No.516351

Lily of the valley Ep2

藤実 嵩さん

「Lily of the valley」藤実 嵩
Ep1→ http://www.tinami.com/view/514806

2012-12-08 19:35:15 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:460   閲覧ユーザー数:457

 庭のラベンダーたちに水をやり終えたロアロは、朝食をとるべく台所に立った。昨晩の残りの野菜スープに火をかけ、少しだけ表面の乾いたライ麦パンをナイフで数枚カットする。それらを器に盛り席に着いたが、何か足りないことに気が付く。

(うーむ、何が足りないんじゃろう……おお、そうじゃった)

 飲み物が足りないことに気が付き、再び台所に向かった。

 食器棚に手を伸ばし、取り出したのは真鍮のマグカップ。繊細な装飾模様が施されていたようだが、かなり使い込まれているらしく、今や模様の凹凸はほとんど無い。取っ手の部分は、なめらかに歪んでおり、それを持つロアロの指の形とピッタリだった。

 相当思い入れのある品なのだろうが、それもそのはずである。この真鍮のマグカップは、亡き妻エルメルと娘のエリアンナからもらった誕生日プレゼントなのだ。当時、装飾の施された真鍮は極めて高価であり、ロアロの住む田舎町には決して売られているような代物ではなかった。そこで、妻と嫁いだ娘とがお金を出し合い、娘の住む街でロアロへの誕生日プレゼントとして真鍮のマグカップを購入したのである。

 プレゼントをもらったとき、ロアロは目を丸くしたまましばらく微動だにしなかったという。その後、無言で食器棚に向かい真鍮のマグカップを適当なところに置くと、そのマグカップに対して祈っていたそうだ。これには妻も娘も驚き、思わず笑ってしまったという。結局、もらったその日の夜にちゃんと使い、そのマグカップで飲んだお酒の味は一生忘れられないものになった。

 そんなマグカップを使い続けて何十年経つだろうか。そこに毎朝注ぐのは、蜂蜜とリンゴの果汁を水で薄めた飲み物、通称「蜂蜜リンゴ水」である。これはロアロお手製の飲み物で、毎朝飲むのが健康の秘訣と周囲にも語っている。夜には少量の酒と混ぜて飲んでも良い。

 すべての食事の準備を終え、再び席に着いたロアロ。小さな声で「いただきます」と言い、いつもの一人の食事を静かに始めた。

 朝食を終えたロアロは、しばし食後の休憩をとっていた。小鳥のさえずりと、道行く人の話し声がわずかに部屋の中に響き、平和な一日であることを教えてくれる。天気も快晴で、庭の緑が眩しく映える。そんな日にする事は一つ。

「散歩に行くかのう……」

 椅子の上でぽつりと呟き、今日この日を満喫せんとし、散歩に繰り出すことにした。何故なら、外は絶好の散歩日和なのだから。

 ゆっくり立ち上がると、外出の際に欠かせない焦げ茶色の杖を探した。しかし、なかなか見つからない。いつもは玄関の傘立ての近くに置いてあるので、すぐに見つかるはずなのだが見つからなかった。

「おお……あったあった」

 何かの拍子に落ちてしまったのだろう。傘立ての裏に転がっていた杖を拾い上げて、軽くほこりを払う。この杖もまた、かなり使い込まれていた。きっと、真鍮のマグカップと同様に沢山の思い出が詰まっているのだろう。そんな思い出を懐かしむように、ロアロは目を細め、杖をまじまじと見つめた。

 すると、その時。

――コン、コン、コン

 玄関の扉をノックする音が聞こえた。

「む? はい」

 突然の来客に少々驚いたが、特に慌てることもなく、いつも通り扉を開けた。

「はいはい、どちら様で……」

 扉を開けた先にいたのは、見ず知らずの青い目をした金髪の少女。意外な来訪者に驚いたが、その姿に、若干の既視感を覚えていた。

(はて……どこかで会ったかのう……。アローさんとこの娘さんのお友達さんじゃろうか……)

 思い出そうと、姿勢を低くしてその少女の顔をじっと見つめてしまう。見れば見るほど、どこか見覚えのある顔である。しばらく見つめていると、突然、少女は身を返して走りだしてしまった。

「あ……待っておくれ!」

 声をかけながら、その少女の姿を目で追う。すると、玄関先にもう一人居るのに気がついた。少女は、その人のもとに向かって走り後ろに回りこむと、その人越しにロアロを見つめた。ロアロは、視線を低くしたまま少女を目で追ったため、その人の姿は足元のみしか確認できない。足下から見て取れる服装から察するに、おそらく女性だろうと思うが、一体誰だろうか。ゆっくりと視線を上へと動かし、その人物の顔を確認すると、そこにあった顔は、予想の欠片もしていなかった人物の顔だった。

 その人の口が開かれ、懐かしい声色でこんな言葉が流れ出す。

「ただいま。お父さん」

 夢か幻かと疑う余裕は無かった。ただただ、ロアロは目の前の光景が信じられなかった。何故ならそこにいたのは、たった一人の愛娘エリアンナだったのだ。

 遠い街に嫁ぎ、今では音沙汰もなくその安否すら知ることが出来なかった娘が、今まさに、ロアロの目の前にいる。遠き日の記憶が走馬灯のように呼び起こされる。娘が生まれた日、初めて立った日、三人で歩いた散歩道では、まだ上手に歩くことが出来ず転んで泣いた日もあった。更に大きくなり、汽車に乗り嫁いでゆく娘。何より忘れがたい、真鍮のマグカップをプレゼントされた日。

 それらすべての記憶が、ロアロの頭に溢れ出した時。ロアロの両目からは、涙が静かに流れていた。

「エリ……アンナ……」

 詰まる喉を開き、声を絞り出して、ようやく娘の名前を呼ぶことが出来た。この名前を呼ぶのは、何十年ぶりだろうか。もう二度と、口にしないだろうと思っていた。ロアロの目から、更に涙が溢れ出す。

「エリアンナ……ああ、エリアンナ、生きておったのか! 私はてっきり……てっきり……」

「お父さん、ただいま。今まで本当にごめんなさい。だからもう、泣かないで……」

 そう言われて、ロアロは鼻をすすり、少し乱暴に目元を袖で拭った。顔はもう、喜びとしわと涙でぐしゃぐしゃになっていた。とにかく気持ちを落ち着けようと深呼吸をしたり、空を仰いで涙を抑えようとしたりする。そして、少し落ち着いてから、小さく咳払いをして口を開いた。

「ごほっ……すまない。おかえり、エリアンナ。よく来てくれたね。私はいつでも待っていたよ。ここまで遠かったろう。さぁ、我が家におあがり」 

その言葉に、エリアンナは微笑みながら頷くと、足にしがみついていた少女の手を取り玄関へと歩き出した。家に入る直前、ふとロアロが口を開く。

「ああ、そういえば、そちらの可愛らしいお嬢さんは……もしかして」

 ほのかに嬉しそうな口調で聞いてくるロアロに、少し笑いながらエリアンナは答えた。

「ええ、そのもしかして、よ」

「おお……おお! そうかそうか!」

 ロアロはよほど嬉しかったのか、また涙を流してしまった。その涙を再び手で拭いながら、二人を家へと招き入れた。

 涙のせいか、まるで天国のように世界がキラキラと輝いていた。

 


 
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