No.447507

真説・恋姫†演義 異史・北朝伝 第四話「蜂起」

狭乃 狼さん

移転の異史・北朝伝、その五回目です。

ついにその時を迎える、義勇軍の決起の時。

では、どうぞ。

2012-07-06 21:33:21 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:4043   閲覧ユーザー数:3044

 部屋中に所狭しと並ぶのは、贅の限りを尽くした豪勢な料理の数々。普通であれば食欲を刺激してたまらないであろうそれらのものと、白酒の芳醇な香りが交じり合って部屋中に充満し、その場に同席している者たちは皆、それらと退廃的なこの部屋の雰囲気とに完全に酔いしれている。

 部屋の中央では華やかな衣装をその身に纏った、見目麗しい少女たちが弦や鼓の奏でる楽曲とともに、天女さながらな華麗な舞を披露し、その席に艶やかな華を添えている。

 「……ふぅ」

 肘掛に肩肘をかけ、手をあごに添えたまま、彼は目の前のその光景に思わず小さなため息を吐く。

 そしてそのため息の原因となっている、目の前のその光景をちらりと見ては、また小さく息を吐いて手に持ったその杯の中身に口をつけつつ、彼からしてみれば醜悪としか言いようの無いその情景に、自分に対しての嘆きも含めた、何度目かももう分からないため息を繰り返し吐く。

 (……これで三日目かの……まったく、毎夜こんなことをしていて、一体何が楽しいのやら)

 これが、自身に対する歓迎の宴である事は、彼とて重々承知はしている。だがそれと同時に、他にもっとすべきことが在りはすまいかとも、彼は内心そう思っている。

 しかし思ってこそはいるが、それを正面から詰問する事は、今の彼には出来なかった。お下げに結ったその自慢の長い黒髪を指でいじりながら、中ば呆れつつその情景を眺め、忍耐力を総動員して表面上はあくまでもこの宴席に満足している、そんな風を装わざるを得ないのが、今の彼のするべきことだったから。

 「いかがですかな、殿下。此度のこの宴席、楽しんでいただけておりますかな?」

 「……そこそこにはの」

 「ははは。これは手厳しい。お噂どおり、この手の席は苦手のご様子で。も少し、趣向を凝らせばよろしかったですかな?」

 肉の塊。

 そんな表現が、この男ほど似合うものは他にいないだろうな、と。彼はそう、自分の正面にほろ酔い加減で歩み寄ってきた男のことを、口には出すことなく頭の中でだけ比喩する。

 

 韓馥・字は文節。

 

 ここ、冀州は鄴郡の地に彼が到着したその時、彼のことを恭しく出迎えたその男は、自らのことをそう名乗った。彼の父から、いや、正確に言えば彼の父の名を使って出された、朝廷を牛耳る宦官の筆頭集団、十常待のその命によって、この地の太守に任命された人物である。

 「殿下におかれましては、この様な辺境の地にわざわざ視察に赴かれ、この韓文節、大変恐縮いたしております。なればこそ、ご滞在の間だけでも心安らいでおられればと、この様な席を設けさせていただきましたが、ふむ、ご満足いただけぬとあれば、後は閨の方で安らいでいただくという手も、ご用意は出来まするが?」

 「……要らぬ気遣いじゃ。これで、十分に楽しませてもらっておる。……すまぬが、余は少し酔うたようじゃ。少々風に当たってくるゆえ、皆は気にせず宴を続けていてくれ」

 そう言って、彼は席からおもむろに立ち上がり、杯を片手に持ったまま窓際のほうへと歩いていく。

 「いや、これはこれは、殿下は下戸にございましたかな?では、誰ぞお傍に」

 「よい。それよりほれ、あちらで誰ぞ呼んどるぞ」

 「おお。これはお教えいただきかたじけない。それでは」

 いそいそと走っていく韓馥の背を、冷たい目で見送りつつ、彼は窓の外のバルコニーに出る。春先とはいえ、夜も遅い時間である。冷たい風が、彼の酒で火照った体に染み込み、酔いで鈍りだしていた頭を、再び研ぎ澄ませてくれる。

 「……よい月じゃな。闇夜にありて、ただ静かに、世を煌々と照らしておる。……人の世の闇も、こうして同じように、照らしてはくれぬものかの」

 「……殿下」

 「そなたか。……して、調べはどうであった」

 「は。事前の調べとも一致しました。……こちらを」

 いつの間にか、そのバルコニーの陰に現れていた、女性と思しきその声の主から、彼は一本の竹簡を受け取り、目を通していく。

 「……苦労であったな、彦雲。そなたにはいつも助けられておる」

 「もったいなきお言葉」

 「して。司徒はなんと言っておった?」

 「……お早いご帰還を、と。それから、その」

 「俗世などあまり気にかけるな、とでも言うておったのだろう?ふっ、いつものことじゃ」

 ふふ、と。ためらいがちな風のその女性の変わりに、その台詞の先を読み、笑顔で言葉をつむぐ。

 「ですが、叔父の言葉も一理あると思います。あなた様はいずれ、この国を背負う立場におられるのですから。……皇太子殿下」

 皇太子、と。その女性が恭しく呼んだその人物。今上帝、後漢の十二代帝である劉宏の嫡子にして、次期皇帝たるその人。

 

 劉弁、字を白亜。

 

 今年で齢十八になる彼は、現在巡検使-皇帝の変わりに、大陸各地の様子を視察する役職-として、現在この冀州は鄴の地を訪れていた。

 とはいえ、本来であれば皇太子という重要な立場にある者が、そんな危険な役目を担う様なことは決してありえないことである。だが、劉弁自身の強い要望と、父である漢の今上皇帝劉宏よりの、見聞を広めて来いという勅命により、河北一帯のみにその行動範囲を留めるという条件付のもと、例外中の例外として今回の巡検が認められた。

 もっともその勅命を出した時、それを出した当人は相当の酩酊状態に陥っていて、前後不覚なまま彼の上申を聞いていたので、その内容をしっかり把握していたかどうか甚だ疑問ではあったが。

 「おぬしには本当に迷惑をかける。それに、此度は父上にも悪いことをした。なにせ、泥酔中のところに、この話をもちかけたわけだしの。……じゃが、余はどうしても、自分のこの目で、直接大陸の現状を確かめたかったのだ。……漢朝も、高祖による成立より、すでに四百年。もはや衰退期に入っているのは、誰の目にも明らか。齢を重ねた大木と同様、根元の腐敗がかなり進んでしまっておる」

 途中で一旦言葉を区切り、劉弁は欄干にその背を預けて杯の中に残っていた白酒を飲み干してから、小さな明かりが瞬く天を見上げる。

 「じゃが、だからこそ、現状を何とか乗り切らねばならん。そのためにも、人づてではなく、自分の目と耳で、世間を見てみたかった。……じゃからの、彦雲」

 そこでその視線を、彦雲、と彼が呼ぶ女性――漢の司徒・王允の姪である、王淩――に向け、

 「も少しだけ、余のわがままにつきおうてくれ。このとおりじゃ」

 と、その頭を下げた。

 「……かしこまりました」

 「……すまぬ」

 臣下に頭を下げる皇太子、などというものを、世間の者が見たらそれこそどう思うか。と普通ならば言うところであるが、この二人は主君と臣下という以上に、幼いころよりの知己でありその生涯を共にと誓った、無二の親友でもあった。そういった世間のしがらみによる垣根とは、正直無縁といって良いほどに。

 「さて、と。そろそろ戻るとするかの。いつまでも席を外していては、太守めも心穏やかではおるまい」

 「……殿下のご機嫌をとり、己の所業に気付かぬようにする、その為の心配りで、でございますか」

 「そこは言わずもがな、という奴よ。……では彦雲、引き続き、頼んだぞ?」

 「御意」

 

 王淩の気配が完全に闇に消え去ると同時に、劉弁はバルコニーから再び、饗宴の続く席へと足取り重く戻っていく。

 一体自分は後何日、このくだらない時間に付き合わなければいけないのだろうか。一体何時になったら、巡検使としての本来の仕事に入れるのだろうか。

 そんな事を考えつつ、劉弁は足取りと供に重くなっていく気持ちを引き締めなおし、首座に用意された自分の席へと戻って行った。

 

 

 ここで、少しばかり時を遡る。

 

 

 劉弁が鄴に到着したその次の日、大きな荷車を数台伴う一見行商人の集団にしか見えないその一団が、人もまばらな鄴の街の大通りを通り抜け、そのまま城へと入っていった。

 そしてその後も数度に渡り、ほぼ同じ風体をした一団が、城の敷地内へと次々に荷を運び込んでいく。そして城内の一角にある食料貯蔵庫に到着した集団は、荷車の荷台から次々と荷を降ろし、蔵が丸一つ満杯になるほどの大量の物資をそこに搬入。

 城の食料監督官がそれらの品を“入念に”調べ、何も異常の無いことを確認した後、その一団はすぐに城を去って行った。

 

 そして、その日の深夜。

 

 「……そろそろ……かな?」

 「ええ、大丈夫でしょう。……義姉さん、ちゃんと起きてます?」

 「あ?……ああ、もう時刻かい。うーん、よく寝た」

 「……そんな狭いところで、よくそれだけぐっすり寝れますね、蒔さん」

 

 食糧貯蔵庫の中、そこに詰め込まれた幾つかの荷の中から、あたりを警戒しつつそっと顔を出した一刀と徐庶、そして大きな欠伸とともに体をぐっと伸ばす徐晃だった。

 

 「いつでもどこでも熟睡できるのが、あたしの特技の一つでね。さて、たっぷり眠った分、しっかり仕事をするか」

 「と、張り切っているところ悪いですけど、義姉さんの出番はまだ後ですよ。まずは、私とみんなで城の人間の中に紛れ込み、先に潜り込んでいる結と合流して、内部の状況を把握しておきますから。義姉さんは一刀さんと一緒に当分ここで待機です」

 「……それにしても、本当にここの役人てのは腐っているんだな。それなりの額とはいえ、賄賂をもらったらあっさりと、どこの誰ともはっきりとしない、隊商に偽装した俺たちを城内に通して、さらには荷を碌に調べもせずに異常無しってことにしてしまうんだから」

 「後で自分の身に何が起こるか、それすら考えることも無く目先の欲に囚われて、な。……もっとも、太守や側近どものやってることに比べたら、この程度の事はかわいい部類だがね」

 「……」

 

 この鄴を治める太守である韓馥という男は、一州のトップである牧という立場を都合良く利用し、表で私欲に走った悪政を行うだけでなく、同時に裏では各地の盗賊や山賊を使って人々を襲わせ、略奪した金品をすべて自分のものにするという、そんな悪辣などという言葉が可愛く聞こえるほどの行いをも、今までに数多くしてきているという。

 しかも、現地で邑々や隊商などを直接襲い、物資を集めてきた賊たちを、治安の維持を口実にして平然と、口封じのために皆殺しにしてしまってもいるという、まさに非道で外道な行いを繰り返しても彼は居た。 

 

 「欲望に素直なのが必ずしも悪いとは言わないけど、それでも、人として越えたらいけない一線っていうのはあるもんだ。そしてそれを越えたら」

 「……ソイツはもう、人とは言えません。ただの、けだもの以下の餓鬼、です」

 

 一刀の台詞の後、徐庶は唇を強く噛み締めながらそう呟き、服の胸元をその内側にしまいこんである、首からかけた首飾りごと掴んで握り締める。

 

 「……輝里。一応言っておくが、短気は起こすんじゃあないよ?いいね?」

 「……大丈夫。義姉さんよりは、気が長いつもりだから」

 「ははっ、言ってくれるよ。……お前たち、輝里のこと、しっかり守ってやってくれよ?」

 『任せてください、蒔の(あね)さん』

 

 徐晃らと共に荷の中に隠れ潜んでいた、彼ら黒山義勇軍の兵士たち数名が、その彼女らが話をしているその間に幾つかの荷を解きながら、今後の行動の準備を一刀らのその傍らで行っていた。その彼らが手に持っている物のほとんどは、文官用の装束と少々短めの剣である。

 

 「それじゃあみんなの着替えが済み次第、私たちは城の中に紛れ込んで由たちと合流しておきます。すべての証拠の押さえをするのには、多分丸一日はかかると思いますから、それまでちょっとだけ待っていてくださいね」

 「分かった。……気をつけて、輝里」

 「はい。……じゃ、行くわよ、みんな」

 『へい、姐さん!』

 

 徐庶達が蔵の中からそっと出て行った後、その場に残された一刀と徐晃の二人は、今後の行動を改めてそこで確認しながら、時が来るのをただじっと、引きを潜めて待つ。

 

 「……」

 「……どうした一刀?緊張しているのかい?」

 「……まあ、ね。……ねえ、蒔さん」

 「ん?」

 「……蒔さんが初めて人を斬った時って、どう…でした?」

 「始めて人を斬ったとき、ね……。覚えてない」

 「へ?」

 

 あっけらかん、と。徐晃は一刀の問いにそう答え、声を殺して笑った。

 

 「ガキの頃はとにかく、生きることだけで必死だったからねえ。親なんてものも居ないし、寄るべき家があったわけでもない。物心ついた時には一人だったあたしは、生きるためなら何でもしたからねえ。ただ、人を殺してまで生きようとだけはどうしてかならなかったけど、それでも、こんな世の中に生きている以上、まったく手を汚さずにはいられはしなかったのも、事実には違いがないがね」

 「……」

 「さっきも言ったように、正直最初の時の事は頭じゃあ覚えちゃ居ないけど、それでも、この手はしっかり覚えてるよ。……冷たい刃が、人間の肉をえぐるその感覚は、ね」

 

 そう語る徐晃の顔は、少し自嘲気味の、悲しげな笑顔。その彼女の横顔を見つつ、話を黙って聞いていた一刀は、腰に差した二本の刀に添えるその手を、知らぬ間に力いっぱい握り締めていた。

 

 「……一刀は、人を殺した経験は無い……んだね?」

 「……ええ。少なくとも、俺が住んでいた国では、人が人を殺せば理由に如何なく、罪にとわれましたから」

 「平和だったのかい?」

 「ええ、とても。毎日、家族や友人に囲まれて、時には馬鹿やってはしゃいで、平穏に日々を過ごす、それが、当たり前の日常でした……って、蒔さん?」

 

 元の世界に居た頃のことを語り、その頃の何気ない日常を思い出していた一刀のことを、徐晃が突然、そっと優しく包み込んだ。

 

 「……やっぱり不安、なんだね。突然、そんな日常から切り離されて、家族や友人と離れ離れになって、天からこの地に降りて来て」

 「……」

 「その上、御遣いなんていきなり呼ばれて、あたしらの御輿に祭り上げられた上に、これからあんたは、かなり重たい荷物を、その背に背負うことにもなるんだ。……だから、今のうちだよ」

 「……何が、ですか?」

 「……弱音は、吐けるときに吐いておきな。今は、あんたとあたししか居ないんだから、声さえ上げなきゃ、いくらでも胸、貸してやるからさ」

 「まき、さん……」

 

 そっと。やさしい表情を顔に浮かべながら、徐晃は一刀を抱きしめたまま、彼の頭を撫でる。そうされている内、それまで押さえ込んでいた一つの感情が、一刀の心の奥底から一気に湧き上がって来て、気がつけば、彼は徐晃のその腕の中、声を殺して泣き始めていたのであった。

 

 そして、時は再び現在へと、劉弁が鄴に到着してから四日目の、その日へと戻る。

 

 

 

 鄴の城内の大広間では、相も変わらず劉弁に対する歓迎の宴が、日中にもかわらず続けられて居た。誰も彼もが政の事等頭の片隅にも気にかけておらず、主賓である劉弁をそっちのけで饗宴に供し続けている。

 首座に座ってその光景をあきれ果てて見ていた劉弁も、さすがにもう我慢も限界とばかりに、その場の主催である韓馥を傍に呼びつけ、彼を含めた全員を一喝しようと席を立ち上がった。

 そしてまさにその時、タイミングを見計らったかのように、大広間の外から凄まじい怒号と喧騒が響き渡ってきた。

 

 「韓太守、一体何事が起きたか?」

 「あ、いえ、それがしにも何が起こったのかとんと」

 『ええい!止まれ!止まらぬか貴様ら!!これ以上は行かせ、ぎゃあっ!』

 『っ!』

 

 大広間の外、入り口の扉のすぐ傍から聞こえてきた、この城の兵士のものと思しき叫び声と、その断末魔の声。そして、その一瞬後、重厚なその扉が勢いよく開かれ、手に手に小剣を持った数名の文官姿の者達が、その場へ一気になだれ込んできた。 

 

 「な、なんだ貴様ら!これは一体何の真似か!」

 

 突然の事態に狼狽しつつも、韓馥はその文官姿の者達に向かって、怒りの形相と声を向ける。そこに、開かれたままの扉から、白い服を着た青年を先頭にした四人の人間が姿を現した。

 

 「貴様ら一体何者だ!恐れ多くもここは、皇太子殿下をもてなす為の宴席の場ぞ!お前たち如きの様な、どこの馬の骨とも分からぬ者がその足を踏み入れていい場所ではない!」

 

 その四人に対し、そう激昂して怒鳴りつける韓馥だったが、彼らはそれに一切ひるむ事無く、韓馥とその背後に立つ劉弁の近くへと歩みを進める。

 

 「ええい!それ以上寄るでない!誰ぞこやつらをとっとと取り押さえよ!」

 「残念だが、それは無理だ」

 「そや。ここに来るまでの間に、ほとんどの兵達にはおねんねして貰うたさかいな」

 「そして、今この場に居る、昼間から酔って前後不覚になっている人間達には、私達は誰も止められません」

 「……そなたらは一体何者か?何が目的で、このような騒ぎを起こしてまで、余らの前に現れた?」

 

 それぞれに武器を手に携えたその女性三人、すなわち徐庶と姜維、そして徐晃に詰め寄られ、顔を真っ青にして震え上がっている韓馥の背後から、劉弁が彼女らにこの行動の目的を問いかける。

 

 「お初にお目にかかります、皇太子殿下。私は、徐晃。字を公明と申します。この冀州は黒山の地にて、義勇軍を率いる者でございます」

 「ウチは姜維。字は伯約にございます。殿下には此度の無礼、平にご容赦のほどを」

 「私は徐庶。字は元直にございます。まずはこちらに、お目をお通しくださいませ」

 

 その劉弁に対し、三人が揃って跪いて拱手をしたままそれぞれに挨拶を行い、それが済むやいなや、徐庶が数本の竹簡を劉弁に対して差し出した。

 

 「……これは?」

 「私どもが独自に調べ上げ、ここ二日ほどをかけて密かに集めた、太守・韓馥とその側近たちによる不正、および罪状をまとめたものにございます」

 「今回我らがこの様な行動に出ましたのは、此度この場に訪れることになっておられた殿下に、この地の実情を知ってもらい、この太守の皮を被った鬼畜とそれに関っていた者達を、この場にて断罪していただくためです」

 「そして、我らが主君たるこのお方、天よりの御遣い北郷一刀さまを、殿下にこの地の新たな太守とお認め頂きたく思っております」

 「天の御遣い……じゃと?」

 

 劉弁とて噂は聞いていた。白き衣の御遣いが流星と供にこの地に舞い降りるという、菅輅のその占いの事は。そして確かに、彼の前に跪く三人の後ろには、これまでに見たことの無い意匠をした、白い上下の衣を身に纏っている、一人の青年が立っていた。

 

 「ええい!貴様ら不遜にも程があろう!仮にも天子のお子である皇太子殿下の御前で、天の名を騙る不届き者を担ぐなど!」

 「……ならばまず、この竹簡の中身から、見させてもらおうかの。その者が天の御遣いかどうかは、それから詮議しようぞ」

 「殿下!!このような下賎の者どもの言葉を、お聞きなさるのですか?!お父上である皇帝陛下より、この地の太守を直々に任じられた、この私を信用していただけないのですか?!」

 

 劉弁に、必死の形相でそう叫ぶ韓馥だったが、その劉弁は彼の事をきっと睨みつけ、大音声にて一喝した。

 

 「だまらっしゃい!余は、その父上より任じられた、巡検使である!疑わしきは調べ、真実を明らかにするのが、余の務めである!そなたは暫し、引っ込んでおれ!!」

 「ぐ……」

 

 劉弁のその一喝によって、韓馥はあっさりと萎縮し、何かまだ言いたげながらもすごすごと引き下がる。その様子を黙ったまま見ていた一刀は、彼のその王者が持つ覇気というものに、強く感心をしていた。

 

 (……凄いな。劉弁って言えば、確か次の皇帝だっけ?けど、暗愚な皇帝として有名だったと思ったけど、大したものじゃないか。……やっぱ、この世界じゃ、俺の常識は通用しないかもな)

 

 「……なるほどの。これほど迄に酷いとはな。税は通常の十倍。必要外の過酷な労役。物品の横流しに始まり、奴隷商人などの悪徳商人との癒着、さらに挙句の果てには罪無き者たちを強引に捕らえて囚人とし、その彼らを密かに造った闘技場で殺し合いをさせて、それを見物か。……あきれ果ててものが言えぬわ」

 

 憤怒、憎悪、そして、嫌悪。

 それらの入り混じった表情で、韓馥を睨み付ける劉弁の視線に、韓馥はその身を小刻みに震わせながらも、尚自己弁護の台詞を吐き始めた。

 

 「そ、そのようなことはすべて身に覚えのないこと!こ、こやつらのでっち上げに決まっております!!」

 「……おまけに、往生際まで悪いときたか。……ほれ」

 

 ぽん、と。彼の前に、自らの懐から取り出した一本の竹間を、劉弁が拡げながら床に投げ捨てる。そこには、先ほど彼が見ていた徐庶達から出された竹簡とほぼ同じ内容のものが、つらつらと書き連ねられていた。

 

 「……こ、これは……っ?!」

 「余のほうでも独自に調べさせた、お主を初めとする、この鄴の官吏達全ての罪状のごく一部じゃ。それ以外のほかの証拠も、すべて余の直属の部下が確認しておる。……もはや言い逃れは出来ぬぞ?覚悟せい、文節よ」

 「クウ……ッッッ!!……ならば、その覚悟とやら、してやろうではないか!!」

 『何?!』

 

 劉弁からも己のこれまでの罪を糾弾され、忌々しげにその彼のことを睨みつけていた韓馥であったが、ほんの少しの間の後、突如としてその目に邪悪な光を浮かべて不適に笑い出した。そして、その懐から一本の短刀を取り出し、周りがほんの一瞬呆気に取られていた隙を突いて、劉弁へとその短刀を構えて駆け出した。

 

 「この場で貴様を殺し!その罪をこの場にいる者全てに、擦り付けてやるわ!そうすれば、わしの地位は永遠に安泰よ!死ね劉弁!!わしの為に!!」

 『しまっ……!!』

 

 それは、慢心といってもよかったかもしれない。

 

 皇族に刃を向ける―――。

 

 まさかそんな行動に韓馥が出るなどとは、さすがの徐晃たちとて露ほどにも思っておらず。そして、刃を向けられた当人である劉弁と、彼を陰から見守っていた王淩にとっても、完全な油断。そして、失策だった。

 

 「“これ”が、わしの覚悟じゃっ!死ねえ、クソガキィ!」

 

 劉弁が、韓馥の凶刃に倒れる―――――――――と、誰もが思ったのだが。

 

 

 

 「あ、あ、あ」

 

 ぽた、と。

 赤いしずくが一滴、床に静かに落ちた。それは、血。そしてそれを流したのは、劉弁の前にその場の誰よりもいち早く躍り出て、韓馥の短刀を寸手の所で素手で掴んだ、一刀だった。

 

 「一刀!」「カズ!」「一刀さん!」

 「そ、そなた……!」

 (……やっぱり、ご主人様はご主人様ね……。誰かを守るその為なら、平気で無茶なことばっかりするんだらから……)

 

 一刀のその行動に、思わず血相を変えて叫ぶ徐庶達と、己の身を守って凶刃の前に立ちはだかった、白い服の青年の背を呆然と見る劉弁。そして、物陰に潜みながら哀しげな瞳をして一刀を見ていた王淩という、それぞれの反応だった。

 

 「お、おのれこの需子が!余計な邪魔を……?!ぐっ!?う、動かん!?」

 

 握られているその短刀を、一刀の手から離そうと、韓馥が思い切りそれを引く。だが、一刀の手に握られたそれは、一ミリたりとも微動だにしなかった。

 

 「……なあ。あんたさ、今、覚悟、っつったよな?それはこの人を、人を一人殺すことに対するものか?それとも、その結果によって起こることに対しての、ものなのか?」

 

 短刀の刃を掴み、うつむいたまま、一刀が、ゆっくりと言葉を紡いで、韓馥に問いかける。

 

 「け、結果だと?」

 「そう。皇太子を殺害したとなれば、たとえその事実は隠そうと思ったって、隠しおおせるものじゃない。いずれは全ての事実が発覚し、あんたを捕縛するために必ず朝廷は動くだろう。殿下の母君である何皇后や、大将軍閣下はそれこそ血相を変えて、ね」

 「ぐ……」

 「その時あんたはどうする?大人しく罪に服するのか、それとも、民をも巻き込んで徹底抗戦し、漢王朝を敵に回してでも、今の地位にしがみつくのか。……俺が言いたいのはそういうことだ」

 「ふん!何を言うかと思えば。そんなもの、そうなったらわし一人で逃げるに決まっておろうが!何でわしがそこまでせねばならん?地位など今の財があればまたいくらでも買い直せるわ!」

 

 この時代、漢王朝は売官制度、つまり金で官位や役職を売り、疲弊していた朝廷の財にあてがうという、そんな愚にもつかない法令を公的に行なっていた。人格や能力など関係無しに、金さえ積めば誰でも高い地位を得られるこの制度が、衰退を始めていた漢王朝に更なるほころびを齎(もたら)した事は、もちろん言うまでも無いと思う。

 

 「……そうか。なら、後一つだけ聞く。……あんたにとって、太守という地位と、その地に住む民ってのは、どういう存在なんだ?」

 「はっ!太守に限らず、地位など金集めの為の飾りよ!民?そんなもの、そこらじゅうにいくらでも生えてくる雑草じゃ!」

 

 もしこの時、韓馥に人の感情を読む機微が僅かにでもあったのなら、決して、一刀の問いに対してそんな本音を吐くことはなかっただろう。そしてそれと同時に、己の手が掴んでいる短刀の刃を握り続けている一刀が、小刻みにその身体を震わし、静かに怒りの感情を高ぶらせていた事にも、気づけていたかも知れない。

 

 「じゃがそうよな。いざという時にはその雑草でも街の門の辺りに積み上げておけば、わしが逃げるまでの間の壁ぐらいにはなろうな。有象無象の民などと言う雑草はいくらでも居るが、わしと言う高貴な人間はこの世に一人しか居ら」

 「……黙れよ、ブタ」

 「あ?」

 

 韓馥の声を一刀の声が途中で遮り、それを訝しんだ韓馥が、その視線を俯いたままの一刀へと向けたまさにその瞬間。何かの塊が、一刀らのやり取りを黙ってみていた徐庶達の真上を通過し、ソレはそのまま声にならぬ声を上げて、壁に激突。

 

 『人間が、“縦回転しながら”飛んでいくという光景を、この時始めて見た』

 

 とは、徐庶たちの言である。

 そう、ソレは怒り心頭に達した一刀によって殴られ、一瞬にしておよそ十メートル程吹き飛ばされた、韓馥だった。

 

 

 「……こんな奴が現実にいて、街を、人を治める立場に居る、か。これが、この世界の現実なんだな」

 

 一刀の拳で砕かれた顎を押さえ、壁際でのた打ち回っている韓馥の事を、まるで汚物を見るかのような目で見ながら、一刀はその手の中の短刀をその場に投げ捨てた。

 

 「一刀さん、血が」

 「いいよ、輝里。このくらいの痛み、今まで街の人たちが受けてきた痛みに比べれば、蚊に刺されたほども感じないさ」

 「一刀さん……」

 

 自身に駆け寄り、その血が流れている手に包帯を巻きつけていく徐庶に、一刀が優しく微笑みかける。

 

 「……殿下」

 「……なにかの?」

 

 徐庶が包帯を巻き終えた後、劉弁の前に改めて進み出た一刀は、彼のその前で恭しく跪く。その彼のことを劉弁は“あえて”無表情のままに見下ろす。

 

 「まずは、改めまして自己紹介を。私は北郷一刀、と申します。姓が北郷で、名が一刀にございます。字はありません」

 「漢の太子、劉白亜である。……北郷、と申したな。まずは余からそなたに問いたい。そこに居る徐元直ら三名は、そなたの事を天の御遣いであると申して居るが、そなたは自らが天の遣いであること、この場で証明できるか?」

 「……いえ。残念ながら、今ここで明確に、それを証明できる証はありません。強いてあげるのであれば、私が今着ているこの『ポリエステル』の制服ぐらいでしょうか」

 

 天の御遣いである事の証明をと、劉弁からそう求められた一刀は、下げたままの顔はそのままに、自身の着ている制服の袖にその手をやり答えた。

 

 「ぽりえすてる、とな?ほう。確かに見たことの無い生地じゃな。ではさらに問う。仮にそなたが天の使いであったとして、だ。なぜ、この地に降り立った?民の苦しむ地であれば、他にも数多あろうに」

 「それこそ、“天意”、としか、今の私には申しようがありません。……今度は、こちらから問いかけたき儀がございますが、宜しいでしょうか」

 「……遠慮はいらん。申してみよ」

 

 劉弁はこのとき、一刀の声の“質”の僅かな変化に気づかなかった。そしてその問いを、一刀はゆっくりと口にし始めた。

 ……怒気の篭った、地の底から響くような、その声で。

 

 「ではお聞きします。……何ゆえ朝廷は、そして今上帝は、民の為に何の処置も講じてくださいませぬか?……私は、この地に降りてまだ、三日しか経って下りません。ですが、それでも民の窮状は十分に、痛感することが出来ました」

 

 言葉を一度きり、一息吐く。そして、不遜を承知でその顔を上げ、一刀は劉弁にその瞳を向ける。

 

 「街はあれ、人心はすさみ、怨嗟の声は増すばかり。……そんな世になってしまった、いえ、してしまったその“理由”が、一重にどこにあるか。……お答え、願えますか?皇太子殿下」

 「そ、それは……」

 

 沈黙。

 

 劉弁には、それを答えることが出来なかった。その答えは“誰でも”知ってはいる。知ってはいるが、口にすることはけして、ましてや皇太子である劉弁には出来ない。

 

 何故なら、それを公に口にすると言うことは、すなわち己の父を、ひいては、漢そのものを、非難することになるのだから。

 

 (……もしや、余を試しておるのか?……この問いに答えるか否かで、余に太子としての“器”と、“覚悟”があるかどうかを。……じゃが……)

 

 それからどれほど、沈黙の支配する時間が経ったか。一刀のその蒼みがかった瞳をしばらく凝視した後、劉弁はついに意を決してその口を開いた。

 

 「……その問いへの答えは、“今この場にいる余”では、答えることは出来ぬ。じゃが、これだけははっきりと誓おう。……時流れ、余の代となった時その時には、必ずやその理由を正してみせる、と」

 

 それが、今の劉弁に出来る、精一杯の返事であった。

 

 「……御心、確かに承りました。無礼の段、ひらにご容赦のほどを」

 

 す、と。一刀は再び平伏した。劉弁のその言葉に、一切の偽りの無いことを、一刀は確信をした。その、揺ぎ無い信念が篭った、彼の瞳を見て。

 

 そして、その翌日。

 

 巡察使としての権限を以って、劉弁は韓馥の冀州牧、および鄴郡太守としての地位を剥奪。百杖の棒罰ののち、洛陽へと送られることになった。そしてその韓馥同様、これまで散々やりたい放題にしてきたその側近達は、劉弁の配下である王陵の調べでも発覚したもろもろの罪により、その日のうちに全員が極刑に処されたのであった。

 

 ~続く~


 
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