No.443419

彼女と私の関係3-2 『扇とあの日視た少女の姿』

バグさん

百合作品なのに全然百合百合してない・・・だと・・・・・・?

2012-06-29 22:27:15 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:291   閲覧ユーザー数:289

「こんにちわ」

 横開きのドアを開けて、虹色《にじいろ》 扇《おうぎ》は挨拶をしながら足を踏み入れた。

(慣れないな………………)

そんな事を思いながら。

在学当時、美術室は自分のテリトリーだった。実家に有る自室の様にすら感じていたものだ。だが、数年離れている間に、そんな感覚は消えてなくなってしまった。窓を開けていれば空気が入れ替わる様に、生徒が入れ替わるごとに、きっと色々なものが入れ替わっていくのだろう。もうこの場所では思い出の欠片を拾い上げる事すら困難だった。

ここはもう自分のテリトリーでは無いのだと、一抹の寂しさを覚えてしまう毎に、記憶と身体に染み付いた過去の空気とのギャップを感じてしまう。現在と過去の、埋めようの無い溝。慣れるはずも無い。それが不快だとは思わないのだが、単純に、切ない。

扇の声に反応して、美術室に居た十人ほどの生徒が挨拶を返してきた。部員の出席率は百パーセントでは無いが、ほぼ全員である。全員の顔と名前が一致している訳では無いし、全員と話をした訳でも無いけれども、部員数くらいは把握している。彼女らは思い思いに部活の時間を過ごしていた。作品に対して真面目に取り掛かっている者もいれば、適当に落書きしている者、何もせず雑談している者、同人誌のネームを切っている者など…………まあ、それぞれだ。美術部的な活動をしていない者がサボっている訳では無い。創作にはモチベーションというものが不可欠であり、作品に取り掛かる事すら気が重くなる状態になる場合も有る。彼女らが棚上げにしている作品が何なのかは分からないし、そもそも取り掛かってすらいない可能性も十分に有り得るが、無駄に時間を潰す事もまた、作品にとりかかるための大切な時間なのだった。

「…………虹色先生、こんにちわ」

 そんな彼女達の中で、真面目に作品に取り掛かっていた生徒の一人がこちらへ近づいてきた。胸に一冊のスケッチブックを抱えて。彼女の座っていた席は偶然にも扇が在学時代に使っていた場所と同じだった。

彼女の事は良く知っている。美術部員の中では比較的…………というレベルの話だが。顔と名前がちゃんと一致している部員の一人だった。いや、良く知っていると言うのは語弊が有る。一対一で話をした事が有る訳でも無いのに、良く知っているとは言えまい。ただ、教師と生徒という関係上からしてみれば奇妙な表現だが、扇は彼女の事を一方的に知っていた。

そして、一方的に複雑な感情も抱いている。それは嫉妬とかそういう感情に分類されるものであったが、そこまではドロドロしてはいないと自覚している。

功刀《くぬぎ》 羽衣《はごろも》。

一年生。学校中にその名を轟かせている五人組の一人。別名『歩く芸術館』。

眼鏡をかけた、痩身の美少女。セミロングの髪を一本に縛り、肩から前へと垂らしている。身体の線は折れそうな程に細いのに、しかし妙にしっかりと芯が通っている印象を受ける。落ち着いた足取りはしっかりと地面を捉えて、押しても倒れそうに無い。

本でも持っていれば似合いそうだが、彼女が持つのは本では無い。筆だ。

彼女の制作物は主に絵画である。絵画で無くとも、美術関係ならば何でもこなす様だ。だが、絵画が好きなのだろう。キャンバスを前にしている姿しか、扇は見た事が無かった。同じ様な理由なのかどうかは分からないが、アクリルでは無く、油絵を主体として居る様だ。

羽衣の凄い所は、あるいは凄まじい所は絵画のレベルに有るわけでは無い。絵画自体のレベルも扇には…………いや、並みのプロですら手の届かない場所に有るのだが、彼女のそのスキルは芸術系の部活動全てに適用されているという事だ。何でもやってしまうのだ。書道や茶道、管楽器に弦楽器、小説も描けば漫画も描ける。演劇までこなすというのだから恐ろしい。それも、その全てにおいてプロ級という、おぞましさすら感じさせる超人だった。その年齢でそこまでの境地に達するには何をどうしたら良いのか、全く想像出来ない。あるいは理解出来ない。教師としては恥ずべき考えだが、個人としては理解しようとするだけ無駄、というのが本音だった。良家の子女ならば、あるいは様々な習い事に通じていてもおかしくは無いのかもしれないが、彼女の実家は一般家庭だ。

まあ、それは羽衣が仲良くしている他の四人についても同じ事を言えるのだが。彼女らのクラス担任に同情するレベルだった。とはいえ、扇は未だ新任教師。自分の事で手一杯で、普通の生徒達の監督すらままならない。同情するレベルとは言っても、自分のレベルすら把握できていないので、そのレベルが果たしてどんな位置に有るのかも不明だった。

だが。

「こ、こんにちわ、功刀さん」

 目の前に立った功刀 羽衣という生徒に挨拶を返しながら、何とも言えない感覚を覚えた。奇妙な感覚と、そして、落ち着かない気持ち。落ち着かないというか、とにかく眼を合わせづらいのだ。野生の動物は格上の存在に対して、決して眼を合わせないという話を思い出して、あるいはそれと同じ感覚なのかもしれないと、扇は心中で苦笑した。笑い事では無いが。もしかしたら、自分と彼女の間にはそれくらいの差が有るのだと、本能的に認めてしまっているのかもしれない。そう考えると、高校生よりも幾分か大人で有ると自認している扇としては何とも屈辱的な事だった。扇でなくとも屈辱的で有ると感じるのだろうが。

(…………まあ、本当にそうだったとしても、勝てっこないっていうのは確かなんだろうけど)

 勝てそうな部分が有るとすれば、運動面だろうか。本当に折れそうな程に細い…………いっそ美しさすら感じる羽衣の痩身を見て、扇はそう考えた。体育の成績は決して良くは無いらしく、見学する事も多いとか。…………相手の苦手分野で勝利を収めて、それで本当に勝った気分になれるのならば、人間としての器という観点で大きく負けていると言わざるをえない。それこそ正に屈辱的だ。…………屈辱的、などと表現すれば如何にも大仰だが、要は少し悔しい、という程度のものだ。

ともあれ、屈辱的だとかそうでないとか、ほんの少しでも意識している時点で、恐らくはもう差が付いてしまっているのだろう。少なくとも眼の前の少女が、自分と同じ事を考えているとは扇にはとても思えなかった。ただ泰然としている。いや、超然としている。

「どうしたの? 私に何か用かな」

「いえ、用という程では無いのですが」

 羽衣は何かを躊躇する用に言葉を止めて、

「先生は今更、どうして美術室に来ているのですか?」

 と、あんまりと言えばあんまりな言葉を投げかけてきた。

「え?」

 その言葉に、扇は思考停止して母音を一つ発するしか出来なかった。

あまりにも失礼過ぎる言葉だ。生徒から教師に向ける言葉としては不適切にも程がある。自分はそこまで功刀 羽衣という生徒から軽く見られているのだろうか、と扇は結構なショックを受けた。あるいは、これが別の生徒ならばまだショックも少なかったのかもしれない。人生経験の少ない高校生、口から思わず失礼な言葉を出してしまったとしても、それに気づかない様な年齢。そういう事も有るだろうと、嗜めればそれで済む話だからだ。

だが、眼の前の少女は違う。功刀 羽衣という生徒は普通の高校生では無い。常軌を逸した人間だ。扇としては個人的な思いも持ち合わせている。彼女ならば、大人相手の会話でも、適当に話を合わせてあしらう事くらい簡単なはずだ。…………どんな天才でも、年相応の部分というのは有るものらしいのだが。羽衣が果たして、うっかりにしても普通の高校生レベルの失言を犯してしまうものだろうかと、扇は疑問を持った。

だから、確信的にそう言われたとしか思えなかったのだ。意地悪く責められたのだと。生徒から『お前は教師として失格だ』とか『人間としての底が浅い』とか、そういう風に言われたくらいに感じたのだった。

だが、どうやら事実は違うらしかった。

「あ、いえ、失礼しました。どうも…………言葉にして表現するにはどうすれば良いのかと、悩んでおりまして。感覚的にしか申し上げられないものですので」

扇のリアクションから察したのだろうか。そう言って頭を下げてきた。

どうやら失格の烙印を押された訳では無いようだと、胸を撫で下ろした。まあ、こうまで生徒が慇懃過ぎると、逆に居心地が悪くなるが。無礼に聞こえない事もまた、原因だろうか。勝手なものだと、扇は自身に嘆息した。

「うーん、まあ確かに今更と言えばそうなんだけどね。私が美術に一番熱心だったのは高校生時代だし、美術室で作品を創ってる訳でも無いし」

 もちろん、美術室に来る理由は有る。前述した通り、あの少女に会えるかもしれないからだ。

だが、それを話しても…………仮に羽衣が荒唐無稽だと一笑に付さなかったとしても、信じてはもらえないだろう。

「いえ、来ていただくのは全く構わないのです。ですが…………」

言いながら、彼女は抱えていたスケッチブックを開いた。

「先生が描いた鉛筆画を、勝手ながら拝見させていただきました。どれも素晴らしい作品で感嘆の限りです。先生が過去手がけた作品よりも、より素晴らしいと思います。弛まぬ研鑽の限り、技術というものは向上していくのですね。感服致しました」

「はぁ…………ど、どうもありがと」

持っていたスケッチブックが自分の物だったのだと知って、気恥ずかしくなる。作品を見られる事には慣れきっているが、上手に批評されるのは単純に緊張するし、褒められるのは…………それがリップサービスだとしても、気恥ずかしい。相手が一回りも年下で有る事を考えると、ちょっとした嫉妬の様な感情も芽生えるが、まあそれこそ本当に、色々な意味で今更な事であった。

羽衣の言葉は当然ながらリップサービスだけ(そうと決まった訳では無いが)で終わらなかった。

続けて、彼女はこんな事を扇に対して問いかけたのだ。

「…………ですが、どうしてでしょうか。先生が最近描かれた作品には昔よりも魅力的では有りません。何か、大切なものが無くなっている様な、そんな気がするんです」

 扇はここ数年抱えてきた悩みの本質を付かれた気がして、言葉に詰まった。

そして、ふと思った。どうして自分はあの少女にここまで拘っているのだろうかと


 
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