No.640820

真・恋姫†無双 想伝 ~魏†残想~ 其ノ二十


今回はちょっと長くなっちゃった。
私の書くものの傾向としては長くなるとちょっと冗長になってしまう。

個人的な、書き手側からの見方ってだけかもしれないけどね。

続きを表示

2013-11-29 00:18:03 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:10139   閲覧ユーザー数:6754

 

 

 

 

【 白と黒と白の戦 ~しかして今日の天気は~ 】

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ! ふんっ! せいっ!」

 

 

黄色い群れの中で一人、少女は戦っていた。

愛槍を振るい、気合の声と共に敵を突き、薙ぎ、払う。

 

その立ち回りには“優雅”という言葉が相応しいだろう。

苛烈な戦働きにも拘らず、戦場に舞う少女は優雅だった。

 

少女は笑みさえ浮かべ、戦場に舞う。

 

立ち回りは蝶のよう。

苛烈な一撃は龍のよう。

 

一対八百強という、傍から見れば絶望的で圧倒的な数の暴力。

しかし少女はその渦中に飛び込んだ。そして今なお、槍を振るって敵を屠り続けている。

 

 

「ふむ、少々厳しいか」

 

 

涼しげな声で冷静に呟く。

敵には聞こえぬような――いや、決して聞かせぬ独り言。

 

弱みを見せれば相手はつけあがる。それは日常でも戦でも変わらない。

何より、自分は女。腕っ節や意志が強くないという認識をされれば、瞬く間に弱者と見られる存在。

 

だからこそ、笑みを浮かべて舞い続ける。冷静を装って、敵に疲れを悟られぬように。

 

 

『うああうっ!!』

 

 

知性のある人間なのかと疑って掛かりたくなる程に獣染みた声。

 

 

「ふっ!」

 

奇声を上げながら襲い掛かってきた敵の一撃を受け止める。

 

鉄のぶつかる音。そして敵の、獣のように血走った眼。

 

 

「ふ――はあっ!!」

 

 

そんな自分の日常に呆れて笑いながらも、穂先を跳ね上げ敵の体勢を崩し、容赦なく喉を貫いた。

 

槍の敵の血が流れ、滴る。敵の血が落ち、大地に吸い込まれる。それとは別に少女の額からも一滴の汗が飛んだ。

 

元より数など数えていない。

 

街に迫らんとする賊の軍勢。

ここ最近、各地で起こる騒乱の種。

 

賊が迫らんとしていた街は、これから訪れようとしていた場所。

自分とは何の関わりもなく、ただ単に風の噂で聞いただけの街。特別な理由など無く訪れようとしていた街。

 

だが、そんなことは理由にならない。助けに赴かない理由には、決してならない。

 

そこには営みがある。人が人として住み、過ごしている。理由など、それだけで十分だった。

 

街からの出兵、もしくは義勇軍の援兵。

そんな確証の無い考えに思考を割いている時間など無かった。

 

 

『がああっっっ!!!!!』

 

 

だからこそ、周囲を取り囲んでいた黄色い賊の一部が自分以外の手によって血飛沫を上げて倒れ伏すなど、想像の埒外だった。

 

黒と白。異なる、相反する対照的な色。

その二色が敵を切り伏せ、目の前に降り立った。

 

 

「世界は違えど恩は恩。君には関係の無いことだろうけど、勝手ながら返したつもりにさせてもらおうかな」

 

 

白が語る。独り言のように。

 

 

「白と黒の戦、しかとその濁りきった双眸に焼き付けて逝きなさい。心配することは無いわ、一瞬よ」

 

 

黒が語る。犇めく賊に向けて。

 

 

そこに至って初めて、少女は白と黒が青年と女性であることに気が付いた。

それほどまでに、見惚れていた。白と黒の在り方。お互いがお互いを引き出しているような、その美しさに。

 

相反する二つの色。本来は対称的なものだというのに。

 

 

「――」

 

 

少女――趙雲には、その白と黒の在り方が、当たり前のもののように思えてならなかった。

 

 

 

 

 

 

「まったく。私もご一緒したかったわ」

 

「ほう。随分と素を出しておるのう、紫苑。お主が存外我が儘なのは儂や璃々しか知らんと思うておったが」

 

 

賊が犇めく渦の外。兵達を指揮しながら、紫苑と厳顔は他愛ない世間話のような感覚で会話する。

 

紫苑が道理も知らない餓鬼のような表情でむくれている反面、厳顔は愉しそうに笑んでいた。

 

 

「一刀さんのせいよ。私がここまで表を出すようになったのは」

 

「おかげ、の間違いだろう。まあ、そう言いたくなる気持ちは分からんでもないがな。それにしても……」

 

 

会話を続けつつ、兵達を指揮しつつ、目の前に犇めく賊達から離さぬままで厳顔は目を細めた。

 

その視線は犇めいている賊の一団の奥を見通すかのような鋭い視線。

 

 

「まさか二人で渦中に切り込むとはな。想像以上に勇ましい太守殿とその奥方だ」

 

「ええ。前戦で指揮を執る、どころじゃないものね。それと、一応私も奥方よ?」

 

「吉利殿は纏う雰囲気から、ある程度の実力を有しているのは分かっていたが……北郷殿も引けを取らんな」

 

「聞いている? 桔梗」

 

「人は見かけによらぬ、ということか。まったく、儂の見る目も当てにならんわ」

 

「桔梗?」

 

「ええい、しつこい。聞いている! 聞いているから黙って手を動かせ!」

 

 

苛立たしげに厳顔は自らの得物――豪天砲を振るい、紫苑に迫っていた敵を物理的に吹き飛ばす。次いで、別方向から迫っていた敵をその砲口から射出した鉄の玉で打ち飛ばした。

 

あら、とその敵に初めて気付いたような声を出した紫苑に厳顔は呆れた顔を向ける。

 

 

「紫苑、取り敢えず今は北郷殿のことを考えるな。愚痴やその他の惚気なら夜にでも聞いてやる。酒の肴にな」

 

「一刀さんのことを考えるな、というのは無理だけど……そうね。少し集中しましょうか」

 

 

厳顔の言葉に納得し、紫苑は頷く。その間にも彼女の愛弓、颶鵬は狙いを誤ることは無い。寸分狂わずに敵の眉間や喉を射抜いていた。

 

 

『うっわ……容赦ねえなあ』

 

 

それを視界の端に入れつつ、戦々恐々としているのは元山賊の頭。

一兵士に支給されている幅広の剣を振るい、時に敵の攻撃から身を護りながらも堅実に戦果を挙げていた。元山賊の頭の面目躍如といったところだろう。

 

しかし、それでも視界の端に映る二人の女性。その豊かな双丘に一瞬目と意識を奪われる。

戦場に於いても男としての性が消えないのと、恐怖や緊張でアソコが縮こまらない辺りは流石と言うべきなのだろうか。

 

 

そのように意識を明後日の方向へと割いていた元山賊の頭の目前に迫る敵。それに気付いて身を竦ませる――

 

 

『ぐえっ……』

 

 

しかし横合いからの斬撃を受け、敵は血飛沫を上げて地に倒れ伏した。

 

やっちまった、という表情を元山賊の頭は浮かべる。

ピクリとも動かない敵の傍で、李通が自らの得物である双刃剣の血を掃う。いつも通り変わらない微笑を浮かべ、李通は元山賊の頭を一瞥した。

 

 

「美しいお二方に見惚れるのは分かりますが、戦場で敵に対し意識を割くのを止めればその先には“死”しか待っていません。集中するよう心掛けて下さい」

 

『は、はい。すんません』

 

『分かっていただいたのであれば問題はありません。私達も一刀様やお嬢様、黄忠様や厳顔様、魏延殿に負けないように奮戦しましょう。いいですね?』

 

『『『へい!!』』』

 

 

静かだが強く、凛とした李通の言葉が戦場に響く。

それと同時に戦場には元山賊の頭のものも含め、幾つもの雄々しい声が上がった。

 

李通の言葉を受け集中し直した元山賊の頭は小さい声で尋ねる。

 

 

『兄貴や姐さんもそうっすけど、李通様もすげえ強いっすよねえ。なんかコツとかあるんですか? 強くなる為の』

 

「日々是精進、でしょうか」

 

『ああ……なるほど』

 

 

ほぼ答えになっていない答えを聞いて、早々に元山賊の頭は諦めた。

ある意味ではとても簡潔で普遍とも言える当たり前のことなのだが。元山賊の頭が聞きたかったのはそういうことじゃない。

 

元山賊の頭は取り敢えず別の戦線に目を移す。今度は敵から注意を離さぬまま。そこでは――

 

 

「ふんっ! こんなものか貴様らあっ!!」

 

『があっ!!』

『ぷげっ!!』

『おぶっ!!』

 

 

――数人の敵が一気に吹っ飛ばされていた。あろうことか、一人の少女が振るった金棒によって。

 

 

一瞬宙に浮いた敵が一言も発さずドサッ、という音と共に地面に落ちる。

 

 

『……はは』

 

 

元山賊の頭はそれを乾いた笑いでしか称賛することが出来なかった。

 

同時に、ふと思った。なんだか俺はとんでもない場所の真っ只中にいるなあ、と。まるで他人事のように。

 

元山賊の頭が軽く現実逃避をしている間にも、戦は止まることは無い。否応なしに進んでいく。

 

再び、改めて、元山賊の頭は自分の周囲を見回した。

 

この場にいる将軍格は四人。その全員が猛者。

敵の真っ只中にいるのは二人。しかもその内一人は大将で、もう一人は大将格。

 

そして自分を含め、前線で戦う兵の数はおよそ――百弱。

 

改めて自分の置かれている現実に、男は身震いした。

 

将軍各が六人、兵士が約百名の自軍。

将軍格はおそらくいないが、兵数は約八百の敵。

 

この明らかにおかしい戦力差の中で、互角以上どころか優位に立つ自軍。

終始その在り得無さを思って乾いた笑いを浮かべながらも、不思議な高揚感に突き動かされるままに男は剣を振るっていた。

 

 

 

――未だ、自軍に戦死者は出ていない。

 

 

 

 

 

 

 

「まさか加勢が来るとは思っておりませんでしたなっ!」

 

 

台詞と共に趙雲は愛槍、龍牙で敵を薙ぎ払った。

右から左へ流れた槍の薙ぎ払いを見て好機と思ったのか、趙雲の右側面に敵が複数で迫る。

 

しかし

 

 

「まさかこの数の敵を相手に一人で立ち向かう阿呆がいるとも思わなかったけれどねっ!」

 

 

間に割って入った華琳の双剣。倚天と青釭によって瞬く間に斬滅される。

 

 

「ほう……見事。さぞかし名のある方だとお見受けするが名前を聞いてもいいだろうか。それと、阿呆云々は私が一番よく理解している」

 

 

それを肩越しにチラリと見た趙雲はその速さと鮮やかさに感嘆の息を漏らし、名を尋ねながら愉しそうな笑みを浮かべた。

 

 

「名のある将などではないけれど、挨拶代わりに名乗っておくわ。私の名は吉利。姓と字は無いわ」

 

「姓も字も無いとは驚いたな。いや、すまない。吉利殿か。私の名は趙雲。字は子龍だ。加勢に感謝しよう」

 

「それは私達の方が言うべきことよ。趙雲、感謝するわ。貴女のおかげで賊を街へ接近させずに済んだわ」

 

「ふむ。つまり、貴殿らはあの街の?」

 

「ええ。魏興郡太守、北郷一刀に仕える武官よ」

 

「成程。ならば彼方(あちら)の青年も――」

 

 

趙雲と華琳の会話の最中。二人の背後に敵が飛び掛かる。

もちろん、二人がそれに気付かないわけは無い。だが、二人は敵に目を向けただけで得物を振ろうとはしなかった。即ち――

 

 

「ったく。よくもまあ余裕で話してられるよな……っ!!」

 

 

その敵を即座に斬り捨てた、自分達以外の三人目がいるから。

二人の背に迫っていた敵を素早く刀で斬り伏せ、背後を護るように二人に背を向ける。

 

 

 

「――同じく、武官の方でしょうな」

 

 

それを見届け、趙雲は中断していた会話を再開させた。お見事、と小さく付け足して。

 

 

「ええ。とはいえ武官というのは微妙に間違いね。この男が太守、北郷一刀その人だもの」

 

「なんと!」

 

 

流石にそれには驚いたらしく、趙雲は大きな声を上げた。

 

 

「太守殿自ら前線――いや。前線以上に危険な敵の渦中に分け入るとは……」

 

「それ言ったら趙雲の行動の方が驚くよ。あ、さんとか敬称を付けた方が良い?」

 

「いや、むしろ私の方こそ敬称を付けるべきなのだろうが、戦の最中だ。今は戦場に共に立つ武将として対等な立場を望みたい」

 

「りょーかい。んじゃ取り敢えずよろしく、趙雲」

 

「北郷殿、吉利殿。背中は任せましたぞ」

 

「無論よ。こんな戦、手早く終わらせましょう」

 

 

華琳のその一言で会話は終わりを告げた。

三者三様、目の前の敵群に向かって駆け出す。視界に入れ、意識を割くのは目の前の敵にだけ。

 

四人の将と百余名の兵士達は外側から敵陣を打ち崩し、三人の将は内側から敵の包囲を食い破る。

 

八百強もの規模だった黄巾党。兵の数だけで言えば単純計算で北郷軍の約八倍。しかしその兵数の差は徐々に狭まっていく。

 

自分達の想像の遥か上を行く敵将と、あまりにも練度が高い敵兵達。

今まで出会ったことの無い、戦ったことの無い種類の敵に黄巾党は身震いすら覚える。

 

だが、この街に、この郡に、攻め寄せなければよかったと後悔しても、もう遅い。

足を止め、後悔の念に剣が鈍れば、それは自ら断頭台の刃の下に首を捧げていることと同義。

 

最早、黄巾党には万に一つの勝ち目も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「負傷者は?」

 

『負傷者は五十四名。死者は一人もいないっす』

 

「そっか。ふぅ……ちょっと厳しいかもと思ったけどなんとかなったか。お前らも、お疲れ。良い戦いっぷりだったよ」

 

『や、そんな。俺達は自分の仕事しただけで、何も褒められるこたあしてませんや』

 

「照れんな照れんな。称賛は素直に受け取っとけよ」

 

『ちょ、兄貴! 痛いっすって! 俺だって肩怪我してるんすよ!』

 

 

ついさっきまで戦場だった場所。未だに血の匂いは消えずに、大地そのものにこびり付いている。

血や土埃に塗れながらも、黄巾党を殲滅した北郷軍の表情は晴れやかだった。一刀と元山賊の頭がじゃれ合う?姿を見て、声を上げて笑い出す兵士達。

 

 

「……珍しい太守殿だな」

 

 

趙雲はそれを少しだけ離れた場所で見ながら、龍牙に付着した血を布で拭っていた。

 

 

「そうだな。儂もそう思う」

 

 

声と気配に反応し振り向けば、そこには見慣れない女性が立っていた。

 

今のところ、趙雲にとって面識があるのは一刀と華琳だけ。他の将達はその姿をチラリと見ただけに過ぎなかった。だからこそ、振り向いた趙雲は首を傾げて女性に尋ねる。

 

 

「失礼だが、貴女は?」

 

「名を尋ねるならば――とでも言いたいところだが、それも面倒だな。儂は厳顔という者だ。ついさっき北郷殿の元に客将として招いて頂いた、しがない武官よ」

 

「厳顔殿、か。私は趙雲。字は子龍という。少ししか見ることは適わなかったが、厳顔殿の戦いは中々に魅せる武だった」

 

「ふ、何を言うか。儂の武は無骨。魅せる武、というのなら趙雲殿の方だろう。優雅とも言える槍捌き、見事だった。それになにより、あの数の敵に一人向かっていく胆力。常人ならば到底真似できまい」

 

 

二人は戦いの余韻も冷めやらぬままに、だが朗らかに笑い合う。

そしてどちらともなく、今相対している一角(ひとかど)の武将以上に気になっている存在に目を向けた。

 

 

「改めて思うが、珍しいというよりも……妙な太守殿だな」

 

「はっはっは、それは確かに。言い得て妙という奴だがな。それにしても、客将とその主。どちらの立場が上なのかなど明らかだが、先程とんでもないことを言われてな」

 

「む?」

 

「『そうだ。俺の事、厳顔が呼び捨てにしたいのなら呼び捨てでも構わないよ。あ、そういえば俺の方こそ厳顔のこと呼び捨てにしてたけど敬称とか付けないでも大丈夫か?』などと言われた」

 

 

その言葉を聞いて、趙雲はクスッと思い出し笑いをしてしまう。

 

 

「どこかで聞いたような台詞だな。私も先刻、戦の最中に同じようなことを言われた」

 

「ほう、そうだったか。いやまったく、変わった太守殿だ」

 

 

どちらともなく顔を合わせ、互いにニヤリと笑い合う。

一刀の変わったそれを、肯定的に捉えている笑みだった。

 

 

「桔梗様ーっ!」

 

 

そんな中、二人の背に声が掛かる。

声の主は趙雲にとって面識の無い少女。しかし厳顔にとっては弟子である少女、魏延。

 

街の方向から走ってきた魏延は二人の前で止まり、膝に手をつく。

ぜーはーぜーはー、と息を荒げている辺り、街から速度を緩めずに走ってきたことは想像に難くなかった。

 

 

「どうした焔耶? 確かお前は吉利殿と共に一旦街へ戻ったと思ったが」

 

「は、はい。吉利様と街へ戻っていたのですが、少し個人的な用があると言われましたので、私は全員街へ引き上げてくるようにという報告を頼まれました!」

 

「そうか」

 

 

華琳から魏延経由の報告を受け、厳顔は頷いた。

負傷者の手当てがある程度済んでいることを確認して一刀に声を掛ける。

 

 

「北郷殿! 吉利殿からの言伝で、街へ引き上げてくるようにとのことだ!」

 

「分かった! 俺と李通はこいつらと一緒に戻るから、二人は趙雲を連れて一足先に戻っていてくれ! 」

 

「む、北郷殿。私もか?」

 

「ああ、元から街に来るつもりだったんだろ? 礼も兼ねて、城に招待するよ! 厳顔、頼んだ!」

 

「心得た!」

 

 

一刀の指示を受けた厳顔は声を張り上げ返事を返す。

 

 

「よし、儂らも戻るとしよう」

 

 

趙雲と魏延に声を掛け、促すと厳顔自身も街へ向かって歩き出す。ふと一刀のことが気になり、歩きながらも肩越しに後ろを見やった。

 

そこには負傷者の中でもに特に重傷な兵に肩を貸す一刀の姿があった。一瞬驚きに目を丸くし、しかし笑みを浮かべる。

 

 

「ふ……本当に変わった太守殿だな」

 

「ああ、まったくだ」

 

 

その声に隣を見れば、趙雲も同じように後ろを見ていた。

厳顔と趙雲。出会ったばかりの二将は、再びどちらともなく顔を見合わせて笑い合うのだった。

 

空は既に夕焼け色に染まり、夜の帳が降りて来ていた。

 

 

 

 

 

 

戦が終わって数刻後。

城内の庭では厳顔と魏延の歓迎と戦勝の祝いを兼ねて小さな宴が催されていた。

 

小規模でお世辞にも豪華とは言い難い宴。だというのに城の庭は騒がしかった。

それは単に、宴に参加する人数が多いことが原因だろう。文官や兵士達も参加しての宴だった。

 

 

「賑やかな宴だな……」

 

 

喧騒の中、庭の一角に設けられた宴席にて厳顔は呟く。

“騒がしい”ではなく“賑やか”と口にする辺りその喧騒を気に入っている証拠だろう。

 

手に持っていた杯をクイ、と煽る。既に卓の上には何本もの空になった酒瓶が転がっていた。

 

それもそのはず。

 

 

「ふむ、中々に上等な酒だ。そしてつまみも上手い。むぅ……これでメンマがあれば最高なのだがな」

 

「ふふ、なんとなくそう思っていたけれど、趙雲は酒豪なのね。でもあまり飲み過ぎると後が大変よ?」

 

「厳顔と同じくらい飲んでいる貴女が言うことじゃないわよ、紫苑」

 

「お母さんたちおさけくさい……」

 

 

この席には一人の幼女を除いて、酒豪しかいない。

卓の足元には卓の上と同様に、既に空になった酒瓶が何本も転がっていた。

 

ちなみに璃々が飲んでいるのは暖かいお茶である。

 

宴に参加している何人かの兵士たちはそれを遠巻きに見て戦々恐々とした表情を浮かべていた。

恐ろしいことに彼女らの飲んでいる酒は相当に強い酒であるはずなのだ。それを大量に飲んでいるというのに意識を保っているどころか、未だほろ酔い状態という始末。恐ろしく思わないわけがない。

 

 

「璃々はまだ大丈夫? 眠くなったら言いなさい。部屋まで連れて行ってあげるから」

 

「うん。まだ大丈夫だよ、吉利お姉ちゃん。璃々がいなくなったらお母さんのことかんし(監視)するひとがいなくなっちゃうもん」

 

「それは確かに責任重大だ。紫苑は酒に酔うと何をするか分からんからな」

 

「そうなのか?」

 

 

趙雲がその話題に興味を持ち、杯を傾けながら尋ねる。

 

 

「ああ。一度酷く酔っ払った時があってな。その時は急に服を脱ぎだしたり――」

 

「桔梗!」

 

 

既にほんのり赤く染まっていた頬の赤を更に紅潮させ、紫苑が声を上げる。

同時にそれを耳聡く聞いていた周囲の兵達が一斉に紫苑に目を向けた。男の性というものは単純なのである。

 

しかしまだ桔梗の話には続きがあった。

 

 

「――所構わずに矢を乱射したりと、大変だった」

 

 

その言葉によって兵達の周囲の温度が一、二度下がった。

服を脱いだ黄忠将軍と、その状態で所構わずに矢を乱射する黄忠将軍。

 

彼らの中でその二つの像が浮かんで消えた。そして兵達は紫苑から名残惜しそうに視線を外す。

プラスマイナスで考えた結果、後者があまりにも恐ろしかったらしい。それを見届ける勇気は彼らには無かった。まあ賢明な判断だろう。

 

 

「あのときは璃々もたいへんだったんだからね、お母さん」

 

「まあ、あの時は紫苑にしては珍しい程に酔っていたからな。そう簡単にあんな状態にはならんだろうて」

 

「そう言われると、そういう状態にしてみたくなるわね。紫苑、酒は足りている?」

 

「華琳。厳顔の妄言に乗らないで」

 

「妄言なものか。事実は事実として受け取らねば、だろう?」

 

「……ううぅ」

 

 

どうやらその記憶は黒歴史にも等しいものだったらしく、紫苑は真っ赤になった顔を乙女のように両手で覆ってしまった。

 

 

「ふむ。酒の肴は黄忠殿の恥ずかしい話だったか。いや、酒が進む進む」

 

「貴女も相当性格が悪いわね、趙雲」

 

「心外ですな、吉利殿」

 

 

言葉とは裏腹にニヤリと笑いあいながら互いの杯に酒を注ぐ華琳と趙雲。どうやら何かの波長が上手い具合に合ってしまったらしかった。そんな中、ふと思い出したように華琳が新たな話題を以てして口を開く。

 

 

「そういえば趙雲。貴女は何故この街に来たの?」

 

「特に深い理由は無いが、旅の途中にこの街の噂を聞いてな。この混迷の時勢に評判の良い街というものには自然と興味が湧くものだろう?」

 

「まあ、それはそうね。その良い噂のおかげで人が集まってくるわけだし。正直、ああいう賊は勘弁してほしいのだけれど」

 

「まったくだな。む……そういえば、私もひとつ気になっていたのだが」

 

 

戦が終わってから今の今まで、ずっと自分の中で燻っていた疑問を、恰も今思い出したかのような口ぶりで趙雲は前置いた。

 

趙雲の口から語られる内容をある程度予想しながらも、華琳は純粋な疑問と共に首を傾げる。

 

既にその眼には、この場に到来する第三者の姿が映っていた。

 

 

「なにかしら?」

 

「何故あの数の敵軍に少数の兵力で当たった? 見れば、明らかにあの敵の数を超える程度の兵力は有しているが……」

 

「そこは私が説明しよっかなー」

 

 

趙雲の疑問を聞いて突如現れたのは猫耳のフードが付いたパーカーのような服を着る軍師、荀攸こと楓。その手には一本の酒瓶ともう一つ、謎の瓶。華琳はそれを見て目を細め、薄い笑みを浮かべた。

 

 

「事後処理お疲れ様、楓。頼んだものは持って来てくれたようね」

 

「ああうん。これでしょ? 華琳が言ってたやつって。もー、どこにあるか分かんなくて探しちゃったよー。あ、追加のお酒は魏延ちゃんが持ってくるよー」

 

「ありがとう。そこに置いておいてもらえる?」

 

「はいはーい。あ、私の席ある?」

 

「ええ、魏延の席もあるわ」

 

「んじゃ失礼しまーす」

 

 

既に座っていた一同に軽く頭を下げて、楓は席に着く。

 

 

「はい、楓」

 

「ありがとう、紫苑。あ、そうだ。璃々ちゃん、私の膝座る?」

 

「ううん。今日はいい。ごめんね、楓お姉ちゃん」

 

「がーん! 璃々ちゃんに振られたー!」

 

 

紫苑に酒を注いでもらいながら、早々に璃々をナンパしたが敢え無く玉砕。自棄にでもなったのか、紫苑から注いでもらった酒を一息に飲み干してしまう。相当に強い酒だというのに、噎せることも一切しなかった辺り、楓も酒が強いのだろう。中身を飲み干した酒をゆっくりと卓に置き、改めて楓は趙雲や厳顔を見やった。

 

 

「どもども。厳顔はさっきちょろっと会ったよね。えーと、趙雲は初めまして! この城で軍師やってる荀攸でーす。よろしくっ!」

 

 

若干テンションが高い状態で自己紹介をした楓。

しかし既に酒が入っている一同は酔ってはいなくとも多少陽気にはなっている。故に、引いたりはしない。

 

 

「改めて、厳顔だ。客将として北郷殿に仕えるようになった手前、お主の采配で儂らは動くことになるだろう。荀攸殿、これからよろしく頼む」

 

「趙雲、字は子龍だ。荀攸殿も中々に酒を嗜むようだな。どうだ、もう一献」

 

「わーい、ありがとう。いやー趙雲さんいい人だねー」

 

 

趙雲からの一献を喜んで受け、楓はそれを一息に飲み干した。

満足そうに息を吐き、気分良さげに身体を揺らす。下手をすれば酔っているとも見れる動きだが、その頬の色は全く変わらず、視点もぶれていなかった。

 

 

「さてさて趙雲。確か、敵よりも明らかに少ない兵数で出陣したのは何故って話だったっけ」

 

「ああ。出陣させた以上の兵力があったというのに、敵の数を下回る数で出陣させた理由が知りたい」

 

「ふむふむ。その顔はちょっとだけ気に入らない、って顔だね。ああいや、別に他意は無いよ」

 

 

表情の微妙な動きを理解し、楓は笑いながらそう口にする。

少しだけ険しくなりかけた趙雲の表情がその言葉に和らいだ。それを確認し、楓は話を続ける。

 

 

「まあ確かに趙雲の言いたいことは分かるんだよね。要は、少ない数で兵達を出陣させて自分達よりも多い数の敵に当らせるっていうのが気になるんだよね?」

 

「ああ」

 

「うんうん。それはもっともな疑問だよ。普通に考えれば敵の数を上回る兵数で敵を圧倒すれば簡単だし、危険も少ない。その逆、つまり今回の戦法は兵達の負担が増えて危険。でも今回の戦いはそれだとちょっとね、不味かったんだ」

 

 

指を宙に向け、クルクルと回転させながら話す楓。

いつしかその理由を知っている華琳や紫苑、厳顔もその話に聞き入っていた。

 

 

「確かに敵を上回る数で攻めれば戦も早く終わるし、危険も少ない。でもほら、今回って相手が賊だったからさ。一人も逃がしたくなかったんだよね」

 

「……ふむ?」

 

 

分かるようで分からない。完全に話の全容を捉えきれていないが故に微妙な間を置いて疑問符を浮かべる趙雲。それを見て楓は笑った。嘲りの類では無く、単純に朗らかな笑い。

 

 

「いやほら、大軍で攻め寄せたら敵が逃げちゃうじゃん。というか逃げる可能性があるでしょ? で、逃げたというか私達が結果として逃がしちゃった敵はまたどこかで悪事を働く。もしくは他の黄色い賊に合流する。ね? だから今回の戦は敵を殲滅することこそ重要だったんだ。まあ殲滅せずに投降を促すって手もあるんだけど、敵に明確な指揮官がいないとなるとそれも難しいんだ。なんとなくだけど出陣する前の時点で敵に指揮官格の将がいないっていうのは動きで分かったし」

 

「聞いた時には多少無茶だとも思ったのだがな。しかし儂の心配に反して、北郷殿の元で戦う兵達は練度が高かった。更にそれを戦場で目の当たりにした以上、文句は言えまい」

 

「当たり前よ。伝えてはいないけれど、普段から彼らに課している訓練は相当に難しいものだもの。もちろん、だからこそ無理はさせないけれどね」

 

「そうそう。案外キツイことやらせてるよねー。なのに不満も出ず、怪我人も出ないのは華琳や李通、紫苑や北郷君の手腕が凄いってことだよ、うん」

 

 

うんうん、と感心したように楓は頷く。

そんな楓に呆れた眼を向けるのは華琳だった。

 

 

「貴女も、でしょう? 武官が行う調練の内容や有用性を即座に理解する理解力。そして今回のような状況判断能力は特筆すべきものがあるわ」

 

「あははー、褒めても何も出ないって。あ、そうだ。ちなみにこの街から大部分の兵を離さなかったのにはもう一つ理由があってね。知りたい? 知りたい?」

 

「知りたくないわ」

 

「私も特には」

 

「儂も別に」

 

「ならば私も」

 

「うん? 来たばかりで状況が分からないが、一応私も」

 

「璃々もー」

 

「璃々ちゃんもぉ!?」

 

 

楓の面倒くさい側面が出て来たことを悟り、華琳を皮切りに紫苑、厳顔、趙雲、今来たばかりの魏延、そして璃々までもが『別にそんな話どうでもいいオーラ』を前面に押し出した。他の面々ならともかくとして、璃々にも言われたのは流石にショックだったらしく、楓は嘆きの声を上げる。

 

ちなみに、その間にちゃっかりと魏延は華琳の隣の席に腰を下ろしていた。

 

 

「分かったわよ。聞いてあげるから、ほら」

 

 

基本的なテンプレ。楓が半泣きになった時点で華琳は話を促す。

更にこれもいつものテンプレ。華琳の言葉を受けた楓は小さく頷くと若干テンションの下がった状態で口を開いた。

 

 

「うんまあ、大したことじゃないんだけど。もし敵に優秀な頭脳がいて、あの賊軍が囮か何かだったらヤバいなーってさ」

 

「成程。兵達の大部分が街から離れた状況で、敵の別働隊が街を襲いでもすれば目も当てられない、ということか」

 

「そういうこと。街に敵の大軍が迫っているとなれば、索敵に時間を割いているわけにもいかなかったのよ。何より、無謀で勇敢な誰かが一人で戦っているかもしれない、となれば救出というか援護の為に即座に出陣して少数精鋭で敵を殲滅するしかないでしょう?」

 

「ふむ、少々棘があるのは気のせいか?」

 

 

趙雲が納得し、紫苑が楓の言ったことへの捕捉をする形で一旦、話は終息した。

 

紫苑の言葉に何か思うところがあったらしく趙雲は宙を眺めながら疑問符を浮かべたが、それに反応する奇特な人間は残念ながらいなかった。無論、ほぼ全員の視線は趙雲に向けられいたが。

 

お前のことだよ、という類の視線が。

 

 

「ぐっ! げほっ、げほっ! な、なんだこの酒は!」

 

 

急に咳き込みだした魏延に、趙雲に向いていた一同の注目が集まる。

見れば魏延が酒を注いだ杯を片手に苦しそうな表情を浮かべていた。

 

それだけで全員が、もちろん璃々を除いてだが事情を悟った。

 

 

「あら魏延。貴女、酒に弱いの?」

 

「い、いえ。弱くは無いのですが……流石にこの酒は強すぎると言いますか」

 

「そう?」

 

 

言って華琳は杯の中の酒を一息に煽った。

魏延は信じられないものを見たような表情を浮かべる。

 

 

「ふむ、そこまで強くは無いと思うが」

 

「ええ、そこまで強くはないわね」

 

「ああ、これぐらいが丁度いい」

 

「こんなの水だよ、水……うん」

 

 

厳顔、紫苑、趙雲、楓の四人(最後の一人は怪しい)は華琳と同じように難なく杯を煽る。

 

ここは最早、酒豪の集まる無法地帯と化していた。

 

 

「魏延。貴女が持ってきた瓶はどれだったかしら」

 

 

しかし、それではつまらないと思ったのか、それとも単なる自慢なのか。ともかく、華琳は魏延に尋ねた。この無法地帯に一石を投じる為に。

 

 

「は、はい。これですか?」

 

 

魏延が足元からヒョイと持ち上げ、華琳に差し出した瓶。

その表面には紙が貼ってあり、そこには『曹』という一文字が書かれていた。

 

 

「む? なんだそれは」

 

「酒よ。今飲んでいるものとは少し違う、ね」

 

 

趙雲の問い掛けに軽く笑って答え、華琳は封を開ける。

次いで全員に杯を出すように言い、差し出された全ての杯に新たな酒を注いで回った。

 

 

「さあ、どうぞ? 出来れば一息にではなく、ゆっくりと、楽しんでね」

 

 

最後に自分の杯へと酒を注いだ華琳は瓶の封をしながら、注いだ酒を飲むように促した。

それを受け、少し戸惑いながらも次々に杯を口に運ぶ一同。そして酒が口の中に入って数秒後、全員の眼の色が変わった。

 

 

「これは……」

 

「ほう……」

 

「ふふっ……」

 

「へえ……」

 

「む……」

 

 

華琳の言った通り、ゆっくりと杯の中身を飲みほした一同は感嘆の息と共に杯を卓の上へと置いた。

 

 

「どう?」

 

 

感想を求めるその様子からは、聞かなくても分かると言っているような余裕が垣間見える。

 

 

「いや、正直驚いた。これほど美味い酒は飲んだことが無い」

 

「ええ。華琳、いつの間にこんな酒を手に入れていたの?」

 

「厳顔殿と同じく、私もこれほどのものは今までに飲んだことが無いが……どこの酒だ?」

 

「美味いのに強くない……吉利様! これなら私も飲めます!」

 

「へえー。世の中にはこんな酒があるんだねえ。吃驚して酔いが覚めちゃったよ」

 

 

全員が全員、満場一致で絶賛する。

 

それを聞いた華琳は満足げに頷くと、自分の杯に注いだ酒を吟味するようにゆっくりと時間を掛けて、飲み干した。ふう、と一息吐き、中身の無い杯を満足そうに眺めると、それを卓の上に下ろした。

 

そして一言。

 

 

「うん。時間も少なく、設備が整っていなかった割には美味しい酒が造れたわね」

 

 

一同にとっては驚きの事実を口にした。

 

 

「「「「「は?」」」」」

 

 

華琳の言った意味が分からず、一同はポカンと口を開ける。

唯一驚いていないのは、うつらうつらと眠そうに船を漕いでいる璃々だけだった。

 

 

「これ、私が造ったのよ」

 

 

再度、華琳が繰り返した。してやったり、という愉しそうな顔で。

 

 

 

 

 

 

 

そんな光景を遠目に見ながら、宴席では無く地べたに座る一刀は溜息を吐く。

 

 

「いやあ……あっちは華やかだねえ」

 

 

その声には何故かアンニュイな響きが宿っていた。

 

 

「どうかされましたか、一刀様」

 

 

隣に同じく座っている李通が尋ねる。

やれやれ、と首を振りながら一刀は視線を華やかな女性陣から移した。今、自分がいる場所に。

 

 

「まあ、俺が言いたいのはひとつだけなんだよ。李通」

 

「はい」

 

 

とても大切なことを口にするかのような深刻そうな表情。そして一刀は意を決して言った。

 

 

「……あっちと違って、ここはむさ苦しいなあ」

 

『『『酷いっすよ兄貴!!』』』

 

 

男くさい野郎共の誹りを受ける覚悟で。

 

一刀と李通の座している庭の一角には、男しかいなかった。しかも、数が相当に多かった。

 

 

『そんなこと言うなら兄貴はあっちに混ざってくればいいじゃないっすか!』

 

『そうだそうだ!』

 

『一人だけ良い思いしやがってちくしょう!』

 

『女性というものを象徴するあの豊満な庭へと飛び込んで来たらいいじゃないっすか! あ、姐さんは論が――(ガシャンッッ!!!)』

 

 

男達は口々に一刀へ物申したが早々に押し黙る。

どこからか飛んで来た空の酒瓶が、一人の馬鹿の脳天に直撃したからに他ならない。

 

一刀が指示するまでもなくその馬鹿は仲間数人によって運ばれていった。

 

 

「一人脱落、ですね。次は誰が……」

 

「そういう遊びじゃないから」

 

 

李通の冷静な状況分析にツッコミを入れる一刀。

チラリと見ればその瓶を投げたであろう張本人は和やかに談笑しているところだった。

 

むしろ、その様子こそが恐ろしいと知っている一刀は敢えて見なかったことにし、目の前で起きた不幸で必然な惨劇に引き攣った表情を浮かべるしかない兵達に視線を移して言う。

 

 

「俺は空気も読まずあの輪の中に入るほど馬鹿でもないし酔狂でもないよ。もしあるとすれば誰かが酔い潰れた時くらいだな。ま、あの面々なら万が一にもそれは無いだろうけど」

 

「そうですね。酒豪の皆様ですが、酒を嗜む際の道徳(マナー)は守っていらっしゃるようですから、問題はないかと。一刀様、一献どうぞ」

 

「お、悪いな。李通もほら」

 

「は、それでは失礼して。頂戴します」

 

 

互いに互いの杯へと手持ちの瓶から酒を注ぎ、それを揃って一気に煽った。

それを見た兵達がどよめく。それもそのはず。この二人が飲んでいるのも、酒豪陣が飲んでいる酒と同じものなのである。

 

 

しかしそんな二人を見ていて――というか酒を見ていて我慢できなくなった兵が数人詰め寄る。

 

 

『兄貴っ! 俺達の分は無いんすか!?』

 

「はあ? 馬鹿も休み休み言えよ」

 

「まったくです」

 

 

酒を催促した兵に冷たい言葉を浴びせる一刀と李通。

ここだけ聞くと、兵士達には酒を回さずに自分達だけで酒宴を愉しむ最悪な大将とその部下――という構図が出来上がるのだが。まあそんなわけは無い。

 

 

「お前らもう、自分達に回った酒全部飲み干した後だろうが」

 

 

単純明快な種明かし。

一刀のもっともな指摘に兵達はぐうの音も出なかった。

 

ちなみに、兵達に与えた酒はちゃんと普通の量である。

 

眼に見えてテンションが下がる兵達。

しばらく杯を煽りながらそれを眺めていた一刀だったが、徐に自分の背後から数本の酒瓶――即ち自分の飲み扶持であるはずのものを取り出して、兵達の前に投げる。

 

 

『おおっ!?』

 

「俺の分やるから文句言うな。その代わり、少しくらい良い気分で静かに飲ませてくれ」

 

 

それを危なげなくキャッチした兵達を見つめ、一刀はそう言った。

 

 

『おっしゃー! 酒だーっ!』

 

『酒宴の再開だーっ!』

 

『おい誰か一発芸やれ一発芸!』

 

『腹踊りでもいいか?』

 

『よーし、俺が許す! やれえ!!』

 

『姐さん達もどうっすか腹、いや胸踊り――(ガシャンッッ!!!)』

 

 

しかし一刀の望み空しく、酒を手に入れた瞬間。早々に兵達はテンションMAXで騒ぎ出した。

しかも、もう酒が無いことに絶望しかけてからの酒の差し入れ。気付けば、もう手が付けられない状態になってしまっていた。どこからか飛んで来た空の瓶が一人の兵士の脳天に直撃する映像をその眼に捉え、『あれ? これさっき見た気がする。デジャヴか?』みたいな感想を一人思いながら一刀は溜息を吐く。

 

 

「はあ……聞いちゃいないな」

 

「ふふ、まあ良いではありませんか。私達はこの光景を肴に、ゆっくりと酒宴を愉しむことに致しましょう」

 

「そうだな。最近は酒っていうと基本的に二人飲みか三人飲みだったし。たまにはこういうのも、いいか」

 

 

李通の自然な窘めに納得した一刀は柔らかい笑顔を浮かべながら、杯に注がれた酒をクイ、と煽る。李通にとってどうかは知らないが、一刀にとっての李通は部下であり友人でもある青年。

 

友人と二人で酒を飲む、というシチュエーションに多少なりとも憧れていた節があった。だが前の外史や戻った現代でそれは叶わなかった。ならこの貴重な時間を愉しもう、と一刀は穏やかな気持ちで再び杯を煽るのであった。

 

 

 

 

 

 

夜が更けていくに連れ、宴も静かになっていく。

賑やかに騒いでいた兵達は一部酔いつぶれ、また別の一部は生真面目にも警備を交代しに行く。

 

まあ、酔いつぶれているのは基本的に酒をかっ食らっていた者達であり、生真面目にも警備の交代をしにいくのは下戸な者達だったりするのだが。

 

そんなわけで宴の規模が縮小していく中、未だに将軍格たちは卓を囲んでいた。

と言ってもやはり数人は欠けていて、今この場には華琳、紫苑、厳顔、趙雲の四人しかいない。

 

魏延と楓、そして璃々は三人で早々に酒の席から離れていた。

璃々が椅子に座ったまま寝入ってしまったのを好機だと思ったのか、魏延と楓が璃々を部屋に連れていき、そのまま一緒に寝るという話としてまとまった、というわけである。

 

璃々を背に乗せ足取りもしっかりしていた魏延はともかくとして、去っていく間際も千鳥足で呂律が微妙に回っていなかったもう一人に、見送った四人は不安しか感じなかったのだが。

 

まあ魏延もいることだし、と無理矢理納得してそれを許していた。

 

 

そしてそこからが宴の第二幕。

璃々や魏延といった、酒に強くない(璃々は酒に強くないとかそういう問題じゃない)がいる手前、飲む速さや量を押さえていた四人はまず、瞬く間に卓の上にあった酒を空にするという暴挙に出ていた。

 

 

「随分静かになりましたな」

 

「そうね。でも既に夜も遅いし、あまり騒がれると街の者にも迷惑が掛かると思っていたところだったから丁度いいわ」

 

「確かに。だが、民も今日ばかりは夜が遅いのではないか? 今頃、酒に覚えのある者は吉利殿や北郷殿の武勇を湛えているだろう」

 

「ふふ、どうかしら。そうだったらありがたいのだけれど、明日の仕事に差し支えたりしてしまうのなら、手放しには喜べないわね」

 

 

紫苑と厳顔が二人揃って新たな酒とつまみを取りに行っている間、ギリギリ残っていた一杯づつの酒を飲みながら、談笑しているのは華琳と趙雲。流石に飲酒量が増えているせいか、両者の頬はほんのりと赤く染まっている。

 

 

「ねえ、趙雲」

 

「む?」

 

 

華琳の、少し改まったような声色の呼び掛けに趙雲は酒を飲む手を止めて応じた。

 

 

「貴女、私のものになる気は無い?」

 

「――」

 

 

唐突な問い掛けに一瞬だけ言葉を失った趙雲。

しかしその漠然とした問い掛けが示すところをなんとなく悟った途端、彼女は微笑を浮かべた。

 

 

「吉利殿、酔っているのか?」

 

「いいえ。私は本気よ? もう一度言うわ。趙子龍、私のものになりなさい」

 

 

今度は問い掛けでは無く、命令。しかしそれに嫌悪は感じなかった。

命令というのは大まかに分けて、それをする人間によってもそうだが二種類ある。

 

一つ目は高圧的な命令。何が何でもこの命令を受けろ、という言い換えれば傲慢にも近いもの。

 

それに反して二つ目。確かに命令ではあるが、結果を求めない命令。

命令はしたが、それに従うかは自由。命令を受けた者の意思次第。結果よりもむしろ、相手を試す手段とした命令。

 

華琳の命令は、明らかに後者だろう。

趙雲はそう思ったからこそ、しばし考える時間を得る為に何の気なしの中身の無い台詞を口遊む。

 

 

「まさか吉利殿にそういう方面の趣味があったとは驚きだな」

 

「最近は身を潜めていたのだけれどね。魏延のおかげで復活したわ。感覚としては思い出した、が正解でしょうけど」

 

 

時間にすれば、十秒足らずの考える間。

しかし趙雲にとってはそれで十分すぎるほどだった。いやそれどころか、最初から答えなど決まっていた。考える必要性も無かった。

 

 

「ふむ。済まないが断らせてもらおう」

 

「つれないわね。理由を聞いても?」

 

 

自分の申し出ないし命令を拒否されたにも拘らず、華琳の愉しげな笑みはさらに濃くなった。

それを聞いた趙雲は華琳の命令が後者であるという確信を得て、即座に明確な理由を以て返事を返す。

 

 

「私は私だけのものだからだ。今は流浪の身である私に、例え仕える主が出来ようと、例え一生を捧げられるほどに見初めてしまった相手がいても、私が私であることは変わらない」

 

 

そして一つだけ、初めから思っていたことを付け足した。

 

 

「吉利殿も私と同じ考えを持っていると見受けるが?」

 

 

からかうように口にされた言葉。

はたしてそれは華琳にとって予想通りの言葉だったらしく、彼女は満足そうに頷いた。

 

 

「私は私だけのもの――うん、良い言葉ね。断られてしまったことだし、仕方ないわね。無理強いは私の趣味じゃない。趙雲、さっき言ったことは忘れて頂戴。だから、今から口にするのは命令では無く提案」

 

「提案?」

 

 

趙雲が訝しげな視線を向けるが、華琳はそのまま続ける。

 

 

「無論、提案だから断ってもらっても結構よ」

 

「……聞くだけは聞こう」

 

「いいわ。さて、趙子龍。魏興郡太守、北郷一刀の元で武官として働く気は無い?」

 

 

そう来たか、と趙雲は内心で舌を巻いた。

本心ではあっただろうが、先程の問いは前座でしかなかったのだろう。

 

そう。元々この話に於いて華琳の念頭にある大切なことは一つだけ。趙雲をここに踏み止まらせること。理由は何でもいい。

 

華琳の表情から愉しげな笑みが消えたことが、この話に対する真剣さを如実に表していた。

 

 

「見れば貴女はどこかの誰かに仕えているわけでもない。今は流浪の身、ということは仕えるべき主でも探して旅をしているのかしら」

 

 

はったりにも近い指摘。

しかし華琳の鋭い視線に、心の内を見透かされているかのような感覚を覚える趙雲。

 

既に杯に伸びる手は両者とも止まっていた。

 

 

「もしそうなら北郷一刀という男を、私は貴女の主として推薦するわ」

 

「ひとつ、いいか」

 

「どうぞ?」

 

「私の見立てでは北郷殿よりも吉利殿の方が為政者としての能力が高いと見受けている。だが吉利殿は太守では無い。何故、北郷殿なのだ?」

 

「どんな質問をされるかと思っていたけれど、拍子抜けね。私は北郷一刀という男を愛しているわ。その男が為政者としての道を歩んでいて、日々練磨し成長を続けている。それを支え、手助けするということは貴方の眼に、そんなに不自然に映るのかしら?」

 

「――っ」

 

 

一片の曇りも淀みもない快晴の空のような答え。

澄んだ瞳で真摯に、華琳は趙雲を見据えた。趙雲が気圧されるほどの確固たる信念の元に。

 

 

「……ふむ。確かに私も北郷殿には興味を持っている。あのような太守殿、そうはいまい。だが……むぅ」

 

 

最後の一線。線の外側で足踏みをしているが如く、趙雲は揺れていた。

北郷一刀という青年には興味を持っている。だが、ここで彼に仕えることを決めれば自分の見聞を広める為の旅はここで終わる。気侭な猫のように誰にも縛られない、言わば『私は私だけのもの』という信念の元で趙雲は踏み止まる。

 

それを見つめていた華琳が、ニヤッと意地悪な笑みを浮かべた。

一刀や李通が見れば即座に分かっただろうが、それは策士華琳の顔。

 

ろくでもないことやとんでもないことを考えている時の顔だった。

その、所謂とんでもないことを実行に移すための準備は既に整っていた。

 

楓が持ってきた二つの瓶の内の一つ。

『曹』という印があった酒では無く、厳重に密閉された瓶。

 

華琳はそれを足元から取り出し、卓の上へと置いた。頭を悩ませていた趙雲の関心がその瓶に向く。

 

 

「趙雲。一刀に仕えるなら、それ上げるわ」

 

「……吉利殿。見損なったぞ。物で釣ろうという話か」

 

「ええ、物で釣ろうという話よ。とはいえこれはダメ押しの一品というところかしらね。貴女は絶対に北郷一刀に仕えることになるわ。それ以外の道は無い」

 

「随分な自信だな。そう言われればその瓶の中身が気になるところだが……」

 

「開けてもいいわよ。ただし失神しないように気を付けなさい」

 

「驚かそうとしてもそうはいかないな。この趙子龍の勇猛さをその眼に焼き付けるといい」

 

 

そんなことを言いながらも内心では少しだけ警戒しながら、趙雲は華琳に促されるままに瓶の封を剥がし――

 

 

「……なんと」

 

 

昇天した。失神はしなかったが、昇天した。

瓶の中身――即ち、この世のものとは思えぬほどの芳香が立ち昇る『メンマ』を視界に捉えて。

 

 

恐る恐るといった様子で震える手を押さえながら、箸でメンマを口に運ぶ。

五感全てでメンマを感じ取りながら、あまりの甘美さに意識を手放さぬよう必死に胆を練る趙雲。

匂い、形、味、食感、喉越し。その全てが一級品を越えた一級品。言わば、特級品。

 

 

素晴らしいものに出会ったという感動冷めやらぬ中、趙雲は歓喜に震えながら尋ねる。

 

 

「き、吉利殿……これを、どこで……?」

 

「私が造ったわ。さっきの酒と同じようにね」

 

「つ、つまりそれは――」

 

 

趙雲はある種の恐ろしい事実に気付く。華琳は今世紀最大級のドヤ顔(ブラックな笑顔とも言う)を浮かべて宣告した。

 

 

「そう……この街。その中でもこの城以外にはそのメンマは存在しない。いえ、世界広しといえどそのメンマは今、ここだけに存在しているのよ」

 

「な、なんという、ことだっ……!!!!」

 

 

ビックリマークが四つも付くぐらいの驚きを禁じ得ない状態で、その恐ろしい事実に冷や汗すら掻きながら趙雲は卓に両手を付いてそのまま突っ伏す。その状態が約五分ほど続いた。

 

死んでないわよね、とか。

紫苑も桔梗も遅いわね、とか。

まだ一刀も李通も飲んでいるのね、とか。

 

そんな感じに色々なことを考えていた華琳。

 

 

「吉利殿っ!!!!!」

 

「ひゃっ!?」

 

 

がばあっ、と突然勢いよく顔を上げた趙雲に驚いて普段は絶対に出さないような女の子染みた声を出してしまう。無論、どうせ一刀との閨の時はそれ以上にあられもない声を出しているのだろうが、それは置いておこう。

 

吃驚したのを悟られぬように平常心を装いながら、余裕ぶった態度で華琳は卓に頬杖を付く。

 

 

「それで、腹は決まったかしら?」

 

「ああ、決まった。私は北郷殿に仕えたいと思う。吉利殿から口添えをしていただきたい」

 

「私が誘ったのだから口添えなんてする必要もないわよ。一刀も仲間が増えたと言って喜ぶわ。これからよろしくね、趙雲」

 

「ああ、吉利殿。武芸しか取り得の無い身だが、よろしく頼む」

 

 

メンマの瓶を小脇に抱えたまま、趙雲は華琳と握手を交わす。

なんと言うか非常にしょうもない展開で仲間になった彼女を見て、華琳は笑顔の裏で思うのだった。

 

 

(妙な好物だと思ってはいたけれど、覚えておくものね。何かの時の為にと思って作っておいたものがこんなことに役立つだなんて、まったくこの世は何が起こるか分からないけれど、まあ一刀曰く『怪我の功名』というやつかしら、ふふっ)

 

 

しかし彼女はこの後すぐに自分の失策に気付くこととなる。

 

それは、一刀の周囲にまたもや少女を一人増やしてしまったこと。

おそらく趙雲もこの陣営にいる限り、一刀とそういう関係になるだろう。

 

一刀や自分、自勢力の為にと思ってやったことが結果的に自分個人の裏目に出てしまったことに気付いた時はもう遅く。自分の失敗にあわあわとなりながら、紫苑と厳顔が新たに追加として持ってきた酒を自棄になって煽るのであった。

 

 

 

 

 

 

天の月が傾き始めた時分。既に夜は更け、騒ぎ祝う宴も幕を下ろしていた。

 

宴に参加した約半数は酔い潰れ、もうまた半数は生真面目にも警備の交代に赴いた。その他にも、何らかの事情があり最初から宴に参加していなかった者や、朝が早いと断り早々に退散した者もいる。

 

そんなわけで結果的に最後まで残ったのは飲み比べをしていた俺と李通。

最後まで飲んでいたものの責務として、宴の片づけは必定だった。三十分近く使って卓やら椅子やら瓶やら皿やらを片付けた後、李通と別れたのがついさっき。

 

俺は何故か宴が行われていた庭に戻ってきていた。

 

別段夜更かしをしたいわけじゃない。

明日の仕事が無いわけじゃない。当たり前だが。

そしてまったく酔っていないわけでもない。つまりちょっと眠い。

 

 

いやもちろん、何故とは言いながらも理由はあった。その理由は単純にして明快だ。

 

 

「夜更かしは美容の天敵じゃないのか?」

 

 

まだ庭の一角に残っている酒豪×4がいるからに他ならない。

とは言うもののその中の約一名が机に突っ伏して寝ているのは予想外だったが。

 

 

「一刀さんも起きていらっしゃったのですか?」

 

「その台詞、そっくりそのまま返すよ。紫苑、いくら知己と久しぶりに会ったからって酷い夜更かしは感心しないぞ? 夜更かしと深酒で体調崩したりしたら目も当てられないからな」

 

「……体調を崩せば一刀さんに看病してもらえるかしら」

 

「え?」

 

「いいえ、なんでもありませんわ」

 

「……まあいいけどな」

 

 

ぶっちゃけ聞こえていた。

 

体調崩して寝込んだなら看病してあげるつもりではある。

でも俺の看病受けるためにワザと体調崩して寝込んだりするのは勘弁してほしい。

 

そういうのは正直、嫌だった。

 

それを面と向かって紫苑に告げるのは流石に恥ずかしいので、話を別方向へと振ることにした。ニヤニヤしながらこちらを見ている二人へと。

 

……なんだかんだでどっちに転んでもそれほど変わりがない気がした。

 

 

「厳顔、趙雲。宴は楽しんでもらえた?」

 

「賑やかな声に美しい月。美酒と美人と美味な料理。それらが揃っているというのに、少々野暮な質問ですな。非常に楽しき宴でしたぞ、お館様」

 

「厳顔殿と同じく。勝手にやった事とはいえ、それに報いようとしてくれているかのような気持ちの良い宴を開いて頂き、今までに飲んだことの無い美酒を出され、最後にこのような伏兵まで頂戴しては、楽しかった以外の感想は言えますまい」

 

 

何か聞き覚えの無い呼称を使われた気がするが、一旦スルーしておく。それよりも、もうひとつ気になることがあった。

 

 

「それは良かった。楽しんでくれたようで何よりだよ。……ん? 趙雲の持ってるそれってもしかしてメンマか?」

 

 

趙雲が伏兵と称して示した瓶を指差して尋ねる。見覚えのある瓶だった。尋ねはしたが、正直なところ答えてもらわなくても分かる。確かあれは華琳が自作の酒と同時進行で造っていた所謂『究極のメンマ』だ。

 

完成して一番に味見をさせてもらったが、まあ凄かった。

流石は華琳というかなんというか。たった一つの食材でも突き詰めればここまでの逸品に昇華させることが出来るのか、と目から鱗だった覚えがある。

 

ちなみにあのメンマ。恐ろしいくらい、酒に合う。

各州に流し、特許的な何かを取れば一攫千金レベルだろう。

 

もっとも、本人は完成した瞬間にメンマに対する興味を失ったらしいが。残念、非常にもったいない。

 

「ああ、先ほど吉利殿にいただいてな。このメンマをやるから北郷殿に仕えよ、と言われた」

 

「へえ…………………は?」

 

 

吃驚を超越した何かが起こった。理解できるが、理解していない的な何かが起こった。

しかもそんな俺を見て何故か趙雲ならびに厳顔。そして紫苑までもがクスクスと笑っている。

 

そして

 

 

「すー……」

 

 

事の次第を当人に確認しようとも、出来ない現状が今ここに。

そう。前述したように机に突っ伏して寝ている人物が約一名。それは華琳だった。

 

すやすやと気持ちよさそうに、しかも頬を赤く染めた状態で寝ている姿は可愛く、そして微笑ましいものがあった。それにしてもやはり珍しい。まさか酔い潰れたとでもいうのだろうか。

 

何故メンマをダシに趙雲を勧誘したのかを問いたいところだったが、この状態の華琳を起こすという選択肢は俺に無い。仕方ないな、と割り切って趙雲に尋ねる。

 

 

「あー……趙雲?」

 

「私に何か聞きたいことでも? 北郷殿」

 

「いや、聞きたいことっていうか言いたいことかな。趙雲、もし吉利に無理強いされたと思ってるなら断ってもらってもいいぞ? 吉利には後で俺から言っておくから」

 

「ふむ、どうでしょうな。吉利殿がどう思っていたかはともかくとして、私自身は無理強いをされたとは思っておりませぬよ」

 

「そっか。ちょっと安心した」

 

「それで、北郷殿。今度は私から質問をしてもよろしいか?」

 

「ん?」

 

 

胸を撫で下ろした矢先にそう言われた。

頬に多少赤くなっているものの、呂律も回っているし目も泳いでいない。酔ってはいるが限りなく素面に近い状態。というかそれは趙雲だけに限らず、紫苑と厳顔もそうだった。

 

それにしても、まさか趙雲も紫苑や厳顔と同じく酒豪だったとは驚いた。……あれ? うち、酒豪多くね?――などと、あんまり関係ないことを考えつつ、何を言われても動じないようにと心を構える俺だった。

 

 

「北郷殿自身としては、私に仕えてほしいとお思いか?」

 

「ああ、うん。それはもちろん」

 

「――」

 

 

何故か面食らわれた。それほどおかしいことを言った覚えは無いのだが。

そしてそこ。残りの酒豪二人。理由は定かじゃないけど取り敢えず笑うのを止めなさい。

 

 

「正直、だな」

 

「人手が増えるとなればありがたいことだしね。何よりそれが趙雲みたいな人なら、それは当然仲間になってほしいと思うよ」

 

「仲間か……臣下では無く?」

 

「う~ん……なんて言えばいいんだろうな。俺は敬われるのに慣れてないし、敬われたいとも思ってないんだよ。だからまあ、立場上どうしても臣下とその主っていうことになるんだけど、気持ち的には仲間って思いたいというか……」

 

 

少しだけ自分の心情を吐露する。これは趙雲だけではなく紫苑や李通、楓や厳顔、魏延にも言えること。もっとも、紫苑と華琳はその中でも少しだけ特殊な立ち位置にいるのだろうけれど。

 

 

「――いやまったく、変わった太守殿だ」

 

 

自分の考えや心情をもっと明確に伝えることはできないか、と言葉を探していた最中。

 

月明かりが照らす静寂な夜の庭に、涼しげで愉しげな声が響いた。趙雲の声だった。

 

 

「うむ。腹は決まった。この趙子龍、今より北郷一刀殿に仕えよう」

 

 

ともすれば夜の風に乗ってどこかへ飛んでいきそうなほどに軽い声色で口にされた言葉。

 

 

「……いいのか? 厳顔みたいに客将からっていうのもあるけど」

 

 

だがそれは、断るだとか戸惑うだとかを失礼なことだと思わせるほどに重々しく聞こえた。

だからこそ単純なことを口にする。事実だけを求める。いいのか、と。俺に仕えるなんて選択をしていいのか、と。

 

それを聞いた趙雲の表情が“愉快そう”から“可笑しそう”に変わった。

一瞬その表情の変化が何故行われたのかを理解できずに戸惑った。

 

 

「太守殿が口にする台詞とは思えませんな。太守なら例え自信が無くともどっしりと構えておられよ。でなければその下に付くものが不安になる」

 

「ああ、うん。いやいや、そうじゃなくて本当に良いのか――」

 

「――野暮なことを言うものではありませんぞ。この趙子龍に二言はありませぬ」

 

 

言葉を遮られた。その語気が今までのものよりも強いことを感じ、少し反省する。

趙雲だって冗談を言っているわけじゃない。言わば、今俺がやったことは趙雲の決意を疑ったにも等しいことだった。

 

 

「ごめん。悪かった」

 

「構いませぬよ。それほど気にしているわけでもありませぬからな」

 

 

それで、と趙雲が言葉を続けようとし

 

 

「大切な話の途中に済まぬが、儂からもいいか?」

 

 

それを厳顔に遮られた。

 

予想外過ぎた伏兵?に一瞬だけ頭がフリーズする。

それは趙雲も同様だったらしく、同じような表情で二人そろって厳顔を見た。

 

 

「む、こうも注目されるとは」

 

「当たり前でしょう、桔梗。どれだけ大切な場面で話を止めたのか分かっているの?」

 

「無論、分かっている。だが二度手間になるのもどうかと思ったのでな。すまぬが、趙雲殿。ほんの少しだけ時間を貰うぞ」

 

「あ、ああ。私は構わないが」

 

 

趙雲が戸惑いながらも頷く。

俺はなんとなくだが、この先の展開が読めていた。

 

何故か? 厳顔の纏う空気が趙雲のそれに似ていたから、だろう。そして、やはりというかなんというか。

 

 

「北郷殿。急ですまぬが、儂を正式に武官として認めて頂きたい」

 

 

そんなことを告げられた。冗談なんかじゃなく、至極真面目な表情で。しかし。

 

 

「急というか……早くないか? なんでまた」

 

 

普通に率直な問いが出てしまった。

趙雲と厳顔は立場的な意味でもまた少し違う。

 

どちらも今日会ったばかりということに変わりはないが、厳顔は既に客将という立場。

客将として仕える中で俺を見定め、主足りうると認めたのなら正式に武官として――という話だった。

 

だから正直に思う。早すぎはしないか、と。

そして聞きたい。もしこの短時間で俺を主足りうると思ったのなら、その理由を。

 

 

「いや、そうでもないだろう。正直なところを言えば、儂は既に北郷殿の人となりを知った時点で正式に仕えてもいいと思うておったからな。あれはあくまで魏延の心情を慮っての措置だ」

 

 

それはなんというか、初耳だった。

でも確かに、今や華琳至上主義の魏延は俺に仕えるという話になれば少しこじれたかもしれない。

 

それを分かっていたからこその判断だったということだろうか。

 

 

「まあ、趙雲殿と対していたお館様の心情、そして真摯な態度に武人として惚れたということだな、うむ」

 

「なんかそう言われるとくすぐったいな。というかお館様って……」

 

 

俺は武田信玄か何かか?

いや、呼び方なんて実際は何でもいいんだろうけど。

 

しかし、ということはつまり――?

 

 

止める間もなく、厳顔は両手を膝に置き、俺に向かって深々と頭を下げた。そしてそれは趙雲も同様に。

 

後世に名を残す蜀の二将。趙雲と厳顔が揃って、俺に頭を下げていた。どんな状況だ、これ。

 

ちなみに紫苑はさっきからにこやかに笑んでいる。詳しいところまでは読み取れなかったが、何を思っているのかは大体分かった。あれは確実に俺が内心おたおたしてるのを見て楽しんでる。

 

俺がそんなことを考えているなど露知らず。二将は頭を下げたまま言葉を紡ぐ。

 

 

「お館様。儂を正式な武官として迎えて頂けるだろうか?」

「北郷殿。私を臣下――いや、仲間にしていただけるだろうか?」

 

 

そんな真摯な言葉が二つ、胸に落ちた。

答えなんてひとつしかない。元々、そうなってくれればどれだけ心強いかと思っていたのだから。

 

 

「もちろん。歓迎する」

 

 

端的で単純で簡単で、しかし俺なりに重い言葉。俺にとって歓迎という言葉は字面以上の意味を持つ。それはある意味で責任を負うと決めた、腹を括った時に使う俺自身の言葉。

 

二人の顔が上がる。真剣だがそれでいて一筋縄ではいかない強さを感じさせる二対の双眸。

 

 

「――姓は趙、名は雲、字は子龍、真名は星。北郷一刀殿、これよりは貴方を主として仰ごう。よろしく頼む」

 

「――姓は厳、名は顔。真名は桔梗。紫苑と共にお館様を支えていく所存だ。年長者として、皆の模範となるよう努めよう」

 

 

「……っ。こちらこそ。未熟な大将だが日々練磨し、研鑽を積み、君達が仕える大将に相応しくなると誓うよ。至らぬところがあれば教えてほしい。間違いがあれば叱責してほしい。どうかよろしく、頼む」

 

 

真名。それは自分が認めた者にしか預けない大切な名。勝手に呼ぼうものなら首を刎ねられても文句は言えない代物。それを預けられたという意味。その重さを自分なりに噛み締め、俺は二人以上に深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

「かーぁじゅぅーとぉー!!! おろしらしゃいよー!」

 

 

背中に乗せた駄々っ子が騒ぎ立てる。駄々っ子というより正確には酔っ払い、だが。

既にいつものドリルツインテは頭をぶんぶんと振ったせいなのか解け、今は純正ストレート状態。

 

時々、美しい黒髪が頬を撫でる。まったく痛んでいない辺りが手入れの本気具合を垣間見せていた。ふわりと流れる黒髪から漂う、鼻孔を擽る女性特有の甘い匂い。そしてアルコール臭のミスマッチ。

 

 

「よっれらいっていっれるれしょぉー!?」

 

 

酔っ払いはみんなそう言うんですよお嬢様、と李通のようなことを心の中で呟いてみたり。

あー明日は晴れてるといいなあ、とか若干現実逃避のように天気のことを思ってみたりもする。

 

俺が背負っている酔っ払いが、かの有名な曹孟徳だと誰が思うだろう。いやもちろん、この外史でその名を知る人間は限られていて、更に言うならその偉業を直に見たのは俺しかいないが。

 

 

趙雲と厳顔の正式な仕官を受けて身を引き締めたのも束の間、それまで可愛い寝息を立てていた華琳が急に目を覚ました。それだけなら良かったものの、華琳は酔っていた。それはもうベロンベロンに。

 

桔梗と紫苑そして星はまだ少し飲むというので、最低限の注意を促した後に俺は酔っ払いを背負ってその場を後にした。本人はまだ飲むだの酔ってないだの言い張ったが無視した。基本、酔っ払いの言っていることはまともに受け取らないのが鉄則だ。ロクなことにならない。ここまで酷い酔っ払いならなおさらだ。

 

ちなみに今は城内を部屋に向かって移動中。

 

 

「それにしても珍しいな、華琳がここまで酔うなんて」

 

 

独り言のように呟く。こんな華琳は初めてだった。今までに見たことがない。何か、自棄酒をするほどに嫌なことでもあったのだろうか。

 

 

「ちょーうんもききょーもしおんもなんれあんらにむねがおおきいのよ……わらしらって、わらしらって、しゅこしくらいおおききゅなってるんらかられーっ!!!!!」

 

 

……どうやらあったみたいだった。呂律が回っておらず何を言っているのか微妙に解読が出来なかったものの、とにかく何らかの嫌なことがあったということだけは分かった。うん、それで充分だ。

 

 

「華琳。流石に近所迷惑だぞ。何時だと思ってるんだ?」

 

 

俺なりの苦言を呈す。深夜に大音量で叫ばれるのは城内の迷惑だ。そういうマナーは権力者でも守らないといけないのです。たまにそういうルールを金でどうにかしようとする人もいるらしいが、それはなんと言うか、うん。阿呆だ。

 

 

「……ぐぅ」

 

 

いや、確かに静かにするようにと苦言は呈したのだが。まさか今の一瞬で寝たのか?

真偽の程を確かめようと肩越しに振り返り、一瞬硬直した。華琳の顔が目の前にあった。

 

パチリ、とその眼が開く。見つめ合う俺と華琳。ロマンチックにも見える光景だが

 

 

「れてらいわよー!! もっろのむっれいっれるれしょー!?」

 

 

相手は酔っ払いである。大音量に顔を顰めながら、早々に前を向いて止まっていた歩みを再開させた。

 

 

「すー……すー……」

 

 

しばらく歩いていると背中から寝息が聞こえてくる。どうやら今度こそ寝てしまったらしい。

 

多分、前の外史の時とそう変わらない華琳の重さ。

こんな軽い身体に一国を担う重責がのしかかっていたのが俄かには信じられない。

 

既に俺は現時点でもいっぱいいっぱいだ。一郡だけでも相当に重い。

でも重いからこそ投げ捨てるわけにはいかない。誰かに荷を渡すわけにはいかない。

 

そういう考えを持っている人間が指導者足りうるのだと、今は信じたかった。

俺のような半端者でもこの先ちゃんとやっていけるのだという希望を持っていたい。

 

そんな、小さくて重い望み。今の俺が大切に思うもの。

 

 

「れぇ……かじゅと?」

 

「ん、華琳。起きたのか?」

 

 

背中から掛かった小さな声。条件反射のように肩越しに振り返る――

 

 

『ちゅっ……』

 

 

――不意打ちだった。

 

唇が触れるだけのキス。そこまで長くはなく、すぐに華琳の方から顔を離した。

しばし呆然と華琳の顔を見つめる。その頬は赤く、酔っ払っているのは目に見えている。

 

でも不思議と、その瞳には明確な理性が宿っているように見えた。

 

 

「……まえむいれ」

 

「え?」

 

「まえむいれ! れ、あるく!」

 

「あ、ああ……はいはい」

 

 

言われるがまま、前を向いてまた止まっていた歩みを再開させる。

 

背中の上部分から首、頭に掛けて華琳が再び密着する。

顔を引いていたことによって空いていた空間が埋められた。

 

 

「……かじゅと?」

 

「ん、華琳?」

 

「ひろりれむりしらいれね……?」

 

「ああ」

 

「ぜっらいよ……?」

 

「分かってる」

 

「ふふっ……」

 

「華琳?」

 

 

むずがる子供のように顔を背中に擦り付ける華琳。

漏れ聞こえてくる声は幸せそうで、逆に俺の背中に顔を擦り付けて何が幸せなんだ?という疑問が生まれた。しかしまあ、それは別に特別聞くことなんかじゃなく。華琳が幸せと思ってくれるのなら、理由はどうでもよかった。

 

 

「かじゅと……わらひ……かじゅとのころ……らいすきらよ……」

 

 

ドキ、と胸が鳴った。

華琳に面と向かってそういうことを言われるのは相当に珍しい。

 

不遜な態度や自信たっぷりな態度でなら多いかもしれないが、ともかくこういうのは初めてだった。

 

 

「すー……すー……」

 

 

どう言葉を返そうか迷っている間に、寝息が聞こえて来ていた。あまりのことに苦笑する。言うだけ言って自分はお寝んねとは、まったく酷い覇王様だった。

 

 

「俺だって、大好きだよ」

 

 

それが届いたのか定かではないものの、背中の華琳がくすぐったそうに身動ぎをした。

 

やはり苦笑して夜空を仰ぐ。夜空には蒼い月と瞬く星々。

月に靄が掛かっていないところを見ると、多分明日は晴れるのだろう。

 

 

 

 

 

 

それはともかくとして今夜の天気は――酔いのちキス、時々デレ。

 

 

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
72
7

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択