No.570200

Cocktail Kingdom 三章

今生康宏さん

なんとも甘い回であると同時に、ほぼ唯一のバトルパートがあります。弓使い兼双剣使いって、相当に燃える取り合わせだと思うのですが、疑問には思うのはそもそも弓をメインに扱う騎士がいたのか?ということ
ゲームではよく見ますが、騎士と弓使いは分けられてたと思うんですよね……でも、某Wiiで出た最後の物語(notFF)の弓騎士さんが最高に格好良かったので、彼リスペクトでベルはデザインしてます。割と真剣に

2013-04-26 22:41:53 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:222   閲覧ユーザー数:220

三章 精霊と予言

 

 

 

「暑い……暑いぞ、ヨハン」

「そうですか」

「ああ、そうだとも。俺は寒さには耐えられるが、暑さは無理だ。……脱ぐ」

「ちなみに、何を脱がれるのでしょうか」

「いい加減、このマントは脱いでも良いだろう?」

「それでしたら、良いでしょう」

「……待て、何を想像していた?」

「いえ、何も。それでは、私はこの辺りで」

「ついでだからプリシラに来るように言っておいてくれ。例の港の件で、確認しておきたいことがある」

「畏まりました」

 季節は夏真っ盛り。玉座の間は安全性の確保のため、窓は天井近くに数箇所用意されているだけで、極端に風通しが悪い。高温高湿となるとその居心地の悪さは並大抵のものではなく、緋のマントを羽織りながら公務をしているのでは王もいずれ倒れてしまう。

 汗によって鉄の塊のような重さになったマントを脱ぎ捨て、長袖のシャツをまくると、ようやく少しは快適になったものの、暑さに弱いことを自称する王にとってはまだ拷問室とそう変わらない環境だ。

 こんな時に必要になるもの。それは涼しげな格好をした美女。具体的には宰相プリシラの存在である。

「王。おはようございます。今日も暑いですね」

「おはよう。……そうだ。少し暑過ぎる。確かにこの国は南の方には位置している。だが、ここまで暑いものか?俺が思うに、この暑さはもう少し南の地方並のものなのだが」

「それは、魔力的な事情が関係して来るお話ですね。魔術を扱うわたしにはよくわかるのですが、この土地はすごく火の魔力が強く、逆に水の魔力が少ないのですよ。ですから湧水は少なく、以前視察に行った時のように、荒野同然の地帯もあるのです。やはり、ここを守護するドラゴンが火の性を持っているためでしょう」

「そうか。確かに学問所で魔力が土地に与える影響については習っていたが、北はどの魔力の量も安定していて実質的に関係がなかったから、すっかり失念してしまっていた。この辺りより南の地域は、どこも特徴的な魔力を持っていると考えた方が良いんだったな」

「はい。ですから、南なのに寒冷な土地があったり、常に風が吹いていたり、闇に包まれているような所もあることでしょう。それ等の国を考えれば、ここはまだ住みやすいと言えますね。それに、火の魔力のお陰でわたしの魔術も思う存分振るうことが出来ます」

「……火の魔術、か」

 あらゆる種類の魔術に精通する世界有数の魔術師であるプリシラを見つめる王。その目はどこか虚ろで、いまいち活力を感じさせないものではあるが、あることに気付いて一気に活気付いた。そのあることとは――。

「どうされました?」

「確か火の魔術は熱を和らげることも出来るんだよな?」

「ええ、そうですよ。冷たくするのは水の魔術の領分ではありますが、熱は熱を以て制することも可能です」

「ならこの部屋も涼しく出来ないか?俺は見ての通りに汗びっしょりだが、お前は全然汗をかいてないよな。ずばり、魔術でズルをしていると見た」

「うっ、さ、さすが王、鋭いですね。確かに魔術の力を借りてはいますが、わたしは魔術師なのでズルではないでしょう。ズルでは」

「いーや、俺は密かにお前の服が汗で透けていることを期待していたんだが、お前はそんな俺の楽しみを奪った。これは許されざる反逆だ!」

「…………子どもですか」

「なに、むしろ大人の愉しみ方と言えよう」

「一気に魔術を使って差し上げる気が失せたので、書き損じた書類でもうちわ代わりにしてください」

 恐ろしい宣告を聞き、一瞬で背筋を伸ばして真面目ぶる王だが、それに対してプリシラはただ冷ややかな視線だけを寄越す。

「あっ、そういう目で見られるのも良いな……」

「真性の変態さんですか、もう。魔術は使って差し上げますけど、その分しっかりと働いてくださいね。そう長く続くものではないので、維持のためにわたしの仕事もここでしなければなりませんし」

「ああ、プリシーは優しいな。やっぱり、俺にはお前がいないと駄目だ。お前が宰相で良かったよ……」

 取って付けたように感謝する王に、少女宰相はジト目で応える。

「折角いい言葉なのですから、もっと重みを持たせて言ってくださいっ。――それで、王。港の件でしたよね」

「もう本題か。だが、そうだな。なるだけ早く話を進めたい。まず、港の規模だ。船が何隻ぐらい同時に停泊出来る程度の大きさにするかなんだがな」

「ふむ……とりあえずは三隻ほどを視野に入れ、拡張する余地を残すような形ではどうでしょうか?どの道、貿易は国力を増大させるのに必須ですので大きな港は必要ですが、残念ながら何十と船を迎え入れることの出来る港を作る力は、今はまだ我が国にはありませんから。まずは人と建築物資の受け入れのための港を作らなければなりません」

 一度仕事の話に入ると、二人とも真剣な表情に。ただし、地味に王の視線はちらちらと第二ボタンまで開かれた宰相の胸元に向けられている。いくら魔術の力があっても、少しぐらいは服装を崩さなければやっていられないようだ。

「その程度の規模でも、かなりの時間と金は必要になるな。だが、城の増築に躍起になる必要がなくなった今、十分それに割く人と金はある。その線で行くか。だが、それと平行して造船も必要になって来る。幸いにも、造船技術を持つ者も何人か来ているようだが」

「ですね。ただ、こちらの船はそれほど大きくはなくても、外国に新たな国が興り、その国は港や船を用意することが出来ていると宣伝することが出来れば、後は自国の船を用いなくても心配はないでしょう。そちらに膨大な資金を傾ける必要はありません」

「多少の物資の買い付けが出来る程度のもので良い、ということだな。その辺りもお前に任せて良いか?金の計算が苦手という訳じゃないが、お前に舵を取らせた方が上手くいきそうだ」

「はい、畏まりました。わたしにお任せください」

 仕事を押し付けられて嫌がるどころか、プリシラは嬉しそうに胸を張って快諾する。その時、ブラウスの襟元にちらりとだけ谷間と下着が見えたことを見逃す王ではなく、もう頭の中は仕事どころではなくなっていた。

「王?えっと、わたしからも一つ、以前お話のあった図書館についてのお話があります。南方から訪れた書籍商と上手く話をまとめることが出来、比較的安い値段で蔵書を買い付けることが可能になりました。その商人が主に取り扱うのは兵法書や哲学書の類といった、比較的効果ないわゆる貴重本であり、今のところは競合相手も……って、アル様?」

「お、おう。そうだな。それで良い。万事お前に任せる」

「…………見て、ましたね?」

「な、何をだ。俺は何も見てはいないぞ」

「本当ですか?」

「お、俺が嘘つく訳がないだろう」

 今度は王の方がじっとプリシラに見つめられる形になり、自然と彼の頬が紅潮して来る。なぜかプリシラ自身もそれに釣られて赤くなるが、少しすると疑いも晴れたのか、咳払いをして解放される。

「ところで王、薄ピンクの方が良かったですか?」

「いや、俺は水色の方が好きだぞ。暖色系の下着は、どうも貞操観念に乏しい女な気がして、俺は好きじゃないな」

「庭に植える花のことだったのですが……。有罪と判明。グーで殴ります」

「なっ、おまっ……い、いや、なんとなくそういう話をしたくなっただけなんだ。ほら、俺が下着とか胸の話をするのはいつものことだろ?」

「グーで殴ります」

「す、すまない。謝る。ちゃんと頭を下げるからっ」

「グーで殴ります」

「服でも本でも買ってやるから!」

「グーで殴ります」

「好きなものを食わせてやるから!!」

「……今回だけ、ですよ」

「こ、これだったか……」

 本当に王の顔を強打しようと持ち上げられていた拳が下ろされ、大きな溜め息がつかれる。

「では王、今晩は町にオープンした酒場でご飯にしましょう」

「酒場?またずいぶんと庶民的な所だな。まあ、まだそこまで飯屋が充実している訳じゃないが、もう少し高い店もあるんじゃないか」

「女の子一人では入りづらいので、よろしくお願いします。それから、無用な混乱を避けるため、わたしは変装して行きますから」

「なんだ、お前も堂々とすれば良いのに。俺は普通に王と明かして入るぞ?」

「王の人気と、わたしの人気では訳が違うのですっ。……男の人、苦手ですし」

 吐き捨てるように言うと、ぷいっ、と足早にプリシラは部屋を出て行く。

「ああ、そうか。女だとうるさいファンが付くものなんだろうな。だが、あの可愛さと胸だからな。しかも今なんかは誘っているとしか思えない格好だし、……おっと、思い出すだけで鼻血が。って、おいプリシラ!?魔術で涼しくしてくれるっていう件は――」

 

 当然のことのように約束は反故にされ、結局、陽が落ちるまで王は蒸し暑さと格闘することになってしまった。

「カミュさん。どうされたのですか?」

「え?あ、プ、プリシラ様っ」

 少女宰相がわざわざ酒場を食事に利用したのにはきちんとした訳があり、それは女性一人で入店したのでは決して注文出来ない、アヒルを丸々一匹焼くという、豪快極まりない異国の料理を食べるためだった。

 とはいえ、一匹を丸ごと食べられるかと言えばそうでもなく、ほとんど皮だけを食べることになった訳だが、それでもプリシラは大層満足そうな顔をしていた。無論、王は皮の一枚、肉の一片も与えられなかった。

 その帰り、自室に戻ろうとしていたプリシラは、自分の隣部屋のドアの前で佇む少年を見つけた。お馴染みの少年騎士だが、どうも様子がおかしい。妙に緊張している様子で、気分が悪いのか唇は真っ青だ。治癒の魔術をも操るプリシラとしては、病気や怪我であれば治療する義務があるため、決して見過ごすことは出来るはずもなく、貴重な自分より年下の騎士に声をかけることとなった。

「気分が悪いのですか?顔色が優れないようですが」

「いえ、そういうのではないんです。ただ、……いえ、ある意味で病気と言いますか」

 どうも歯切れの悪いカミュだが、ではやはり治療が必要かと、プリシラは手の中に温かな光を発生させる。灯りのための光などではなく、治癒の魔術による癒しの光だ。

「どちらが悪いのですか?」

「え、えっと、胸、と言いますか。――あのっ、すみません、治療は必要ありませんので!」

 一方的に言うと、少年は夜分にも関わらず鎧の音を響かせて走り去ってしまう。手のひらの上でしばらく魔術光を遊ばせ、呆気にとられていた宰相だが、ついさっきまでカミュが前に立っていたドアが誰の部屋であるかを理解すると、なんとなく察してしまった。

「カミュさんって、年上好みなんだ……。けど、そんな感じだよね。色々と」

 あのあどけなさの残る騎士と、大人の余裕を常に見せ付けている女性騎士では、確か年齢は十離れていたはずだ。だが、それぐらいの差であればそう珍しいカップルではないし、家柄も決して釣り合わないという訳ではない――王は過去の家柄には囚われないことにすると言っていたが。

「……わたしも、がんばらないと」

 ――何に対して?

 プリシラは王のことを慕っている。それは間違いない。好きか嫌いかと問われれば、間違いなく大好きであると断言することが出来る。だが、少女は王のことを男性としてではなく、年上のお兄さんとして慕っており、王もまた年下の妹としてプリシラのことを愛している。王は度々プリシラの体をいやらしい目で見ているが、見た目を「女」として意識することと、プリシラ自身のことを女性として認識することは似ているようで違う。

 となると、他人にはどう見えているかは別にして、現状はプリシラが男性として意識し、恋焦がれている男性はいないことになる。特に想い人も見当たらないのに、何を頑張ると言うのだろうか。

 自分で言ったことなのにも関わらずおかしくて、少女宰相は自嘲気味に笑った。

 だが、一瞬後にはもうそんな笑みも消し、自分の部屋へと入ってしまう。あの少年が恋しく思う女性の部屋とは違い、本に埋もれた色彩に乏しい部屋だ。唯一の“色”は革張りの本の背表紙に付いた赤や紺色ばかり。部屋を包む匂いも、あまり女性的とは呼べない紙やインクの匂いばかりだ。

 しかし、今はこれで良い。まだまだこの国は不安定であり、その礎となれるのは自分だけ。王と共に「理想」を「現実」に変えることが出来れば、それだけで自分の人生は満たされるのだ。そう心の中で唱え、いつもよりかなり早くプリシラはベッドに体を埋めた。そして、あまりに勢いよく飛び込んでしまったため、小さく夕食のアヒルの匂いがする息が出て、恥ずかしくて真っ赤になったのだった。

 

 

 

「よし、これで本決まりだな」

「はい。そうしましょう」

 王と宰相の二人は、再び海岸線に出ていた。今度は数名の職人達も伴っており、いよいよ港の建造計画が動き出そうとしている。今日はその最後の打ち合わせだ。

「じゃあ、ぼちぼち帰るか」

「今日はまだ少しお仕事があるので、早く帰りましょうよ。……今日出来ることを明日に伸ばそうとする王は、良い王とは言えないですよね?」

「うっ……。お前、最近俺の扱い方が上手くなって来た気がするな」

「ええ。毎日お会いして、共に公務を進めているのですから、嫌でも身についてしまうものです。わたしに口出しされるのがお嫌でしたら、もっとしゃんとしてください」

「お前は母親かよ……。けどな、プリシー。俺も一つ、お前と一緒にいてわかったことがあるぞ」

「なんですか?」

 なぜか胸を張る王に、思わず興味を抱いてしまうプリシラ。王がこういう表情をしている時は、大抵ロクでもないことを言い出すのだが、宰相であると同時に学者、そして十八歳の少女である彼女は、溢れる知的好奇心を制御することが出来ない。

「お前、なにかと腕を組みたがるが、それと同じぐらいの頻度で髪をいじるよな。しかも、右手の人差し指と親指を使い、髪をくるくると巻きたがる。俺が推測するに、怒っている時や考えごとをしている時にすることもあるが、一番多いのは嬉しいことがある時だ」

「えっ?そ、そんなのしてませんよ……あっ」

 無意識の内に髪へと伸びた手に気付き、なぜか悔しくなってしまう。

「ほらな。結構、手遊びが好きだよな、プリシラって。確か、学問所にいた頃もペンを回したり、本のページの角を指でいじったりしてたし」

「な、なんでそんなのをいちいち見ているんですかっ。変態ちっくです!」

「ああ。俺はプリシーのことが大好きな変態だからな」

「だいすっ……!ふぇっ」

 いつもの赤面に加え、今度はなぜかくしゃみが重なり、なんとも情けない姿を王に晒す破目となってしまう。

「ははっ。潮風がちょっと寒いか?なら、体が冷える前に帰らないとな」

「うぅ、なんでわたしはいつもこう、王のペースに引き込まれてしまうのでしょうか……」

「それはお前、年の功ってやつだ。なんだかんだで俺の方が年上なんだし、色々なことを経験してるからな。俺を出し抜こうったって、そう簡単にはいかないぜ」

 得意げにわははと笑う王は颯爽と白馬に跨り、手綱を握った。その姿だけを見れば、爽やかな白馬の王子様、なんて呼び方がぴったりと似合うだろう。それに事実としてこのアルフォレイオス王は、自身の欲望を包み隠さず口に出す点を除けば、既に名君としての資質を周囲に見せ付けている。

 まだ一年も政治をしていないのに、国民から全幅の信頼を寄せられる時点でそのカリスマ性は明らかだし、その信頼と期待を裏切らない成果を出し続けることが出来ている。

 つまり、政治体制をより強固にする在野の有識者の登用、実行段階には至っていないが、国民の学習を支援する制度の宣言、そして今回の港のようなインフラ整備。どれも当たり前のようなことだが、一度更地に還ったこの地と、そこに住むことを決めた民にとっては輝かしい希望たり得る重要な事柄ばかりだ。

「王は……たまに格好良いから、ずるいです」

「おいおい、たまじゃないだろ。いつも俺は格好良いぜ」

「それを自分で言っちゃう辺り、やっぱり王は三枚目だと思います……。二枚目半でも良いですけど」

「お、否定はしないんだな」

「え、ええ……。まあ、顔は普通に二枚目ですし、振る舞い方も紳士的だとは思います。……えっちなことを言うこと以外」

「下ネタは大事だろう。いわゆるアレだ、ウィットに飛んだジョーク」

「場を和ませるジョークに下ネタは必要ありません。どれだけユーモアがあっても、下な時点でブラックユーモアですよ」

「そうか?」

「そうです」

「お前の体の方がブラックユーモア、歩くエロスだと思うが」

「グーでボコボコにしますよ!?」

「ご、ごめんって!なんか前より進化してるしっ」

 拳を掲げるどころか、手綱から手を離してファイティングポーズを取るプリシラに、さすがに王も頭を下げる。本当に殴られそうのも恐ろしいが、それ以上になんだかんだで乗馬に慣れない彼女が落馬してしまうことの方が恐ろしい。

「しかしなぁ、おっぱ……じゃなくて、プリシー。すまない、お前の胸のことばっかり考えてた」

「反省の色、一切なしですよね!?殴って良いんですよねっ」

「いや、だからすまない。俺はそろそろ、お前の胸を触ったりしておくべき頃合だと思う訳だ」

「どこをどう考えればそうなるのですか。王でなければ暴言と判断し、燃やしているところですよ」

「まあ待て。俺はな、今更するのも変な話だが、お前の体の中では抜群に胸が好きなんだ。もちろん、その可愛らしい顔も、結構むっちりとした足も、撫で回したいお尻も大好きだが――」

「頭を冷やしてください!」

 王の顔に向け、容赦なく水の塊が飛来、爆散する。低級の水の魔術であり、小さな水の爆弾を破裂させるものなのだが、プリシラほどの魔術師が使えば王の全身をびしょ塗れにしてしまい、いくら夏場とは言っても風邪をひいてしまいかねないほどだ。

「……深く深く反省しました。風邪をひきたくないので、乾かしてください、愛しの宰相様」

「今回だけですよ。次は半日風邪で苦しんでもらった後、治癒魔術で治してさしあげて、半日で一日分の公務をしていただく罰を与えます」

「わ、わかった。……確実に魔術の悪用だよな、これ」

「なにか言いまして?」

「お前の魔術の才能はすごいな、って言ったんだよ」

 今度は火の魔術により、王の衣服や髪から滴り落ちる水滴がどんどん乾かされていく。何気ない二種類の魔術の連続使用だが、世の中にはプリシラが息をするように出来てしまうこんなことが、一生をかけても出来ない魔術師の方が多い。

 それだけ、複数の属性の魔術を操るのは容易ならざることであり、それを十八歳の若さで出来てしまう彼女は特別な存在なのだ。

 そして、そんな豊かな才能を持った魔術師は、自然と不思議を引き寄せてしまうようで――。

「ん、野ウサギか?」

「あちらから寄って来るなんて、珍しいですね」

 普通、馬のように自分より大きく、高速で移動する動物に野生の動物が近寄ってくるようなことはない。あるとすれば食料を運搬している場合ぐらいだろうが、二人は既に昼食も食べ終えているし、遠くから確実にこちらを目指して走って来たのはオオカミのように獰猛な獣ではなく、赤毛の小さなウサギのように見える。

「一応言うが、プリシラ。城でペットは飼えないぞ」

「え、ええ……。ですけど、こうして向こうからやって来てくれたのも何かの縁ですし、ね?」

「ね?じゃない。可愛く首をかしげて騙そうと思うなよ」

 いつもはプリシラの方が王の勝手な行動をセーブしようとしているのに、今回はまるで立場が反対だ。しかし、そんな王の制止も聞かずにウサギを抱き上げようとするプリシラだが、どうもその姿が一般的なウサギのそれとは違っているらしいことに気付き、その手を引っ込める。

「……ペンダント?いえ、これは、宝石が首に埋め込まれている?」

 やって来たウサギの姿は、耳の先から足先まで、どう見ても野生のウサギのそれだ。だが、ある一点。首の回りの毛が赤く、まるで血に汚れたように染まっている。そして、その中心には赤い宝石――ガーネットが完全に埋め込まれていた。まるで、それが体の一部とでも言わんばかりに。

「なんだ、魔物の類か?」

 茶化すように恐ろしい生き物の名前を出す王に対し、目の前の生き物を観察する宰相の瞳には一切の余裕がない。やがて、王の言葉を肯定するために頷いた。

「学者はこの手の生き物を、魔物とは区別し、精霊という名で呼んでいます。ですが、これは普通の野生動物ではなく、ドラゴンに似た魔的な存在に間違いはありません。ガーネットの宝玉を持つこの精霊の名前は確か――カーバンクル」

「お、おい。本当なのか?」

「別にこの生き物は、特に人に害を為すものではありません。ですが、いくら彼もまた火の精霊だからといって、このような土地にいるだなんて。カーバンクルがかつて人の手の入っていた土地に生息するのは極めてまれなことであり、きちんとこのことをまとめて発表すれば、世界を震撼させるほどの大発見です。――ああ、すごく生体実験とか、解剖とかしてみたい……」

『ちょ、ちょっとちょっと!いくらお姉さんがやってくれるからって、そういうのは勘弁だよ!』

「しゃ、喋った!?」

「あれ?王はご存知ではありませんでしたか。長く生きているドラゴンは今の時代の言葉を喋りませんが、比較的寿命の短い精霊は普通に現代語が話せるのですよ」

「い、いや、そんなどう見てもウサギな生き物が、人語を話すことは驚くべきことじゃないのか!?」

「いいえ。普通のことです」

 王は決して魔術に関して明るくないという訳ではない。だが、精霊という存在については魔術の専門家ぐらいしか知らないことであり、ましてやそれが人語を解すという情報を持っているはずがない。更に付け加えるならば、精霊カーバンクルが出した声はやや高めの人間の少年の声そのもの。動物の泣き声がなんとなく人語に聞こえる、というレベルのものではない。

「むむ、わたしはあなたのことをいっぱい研究してみたいのですが、ダメですか?」

『ダメだよ!精霊にも生きる権利はあるはずだもん!』

「難しい言葉を知っていますね。そういうところを見るに、あなたは結構長い期間を生きてますよね。では、そろそろ一度、あちら側の世界を見てみるというのも……」

『一度経験したら、それきりだよ!それに、精霊は一度死んだら自然界に還り、また新たな精霊として生まれ変わるだけ。それぐらい、お姉ちゃん知ってるでしょ?』

「えへへ。バレちゃいましたか」

「……お前、小動物と接する時はキャラ変わるんだな」

「そ、そんなことはっ」

「いや、滅茶苦茶そうだ」

 だらしなく頬の筋肉を緩め、声を高く――恐らくは彼女本来の音域――して話すプリシラを見て、呆れたように王が感想を漏らす。その姿は、王のことを“アル様”と古い愛称で呼ぶ時の彼女とそっくりで、王にしてみれば動物と同じ扱いをされていて、喜べば良いのかむっとすれば良いのか微妙だが。

「こ、こほん。それでカーバンクルさん。あなたはどうしてわざわざ自分から近寄って来てくださったのですか?普通、精霊が人間や他の生物と関わりを持つことはないと思うのですが」

『それはねー……お姉ちゃんがあんまりにおっぱいだったから!』

「は、はい!?」

「ほほう。お前とは気が合いそうだな」

『じゃあ、お兄さんも?』

「おうともさ!プリシラを宰相にしている理由の五割はそのスタイルだからな」

「衝撃の事実を激白しつつ、意気投合しないでください!……カーバンクルさん。あんまりふざけたことを言っていますと、水の魔術で存在を完全に消し去りますよ?」

 緩みきった表情から一転、無表情になって青い魔術光を手に宿らせる少女宰相。その目はどんな氷ようにも冷え切っており、ただの冗談だとは思えない恐ろしさがある。

『そ、それは嘘……でもないけど、冗談だよ。そうじゃなくて、ボクは知ってたんだ。金色の髪のお兄さんと、赤い髪のあなたがこの国を動かしている人って。だから、大変なことを伝えに来たんだよ』

「大変なこと、ですか。わざわざ精霊が人と関わって教えなければならないほどに?」

『うん。それに、この国の王様……つまりお兄さんはドラゴンと契約しているんだし、何もこれは不思議なことじゃないよ。ドラゴンと精霊はほとんど同一の存在なんだから、精霊もドラゴンがきちんと敬われているからにはその国に協力するんだ』

「そ、そうなのですか。……わたしはそんなこと、一言も聞いてませんけど。毎日ドラゴンに会っているのに」

「おいエロウサギ、嘘じゃないだろうな?俺はともかく、プリシラを謀ったら市内を馬車で引きずり回すぞ」

 王もプリシラも元来は疑り深い性分ではない。むしろ限りなく純粋な方だ。だが、だからこそ見ず知らずの相手は疑ってかかるように努力している。ましてや相手は精霊。しかもこの土地には珍しいものであり、他国の者がなんらかの方法で精霊を使役、嘘の情報を流そうとしているような可能性も考えずにいる訳にはいかない。

 むんず、とカーバンクルの首を持ち上げ、凄んでみせる王だが。

『ひ、ひー。ご勘弁をー。ボクは近い未来を見ることが出来る力があって、“それ”が今日になってわかったから、急いで伝えに来たんだよっ。準備は早い方が良いもん。もし心配なら、明日多分、ドラゴンがちゃんと言ってくれると思うからっ』

「…………王、彼を下ろしてあげてください。もしも嘘をついているようなら、わたしが責任を持って解剖して剥製にしますから。――それなら、早く教えてください。あなたがわたしみたいな研究者に捕まるリスクを冒してまで与えようとしてくれた情報を」

「仕方ないな。おいウサギ、プリシラにセクハラする権利があるのは俺だけだからな。下手なことをしてみろ、わかるな?」

「王にもありませんからっ」

 無造作に精霊を解放して地面に落としてやると、彼(?)はネコがそうするように空中で受け身を取り、プリシラの乗る馬の背中にまで身軽に這い上がってくる。

『ふぅ……。えっとね、今からボクが言うことは、簡単には信じられないかもしれない。けど、ボクのような矮小な精霊は長く生きられず、力も弱い代わりに魔術的な力には優れているんだ。つまり、ボクなら予見の力はきっとどんな生き物にも負けない。……それを念頭に置いて、聞いて欲しいんだ』

「わたしは、精霊のことにも一定の知識は持っているつもりです。あなたに悪意がなく、わたし達の力になってくれるために予言をしてくれるのであれば、それを信じましょう。さあ、心配しないでどうぞ」

『よかった。あなたが理解ある人で。――一口に言うならば、この国はまもなく他国の侵略を受けるんだ。それは、東の国。人と亜人という二つの種族が入り混じって暮らす、あなた達からすれば“異種族”の国だよ』

「東国……?今のところ、外交上のトラブルはないぞ。もちろん、まだ我が国は本格的に外交をするような余裕がないんだが、陸路で繋がっているだけあって多少の貿易や、移民の許可はしている。……来ているのは人間ばかりだが、向こうの亜人の王とも比較的関係は良好で……」

「王。もう少しお話を聞きましょう。カーバンクルさん、理由まで見えているんですよね?」

『うん。どうやら、国家を挙げたものではないらしいんだ。ただ、前の王国は亜人蔑視が酷かったようで、差別されていた亜人族達が部隊を組んで攻めてこようとしている。国の正式な軍隊より、兵力はずっと劣るけど……」

「亜人は一般に人より身体能力で優れます。そして、いくら相手の兵力が少ないと言っても、我が国の軍はたった半年で出来上がった寄せ集めの域を出てはいない。ぶつかり合えば、どちらが折れるかは歴然という訳ですね」

 そもそも亜人とは、人と動物の中間のような外見を持った種族のことだ。とはいえ、人間と動物のハーフという訳ではなく、初めからそのような生き物として存在する種族であり、動物の進化の一つの形なのでは、と言う研究者も多い。しかし古くから存在し続けており、古代から人間とは対立と融和を繰り返し続けて、現在は地方によってその関係はまちまちという形に落ち着いている。

 亜人だけの国家が多くある一方、人間と亜人が共生する国もそれなりの数はあり、この国の東にある国もまたその内の一つだ。ウルフレッドという狼のような外見を持つ亜人の王が統治しており、それと並び立つように人間の王がいてその名前はイーノス。国民の亜人と人間の比率は四対六程度ではあるが、軍人は亜人の方が多い。運動神経や腕力の強い者が多いためだ。

 カーバンクルの予言では、どの程度の軍人が攻め込んでくるのかは正確にわからない。が、たとえ全軍の二割か三割程度の勢力であったとしても、傭兵や猟師上がりの兵を多く抱える自軍には脅威たり得る。

「それで、結果はどうなる。そこは見えないのか?」

『ううん……。城下町は制圧され、王や宰相は生き永らえているけど、騎士を含めて兵達は……』

「全滅ですか。妥当な結果ですね。むしろ、あなたの見た未来でどうわたし達が生き残ったのかが気になるくらいです。降伏が受理されたのか、どうにかして逃げ延びたのか」

「だが、こうして前もって情報を得ることが出来れば、それに備えることも可能だ。だが、それだけでなんとかなりそうな問題か?」

『ボクにはなんとも。ただ、これはあなた達の国ではなく、前の王国がしたことが原因になって起ころうとしていること。ドラゴンに話せば、きっと力を貸してくれるとは思う』

「ですが、力でねじ伏せてしまえば、その時点で東国との関係は完全に断たれます。今回の件は逆恨みとも言えること、交渉の余地は残されているはずです。それぐらいのことは、あなたが見た未来のわたしも考えそうなことですが」

『その結果は……』

「言わなくてもわかります。芳しくなかったんですよね。ですが、それはあくまで土壇場での場合。あらかじめ知っていれば、もう少し丁寧な交渉も出来るはずです。その戦いが起きる時期はわかりますか?」

『……季節は、木の葉の色が変わり、落ちる秋。ごめんなさい、そんなに遠い未来までは見ることが出来ないんだ』

 ウサギの外見をした精霊に、表情というものとは乏しい。だが、明らかにカーバンクルは申し訳なさそうに目を細め、詫びるようにしていた。

「なに、あれこれ考えるのは、俺とプリシラの役目だ。お前みたいなウサギはニンジンでも喰らっていれば良い。そうだよな?」

「はい。どうもありがとうございます、カーバンクルさん。一応、明日の朝にはドラゴンにきちんと話を聞きますので、もしも嘘でしたら解剖の後、ウサギ鍋ですよ」

『……め、目が、笑ってないんだけど』

「ええ。わたし、嘘は滅多なことではつきませんから」

 ぞっとするような満面の笑いを浮かべる宰相を見た一人と一匹は、引きつった苦笑をすることしか出来なかった。

「俺としても、戦いは双方の被害を考えると出来るならば避けたい。だが、それでも最後は戦争となってしまうかもしれない。俺はこの国を。この国の民を守りたいからだ。……それはきっと、軍の誰もが持っている気持ちだと思う。だから、俺はあえてお前達にこのことを伝える――命令を、する。戦の準備だ。今度の相手は、間違いなく兵の練度でも統率力でも、士気でさえも、こちらが負けているはずだ。だが、お前達にはどうか全力で戦い、勝ちを収めてもらいたい。国のために」

 城に帰ってすぐに王は四人の騎士を集め、そう遠くはない未来の予言について語り聞かせた。そして、最後に一つの命令を下す。

「御意に」

「畏まりました。このベルにお任せくださいませ」

「親父を酷使するのは大概にしてもらいたいもんだが……ま、王の命令とあっちゃあ、断れんわな。その命に従います」

「……僕にも、出来ることがあるのであれば。僕は戦い続けます」

 筆頭騎士ヨハン、紅一点のベルトラン、本人が自称する通りに壮年の騎士であるテオドール、未来ある若者であるカミュがそれぞれの言葉と共に、その場に跪いて胸に手を当てる。それから、自身の得物を引き抜いて王へと掲げた。

「ありがとう。俺とプリシラは、これから衝突を避けるための交渉を進めたいと思う。もしかするとそのため、様々な公務を投げ出してしまうことにもなるかもしれない。ヨハン、ベル、良いか?」

「国の存続は最も優先すべきこと。民なくして国は成り立ちません。ご英断かと」

「権限さえいただければ、このベルがいくらかのお仕事は肩代わりさせていただきますわ。あなた様を支えるのがベルの存在理由ですもの」

「そうか。お前達がそう言ってくれると、これ以上がないほど頼もしい。……だがベル、お前はこれから忙しくなるし、公務までやってもらうのは……」

 当たり前のことのように献身的な申し出をするベルトランを気遣おうとする王だが、彼女は立ち上がるとぴん、と人差し指を立てて王の唇まで持っていく。

「戦争の気運が高まると、国民の内には不安が高まることでしょう。その不安を和らげて差し上げることぐらい、ベルにも出来ますわ。それに、このベルが今更戦争に備え、特別にするべきことがあるとでも?」

「い、いや。お前が日々鍛錬を怠っていないのは知ってるけどな。だがやはり、戦争が起こるかもしれない時に心身共に疲れる公務を任せるのは……」

「ほらベル、王がこうまで言ってるんだから、お前はすっこんどけ。それに、お前のことは俺がみっちりしごいてやるぜ。王達の仕事を取ろうとする余裕も生まれないほどにな」

「テオドール様?お言葉ですがこのベル、日々的を射ること百回はくだらないのですよ。その狙いも中心から外れたことはありませんし、射撃の腕は衰えておりません」

「じゃあ、剣の方はどうだ?お前、まさか本気でやり合おうって時に、後方で弓だけ構えて戦ってれば良いなんて考えてないだろうなぁ?」

「け、剣ですか」

 後ろからテオドールに声をかけられ、いくらかベルトランの表情と声が硬いものになる。常に飄々としており、王にもヨハンにも全く物怖じしない彼女だが、この中年騎士を相手にするともなればそれは別だった。

 ベルトランは彼が今よりも若い頃の活躍を知っており、今も尚かつての獅子奮迅としか表現しようのない戦いぶりには畏怖と畏敬の念を覚えている。数少ない彼女の天敵、という訳だ。

「そうだ。俺はここに城を構えて以来、お前が剣を腰に佩いているのを見た覚えがないんだが、背中に背負う長剣に持ち替えたのか?それとも、短剣でも袖に隠しているのか」

「え、ええ……確かに、この半年、まともに剣を振るったことはありませんが」

「それみたことか!お前はちょっとばっかり弓が得意だからって、騎士の基本の剣を疎かにしがちだから、ヨハンに追い付けないんだ。この俺が保証するが、お前は才能だけならヨハンのがきんちょなんかよりずっと上なんだぞ?それなのに淑女的にだとか、努力はしない主義だとかなんとか言いやがって。騎士舐めんな、騎士をー!!」

「だーっ!テオドール様、耳元でうるさいですわ。ベルの繊細な耳が馬鹿に……」

「はっ、その馬鹿脳味噌に直接語りかけてるんだから、うるさくて当たり前だバーカ。とことんしごいてやるから、覚悟していやがれこのバカ」

「う、うー……」

 まるで少年に戻ったかのような言葉遣いと剣幕で怒鳴り散らすテオドールと、親に叱り付けられる子どものようなベルトランに一同は唖然としながらも、王は気持ちを切り替えて二人を無視、話を締めくくりにかかる。

「テ、テオドールも色々と言っているようだが、軍事演習や模擬戦をして、今一度軍備のや戦略の確認をしてもらいたい。ヨハン、それで良いか?」

「はっ。ただ、テオドール様も珍しくやる気を出されているようですし、私ではなくそちらの主導で進めさせてもらっても?」

「構わない。むしろ、動く気の奴はとことん使ってやるつもりでやって欲しい。じゃあ、夕食も近いこんな時間に集まってもらって悪かったな。せめて今日はしっかりと食事をして、よく体を休めてくれ。――プリシラ、お前も今日はこれぐらいで良い。なんなら、一緒に食事でも行くか?」

「え、ええ、良いのですか?」

「今晩も奢ってやるよ。肉でもなんでもな」

「その言葉、撤回は許しませんよ?」

 真剣な顔をして言う彼女を見た王は、ある意味でプリシラは、ベルトラン以上に我が道を行く人間なのではないか、と思ったのだった。

 

「で、ではせめて、プリシーちゃんに見学に来てもらうというのはどうでしょう!可愛い女の子がいれば、このベルもやる気が……」

「甘えるな!一応言い聞かせておくが、お前は貴族の令嬢だが、それ以前に騎士だ。騎士にわがままが許されるとでも思うのか?」

「に、人間であるからには自由意思が尊重され……」

「騎士は正義に殉死して、騎士道の全うのためには己の意思なんか殺せ!」

「ひー……。だ、団長?」

「それでは、私はこれで」

「ぼ、僕も……」

「この薄情者ー!ベルがどうなっても良いと言いますの!?」

「君はそろそろ、緩んだ気持ちを引き締めるべきだろう。これは良い機会だ。テオドール様という最高の師に鍛えてもらえるのだからな」

「そ、そんな!――し、死ぬ……。死んでしまいますわ……」

「俺のしごきで死ぬぐらいなら、騎士をやる資格はない!野垂れ死にやがれっ」

 

 その後は兵舎の練習場に場所を替え、いつまでもベルの悲鳴とテオドールの怒声は響き続き、消える頃には完全に夜の帳が落ちて来ていた。

「……ベル。お前、痩せたな」

 一週間の後、一度王が東国を訪れることが決まり、それと同時に大規模な模擬戦、および軍事演習が開かれることが決定された。もちろん、王の護衛にいくらか兵は動向するが、馬で一日も飛ばせば辿り着ける距離。もし襲われたとしても、すぐに自国に逃げ延びることは可能なため、大層な部隊を引き連れる必要はない。では、そのついでに残りの軍の者はいずれ来るかもしれない戦いに備え、緊張感を高めておくべきだろう、という計画だ。

 そして、公務と交渉の準備で忙しかった王が久し振りに出会った騎士ベルトランは、主に頬がやつれ、輝かんばかりの美貌にも翳りが見えていた。

「減量になったのは結果オーライですが、胸まで減ってしまってショックですわ……。胸の大きさは包容力の象徴と言いますのに」

「まあ、そうだな。俺としても巨乳の女が一人減るのはかなり困る話だ。最近はプリシラとも別行動が多いし、今度の訪問だってプリシラは城に残るんだ。寂し過ぎてどうにかなりそうだぞ」

「お互い、苦労が絶えませんわね……。それで、王様。唐突な話ですが、テオドール様にはよくあることなのでお許しください。今日の午後は珍しく、お二人ともお暇でしたよね」

「ん、そうだったな。まさか、俺の休みを邪魔するだなんて言い出さないよな?俺も確かに戦場には出るかもしれないが、正直連日の公務で主に精神的な疲労がな……」

「いえいえ、その辺りはご心配なく。ただ、急に王の前で模擬戦をするだなんて言い出しまして。いわゆる御前試合ですわね。構いませんか?」

「それぐらいなら良いぞ。それで、誰が戦うんだ?兵士達がどれだけ訓練されたのか、その成果も観たいが、たまにお前達騎士が戦う姿も観てみたくはあるが」

「はぁ……それが」

 溜め息をつき、実に嫌そうな顔をして発表をする。この国において、これ以上がないほど豪華な対戦のカードを。

「ベルと、団長ですわ」

「……マジか」

「ええ。寸止め試合。それゆえに弓の使用は禁止。あの団長と、剣のみで戦えと仰られるのです」

「あんまり聞きたくないが、勝算は?」

「もしあるのであれば、このベルがこれだけ暗い表情で話しましたでしょうか」

「……だよな。それが当然だ」

 筆頭騎士にして騎士団長のヨハン・エルンスト。その実力は、過言ではなく世界に轟くほどのものだ。三十代の若さで長剣を用いた決闘では無敗。軍団戦においても指揮能力と個人能力の双方で群を抜く強さ。強いと言うよりは敵がなく、彼が一人いるだけで軍団に一万の兵が加入したものと判断して良い、とまで謳われる。

 その相手に、最も得意とする剣で。一体一で。しかも剣をそれほど得意とはしないベルトランが。寸止めの模擬戦で戦う。

 たとえ素人であっても、その結果は事細やかに予想出来る。

「絶対、嫌がらせですわ……。このベルの顔に泥を塗ろうという……!」

「そ、その、なんだ。頑張れ。超頑張れ」

「ふぅ……。王のためにも、最善は尽くしますわ。ですが、願わくはベルが負ける瞬間は目を瞑っていただけるよう」

「わかった。安心しろ。開始五秒で目を瞑るさ」

「……それで良いですわ」

 この表現が大げさではない。それがヨハンという騎士の強さというものだ。

「さて、こうして王だけではなく多くの兵が見ている以上、私とて本気を出さなければならない訳だが……。ベル、それで良いだろうか?」

「……覚悟はして来ましたわ。ですけど、ベルはベルなりに戦わせていただきますわよ」

「ほう?考えてもみれば、君と剣を交えるというのは初めてのことだ。期待させてもらっても良いかな」

「さて、どうでしょう。テオドール様を心の中で七回ほど殺めた一週間の成果は、出ているはずですけども」

「はは、一日に一回の計算か」

「いいえ。初日に七回で、二日目以降は諦めましたわ」

 気品の感じられる(?)冗談を交わした後、二人の騎士はそれぞれの剣を引き抜く。ヨハンの武器は手入れが行き届いた、装飾の一つもない無骨な鋼の長剣。ベルトランが操るのは刃渡りが一メートルに満たない中程度の長さの剣を二本。本来彼女が得意とする武器である弓も騎士が扱う武器としてはやや珍しいものではあるが、振るう剣もまた双剣という扱いの難しいものだ。

 だが、テオドールがその才能だけは高く評価するだけあり、ベルトランはそれを器用に扱いきってみせる。ただの見た目の華やかさだけで武器を選んでいるのならば、騎士はしていないだろう。

「余裕ぶってるが、あいつ大丈夫か……?」

 御前試合と言っても、実力のある騎士同士が室内で争う訳にもいかない。模擬戦の会場は兵舎にある大きなグラウンドであり、用意された椅子の上に王と宰相は座って観戦することになっている。

 王達の席の両端にはそれぞれテオドールとカミュが控え、残りの三方向は全て兵士達が取り囲んでいる。兵士達も、自分を取りまとめる騎士の本当の実力に強い興味を持ち、町の警備の者以外はほぼ全員が観戦に来ているらしい。

 そんな状況にもなれば、今朝のベルトランの暗さも納得だ。これだけの人間の前で、およそ勝てはしない相手と一騎打ちを演じる破目となったのだから。

「けど、楽しみですよね。わたし、演習や武術大会を見学したことが一度もないので、お二人の戦いを見るのは初めてですし」

「ああ……演習はともかく、武術大会にあのベルが出たことはないから、俺だってこんなカードを見るのは初めてだ。しかし、槍や槍斧ならともかく、ヨハンと剣の勝負はな……」

 武器を抜いた二人は、構えを取って始めの合図を静かに待つ。模擬戦のためヨハンは兜を付けてはいないが、その表情の薄さは鉄仮面を付けている時と同じで、一方のベルトランは絶望を打ち消すように余裕たっぷりの不敵な笑みを浮かべている。

 ヨハンの実力を知らない者であれば、ベルトランの方が腕の立つ騎士なのではないかと思われるような様子だ。

「さーて、じゃあ始めるとしますか!」

 そんな静寂を突き破る明るい声の持ち主である青年は、他でもない。密偵を務める元盗賊のローペだ。

「あいつが審判なのか?まあ、目の良さを考えれば適役だが」

「一、二の……スタート!」

 密偵が手を振り下ろす。それと同時に七メートルほどある距離を縮めようと、その甲冑からは想像出来ないほどの素早さでヨハンが駆ける。ベルトランはその場から動かず、代わりにヨハンの剣が届くぎりぎりの距離で利き足とは異なる左足を前に出した。地面を擦りながら出されたその足は砂を蹴り上げ、ヨハンの目前に砂煙を上げさせる。

「むっ」

 相手が兜を被っていないからこそ通用する戦法だ。目をかばうためにヨハンは目を瞑らざるを得ない。だが、彼ほどの腕の持ち主であれば、直前の記憶から正確に斬り付けることが可能。落ち着き払った動きで剣が振り下ろされる。それをベルトランは自分の剣では受けず、後方に大きく飛び退いて避ける。だがすぐ後ろには兵士の列があり、この動きは明らかな失策だと、実戦経験のある王にはわかってしまう。

「あいつ、なんでよりにもよって後ろに……」

「いーや、やっぱりあの姉さんは只者じゃないぜ。一瞬の判断か、それとも女の勘ってやつであの避け方を選んだのなら、本当の天才ってやつだ。団長さんの腕なら、横に避けられたぐらいなら、そのまま返す剣で追撃が出来る。だが、後ろに逃げられてしまえば、一歩踏み込まないといけない。だが、そうなると今度は姉さんが剣を振るう。一撃で勝負を決めるこの模擬戦なら鎧や盾で受けることは出来ないし、追撃には出れないってことだ」

「クーペ、来てたのか。しかし、どの道あれだと追い詰められたことになる。ただ一度攻撃を凌いだだけだ。始めの実に騎士っぽくない、けどあいつらしいケチな目潰し含めて悪あがきみたいなものだろう」

「さて、それはどうかねぇ」

 後ろはもう観客席。前には自身よりもずっと肩幅が広く、リーチの長い剣を持つヨハン。絶体絶命にも見える状況だが、ベルトランはやはり笑みを捨ててはいなかった。

 ベルトランが身を屈め、左手の剣を逆手に持ち替える。右手の剣もそれに重ねるように構え、破れかぶれの反撃に出るか、と思われたその時、彼女は信じがたいことに真後ろにジャンプした。後ろは兵士。だが、その胸を守る鎧を蹴り、斜め上に推進力を得る。奇抜な三角飛びに気付いたヨハンは空中に剣を突き出そうとするが、それよりも早く双剣の騎士は彼の後ろに回り込み、左手の剣をその背中に投げ付けた。寸止めのルールだが、鎧に当たるのならば寸止めと同じと強引に解釈した上での反則すれすれの攻撃だ。

 一瞬で狙いを付けた割には、射手らしくこの狙いは正確。だが、すんでの所で避けられ、ベルトランは双剣の片割れを失うこととなった。だが、彼女はやはり焦りの一つも見せない。

「……なあ、プリシラ。俺は今、騎士の戦いを見ているんだったよな」

「は、はい。しかも、その、戦われているのはベル様で……」

「どう見てもあれは、盗賊の立ち回りだわなぁ。さすがだぜ。姉貴と呼ばせてもらいたいくらいだ」

 三人の感想の通り、ベルトランの戦い方はまるで軽業師のそれだ。どっしりとしており、正々堂々とした戦いを好むイメージのある騎士、そして彼等が掲げる騎士道をおよそ逸脱したその姿には、違和感を覚えずにはいられない。だが、なんとなく目の前の光景をベルトランが演じているのであれば「ああ、そうか」と納得してしまいそうになる気持ちもあり、なんとも不思議な気持ちで見守ることになってしまっている。

 さて、剣を一本失った女性騎士は右手の剣を両手で握り、中段に油断なく構える。一見すればやっと本気になったかのような美しくも雄々しさを感じる姿だが、今までの実績がそうではないのだろう、という予感を観客達に感じさせる。

 再び筆頭騎士が駆け、長剣を宙に滑らせる。剣の重さを感じさせない風のような動きだが、その場で跳躍したベルトランは優雅にこの上へと飛び乗り、己の剣を逆袈裟に斬り下ろす。これは剣を急に傾けることで攻撃を中断させ、返す剣で追撃をしようとしたヨハンだが、ベルトランはやはり飛び去ってしまっており、その場所はつい先ほどまでヨハンがいた場所。つまり、彼女の剣の片割れが地面に突き刺さっている地点だ。

 その剣を引き抜こうと身を屈めたベルトランを一気に斬り伏せようと迫るヨハンに、なんと彼女は剣を抜くのではなく、靴の底で蹴り飛ばすことで迎撃して見せた。最初の投擲もそうだが、再び彼女らしくも騎士の戦い方には相応しくはない飛び道具。しかも、今度は攻撃ではなく防御のために使われている。二人の騎士の中間点に落ちた剣のせいで、ヨハンの突撃は阻まれる形となってしまった。

 次はベルトランの反撃。急に立ち止まったため、構えを取りきれていない騎士団長を狙い、輝くその髪をなびかせながら右手の剣を構え、すれ違いざまに斬り付けようとする。しかし、この剣が避けられないのであれば、ヨハンはその実力を世界的に評価されてはいない。ちょうど暴れ牛の突進を避けるようにその場でターンをしつつ、咄嗟に利き腕ではない左に持ちかけた剣でその背中を狙った。

 剣は振り切られることはなかったが、それは本気で斬り付けることによってベルトランの鎧や体に損傷を与えないためであり、この一瞬の攻防で勝負は付いていた。

「……そこまで!な、なんつーか、すげーものが見れました!いやー、見ものだったなぁ」

 恐らく、一生に何度も見ることは出来ないであろう試合の終わった直後。しかし、それを見ていた兵士達はしばらく静かだった。トリッキー過ぎる戦いを演じたベルトランへの批判?いや、違う。目の前で起こった戦いを頭の中で処理するのに多くの時間が必要であり、何の感想も漏らすことが出来なかったからだ。

 その証拠に、一瞬遅れて様々な声と、拍手の音が響き渡る。

「ベル。良い試合だった」

 喝采と拍手とを背中で聞き、筆頭騎士はベルトランの前に手を出した。敗北を期した彼女はやはり涼しい顔をしているが、薄く瞳に涙の膜が張られていることに気付けたのはヨハンだけだろう。

「ありがとうございました。やはり、ベルでは団長には勝てませんわね」

「いや、もしも――」

 手を握り返すベルトランを見つめ、ヨハンはささやくように言う。

「もしも君が弓を使っていれば、私は二回頭か心臓を射抜かれていただろうな。あまり女性に言うことではないが、この右腕から放たれていた矢ならば、避けきることは出来なかった」

「本当、失礼ですわ。剣のような重い武器を再び振るうようになって、更に筋肉が盛り上がって来てしまいましたのよ?こんなのでは、二度とガントレットを外して腕をさらけ出すことが出来ませんわ」

 彼女の剣は二回空を舞い、その内の一回は左腕から放たれたものだ。もしもあの時、右手で投擲していれば、どうなっていただろうか。あえて右手を使わなかったのは、利き腕に武器を残しておきたかったという反射的な行動だったのか、鍛えられた右手で投げ、もしもそれが命中していれば、鎧の上からでも怪我をさせかねないほどの威力が出ていたかもしれないからなのか。

 どんなポーカーフェイスよりもその感情が読めない余裕の笑みの上からでは、誰にもその真実を知ることは出来なかった。

 模擬戦の後、通常通りの稽古が始まり、大変な戦いを繰り広げたベルトランもその例外ではなかった。そのため、兵舎に顔を出した王が出会った彼女は、朝に会った時以上にやつれ、満身創痍と形容するしかないほどの惨状であった。

「ベ、ベル。無事か?」

「王様……。どうされたのですか?」

「いや、模擬戦の後、なんだかんだでお前に会えなかったからな。お疲れを言いたくて。本当、あのヨハン相手によくやったよ」

「あ、わたしもです。その、すごく格好良かったですっ」

「わざわざご足労いただき、ありがとうございます。お二人のそのお言葉が聞けただけで、今日一日の苦労が報われますわ」

 さすがに余裕がないのか、ふらふらと女性騎士は新しく兵舎に増設された食堂へと向かっていく。王やプリシラはここで食事をしたことはないが、新しく来た……と言っても数ヶ月前の話だが、腕の良い料理人が勤めており、その味と値段の安さには定評がある。

「おいおい、本当に大丈夫か?ちょっと真剣に心配だし、ここで食事もしてみたいから俺も一緒に行こう。プリシラもどうだ?」

「はい、喜んで。……美味しいんですよね。すごく」

「申し訳ありません。ですが、プリシーちゃんと一緒に食べることが出来れば、元気百倍ですわ。これで明日からも地獄の猛特訓に耐えることが出来るというものです」

「……そこまで辛いんだな、テオドールのしごきってやつは」

 まるでベルトランの心配をしていない宰相と共に、食堂へと向かう王と騎士。時刻は夕方を少し回ったぐらいで、さすがに混雑はしているが三人が座る席ぐらいはあり、なんとも言えない豪華な客達の到来に、一瞬だけ食堂は騒然とする。

「なに、そう騒がないでも大丈夫だ。きちんと代金は払うし、特別な物を食いたい訳じゃない。ただ、そうだな。まだ会ったことがないことだし、料理人に挨拶ぐらいはしたい。会わせてもらって良いか?」

 手の空いている兵士はウェイターの代わりをしており、その一人を掴まえて王が言う。普段からそうではあるが、実際にただの兵士一人一人に対しても気さくな王に彼は少し驚きつつ、話題の料理人がわずかな手伝いの給仕と共に料理を作る厨房へと入っていく。

「良い料理人の方には、わたしも是非とも挨拶させてもらいたいものです。それに、良ければ料理のコツやレシピも教えてもらって……」

「ふふっ、プリシーちゃんは本当、料理を食べるのも作るのも大好きですわね。見ているだけで癒されますわ……」

「そ、そんな。食べるのはほとほど、です」

「……ほどほどで鳥一羽食うのが、女子のステータスと言ったか」

「ア、アル様っ」

 一瞬にしてリンゴのように顔を赤くするプリシラ。その様子を見て、疲れ果てたベルトランも自然と笑みをこぼす。時々、男性以上に女性を好んでいるように見える彼女にとっては、食事や急速よりもこの少女宰相を与えるべきなのでは、と本気で王が考えてしまうほどに楽しそうだ。

「団欒のところを失礼。あなたがテューダ王か。私はハインツ、少し前よりこちらで働かせてもらっている。生まれが卑しいもので、丁寧な喋り方は苦手なんだ。許して欲しい」

「言葉遣いなんて気にしなくて良い。一番お前らしい喋り方で接してくれれば、俺としてもそれが一番居心地良いからな」

 少しして、全身真っ白の料理人の服装をした青年がやって来る。ほとんどコック帽で隠れているのでわかりづらいが、髪の色は自ら生まれが悪いという割りには貴族的な色。すなわち澄んだ金色をしている。顔つきはやや中性的な美形であり、年齢がわかりづらい。声は低く落ち着いているので、少なくとも少年と呼ぶような若さではなさそうだが。

「以前、わたし達のお弁当を作ってくださったのはあなただったのですね。あの時はとても美味しい昼食をありがとうございました。ハインツさん」

「あなたは……宰相閣下?私の料理を気に入ってもらえたのなら、嬉しい限りだ」

「か、閣下って。わたしのことはただ、プリシラとお呼びくださいっ」

「む、そういうものなのか?私はもっと貴族というものは、礼儀作法にうるさいものだと認識していたのだが」

「他の奴等はどうだか知らないけど、少なくとも俺達はとやかく言わないさ。それに、プリシラも元は平民だったけど才能を買われて今の立場にまでなったんだ。実力のある者は出世する、そんな当然のことを当然のようにする。それが俺の望む国のあり方の一つだからな」

 いつもより強い口調で主張すると、冷やかすようにベルトランがぱちぱちと手を叩く。なぜかそれにプリシラも続き、そのまま食堂の兵士達全員が王に拍手を送っていた。

「お、おい。俺をあんまりからかうなよ」

「はは、噂には聞いていたし、この国を見ればわかったがあなたは本当に珍しい王だ。実に快く映るよ」

「お前までなぁ……。もう挨拶は良い。俺達の分の料理を作ってくれ。えーと、俺は……」

「わ、わたしはえっと、この鶏肉のトマト煮込みなるものをよろしくお願いします!」

「ベルはいつも通りによろしくお願いしますわ。ついでに、プリシーちゃんにもいつものハーブティーを」

 目を輝かせて宰相はオーダーを終え、いつも食べているメニューは決まっているのか、ベルトランは手馴れた調子で料理を頼む。少し悩んだ後に王のオーダーも決まり、料理人は己の領域に戻っていく。その頃には食堂の騒がしさも少しは平常のものへと戻り、王や美少女宰相に集まる視線も減っていた。

「少しぶっきらぼうみたいだが、だからこそ仕事の出来そうな職人だな。彼は遠い国からの移民なのか?」

「さて。あまり素性については詳しくありませんわね。ですが、推理をするに東国の方でしょう」

「なぜにそう思う?」

「ベルやベルの知人は、一度たりともあの方が帽子を脱いだ姿を見たことがありません。また、服も夏場というのに、仕事外でも長袖上下の料理人服。意図的に体のラインを隠しているようですわね」

「つまり……頭には獣の耳があり、体には亜人特有のもの。つまり、毛深い部分があったり、尾が生えていたりするということか」

「あくまで推測ですけどね。直接聞いたことはありませんし、その必要を感じませんわ。本人が隠したがっているのであれば、詮索する必要はありませんもの」

「……そうだな」

 王と宰相は、ベルトランが言ったことを頭の中で吟味しつつ、なるほどとうんうん頷く。あそこまで見事な金髪は、金髪同士が結婚して子を生むのが当然である貴族の生まれの者しか存在しない。だが、金毛のキツネのような姿形をした亜人であれば別だ。もちろん、彼の自称する卑しい生まれ、というものが偽りである可能性もあるのだが。

「王。わたしは今、悪魔のようなことを考え付いてしまったかもしれません。これを口にするのをお許しくださるでしょうか?」

「……いや、いい。俺も同じことを考えているだろう。だが、全ての可能性が当たりだとして、あいつはわざわざこの国に来たんだ。そして、何も本人からは言い出さない。つまりは、そういうことだ。傷口がそこだとわかっていながら、治療と称して塩を塗り込む気に俺はなれない」

「そう、ですね。馬鹿な考えでした」

 二人はそれきり口をつむぎ、無言で頷き合う。そして、それを見て笑う女性が一人。

「ふふっ、よかったですわ。もしもお二人が悪魔の計画を実行に移すと言うのであれば、珍しくこのベル、王様に異を唱えることになってしまうところでしたもの」

「まあ、俺より頭の良いお前が俺と同じことを思いつかない訳はないわな。……けど、お前にしては珍しい。お前が親身になって考えるのなんて、俺のことぐらいじゃないのか?」

「あら。プリシーちゃんに関しても真剣ですし、今回は――ベルが騎士になった理由にも関係することですもの」

「え?あ、ああ。そうか…………」

 瞬間、王の脳裏に過去の情景がちら付いた。

 今よりも若く、白いドレスに身を包んだ“ベルトラン姫”、それから、当時は王子で地位は高くとも何の力も持たなかったアルフォレイオス。王がプリシラと出会う少し前の頃のことだ。

「あの日から、お前は騎士なんだよな。……俺の」

 

 

 

 東国への出発前日の夜。王は私室の窓を開け、静かな夜風をその身に受けていた。

 マントがたなびき、カーテンもまた波打つ。風は生暖かく、涼しさを得るためにはあまり機能していない。だが、いつまでも王はそうしているつもりだった。その風に、心の中のあらゆる不安を吹き飛ばしてもらいたくて。

『王、申し訳ありません。お時間をいただけますか?』

「プリシラか。鍵は開いてるから、勝手に入ってくれて良いぞ」

 そんな中、少女宰相がやって来る。今が昼間であるならば。出発前夜でなければ手を叩いて歓迎していただろうが、今宵の王はあくまでアンニュイだ。風を浴び、目を瞑って黙想している。

「失礼します。……夜分遅くにごめんなさい。けど、どうしてもお会いしたくて」

「いや、気にしてない。むしろ、お前に会えてよかったよ。……情けない話だが、どうしても不安になってしまう。俺は果たして上手くやれるのか。結局、戦いは起こってしまうんじゃないか。それが、不安なんだ。俺は今まで行政はやって来た。だが、この手の外交は初めてだ。正直言って、全く自信はない」

「……王。そう弱気にならないでください。と言っても、無理ですよね。わたしも、同じ気持ちでここに来ましたから……」

「プリシラ」

 窓の外を見つめ、あれだけ好いているはずのプリシラの顔を見ようとしない王の手を、少女の両手が握りしめる。

「わたしは、戦いが嫌いです。どうして人と人が争わなければならないのか、とても理解出来ません」

「そうだな。国防のために軍隊が必要な時点で、それはどこかおかしいんだ。だが、俺が何を言っても世界は変わらない。逆に俺が武力を放棄すれば、まもなくこの国は潰されてしまうだろう」

「……ですが、今回は誤解にも等しいことです。王は決して人を差別することはなく、むしろ積極的に移民や異文化交流を望んでおられているのに、どうしてこんな……」

「まだ向こうの亜人に直接会った訳じゃないから、この推測が正しいかはわからないが……心と体。いや、体というよりは血か。そいつ等は全く違う行動理念を持っているんだよ。心では前王国が倒れ、理不尽が強要されることはないとわかっている。だが、血は新たな王国の誕生に危機を覚え、躍起になって潰そうとしてくる。それは誰にだってあることだ。俺自身、それが正しいことだったとはいえ、多くの人間を殺したドラゴンにはもう二度と会おうとは思っていない。心ではなく、この体に流れる血がな」

「それが……“血のさせる行動”ですか」

「きっとな。だから、俺が相手の国に乗り込んで、どれだけのことが出来るのか、それがより一層わからないんだ。俺なんかが演説をしたところで、何が起こる?心は動くだろう。だが、血は素直だ。俺が人間であり、かつて自分達を虐げた国の方角から来たというだけで、血は耳を塞いでしまうに違いない。出来ることなんて、向こうの亜人の主だった面子に頭を下げるぐらいだ。それも、どの程度の効果があるか」

 数週間が経過した今、王にかつて予言を聞いた時のような笑顔はなかった。日が経つごとに、楽観視出来ない現実がその姿をはっきりと見せて来る。そして、その先には破滅のビジョンが浮かび上がって来ていた。予定調和めいて、決して変わらぬ未来の姿が。

「王、やはりわたしも行きます。どうか行かしてください」

「いや、駄目だ。お前まで連れて行ったら、絶対に無茶するだろう。亜人一人一人に頭を下げに行きかねないからな」

「そ、それは……」

 わかりやすくプリシラの目が真ん丸になる。完全に図星だ。

「きっと、戦争は起きてしまう。これは避けられないことなのだと、俺は思う。だから俺は、少しでも互いの被害が減り、どうか両国が友好関係を失わないようにと、立ち回るつもりだ。小さな穴に糸を通すようなことだろうが、ここでつまずくようなら、どの道俺は王の器じゃないんだろう。……けど、出来る限りのことは、するつもりだよ」

「――ですけど、アル様。アル様、泣いてますよ」

「そうか。……だろうな」

 王の目の端に溜まったものが風に揺れているのを見て、強く少女はその手を引き、王を連れて行った。彼自身のベッドの上へと。

「お、おいっ」

「アル様。考えるのはわたしの仕事です。あなたはもうそろそろ、休んでください。それとも、眠れないのですか?」

「…………ああ、こんな日におちおち眠れないよ。全く、情けない王だ。それに、お前が来てしまったからこそ、いよいよ眠れなくなった。瞳を閉じて、再びそれを開けた時にはお前と離れなければならないんだ。それが、辛い」

「そうですか。……そうですよね。わたしも、すごく辛いです。結局、わたしはアル様といつまでも一緒にいる訳にはいかないのです。この国で一番近い場所にいるのに、王は玉座の上で永遠に働く訳にはいかない」

「すまない。寂しくて不安なのは、お前も一緒だよな。……本当に、苦労をかける」

「アル様。どうか、もうこれ以上暗い顔はしないでください。でないとわたし、本当に泣いてしまいますよ。あなたが悲しい顔をしているのが、一番悲しいんですから」

「すまない……」

 二人でベッドに腰かけ、言葉もなく二人は手を繋いでいた。わずかにプリシラの方の体温が高く、その暖かさが王の手に、そして体を流れる血液へと流れていく。

 もう二人の間に言葉はなかったのに、言葉を交わしている時以上に心が通じているようで、それがたまらなく心地よかった。

「まだ、不安ですか?」

「格好を付けずに言うのなら」

「……もう、仕方がないですね。特別サービスですよ」

 いつの間に顔を朱くしていたのか、恥ずかしそうに宰相が言うと、唐突にその身体をベッドの上に投げ出した。ただ布団の上に寝転がるだけではなく、きちんと身体を端に寄せ、そこに王が横になることが出来るように。

「プ、プリシラ?」

「一人で眠るのが不安でも、二人で寝れば大丈夫でしょう?アル様が起きるまで、わたしがずっと傍にいますよ」

「……プリシラ。ありがとう」

「い、言っておきますけども、えっちなことは禁止ですからね!?その瞬間、ベッドごと焼き払いますので、くれぐれもご注意をっ」

「はは、わかったよ。こんな時まで律儀な奴だ」

 遂に笑みをこぼした王を見るとプリシラもまた微笑み、二人は共に夢の世界へと落ちていった。


 
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