No.571120

司馬日記29

hujisaiさん

その後の、とある文官の日記です。

2013-04-29 15:14:28 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:12809   閲覧ユーザー数:8241

10月13日

後宮移転計画に伴い、一部の寵姫の方々の御意向で一刀様の御料衣が追加発注される事となった。

合同塾の男性用運動着、武道着、それと「背広」という御料衣だ。天の国では行政職員や塾の男性教師はこの背広という服を着るらしい。意匠図を見たが、多少地味ではあるが一刀様が着られたらさぞお似合いなことだろう。

 

10月15日

張任殿、太史慈殿、龐徳殿らが定時後に職場に来られたので会議室に通したところ、『一刀様に御寵愛を賜る事をお約束頂きました、御口添え有難う御座います』と言われた。おそらくはあの後、子孝様が御口利きして下さったのだろう。

それは喜ばしい事で、貴女達の日頃の心掛けと一刀様のお心の賜物であるので今後とも公私共に一刀様の御為に励んで頂きたいと答えたところ、『御伽をさせて頂くにあたって、何か出来る事や心掛けておくべきことは無いでしょうか』と問われた。

残念ながら私自身がこういった方面に明るくない事を自覚していた為、身近な方の御意見を伺ってみてはどうかと答えると、龐徳殿は

「翠に聞いてみたところ答え渋っておりましたが、事前の水分の過剰摂取を控え厠を済ませておくようにとの事でした。常識的過ぎて参考にならなかった為蒲公英にも初めての御伽の状況について聞いてみたところ、現在では斬首ものの行為であった為答えかねるとのことでやはり参考になりませんでした」と答え、太史慈殿は

「雪蓮にこういった事を聞く事を蓮華様に禁じられている為、経験豊富と思われた祭様に伺ったところ『いつも一刀の方から寄って来るので考えたことが無い』と仰り、その後一刀様が如何に祭様の乳や尻等が好みであるか、また幾度も幾度も祭様を抱かれるかを長々と語られましたが余り心がけとは関係の無いものでした」と語り、張任殿は

「御嬢様(劉璋殿)に伺う訳にはいかず、詠様に伺ったところ無言で口の端を吊り上げて生暖かく微笑まれた後、『…ま、考える必要はないわよ。それよか後遺症で色ボケする女の方が多いから、例えば誰とは言わないけど。ヤったらむしろ仕事は励んでよね』と言われました」

と語った。

 

よき友人というものは本当に必要だと思い知った。

常識程度には身を清めあとは一刀様にお任せすれば問題無いだろう、しかし次回以降は如何に一刀様に御満足頂くかを考えて頂きたいと伝え引き取ってもらった。

 

ところで馬岱殿は一刀様に一体何をしたのだろうか。

 

10月16日

張任殿が御嬢様の…と口にしていたのを聞いていた中で、『旦那様』という呼び方が妙に心に残った。そういえばいつだったか研修で一刀様が『旦那様と呼べ』と仰っていたのを思い出した。冷静になって反芻してみると非常に好ましい、胸にこう、こみあげるものがある単語だ。『御主人様』という言葉よりも愛が感じられる。

一刀様が、旦那様。

私の、旦那様。

…素晴らしい。

 

10月17日

数え役満☆姉妹から一刀様の地方巡幸日程について問い合わせがあった。

地方公演を巡幸の経路と日程にぶつけてその合間に一刀様との時間を持ちたいとの事だったが、既に三国で決裁済みとなっている一刀様の超過密日程を説明したところ、残念そうに引き上げてゆかれた。

 

10月19日

『青少年保護育成法』が制定され、三国会議で一刀様に署名頂く事となった。

一刀様は御署名された後に丁寧に条文を御確認され、最終条を読まれた後にこの施行令はどのようになっているかと国王の方々に質問されたが御三方とも目を逸らすばかりでお答えにならない。一刀様の重ねての御質問に曹操様が目を合わせないまま『施行令は一刀どころか私達の決裁事項ですらなくて事務方で決めるのよ。…大丈夫よ、いざって時も私達は許してあげる事にしたから、愛紗と春蘭と思春が何て言うかは知らないけどね。ま…うん、これも仕事だと思って割り切りなさいな』と仰り、皆様退席されていった。

 

10月20日

李典殿にて新後宮向けに開発されていた、片面からは鏡に見える硝子の試作品が完成した。建物は既に施工中であるし衣料品、備品類の調達の目処も既についている、これで建設に向けての未決事項はとりあえず無くなった。喜ばしいことだ。

 

10月22日

公達様が会議から戻られると「全員集まって、今すぐ!」と仰り、会議室に集合した。

何があったのかと伺うと交換留学の件だと言う、そういえば元直の提案で拡大されることとなっていたのを思い出した。

「重要なのは此処からよ。今回蜀からは例の近親☆上等姉妹を出したいらしいんだけど引き受け手がないんですって。でもあっちも相当参ってて向こう二ヶ月の御伽枠をある程度譲ってもいいから受けてくれないかって話が魏と呉に来てて、更に一刀様が蜀を見かねたらしくて受け手の部署と担当には『俺の出来る事はなんでもしてあげる』って仰ったのよ!受け手の御伽受け取り枠は部長が一日、指導担当が二日、部署のその他全員が半日っていうけどどうする?」

とのお言葉に、まず御嬢様が風紀及び士載の教育上宜しくないとし反対され、張郃と郭淮は公私共に刺激が欲しかったと言って賛成し、公達様は「あの娘達『こっち』の才能もあるから嫌いじゃないんだけど、何でもありみたいなところもあるからそこがちょっとね。でも一刀様と新後宮の特別プレイ満漢全席も魅力だし」と言われ、決めかねているとの事だ。

私は御嬢様と同じく風紀上宜しくないのではと申し上げようとしたところ、張郃と郭淮が

「仲達、あんたが受ければ二日間一刀様が好き放題、好きっ放題何でもしてくれるのよ?朝起こして一刀様がご飯食べてるとこずっと眺めてられて食器を洗ってると『仲達お姉ちゃん…俺…!』って後ろからウェヒヒな事になって、午後に遠駆けに出かけりゃ馬上でずっと後ろっから抱きしめられっぱなしでおっぱいモミモミしてもらってあの新築の山荘でくっふっふーよ?」

「ううん一刀様より気持ちだけは年下の仲達が、一刀先生に合同塾の準備室であんたに一番足りない性教育を実技で御指導頂いて、放課後は弓道部になって仲達の潤んだ図星に一刀様の連弩を乱れ射ちしてもらっていやんいやんあっはーんでしょ?」

と言われてから、御嬢様が張郃と郭淮にそれは無しです卑怯ですと叫ばれていたような気がするが記憶が定かでない。

結局受け入れに応募する事となったらしいが、他の部局でも応募はあるらしいのでどうなるかは判らないとのことだ。業務に差し障るような事にならなければ良いが。

 

それと何故か翌日、御嬢様が私を恨みがましげな目つきで見られ『……チョロ達。チョロチョロ過ぎですよこのチョロ子!』となじられた。

…以前は判らなかったがチョロ達とかチョロ子とはどうやら私の事であったようだ。罵倒されているという事は判るのだが、どういう方向なのかが判らないし教えて貰えないので日々の言動で気をつけるしかないだろう。

 

10月24日

退庁時間になって職場へ姜維と見知らぬ美人が士載を訪ねてきた、王都へ出張に来た蜀の鄧芝殿だという。士載曰く、この後鄧芝殿は『仕事』の予定であるがそれまでの間に後進に実技指導を行って頂き、また李典殿が開発された最新鋭設備がある部屋で鄧芝殿の『仕事』を見学するのだと言う。

また姜維は頬を染めながら「士季は私達よりもなにもかもずっと上手ですが、負けておれませんので」と言い、三人で何故か胡瓜を手にどこかへと出て行った。

 

料理の指導にしては食材が胡瓜しか持っておらず、公達様に一体何の御指導でしょうかと伺うと、「…あたしの場合は自分で首を振るんじゃなくて押さえつけてもらう方だから、あんまり関係ないのよね。あんたは…多分ぎこちなさが売りなんだろうからやっぱり関係ないんじゃない?」

と要を得ない事を言われて私が首をひねっていると、御嬢様が「…ある意味、前菜の調理方法?かしらね」と付け加えられた。

胡瓜だけの前菜とは珍しい。

 


 
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