No.441914

彼女と私の関係3-1 『扇とあの日視た少女の姿』

バグさん

教師と生徒の変則的な百合パート1です。
長いので分ける事にしました。

2012-06-25 21:48:07 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:285   閲覧ユーザー数:285

 星崎《ほしざき》女子高等学校の一室。

特別教室。

 夕暮れの光が美術室を包んでいた。

秋の空気に油絵の具の匂い。

緋色に照らされた石膏像、壁に映し出された様々な物から生み出される無数の影。

遠くから聞こえてくる運動部の声。遠くで奏でられる様々な種類の音色。

その場所は虹色《にじいろ》 扇《おうぎ》が最も大切にしていた空間だった。卒業を控えたこの時期、色々と有って美術大学への進学を断念した扇だったが、それでも美術室へと足を運ぶことを止めはしなかった。

扇に取って、美術室が最も居心地の良い場所だったからというのも有るが特別な理由が一つ、実は有った。

扇の隣に座る、少女の存在。

同じ制服を着た、少女の存在。

しっとりとした黒髪をショートにして、優しげに微笑むその瞳は見る者の全てを包みこむ様であった。

その少女のためだけに、扇は受験勉強で忙しい筈のこの時期に、現役で所属している部員よりも熱心に美術室へと通い続けていた。今、美術室に居るのは扇一人だけ。

扇は絵を描く事が好きだ。それは目標破れた今でも変わらない一つの事実だった。以前はそれがこの世で一番好きな事であった。

今は違う。

少女に出会って、絵を描く事が一番好きだと言えなくなってしまった事に、扇は気が付いた。ただ絵を描くのでは無く、『少女と一緒に絵を描く事』が一番好きなのだという事に。

少女と時間を共にして、芽生えた不思議な思いを筆に乗せる。

その瞬間は扇にとって、何にも変え難い時間になっていた。人間が生きているという実感を抱くのは、千差万別異なって当然。少女と時間を共にするその瞬間こそ、現在の扇にとって生きている実感を十二分に与えてくれるのだった。

隣に座っている少女に、時が流れているのかは分からなかったが。

その少女は扇にしか視えない。少なくとも、部員の誰も彼女について言及しなかったし、そもそも扇が一人きりの時しか現れなかった。触れようとしても触れられず、本当に存在しているのかは怪しい。

幽霊なのかどうか、と問われれば、そうかもしれないが、何と無く違うような気がする、としか言えなかった。

ただ、それこそ奇妙な事だったが、扇には不思議と少女に対しての不安感や恐怖心は無くて、むしろ妙な安心感すら持っていた。

こちらからのアクションに対して何のリアクションも無い。無分別であり無限定で有るとか、そういうものでも無いらしいのは、まあ扇が認識出来ている時点で明らかなのだが。少女はただそこに居るだけの存在だった。存在しているらしいのだが、存在しているだけの存在だった。そう表現すれば実に人形の様な印象を与えてしまうが、しかし、ただ無機質なのでは無くて、生気を感じさせる何かを持っていた。だからこそ恐怖心を抱かなかったのかもしれないが。

「貴女はなに? そこに居るの? いないの?」

 問いかけても眼の前の少女は微笑むだけで、返答は何も無い。

「どうして私だけに視えるの? ねえ、私はどうしてこんなに…………」

 言葉を切って、彼女はキャンバスに筆を走らせる。心に抱いた、彼女自身も良く分かっていない気持ちを乗せて。

問いかけに意味など無いという事は十分に理解していた。しかし、それでも何度と無く扇は眼の前の少女に問い掛けてきて、絵を描き続けてきた。それはもう習慣であり、言葉の内容はさほど重要では無くなっていた。最初に彼女が現れてから、しばらくは本気で質問していた覚えが有ったが、最近は本当に、ただの習慣。少女に対して言葉をかけ続ける事で、何らかの繋がりを感じていたいのかもしれなかった。

ただ、一つの質問を除いて。

一つだけ。

今でも真剣に質問して、本当に知りたいと思っている事。

「ねえ、教えて。知りたいの。貴女の…………」

何度も何度も繰り返した質問。本当に知りたいと思って、狂おしい程で。

秋が過ぎる頃、それまで2年に渡って、ほとんど欠かさず現れていた少女が、どうしてか現れなくなって。

心に抱えた不明の心をそのままに、失意のままに、扇は卒業したのだった。

 

 

 

 ふと、我に返る。

歩いている途中に昔の事を思い出して、我を忘れていたのだ。

危ない所だったと嘆息する。規範となるべき教師が、迂闊にもそんな隙だらけの姿を生徒達に見せる訳にはいかない。

 だがしかし、どうにも胸の中にもやもやとした物が溢れて、止まらなかった。

虹色《にじいろ》 扇《おうぎ》にはこの数年、ふとした瞬間によぎる記憶、あるいは思い出が有った。それは心の乾いた部分に潤いをもたらし、しかし同時に、何とも言えない痛みを伴って去来していた。昔の記憶。…………あの時の思い。

 その潤いと痛みの正体の、本当の所が分から無いまま、時間だけが悪戯に過ぎていって…………もしかしたら、その正体を知る事が自身の人生の命題なのでは無いかとすら、大げさに疑った時期も有った。今でも、ほんの少しだけだが、そう思っていた。

 扇は星崎女子高等学校の新任教師となっていた。担当は国語。セミロングの髪を主張し過ぎないくらいの地味さで整えている。スタイルが良いためか、どうも背が高いイメージを持たれる様だったが、実際は女性の平均身長程度だった。表情は常に引き締められ、如何にも仕事が出来るという感じを醸し出していた。だが、これは彼女の元来持ち合わせている顔であり、作っている訳では無いので、学生時代には『如何にも勉強が出来そうな』と言われていた。…………どちらも事実だったが。ややきつめの印象を与えてしまうらしいし、怒っているようにも見えるらしいのだが、本人に言わせれば、勘違いも良い所だ。事実、扇は滅多な事では怒らないし、自身の能力に自信を持っても居るが、それを過信する事もない慎重な性格の持ち主なのだった。

大学卒業後、非常勤講師として2年ほど経験を積みながら、ようやく正規教員としての立場を獲得した。それは星崎女子高等学校のOGで有るという強みが有ったためであろう。運が良かったと言える。もちろん、扇の普通とはかけ離れた能力の高さが評価されたという点も無視は出来ないし、するべきでは無いだろう。彼女の生来持ち合わせている運気が絶望的に悪かったとしても、あるいは採用されていたのかもしれない。

とはいえ、扇としては複雑な心地にならないでもない。

良い思い出を多く残してきた母校だったが、当事、美術室で過ごした時間を思い出す毎に、複雑な感情に胸を締め付けられるのだった。

(苛められて、美術室で一人きり…………とかだったら、まだ思い悩む様な思い出でも無かったのかもしれないわね)

苛めの類の話で無い事は上述した通りだったが。女子高に有りがちな…………いや、どんな学校でも有るのだろうが、陰湿な類の苛めに有っていたとか、そういう事では無い。むしろそうだったならば、まだ心の内も楽だったのだろう。もちろん程度によりけりで有るし、そんな事は実際に苛められていなかったから言える事なのだろう。そして、そんな経験をしていたとしたら、教師を目指すなどとはとても考えはしなかったのではないだろうか。

星崎女子高等学校はむしろ逆で、そうした苛めやグループ間の確執はむしろ少なかったと、扇は記憶していた。あくまでも在籍中は、という事なので、現在の事情はまだ分からない。少なくとも、転属して数ヶ月しか経っていない状況では、女子グループという複雑な社会を把握することは例え少数でも難しい。数年を経ても、流動的なそれらの社会を把握する事が出来るのかどうか。

学生時代で有ったならば、生徒間での些細なトラブルですら耳に入ってきたというのに…………聞きたくなくてもだ。それは単純な話、扇が既に高校生では無くて、つまりはそれだけ歳を取ったという事なのだろう。泣きたくなる話だ。あるいは単純に属するコミュニティが異なるというだけなのか。後者で有ったとしても、歳を取ったのだと言えてしまうのは女子として悲しむべき事実だった。

(…………いや、どうかな。普通は分かったりするのかな。私が鈍感なだけなのかも。他の先生方は把握してるのかも)

 放課後、夕焼けに空が赤く染まる時間。ちょっとした息抜きのために美術室へと足を向けて廊下を歩きながら、そんな事を考えていた。夕焼けに混じって、外からは運動部の声が聞こえる、先ほどまでは吹奏楽も盛んに活動していたのだが、既に撤退しているらしい。

(生徒達にどう接するべきなのか…………生徒達との丁度良い距離感の取り方ってなんなんだろ。そもそも、そんな適切が存在するのかどうか)

 そもそも生徒達に無関心なベテラン教師。あるいは生徒の人間性よりも規律やルールを優先しがちな教師。

生徒に人気があり、信頼される教師。行き過ぎて生徒達の顔色を窺ってしまっている先輩教師。

それぞれにそれぞれのスタンスが有るのだけれども、扇にはその全てに対して、それぞれがほんの少しでも間違っているとは思えなかった。本当にスタンスの違いというだけで、ハッキリとした正解など無いのが、そもそもの正解なのだろうけども。いや、ハッキリとした正解など無いのだから、どれだけの詭弁を重ねようが正解など無く、故に不正解も無いのだろうけども。…………そこまでいけば、それはもう哲学だ。

思考しているうちに、美術室に辿り着いた。

高校時代、美術部に所属していた扇。その技量は顧問の教師から絶賛されており、美術学校に進学はしなかったけれども、今でもデッサンや水彩画は彼女の大切な趣味となっていた。当時は部員数が少なく、所属しているのも扇と友人一人、後輩が一人。そして、毎日部室に来ているのは扇一人のみという、何とも寂しい状況だったのを思い出していた。

いや…………。

いや。

もちろん寂しくなど無かった。むしろ、一人の時間を心待ちにすらしていた。

 今では多くの美術部員が熱心に活動している様で、ОGとしては嬉しい限りだった。当時の顧問が未だその立場を維持しているのも、懐かしくて嬉しく感じたものだ。何時でも気軽に顔を出してくれて良いと言われているので、着任以来、何度か顔を出していた。

それはもちろん、あの少女が姿を現してくれるかもしれないという期待と願いをこめての事だったが、残念ながらその願いが実現した事はこの半年で一度も無かった。

数年前の秋に、その姿を消したままだった。

 あの少女に再び出会える事は有るのだろうかと考えながら、扇は美術室の扉に手をかけたのだった。

 


 
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