No.525004

神次元ゲイム ネプテューヌV ~WHITE WING~ (5) 少女は失くした楽園の夢を見る

銀枠さん

ようやく出来ました。
これで今年最後の作品になるのかあ…と思うと、ちょっと残念。
今年中には、話終わらせたかったです。
もう今年が終わるだなんて実感もなければ冬コミだって実感も全然ないけれど、『冬コミの三日目、東館の第一ホール。スペースE―55a』にてぶらついているので、遊びに来て下さい。
※本が全部完売いたしました! お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました!

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2012-12-30 02:15:11 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:1406   閲覧ユーザー数:1300

第五話――少女は、失くした楽園の夢を見る。

 

 

 

「気の遠くなるような遥か昔のこと。それは今から一万年前の物語です。今となっては歴史の闇に葬られ、人々の記憶の狭間からも抜け落ち、忘我の彼方へ追いやられた――暗黒の神話のはじまり、はじまり」

 

少女の透明感をもった声が、洞窟に澄み渡っていく。かがり火を取り囲むように少年少女が集まっている。みな期待に目を踊らせている。六、七人くらいだろうか。どの顔ぶれも幼く、見渡しても年端のいかない少年少女ばかりしか、ここには集まっていない。

物語の語り部たる彼女も――十にも満たぬ年頃であろうか。

それでもこの少年少女の中では一番、最年長であった。

語り部である少女も、未来を託すようにキラキラとした瞳を真っ直ぐ向けている。

松明に照らされてかすかだが、洞窟の壁にほんのりと何かが浮かび上がっている。

それは壁画だった。

洞窟の壁一面が、大きなキャンパスとなっているのだ。それこそ絵本のように。

顔も知らぬ、昔の人間が描いた絵――歴史だ。

偉大なる先祖が、後世に何かを伝えるために残した作品だ。そこには昔の事実だけが淡々と描かれている。歴史とはそういうものかもしれない。

 それを、少女が語り部となることで、絵に物語を与えているのだ。

 

「かつてこの世界は、混乱と争乱に彩られていました」

 

 ごくり、と少年少女達がつばを飲む音が聞こえた。これから少女が語る物語に――歴史の重みを受け入れるようにそっと耳を澄ましている。

 

「人々は争い合い、自分達の権益や利益のために、互いが互いを憎しみ合い、無益な血や、多くの涙が流されました。

憎悪、ねたみ、滅び、嘆き、悲哀、悲嘆――

そんな醜いモノばかりが横行する世界に、どこからともなく一人の救世主が現れたのです。

それは女の形をしていました。

彼女がどこの誰で、どのような出生で、どのような身分の人間だったのかは今となっては定かではありません。しかし実際の所、そんなモノは民衆にとって大した問題ではなかったのでしょう。

人々は尊敬の念と畏怖とを持って、こう呼んだのだといわれています。

女神様と――

民衆は地にひれ伏し、一斉に頭を垂れました。

たった一人の存在に。唯一存在たる彼女に、感動の涙を流しながら変わらぬ忠誠を誓ったのです。自分達を正しい道へ導いてくれると信じて。それが今の世でも続く、女神による統治形式の始まりだと言われています。

最初の女神が統治した、その国の名前は“TARI(タリ)”と、そう呼ばれていたそうです。

人の上に立つ者の出現により、世界はひとまず落ち着きを見せました。

しかし、永遠に続くかと思われた平穏は長続きしませんでした」

 

「なんで?」

 男の子が、分からなそうに言った。

「こら、男子。まだ話の途中でしょう。全部聞き終わってから質問しなさいよ」

 別の女の子が、不満そうに言った。それに続くようにして抗議の声が口々に上がる。

「そーよ、そーよ」

「最後まで大人しくしてなさいよ」

「うるせーな。お前こそ黙ってろよドブス」

「なんですってー! このスカポンタン!」

 今にも取っ組み合いを始めんばかりに睨みあう男女へと――語り部の少女はそれを制するように手を鳴らした。はいはい。今からちゃんと説明するから静かにして下さいね、と子供達をあやしつけるように。腹を立てているわけではない。穏やかで大人びた表情だった。

 

「女神も元は人間だったからです。人は人である限り、己の欲望に打ち勝てはしない。案の定というべきか、自分の国の在り方に満足できなくなると、自分にとって都合の良い形に変えていったのです。民衆から供物を巻き上げ、贅沢を貪るようになったのです。暴虐の限りを尽くし、人々に圧政を強いるその姿――そこにいるのは女神などではありません。一人の暴君でした」

 

 いいえ、とそこで少女は言葉を切る。

 

「そこにいたのは、醜い悪鬼でした」

 

 自分の言葉に満足すると、少女は語り始めた。

 

「民は飢えに苦しみ、国土はみるみる痩せ細っていきました。国民の不満が耐えきれなくなるくらいにまで肥大化し、やがてそれも爆発しました。暴政に耐えきれなくなった国民達の手で反乱が起こったのです。

自国の民といえども、女神は決して容赦しませんでした。

逆らう者をことごとく弾圧し、それどころか国民への見せしめとして女神自らの手で人々を惨殺してまわったのです。自分に逆らう者の末路を、恐怖の教訓を、血の記憶を人々の脳裏に刻むが如く。だけど、それは国民の怒りを誘発する火種にしかなりませんでした。争いは争いを呼び、血や悲しみ、憎悪に満ちた断末魔が、流されない日はありませんでした。女神が治める前の荒廃した時代へ逆戻り――いえ、それ以上の混沌を世界が包み込んでいました。

女神と人間――

終わりなき闘争の果てに、やがて白き翼を持つ者が現れました。美しい輝きを放つそれに人々は心を奪われ、口々に叫んでいました。

おお、天使だ。天使が空より舞い降りたぞ。あれは、我々に救いをもたらず天使に違いない。

それはたしかに救いをもたらす存在でした。だけど――」

 

そこで少女の言葉は遮られた。

少女の声を打ち消すようにして、どこか遠くから鐘の音が響いたのだ。少年少女達が一斉に身体を起こし、ハッと息を飲んだ。

「白の鐘が鳴った!? これから面白くなるところだったのに!」

「やだっ、もう十時なの? 急いで戻らないとパパとママに叱られちゃう!」

 少年少女達は慌てふためきながら、右往左往している。

白の鐘――彼らの社会で定められる時刻を過ぎると、子供達は自分の家から外に出てはいけないという決まりがある。それは彼らの集落での古くからの仕来たりであった。本来ならこうして時間ぎりぎりまで外出しているところを大人に見られでもしたら、おかんむりになるのは間違いないだろう。

おろおろと騒ぎ立てる子供達を見て、語り部の少女は、微笑ましいものをみるように笑んだ。

ここに集まっている子供達の中で、彼女だけが落ち着いていた。年頃に合わぬ、その徹底した落ち着きっぷりは、最年長だからという理由だけでは片づけられそうにない。

「あらあら、早くお家に帰らないとご両親も心配してしまいますよ」

子供たちにとって少女のお話は楽しみの一つでもあったし、こうして掟破りすれすれの危険を犯してまで聞きに来る価値に足るものでもあれば、彼らの有り余った好奇心を満たす大冒険そのものに等しかった。それが失われてしまうのは少年少女達にとって退屈でしかない。

「お話しの続きはまた今度、お話ししてあげますよ」

「うん、約束だよ! 指きりげんまんはりせんぼんのーます、だよ!」

「はいはい、私はどこにも逃げたりしませんよ」

 名残惜しそうに振り返る少年少女達が、バイバイと手を振った。

「うん……“大司祭様”。またねー!」

 語り部の少女――“大司祭”と呼ばれた少女も手を振り返す。

 遠ざかる子供達の後ろ姿を見つめながら、大司祭は深いため息をついた。あの子供達もいつかは一族の掟に従って選択を迫られるのだ。成人の儀を迎えて兵士になるか、試練に挑んで選ばれた者になるかどうかを。

「楽しいときほど時間が経つのが早いのは何故なんでしょうか」

 本来ならば年頃相応に遊びたい盛りなのだろう。だけど彼女の立場がそういった自由を許してはくれなかった。そもそも彼女に門限という制約は存在しない。一族の子供が本来守るべきルールは彼女だけに限り、適用されはしない。何を隠そうこの少女こそが、“黒の教団”を取りまとめる最上級の存在であり、一万年前の生き残りである闇の部族――その最高責任者だった。

年の項が十にも満たない彼女の背中に一族の全てがかかっているといっても過言はない。その小さな身体が背負っている責任はとても計り知れない重さなのだろう。

「みなさんお家に帰ってしまいましたし、そろそろ私も帰るとしましょうか」

 うーんと背伸びをしながら、大司祭としての役割、役職を思い出す。午前中は民の悩みを聞き、ありがたい言葉を授け、午後は一族の繁栄を祈って祈祷を捧げるくらいだが。

 自分に与えられた役割を思いうかべながら帰路に着いていると――

 

「ママぁぁぁぁぁぁっ!! お客さんだよぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 どこからともなく鼓膜が破れんばかりに、野太い叫びが轟いた。声だけ聞けば中年の男のものだが、間伸びしている調子といい、異様なまでの幼さを感じる。

 少女は特段驚いたふうもなく、慣れきった感じで、

「分かりました。ゴースさん、申し訳ないですが、少々お待ち下さい」

 そう答えて、彼女は宙をあおぎ見た。

大司祭が見つめる先は暗闇――一枚の壁画だった。

松明に照らされてかすかだが、ほんのりと浮かび上がってくる。

そこには他の絵よりもひときわ大きな絵が描かれている。

白と黒が、絡み合う姿。

または互いに争い合う姿にも見える。

少女は口を開いた。

血塗られた歴史の続きを語り始めた。

 

「女神と人間――終わりなき闘争の果てに、やがて白き翼を持つ者が現れました。美しい輝きを放つそれに人々は心を奪われ、口々に叫んでいました。

おお、天使だ。天使が空より舞い降りたぞ。あれは我々に救いをもたらす天使に違いない。

それはたしかに救いをもたらす存在でした。

死をもって終わりなき苦痛から解き放つ、破滅の使者でした。翼から放たれる光は、死そのもの――終焉の輝きでした。

そいつは災厄の翼をはためかせ、激しい怒りに身を焦がす女神と衝突しました。

こうして二人の神が闘いを始めたのです。あまりの闘いの激しさに大地は震え、雲は割れ、世界そのものが振動したと言われています。

地獄絵図――

戦闘の余波に様々な生き物が巻き込まれ、弱いものから死に絶えていきます。神は周りを気にしません。いつだって神は傲慢でした。私達だって歩くとき地を這うアリを踏みつけてしまってもいちいち気にかけるでしょうか? だから、それは仕方のないことなのです。

やがて光が全てを飲み込み、ありとあらゆるものを無に帰しました。

そして、世界は終わりを迎えたのです。

二つの災いと共に。

今となっては誰も知ることのない、暗黒の神話は、こうして終わりを告げたのでした」

 

 お話はこれでおしまい――と、少女は静かに目を閉じた。

 

「……さあ、これ以上お客様をお待たせするのも悪いですし、ゴースさんの下へ行きましょうか」

 

 大司祭は壁画から背を向けた。

 歴史の重みから逃げるように、その場から歩き出した。

 

 

  

 

 

 

プラネテューヌ――東に広がる森

 

 マジェコンヌとワレチューは森の中で黒の教団と遭遇し、一触即発の雰囲気だったところをその司祭――マイザーの登場によって、荒れ狂う男達を沈め、なんとか事無きを得た。

そして、三人はほどなくして霧の森を抜け、大きな川に出ていた。

とても流れの早い川だった。ごうごうとものすごい音を立てながら、三人の前に立ちはだかっており、全てを飲みこまんばかりの勢いで荒れ狂っている。

見回しても橋はどこにもかけられておらず、対岸に渡る方法は無さそうだった。というかその対岸すら見えてこないのだから、この川の全長は計り知れない。

それも積み重ねた年月の成せる技なのだろうか。

「すごい川っちゅね。こんなの……どうやって渡るっちゅか?」

 ワレチューがおそるおそる覗きこむ。

まさか泳いで渡るわけにもいくまい。もし誤って足を踏み外そうものなら、激流に弄ばれて全身をバラバラに分解されてしまうことだろう。想像するだけでも恐ろしい光景である。

「あれですよ」

 マイザーが指さしたのは青く錆びついたドラムだった。門の前で鳴らすことによって門番に開門を要請する道具である。しかし、ここは川辺。大きな門など当然あるはずもなし。こんな辺境の地にドラムが置いてあること自体が意味不明である。

「ふふふ。そういえばミスター・ミッキーマウスは我々の聖地に来るのは初めてでしたね。我ら黒の教団は一万という歴史の闇に葬られた一族。それ故、人々の表舞台に上がることのないよう影に潜んでなければなりません。我々がいかにして一万年もの間、その神秘を保っていられたのかをお教えしましょう。我らが一族の奇跡を、とくとご覧あれ」

 ウインクするマイザー。その秘密はまさにドラムに隠されているのだといいたげに。

マイザーは棒を無造作に持ち上げ、思いっきりドラムを叩いた。

ぐわぁんと、古めかしい音が鳴り響く。

単調なリズムではなく、不規則的なリズムを加えながら一つの唄を紡ぎあげていくように。

その不規則な音が積み重なる様は、伝統的な民族音楽というよりかは、何かの暗号のようですらあった。

 やまびこのように古めかしいドラムの余韻が森に満ちる。

 びりびりと振動が伝わり、ワレチューは耳を塞いだ。マイザーとマジェコンヌは慣れているのか、平然とした顔でドラムの音に耳を傾けていた。何かが来るのを待ち続けているかのように。

 やがてドラムの音も、ごうごうと川の流れる音に消えていく。

 と、そこで川の音がぴたりと止んだ。

「……ぢゅっ?」

 ワレチューは目を見張った。あまりの事態に今度ばかりは声も出なかった。

 音が完全に消えた。

 荒れ狂う怪物が眠りついたかのように。

いや、違う。川が眠るだなんて有り得ない。

 正確にいうならば――

「川が……凍りついている!?」

 ワレチューはやっとのことでそう言った。身体にまとわりつく寒気にさえ今しがた気づいたかのように。およそ現実離れした光景の連続に、とてもではないが脳みその回転が追いつかない。

 今やそこには、世界が死に絶えてしまったかのような静寂と、身体の芯から震え上がってしまうほどの冷気が立ち込めていた。

「おい、ネズミ。たかだか川が凍りついた程度で何を驚いている。お前まで凍ってどうする気だ。ほら、さっさと渡れ!」

 マジェコンヌは苛々したようにワレチューの腕を無理矢理引っ張った。

 どうやら驚きのあまり、ぼけっとその場に立ち尽くしていたらしい。

「いかがでしたか。これが我が一族の神秘が保たれていた由縁です。秘密を隠すのなら秘密の中へ。自然とは天災です。天災がいつ起こるのかなんてことは、人間には予測がつきません。人は天災の前では成す術もなく蹂躙される運命にあるのが常だ。しかし、我々は人間ではない。人間を超えた遥か上の存在ならば、自然さえも味方につけることが出来る。まさかこの荒れ狂う川が、門そのものとして機能するとは誰が考えるのでしょうねぇ」

 マイザーはワレチューの反応が新鮮なのか、帽子で顔を隠し、手でお腹を押さえながら懸命に笑い声を押し殺している。

 凍りついた川を三人がしばらく歩いてから、数分後のこと。ようやく対岸が見えてきた。目を凝らすと、対岸にほっそりとした影が見える。

 人影に向かってマイザーが手を振った。

「彼は四司祭(マテリア)が一人、スターク。我が一族の門番であり、強固なる神秘の守り手です」

人影はニコリともせずにこちらへ向かって歩いてきた。

「僕は四司祭(マテリア)のスターク・シャイニングハンドだ。よろしく。ああ、よそ者とは握手はしない主義なんで、そこんとこよろしく」

「……」

 嫌な目をしているな、とワレチューは後ずさった。

一見すると知的でいたって真面目そうな好青年に見えないこともないが、その顔に張り付けられた卑屈な表情が、クリーンな見た目をすっかり台無しにしていた。小動物に虐待を加えることで、精神の安定をはかる者のそれと同じであるように思えたのだ。そんなやつがよりにもよって四司祭(マテリア)などという重要な立場にいるとは考え難かった。

「スターク、この御方達に獲物を見せて差し上げろ」

「ああ、この左腕かい?」

 何も聞いていないのかと、馬鹿にしきったふうに機械化した左腕をかざした。かと思うと、とっておきのコレクターグッズを見せつけるようにたっぷりと口元を緩ませ、

「本来だったら君に僕らの秘密を教える義理はないけれど、他ならぬマイザーおじさんからの頼みだ。今回だけは特別に教えてあげるよ」

 マジェコンヌは相変わらず退屈そうに腕を組んでいる。

スタークはそれにも気づかず、優越に浸った顔つきで語り始めた。

「この左腕はただの左腕じゃあない。触れたモノ全てを凍らせる魔法の左腕なのさ。一万年前、僕達の先祖が造り出した“遺失物(ロストメモリー)”とかいうやつらしいけどね。とにかくこの由緒ある贈り物のおかげで、僕は四司祭(マテリア)に登り詰めることが出来たってわけ。まあ、とはいってもここで門番くらいしかやることはないんだけど」

 ちらり、とねだるような目でマイザーを見た。

「何を言う、スターク。お前にしか出来ない名誉な役職ではないか」

「門番なんて地味で退屈なだけさ。僕もマイザーおじさんのようにスーツを着て、世界中を見て回りたいよ。ただでさえこんな窮屈な村にいるだけでも息苦しいのに、しかもアイツと一緒の場所にいるってだけで、もう耐えられない。なんであんな低能なやつと……」

「今のは色々と問題発言だな。堪え症がなければスパイにもビジネスにも向いていないぞ。そんなことより――ビジネスの話が先だ。大司祭様の元へとお通しするぞ」

「でも……」

「でも、じゃない。これ以上、お客様を待たせるな」

「……言われなくても分かってるよ」

 すねた子供のように鼻を不機嫌そうに鳴らすと、三人には一瞥もくれずにすたすたと対岸の向こうへ歩き出してしまった。

ワレチューは小さな声で、

「あいつ……なんかいやっちゅよ」

マイザーは苦笑を浮かべた。

「お見苦しいところを見せて申し訳ない。スターク……彼は四司祭(マテリア)として優秀な子なんですが、いささか性格に難がありましてね。あのように未だに幼さが抜けきらないところがあるのです」

「戦力として使えるのなら、そんなのはどうでもいい」

 大して興味も無さそうにマジェコンヌが言った。

 

  

 

 

 

 

 

「あれが私達の居住区であり、我らの帰る聖地です」

 対岸へ渡ってからすぐに、大きな洞窟が見えてきた。竪穴式の鍾乳洞といったところだろうか。特筆すべきは、むわっとした何とも言えない生臭さが洞窟から漂っていることだろう。

「な、なんか臭うっちゅ……」

「そういやもう食事時でしたね」

 笑いながら答えるマイザーに、ワレチューが真顔になった。こんな強烈な臭いを発するモノを食べ物と言ったのだ。マジェコンヌはこの激臭にもう慣れているのか、平然とした顔で突っ立っている。

「ほら、大司祭様に会いたいんでしょ? なら、早く行こうよ」

スタークがうずうずとした足取りで洞窟を進んでいく。ワレチューは鼻を懸命につまみ、まるで獣の腹の中のようだと思いながら、四人の後に続いた。

内部は薄暗い闇に包まれており、どこまで広がっているのかその全貌を見通すことは容易ではないが、足元がかろうじて見通せる距離に松明が設置されていることが救いだった。

「ぢゅっ!?」

 ワレチューがびっくりしたような声を上げて倒れ込んだ。何か堅くてごつごつとしたモノが足にぶつかった。すりむいたひざをさすりながら、それが何なのか確認しようと身体を起こしかけて――気づいてしまった。地面に転がる、白いモノに。

「ほ、骨っ! 人の骨が落ちてるっちゅ!!」

 悲鳴を上げて指差した。ワレチューがつまずいたモノとは人骨だった。人の頭蓋骨だったのだ。

「お怪我はありませんか、お客様」

マイザーが手を差し伸べる。それに抱き起こされるようにしてゆっくりと身体を持ち上げる

「全く、ゴースのやつめ。こんなところに食い散らかしたゴミを捨てるとは意地汚いにも程がある。マナーの悪さにお客様が驚いてるじゃないか」

「仕方ないよ、おじさん。あいつにそんな事を学習できるだけの脳みそがないからね。食べ物の事と、大司祭様の事以外は、何一つとして覚えられない奴なのさ」

 呆れたように談笑をするマイザーとスタークに、ワレチューは凍りついた。

 ゴミ? 食べ物?

こいつらは一体、何を言っているのだろう。本気でそう思った。

そのとき、どこからともなく唸り声――

 

「ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! どこにいるのぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 鼓膜を刺激する大音量に、その場にいる全員が耳を覆った。声は洞窟の奥からだった。次いで、ずしんずしん、と地面が揺れた。洞窟の奥からでかい物体がこちらに向かって歩いてくる。

「ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! お腹へったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

そこにはぶにょぶにょとした巨大な肉の塊がいた。一応、人間のようである。

ぽっちゃりとした幼い表情だが、身の丈はざっと2メートル後半くらいだろうか。顔つきに反してかなりの長身と幅広い肩幅を誇っており、どこかちぐはぐな印象を抱かせてしまう。

だが、ワレチューにはそいつがいかに特異な見た目をしていようと、どうでもよかった。

そいつの分厚い手に何か――赤黒いモノが握られている。口元は真っ赤に染まっており、手からは赤い液体がどろりと滴り落ちている。マジェコンヌ達を森の入口まで運んでくれた運転手だった。すっかり変わり果てた姿になっており、今ではただの赤ワインを製造する噴水でしかない。

「あ、マイザーとスタークみいぃぃぃぃぃぃぃっけ!」

 野太い声で喋る肉塊に、マイザーが顔をしかめる。

「こら、行儀が悪いぞ。ゴース、お客様の前で食べ歩きなんてするんじゃない」

「おきゃくさまあぁぁぁぁぁぁぁぁ?」

 肉塊の三白眼がせわしなく動いた。よだれを垂らしながら、ニヤリと口の端をもたげている。マイザーの言葉で、始めてそこに二人の部外者がいることに気づいたようだ。

「きょうの晩ご飯、みいぃぃぃぃっけぇぇぇぇぇぇぇぇ――――!!」

「ちょ、ちょっと待つっちゅ!?」

声を発する間もなく、クレーン車のような腕が伸びてくる。

ワレチューがおったまげて後ろに倒れこんだ。

マイザーとスタークが血相を変えて止めに入る。しかし、間に合わない。

一番早く動いたのはマジェコンヌだった。ワレチューをかばうようにして、前に立ちはだかり、腕を突き出した。

「ぼさっとするんじゃない、ネズミ風情が!」

突き出された手が発光――魔法障壁の展開。

すさまじい光がほとばしり、幾何学的な紋様の描かれた盾が現れた。肉塊の巨大な腕がぴたりと空中で制止する。剛腕による一撃を防いだのだ。

「お、おばはん……!」

「勘違いするなよ、ネズミ。雑用係に死なれてもらっては困るからな。おい、マイザー。客人である私達に手を出したこいつの後始末はどうしてくれるんだ、ええ?」

「これは誠に申し訳ない。まさか客人に御無礼を働くとは思わなかったもので……」

「おいっ、ゴース! 僕の言うことが分かるな。その汚い手をさっさとどけろ!」

「ごはぁぁぁぁぁぁんぅぅぅぅぅ――――……」

 しょんぼりと腕をどける肉塊に、マイザーが言った。

「大司祭様に客人が来たことを伝えて、大広間にお通ししろ。今すぐにだ。そしたら晩ご飯でも何でもくれてやる」

「でもおぉぉぉ、ママはお部屋にいないんだよぉぉぉぉぉ!!」

「……あの方はまた部屋を抜け出していたのか。おそらく大司祭様は子供達と壁画の間にいるはずだ。今すぐお連れしろ。分かったな?」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 ずしんずしんと嬉しげに地響きを起こしながら、肉塊が洞窟の奥へと走りさった。よく見ると肉塊の両足は機械で出来ていた。それこそマイザーやスタークが身体のどこかにつけている機械のそれと酷似しているように思えた。

 肉塊が闇の奥に消えたのを見届けてから、マイザーが深々と帽子をかぶった。

「あの大男はゴース・グランドクエイクと言います。あのように幼稚な振舞いや、稚拙な言動が目立ちますが、我ら四司祭(マテリア)の一人です」

「司祭とやらには誰でもなれるものなのか?」

 マジェコンヌが呆れたように言った。すかさずスタークが言った。

「違うよ。試練を乗り越えた選ばれし者だけが、司祭と名乗れる資格を手にするんだ。誰でもなれるってわけじゃない」

「その試練とは何だ」

「人間の肉体は異物を排除するように出来ている。僕らの身体には機械が――遺失物(ロストメモリー)が埋め込まれているだろう? 身体が遺失物(ロストメモリー)を異物と認識するから、激しい拒否反応が肉体に起こるのさ。下手すれば死に至るような激痛が全身を駆け巡るのさ。いやー、痛かったよ。身体中の全ての神経が悲鳴を上げるんだ。血管が爆発して血が噴き出て死んでしまうかと思ったよ。僕達、黒の教団はその痛みの儀式を、試練と呼んでいる。大司祭様の立ち会いの下、試練を執り行うのが僕ら一族で、代々伝えられている風習なのさ。それを無事乗り越えられた勝者だけが、司祭としての地位と力を得られるってわけ」

「あのゴースとかいう男もそうなのか?」

「うん、そうなるね。だけどゴースの場合は、見ての通り特殊だけどね。肉体は試練に耐えることが出来たけれど、ところが精神はそう上手くいかなかった。激痛の後遺症で頭がパーになっちゃったのさ。そのせいで大司祭様のことを自分のママと勘違いしている。笑っちゃうよね。肉体がいかに強靭でも、精神は紙のように虚弱だったってわけ」

「いわゆる一種の刷り込み現象(インプリンティング)という現象に近いかもしれませんな」マイザーが口を挟んだ。「ヒナ鳥が最初に見たものを、自分の母親と思い込むソレと同一ですね。大司祭様はママと呼べる年齢ではありませんし、子供を産めるような身体でもないので。ゴースの知能は鳥並みでしかありませんが、ひとたび戦いが始まればワニのように獰猛で、残忍な処刑人へと早変わりします。力勝負でゴースに勝てる者は、我らの一族には一人もいません」

「そうか。確かにその通りかもしれんな」

 マジェコンヌがくくっと笑った。ゴースの一撃を受け止めたときに得た実感からだろう。先程の無礼な失態への怒りもどこへ飛んで行ってしまったのか、やけに楽しげである。

「な、なんて化物みたいなヤツらだっちゅか。ここにはそんなのしかいないっちゅか……」

 ワレチューは脱力したようにその場にへたりこんだ。一刻も早く帰りたいという気持ちが、相も変わらず深まっていくばかりだった。

 

 

 

   

 

 

 

 洞窟をしばらく歩くと広間のように開けた場所に出た。天井がぽっかりと空けられており、頭上ではきらめく夜空が広がっており、星々が瞬き続けている。

 その星々に見守られるようにして、いくつもの藁小屋や、たき火の光があちらこちらで見うけられる。どうやらここは大広間であるのと同時に、一族の居住区としても機能しているらしい。

 歩いていてどうしても気になったのは、ワレチューとマジェコンヌに視線が集中していくことだ。やはりよそ者がここに来るのは、一族にとっても珍しい行事らしい。

 やがて四人は大広間の奥の奥――ひときわ豪奢そうな座敷に辿り着いた。

「ここで待っていればいいのか?」

 そういった視線を介したふうもなく、適当な場所にマジェコンヌが座り込んだ。ワレチューもそれに倣う。

「はい。大司祭様がお見えになるまで、今しばらくお待ちください。その間に我ら一族に伝わる、名物料理をご賞味あれ――」

 マイザーの言葉をさえぎるようにして、突然、鐘の音が鳴り響いた。何かの時報だろうか。その鐘が鳴った瞬間、集落のあちらこちらをうろうろとしていた子供達が一斉に、藁小屋の中へと駆けこんでいく。

「ああ、白の鐘ですね。もう十時だとは……時間が経つのは早いもんですね」

 しみじみと言うマイザーにワレチューが訊いた。

「白の鐘ってなんっちゅか?」

「白の鐘という名称は、遡ること一万年前――遥か昔に起こったとされる、未曽有の災厄から名づけられた習わしと言いましょうか。なんでもその災厄を招いたのは、美しい羽根を生やした天空からの使いだと言い伝えられております。白い肌と、白い髪をしていたとか。信じられない話ですが、そいつの手によってこの世界は一度滅んでいるらしいです。言うことを聞かない子供は――白い翼を持った化物にとって食われるぞ――と両親から散々どやされたものです」

 少年時代を懐かしむようにマイザーは笑った。

「お恥ずかしいことに私自身、歴史には疎いものでして、一族の歴史どころか、私の力の源である遺失物(ロストメモリー)についてもよく知らないのですよね。大司祭様が一番御存知かと思いますが……」

 いきなりマイザーが言葉を切った。その傍らでは、スタークの目つきが鋭くなっていた。

「ちっ、なんて気分が悪い。まさか“アイツ”が来るだなんて……!」

無数の女達が列をなしてこちらに歩いてきたのだ。肌の露出が目立ち、きゃっきゃっとピンク色の姦しい声を上げており、いずれも際どい格好をした女性ばかりだ。

しかし、スタークの眼中にあるのは女達ではない。

彼の視線が向けられている先は女性達の中心――王者のような堂々とした雰囲気を醸し出している――一人の男に向けられていた。

「よう、テメーら。邪魔すんぜェ」

 男が陽気な声を上げながら、女たちをかき分け、その姿を現した。

甘いマスクに、白くて清潔感のある爽やかな歯。顔立ちこそ整っている二枚目だが、耳や鼻がピアスで穴だらけだった。腕にはブレスレット、指には指輪がはめられていて、身体のあちらこちらには入れ墨が彫られている。いかにもチャラついていて、たくさんの女性を自分の周囲に連れ回している所を見ても物腰が軽そうな男といった印象。全体的に細身で長身だが、程良く引き締まった筋肉を見る限り、かなり鍛えられていることが見受けられる。

さながらこの男だけのハーレムというか、この男のための大名行列といったところか。華々しさ溢れるパレードもここまでくると、放たれるピンクなオーラも異様なものでしかない。

「……ハザウェイ!」

 低いうなり声を上げるスタークに、やさ男はからからと笑った。

「おいおい、坊ちゃん。そんな怖い顔すんなよ。陰気な顔が、幽霊みてぇでもっと台無しになるぜェ」

 やさ男が、いかにもわざとらしく怯えたように身を一歩引くと、周囲の女達もそれを真似て、一斉に身体を引いている。完全にスタークのことを挑発している。

「何しに来たんだ!」

「何って、お客様とやらに挨拶しにきたに決まってんだろうが。そのお客様とやらはどこにいるんだ?」

 仇敵でも見るように睨むスタークをあっさりと受け流し、やさ男はきょろきょろと辺りを見回している。

「おぉっ、お客様ってのはあんたら二人のことか」珍獣でも見たかのように、やさ男がぱっと目を輝かせた。「うおォー、でっけぇネズミがいるよ。オレァ、こんなサイズのやつなんか見たことねェわ。まあ、そのちゃちぃネズミはどうでもいいとして――もう一人は女か。いやー、残念だな。アンタ、あと十年若ければ相手してやったんだがよォ。ったく、いや、ホントに残念だ」

「ちゃちいって……ちゃちいって言われたっちゅ」

「貴様、この私にそのような口を聞くとは、いい度胸をしてるな」

 さすがにこれにはカチンときたのだろう。激しい剣幕を見せるマジェコンヌに、やさ男は物怖じするどころか、へらへらと人懐っこい笑みすら浮かべながら、一方的に何事かをまくし立てている。

「あぁ、そうそう。オレは四司祭(マテリア)のハザウェイ・レイジアウトってんだ。ハザウェイちゃんってフレンドリーに呼んでくれても構わないぜ。ま、そんなわけで今後ともよろしくゥ」

 ワレチューが目を見張った。よく見ればそいつの右腕は機械化されていた。

四司祭(マテリア)――ハザウェイと名乗った男はそう言ったのだ。こんな男が黒の教団に伝わる痛みを克服し、試練を乗り越えたふうにはとても信じられなかった。

「で、ここには何しに来たんだよ? オレに話してみろよ。相談に乗んぜェ」

 急に馴れ馴れしくなったかと思うと、二人の隣にどっかりと腰を落ち着け、息がかからんばかりの距離で密接してきた。酒臭いだけでなくタバコのやにの混じった息だった。さすがに見かねたのか、マイザーが声を上げる。

「ハザウェイ、お客様に失礼だぞ」

「あ? これのどこが失礼なんだよ。親身に相談に乗ってやってるだけじゃねぇか」

「お客様が迷惑してるのが分からないのか」

「はッ! これだからお堅い老害クソジジイはイヤだねェ。脳髄の端々にまで古い価値観がこびりついていやがる――!」

 そこまで言ったとき、ハザウェイがいきなり飛び退いた。

 何事かとワレチューが振り向いてみれば、ハザウェイの座っていた場所に、氷柱が突き刺さっていた。冷気をまとった柱が、座敷を刺し貫いていたのだ。

一瞬の凶行に、取り巻きの女たちが悲鳴を上げながら散り散りになっていく。

ハザウェイが、自分を狙った張本人を睨んだ。するどい眼光だった。

「……スターク、テメェ何しやがる。危ねぇじゃねェか」

ワレチューには何が起こったのかまるで分からなかったが、推測するに、このハザウェイとかいう男は、スタークから放たれるわずかな殺気を察知して、攻撃が来ると予測し、事前に飛び退いたのだろう。野生の勘というべきか、ほとんど獣みたいな男である。

 この騒ぎを引き起こした張本人たるスタークは、逃げ惑う女たちには目もくれず、ハザウェイだけを真っ向から睨み返していた。その目は覚悟が決まっているかのように殺意が濃縮されており、完全に肝が据わっていた。

「失敬。あまりにも目ざわりで、見るに堪えないハエが飛んでいたものだから、つい」

 奇跡の左腕――そう自称していた腕から、冷気の柱が立ち上っており、周囲にひんやりとした空気が漂い始める。ただのケンカ等ではない。スタークは完全な戦闘態勢に入っていた。

 しかしハザウェイは怒るどころか、両手を叩きながら、白い歯を覗かせて笑っていた。己の命すら危ぶまれる事態にも関わらず、両手を叩いて歓喜していたのだ。

「おぉー、ヤる気満々だねェ。スターク坊ちゃん」

 機械化された右腕を掲げた。それだけで咽かえる程のむわっとした熱気が立ち込めた。

「行っとくが、先に手を出したのはテメェだかんな。後になって後悔しても遅いぜェ?」

「望むところだ。君の方こそ後で泣きごとを言うなよ」

「やめないか、二人共!」

睨み合い続ける二人に、マイザーが叫んだ。しかし、決して間に入ろうとはしない。いくらマイザーが実力者といえども、四司祭(マテリア)同士の争いを容易に止めることが出来ないのを窺い知れる。

 

「……!」

「……!」

 

 スタークとハザウェイが、己の武器を構え、真っ正面から対峙し合う。

一触即発の雰囲気だった。

今にも掴みかからんばかりの殺気を放つ二人の間に、誰も立ち入れる者はいない。殺意の最頂点に達した二人が、激突し合うかと思われたそのとき――

 

「――何をしているのですか、騒々しい」

 

 凛とした声が、夜気を震わせた。

二人がぴたりと静止した。いや、二人だけではない。その場に居合わせた誰もがふり返っていた。

 

「――……大司祭様!」

 

 その一声で、集落にいた皆がその場に平伏した。屈強な大男達が一人残らず、地に頭を押しつけていた。

 マイザーがほっとしたように息を吐き、帽子をとってから頭を下げた。スタークも慌てて頭を下げた。ハザウェイだけが舌打ちをしながら、仏頂面で大司祭に頭を下げた。

 ワレチューは信じられない物を見るような目できょろきょろしている。マジェコンヌも無言でこの光景を見守り続けている。

 大司祭はどう見ても子供で、どう見積もってもただの少女でしかなかった。

十にも満たない少女が、こんな荒くれどもを従えているという構図は、驚きを通り越して滑稽さすら覚えてくる。ましてやこんな少女が四司祭(マテリア)の力の源となる、遺失物(ロストメモリー)という名の奇跡をその身に降ろしたというのだから信じられないのも無理はない。

そのいかにも小柄で、華奢な姿の背後から――

「ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! お腹すいたよぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 ずしんずしんと地響きを立てながら、さきほどのゴースという大男が、のっそりと巨大な図体を現した。自分の腕ほどにしか満たない少女に向かって「ママ」と呼び慕っているところは、いかにもおかしな光景だが、大司祭はそれに違和感を訴えるどころか、にっこりとほほ笑んで、

「あらら、そうでしたか。給仕係の方、誰かゴースさんに“人間の丸焼き“を五人前ほど用意してあげて下さいな」

 落ち着き払った様子で対処していた。

大司祭としての威厳というよりかは――どんな異端であろうと全てを包み込んでしまうような大らかさと器の大きさが感じられた。

「さて、お客様。本日は私達の聖地にお越し下さってありがとうございます。遥々、遠方の地からお疲れ様です。長らくお待たせしてしまったことと、お見苦しいところを見せてしまい、大変申し訳ありません。彼らはちょっと個性が強いから、うまく相容れないところがあるけれど、根はとても心優しい人達なんですよ。とにかく、黒の教団を代表して、彼らの粗相をここにお詫び申し上げます」

 大司祭が、ワレチューとマジェコンヌに振り返り、ぺこりとお辞儀をした。

「私の名前はフレイアと申します。ふつつか者ですが、今後ともよろしくお願いします」

「よ、よろしくっちゅ」

 気後れしたように頭を下げるワレチューだが、マジェコンヌは腕を固く組みながら、

「前置きなどはどうでもいい。今日はお前たちに仕事を持ってきた。こっちは散々待たされた挙句に、つまらない三文芝居を見せられたんだ。仕事に乗るか、乗らないか。それだけをはっきりしろ」

 マジェコンヌの単刀直入な物言いに、ワレチューはぎょっとなった。やけに口数が少ないと思ってはいたが、始終イライラを堪えていたらしい。

「仕事と言いますと、どのような内容で?」

「プラネテューヌという国を知ってるな? お前たちの集落から西の方角にある国家の存在を」

「ええ、よく知っています。たしか――紫の女神が、治める国でしたよね」

 ワレチューはびくついた。フレイアが、女神という言葉に、目の端を苛立たしげにひくつかせたのを見逃さなかった。

「そうだ。お前たちに依頼したいのは他でもない。女神の殲滅と、プラネテューヌの破壊だ」

 マジェコンヌの言葉に、群衆がざわついた。

「プラネテューヌの破壊だと?」

「我々に、国そのものを滅ぼせということか?」

「部外者風情で、我らに指図をするとは、いい御身分だな」

「たしかにプラネテューヌは風が吹けば吹き飛んでしまうような新生国家だ。攻め入るのは容易い。我らの敵ではない」

「今が叩く絶好のチャンスだ。いずれあの国が発展して、ルウィーと肩を並べる大国と成り得るかもしれん。憎き女神を潰せる一番の好機だろう」

「しかし……そんなことをすれば北の大国ルウィーが黙っていないぞ」

「いくら我々と言えども、未だルウィーの兵力には劣る……うーむ」

 そこへ、マジェコンヌが紙切れのようなモノを投げ放った。

 それは写真だった。

ざわめく群衆がいぶかしむような目でそれを覗きこむ。

「これが女神と、その側近共だ。よく目に焼き付けておけ」

 ネプテューヌと、ノワール、プルルート、イヴが映っている。いずれもプラネテューヌの国民に扮した七賢人の下っ端が、普段の姿を隠し撮りしたものである。

それを見てか、群衆がどよめいた。

怒鳴り声を上げて罵声を吐く者もいれば、悲鳴を上げて気絶する者すら出る始末である。マイザーやスタークは叫び出したりはしなかったものの、その顔はすっかり青ざめていた。いくらなんでも異常な騒ぎ方だった。普通じゃない。

一見、何の変哲もない写真だが、それは彼らにとって、まさにたき火に油を放り込むことと同義だった。

彼らの血走った目が、白い少女に、向けられていた。

 

「――“白き災厄の翼(ホワイトウイング)“!!」

 

 どよめきは波紋のように広がり、彼らの間を激しい混乱の渦が駆け巡っていく。

「おおっ、魔物だ! 醜き魔物がいるぞ!」

「白い肌に、白い髪――プラネテューヌには災厄が棲みついている!」

「世界を滅ぼした災厄の翼がいるぞ!」

「一万年前の悪夢の再来だ!」

「ああ、なんておぞましい! 我らに災いを招く、滅びの使者が来るぞ!」

「大司祭様!」

「プラネテューヌにはいかない方がいい! 女神の国には触れてはならん!」

「大司祭様! 大司祭様! どうか我らに救いを! お導きを!」

 皆は縋りついていた。一人の少女に。

 大の大男達が鼻水や涙を流して、救いを求めていた。

指導者から、正しい決断が下されるのを待ち望んでいた。

 激しい混乱の中、フレイアは瞑想に浸るように、静かに目を閉じていた。

 そこへ――

 

「オイオイオイオイ! 何だこいつはァ。いい女じゃねェか!」

 

 ひときわ甲高い、獣のような声が上がった。

 群衆の目が大司祭から、一斉にそちらへ向けられる。

「オレぁ、今までたくさんの女を抱いてきたが、残念ながら、白い女ってのは始めてみるなァ!」

狂ったように腹を抱えて笑っていたのは――ハザウェイだった。

「テメェら! ジジイみてえに眉間にしわ寄せて何をそんな難しく考えてんだよ。見ているこっちまでボケてくるだろうが。そんなの考えるまでもねェ。その世界を滅ぼした災いだか、何だか知らねぇが、全部オレたちの手でぶっ壊しちまえばいい話だろうがよォ!」

「どういうことだ、ハザウェイよ?」

 マイザーが眉をひそめた。ハザウェイが可笑しくて仕方がない、というふうに手を叩いてはやし立てる。

「はァ!? ここまで言ってまだ分かんねェのか、このクソジジイ! 不能なのはテメェのブツだけにしろってんだ。いいか、耳をかっぽじってよく聞け。ついでに少ない脳みそも振り絞れ。簡単な話だ。テメェらビビりすぎなんだよ。たかが女一人になにマジになってんだ。その白い女も、女神も、女も、国ごと食べつくしてしまえばいい。どうってことねぇだろ、あんな小さい国くらいよォ!」

 興奮したようにテーブルの上に身を乗り出し、声高に叫んだ。甘いマスクは、成りを潜めており、今では肉食獣のように獰猛で、歪んだ顔つきをしていた。

「テメェら! よく見ろッ! このオレの右腕を!」

 機械化された腕を突き出した。

遺失物(ロストメモリー)ってのはオレ達の御先祖が残してくれた忘れ形見なんだろ。たしかそうだったよなァ! じゃあよォ、なんでこんな物騒なモノを残したんだって話になるだろう? お前たちにはそれが分かるか? オレにはそれが分かる」

 ぎらり、と歯を覗かせた。整った顔立ちの向こうにある、本当の顔を見せるように。

「戦えってことさァ! オレの腕はそう叫んでいる! 人間を食って食って食いまくって化物になれって御先祖様が言ってるんだよ! そうすれば人間を超えられるってなァ! 女神さえも超越できるに違いねェ!!」

 右腕を誇示するように掲げ、豪快な哄笑を上げた。

 

「――さあ、今こそ始めるのさァ! オレ達の戦争ってやつをなァ!!」

 

その姿は、理性を失くした野獣のようだった。血を前にして舌舐めずりするケダモノ。

そこにいるのは最早ヒトではない。

戦いに飢えた鬼だった。

「この野蛮人がっ! 僕達を破滅に追いやる気かっ!」

 負けじと叫び返したのはスタークだった。

「おやおや、こいつは聞き捨てならねぇな。どうやらスタークの坊ちゃんは戦いが怖くてチビっちまうらしい! 戦いが起こったら、誰も死なねぇはずがねぇだろうが。もしやつらに一人でもぶっ殺されたら、こっちは百人ぶっ殺し返せばいい話じゃねえかァッ!」

「僕だけの侮辱ならまだいい! だが、君の言っている事はみんなの命を危険に晒すということなんだぞ! 分かってるのか!」

「おいおい、ビビってんのかよォ! 戦争ってのはそういうもんだろ? 違うかァ、ああッ!?」

「そうさ、怖いさ。僕らの命が一人の男によって失われるとなるとな。……今までは司祭という皆を取りまとめる立場上、君の愚かな振る舞いにも多少目をつぶって、ずっと我慢し続けてきた。だが、その愚行にみなを巻き込むというなら僕は容赦しないぞっ、ハザウェイ!」

「面白ェ! テメェの氷みたいにすかしたツラを、脳みそごと溶かしてやんよ!」

 ハザウェイが右腕を突き出した。その腕は轟々と、地獄のような炎が燃え盛っている。彼の能力は炎を操る能力らしい。

「出来るものならやってみろ」スタークが氷の左腕を構えた。「その前に、君の五臓六腑は凍えて使い物にならなくなってるだろうがな!」

 二人が再び激突し合うかと思われたそのとき――

 

「――静まりなさい」

 

 今まで沈黙を保っていたフレイアが、戒めるように口を開いた。それからこの場にいる全員の顔を見定めるようにゆっくりと見回した。全員が待っていた。大司祭の言葉を。自分達の命運を左右する言葉を待ち望んでいた。

呼吸を落ちつけるよう一拍置いてから、フレイアは言った。

「マジェコンヌ様、と言いましたね。――報酬は何でしょうか?」

 大司祭の下した決断に、群衆がどよめいた。ハザウェイが「はっはァ!」と愉快そうに柏手を打つ。スタークが信じられない、とばかりに大きく目を見開いた。

「何故なんですか、大司祭様! 何故、戦うことを選んだのですか、大司祭様!」

「それが最善の策だと思ったからです」

「きっと多くの民が死にます! 多くの嘆きが上がり、たくさんの血と涙が流されることになる。あなたは心が痛まないのですか!」

 詰め寄るスタークを一蹴するように、フレイアが首を振った。

「そんなことはないですよ。でもね、スタークさん。ここに留まっているだけでは事態が進展しないのも事実です」

「僕達のことは誰にも知られていません。このままここに留まっていれば、安全なはずです!」

「私達、黒の教団の時間は停滞していました。歴史の表舞台から追いやられ、暗闇の向こう側へ沈み込んでいました。いずれ箱庭に留まったまま、遅かれ早かれ、死に絶えていく運命だったのでしょう。私達は一万年も耐え凌いできました。もう十分でしょう」

「ああ、そうだ。その通りですとも。私達は取り戻さなくてはならない」

マイザーが帽子を被りながら、かすかに笑った。かすかにだが、その声は興奮と期待で震えていた。

「この身体が完全に老いて使い物にならなくなる前に、女神共に一矢報いたいものです。しかし、嬉しいかな。まさか私の代でそのような光栄な勤めを全うできる日がくるとは。大司祭様、あなたは最高の顧客から、最高のビジネスを成立させた。これは偉大なことです」

 マイザーの言葉が更なる追い打ちとなったのだろう。スタークは無言でその場にへなへなと崩折れてしまった。かかっと高笑いしながら、ハザウェイが言った。

「オレ達は最高の指導者をもてたってわけだなァ。で、大司祭様。一つお願いがあるんだが、ここは言いだしっぺでもあるオレに先陣を切らしてくれないか?」

「はい、よろしくお願いします。ハザウェイさん」

 ハザウェイは今にも踊り出しそうな調子で歓声を上げると、準備に取り掛かった。

 再びフレイアが、マジェコンヌへと向き直った。

「マジェコンヌ様。報酬は何でしょうか?」

その返答に、マジェコンヌが一番満足したような笑みを浮かべた。

「我ら七賢人の持つ財産の二割と、プラネテューヌの支配権をくれてやろう」

「ご依頼を承りました」

 大司祭は静かにうなずき、民衆へ向き直った。

「みなさん、何も畏れることはありません。私達には古代の英霊がついています。その英霊の囁きに従い、私達は己に与えられた役目を果たすのです! 我ら一族の存亡に賭けて、プラネテューヌを――いいえ、女神を打ち滅ぼすのです。今こそ獅子奮迅の力を振り絞り、祖先の無念を晴らす時が来たのです!」

その静かさとは対照的に、興奮のあまり今にも仕事を始めかねない程の歓声で、黒の教団の集落は煮えたぎっていた。

「そうです。私達は取り戻さなくてはなりません」

 ぼそり、と誰にも聞こえないような声でフレイアはつぶやいた。

「……あの輝かしき楽園の夢を」

 

 

 

 

 

 

   

 神次元界――某所

 

「ははっ! 黒の教団ってのは面白いやつばかり揃ってるな。揃いも揃ってケダモノしかいないじゃないか! そんなやつらをけしかけるマジェコンヌとかいう女も大概だが、あのハザウェイとかいう男、なかなか見所がある。ありゃただのケダモノじゃねえ。可能性を秘めたケダモノだな。すさまじい強運を感じるぜ。ははっ! しかも間の悪いことにプラネテューヌに女神は不在ときた。あの白い女だけでどれだけやれるのかな、プラネテューヌはよお!」

 クロワールは愉快そうな声を上げながら、自身の魔道書によって投影された映像を眺めている。そこでは先ほどのやり取りがリアルタイムで全て映されていたのだ。

「あぁ、いけませんねぇ。国を潰そうだなんて。そんなの野蛮人のすることじゃないですかぁ」

 ふいに、上ずった声が聞こえた。そこにいたのは七賢人のリーダー、キセイジョウ・レイだった。しかし、どこか様子がおかしい。

「レイ? お前、どうしたんだよ? というか、いつから俺の背後に立っていたんだ?」

 レイはクロワールを見た。目はつり上がっており、どこか酔った調子だった。あの気弱で、いつも人の顔色ばかりうかがって、うじうじとしていたレイはどこにいったのだろうか。

「彼らを見てると、身体が火照ってどうしようもないんですよぉ」

 ふとクロワールの頭の中で、ある可能性が頭をよぎった。

(こいつ……まさか)

 ろれつが回らない感じというか、声のトーンが外れて調律が狂った感じには聞き覚えがある。その姿を久しく見ていなかったので、忘却の彼方へと記憶が消し飛んでいたが……。

 かと思うと、ふらふらとした足取りで歩み出した。

「おい、お前。どこに行く気だよ」

 クロワールの問いかけに、レイは振り返らずに答えた。

「決まってるじゃないですかぁ」

 声から、言い知れない悦びが秘められているのを、クロワールは感じとった。

 

「――煌びやかな、戦場へと」

 

 熱に浮かされたような声でそう言い残すと、レイの姿は闇の中へと消え去った。

 一人取り残されたクロワールがぽつりと言った。

「……マジで?」

 驚きに見染められた顔で。

「ははっ――マジで!?」

 驚愕に歪んだ声で、嗤う。

「マジであいつ目覚めちゃったのか? これはもしかして、一万年前の姿を見られるのかよ……! こりゃぁ、マジで最高に見ものだぜ!」

 狂ったぜんまいのように、そればかりを繰り返す。

「ははっ、嵐だ! 嵐が来るぞ! 未だかつて見たことのない大嵐が巻き起こるぞ! 野に五頭の獣が放たれ、哀れな獲物から首を狩り取られていく! 子羊達が血をまき散らし、悲鳴の旋律を奏でるんだ! これは決してレクイエムなんかじゃない。讃美歌だ。彼らを神と崇め、讃美する賞讃の歌だ!!」

 狂喜に満ちた叫びが、夜の闇に木霊していく。

笑い疲れたようにヒイヒイと首をもたげさせる。呼吸をゆっくりと落ち着けてから、言った。

「――ところで、哀れな子羊を演じるのは、どいつなんだろうなあ?」

 イタズラ好きな人工妖精は、ケタケタと嘲笑った。


 
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