか。なんとかその特徴を活かせないかと頭を悩ませた提督が思いついたのが、待機時の伝令役である。鎮守府に来た艦娘がまず目にする三つのもののうちのひとつが、書類を抱えて「どいてどいてー」と叫びながら走り回る島風と言われている。

 「疾風かんむす」「暴走娘」などと口さがない艦娘からは揶揄されている彼女だが、時雨を含むごく一握りの艦娘は、島風が身体づくりに余念がないことを知っている。生まれ持った性能におぼれず、隠れた努力をおこたらない子なのだ。

 あるとき、その理由を訊かれた島風はこう答えたという。

「装備で性能は上がるかかもしれないけど、その装備を使うのはわたしたち艦娘じゃん。自分の身体をしっかり作っておかなきゃ使いこなせないじゃないの」

 島風型はかつての戦争で一隻しか作られなかったので、艦娘としての島風も姉妹艦がいない存在である。同型艦から艤装の部品をもってこれない事情が、彼女をして自己鍛錬に熱中させる理由であるかもしれなかった。

「で、お中元だっけ? 提督に贈るの?」

「うん。でも駆逐艦ってお給料が少ないじゃないか。一人じゃ良いものがちょっと買えそうにないからどうしようかな、と思って」

「何人かでお金を持ち寄って贈ればいいじゃないの」

 島風の言葉に、時雨はちょっと目を丸くしてみせた。

「なんなの、その顔」

「いや、ゴメン。同じことは考えていたけど、そんな意見を聞けるとは思わなかった」

「わたしをなんだと思ってるの? 相談しにきた、というより、一緒に贈る仲間を探しに来たんでしょう?」

 島風は不服そうに言うと、用意してきた瓶詰め牛乳の蓋をぽんととった。そのまま腰に手をあて、ごくごくと飲み干す。

「――ぷはーっ、この一杯のために朝の体操してるわ」

「アルコールじゃないんだから」

 苦笑いを浮かべてみせる時雨に、島風はまたもにへへと笑ってみせ、

「だってよく冷えた牛乳美味しいんだもの。それよりも、あと二人ぐらい誘った方が良いもの買えるんじゃないの」

「うん、誰がいいと思う?」

 時雨の問いに、島風はかすかに眉根を寄せてから、言った。

「うーん、夕立(ゆうだち)と……雪風?」

「そうだね、僕もその二人かなと思っていた」

「じゃあ決まりね。すぐに声をかけに行きましょ!」

 島風はそう言うと、身構えるや否や、ぱっと駆け出した。

「ほらほら、置いていくよ! 先行っちゃうよ!」

「ちょ、待ってよ!」

 一目散に駆け出した島風を、時雨は慌てて追いかけた。

 

 

 青い空と海原の狭間で砲声が断続的に轟く。

「やってるなあ」

 時雨がそう言うと、島風がうなずいてみせる。

「この時間の夕立はいつもここだからね」

 演習海域を望む桟橋である。いまは朝の演習が行われている時間帯だった。

「――なんだ、おまえたち、どうした?」

 駆けてきた二人に、凛とした声がかけられる。桟橋の端に立つ、長い黒髪を流し武人の雰囲気を漂わせた整った面立ちの艦娘である。

「おはようございます、長門(ながと)さん」

「おはよーございます!」

 時雨と島風は敬礼して挨拶してみせた。相手はこの鎮守府でも特別な人物――艦隊総旗艦の二つ名を持つ、艦娘たちのまとめ役をつとめる長門である。提督の信頼厚く、特別な絆の証であるケッコンカッコカリまで交わした彼女は、別格の存在といえた。

「演習の見学か? なかなか熱心だな」

「いえ、僕たちは夕立に用があって……」

 時雨がそう答えると、長門は少し笑みを見せて、海原の方に顔を向けた。

「ちょうど夕立の最後の砲戦演習が始まるところだ。見ていくといい」

 そう言って、長門は予備の双眼鏡を時雨に渡した。

 時雨が双眼鏡を覗き込むと、海面に浮かぶ標的艦が見えた。

 程なく、視界の端に金の髪を風になびかせた艦娘が飛び込んできたかと思うと――

 次の瞬間、連続した砲撃音と共に水柱が次々とあがった。

 標的艦がこっぱ微塵になり、見る見る間に海面に沈んでいく。

 その苛烈な攻撃に、時雨は思わずごくりと唾を飲み込んだ。

「おおー、すごい……」

 遠めにもある程度の迫力は伝わるのだろう、島風が感嘆の声をあげる。

 長門はというと、満足げな表情ながら、いささかあきれた声で、

「どうしてもというから最後は実弾演習を許可したが……標的艦をあそこまで壊してしまうとはな。あとで提督に詫びを入れておかねばならんな」

 そう言うと、手にしていた信号銃を空に向けて撃ち上げた。赤い煙が空に立ち上る。

「いま夕立を呼んだ。間もなく来るだろう」

 長門がそう言うと、時雨と島風はうなずき、演習場のある方へ顔を向ける。

 程なく、海面を素晴らしい快速で駆けながら、一人の艦娘が向かってきた。

 時雨は声を駆けようとして、しかし、彼女のただならぬ様子に言葉を呑み込んだ。

 長い金髪を振り乱し、赤い瞳を爛々と輝かせ、全身からは湯気でも立ち上るかのような熱気を帯びていた。普段は涼しげな顔が戦意でうす赤く高潮し、頬に幾筋も汗の筋が流れている。彼女――夕立は、桟橋のたもとまで近づくと、息をはずませながら言った。

「夕立に、ご用、っぽい?」

「ああ、ええと――ちょっと、お中元のことで話があってね……」

「オチューゲン? それ、何級? どこに、いるの? 沈めて、いい?」

 時雨の言葉に夕立はふーっふーっと息を荒くしながら明後日な返事をした。

 長門はそんな彼女を困ったような顔で見るや、自分の足元に置いていたバケツを時雨に渡した。時雨が受け取ると、バケツの中になみなみと水が張られている。

「ぶっかけてやれ。思いっきり」

「え、でも」

「いいから。スイッチが入ったままではまともに話もできんだろう」

 長門があごをしゃくってみせる。

 時雨は「ごめん」とつぶやくと、勢いよくバケツの水を夕立にかけた。

 おもむろに水をひっかぶった夕立は「わっ」と声をあげると、思いきり身ぶるいをしてみせた。夕立にかかった水が雫になって時雨たちにも飛んでくる。

 ぐしょぬれになった夕立は、きょとんとした表情になっていた。赤い瞳の光も心なしか落ち着き、立ち上っていた戦意も穏やかになったようである。

 彼女は時雨たちを見ながら首をかしげてみせた。

「あれ? 時雨と島風っぽい? こんなところで何をしてるの?」

 声も落ち着きを取り戻していた。

 その豹変っぷりに時雨が苦笑いを浮かべていると、長門がやれやれと首をふりながら、クーラーボックスからラムネを取り出し、夕立に手渡した。

「落ち着いたか。まったく、実戦になると人が変わるのは相変わらずだな」

「ありがとう、長門さん――夕立、パーティになると熱くなるっぽい」

「だからといって標的艦をこっぱ微塵は力が入りすぎよ……」

 島風がじとりとした目で見る。夕立は口に手をあてて、信じられない、という声で、

「えっ、夕立、また壊しちゃったっぽい?」

「まあ壊していいものを使ってはいるがな……これで通算二十三回目だぞ。そろそろ提督の胃に穴が開くころじゃないか」

 そう言われて、夕立はしゅんとしおれてしまった。

「ごめんなさい。無我夢中だったっぽい……」

 ラムネを両の手のひらで転がしながら夕立が言うのを、時雨が微笑みながら、

「でも駆逐艦の砲撃であそこまで撃破できるのはすごいよ。さすがだね」

「わたしでもあれは無理だなあ」

 島風が同意してみせると、夕立の表情がぱっと明るくなった。

 それを見て、長門はふうと息をつき、

「まあ『ソロモンの悪夢』と呼ばれるだけはあるか。オーバーキルをしない夕立は、言われているとたしかにらしくないな」

 そうして、ふっと目を細めて微笑んでみせる。

「心配するな、提督にはわたしからうまく言っておく。それより、友達がなにやら用があるんじゃないのか?」

 長門にうながされて、時雨がこくりとうなずく。

「僕たちで提督にお中元を贈ろうと思うんだ。よければ君も加わってくれないかな」

 時雨の言葉に夕立は束の間、考えてみせたが、すぐに首を縦に振った。

「良い考えっぽい! お中元贈れば、標的艦も大目に見てもらえるっぽい?」

「いや、別にそういう意図があるわけじゃないけどね……あと、雪風も誘いたいから、一緒に声をかけるのを手伝ってくれないか?」

「いいよ――長門さん、もうあがってもいいっぽい?」

「構わない。艤装をちゃんとしまっておくんだぞ」

「はあい」

 夕立はそういうと、桟橋の上にのぼった。

 その間に、長門はクーラーボックスからラムネを三本とりだした。

「時雨と島風も飲むといい。残りの一本は雪風のぶんだ」

「わあい、ありがとうございます!」

 島風が小躍りして喜ぶ。時雨はその様子にくすりと微笑んだ。

 長門も心なしかうれしそうに見えたが、ふと腕組みして首をかしげ、

「しかし、提督にお中元か……なんだ、そんなものが流行っているのか?」

「いえ、二航戦のお二人が贈るというのを聞いて、僕たちもどうかな、と」

「なんだと……限定作戦で自分を使ってもらおうという賄賂ではないだろうな」

 長門がじろりとにらみつけると、時雨は軽く目をみはって答えた。

「とんでもない! やましいところなんてないよ」

 その答えに、長門はにやりと笑ってみせた。

「冗談だ。そんな不埒なことを考える艦娘がいるはずがない」

「長門さんは贈ったりしないの?」

 ふと島風が発した問いに、長門はやや考え込み、

「どうかな……特にそういう形で普段の謝意を示すことなど考えたこともなかったな。そんなことをしなくてもお互いに分かり合っているとは思うし……どうなんだろう」

「でも、贈られたらうれしいと思いますよ」

「ふむ、そういうものか……」

 何気なく答えた時雨の言葉に、長門は真剣な表情でますます考え込んでしまった。

 

「それで、雪風はどこにいるっぽい?」

 寮内を歩きながら、夕立が首をかしげる。時雨は、眉根を寄せながら言った。

「部屋にはいなかったんだよねえ」

「走って探したほうがよくない? ねえ?」

 そう言う島風は心なしか早足である。時雨は島風の手を取って、

「待って。やみくもに探しても疲れるだけだよ」

「えーっ、わたしは別に走っても疲れないよ」

「夕立は演習あがりなんだから無茶させちゃだめだよ」

 そうたしなめる時雨に、島風は頬をふくらませて不服そうな顔をしてみせた。

「まあまあ、聞いた話だとこのへんにいるっぽいし」

 夕立がそう言い、手をかざしながらあたりをきょろきょろと見回した。

「おや? あれそうじゃない?」

 廊下の先、曲がり角の付近を夕立が指差す。何か白い影がちらちらと見えた。

「きっとそうだ! 確かめてくる!」

 島風がそう叫ぶや、あっという間に駆け出していく。

「もう、せっかちなんだから……」

 時雨があきれ顔でそういうと、夕立がくすりと笑ってみせる。

「まあまあ、わたしたちも行きましょ」 

 夕立にうながされて、時雨も若干の駆け足で近づいていく。果たして廊下の向こうでは島風が白い影の手を取って、ぶんぶん振っているところだった。

「もうなにしてるの、雪風!」

 島風がそう声をあげる。白い影はたしかに雪風だった。もともと白い服なのだが、いまはその上に割烹着を着込み、頭に白い三角巾をかぶっている。

「もう、島風ちゃん、手を離してください――掃除当番です」

 そう答える雪風の手にはモップが握られていた。

「掃除当番って、雪風、なにか罰直受けたっぽい?」

 夕立が不思議そうに訊ねるのに、雪風はかぶりを振ってみせた。

「違います! 間宮券と引き換えに掃除当番を引き受けました!」

 そう言って胸を張る雪風。ふと周囲を見回すと、広い廊下で掃除をしているのは雪風だけである。時雨は不安に駆られて聞いた。

「掃除当番って……もしかして、このあたり全部?」

「はいっ」

 雪風の言葉には、ためらいも迷いもなかった。時雨はあきれ顔で、島風は眉をひそめ、夕立は不思議そうな顔で、声をそろえて訊ねた。

「どうして?」

「間宮券を集めているのです! 甘味処で羊羹詰め合わせに変えて、お中元にして、雪風から皆さんに配るのです!」

 得意げに答える雪風に、時雨は思わずじとりとした目でさらに訊ねた。

「配るって、どれだけの人に贈る気なんだい」

「長門さん、陸奥さん、大和さん、あと金剛さんたち、空母の皆さんに……あと神通さんにも贈らないとですね。それから駆逐艦の子にも何人か――」

「わかった、わかったよ」

 両手の指をいくつも折って数え始めた雪風を時雨は押しとどめた。夕立は首をかしげながら口の中で数えていたらしく、ぼそっと、

「五十じゃ効かないっぽい?」

「掃除当番どれだけやったら集まるのよ。その間にお中元の時期すぎちゃうよ」

 島風が肩をすくめてみせると、雪風は照れ笑いをしてみせた。

「だいじょうぶです、なんとかなります」

「仕方ないなあ」

 時雨はかるくため息をついて、言った。

「僕たちからも何枚かずつカンパしてあげよう」

「いいんですか!?」

「雪風に掃除当番押し付ける子にも困ったものだね。それよりもさ」

「なんですか?」

「提督へのお中元を一緒に考えてくれないか?」

 時雨のお願いに、雪風はぱっと顔を輝かせ、答えた。

「はいっ、雪風、喜んで!」

 

 甘味処『間宮』。艦娘たちの憩いのスポットである。

 艦娘は戦力であるが女の子でもあり、やはり甘いものには目がない。給糧艦である間宮(まみや)が運営するこのお店は、甘味を楽しめる場所として鎮守府内でも知らないものはいない。提督もちょくちょく顔を出し、艦娘にごちそうする姿が見られている。

 そんな甘味処だが、店内で飲食するコーナー以外に持ち帰りの商品も売っている。特製のアイスクリームは人気の商品だが、他にも羊羹や飴玉、シロップ漬けの果物の缶詰なども売られていて、よその鎮守府へ応援に行く艦娘に差し入れとして渡されたりすることが定番となっている。

 はたして、時雨たち四人は、甘味処へ顔を出していた。持ち帰りのコーナーを見に行くと、販売台が普段より拡張され、普段は見ないような商品も並んでいる。

「ボーキサイト風カラメル……こんなの初めて見たな」

 時雨がそう言うと、店の主である間宮がにこにこしながら答える。ぱっと見には割烹着を身に着けた大人のお姉さんだが、これでもれっきとした艦娘である。

「空母の方に人気なのよ。普段は入れない商品だから珍しいみたい」

「あ、羊羹詰め合わせです! 色々種類があります!」

 雪風が声をあげるのに、間宮がうなずいて、

「羊羹は安くしてますよ。この小さい詰め合わせだと、間宮券一枚で五箱買えるわね」

 その言葉に、間宮券を握り締めた雪風が感極まった表情をしてみせた。どうやら手元の券で必要数がなんとか買えるらしい。

 そんな雪風に時雨は苦笑いをしてみせながら、商品を物色していた。

「なにがいいかなあ……提督、何が喜ぶと思う?」

「提督の好みって、甘味じゃないっぽい」

 時雨の問いに夕立が答える。島風が首をかしげながら、

「たしか甘味処では塩昆布食べてた気がするけど……」

「はい、塩昆布詰め合わせもあるわよ。プレーンなものから柚子山椒を利かせた変わり種までありますよ」

 間髪いれずに間宮が売り込んでくる。なかなか商魂たくましい。

 時雨たちは目を丸くしていたが、ややあって、お互いにうなずき、

「じゃあ、その――」

 と、言いかけたそのとき。

「ちょっと待った!」

 時雨たちの背後から、大音声で叫んだ艦娘がいる。

 振り返ると、茶色い髪を肩のあたりでふっつりと切った艦娘が足早にやってきた。すらりとしながらも出るところは出ているスタイルのよさもさることながら、ちょっと釣り目がちな顔立ちと化粧の具合から、色っぽさがにじみ出ている艦娘である。

「あら、陸奥(むつ)さん、どうしたんですか」

 間宮が目を丸くしていると、陸奥は、時雨たちをちらりと見やってから、

「その塩昆布、お店にあるぶん、全部買います」

「えっ、僕たちも注文しようと――」

 そう言いかける時雨に、陸奥は両手を合わせて拝んでみせた。

 陸奥は戦艦であり、鎮守府ではビッグスリーの一角を担うトップエースの艦娘である。いくら時雨たちが手だれといえども、そう軽々しく頭を下げる立場ではない。しかしながら、いまの陸奥は真剣そのものの顔だった。

「ごめんなさい、時雨。ここは譲れないの。どうしても提督に――」

 そう陸奥が言いかけたとき、またしても大音声で、

「ちょっと、待ったあ!」

 今度の声も大きかったが、ややあどけなさの残る声である。時雨たちが見やると、大和が足音も高く歩み寄ってくるところだった。気のせいか、陸奥が舌打ちしたような気がしたが、時雨は見なかったことにした。

「陸奥さん、買占めなんてずるいですよ!」

 優美な面立ちに、眉をきりりとつり上げ、大和が詰め寄る。

 陸奥は受けて立つ姿で間宮の前に立ち、何かを守るかのような体勢をとった。

「早い者勝ちよ。ずるじゃないわ」

「塩昆布は提督の好物だとご存知じゃないですか。それを独り占めしようというのがずるいというんです」

「別に数量限定とかないじゃないのよ」

 言い争いを始めた二人を前にして、時雨たちはひそひそと言葉を交わした。

「……陸奥さんと大和さんも提督に贈るっぽい?」と夕立。

「塩昆布、何箱贈る気なんだろ」と、これは島風。

「物量作戦、戦術の基本ですね!」と、感心したふうなのは雪風である。

「良いもの見つけたと思ったんだけどなあ」

 時雨は、はあっとため息をついた。陸奥と大和はまだやりあっている。

「じゃあ、こうしましょうよ。私が柚子山椒、あなたが普通ので」

「あ、ずるいです。普段のと違う味でアピールするつもりですね? 半分ずつにすることをこの大和は提案します」

「ぬぬぬ……わかったわ」

 もはや時雨たちそっちのけで超弩級戦艦どうしで話がまとまってしまったらしい。

 間宮が二人に見えないように、そっと「ごめんね」と時雨たちに目線を送ってくる。

「仕方がない、出ようか」

 時雨の言葉に島風たちも応じる。二人に気づかれないようにそっと店を出たが、まだラッピングをどうするかで二人はやりあっているようだった。

「――なんか、必死だったね」

 時雨がぼそっと言うと、夕立がしたり顔で応じてみせた。

「女の戦いっぽい?」

「長門さんに続いて、二人同時に提督とケッコンしたから、なんか競争意識湧いちゃうんだろうね。実戦でも張り合っているみたいだし」

 島風の言葉に、雪風が大きくうなずく。

「古参の陸奥さん、性能の大和さんですね!」

 単純な戦闘能力なら大和の方が上なのだろうが、陸奥の方が鎮守府に来た時期はずっと早い。そのくせ練度は同じレベルで、しかも二人には超えるべき壁として、艦隊総旗艦の長門という存在がある。お互いにライバル視するのはやむをえないところか。

「とはいえ、どうしようかな――」

 時雨が思わず天を仰いでひとりごちると、不意に、

「あら、途方にくれた顔でどうしました?」

 はずむように明るい声。見ると、ふわふわのピンクの髪の艦娘が声をかけてきていた。艤装を身に着けているが、大砲などはほとんどついておらず、代わりにいくつもクレーンなどがついている。戦闘艦ではない、修理などを請け負う工作艦なのだ。

「明石(あかし)さん……」

 時雨の言葉に、明石はにっこりと微笑んでみせた。

 

 

「まあ、見ていってちょうだい。まだ正式開店前なんだけど」

 明石はそう言うと、一同を「店」へと案内した。

 看板とおぼしきものはまだかかっていない。時雨は少し首をかしげて、言った。

「明石さん、お店開くんだね」

「ええ。北方戦隊の指揮任務をようやく解かれたんだけど、修理専業に回ると意外に空き時間ができることが多くって。忙しいときは忙しいんだけど」

 甘味屋の前で途方にくれていた時雨たちに声をかけた明石は、「それならうちの店で探していかないか」と誘ってくれたのだ。明石といえば、ついこの間まで北方海域で臨時泊地の駐留部隊の指揮にあたっていて、なかなか時雨たちも顔を見ることがなかったが、ここ最近は鎮守府内でもしばしば姿を見かけることが多くなってきた。

 お店のドアの鍵を開けながら、明石は、

「『雑貨屋・明石』にしようか、『ギャラリー・明石』にしようか、ちょっと悩んでいるんだけどね。そのあたりの意見も聞かせてくれるとうれしいな」

 そういうと、ドアを開く。

「さあ、どうぞ。あなたたちが初めてのお客さんよ」

「おじゃまします」

 四人は軽く頭を下げながら、店の中に入ったが、中の様子をみて、

「わあ……」

 思わず、感嘆の声をあげた。

 壁にかかったいくつもの時計。天井からは色とりどりのガラス照明。ショーケースにはガラス細工や陶器の置物がいくつも置かれ、店の一角にはハンカチなどが置かれたコーナーもある。雑多な、それでいて、どこか懐かしい感じのする店のたたずまいに、時雨は思わず目を丸くしていた。

「とても素敵じゃないか」

 時雨のその言葉に、明石がにっこりと微笑む。

「うふふ、ありがと。さあ、ゆっくり見ていって」

 広くはない店内だが、駆逐艦娘四人が散るには十分な広さだ。

「このハンカチ、おしゃれっぽい! 素敵!」

 夕立がいくつも手にとりながら言うと、島風が同じく歓声をあげ、

「わっ、この陶器の置物、チーターの形だ。速そうだなあ……!」

 そして壁を見ていた雪風が目を丸くして、

「この時計、リスさんが出てきます! かわいい!」

 時雨はというと、スタンドに立てられた傘を熱心に見つめていた。

「へえ、この青いのなかなか良いな……ううん、こっちのもなかなか」

 思い思いに商品を目にして感嘆の声をあげる。明石は満足した様子でうなずき、

「びっくり箱みたいで楽しいでしょう? 鳳翔さんのようにお店を構えるのが、ちょっとうらやましかったから、思い切ってえいや、っとね」

「素敵なお店だよ、きっとみんな気に入ると思うな」

「ありがとう。まあ開店は限定作が終わってからね。それまではきっと出撃続きでわたしの出番も多いだろうし」

 そこまで言って、明石はちょっと首をかしげて、

「それで、探し物はなんだったかしら?」

 その言葉に、雪風が答えてみせる。

「提督へのお中元です!」

「お中元か……うーん、うちの店では食料品は扱っていないからなあ」

「特に食べ物にこだわらなくていいのかな、と思うよ」

 時雨がそう応じる。

「日ごろの感謝が伝わるものならなんでもいいんじゃないかな」

「ふーん……あ、そうだ」

 明石はちょっと考え込んだが、すぐにぽんと手をたたき、

「それなら、ちょっと面白いものがあるけど、見ていく?」

 不思議そうな顔をしてみせる四人に、明石は得意げな笑みを浮かべてみせた。

 

 鎮守府の一角にその部屋はある。

 最大でも最上階でもないその部屋は、しかし、鎮守府の中枢といえた。

 提督執務室。鎮守府の主、艦娘たちの司令官である提督の仕事部屋である。

 時雨たち四人は、その執務室の扉の前に立っていた。

 マホガニーの扉へ来ることは普通の艦娘ならめったにないことで、それは時雨にとっても例外ではない。雪風や夕立も同様だ。三人は、微妙なプレッシャーを感じていた。

 唯一、伝令として頻繁に来る機会のある島風は、慣れていて平気な顔である。

「ほら、早く入ろうよ」

「ちょっと待って……心の準備が」

「き、緊張してるっぽい」

「司令の部屋に来ることあまりないですから」

 時雨は目を閉じ、深呼吸をした。夕立と雪風も同じように息を整えている。別に怒られるわけではないのだが、仕事のじゃまをするかもしれないと思うと、ノックもはばかられる気がした。

「もう、そんなに固くならなくてもいいって。開けるよ!」

「あ、ちょっと……!」

 時雨の制止もかまわず、島風がドアを三回ノックする。

 室内から「どうぞ」とたおやかな声。提督ではない、おそらく秘書艦だろう。

 島風はドアに手をかけ、時雨に向かって、にかっと笑ってみせた。言いだしっぺなんだからあなたが先に入りなさいよ――おそらくそういう意味だろうと受け取った時雨は、意を決してドアの前に立った。

 島風がドアを開ける。時雨は手に荷物を抱えたまま、挨拶した。

「失礼します」

「あら、時雨さん――それに、島風さん、雪風さん、夕立さんも」

 真っ先に出迎えたのは、赤い袴の弓道着を身につけた艦娘だった。普段なら飛行甲板と長弓をたずさえている彼女は、今日は書類を抱えていた。航空母艦の艦娘――精鋭と名高い、“一航戦”の赤城(あかぎ)である。

「皆さんでどうされたんですか?」

「なんだ、わが鎮守府の駆逐艦のエースが揃って陳情か?」

 赤城の言葉にかぶせて、男性の声が時雨たちにかけられる。若々しく精悍な張りがありつつ、それでいて老成した落ち着きも感じさせる声だった。声の主は部屋の奥、重厚な執務机に座っていた。白い海軍制服をぱりっと着こなした彼こそ、提督である。

「陳情という割には何かお荷物をもっておいでですよ」

 赤城はそういうと、執務室の一角のテーブルの上に目をやり、くすりと笑う。

 時雨たちが見ると、のし紙のつけられた箱がどっさりと置かれていた。

「もしかして、それって――」

「もしかしなくて、提督宛てのお中元ですよ」

 赤城がおかしそうに微笑んで言う。提督は困ったような声で、

「なんだ? 艦娘たちの間で付け届けでも流行っているのか。たしかに時期が時期だが、限定作戦前にお中元が届くのは、指揮官として何か裏を考えざるをえないぞ」

「それだけ提督を慕う艦娘が多いってことじゃありませんか。あ、提督、そのボーキサイト風カラメルの箱は頂いていきますからね」

 赤城がしゃあしゃあと言うのを、提督は渋い顔で聞きながら、

「ひと箱だけだぞ。後で皆に配るんだからな――まったく、俺がもらっても食べきれないから艦娘たちに分けるしかないんだからな。結局、自分たちに戻ってくるお中元をなんで贈ってくるのか理解できん」

「贈る心が大事なんです。あ、そのシロップ漬けフルーツの缶詰も頂いていってよろしいですか?」

「だめだ。それは駆逐艦たちが喜ぶ。ああ、持って行くなら、その特別でかいのを二つとも持っていって構わんぞ」

 時雨たちが見ると、たしかに、大きな箱が二つ、テーブルの上に我が物顔で置かれていた。他の箱と比べると倍近い大きさがある。ずいぶん気合の入った代物である。

「なんか見覚えあるっぽい?」

「はい、雪風も見た記憶があります」

 夕立が首をかしげ、雪風がうなずく。提督はややうんざりした声で、

「陸奥と大和が持ってきた。中身の目星はついている。間宮から売れましたと報告があったからな――俺の甘味処での定番が塩昆布だからといって、四六時中食べたいわけではないのだがな、まったく」

「ご飯のおともにされてはいかがでしょう。長門さんのおむすびに合うと思いますよ」

 赤城の口調は妙に真面目だったが、それだからこそ揶揄の色が感じられた。

「一年分あるぞ」

「食べ終わる頃にはまた陸奥さんと大和さんが贈ってきますね」

「ありがたくて涙が出る」

 そこまで提督は赤城と話していたが、時雨たちに目をやり、

「おお、すまんすまん。君たちもお中元か? 頂いておくよ、ありがとう。後で皆に分けるかもしれんから、自分で選んだものが戻ってきたら勘弁しておくれ」

「うん、お中元なんだけど、その……」

 言いよどむ時雨を、夕立がひじでつつき、島風が目配せする。

 最終的に時雨の背を押したのは雪風だった。

「司令! 時雨ちゃんからお願いがあるそうです」

 そう声をあげて、時雨にうなずいてみせる。

 時雨は仲間達を見回すと、ほうっと息をつき、言った。

「ごめんなさい、提督。食べ物でもないし、分けられるものじゃないんだ。あとで構わないから、開けて見てくれないか?」

 時雨はそういうと、きりっとした顔で提督の顔を見た。

 赤城がそれを見て、人差し指をあごにあて、少し考えてから、

「提督、後からといわず、いま開けて差し上げてはいかがでしょう?」

「いまか? なぜだ」

「いま開けて、中身をご覧になった方がこの子たちを喜ばせると思います」

「ほう、なぜそう思うんだね」

「女の勘です」

 言い切った赤城に、提督はふうと息をつき、女の勘なら仕方ないなとつぶやいて、

「すまんが、持ってきてくれるか」

 時雨たちはうなずきあい、提督の執務机の前へ行き、そっと紙の包みを差し出した。

 たしかに食料品にしては小ぶりな箱だった。分けられるほどの量がつまっているとも思えない。提督はペーパーナイフを取り出すと、丁寧な手つきで包みをほどいていった。

 包装をはがすと、一見そっけないボール紙の箱が姿を現した。

 提督は一瞬だけ怪訝そうな顔をしてみせたが、その箱を開けた。

 開けて、思わず提督は目をみはった。覗き込んでいた赤城はほうと息をつく。

「これは――羅針盤か」

 方位磁針を持ち、方角が細工で施されたそれは、まぎれもなく羅針盤だった。舶来のものらしい、異国の香りがするそれは、なかなかのお洒落なつくりである。

「――これから、限定作戦が始まるよね」

 時雨は口を開いた。穏やかな声に、並々ならぬ決意がこめられていた。

「うちの鎮守府は戦力は十分だと思う。艦娘たちの練度も高い。普段、提督が僕たちのことを一番に考えてくれるから、僕たちはいざという時は命を張って戦う。だから、進路が迷わない限り、負けることは決してない」

 時雨は、仲間達を見た。島風が、夕立が、雪風がうなずいてみせる。

「航路がまよったりしないように――羅針盤がくるわないように、この贈り物を選んだんだ。箱に収めるときに、限定作戦が成功しますようにと思いをこめて」

 彼女は、提督の目をじっと見つめて言った。

「僕たちの思い、受け取ってくれるかな」

 提督は時雨の視線を受け止めて、しばし無言だった。

 やがて、彼は目を閉じ、息をはくと、ぼそりとつぶやいた。

「俺にはもったいない贈り物だな」

 そう言うと、彼は立ち上がった。執務机から離れ、時雨たちに歩み寄る。

 最初は雪風の肩をぽんとたたき、言った。

「雪風。幸運に頼らない、お前の実力が真に必要なときだ――力を貸してくれるか?」

「はい、司令! 雪風、喜んでお役に立ちます!」

 雪風が笑顔で敬礼する。

 提督は次に島風の肩をたたく。

「島風。お前の快速が実戦で活かせるときだ――手伝ってくれるか?」

「もちろん! わたしのスピード、思うままに使うといいわ」

 島風が、にひひと笑みを浮かべ、敬礼する。

 続いて提督は夕立の頭をなでた。

「夕立。お前の戦意を活かせる機会だ――存分に戦ってきてくれるか?」

「はい、提督! 夕立、精一杯がんばるっぽい!」

 夕立が満面の笑みで敬礼する。

 最後に、提督は時雨の手をとった。

「時雨。皆、戦ってくれる――この子たちのまとめ役をたのめるか?」

「――はい、提督。僕の力の及ぶ限り、精一杯つとめると誓うよ」

 時雨はそういうと、微笑んで敬礼した。

 提督が時雨の手を離し、姿勢を正すや、びしっと敬礼をしてみせた。

「ありがとう、みんな。だが、俺からは最後に伝えることがある」

 提督のまなざしが、真摯な、そして沈痛な光を帯びた。

「必ず、生きて帰ってこい。羅針盤がどんなにくるおうと、帰ってくればまた行くことができる。誰一人欠けることなく、無事で戻ってこい……俺が伝えたいのはそれだけだ」

 見守っていた赤城が、うっすらと目に涙を浮かべていた。

 提督はうなずき、言った。

「一同、なおれ――さがってよし」

 提督の言葉に、時雨たちは深々と頭を下げると、執務室を後にした。

 

 マホガニーの扉を閉めると、時雨は大きく息をついた。それは皆も同じだった。

 そのことがおかしくて、つい笑みがこぼれてしまう。やはりそれも皆同じだったらしく緊張感がほぐれたのと、伝えきった達成感が胸に満ちてきて、顔がほころんでしまう。

 足取りが軽い。気分が高揚し、いまならなんだってできる気がした。

「おや、おまえたちか」

 廊下を歩いていると、階段を上ってきた長門と出くわした。

 長門も紙の包みをかかえている。時雨はそれを見て、くすりと笑った。

「長門さんも?」

「ということはお前たちもか」

 長門はにやりと笑ってみせた。

「いろいろ考えたが、やはり気持ちは形にして渡すのがいいと思ってな」

「わたしたちの贈り物に勝てるかしら?」

 島風が挑発してみせるのに、長門は片眉をつりあげ、

「ほう、何を送ったか知らんが、負けるわけにはいかんな」

「長門さんも食べ物じゃないみたいだね」

 包みの大きさから見て、時雨が首をかしげる。長門はうなずき、

「中身は教えられないぞ。いまは、な」

 長門はそう言い残すと、執務室へ歩み去ろうとし――立ち止まり、振り返った。

「かたちはかたちでしかない。わたしたち艦娘にとっては、生きて帰ってくることが、提督への何よりの贈り物だ。お互い、がんばろうな」

 そういうと、彼女は目の冴えるような敬礼をしてみせた。

 四人も敬礼を返す。長門は微笑むと、今度こそ執務室へ向かっていった。

 時雨たちは顔を見合わせた。

 提督に言われたことが、またじわじわと思い出される。

 お互いに笑みを交わし、その思いを確認しあう。身体が、心が、熱い。

 こらえきれず、最初に駆け出したのは島風だった。

 雪風が続き、夕立が追いかけ、時雨が最後についていく。

 顔に浮かんだ微笑みは、いつしか笑い声になって彼女たちを包んでいた。

 艦娘たちのさざめく笑い声が鎮守府の窓から夏の空に消えていく。

 時に、八月一日。

 限定作戦開始の一週間前のことであった。

 

 

〔了〕


 
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