No.570182

Cocktail Kingdom 二章

今生康宏さん

サブキャラの人数が多い小説を書くのって、地味に珍しいことだと思います。特に前回が2人+実質1人のみの物語だったので
尚、騎士達の名前は現実の騎士の名前を調べ、その苗字と名前をばらして響きの良い名前を作ったのですが、一部はその限りではありません
具体的にはベルのことなのですが、騎士(男性)の名前であるベルトランと、詩人のヴィルモランの苗字、ミドルネームを拝借し、韻を踏ませつつ、キャラクターもヴィルモランを意識したものにしています。「星の王子さま」の薔薇のモデルにもなった人物ですね

2013-04-26 21:59:43 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:264   閲覧ユーザー数:264

二章 王と宰相

 

 

 

 更に二ヶ月。季節は初夏となり、国民の数も順調に増え、騎士団も寄せ集めの雑兵部隊から、ある程度の秩序のある中規模の部隊へと成長していた。

 新たにローペ率いる密偵団も国の組織として数えられるようになり、近隣諸国との関係も、密偵を使いつつ良好を保ち、騎士団員を総動員しなければならないほどの大事件もなし。ひとまず王国はそれほど豊かではないにしても、平和な国という認識を持たれるようになり、王の国民からの信頼も厚かった。

 だが、多くの国で求められるこの平和も、王にとっては通過点に過ぎない。宰相と共に、新たな方針を打ち立てようとしていた。

 

 

「騎士団は育ち、密偵も大いに役立っている。外交上の安定を得た次は、やはり文化発展を目指さなければならない。それに、いつまでも騎士団の武力のみに頼りきりでは、いずれ他国にも舐められてしまう」

「いよいよ、公共施設を充実させるのですね。――もう既に、おおよその予定は立てていますよ」

「さすがプリシー。敏腕だな」

「ええ。まず、図書館は必要でしょう。蔵書については、既にいくらかの書籍商との契約を取り付けており、建物さえ出来ればいつでもある程度のものは作ることが出来るようになっています。

 後は、学校。現在は集まった学者が簡単な塾のようなものを開いていますが、士官学校と魔法学校の二つが必要でしょう。魔法学校の教諭候補はまだあまり確保出来ていないので、必要があればわたしも教鞭を取ろうと思う次第です」

「なるほどな……。よし、それで行こう。俺も似たようなことを考えていた。だが、もう一つ。学校についてだが、二つではやはり少ない。もう少し経済が安定してからでも良いのだが、出世や学問を視野に入れず、ただ単純に教養を高め、民度を上げるためのものも作ろう。国に優秀な人材が欲しいのは確かだが、俺は衆愚政治など敷くつもりはない。全ての国民にある一定水準以上の教養と、自分で考える力を持ってもらいたいんだ」

「わかりました。王が目指すこの国のあり方は、よくわかりますよ。究極的には、王の仕事のない国にしたいのですよね」

「ああ。この国に住み、この国で生きるのは国民達だ。国民自身が国の未来を決め、俺達はそれを手助けすればそれだけで良い。これが守られれば、人間が増長し過ぎ、ドラゴンの怒りを買うこともないし、国民と王が互いに暴走を止めることが出来る体制になる。この国を俺の代だけで終わらせる訳にはいかないからな。永く続く仕組みを作り上げないと」

 王は特別なことを言っていない、といった風に平然としており、宰相もまた満足気な表情である。

 すると、その場に一人の少年が姿を現した。これほどに若い兵士は二人としておらず、騎士カミュなのは明らかだ。

「王。おはようございます」

「ああ、おはよう、カミュ。ヨハンの使いか?」

「いえ、ベル様からです」

「珍しいな。あいつが自分の足を使わないなんて」

 若輩ながらも武術の腕を評価されているカミュ少年だが、残念ながら未だにその扱いは小間使いの域を出ていない。もちろん、これは他の騎士達が優秀過ぎるほどに優れており、経験の浅い彼は先輩達から多くのことを吸収し、成長しなければならないこそしていることなのだが。

「はい。ベル様は用事があるということで。えっと、すみませんが、プリシラ様には内緒ということですので……」

「わかりました。王、カミュさん、それでは私はこの辺りで失礼します」

「昼前ぐらいに、また来てくれ。もう少し話したいことがある」

 小さく会釈して、プリシラはぱたぱたと去って行く。完全に彼女が見えなくなるのを待ち、カミュは改めて王に一礼すると、王に伝えるように叩き込まれた要件を語り始める。

「この度は、王にお願いしたいことがある、とのことです。その内容としましては、端的に申し上げて街道の整備です。国民の数も増え、職人も集まり出した今日この頃、町を更に発展させるためには、遠くからの資材や国民の確保が必要となって来ます。そのためには、港、そして何よりもそれに通ずるきちんとした道を作ることが必要なのではないか、と。そうベル様は、いつになく真剣な顔をされて仰られていました」

「ほう……なるほど。実にあいつらしくないが、よく的を射た政策だ。確かに、家の数は十二分に足りている。王城の強化もしたいところではあるが、その効率を上げるためにも、街道の整備は急務だろうな。よし、後でプリシラともその辺りのことはよく話しておこう。……だが、そんなことなら、プリシラもいる場で話した方が効率的じゃないのか?どうせ俺からまた伝えることになるんだし」

「い、いえ。まだベル様の言伝には続きがありまして……。その……」

「どうした。今更、俺に対して緊張するような間柄でもないだろう」

 新人騎士であるカミュだが、この土地に辿り着くまでの長い旅路を王達と共にして来た。この王がどんな相手に対しても分け隔てなく接することも、不義理なことを言い出さない限りは激することがないということも、カミュにはわかっているはずだ。だが、彼は中々言葉を続けようとしない。

「ベルのことだ。恋愛絡みか?それとも、淑女がどうのこうの言ってるのか?」

「……前者です」

「やっぱりか」

 紅一点である騎士、ベルトラン・ド・ヴィルモラン。勇猛果敢で知られるヨハン、豊富な経験と優れた分析眼を持つテオドールの二人は、主に軍事面において国を支える逸材だが、彼女はどちらかと言えばプリシラと同じく、内政面において王を強力にサポートする臣下だ。

 それもプリシラが王と共に次なる政策を考え、しっかりと話し合いながら政治を進めていくのに対し、彼女は鋭い進言をすることにより、間接的な政策への関わり方をするご意見番的な存在となる。……と、ここまでであれば、是非とも欲しい優れた人材である。だが、彼女はとにかく癖が強過ぎる。

 騎士としての忠誠心、正義感にも溢れてはいるが、彼女はそれに加えて淑女らしさというものを行動原理に組み込んでいる。つまり、いかに優雅であるか、いかに美しくあるかを優先して考え、ゴリ押しは決して許さない。それが結果として人を救うこともあれば、ただ手間がかかるだけで大した成果を生まないこともあるため、王としてはその意見を全て採用することは出来ず、きちんと取捨選択していく必要がある。今回の場合、誰が見ても正しい進言であるということはわかるのだが。

「その、ベル様本人がどうのというお話ではなく、王にその……」

「俺に?なんだ、あいつ、半年も早い誕生日プレゼントでも寄越したのか?」

「いえ、その、ですね……。王とプリシラ様が、デートをするように、と」

「………………。ベルはどこだ」

 王の顔から、すっと笑みが消えていく。久々に見た無表情に、哀れなメッセンジャー、カミュ少年は今にも泣き出さんとしている。

「お、お待ちくださいっ。街道を作るための下見がてら、港の建設予定地まで、二人で行ってみれば良いのでは、と。ついでに海で水遊びなどされては、とも仰っていましたが」

「あいつ……。俺とプリシラはただの王と宰相の関係だというのに、余計なことを画策しやがって。大体、国の上の人間が二人も抜けて、一日上手く国が回るか心配だろう」

「お二人の仕事は、ベル様が代わりに務めるとも……」

「どう考えても、本気になるところを間違えているだろ……。とりあえず、あいつに直接文句言いに行くぞ。カミュ、お前も来い」

「は、はいぃ!!」

 少年騎士を引き連れ、王は城を出て兵舎へと向かう。わずかに頬が染まっているのは、怒りのためなのか照れのためなのか、本人にすらわかっていない。

「ベル!」

「あら、これは王様。朝から元気がよろしいようで。しかし、この距離であればもう少し声量を落としていただいても、十二分に聞こえますわよ。優雅さに欠けるのでは?」

「そんなのはどうでも良い。プリシラとデートに行けだって?」

「うふふ。ナイスなアイデアでしょう?」

「…………くそっ、怒る気すら失せて来たんだが」

 兵舎に向かったものの、そこは空振り。結果としてカミュを送り届けるだけに留め、王はその後、供の一人も連れずに城下町を彷徨い、町の一角。開発を行っている途上の地区において、鎧を脱いだ華やかなドレス姿のまま、井戸の近くに用意されたベンチに腰かけ、汗を流しながら働く職人を見つめる彼女を発見した。

「さすがにこの季節になると、この長袖で胸元も開いていない無粋なドレスでは、少々暑過ぎますわ。鎧を脱いでいる無礼、どうかお許しください」

「そこを怒ろうとしている訳がないだろう!俺はだな、お前がしれーっと部下を使ってまで伝えてくれた、アホみたいな計画を叱りに来たんだ」

「王様。その言葉遣いは少しやくざ過ぎますわ。そこはアホではなく、素晴らしいとした方が優雅で美しいと思うのですが」

「極自然な流れで真逆の意味にするな。……お前な、好きでもない男と二人きりで遠出する破目になるプリシラの気持ちを考えてみろ。お前にとっては良い笑い種かもしれないが、本人にしてみればただの拷問だぞ」

「あら。そこが怒りどころで?」

「他にあると思うか?」

「本当、王様はあらゆる物事に鈍感ですわねぇ……。そこが魅力だとこのベルは認識しておりますが、間違っても恋人にはしたくない殿方ですわ。――王様、少し冷静にお考えください。あなた様もプリシーちゃんも、この国のトップ。可能な限り、この国のことについては把握しておく必要性があります」

「あ、ああ」

 強気に出ていた王だが、腰に手を当てて姉のように振舞うベルトランに、思わず動揺してしまう。ただの王子から王に変わった今となっても、彼女は王より年上の聡明な女性だ。

「しかしながら、人伝に聞く情報は既にたくさんあれど、どれだけの景色を見て来たことでしょうか?王の体は一つしかなく、その目が見ることの出来るものはあまりにも少ないですわ。ですから、実際に現地に赴き、見なければならないのです。町に家を一軒建てるだけであれば、こうして騎士や兵士が代わりに見れば良いことですが、道や港を作るという、国の未来にも関わる大事業、どうして自分以外の人間に任せることが出来ましょうか?」

「そ、それは……。けど、何もプリシラまで一緒じゃなくて良いだろ。お前でもヨハンでも、信頼出来る奴は何人かいる」

「王様。あなた様は今まで、誰と共に政策を決め、ここまで国を栄えさせましたか?ベルですか?それとも、団長ですか?」

「……プリシラだが」

「そうでしょう。ベルは何も、王様達をからかうために二人で行くように進言したのではありませんわ。ですが、そこで仕事で視察に行くように、と言ってしまっては王様もプリシーちゃんも緊張してしまい、一度滅びて尚、美しいこの国の景色を楽しむことは出来ないでしょう。ですから、デートという言葉を使い、その緊張をほぐそうとしたまでのことです」

「ベル……そうだったのか」

「え、ええ」

「ありがとう。やっぱり、お前は素晴らしい騎士だ」

 王はあまりにも思慮が深く、しかしそれを感じさせない言い方をしてくれていたベルトランに、涙ながら感謝の言葉を伝える。

 久しく見ていなかった王の涙を見せられ、困惑するベルトランに尚も王は続ける。

「確かに、ここ最近はロクに羽根も伸ばせていなかった。城からも出ていなかった気がするし、たまには外の空気も吸わないとな。そこにお前が気を遣ってくれたのに、俺は気付いてやれなくて……くそっ、王失格だ。自分の臣下も信じられないで、どうして国民に信頼され、国民を信じる王になれるんだ、って話だよな…………」

「王様。そこまで思い詰められないでください。ベルは何一つとして気にはしておりませんわ」

「ありがとう、ベル。こんな俺に優しくしてくれて」

「い、いえいえ。……嫌ですわ。このベルのために王様、涙目ではありませんの」

 淑女を自称するだけあり、素早くハンカチを取り出すと、それを王に手渡すベルトラン。受け取った王は反射的に目を覆った後、それで鼻をかんでしまったが、やましいこともあるため、ベルトランは眉一つ動かさない。

「ありがとう。……よし、落ち着いた。じゃあ、プリシラにきちんと伝えて、明日にでも行こう」

「はい。素敵な一日を」

「ああ。――それから、ベル。お前はここで家の建設の様子を見ていたのか?まさか、顔を見ない時はずっとここだった、なんてことはないよな」

「そのまさか、ですわ。もちろん、請われれば弓の指南もしますし、するべき仕事がある時は兵舎にいますが、そうでない時は町を見回っています。今はここの工事をしている最中ですから、ずっとその様子と音を聞いていたり……」

 よくよく見てみれば、ベルトランが座っているベンチには、バスケットと一冊の分厚い本が置いてある。バスケットの中身はパンで彼女の好物である魚の燻製を包み込んだものであり、昼食であることは簡単にわかった。本は当然ながら暇潰し用だろう。

「すごいな……お前がこうして町を見ていてくれるのに、俺は――」

「もう、ネガティブは禁止ですわ。こちらを一つ差し上げますから。また泣き出してしまっては、端正なお顔が台無しですわ」

 子どもにするようにパンを握らせ、軽く頭を撫でてやるベルトラン。構図は完全に泣き虫な少年と、その世話をする近所のお姉さんだ。そして、この場面を説明するのにその表現はあながち間違ってはいない。

「本当、重ね重ねすまない。駄目だな。お前といると、どうしても俺は“王子”になってしまう。プリシラやヨハンの前だと、あんなに偉ぶってるというのに」

「それで良いのですわ。きっと。このベルも、王様と共にいる時だけは、あなた様に身も心も仕えるベルでいられるのですもの」

「なんだ、騎士としてはそんなに忠誠を誓ってくれていないのか?」

「いいえ。公私を混同していないだけです。騎士はあくまで騎士道精神に則り、正義のために己の武をを振るうだけ。王様に仕えるだけでは、ただの下僕になってしまいますもの。……あなた様のお傍にいられるのなら、それでも良いのですが」

「心にもないことを。今から騎士を辞めて専属のメイドになれ、なんて言っても従えない性分だろ?」

「――ええ。さすが王様、このベルのことをよくご存知で」

「王族とそう身分に違いのない貴族の生まれで、しかも女のお前が騎士をやっているんだ。それぐらいは、たとえ長い付き合いがなくとも簡単に推理出来たさ。ただ、お前は良くてもお前の家の人間は死ぬほど心配してるんだから、大怪我を負う前に辞めてくれよ。お前の親から刺客を送られるような毎日は送りたくない」

「あらあら。恋に障害は付きものではありませんか」

「誰が誰に恋してるんだ。本当、息をつくように嘘をついてくれるよ」

「それがベルという人間ですので」

「けど、本当に大事なことは、嘘をつかないんだよな」

「それがベルという騎士ですので」

 ベルトランが再び、掴みどころのないいつもの調子を取り戻したところで、王は城に戻るため歩き出した。かなり時間を食ってしまったため、プリシラが心配をしているかもしれない。

「じゃあな、ベル」

「はい。王様。素敵な誘い文句は思い付かれましたか?」

「全くだよ。真面目なあいつを誘うんだから、あくまで仕事という形で伝えるさ。その方が変に照れられたりしなくて、話が円滑に進むだろ」

「……むむっ、淑女というものは、その照れる過程をも楽しむものなのですが――っと、もう聞こえていませんか。やはり、乙女心の理解はまだまだのようで。それでこそのアルフォレイオス様ですけどね」

「やはり、俺はこうして玉座の間に構えているより、自分の足で色々と見て回るべき人間だな。今日少し歩いてみて、それがよくわかった」

「王は、国にいた頃からそうでしたよね。ここまで行動的な王族の方がいるのかと、わたしも最初は困惑しました」

 王城に戻ると、既にプリシラは王を待っていた。今は時間が時間なのでそのまま昼食を共にし、再び玉座の間へと戻って来たところだ。

 ちなみに、王は既にベルトランからもらったパンを食べていたため、それほどの量を食べることは出来なかったが、プリシラは一人前以上の量を全て腹の中へと収めてしまった。小柄で一部分を除いては細身の彼女だが、意外なほどによく食べる。一部分――胸の大きさを考えれば、むしろ順当な栄養素を得ているのかもしれないが。

「だから、王位継承権がないんだよ。閉じた国なんてのは、そういうものだ。……まあ、俺も妹の方が王の器だとは思うけどな」

「そんなことありません。王は、立派な王ですよ。未完の大器ですけどね」

「だが、晩成する大器ほど途中で腐りやすい。しっかり目を光らせておいてくれよ。そして、もしおかしなことになりそうだったら、早々に壊して欲しい」

「荒療治は好まないので忠告に留めさせてもらいますが、うるさいぐらいガミガミ言わせてもらう所存ですので、ご安心ください」

「それは良い。で、カミュから、そしてベル本人から聞いた話なんだけどな」

「はい。結局、わたしに相談するような事柄なのですか?」

「ああ。まず、ベルからあったのは街道を整備するようにという進言だ。あのドラゴンが焼き払った後、不思議なことに草はまた生えて来ているが、つまるところは荒れ放題ということだからな。きちんとした道を、海沿いまで繋げる。そして、貿易のための港を作るという話だ」

「それはまた、時期尚早な……でもありませんね。物品と共に、人も国に出入りすることになります。そうなれば、結果として人口も増え、町も増えることでしょう。そろそろ王都を集中して発展させるのではなく、次のステップに移るべき時、ということですか。さすがはベル様です」

 現在、城に勤務する人間の中で最も学が深いのは間違いなくプリシラだ。しかし、彼女はまだ年若く、知識を深く詰め込んでいるとはいえ、実際の行動に知識を活かした経験に乏しいため、どうしてもその姿には“頭でっかち”という言葉がチラついてしまう。それは仕方のないことなのだが、そこを助けてくれるのはベルトラン他、人生や実戦の経験に優れる騎士達だ。

 もっとも若いプリシラと、最年長であるテオドールの年の差は三十近くあり、その年齢層の多様さが順調な国の発展を推進して来たのだろう。また、それをまとめた王もまた、彼自身が自称するほど王としての能力に乏しい人間ではないということがわかる。

「細かいことはまた夜にでも決めるとして、とりあえずは前向きに検討、ということで良いな?」

「そうですね。間違ったことではないでしょう。時間はかかると思いますが、とりあえず港さえ開くことが出来れば、人材も増えて効率が上がることが期待出来ますし」

「ただ、現状はこれといった特産もないし、際立った産業もないからな……。いかにして、国をアピールしていくかも課題になって来る。そこもまた、追々考えていこう。……それで、もう一つ。いや、こっちが本題になって来るのだが」

「はい?なんでしょうか」

 なるべく意識しまいとしていながらも、自然と声音も態度も変えてしまっていた王を見て、プリシラはきょとん、と目を丸くする。かつての学友であり、現在は緊密に意見を交わし合う間柄であるため、王が今更緊張するようなことは皆無に等しい。彼女が驚き、緊張するのは無理もない話だ。

「いや、そのな……。そのためにも、一緒に少し町の外に出てくれないか?街道と港を作る予定地の、下見という訳だ。今度の話は国をあげての一大事業になるからな。やはり、俺とお前の目で見て、きちんと計画するべきだと思う」

「確かに、そうですね。ですが王、なぜそんなに改まって?わたしの仕事は今、それほど詰まってはおりませんし、いくらでも都合は付きますよ」

「そ、そうか。なら良かった。いや、つまりは軽いデートになる訳だから、なんだか緊張してしまってな。なぜか断られやしないか、やきもきしてしまったんだ。それなら良かった。じゃあ、早い方が良いだろうし、明日で良いな」

「はい……。って、デ、デ、デ、デート、ですか!?お、王っ。これはその、お仕事ですよね?それも、かなり大事な」

「あ、ああ。だけど、ベルは軽い観光気分で、たまには羽根を伸ばした方が良い、とも言ってて、だな。俺もお前も、ここ最近はずっと働きっぱなしだっただろ。だからあいつ、気を遣ってくれたんだよ」

「な、なんだ。そうでしたか。もう、ドキドキするような言葉を使わないでくださいよ」

「そ、そうだな。すまなかった。じゃあ、そういうことで、頼むな」

「は、はいっ」

 案の定、プリシラが顔を真っ赤にしたのを皮切りに、互いにどもり合ってしまった。すぐに赤面する彼女だが、こうなってしまうと、たとえ王が相手でも人見知りを全開にしてしまい、まともに顔を見てはきはきと喋ることは出来なくなってしまう。プリシラ自身も、これはなんとか改善しようと考えているのだが、持って生まれたものなのだろう。未だに変わらず、恐らくはもうどうにもならないのだろう。

 そんな彼女だからこそ、ベルトランには小動物的だと茶化され、本人は知らないことだが、兵士やその他のたまに顔を合わせる人々にも愛されており、実はファンがかなり多いのに違いない。

 しかし、王もそんな彼女に釣られてしまうため、二人だけの会話は往々にして妙な方向へと走ってしまう。そのストッパーの役目を果たすのは主にヨハンの役目だが、当然ながらこの場所に彼はいない。尚、ベルトランがいる場合、彼女はにやにやしているだけなので役立たなかったりする。

「ああ、それから、もう一つ」

「ま、まだ何かあるのですか?」

「その、なんだ。一応、明日は俺も少しは服装を考えて行く。だからお前もたまには堅苦しい服を脱いで、もっとゆったりとした服を着たらどうだ。私服の一着や二着はあるだろ?なかったら、買ってやっても良いが」

「だ、大丈夫です。服はきちんとありますのでっ。……ではっ」

 逃げるように。いや、逃げるために走り去って行く少女宰相。対して王は、先ほどの恥ずかしさから頭を切り替え、より重要な事柄について思いを巡らせていた。つまりは――。

「あいつの私服、か。そういえば、学生の頃は制服ばっかりだったし、あいつの女らしい服装はほとんど見たことがなかったな。……さぞ、大きさが強調されるんだろう。くくく、脳裏にしっかりと焼き付けておくことにしよう」

 完全に俗物の思考である。恋愛には奥手だし、人の好意にも鈍感な彼だが、欲望は人並みか、人一倍にある。彼にしてみれば、プリシラは大切な友人であり、妹分であり、仕事のパートナーであり、他に類を見ないほど魅力的な女性ということだ。

「画家を呼んで、絵に描かせるか?いや、俺以外の人間にじっくりと見せるのには、あの肢体はあまりにも惜しい。ああ、くそっ、どうしてあそこまで反則的な可愛さなんだっ。プリシラよ」

「お、王……?」

「カ、カミュか!?い、今のは忘れろっ。良いな!?」

 哀れにも、今度はヨハンの使いでやって来た少年騎士は、王に脅されることとなってしまった。

 

 

『本当、あのお二人は可愛らしいですわねぇ。見ていて、このベルもきゅんきゅんしてしまいますわ』

「……ベル。盗み聞きは関心しないぞ」

「あ、あら、団長ではありませんか。どうしました?」

「いや、カミュを使いにやったのだが、追加の用事があったので来て……しかし、君は何をしている?」

「お、王様の身辺警護ですわ。では、ベルは見回りに行って参りますので~」

 

 

 

「ベル様。ベル様!あ、あの、相談したいことがあるのですがっ」

 夕食を終え、本日の仕事も終わった夜の自由時間。プリシラはベルトランの部屋の扉を叩いた。騎士達の普段の勤務場所は兵舎だが、私室の場所は城だ。ベルトランの部屋は、本人のイメージ通りに豪奢で女性的でありながらも、余計な家具は何一つとして用意されておらず、その辺りには騎士らしい無骨さが滲み出ているのだと言える。

「あら、プリシーちゃん。どうされましたの?」

「そ、それが、わたし、明日どのような服を着ていくべきなのか、いまいち判断が付かなくて……。よろしければ、一緒に服を選んでいただきたくて」

「あらあら、そのようなことでしたら、このベルにお任せあれ。身長が違い過ぎますから、服を貸して差し上げることは出来ませんが、好きなだけお付き合いしますわ」

「ありがとうございます……。一応、服は色々とありますから、まずはわたしの部屋までお願いします」

 国家の重鎮と言える騎士や宰相の部屋は、王の寝所と同じ王城のニ階に集中している。特にベルトランとプリシラの部屋は近く、たとえ真夜中であっても、誰の迷惑にもならず移動が出来ることだろう。たった十歩ほどの距離であり、男性陣の部屋とは大きく距離が取られている。

 尚、ひと月前まではこの城も、長屋のような一階建ての粗末なものであり、比較的最近になり、やっとニ階が完成した。現在はゆっくりと三階を作る計画が進められており、これが完了すれば、当面の王城の増築は終了となる。当初はより巨大な城にする案もあったが、王と宰相の考えはこうだった。

 「巨大な城こそ、王の独裁の象徴であり、ひいては人間の増長を表すものではないのか」

 この、今までの王が決して唱えることのなかった政策は、騎士達に、そして民衆に驚きを与えると同時に歓迎されたものだ。以前から国民との付き合いをなるべく重視して来ていた王だが、この宣言によって完全に人の心を掴んだと言えるだろう。

 もちろん、城が小さく貧相であれば、外交上の諸問題は起きてくる。他国に舐められるかもしれないことや、仮に他国の王族を招いたとしても、十分な持て成しが出来ないのではないか、などだ。しかし、そこは優秀な騎士に支えられる軍隊の力と、最低限来客をもてなせる程度には城の設備を整えることでカバーする。そのための三階だ。

 閑話休題。プリシラが十近く年上の女性騎士を招いた自身の部屋は、ベルトランのものに比べると、その方向性は真逆と表現するのが最も適切だろう。壁面には一部を除いて本棚が設置され、更に部屋の半分が書架によって占領されている。

 残りの家具はベッドと、やはり小さな書棚の付属した書き物用の机のみで、男性的や質素という言葉を通り越して、生活感がないとまで言い切っても差支えはない。しかし、この部屋が弱冠十八歳の少女宰相の生活スペースなのだ。信じがたいことに。

「狭い部屋ですが……」

「そうさせているのは、プリシーちゃんの豊富過ぎる蔵書ですけどね」

「は、はわっ。だ、だって、その……わたしは、本がたくさんないと落ち着かないと言いますか」

「別に、そのことを糾弾しているのではありませんわ。むしろ、勉強熱心なプリシーちゃんのその姿勢には、頭が下がるばかりです。ベルも以前は学問の世界に浸かっていましたが、騎士になってからは何冊の本を最後まで読み終えたことか」

「それは……。ベル様は、本ではなく、実生活で素晴らしい知識と経験とを得ているのですよ。わたしは、実際には大したことが出来ないから本にばかり頼っているのであって……」

 机の上に置かれていた本を棚に戻し、恥ずかしそうな顔でプリシラがささやく。そんな彼女をベルトランは、大胆にも後ろから抱きしめてみせた。それもふんわりとした調子ではなく、なんならそのまま首に腕を回せば絞め殺せてしまいそうなほどの勢いだ。

「ベ、ベル様っ」

 騎士をやっているのは伊達じゃない、ということだろう。いくらプリシラがもがいても束縛は緩められず、ふにふにと胸に触れる。恐ろしく堂々としたセクハラだ。

「しかし、そんなプリシーちゃんだからこそ、本の大切さを真に理解している。だからこそ、図書館を作ろうとしているのではなくて?」

「……はい。出来ることならば、本の輸入に関しては、わたしが自ら担当したいとも考えています」

「これだけの本を、本国から持って来たのですものね」

 ちなみに、王や騎士達の荷物もそうだが、膨大な量の物品は荷車を引いてこの土地に持ち込まれたのではない。全て、プリシラが魔術によって小さな麻袋の中に異空間を作り、そのほとんど無尽蔵に物が入る袋の中に収納することにより、遠く離れた土地に大変な量の荷物を運んでみせたのだった。

 ただし、この万能にも思える魔術は制御が非常に難しく、プリシラは毎晩の眠りすら浅くして、常に魔力を注いでいる必要があった。そうでもしなければ、たちまち袋は破れ、決壊した異空間から溢れ出した物品は王達を押し潰していたことだろう。

 更に付け加えるならば、この魔術はかなり高位の魔術師しか使えず、この魔術を利用した運送などは確立されていない。術者の素養にかなり成否が左右されることから、これからもこの魔術が普及することはないだろう、ということは容易に想像出来た。その貴重な使い手がこの国にいることは、実はどんな金品よりも価値があることなのだが、王自身気付いてはいない。あまりにも身近にプリシラがいて、彼女が次々と世界に数人しか使い手のない魔術を使ってみせるがために。

「それで、ベル様。このクロゼットの中に、一応その……服が、あります」

「他には一切、本以外を入れるような家具はありませんものね。この中身も全て、国から持って来た物で?」

「はい。基本的にお金は全て本に使ってしまっていたのですが、たまに城下町の服屋さんに入ったりすると、店員さんに色々と服を勧められてしまって……断りきれなくて買ってしまい、そのままになっている服がたくさん」

「うふふ。さすが、プリシーちゃんですわ。これだけ可愛らしくてスタイルも良いのだから、少しセンスのある人であれば、見逃しはしませんもの。けど、自ら服屋に入るなんて、プリシーちゃんも満更ではなかったのでは?」

「うぅ、それは……。さすがにいつまでもこの制服をいじった服では野暮ったいかな、と思って改善しようと思ったんです。けど、買わされる服は普段着るには恥ずかしいものばかりで……」

「なるほどなるほどー。さて、では、プリシーちゃんの恥ずかしい服を見せてもらいましょうか!」

「……公開処刑って、こういう気分なのでしょうか」

 自ら願ったことであり、相手は自分より年上の女性とはいえ、プリシラ的に恥ずかしい衣装達を他人に見られることの羞恥に耐えられるほど、彼女の心は強く出来ていない。顔は真紅となり、血液が沸騰しているかのように体温は高くなっている。

 そして、開け放たれたクロゼットからは、無数のピンクや白、クリーム色といった、黒や茶色のような落ち着いた色を好むプリシラらしくない色の。しかも、袖口や裾を無数のフリルやレースによって飾られた。更に、やや露出度の高い衣装ばかりが飛び出してくる。ダンスパーティに出る淑女であれば問題ないが、少女が着るには胸元の開き過ぎたミニドレスや、大きなスリットの入ったスカートなど、確かに普段は決して着られなさそうなものばかりだ。

「想像以上、ですわね。いくらプリシーちゃんが断りきれない押しの弱い性格とはいえ、どうしてここまで色々と買ってしまったのですか」

「店員さんが、あまりに熱心に勧めてくるので……。わたしも、生涯着ることはないであろう衣装だ、ってことはわかっていたんです。けど、店員さんも日々の生活がかかっているのだし、わたしは割とお金に余裕があるしで……」

「全く、その優しさは間違いなく美徳ですけど、見ていて危なっかしいものですわね。――ではプリシーちゃん、まずは下着だけになってください。軽く見た感じで、大体のイメージは掴めましたわ。後は、サイズも合わせながら考えてみましょう。恐らく今も胸は成長中でしょうから、きつくなった物も多いでしょうし」

「は、はいっ」

 プリシラ自身が服を脱ぐよりも早く、ベルトランがブレザーを、ブラウスを、スカートを。するりするりと脱がしていってしまい、ほんの数秒で完全に剥かれてしまった。後はもう、着せ替え人形にされるしかない。

「……ベル様、お手柔らかに」

「ええ!このベル、全身全霊を尽くして、プリシーちゃんを最高の女の子にしてみせますわ!」

 妙なスイッチの入ってしまったベルトランによるファッションショーは、数時間にも及んで続いたとされているが、途中でプリシラはほとんど意識を手放してしまったため、定かではない。

 ちなみにほぼ同時刻、王は王でローペに衣装合わせを頼んでいたのだが、こちらは大して盛り上がることもなく、無難に終わった。

 盗賊の首領を務めるだけあってか、以前はあまり裕福ではなかった彼も服装に関してはそれなりであり、定職を得てからはより一層、自分の身なりに気を遣うようになったためにお呼びがかかったのだが、体格も似ていることもあり王の明日の衣装は全て彼の物だ。

 彼にしてみれば、王の私服はどれもセンスが前時代的過ぎるという。ただし、ローペはローペで前衛的が過ぎるほどに奇抜なファッションをしていることもあるため、実はそれほどアテにはならないのかもしれない。

 ただ、王自身でも今回借りた衣装は気に入っており、諜報活動を務めるローペの服だけあり、動きやすさも申し分ない。たまの外出を楽しむだけではなく、きちんと仕事もこなせそうだった。

 

 

 

 翌朝。毎日のことであるドラゴンへの捧げ物を終えたプリシラは一度自室へと戻り、心臓が冗談ではなく口から飛び出しそうなほどの緊張を味わっていた。一応、ベルトランが選んだ服は自分でも納得出来るものだった。恥ずかしさはゼロではないが、比較的着やすいものを選んでくれたのもあるし、気弱なプリシラといえど、気合を入れれば多少は照れを捨て、堂々としていることは出来る。

 しかしながら、デートのような今回の仕事には、王もまたそれっぽい服装をして現れる。普段の王らしいマントを羽織った姿は見慣れているが、私服ともなればそのイメージは一変。まるで初めて出会う相手のようにすら感じられるだろう。そして、初対面の男性はプリシラが最も苦手とするタイプの相手である。中身はよく知っている王とはいえ、人見知りっぷりを発揮するには十分な条件が揃っていると言っても問題はない。

「……とっておきの、緊張しない方法」

 魔術のみを信じ、民間伝承や他の怪しげな術は信用しない彼女だが、今回ばかりは不確かな伝統的言い伝えにもすがらざるを得ない。つまり、手のひらに人と三回書き、それを飲み込むというおまじないだ。不思議なことに、これはこの土地にも、そしてプリシラ達の国にも全く同じ迷信が伝えられていた。

「よし、大丈夫……」

 と自分に言い聞かせ、どこか操り人形のようなぎこちなさで部屋を出て、王の待つ町の出口へと向かう。とは言っても、恐らくプリシラの到着の方が早いことだろう。王は彼女に比べれば遅起きだし、準備もあるはずだ。

 プリシラの予想通り、王は十分の遅刻をして現れた。尤も、王を基準に今回の外出は始まるので、王が遅れたというよりは、プリシラが早過ぎた、という表現の方がしっくり来る。それなのにも関わらず、王は一切の躊躇もなく宰相に頭を下げた。

「すまない、待たせてしまったな」

「い、いえ。わたしも、今来たところですから」

「悪いな。気を遣わせてしまって」

 あくまで自分に厳しく、他人を思いやる気持ちに溢れる王に苦笑しながら、しかしプリシラはおまじないの甲斐もなく、がちがちに固まってしまった。今日の王は、やはりいつもとは大きく雰囲気が違っている。無造作なようで男の色気を感じさせるようなコーディネートがされており、道を往く人々が王に注目したのは、彼がこの国の王だからというだけではなく、男女を問わず振り向かせるだけの魅力に溢れていたからに違いない。

 だが、魅力で言うならばプリシラも負けていないどころか、優っていると言えるだろう。ベルトランによれば、コーディネートのテーマは“気弱な小悪魔”。プリシラの好みを反映させ、黒や白といった無彩色を基調とはしているが、フリルの付いたスカートの丈は短め。それによって感じる恥ずかしさは、膝丈のソックスにより軽減し、いつもは適当に流している髪は、やはりフリルの付いたリボンによって軽くまとめられ、二本の尾がぴょこん、と跳ねる形になっている。いわゆるツーサイドアップと呼ばれる髪型だ。

 少女らしい可愛らしさを残しつつも、惜しげもなく足を見せるそのファッションは、正に小悪魔と言ったところだろうか。他の部分は長袖のブラウスによって隠されているため、露出が少ないのが気弱たる所以か。いずれにせよ、実に彼女らしい服装をさせてもらっている。

「プリシラ。よく似合ってるな、その服。新しく買ったのか?」

「い、いえ……。自前のものを、ベル様に選んでもらいました。……王も、とてもよくお似合いで」

「ははっ、お前もなのか。俺も実は、ローペに選んでもらったんだ。しかも、俺の場合は服も借り物でな。でも、上手く着こなせてるならよかった」

「お、王はどんな服だって似合いますからっ」

「ありがとうな。……じゃ、行くか」

 デート風の待ち合わせ、そして二人きりの外出とは言っても、実際に二人が寄り添い歩くかといえば、実はそうでもない。移動手段には馬を使わなければ、とてもではないが海岸線に出て、更に今日中に戻って来るようなことは不可能だ。

 馬は騎士団の一員が連れて来ており、王と宰相の会話はばっちりと二人の志願兵によって聞かれていたが、二人が傍から見ていてなんとも「可愛らしい」関係であることは周知の事実。今回もまだ二十代になったばかりの青年兵は微笑ましく二人を見ていた。

「プリシラ。いつもと違う道を走るんだし、くれぐれも落馬には気を付けろよ。俺はともかく、お前は何もかも細いんだし、魔術を使った治療にも限界はあるだろう」

「わかりました。ありがとうございます」

 知恵者として、そして魔術師として優秀なプリシラも、運動神経については人並み以下であり、当然ながら騎士としての訓練は受けていないために、実は馬に乗るのもそれほど上手くはない。一応、この土地に来るまでは馬で移動していたため、その過程で騎士ほどではないにしても、普通の旅人ぐらいには乗りこなせるようになったが、やはり王としては心配だ。

 ともかく、一国の王を乗せた白馬と、それを支える宰相を乗せた芦毛の馬は町の外に向け、走り出した。規則正しいリズムで足が前に運び出され、やはり規則正しく馬の背が上下に揺れる。ゆりかごのようなそのリズムは、朝のこの時間には眠気を誘いかねないものではあるが、王にはプリシラをエスコートするという役割があるし、プリシラも馬の背で居眠りなどは絶対にしないタイプだ。

 そうしてある程度走り、外の景色が大して面白くないものになってしまうと、二人はどちらからともなく、王城の中ではしないような会話を交わし始める。

「プリシラ。お前は、この国を……いや、この土地だな。王国から離れたここを、お前はどう思う?」

「どう……そうですね……。思った以上に自然は多く残されていて、海も森も山も、全てが美しい国だと思います。人も……苦しみから逃れたためか、とても優しく、心穏やかで、志願兵の方々はすごく勇敢で高潔な精神を持っているように感じます」

「そうじゃなくて……。いや、悪い。訊き方が悪かったな」

「えっ……?」

 ほとんど反射的に目の端に涙を溜めてしまうプリシラを手で制止し、王は出来る限り優しく訂正する。

「お前は、この土地が好きか?ここに死ぬまでいても、後悔はしないか?……俺が治めているからとかそういうんじゃなく、この土地そのものについて、お前自身の評価を聞きたい。客観的な評価ではなく、主観的なもので」

「…………。王は、本国に帰られるつもりはありませんよね」

「ああ。それに、もう本国なんて言葉を使うのもやめようと思う。俺の国は、あの王国の属国じゃない。だから、あの国はあの国、俺の王国は王国、だ」

「なら、遠慮をすることはありませんね。わたしは、この国のことが大好きです。わたし達自身が、あらゆるインフラの整備をしているから愛着があるのかもしれませんが、わたしはこの国を深く愛しています」

「そうか。変なことを訊いたな。でも、ありがとう」

 王の後を行くプリシラには彼の表情がどのようなものなのかわからないが、その穏やかな声色が、このなんでもないような、しかしどこか深い意味を秘めていそうな質問へのプリシラの答えは、彼の助けになったのであろうということを何よりも如実に伝えていた。

「わたしも――王に一つお訊きしても、良いですか?」

「もちろん。俺も、いまいち城じゃ訊きにくいことを訊いたからな」

「ありがとうございます。えっと、王は、わたしのことをどうお考えですか?」

「ん?また妙なことだな」

「あ、いえ、さっきの王のご質問と、同じです。主観で見て、王はわたしをどう思われているのか、と……」

 思わず王が振り返ると、そこにはなんとも言えないはにかんだ表情のプリシラがいる。屋外に出たことにより、少し積極性が増しているのだろうか?普段の彼女の性格から考えれば、かなり勇気を出して質問しているのは間違いない。

「お前を、か……。頼りになる仕事のパートナーで、この国に欠かせない人材で……大事な人だ。仕事の上でも、きっと俺の人生の上でも」

「ア、アル様、それって……」

「ふ、ははっ、なんか、恥ずかしいな。お前に感謝したことは数え切れないが、ここまで褒めたのは初めてだったか。けど、いつも言葉には出してないけど、本当にお前はすごい奴だな、って思ってるんだぞ?その小さな体で、よくここまでやってくれているな、と」

「そんな……。わたしは、王の臣下です。そして、内政に携わる者として、国民の下僕でなければなりません。わたしがしていることは、当たり前のことに過ぎませんよ」

「いや。でも、お前は立派だよ。どう考えても俺より働いているし、毎日ありがとうな。プリシー」

「は、ひっ、ふへぇ!?あ、ばばばば……」

「お、おい。落馬するなよ!?」

 いよいよ恥ずかしさが臨界点を超えたのか、顔だけではなく全身を赤く火照らせんばかりのプリシラは、今にも馬から転げ落ちる……いや、自らの意思で飛び降り、地面をごろごろと転がってしまいそうだ。どうやら、最後に使った愛称が決まり手だったらしい。ベルトランには常日頃呼ばれている愛称も、たまに王が使うとなれば、恥ずかしがり屋な少女宰相にとっては効果てきめん。一撃で色々と粉砕しかねない衝撃だ。

「お、王……。あの、わざと言ってません?」

「まさか。まあ、確かにお前が照れてる姿は最高に可愛いが、俺がそんな悪趣味な訳がないだろう」

「で、ですよね。はー……びっくりしたー」

 体に灯った火を鎮めるように、プリシラはうつ伏せになって馬の背に体を預ける。小柄な少女の全体重を立派な雄馬はがっちりと受け止め、その上で力強く地面を蹴る。道程はまだまだあり、会話をしながらも馬の歩みを止めさせる訳にはいけない。だからこそ落馬を心配する王だが、とりあえず落ち着いたようだ。

 前を向き直り、道なき道に障害物がないかをきちんと確認する。本来的には、王ではなくその臣下がするべきことだろうが、王である前に、宰相である前に、アルフォレイオスは男であり、プリシラはその年下の女性である。立場がどうだから、と男性が務めるべき仕事を投げ出すようなアルフォレイオス王ではない。

「おーい、プリシラ。起きてるか?」

「は、はい……。もう着きましたか?それとも、お昼ですか?」

「いや、まだまだ昼まで時間はあるし、当然目的地もまだだ。海の気配すらしないぞ」

「まだまだ長いですね。んー、変な姿勢で馬に乗っていたものですから、軽く酔ったような……」

 可愛らしい欠伸をしながら伸びをするプリシラ。奇麗な衣装に身を包んだ彼女は少し大人びて見えるが、その無防備な姿は年相応か、それ以上に幼い。

「足場が悪いからな。あんまり辛いようなら、少し休むか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「なら良いが、無理はするなよ」

 そして、更に進む二頭の馬。野放図に伸びた草の原はいつの間にやら過ぎ去っており、地面はより固く、乾燥したものとなっていた。やや大きめの石も転がっており、ここの街道の整備は少し大変そうだ。

「少し前からそうですけど、動物を見ませんね」

「そうだな。町の近くでは野ウサギや野鳥を頻繁に見たが、この辺りになるとそれも生息していないのか」

「全くの荒野、という訳ではありませんが、緑も水も少ないからなのでしょうか。……過酷なのは旅人にも言えることですし、将来的には休憩所のような施設を作るべきかもしれません。奇麗な飲み水も確保したいところですが、さすがに水道設備を敷くとなると、コストも時間もかかってしまいますね」

「確かに、町が出来るような場所ではないし、何かしらのフォローは必要だな。――お前と来て良かったよ。俺だけなら、見逃していたかもしれない」

「い、いえ。ただ可愛らしいウサギがいないのは寂しいなあ、なんてぼんやりと考えていただけですから、お褒めに預かるようなことでは……」

「は、ははっ。お前、案外小動物って好きだよな」

 謙遜のために言ったことが墓穴となり、再び頬には急速に熱が集まっていく。

 並び立つ者がいないほどの知識量、頭の回転の速さを持つはずの彼女だが、その性格によって実際の能力を程よく発揮出来なくなることが度々あるからこそ、結果としては王のよきパートナーとなることが出来ているのかもしれない。恐らく、プリシラが常に能力通りの働きをすることが出来ていれば、寛容で、プリシラのことを好いている王であっても、嫉妬を禁じえないほどの仕事をしてみせるのであろうから。

「べ、別にそういう訳ではっ。ただ、ウサギとかネコとか、そういうのはすごく好きです。飼ったことはないですし、怖くて飼えないですが」

「好きなのに、怖いのか?」

 一見、実に矛盾した心理だ。

「死なせてしまうことが、怖くて……。わたしは、わたし一人のするべきことをこなすだけで、もう手一杯ですから。新たに余計な命を背負うなんて、とても無理に思えます」

「……なるほどな」

 少女は、今も宰相としての職務を全うしている。その仕事は、国民全ての人生を左右するものだと言っても、決して大げさではない。だからこそ彼女は、たとえたった一匹の動物であっても、背負うべき責任が増えることは恐ろしく感じるのだろう。

 王もまたプリシラの言葉を聞き、やはり自分も自分の国を治めることに手一杯であることを再認識する。為政者とは、常にギリギリの心理状態でいるものなのだろうか。頑固で偏屈だとよく揶揄した父王、そして新たな王となるであろう妹が教え込まれていた、一目見ただけで頭が痛くなる帝王学を思い出す。

 偏った教育や、凝り固まった思想は、実は王にとって本当に必要なものなのかもしれない。

 ――だが。王は頭を強く横に振り、その考えを打ち消した。哀しいことながら、彼の“本国”は、以前この土地に存在していた王国と同じ運命を辿るような気がしてならない。そして、滅亡の憂き目を見るのは、そう遠くない内。下手をすれば彼の妹の代には、もう人間の増長が守護神を怒らせるものに至ることもあるだろう。

 王は、事実としてドラゴンに。圧倒的な上位存在に滅ぼされた王国を見た。だからという訳では決してないが、だからこそ余計に、彼は新たな国を目指す決意をした。すなわち、人間の知恵と技術を活かしながらも、自然やドラゴンと共生をする国だ。

 今はまだ、机上の空論でしかないが、王はこの理想を実現するため、日々を生きているとすら言える。その気持ちはプリシラも同じだ。だからこそ、二人は互いに強く依存し、信頼し合っているのかもしれない。

「ご、ごめんなさい。変なことを言ってしまって」

「だから、そんなに謝らなくて良いと、昔から言っているだろう?」

「は、はぅっ。ごめんなさい」

「……無意識に謝っているだろう」

「ごめんなさい」

「はぁ。もう良い。その辺りも含めて、プリシー、お前だな」

 気弱な宰相に苦笑し、王は進む先を見据える。それなりの時間を移動して来たが、ようやく地図上では海まで一時間ほどの地点だ。この準荒野地帯もじきに抜け、再び緑豊かな大地が現れる、ということになっている。そうすれば、まもなく海も見えるはずだ。そこで昼食を摂るのが最良だろう。

「そう言えば、王。お昼ご飯はもう馬に乗せられていますけど、これは誰が用意されたのですか?てっきりわたしが用意するべきものだと思っていたのですが、する必要がないと仰られましたし。まさか、ベル様の殺人……もとい、前衛的な料理ではありませんよね?」

「ああ、安心しろ。作ったのは新しく雇った料理人だよ。尤も、俺もまだ顔を合わせたことがないんだが、兵達の食事を作ってくれているらしい。腕は確かだぞ。――後、ベルも一応、最低限の料理ぐらいは出来るみたいだったが?」

「それなら安心です。――ベル様は、手の込んだ料理に手を出されると、十中八九失敗されるのだと、ヨハン様が嘆いておられました。かつてはよく犠牲になっていたのでしょうね。具体的には、煮込む時間を豪快に間違えたり、砂糖と塩を間違える子どもじみたミスを、平然とやってのけたり……」

「さすがにそれは嘘だろ」

「激甘料理を食べてしまい、テオドール様は一晩中強烈な吐き気に襲われたそうですが」

「……結構な年の奴にそれはきついだろうな。あいつ、何かとそつなくこなすのになぜだ…………」

 常に何もかも知っているかのような笑みを浮かべ、その挑戦的、自信過剰気味な態度に違わない、豊かな才能を見せるベルトランの唯一の弱点が料理ということだろうか。

「ですが、プロの料理人の方が作られたらのなら安心ですね。ちなみにどのようなもので?」

「包んでいる布をそのまま持ち手にして食べられる、鶏肉の香草焼きらしい。それとパンだな」

「……お肉、ですか!?」

 もしもプリシラに獣の耳が生えていれば、その耳がぴくり、と動いていたことだろう。そして、獣の尾が生えていたとすれば、それをぶんぶんと振り回していたはずだ。それほどに、彼女にとって肉というワードは大きな意味を持つものである。

「プリシー。涎」

「うっ、あぅっ、ごめんなさい…………」

「見た目だけならお前、菓子類とか果物とか、そういうのを喜んで食いそうなんだけどな」

「お、お菓子も大好きですよっ」

「でも、一番好きなのは?」

「……お肉です。鶏肉なら尚良いです」

「その心は?」

「だって、すごくジューシーなのに、他のお肉に比べたらまだ健康的っぽいじゃないですか!それに、鶏肉を食べると胸が大きくなるという情報もありますよ?」

「それ以上大きくしてどうする。お前がふわふわむちむちになるのは、まあ……俺にとっては魅力的過ぎる話だが、色々と不自由もあるだろうし」

「え、ええ。結構、肩が凝ったり……」

「本当に凝るものなのか。てっきり、そういう伝説がある程度の話なのだとばかり思っていた」

「いえいえ、ベル様も身長や体格にしてみれば中程度の大きさではありますが、恐らくわたしと同じ悩みを……って、どうして男性である王にこんな話をしているのですかっ」

「胸の話に持って行ったのはプリシー、お前のように記憶しているが」

「忘れました!王の狡猾なる誘導尋問が招いた結果なのですっ」

 勝手に王が悪者ということにされてしまい、恥ずかしさと軽い怒りで頬を赤くしたプリシラは軽く鞭を入れ、ずんずんと王の前を進んで行ってしまう。この辺りの足場はかなり平坦になっているので、先に行かせること自体に問題は少ないが――。

「おい、プリシラ。……ったく、自爆しておいて俺のせいはないだろう。ま、そういうところも良いんだが、残念ながら俺は女の尻を追いかけるのは趣味じゃないんだ。とっとと追い越してやるぜ!」

 この国の王となって以来、すっかり形を潜めようとしつつあった王の負けず嫌いさが、ここになって剥き出しになって馬に鞭を入れさせる。今はかなり穏やかになっている王だが、本来その気性は荒く、勝負事になると負けでは決して満足しない。だからこそ、武術でも他人に劣らないように剣を習い、学問でも勝ち続けるため、本来ならば学者にしか必要のない知識も吸収して来た。

 それ等が今、辺境の一度滅亡した土地で国を興すにあたって役立っているのだから、人間の人生というものはわからない。彼がもしも負けず嫌いな性格でなく、勉強を不真面目にしている王子であれば、今のように高潔な意志を持って国作りをしていないのかもしれないのだ。

「むっ、わたしだって、乗馬はそれなりに練習したんですっ。そう易々とは抜かせませんよ!」

 背後から迫る王に気付き、プリシラもまた馬を加速させる。行く先に障害物もないからと、かなり遠慮のない速度を二人とも出し、到着までにかかる時間を大幅に短縮してしまいそうな勢いだ。

「海辺での“掴まえてごらんなさい”なら良いが、こんな形で追いかけることになるとはな。だが――だからこそ、燃えるというものだ。この俺、アルフォレイオス・テューダ。王としての名誉をかけてお前に追いつく!」

 いつの間にやら大変なベットが乗ってしまい、王の馬は怒涛の追い上げを見せる。それに負けじとプリシラも鞭を入れ、なんとか振り切ろうとするも、馬の脚力の差なのか二人の距離はどんどん縮まり、遂に王が追い越してしまう。それでも王は馬の速度を落とすことはなく、プリシラもなんとかそれに追いつこうとする。

 結局、海外線に出るまで騎馬戦じみた追いかけ合いは続き、結局プリシラは再び王の前を走ることは叶わなかったものの、ひと時も王に油断を許さないほどの走りを見せたのだから十分の戦果だ。

「はぁ……。最初はすごく軽い気持ちだったのに、白熱してしまいましたね」

「そうだな……。どっと疲れた気がする」

「まあ、お昼ご飯が美味しくなったとプラスに受け取りましょう。んっ……潮風が気持ち良いですね」

 長い夕焼け色の髪が、風に流れていく。まるで海の上に灯った鬼火のようで、どこか現実離れした風景に見えてしまう。更に、プリシラに関してはもう一つ、幻想的なものがあったことを思い出し、思わず王は口を滑らせた。

「しかし、お前を追い越す時にちらっ、と横目で見たんだが、すごかったな」

「え?わたしの馬術がですか?」

「いや、もちろんそれもあるが、胸だよ。ばいんばいんに揺れてたな。あれはもう、眼福を通り越した……って、やばっ」

「ほ、ほほーう。王はそこまで、そこまでわたしの体に興味がおありですか」

「あ、ああ。あるとも。興味は大ありだ。知的好奇心が尽きないなぁ」

 こうなると軽くヤケを起こし、逆に堂々と少女宰相の体……主に胸や太ももを舐め回すように見てやる。怒った彼女は腕を組んでいるため、胸がより強調されて思わず手で触れてみたいほどに魅惑的だ。

「そうですか。では、どうぞ堪能してください」

「おっ、まさか触らせ……ぐへっ!?」

 以前より、王をグーで殴るか、魔術の炎で焼き焦がすかを野望としていたプリシラだが、まさかの蹴りが王の腹へと突き刺さっていった。空きっ腹なので戻してしまうものは何もないが、力のない少女から放たれたものとはいえ、遠慮のないボディへの一撃は相当に堪えるものがある。

「くそっ……蹴りが来るってわかっていれば、蹴りを受け止めながらも太ももを撫で回してやれたんだが」

 しかし、下心は健在なようだ。

「蹴るどころか、踏みますよ!?」

「それはそれで良いな。下から見上げれば、下着も覗けそうだし」

「…………どうしてこうも、あなたは変態のようなことを平気な顔で言えるのですか。王族に生まれながら、そんな下品なことばかり……」

「なに、王族とて人間、性欲はあるだろう。それにだな、俺は立場上、そういったものの解消が難しい訳だ。お前みたいな理想の娘が傍にいるのは実に喜ばしいことだが、たまにはこういうことも言って発散しないとな」

「真顔でえっちなことを語らないでください。次はヨハン様辺りに蹴ってもらいますよ」

「ははっ、あいつが俺を蹴れるものか。俺の臣下なのだからな」

「騎士は正義のたまにその武を振るうのです。どう考えてもこの場合、王は邪悪だと思われますが」

「くっ……は、反論出来ないっ」

「どうか、こういう時に反論出来る王になってください。お願いします……」

「俺は俺なりに、実直に生きているつもりなんだけどな」

「常に女性には飢えているようですけどね……」

 血気の盛んさはたまにしか発揮されないが、性欲は常に盛んな王に呆れた顔をしていたプリシラだが、食事の包みを解いた途端、その表情は一気に晴れやかなものになっていく。取り出された鶏肉には見事な焼き色が付いており、冷めているとはいえ肉汁を内包したその大きめな肉片はプリシラにしてみればどんな宝にも勝る価値がある。

 一応、主君よりも先に食事をする訳にはいかないということで、王もまた包みを解くのを待ちはするものの、傍から見ていて一刻も早くかぶり付いてもらい、満足してもらいたいほどの目の輝き加減には、王も苦笑せざるを得ない。

「俺は性欲に忠実だが、お前は食欲の虜だな。……ほう、やはり香草を使うと、臭みが取れて良いな。肉も柔らかいし、これはパンが進む」

「食べられましたね!?よし来たっ、いただきますっ」

 王が一口食べたことを確認すると、途端にプリシラは鶏肉へと貪り付き、小さな口で可能な限り多く肉をかじり取る。そして実に幸せそうな顔で咀嚼するのだから、プリシラを理想と女性としている王にしてみれば、その姿を見るだけでお腹がいっぱいになる思いだ。パンで肉の片方の端を挟んでしっかりと固定し、力を入れて肉を二つに裂くと、食べかけではない方をプリシラに渡そうと再び包み直す。

「はむっ、はむっ…………」

 少女宰相はそんな王の心遣いには気付くはずもなく、ただ一心不乱に鶏肉を食す。パンになど目もくれず、ただただ、肉の味を噛み締めているのだから、いかに彼女が肉のことを愛しているのかがわかる。

「おい、プリシー。ほらこれ、俺は半分で良いから、食え」

「良いんですか!?いただきますっ」

 即答である。もしもこれが服やお金であれば、プリシラは遠慮に遠慮を重ねて受け取ろうとはしなかっただろう。だが、肉となれば訳は違って来る。すなわち、このように一切の迷いもなく受け取り、胃袋へと落とし込んでいってしまうのであった。

「これで太らないんだから、羨ましいよな。……本当に胸にばっかり栄養が行っているのか」

 幸せいっぱいの顔でプリシラは肉を頬張り、がつがつ、という擬音が似合うほどの勢いで食べる。食べるに食べる。

 国に多くいる彼女のファンがこの姿を見れば、幻滅するだろうか?それとも、肉類が好物だとわかった瞬間に猛烈な勢いで餌付けを開始するだろうか。……プリシラのことを好きになる人間であれば、きっと後者であろう。ファン一号である王が空きっ腹を我慢して貴重な昼食を与えてしまうのだから、まず間違いはない。

「本当、魔性の女だよ、お前は」

 

 一心不乱に食事を摂るプリシラを見ながら、王は呟く。

 こうして、この国に来て以来初めてとなる二人のデート(?)の一日は過ぎていった。

 さすがに、王の食事が不十分だったということもあり、帰りには追いかけ合いをすることはなかったが、ゆっくりと帰っただけに二人の話は花が咲き、城へと帰還した時にはすっかり陽も落ちてしまっていた。

 行きには馬を飛ばし、帰りには必要以上にゆっくりと歩かせてしまったため、正確な時間が計測出来ず、二人がヨハンに苦言を呈されたのは言うまでもない。


 
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