No.621232

三匹が逝く?(仮)~邂逅編・sideジム=エルグランド~

投稿110作品目になりました。
この作品は私、北の大地の西ローランドゴリラこと峠崎ジョージと、
小笠原樹(http://www.tinami.com/creator/profile/31735
YTA(http://www.tinami.com/creator/profile/15149
赤糸さん(http://www.tinami.com/creator/profile/33918

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2013-09-21 00:03:24 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:3392   閲覧ユーザー数:2937

―――やれやれ、と溢したのは”こうなってから”一体何度目だろうか。

 

溜息を吐いた分だけ幸せが逃げていく、と俗世では謳われているようだが、だとしたなら私の幸福の貯蓄はとっくの昔に底をついていることだろう。一日に最低一回だとして、一月に三十回、一年に三百六十五回、そのように換算していって全て合計すると、優に(ゼロ)の数は五、六桁……いや、ひょっとしたなら十桁以上に達しているかもしれない。そして、私の肉体の容積を”最大の貯蔵量”だとしたなら、一呼吸の度に抜けてゆく幸福の量が吐息の幾分の一だったとしても、その何十、何百、何千分の一だったとしても、その総量はとっくの昔にそれだけの値を叩き出しているはずだからである。

でありながら、今の環境を”悪くはない”と感じている自分がここにいるのだから、所詮はそれも風説程度のものでしかない、所謂”でま”の類なのだろう。そう、他者が見たり知ったりれば、まず間違いなく”不幸”だとか”不運”に分類するのであろう”今の状況”を”そう悪いものでもないのでは”と感じている自分が、確かに今、ここにいるのだ。

何とも不思議な感覚である。幸福の度合いを測る物差しは千差万別だと、知識として知ってはいたが、やはり経験に勝る勉学はないようだ。百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず。学べるものは尽きない。寿命が尽きるまで続けたとしても、決してその全てに目を通し、身につけることは叶わないだろう。それが常に口惜しくもあり、それと同時に常に喜ばしくもある。

兎に角、何が言いたいのかというと、だ。

 

―――当初は怨嗟や辟易にも似た感情を覚えていたはずの”彼”との出逢いは、気付かぬ内に心の中で満更でもないものに変化していた、ということである。

 

 

 

 

『合縁奇縁』~”After a calm comes a storm”~

 

 

 

 

パンッ パンッ

 

「…………」

 

しゃがみ込んで二度の手拍子の後、合掌させたままに目を閉じて、深く深く祈りを捧ぐ。これより先、彼が旅立つ先で、あるいは既に辿り着いているその場所で、安らかで平穏な日々を送れることを。人の寿命は、確かにいつか尽きるものである。しかし、人の”死”は、決して寿命の尽きた瞬間ではない。少なくともジムはそう教わって来たし、”確かにその通りだ”と彼自身で納得もしている。

”いいかい、ジミー? 人が本当に死ぬ時はね、この世に生きる全ての人に忘れ去られてしまった時だよ”

虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。たった一つの関わりや繋がりも持たずに事切れる人間など、決して居はしない。この世に生まれ出た時点で、そこには”邂逅”があり”親子”がある。それに対する良し悪し、是非の判断は本人達次第だろうが、少なくともその判断を下せるようになる頃には、それなりの月日を過ごし、それなりの知識を蓄え、それなりの経験を重ねているはずである。そしてそれらは、決して”独り”で得られるものではない。その”基準”たるものは必ず、嘗ての何処かの誰かの経験に基づいているからである。話が逸れたが、要するに何が言いたいのかというと、人間は決して”孤独”に生きることは出来ず、必ず誰かの記憶の中に、心の中に、その存在が息づいている限り、決して滅びることはない、ということである。

 

「…………」

 

ロワイエ伯爵邸崩壊の翌朝、まだ朝日も昇り始めて間もない頃、ジム=エルグランドは渓流の畔にいた。より正確な位置で言うなら、彼の暮らす丸太小屋よりも、昨朝の仕掛け網のあった場所よりも上流。よりあの”元”神殿に近い場所。彼に霊感の類はないが、その特異体質によって優れている”第六感”が、ここら一帯は他に比べて清廉な、そして神聖な場所であることを、彼に本能的に理解させていた為に、彼は少年を埋葬する場所に、ここを選んだのである。

その川辺一帯には人間の頭蓋骨くらいの大きさをした石が優に五十個以上、綺麗に磨かれた状態で規則正しく並べられている。よくよく見れば、中には誰かの名前が刻み込まれているものもあった。どこか歪な筆跡は、しかし現代人には見慣れた仮名文字であったり英字だったりと、様々なものが入り混じっている。意味を理解できず、ただ準えただけなのだろうということが、どことなく読み取れる。そして、その全ての石の前にそれぞれ備えられている、摘まれた花々は未だ瑞々しいままだし、小さな茶碗の中に盛られた料理は拵えたばかりなのだろう、ゆっくりと淡い湯気を立ち昇らせている。それは簡略的ではあるものの、歴とした”墓地”だった。

どんなに貧困していようとも、出来ることなら葬儀は行いたいと思うのが人情というものだ。生活を切り詰め、貯金を使い果たし、その為に物乞いや”泥ひばり”になってしまうと解っていたとしても、葬儀のための出費は躊躇わないという人は、決して少なくない。何故なら葬儀は死者のためだけではなく、生者のためでもあるからだ。

突き詰めたことを言ってしまうのならば、生者が死者にしてやれることなど、何一つとしてない。精々”名誉を守るため””穢さぬため”と彼らを貶めるような言動を戒めるのが限界だろう。葬儀とは、残された遺族が供養という手段を用いて、喪ったことへの苦しみや悲しみを受け入れたり整理する、言うなれば”納得”や”自己満足”の方法である。しかし、それは決して彼らを一先ず置いておくためでも、ましてや忘れ去るためでもなく、彼らは手の届かない場所へ行ってしまったということを身に染みて理解するための方法の一つに過ぎない。怪我や病は治療することは出来るが、古今東西”生命”や”魂”の蘇生や復元の手法など確立されてはおらず、その逸話が辿る末路は必ずと言っていいほどおぞましかったり、血生臭い結末に終わる。命を蘇らせる方法など有り得ないし、在り得てはならないのだ。幾らでも手に入ってしまうものは、扱いが粗末だったり粗雑になる。たった一つしかないからこそ、大切であり貴いのだ。軽んじられるようであっては、決してならない。そう、決して、そうであってはならない。

 

『―――そうだと解っているのならば何故、君は己が命を軽んじるような言動をとるのかね?』

「……五月蠅ぇ、黙ってろ」

 

その鼓膜でなく、脳裏に直接響いて伝わって来た声に、黙祷を続けていたジムは瞼を開き、憎々しげに吐き捨てた。

 

『全く、人間という生物はどれだけ観察しても飽きることがない。君という人間は特に、だ。その経歴もさることながら、君のその精神、思考回路、他に類を見ないことこの上なし。滅私の悟りでも開いているのかね? つくづくそのように思えてならないのだが』

「んな上等なもんじゃあない。俺は、俺が正しいと思ったことを、ただ実行しているってだけだ」

『それが、他者に認められないような価値観だと承知の上で、世間的な善悪でいうなら、どちらかと言えば”悪”に属すると解っていて尚、それを貫き通す姿勢を崩す気がない。君はそういう人間だと、ここ十年間、寝食を共にして、そう理解しているよ』

「……アンタは、本当に解らない奴だな」

『その言葉はそっくりそのまま、君に返すとしよう―――さて、そろそろ今日の仕事を始めなくてはならない頃合いなのではないかね?』

「言われなくても、もう行くところだったさ」

 

それを最後に頭の中の声は止み、ジムは苦笑しながら、徐に立ち上がる。

この声の主を、その正体を、ジムは知らない。幼い頃からずっと、ふとした瞬間に自分へと語りかけてくるだけで特に害意はないようなので、さして気にすることもないか、と思っている。他人に話すと精神に異常を来していると判断されかねないので誰にも教えてはいないが、幼い頃に(当時の自分なりには)遠回しにブリジットに尋ねてみたことがある。頭の中に、思い当たる節のない声が聞こえる時があり、話しかけてくるということは有り得るのだろうか、と。そして、本来ならば笑い飛ばされて当然の疑問に、彼女は決して蔑むことなく紳士的に(この場合は”淑女”的とでも言うべきだろうか)向き合って答えてくれた。

 

―――それはきっと、凄く幸運なことだと、私は思うねぇ。

 

先述の通り、人は決して独りでは生きていけない。しかし、他者にどれだけ”基準”を求めても、意見を仰いでも、最終的な判断を下すのは紛れもなく自分自身である。そして、自分が言うような人は、その”自分自身”がもう一人いるのだから、きっと喜びや楽しみはより多く分かち合い、悲しみや苦しみはより多く分け合うことが出来ると、そう言うのだ。

そして同時に、彼女はこうも言っていた。

 

―――もしかすると、それはその人のことを何よりも想ってくれている、その人にとってとても大切な存在なのかもしれないよ。

 

(俺にとって、大切な存在、ね……)

 

ジム=エルグランドには親がいない。正確に言うなら、形式上の親はいるが、血の繋がった両親の存在を、それに繋がる手がかりすらも、彼は未だに知らないままでいる。

”ジム=エルグランド”という名前は、彼を保護し、後に引き取った際に名づけられたものである。当時、まだ五、六歳足らずだった少年は、”とある凶悪な事件”の被害者であり、唯一の生存者でもあった。事件の聴取どころか、まともな言語の発声も出来ないほどに衰弱していた褐色肌で白髪紅眼の少年。彼の回復を待ち、日を改めて聴取を行った結果、発覚した事実は後の世に多大な影響を齎すことと相成った。

 

―――そしてそれと同時に”少年”が”正体不明の身(ジョン=ドゥ)”であることが明らかになった。

 

快復したはずの体調で、彼は言語を紡ぐことが出来なかった、というよりも、彼が紡ぐ言語を理解できる者がいなかった、というべきか。彼は確かに、必死に何かを伝えようとしていたが、結局意思を汲み取ることが叶わず、”翻訳(リード)”の魔術を用いてなんとか疎通できた、という記述が当時の資料に残されている。それ故に一時期、当時の”少年”を知る者の中には皮肉や卑下の意味合いを込めて、ジムを”ジョン”と呼ぶ者もいる(無論ジムはその呼称を嫌っているし、そう呼ぶ者たちがどういった者達かを察するのは難くないだろう)。

また、彼の身体的特徴は、強いて言うならば普人族に近しいものではあったが”似て非なる”と称されるものであり、他の”人型種族(ヒューマン)”のそれとも完全に一致していない。”事件”の被害による変異、と考えられなくもないが、それを差し引いたとしてもこの少年が未だ類を見ない、もしかすると未発覚の新たな種族ではないか、という憶測さえ飛び交ったこともある。

兎に角、真実が詳らかにされた後に少年は、現場より彼を保護した”赤”の一人に引き取られ、彼女の生まれ育った孤児院にて、何ということのない、人並みの人生を送っていく筈”だった”。今より約十年前、その全ての可能性が閉ざされた”あの夜”までは。

 

「…………」

 

実の両親が、家族がいないことに対して寂寥感を感じたことは確かにあるし、今でもそれは魚の小骨のように小さくはあるけれども、時折ちくりと胸を刺すこともある。それでも、自分は十二分に恵まれている側だと、そうも思っている。

 

「俺はもう、独りじゃあない……」

 

誰に聞こえるでもない呟きが、木々の間を通り過ぎていく涼風に溶けていく。

踵を返し、丸くて細かい砂利を踏み鳴らしながら、ジムは更に森の奥へと向かっていった。日々を過ごすための糧を得る手段を兼ねてもいる、彼の幾つかある”日課”の内の一つをこなすために。

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

孤児院の裏手には森が広がっている。広く平らな地形に鬱蒼と生い茂る木々は、その大半が広葉樹である。木材となる樹木は無論な上に、食後のデザートやその材料に相応しい甘酸っぱい果実や、単体でも十二分な効果を発揮する薬草の種類も実に豊富である。でありながら年間、この森の中を訪れる人間はあまり多くないし、訪れる者はその際に最低一人は、腕に覚えのある護衛を随伴させている。それはこの森が御多分に漏れず、肉食だったり凶暴な生物が住んでいるということもあるが、ここら一帯の町々に流布している”とある噂”のためだった。

 

「何が、”赤い目の怪物”だっ!!」

 

苛立ち混じりに、その少年は拳大のボールを一本の木の幹に向かって思い切り投げた。弾力の強いボールなのか、着弾と同時に大きく跳ね返り、地面を数回バウンドしながら少年の手元に戻る。幹をよく見ると、ぶつかった衝撃で木の皮が剥げ、白く綺麗な木肌が見えていた。形状は真円。大きさは拳大。つまり、この少年はその軌道を決してぶれさせること無く、全く同じ位置にボールをぶつけ続けていることが解る。

 

「何にも知らない奴がっ、知ったような口を聞くんじゃあないってんだっ!!」

 

普通なら怒ったりして精神的なバランスが崩れれば、投球のような集中や精密さを必要とする動作は多少なりとも狙いが外れたり狂ったりするはずである。しかしこの少年、明らかに激昂しているにも関わらず、放られるボールは吸い込まれるように真ん丸に禿げた木肌へとぶつかっては少年の手元へと跳ね返っていく。それはこの少年にとって投球という動作が、呼吸をするのと同じように”当然”として、彼の身体に染みついている、ということを意味していた。

 

「”兄ちゃん”がっ、どれだけ優しい人かもっ、どれだけ辛い思いをしてきたかもっ、全然知らない癖にっ!!」

 

少年の年頃は、見た目から察するに十二、三といったところか。身長は百五十に若干届かないくらい。髪も瞳も、色はまるで翡翠(エメラルド)のように鮮やかな青緑をしている。逞しいとはいえない身体つきだが、決して虚弱という訳でもない。屋内で読書や人形遊びに勤しむよりも、外で何の気兼ねもなく走り回っている方が好きなような、何処にでもいる活発な男子、といった具合である。しかし、一般的とはかけ離れている身体的特徴が一つある。両方の側頭部から、白銀の体毛に包まれている三角形の”耳”が生えていることだった。

獣人族の中に人狼族(ライカンスロープ)と、そう呼ばれる種族が存在する。”ライカンスロープ”という単語そのものが意味するのは”狼男”。所謂、半人半狼の怪物のことを指す。元々は人食いを好む狼の俗称であったらしく、それが伝承の影響によって怪物へと変化したものと考えられており、有名な”満月を見ると狼に変化する”であるとか”銀の武器で貫かれると死ぬ”であるとかは、二十世紀以降の映画や小説などで捜索された設定が広まったものであるという。

が、それはあくまで”現代”での話であり、この世界においては例外となる。事実、この少年、名前は”アルフレッド=ヴォクシー”というのだが、満月の夜は外に出ないようにしているし、純銀製の食器や装飾品には近づかないし触れないようにしている。自身に記憶はないが、過去にそれで”大きな失敗”をしてしまっているらしいからだ。その為に、自分はこの孤児院に来る羽目になったし、一時期孤児院(ここ)でも孤立してしまっていた。そのせいで当時の自分は剥き身のナイフのように鋭く尖っていたし、意図的に他人から距離をとって、信用を得ようとも、こちらから信頼しようとも、全く考えていなかった。

そんな自分に心を砕き、初めて真っ直ぐに向き合ってくれた人がいた。既に一回り近く歳の離れたその人は見た目は粗暴で凶悪な割に、実のところはとても繊細で紳士的だった。突き放しても、遠ざけても、挙句の果てに傷つけると言う暴力的な手段に出ても、その態度は崩れることはなく、いつだってあの人は”真っ直ぐ”だった。身体や心の中に一本の、堅く太く逞しい”芯”があって、それが折れる時は自分が”死ぬ”時だと思っていると、随分前に教えてくれたことがある。その”強さ”が本当に羨ましくて、いつしかあの背中を追いかけることが、あの背中を守れるようになることが、自分の生きがいに、目標になった。

なのに、だというのに、世間は何も解っちゃいないのだから、腹立たしくもなるというものだ。

”赤い目の怪物”

曰く、その紅蓮の双眸は永久(とこしえ)の宵闇の中でも鬼火のように揺らめき、湾曲した双角は分厚い鉄塊すらも紙片のように軽々と貫き、鋭利な爪牙をもって人体を稲穂のように魂ごと刈り取る。明確な全貌は未だ掴めておらず、一説によれば新種の”竜”が棲み付いたのだとか、大蛇や大熊なんかが突然変異を起こしたのだとか言われている。現在までの犠牲者の正確な数は解っておらず、ひょっとすると十や百のみならず、千や万にも達しているかもしれない。非常に獰猛な性格で出会ったが最期、骨ごと肉を噛み砕かれ、臓物や脳髄を啜り抜かれてしまう、らしい。

確かに、そういったことが出来なくもないことは事実だ。あの人自身もそう言っていたし、実際にその”特異体質”を目の当たりにしたこともある。しかしだ、百歩譲ってそれは認めたとしてだ、あの人が進んで人を殺すような、それをして平気だったり当然だと思うような存在だと思われるのは心底、何よりも嫌だった。

 

―――ロワイエ邸崩壊。精霊と怪物、双方の逆鱗に触れたが故か?

 

今朝、孤児院に届けられた新聞の一面には、そのような表記があった。記事にも目を通してみると、嘗て精霊を祀っていた神殿の上に屋敷を建てていたことと、その場所が”赤い目の怪物”の縄張りではないかと推測されていた地域に非常に近かったからではないか、という”推測”ばかりの内容が面白おかしく書き連ねられていた。元々、出版している団体はゴシップ記事なんかで有名なところだ。普段と何らやっていることは変わらないし、商売としてやっていることだ、売れる内容であるならば掲載するのは別段おかしいことではない。

だが、それは結局のところ出版者側の都合だし、こちらの都合などにお構いなしに行ったのは事実であることに変わりはない。情報は鮮度が重要なのだとしても、届けられたものが”紛い物”だったなら、果たして顧客は常連になり得るだろうか―――いや、情報という分野でのみ、不思議と成立する場合がある。それは”その方が面白い”と顧客側が見なした場合だ。それが証拠に”現代”においてそんな話は五万と耳にすることが出来るし、一つや二つ程度なら直ぐに思いつくことが出来るだろう。

そして、ほんの少しでもいい。考えてみて欲しい。『果たして自分が、あるいは自分と親しい人物が”被害者”になった時、一体何を思うだろうか』と。

 

「くっそぉ!! ムカつくなぁ!!」

 

思いつく限りの発散方法は試してみた。朝食をいつもよりずっと大目に食べてみたけれど、全くもって気は晴れないし、無駄なことは考えないようにと二度寝を試みたけれど、一睡もすることは出来なかった。それで最終的に、彼は非常に原始的な手段に出ることにした。要するに、ものに当たることにしたという訳である。

投球の練習は、朝食後のアルフレッドの日課である。彼は球技、特に”野球”という、随分前に異世界人がこの世界に伝えたらしい競技が好きで、孤児院の子供達を含めた仲間内ので試合の際には、制球力と球速の高さから投手を任されることが多い。彼自身、投手という仕事が好きだし、それを任されることをとても喜んでいる。こうして毎日、朝から昼まで(特に熱心な日は夕暮れまで)裏手の森の木々を相手に制球力に磨きをかける練習を続けているほどに。

毎回の練習は、木の幹にナイフで目印をつけたり、あるいは見つけ出したりして(変わった模様だとか、枝葉が生えている部分だとか)、その部分にボールがぶつかるように投げつける、という非常に単純で、でも結構難しい内容。一ヶ所だけに定めて、投げる球種(ストレートだったりカーブだったり。最近になってやっとフォークを覚えた)を変えてみたり、複数の目印を定めて同じ球種でどれだけ連続で当てられるかを数えてみたり。行っている内容そのものに大きな変化はないが、これが存外退屈せず、むしろ楽しくてならなかった。最初は真っ直ぐ投げるだけだったのが、違う球種をマスターしたり、回転の方向や強さを変えられるようになってからは、殊更に。自分の成長が目に見えて解る、というのは本当に嬉しいもので、もっと実力という火種に薪をくべたくなる。知識であったり、時間であったり、練習という名の薪を。元々ライカンスロープは狼の獣人であるからか運動能力に、特に走ったり跳んだりという、肉体的な”速さ”や”強靭さ”に長けているというのも、少なからずあるのだろうが(他にも嗅覚や聴覚にも優れていたりもする)。

が、今日の練習は普段と随分と違ってしまっていた。普段は昼までとはいえ、短時間の練習ではない訳だから、体力の消耗もある程度は視野に入れて、全力投球はあまりしない。元々制球力を高めるために始めた練習である。それが損なわれるようでは、練習の根本的な意味をなさないからだ。だが、先程から見る限り、アルフレッドはひたすらに全力投球を続けているように窺える。ボールを握って振りかぶり、投げる一連の動作全てに、満身の力を籠めていることが、傍から見ても明らかなのである。強張りすぎて血流が集まっているのか頬は紅潮し、眉間に皺は寄っているし、呼吸も肩を上下させながら行っていて、随分と荒くもある。球種もストレートのみ。全身を捻り、正面から見ると利き腕である左腕全部が背中に隠れるまで大きく振りかぶり、腕力が全てでなく、遠心力と身体の”発条(ばね)”の力を解放するように投げる。当然、肩にも腕にも大きな負荷がかかる。少し痺れのような違和感を感じるし、このまま続けていれば普段よりも早く”ばてる”だろうことは解っている。例えそうだと解っていても、この衝動染みた暴投を繰り返させる憤怒の感情を、今の自分は抑えきれそうにはなかった。

 

「……久しぶりに、”こっち”の練習もするか」

 

そう言って彼がポケットから取り出したのは掌大の球状をした、紫紺の宝珠(オーブ)であった。『宝珠』という仰々しい名称ではあるが、かといってずば抜けた高級品という訳でもない。宝珠(オーブ)はその大きさと純度によって価値(グレード)が分類されており、最低限その”役割”を果たすものでいいのであれば、銅貨が三十もあれば購入出来るのである。

宝珠(オーブ)補助装置(デバイス)の一種であり、その効果は基本的に予知や解析の結果の『投影』や、魔力の成功率を向上させるための魔力の『増幅』である。このような点から基本的に占術に用いられる機会が多く、大半の人間もそういうイメージが強いのだが、アルフレッドは見たところそういった事柄に長けているようではないし、そもそも彼はそういった知識を持ち合わせてはいない。ならば何故、彼は宝珠(オーブ)を取り出し『練習』という単語を口にしたのか。それは、

 

「ふぅ~……」

 

目を閉じてゆっくりと息を吐き、狙いを定めるように握った宝珠(オーブ)を突き出す。その様はまるで野球の試合中に投手が打者に向かって『今からお前を打ち取ってやる』と勝利宣言をしているようにも見えた。

やがて、気合を入れるように表情を引き締め、瞼を開く。すると、次の瞬間。

 

―――ボッ

 

「…………」

 

宝珠(オーブ)の中心に、小さな火種が灯っていた。それは蝋燭に点けたばかりのような本当に小さな火種だったが、それはやがて時間が経過するにつれて揺らめきが大きくなり、徐々に肥大していく。やがて数分が経過した頃だろうか、火種はいつしか宝珠(オーブ)の大きさとほぼ等しい火球へと育っていた。それはまるでぱんぱんに膨らんだ風船の中の空気のようで、ほんのちょびっと刺激を加えるだけで一斉に噴出してきてしまいそうな、そんな危うさがあった。

先述の通り、宝珠(オーブ)の本来の用途は『投影』や『増幅』である。そして、アルフレッド自身の魔法の実力だが、端的に言うならば”器用貧乏”と称されるようなものであった。彼には”火””水””風””土”の四大元素全てに適性があった。これは非常に珍しく、実に素晴らしいことではあるのだが、世の中とは実に上手く出来ているらしい。

例えば、”火”属性で説明するとしよう。優れた適性を持つ者が瞬時に発せられる魔法で”焚き火”、それなりの適性を持った者が発する魔法で”松明”くらいの火力を出せるとするならば、彼は精々煙草に火を灯すための”燐寸(マッチ)”程度の火力しか出せない、とそう考えてもらえれば丁度いい。

そう、適性はあるのだが、如何せん”出力”とでも言えばいいのだろうか、それが他者に比べて著しく低いのである。そして、それを補うために彼が試行錯誤した結果が、この宝珠(オーブ)であった。

宝珠(オーブ)の内部に魔法を発生させ『増幅』の効果を用いて出力を上昇させる。やがて十二分な威力に達した時、いつも投球する時の型をなぞるように振りかぶり、きっちりと狙いを定めて、

 

「せぇいっ!!」

 

真紅に揺らめく紅蓮の”魔球”を、先程まで同じようにボールをぶつけていた木肌部分に投げつける。低く鋭い放物線を描いたそれが流星のような残像の尾を引きながら着弾した、次の瞬間。

 

―――ボゥア!!

 

溢れ出した火炎が、一気に周囲の酸素を取り込み、燃え上がる。流石にその木を焼き尽くすほどの火力ではないが、そこらの草叢一帯を焼き払うくらいは造作もないだろう。”燃える魔球(フレアオーブ)”彼は奥の手として、これをそう名付けている。自分があの人の背中を守れる男になる、その第一歩として。

 

「もっと早く、もっと強い火力を出せるようにならないと……」

 

この程度ではとてもじゃないが、守るどころか手伝うことも出来ないだろう。あの人の強さは―――そりゃあ完全に本気になった姿なんて見たことはないけれど、”赤”と同等に戦えるくらいなのだ。こんな”こけおどし”のような奥の手では。

自分の魔力の総量が少ないのか、それともそれを扱う才能がないのかは解らないが、この程度で諦める気なんて全くない。”兄ちゃん”に近づきたいというのも勿論あるけれど、純粋に男として強くありたいと、そう思うのだ。いざという時に、降りかかる火の粉も払えないようじゃあいけない。”火事場の馬鹿力”だとか”窮鼠猫を噛む”だとか、人間は追い詰められた時に信じられない力を発揮することがあると言うけれど、普段からそれくらいの力を引き出せた方がいいに決まっている。何かが起こってからじゃあ遅い。未然に回避できるなら、それに越したことはないし、もしそんな事態が起こってしまったとしても、普段からそれに備えて力を蓄えていたり腕を磨いたりしておけば、ひょっとするとそのお蔭で乗り切ることが出来るかもしれないのだから。

 

「もっと、もっと……」

 

強く握りしめた掌を見下ろして、反省点を思い浮かべながら決意を新たにするアルフレッド少年がそう呟いた、その時だった。

 

 

 

―――ちょっと、また火遊び!? いい加減にしなさいよ、アルっ!!

 

 

 

「えっ―――うわっ!?」

 

聞こえた声に背後を振り返ったと同時、まるで幾つもの(たらい)を引っ繰り返したような鉄砲水が襲い掛かってくるのが見えて―――いや、比喩じゃあないんだろうなぁ、と思ったと同時、一気に全身がずぶ濡れになってしまう。自分を『アル』というあだ名で呼ぶ人間はそれほど多くはないし、そもそもあまりに聞き慣れた声色からして瞬時に気付けない方がおかしいのだから。

 

「一体これで何回目っ!? 山火事にでもなっちゃったらどうするのよっ!? 兄さんにも迷惑がかかるのよっ!?」

「大丈夫だって言ってるだろ。何度も言うけれど、少し神経質すぎるんじゃないのか、リサ」

「アンタが大雑把すぎるのよっ!! やるならせめて、自分で消火できるくらいの”水”魔法が使えるようになってからにしなさいよねっ!!」

 

両方の拳を腰に当ててこっちを見ながら怒声を発する、自分より少し背の低い幼馴染を辟易した表情で見下ろしながら、アルフレッドは取り敢えず張り付いて気持ち悪い前髪を掻き上げた。

アイリス=ヴィクセン。親しい人から呼ばれるあだ名は”リサ”。自分と同じく孤児院で暮らす、同年代の女の子。ショートボブの髪は仄かに赤みの混じった金髪。こういうのをストロベリーブロンドというらしい。前にそう教えて貰ったことがある。瞳は蒼玉(サファイア)のような澄んだ青。そして側頭部には自分と同じように、獣人族の証である黄金色の体毛を纏った狐の耳が一組み(彼女の好物が油揚げなのは言うまでもない)。

そして、彼女は自分と同年代にして”水”魔法、中でも特に治癒の法術について優れた才能を開花させている。学業でも優秀な成績を収めているし、勉強嫌いで”器用貧乏”な自分とは偉く違うものだよなぁ、とつくづく思っている。

 

「あぁ、もう……まだ消えてないじゃない」

 

まるで子供が放っておいた花火の後始末を諌める母親のように、掌から再び細い水を生み出して、未だ燻っていた燃え滓にかける。じゅう、と最後の蒸発音を余韻に完全に鎮火されたのを確認すると、アイリスはアルフレッドにどこからともなく取り出したタオルを頭から被せた。

 

「ぶわっ。いいよ、自分で拭くってば」

「いいから動かない。急いで戻らなくちゃいけないんだから」

「? 何かあったのか?」

 

尋ねると、タオルの隙間から見えるアイリスは勿体ぶるような仕草をしつつも、喋りたくて堪らない、というか『待ってました』と言わんばかりの喜色満面な表情でこう言った。

 

「”兄さん”がね、久しぶりに帰って来てくれたのよっ」

 

 

旨いものを食べて不幸になったり、嫌な気持ちになる人間はそうはいない。そして、刃物を持つ手で本当に人を幸せに出来る職業は理容師と料理人くらいだとも思っている。料理は元々ブリジットの手伝いでしょっちゅうしていたし、趣味としてかなり好きな部類に入っていた。また、幼い頃から土や植物などの自然に触れるのが好きだったし、毎日のように森の中を縦横無尽に駆け回っていた。まぁその理由として、森の中は他に一目が滅多にないので”特異体質”を気にせずに自由に駆け巡れたことがかなり大きかったりするのだが。

一口大に切り揃えたゴロゴロの肉と野菜を次々に大鍋に放り込む。栄養も彩もバランスよく選りすぐったものをふんだんに使い、それらを弱火でじっくりとゆっくりと、芯に届くまで煮込んでいく。味付けは食塩、黒胡椒と、幾つかの香草(ハーブ)のみ。それだけで事足りる。

 

「……まぁまぁだな」

 

ほんの一掬いを小皿に移して数秒間、口内で転がしてから飲み込む。鼻孔をゆっくりと抜けていく柔らかな風味を確認して、ジムは小さくそう呟いた。

孤児院の調理場は殆ど彼の独壇場だったりする。無論、滅多に顔を出さないのだから”独壇場”という表記は正確には間違っているのだが、それでも一度彼が調理場に入ると誰もが一切邪魔をしようとせず、料理の完成を心待ちにする。別段、一流シェフ並の腕前だとか、そういう訳ではない。例えるなら、久々に実家に帰省した時、混じり気のない”お袋の味”が食べたくなるような感覚、とでも言えばいいのだろうか。全く手伝う気がないとか、そういうことではなく、下手に手伝ったりしてその味でなくなるのが嫌なのだ。事実、廊下一つを挟んで調理場の向かいにある食堂からは『今か今か』と個人の子供達が鈴なりに顔を覗かせているが、物静かに調理に耽っているジムの邪魔は決してしまいと、唇は真一文字に引き結んだまま、じっとその広い背中を見つめている。

そして、その食堂に遅れて現れる二つの影。

 

「―――本当に、兄ちゃんだ」

「ちょっと、待ちなさいってば……もう、兄さんが来たって解った途端に走り出すんだから」

 

生乾きの衣服を厭いもせず、裏手の森から全力疾走で駆け付けたアルフレッドと、それに何とか追い付いてきたアイリスであった。

 

「ん、出来たぞ」

 

わっ、と一斉に湧き上がる歓声と共に、子供達が大鍋を運んでくるジムに駆け寄る。

 

「きょうはなに~?」

「ポトフだ。焼いて来たパンと一緒に食え」

「おかわりある~?」

「あるぞ、沢山な」

「にんじんはいっないよね……?」

「入ってるぞ。好き嫌いせずに全部食べろ」

「ぼく、おいもさんたべれるよ~になったんだよ?」

「そうか、偉いな」

 

相変わらずの無表情のままだが、何処か柔らかな雰囲気で相手をしつつ、熱されている鍋に子供達の頭がぶつからないよう、高めに持ち上げていたのを食卓の上の鍋敷きにゆっくりと乗せる。その横には大きなバスケットの中に、未だ仄かに湯気を昇らせた、艶やかな狐色の焼き目をしたロールパンがこんもりと積み重なって小さな山を象っている。

 

「よし、一人ずつ自分の皿を持って来い。パンは一人一つずつだからな」

『は~い』

 

そう言われると子供達は自分の皿を手に、ジムの隣に行儀よく列を作る。孤児院では基本的に幼い子供を優先的に扱うという決まりがあるため、大抵その列は背の低い順になることが多い。その皿を順番に受け取ると、肉や野菜が均等に行き渡るようによそって返す。受け取った子供から順に自分の席に座り、全員が席に着くのをじっと待つ。まぁ、中には列に横入りしたり、待ち切れずにフライングしようとして周囲に窘められる子もちらほらと窺えたりするのだが。

そして、最後。現在最年長であるアルフレッドとアイリスが歩み寄ると、

 

「……よぅ。久しぶりだな、アル、リサ」

「兄ちゃん、いつ帰って来たんだよ?」

「ついさっきだ。今朝の収穫の裾分けに来た」

「なんだよ、言ってくれれば前みたいに収穫も手伝ったのに」

「今回は殆ど身内に配る分だけだからな、大した手間じゃあない。人手がいる時は、また頼むさ。近々、少し留守にするかもしれないしな」

「うっ、またですかぁ……兄さんがいないと”あのコたち”、少し怖いんですけど」

「まぁ、詳しい話はメシの後だ。今日はそれとは別件で、お前たちに頼みたいこともあるしな」

「それって、また”付き添い”か、兄ちゃん?」

「察しが早くて助かる。解りきっていることだが、俺の見てくれは客商売には向いていないんでな……」

 

それはそうだろうな、と思う。二人が初めて孤児院を訪れたのは約五年前。当時のジムは十五歳(推定)の時点で既に百八十を越えており、加えて数年前から酒を購入しても文句や注意一つされなかったという(国や町によって飲酒や喫煙を許される年齢はまちまちで、ここら一帯では基本的に十六歳とされている)。ただ、酒はさして好きでもないジムは滅多に買わないし、飲んでいるところを見たことは、付き合いの長い二人でも見たことがなかった。兎に角、出会った当時からいい意味でも悪い意味でも”大人びていた”ジムは、年齢相応の扱いを受けたことがほぼ皆無だったというし、正直な話、第一印象は何よりも”近寄り難い”であったのは無理もないと思う。

 

「取り敢えず、食おう。メシが冷める」

「ん、おっけ。たっぷり盛ってくれよ、兄ちゃん」

「私も、沢山お願いします」

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

ジムの職業は冒険者の他にも幾つか存在する。というのも、彼は急ぎの依頼のない時は身内や知り合いの仕事を手伝って回っていることが多く、その内容も多岐に亘っている。時には漁師として船に乗ったり川や海に潜ったり、時には炭鉱夫として洞窟や鍾乳洞を探索して採掘を行ったりと、人手が足りなかったり年配の者が多い職場に優先的に手を貸していたりしているものだから、それを一々彼の”職業”としていたなら、その呼称は両手の指では足りなくなってしまうのである。そして、そんな中で彼が唯一、趣味と実益を兼ねて自分から行っている”商売”がある。森の中に数か所点在する開けた土地を開墾して行っている”農業”である。

畑の面積は二、三(アール)程度のものが幾つかあり、育てる作物によって植える場所を変えたり交換したりを繰り返している。農薬の類はこの世界にはなく、従来の農家であれば案山子(かかし)や鳴子や鉄柵など仕掛けだったり、少々裕福だったりすると農奴を雇ったり見張り番として躾けられたり機能してくれる生物を飼ったりして害獣や害虫の被害を防止しようとする。当然、ジムの”農場”もその例に漏れないわけだが、彼の場合はちょいとばかし、その”規模”や”形態”が通常とは異なっていた。そしてその理由は、彼の”特異体質”に起因している。

既に御存知の通り、ジム=エルグランドの”特異体質”とは肉体の一部、あるいは全身を他の生物のそれへと変貌させられることが出来、そしてその副作用故か、彼は他の生物を意思の疎通が出来るのである。鳴き声を聞けばその内に籠められた感情や願望を読み取ることが出来るし、”言語”を紡がない植物や昆虫相手でも目視出来ていれば問題はない。そして、それを活かして彼は生物たちと等価交換(ギブアンドテイク)関係を結ぶことで、通常よりも安全且つ上質な作物を育てることを可能にしているのである。例えばそれらは、害獣や害虫を食料としていたり、それらの天敵だったり、排泄物が堆肥としての効能が大きかったりする生物を農場内やその周囲で飼育する方法であり、現代でも研究が進められている。そして、ジムが農場付近で飼育している生物というのが、

 

「……ねぇ、兄さん?」

「なんだ?」

「農場の周りの、あの大きな蜂とか蜘蛛(くも)とか蟷螂(かまきり)とかって、どうにかなりませんか?」

「何言ってんだよ、リサ。そのお蔭で害虫どころか害獣の一匹も寄り付かねぇし、今朝のパンに塗ってたシロップだって、アイツらの巣から分けて貰ったものなんだぞ……お前もさっきまで旨そうに食ってただろう」

「だとしても、あそこにいるのも殆どが”人食い種(マンイーター)”じゃない!? ギルドでも立派な討伐対象なんですよね!?」

 

宿蜂(コロニービー)。巨大な女王蜂の腹部は円錐状に膨らんでおり、下から覗き込むと所狭しと六角形の空洞が隙間なく規則的に並んだ”巣”となっている。内部では何百、何千もの蜂達が群生しており、基本的に穏やかな気性で滅多に他の生物を刺すことはないが、女王が危機を感じ取るとフェロモンによって全働き蜂が一斉に襲い掛かってくる。彼らの針から分泌される麻痺毒は全身に回ると身体の自由を奪うため、注意が必要。

雷蜘蛛(レイスパイダー)。落雷によって土蜘蛛(タランチュラ)が突然変異したとされている種で体内に発電器官を持っており、糸で絡め取ったり牙を突き立てた獲物に直接流し込んで麻痺させ、巣穴に持ち込んでじっくりと肉を溶かして食べるという。人間が両腕で抱えられてしまうほど大きく、気性も荒い。その為に蛇や兎どころか、時折人間や牛馬までもが標的になってしまうため、生息している地域に無闇に近づくのは愚行である。

甲蟷螂(シェルマンティス)。成人男性の身の丈ほどもある巨大な蟷螂で、鋭利な鉤爪で万物を両断するのみならず、その分厚い甲殻で優れた防御力まで持ち合わせている危険種。蟷螂の例に漏れず、雄よりも雌の方が甲殻も堅く厚く、身体も一回り以上は大きい。幼体は甲殻が形成されるまで母親の元を離れずに、小さな昆虫や小動物を相手に狩りの練習をする。雌の甲殻や鉤爪が優れているのはそれらの保護のため、と考えられている。

―――とまぁ、これらのような、本来であればいずれもランク”黄”以上が入念な装備を整え、且つ複数で対処にあたるのが通例とされている危険種が、彼の農場の周辺には数多く生息していたりするのである。それにも関わらず彼らは決して農場を荒らしたり踏み込んで来たりせず、むしろ害獣や害虫を農場から排したり遠ざけたりしているのである。それは他ならぬジム自身が大きな”要因(ファクター)”となっていた。

 

「何を情けないこと言ってんだよ? 大体、今までだって何度も手伝ったことあるけど、アイツらがこっちに襲い掛かって来たこと、一度だってあった?」

「いや、ないけど……」

「大体、危ないから退治するってんじゃあ、お前がが嫌いな連中と同じじゃね~かよ」

「う……でも、万が一がないとも、言いきれないじゃない」

「アイツらだって、兄ちゃんがいるお蔭で生き延びられてもいるんだぞ?……認めたくね~けど」

 

危険種の大半は当然、”危険”と評されるだけの”脅威”を持っているからこそ危険種たりえる。それは例えば鋭く尖った爪や牙であったり、堅く分厚い鱗や殻であったり、太く歪な角や尾であったり、薄く丈夫な針や翅であったりと、外見的な特徴に表れている種もいる。対して、体内の器官が灼熱の火炎や高圧の電流を生み出したり、致死性や神経系の猛毒を分泌したり、体液や消化液の組成が薬品と同等の働きをする種もいる。その利用価値は非常に高く、また、純粋に現存する個体数が少なかったり、体毛や角が衣服や装飾品として価値が高く、乱獲されてしまったがために希少種となってしまった個体も決して少なくない。先に挙げた三種の内、”宿蜂”は集める甘美な蜜が美食として知られていたり、”甲蟷螂”は鉤爪と甲殻が軽量且つ丈夫なため、優れた武器や防具の材料としてやはり大量に討伐され、一時期は絶滅の危機すら囁かれたこともあった。また”雷蜘蛛”も、虫類で体内に発電器官をもつ種は珍しく、腹部から紡がれる糸も貴重品であるため、生息地域が特定し辛いのも手伝って、彼らの素材は非常に高値で売買されている。

仕方のない時もあるだろう。生き延びるための自己防衛の結果だったり、身内を救うための資金繰りだったり、そもそもそれが生業なのかもしれない。だが、どのような事情だろうと、過剰な殺生は得てしてまともな結果に行き着かない。現在までに幾つもの種が絶滅に追い込まれ、今も瀕している種は大勢いる。”雷蜘蛛””甲蟷螂”は現在、その候補とされているし、”宿蜂”はそこまでではないものの、年々個体数の減少が確認されているという。

 

「それ以上に怖い”怪物”がいっから、アイツらがいるって解ってても誰も入って来れねんだよ、皆。だからアイツらも生きてられる。それが解ってっから、兄ちゃんを怒らせるようなことはしない。自分から人間たちのとこに近づくようなやつらじゃないし、そもそも”人食い種(マンイーター)”ったって、必ず人間を食べなきゃなんないわけじゃないんだし……」

 

諭すような説明ではあるが、アルの唇は終始尖りっぱなしだった。

 

「そう言ってやるな。それに、ただ危険だからってだけでもないだろう……生理的な嫌悪感は、我慢や努力でどうこう出来るものじゃあない。女ってのは大抵、虫を嫌がるもんだ。特にデカいやつや、生々しいやつは、な」

「そんなもんか。それにしても凄いね、コレ。兄ちゃんの防具って確かヒヒなんとか、って滅茶苦茶丈夫な石で出来てたよね?」

「あぁ。で、修理……というより、新調だな。その材料の調達のついでに、色々採って来いと、そういう”依頼”だ。一週間ほどかかるだろうから、その間の畑の世話を頼む」

「了解、僕は引き受けるよ。リサはどうする?なんなら僕一人でもいいけど」

「馬鹿言うんじゃないの。あんな広さの畑、兄さんだから一人で管理できてるんだから……やるわよ、アタシも」

「そうか、頼む」

「で、兄ちゃん。次は何処に付き添えばいいの?」

 

昼も間もない街中、木製の荷車を引くジムは、傍らを歩く二人と、そう話していた。荷車の上には幾つもの木箱と、そこに収められた今朝に収穫したばかりの瑞々しい野菜達。大人が両手で抱えるのがやっと、という大きさの木箱が十個ばかり乗せられた、明らかに一人では重過ぎるはずのそれを、ジムは何食わぬ顔で牽引している。そして木箱にはそれぞれ、何かしらの”名前”が黒い墨のような塗料で書き込まれていた。

ジムの農作物は一切人工的な手段を加えず、その土壌に合わせた作物を育て、用いる肥料も緑肥や堆肥であったり、土壌に生息している微生物の働きを利用して病気を予防したりと、一般に言う”有機栽培”で育てられている。収穫量はさしたるものではないのだが、その反面で常に高品質を保っており、普段は彼と付き合いのある”お得意先”にしか卸されないため、偶に一般の市場に出回ると文字通り”瞬殺”されるという。そして、ジムがそういった”一般の市場”でやりとりを行う際に仲介役としてアルとリサの二人を連れて行くことは、最早恒例となっていた。

以前は、ジムの人柄を知っている者が交渉役を担っていたのだが、寄る年波には勝てず数年前に退職したようで、余所から来た若手の新人がその後を継いだ。そして、その新人はものの見事に”赤い目の怪物”の噂に踊らされており、一度ジムを目の当たりにした際、それは見事な怯え振りを見せつけてくれたのである。以降、彼とは何度もやり取りを行っているが、無為に恐れられてしまって話が進行しないことが多々あった為、それを相談すると名乗り出てくれた二人の内のどちらか、あるいは両者に同行してもらう機会が多くなっている。

 

「……そろそろいい時間だな。後はお得意様だけだから急ぐ必要もないし、次の店でついでに昼飯にするか。今日の報酬代わりに驕ろう」

「マジ!? やりぃ、何頼んでもいいの!?」

「あぁ。好きにしろ」

「い、いいんですか、兄さん? お金の方は……」

「問題ない。お前ら二人が腹一杯食っても、十分釣りが来るぐらい持ってる」

「で、どこに行けばいいの?」

「あぁ、次は―――」

 

 

 

 

―――――”銀の月”の、グスタフさんのところだな。

 

 

 

 

後書きです、ハイ

 

ほぼ20000文字使って進行はこんだけだよ……牛歩にもほどがある。だから『盲目』『蒼穹』『Just』も文字数の割に進捗が遅いんだ(汗

なんかですねぇ、地の文を書き出すと時折、どうしようもなく止まらなくなる瞬間というものが私にはあるのですよ。次から次へと『こういう描写っておもろいなぁ』とか『こういう表現の方がしっくり来ないか?』とポンポン湧いてきて推敲が始まって書き直してはまた次に、と延々繰り返しまくって毎度駄文を認めておりますです、ハイ

これ以上書いても泥沼化しそうなので、書く予定で描き切れなかった部分は次回に持ち越します。それで別に問題はないので。

しかしまぁ、粗削りにもほどがあるよなぁ、我ながら(爆)。ゆっくり読み返したらまた書き直したくなるんだろうなぁ……

 

では、私の中のゴーストが囁く前に赤糸氏、続きを宜しくお願いします。

投げっぱなしでまことに申し訳ない@土下座の最上級『土下寝』(=”気を付け”の姿勢でうつぶせに寝る)


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