No.553179

すみません。こいつの兄です。55

妄想劇場55話目。コミケ回。実は、ぼくは最後にコミケに参加させていただいたのは晴海時代なので、ビッグサイトでのコミケの様子を知らなかったりします。今はものすごく混んでいるみたいですからねー。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411

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2013-03-09 22:03:38 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:1028   閲覧ユーザー数:939

 市瀬家まで真奈美さんを送り、玄関で辞去して自宅にもどる。

 夕食を食べて、グランツーリスモで妹にコテンパンにやられて、九時くらいにようやく部屋にもどる。

 美沙ちゃんにメールする。

《今、部屋にもどったよ》

 美沙ちゃんには、謝って若干約束の修正をさせてもらった。俺が部屋にいるときに限って、いつでも電話していい。そういう条件を追加した。そうじゃないと、食事中でも外出中でもウンコしてても、二分から三分おきに電話が鳴る。さすがに、日常生活に支障をきたしてしまう。その代わり、部屋に帰ったらメールするし、出かけるときもメールする。

 なんだか、監視されている気もするが、それは許容できる。なにせ、あの美沙ちゃんが電話してくれて、天使の声で囁いてくれるのだ。俺のプライバシーくらい差し出してもいいだろう。

 ただ、可愛らしさに精神が崩壊しそうになるのだけは、ちょっと困る。

 女の子の可愛さも限度を超えると危険物だ。

 

 メールして、間を置かずに電話が鳴る。

「もしもし?」

「も、もしもし…お兄さん?」

「うん」

少し緊張した美沙ちゃんの声。何度電話してきても、最初の一言目にかすかな緊張感が漂う。そんな緊張した声の響きにも胸がキュンとなる。

 美沙ちゃんに陥落されそうだ。

 もともと、俺は美沙ちゃんが大好きで美沙ちゃんにベタ惚れなのだから、仕方がない。大好きだけど、付き合えないだけだ。

「あの…お姉ちゃんと遊びに行ってたんですか?」

「俺にとっては、半分バイトだけどね」

「バイトなの?」

「うん。佐々木先生の手伝いでバイト代も出るんだ。明日もね。全部終わったら、真奈美さんにも分け前を渡さなきゃ」

「なんでお姉ちゃん?」

質問の意図に少し悩む。なぜ、真奈美さんがバイトを手伝っているのかという意味だろうか。それとも、なぜ美沙ちゃんじゃなくて真奈美さんなのかという意味なのだろうか。

「真奈美さんの社会体験かな」

「…なるほど。そうですね。お姉ちゃんには、一ピコ秒でも早く独り立ちしてもらって、お兄さん離れしてもらわないといけませんしね」

美沙ちゃんの声音に険が混じる。目のハイライトが無くなった感じ。

「美沙ちゃん…あのさ」

少し言いづらい、ひょっとしたらタブーかもしれない質問をしてみることにする。

「はい」

「美沙ちゃんくらい可愛いと、誰でも落とし放題だと思うんだけど、なんで俺なの?」

「…え?…えと…」

美沙ちゃんが言いよどむ。迷っているのだろうか。ひょっとしたら、冷静に考えて、さぁーっと冷めてしまうかもしれない。その方がいいのだろうけど、きっとそうなったら、俺はまた泣くな。吐くかもしれない。

「しりません…。お姉ちゃんがうらやましかったのかもしれないし…。お姉ちゃんのために…だれかのために、あんなに一生懸命になっているお兄さんを見て…私のことを好きになってくれたら…って思ったら、止まらなくなっちゃ…って…」

あ、まずい。

 美沙ちゃんの声に湿った音が混じる。

 泣かせてしまった。

 わかっていたのに、また泣かせてしまった。

 天使を泣かせたら、神の鉄槌を受ける。

 

《本日昼頃から、天気が崩れはじめ、ところによりみぞれ交じりの雨になります…》

朝、五時半。家を出て、つばめちゃんのマンションに向かう途中、ウォークマンをFMラジオモードにして聞いていた天気予報は、そんなことを言っていた。傘は、持っていない。まぁ、会場からはすぐにゆりかもめか、電車だし、途中からはタクシーを使うだろうし大丈夫だろう。

 

 ほぼ予定通り、六時五分前に到着する。

 

「時間通り!えらいわー!おはよー」

 昨日のだらしなさとはうって変わって、こぎれいにナチュラルメイクをして、サラサラの髪をやわらかく結ったつばめちゃんが迎えてくれる。楽しそうな笑顔は、三十歳とは思えない。着ている服もタートルネックの薄桃色のセーターに、小さなシルバーのアクセサリー。チェック模様の厚手のロングスカート。教師をしているときの佐々木先生でも、けっこうな数の男子生徒をやっつけちゃっている。彼らが今のつばめちゃんを見たら、確実に陥落するだろうなと思う。

「じゃ、行きましょ。トイレ、大丈夫?」

そういいながら、玄関口にかけてあるオレンジ色のコートに、緑色のショールをあわせる。今にもスキップしそうな浮かれっぷりだ。

 すごく楽しいところにデートに行くような様子だが、行くところはコミケで、やることは冷たいパイプ椅子に座っているだけだ。

 パイプ椅子に座るのをこんなに楽しそうにする人も珍しかろう…と思いかけて、思いなおす。そういえば三日間で三万サークル。一つのサークルが二人としても六万人くらいいて、しかも抽選落ちしてる人までいるのだと思い当たる。

 パイプ椅子への着席は、俺がまだ気づいていないエンタテイメントの可能性を秘めているのかも知れない。

 夏と同じく、物理的にヘビィなダンボールを台車に積む。夏の頃から変わっていなければ、今回で十六種類、三十冊ずつ、合計四百八十冊なはずだ。

「昨日の、出来上がったんですか?」

「うん。おかげさまでね。これよ」

つばめちゃんが、ひょいっと肩に担いだバッグを見せる。思ったよりは小さい。他のつばめちゃんの本は、どれも分厚いからな。昨日製本していたのは薄かった。昨日のがあそこってことは、こっちのダンボールは合計四百五十冊か。

 ミシミシという台車の抗議の声を聞きながら、歩道を進む。

 電動アシスト自転車というのが世の中にあるのだから、電動アシスト台車というのがあってもいいと思う。そういえば、駅で自動販売機に飲み物を入れる人が、電動でうぃんうぃん階段を電動で昇っていく台車を使っていたな。あれ欲しいな。

 早朝の電車は空いているが、会場に近づくにつれて車内が混雑し始める。台車にダンボールを積んだ乗客は、いかにも迷惑だ。つまり俺たちだ。電車を降りてタクシーに乗り換える。

「サークル参加をしていると、本当は駐車場も申し込めるんだけどね」

隣に座ったつばめちゃんが、そう教えてくれる。

「それじゃ、なんで車を使わないんですか?」

「だって、車、持ってないもの」

「レンタカーとか」

「レンタカーより、直人くんが便利で安いわ」

交通費を含めたら安くないと思いつつ、受け流す。悪戯っぽく笑うつばめちゃんが、あいかわらず三十歳に見えなくて少し照れてしまったからだ。

 七時を少しすぎたあたりで会場に到着する。夏と同じく恐ろしい人の数だ。冬は着膨れしているからか、さらにみっちりと人が詰まっているように見える。そして、なぜみんな黒い服なのだろう。オレンジ色のつばめちゃんのコートが目立つ。

「おはよーございまーす。よろしくおねがいしまーす」

先に来ていた隣のスペースの人たちに声をかける。男性向け創作エリア。つまりエロ本ゾーン。つばめちゃんの登場に、隣のスペースの男性が意外そうな顔をする。

「あ。よろしくおねがいします」

それでも、折り目正しく挨拶を返してくれる。すらりと背の高い、イケメンと言っていいくらいの優しそうな顔立ちの男性だ。あまりオタクという感じはしないけれど、並べている本は「触手の神様」というタイトルで、表紙は巫女さんが触手になにかされているエロ漫画だ。このイケメンさんが描いているんだよな。

 こちらも鞄からテーブルクロス代わりの布を広げて、本を並べる。十六種類も並びきらない。キチキチに詰めて並べる。奥の一列は少し重ねて、なんとか十六種類を並べる。

「うち、一冊しかないんで、少しはみ出してもいいですよ」

触手の神様の作者さん(推定)が親切に申し出てくれる。

「え。いいんですか?じゃあ、お言葉に甘えて」

A5一冊分、スペースを侵略させてもらうと、もう少しマシな感じに並んだ。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

触手の神様はフレンドリーで親切である。

 名前がわからないので、今日一日、この人のことは触手神と呼ぶことにした。フランケンシュタイン博士の作った怪物がフランケンシュタインって呼ばれているんだから、触手の神様を描いた人を触手神と呼んでもいいと思う。触手って呼ぶのはさすがに失礼だと思う。

 

 落ち着いた女性の声で、イベントの始まりが告げられると一斉に拍手が沸き起こる。

 そして、地響き。少し怖い。

「いっしょに使いましょ」

そう言って、つばめちゃんがバッグからひざ掛けを出す。スペースの幅はあまり広くない。パイプ椅子を二つ並べると、正直、少し触手神の領域にはみ出すくらいだ。なるべくご迷惑にならないようにすると、つばめちゃんと肩をくっつけあうことになる。

 ちょっと照れる。

 照れ隠しに、横を見ると触手神さんがスケッチブックにイラストを描いていた。上手ぇ…。

 本屋で売っているような漫画の絵が、目の前でさらさらと出来ていくのを見るのは、ちょっとしたエンタテイメントだ。魔法みたいだ。

 しかもエロい。おっぱいの丸みの表現なんて、すごく好みだ。

 見る見るうちに一枚描きあげて、スケッチブックを閉じる。世の中、すごい人がいるものだ。

 じっと見ていたから、目が合った。

 少し照れたように目を細めて、触手神さんが言う。

「カップル参加なんですか?」

「そう見えます?」

つばめちゃんが、即座に思わせぶる。

「ちがいます」

俺が即座に否定する。

「違うんですね」

「ちがいます」

「直人くん、バラすの早すぎ」

誤解は早めに解いておかないといけない。

「ああ。姉弟?」

「ふふ…そういうことにしておいてください」

触手神さんも、まさかエロ同人誌を売っている二人が学校の教師と生徒とは思うまい。

「あ。もし、どこか買い物とか行かれるなら、その間、お店番しますよ」

どうやら、一人で来ているっぽい触手神さんにつばめちゃんが申し出る。

「あ。ありがとうございます。じゃ、ちょっと挨拶回りだけして来ちゃっていいですかね?たぶん、ぼくの本は午前中は売れないと思うんで…」

「どーぞ、どーぞ」

触手神さんが、スペースを俺に託して出て行く。

 考えてみると、お金を扱うのに今日出会ったばかりの俺にスペースを託していくというのは、無用心なんじゃないだろうか。でも、反対のことを言われたら、俺も触手神さんを信頼しそうな気がする。なんだろう。この緩さは…。

「いいんですかね。初対面で、本名も知らない俺とかに任せて行っちゃって…」

緩さの元を知りたくて、つばめちゃんに聞いてみる。

「いいんじゃない?信用してくれたんだもの」

「でも、なんで?」

「なんでって…。こんなに本を出してるもの」

「?」

「お隣さんだって、そんなに上手に絵を描くのよ」

「?それが、なにか証明に?」

「よほど売れる人なら別でしょうけど…。私たちみたいに、ほとんど売れないのにそんなに上手に絵を描けるくらいまで、絵の練習をしてたり、こんなに本を出すくらい絵を描いているんだもの信用できるわよ」

「?」

「そんなに漫画を描くのが好きなんだもの。そんな簡単にここに来づらくなるようなことはしないわ。また次の夏に、楽しくこの場所にやってこられるっていうのは、とても価値のあることよ」

にっこりとつばめちゃんが笑う。

 そうか。

 そういうことか。

 楽しく集まれる場所があるということは、価値のあることだ。ここは、漫画を描くのが好きでたまらないつばめちゃんや触手神さんみたいな人とっては、行儀良く、愛想よく、礼儀正しくするべきところなんだ。また、ここに来て歓迎してもらえるように。

 なるほど。触手神さんも、そう思っていたから俺は無意識に緩く信頼していたのか…。

 

 楽しく集まれる、互いに大切にしあう場所。

 そう思って、同時に真奈美さんを想う。

 真奈美さんは、そういう場所を失って部屋から出れなくなっていた。

 真奈美さんは、俺のことを大切にしてくれる。ケーキを作ってくれたり。お茶を淹れてくれたり。それはたぶん、今は俺が真奈美さんにとって、おびえないでいられる大事な場所だからだ。

 俺も、真奈美さんを大切にしよう。

 

「こ、これ…」

ぼーっとしていたら、いつの間にか黒のダウンジャケットを着たふくよかな男性が立っていた。本を指差している。

「あ。えっと、六百円です」

巫女さんが触手でいろいろされてる、触手神さんの大切な本が売れていった。

 

 アレはただのエロ本じゃないのだと思ったりした。

 

 拍手で始まったコミケは、拍手で終わる。

 夏と同じように、だいたい朝と同じ量をダンボールに詰めなおして、台車に積む。隣の触手神さんは、つばめちゃんよりも需要予測ができていたようで帰りは身軽になっていた。

「おつかれさまでしたー。またー」

「おつかれでしたー」

左右のお隣さんと挨拶をして、帰途に着く。

 会場を出て、思い出す。

 天使を泣かせた俺には、天罰てきめん。

 外は雪。

 タクシーには長蛇の列。しかも、タクシーが戻って来る台数が少なくて、タクシープールからどんどんタクシーが減っていく。

「あれは、私たちの番になる前に車のほうが尽きるわね」

「そうですね」

「台車で迷惑だけど、ごめんなさいしてバスで東京駅まで行くしかないかしらね。バスは、直通運転だから、途中で降りる人もいないし、電車やゆりかもめよりは台車が邪魔にならないと思う」

二人で、今度はバスの列に並ぶ。

 雪で、バスの運行も遅れているらしい。なかなか来ないバスを待つ。だんだん身体が冷えてきた。寒いなぁ。早く、バス来ないかなぁ。

 ようやくバスが来る。

 けっこう混雑している。迷惑台車野郎としては、バスの一番奥に行きたい。一台待つことにして、後ろに並んでいる人に譲る。身体を冷え冷えにしながら、次のバスに乗り込む。一番後ろに台車ごと移動し、ごめんなさい、ごめんなさいと言いつつ場所を確保した。東京駅で降りる。東京駅でもタクシーは長蛇の列だ。救いは、ここからは電車がそんなに混んでいないこと。いろいろ奇異の視線を浴びつつ台車とともに電車に乗る。

 

 ほっとしたのもつかの間、今日の神様は本気だ。

 

 ノンストップ天罰MIX、フィーチャリング悪天候。

 

 つまり。

 電車が、止まった。

 

 つばめちゃんのマンションまであと一駅だったのに、惜しい。一駅くらい根性で動かして欲しいところだが、安全には代えられない。

「つばめちゃん…」

「うん。なぁに?」

「マンションまで、どのくらい距離があるの?」

「…四キロくらい」

「一時間くらいだね」

「そうね」

「このタクシーの列は、二時間くらい待ちそうだね」

「そうね」

「バスは運休って書いてあったよ」

「そうね」

「歩く?」

「行ってくれる?」

「二時間待つより、マシかも」

かくして、地獄の雪中行軍が始まった。

 降り積もり、アスファルトを白く覆い始めた雪に二本のわだちを作りながら台車を押す。雪が降り積もってくる。

 まずいな。

 そう思って、ウィンドブレーカーを脱ぐ。濡れ始めたダンボールを覆う。

「直人くん。風邪引いちゃうわ」

「一応、重ね着で、中にもフリース着てるし…」

このダンボールの中身は、ぐしゃぐしゃの台無しにしていいものではない。そのくらいは分かってきた。

 ぬおおおおー。

 冷えた身体を温めようと、ヤケクソにパワーを出して台車を押す。ヘンリー・フォードの名言がある。『自分で薪を割れ。二重に温まる』だ。

 雪は勢いを増し、靴にも染みとおってきた。足元が冷えるのは辛い。でも、逃げ場は前にしかない。進む。進む。

 ふわりと、首に暖かさを感じる。

「せめて、ショールを貸してあげるわ」

 つばめちゃんが、ショールを俺に巻いてくれる。

 二人、黙って進む。雪の中を歩くのは、思った以上にきつい。顔も指先もひりひりとして、感覚がなくなる。耳も痛い。足先もじんじんする。

 それでも進む。

 途中の坂道、車が立ち往生していた。タクシーを使っても、ああなったかもしれない。二足歩行の俺の足もすべる。

 うわ。

 つばめちゃんが、俺の尻を押してくれる。ちょっと、エッチな気分になってしまうというか…。

「つばめちゃん…」

「なに?」

「ここだけ、逆にしない?」

「…いいわよ。お尻、触りたいの?」

「ごめんなさい。じょうだんです」

そんなことを言われたら、よけいに触れない。坂を上りきる。見覚えのある通りだ。あと、十五分くらいで着くはず。

 なにも考えずに右、左、右、左、と声に出さずに唱えながら、一歩一歩進む。寒いとか冷たいとかを通り越して、全身の表面が痛い。目から、勝手に涙が出てくる。顔に当たる雪が溶け落ちなくなっている。まつげに積もる雪を時折振り落とす。

 

 一時間の道のりを一時間半かかって到着する。つばめちゃんが何度かカギを挿しこむのを失敗し、ようやくドアを開ける。中に転がり込む。

「す、すぐにお風呂沸かすわね。直人くん、先に入って温まって…」

「い、いいですから、つばめちゃん、先に入って」

「そんな。だめよ」

「いいっすから!」

言い争ってる場合ではない。つばめちゃんを脱衣所に押し込む。

 そして、自分はエアコンの温風が直撃する位置を探して、そこに丸まる。

 温風程度じゃ温まらない。もっと熱が欲しい。熱風が欲しい。温風じゃ足りない。他に暖房器具はないのか。ホットカーペットとか…。ない。パソコン。パソコンも、そこそこ暖かくなるけど、暖房ってほどじゃない。蛍光灯。抱きつけば暖かそうではあるが、残念ながら天井だ。

 電子レンジ…。

 まて。落ち着け、俺。判断力がおかしくなってるぞ。

 そこに、バスルームの扉の開く音がする。

「直人くん。おまたせ。入って温まって…」

「あ、はい…はうっ!?」

バスタオル巻きだ。つばめちゃんのバスタオル巻きだ。

 佐々木つばめちゃん。

 首、細いよな。

 鎖骨。

 胸、やっぱあるな。

 足、細くて、隙間。

 このバスタオルの下。

「じ、じじじぁ、お、おお、お風呂借ります」

かじかんだ顔に血液が流れ込むのを感じる。判断力の弱っていた脳が、混乱する。

「ちょ…ちょっと、そ、そんなに見ないでよ。わたしだって、着替え持たずに入っちゃったなぁって…いつも一人だから、ふつう、そのまま着替え取りにいくから…」

つばめちゃんの顔も、みるみる赤くなっていく。

 いかん。

 意識したら、完全に負けだ。

 床だけを見て、壁を伝うように横をすり抜ける。間違って肩が当たっただけでも、なにかが起こってしまいそうだ。脱衣所に入る。

「ふぅー」

止めていた息をようやく吐く。

 とにかく、身体を温めよう。

 染み込んだ雪で濡れた靴下を脱いだところで、脱衣かごに気づく。

 薄桃色の下着だな…。

 おおう…。

 いかん。ストップ!俺の男子高校生。

 見なかったことにして、冷静に服を脱いで風呂場へ移動する。寒くてたまらない。簡単にかけ湯をして、湯船に身体を沈める。

 手先や足先、冷え切った末端部がジンジンと痛みすら伝える。

 生き返る。

 まさに、生き返る。

 ちなみに縮こまっていた男性特有の末端部は、少し早めに血液が送り込まれていた。

 しかたない。つばめちゃんのバスタオル巻き攻撃なんだもんよ。

 それに、ここ何週間か、自室に妹がいたり、自室に居る間は美沙ちゃんが五分ごとに電話してきたり、エロゲもエロ漫画も取り上げられたりしてたんだからさ。男子高校生には、困ることも積み重なって、反応しやすくなるってものである。

 佐々木先生の部屋でなにを考えているんだと、自分を戒める。

 そういえば、このお湯、さっきまでつばめちゃんが裸で浸かっていたお湯なんだよな。

 ………。

 ………。

 ………。

 ちがうぞ。

 飲んだりしてないぞ。

 けっして、飲んでない。

 

 浴室の小さい窓を小さく開けて、外を見る。

「うっわ。積もっちゃってるなぁ」

見下ろす周りの家々の屋根は、すっかり雪が積もっている。

 窓から吹き込む寒さに身震いして、すぐに湯船にもどる。

「さてと…どうやって、帰ろう…」

そういえば、今日は大晦日だった。家で、年越しそばを食べようと俺を待っているかもしれない。

 

 ふむむ…。

 

 家まで、だいたい二十キロ弱だろうか。

 晴れていれば自転車を借りて帰れない距離ではないが、雪が降っているしな。地面にも積もっていたら、ますますきつい。結局、いいアイデアが出ないまま風呂を出る。

 

 ほかほかに暖まって出ると、天ぷらそばの出前が届いていた。

「丁度良かった。年越しそば、一緒に食べましょ」

「いただきます」

つばめちゃんと、向かい合ってそばをすする。

「ふふ…」

「?なにか、面白いことでも?」

「ううん。ちょっと…ちょっとだけ、いけないことしてる気分になっちゃった」

「そばを食べるのが?」

「うん。毎年、両親に大晦日くらいもどってきて、年越しそばを食べようって言われてるんだけど、コミケがあるから、もどるのは元旦なのね」

「あー。それは、ちょっと親不孝ですかね」

「お父さんに内緒で、お風呂入って、ほかほかになって、直人くんと年越しそば食べてるのって…なんだか、ちょっとだけ背徳感あるわ」

くすくすとつばめちゃんが笑う。

 そばを食べるのは、そんなに悪いことじゃないけど、言うこともちょっと分かる。なんだか、湯上りで石鹸の匂いの中で、大晦日の静かな夜、広いとはいえない一人暮らしのマンションの部屋で蕎麦を食べている。

 少し特別で、少しだけ、ほんの少しだけ、女の子のつばめちゃんが冒険をしている。

 そんな空気。

 年下の共犯者は照れる。

 

 タクシー会社に電話して、配車の手配をしたら意外とあっさりとマンションの一階までタクシーが来てくれることになった。

「直人くんの家までタクシーで帰っちゃって。交通費あげるから」

エントランスまで見送りに来たつばめちゃんが言う。

「レンタカーより、高くついちゃいましたね」

「うん。でも、直人くん、私の本を大切に扱ってくれたから、いいわ」

「…どうも」

細められた少し潤んだ瞳と単純な高評価に照れて、消極的であいまいな返事を返す。

「……」

ヒールを履いていないつばめちゃんの、俺よりも五センチくらい低い顔が近づいてくる。

「……」

ふわりと、胸の辺りに温かさを感じる。

「……」

「…つばめちゃん?」

 五センチくらいまで近づいた、つばめちゃんの目を閉じた顔が離れていく。

「タクシー来たわよ。それじゃあ…よいお年を…」

「はい…よいお年を…」

手を振るつばめちゃんは、本当に幼く見えて、甘えんぼに見えた。

 タクシーに乗り込み、行き先を告げる。

 エントランスのガラス戸の向こうで、つばめちゃんが見送ってくれていた。

 

(つづく)


 
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