No.401273

真・恋姫†無双~恋と共に~ #XX Ⅱ

一郎太さん

最終回。第二部です。

2012-04-01 19:55:06 投稿 / 全25ページ    総閲覧数:9310   閲覧ユーザー数:6871

#XX Ⅱ

 

 

三國志において、最も知られている戦いのひとつである『赤壁』。強大なる魏軍を討ち倒すため、孫権と劉備が同盟を結び、起こされた戦。本来であれば、踏まなければならない幾つもの段階。策を成功させる為のそれを、すべて飛び越した周瑜と黄蓋が見せた阿吽の呼吸は、『苦肉の策』という言葉として、千年を超える時を経てもなお語り継がれている。

 

「壮観の一言に尽きますね」

「うむ。楽しみで仕方がない」

 

しかしながら、この世界においては、その二人の将は同じ場に立っていた。

 

「これから戦だというのに……雪蓮を上手く抑えるのは貴方の役目なのですよ」

 

右の人差し指と中指で眼鏡を押し上げながら、軍師は隣の弓将をひと睨みする。

 

「断金と呼ばれるお主の仕事ではなかったのか?」

 

睨まれた将といえば、いつもの事だと受け流し、からからと笑いながら返した。

 

「戦場の最前線に出て行く軍師など、軍師とは呼びません。だからこそ、その状況においては貴女に任せるのです」

「くっくっく、妬くなよ?」

「妬く理由があるのですか?」

 

じっと自分を見つめる、冥琳の瞳を、祭は見返す。母亡き後、王として生きてきた雪蓮の成長は、誰が見ても明らかだ。彼女の資質や活発さなどの所為で隠れがちになってはいるが、雪蓮同様に、妹のようにその成長を見守ってきた少女は、いまや軍を代表する存在となっていた。

 

「それで、どうですか?」

「何がじゃ?」

 

緊張感が増した。

これから戦が始まるというに、軽口はもうたくさんだ。言外に視線で告げながら、冥琳は問う。祭もまた、表情は変えないものの、声音を低くした。

 

「向こうは、上手く我々の策に乗っているのかどうかです。祭殿ならば見えるかと思いまして」

「なるほどのぅ」

 

彼女の説明に、祭は瞼の上に右の手のひらを翳して水平線の先を見遣る。

 

「見える訳がないだろう。いまだ米粒のような大きさぞ」

「そうですか。また後ほど伺います」

 

否定の返答に落胆した様子も見せず、冥琳は眼鏡の位置を微調整する。ガラス越し、遙か遠くに広がる水平線に、いくつもの影。

 

「まもなく開戦です。黄忠殿と祭殿の部隊が要なのですから、気を引き締めるように伝えてください」

「ふん、儂の部隊に気を抜くような奴などおらんぞ」

「再び言い聞かせてください」

 

その影から視線を外さずに声音だけを堅くする冥琳に笑みを返しながら、祭はその場を後にする。その後ろ姿だけからでも、楽しみで仕方がないという雰囲気が見てとれた。

 

「どちらにしても――」

 

一人残された冥琳はいまだ視線を遙か遠くに送りながら、誰にともなしに呟く。

孫策軍、劉備軍共に部隊の準備は整っている。将もまた、先の宿将を最後に、王以外はそれぞれ配置についていた。

 

「さて、我らが王の様子でも見てくるか」

 

陽は翳り、河の流れを朱に染めてゆく。

 

 

 

 

 

 

劉備軍もまた、同様の光景を目にしている。最前線に配置された者をはじめ、将は須らく心に緊張の火を灯し、それらは例外なく、背後に立つ兵達に伝わり、その背筋を強張らせる。

 

「愛紗は誰が来ると思う?」

 

多くの将が経験からそれを成すなか、数少ない、本能でそれを推し量る少女は隣に立つ義姉に声を掛ける。その視線、声音は、戦の直前とは思えない程に無邪気なそれではあったが、それでも、彼女が一騎当千の武人である事に変わりはない。

 

「間違いなく夏候惇だろうな。川上から曹操軍、川下から我ら連合軍。伏兵など、どちらも配置の仕様がない。なれば、もっとも軍の力を発揮できる陣を敷く筈だ」

 

問われた将は、厳しい表情を保ったまま返す。状況が気に入らないという訳ではない。いや、それもあるが、状況については軍師の策により変わる。次善の策も伝えられているが、効果の程は、やはり現状使う予定であるそれが圧倒的に大きい。

 

「へー」

「お前は朱里と周瑜殿の話を聞いていなかったのか!」

 

初めて知ったという表情を浮かべる義妹に、愛紗は、夕陽に輝く髪を振り乱しながら叱る。しかしながら、鈴々はそれを気にした様子もない。

 

「御遣いのお兄ちゃんが来るって事はないの?」

 

起きては欲しくない事態。それは間違いなく、彼の者が最前線にてその武を振るう事だ。ないとは言い切れない。だが、あるとも言い切れない。どう答えたものかと迷う愛紗だったが、返答は背後から飛んできた。

 

「それはないだろうな」

 

振り返る前にその正体を悟り、愛紗は呆れと怒号の入り混じった叫びを返す。

 

「星っ!自分の配置はどうした!」

 

背後に立つは、白い衣装を身に纏った槍使い。朱色というよりも、黄金色に夕陽を反射させる袖で口元を覆いながら、特に悪びれる様子もなく彼女は返す。

 

「何を言うか。我が配置は、すぐ隣の船であろう。それに、敵もまだまだ遠い。このくらいの話をする余裕はあるさ」

 

飄々と言葉を続ける星に対し、愛紗は偃月刀を持たない左手で顔を押さえる。指の隙間から、盛大な溜息が零れた。

 

「もういい。それで、先の言葉はどういう意味だ?」

「なに、以前にも申した通り、一刀殿がそれを曹操殿に伝える場に某もおったのでな」

 

過去の光景を思い出す。あの時に感じた雰囲気は、忘れようとしても忘れられない。桃香様の陣営で、あれは作り出せないだろうな。そのような益体もない事を考えながら、彼女はまた記憶を辿る。

誇りと自身の役割を天秤にかけ、そして為された決意。あの時の、伏せられた彼の瞳は重く、その視線から外れていたとはいえ、真っ直ぐに見据える事が辛かった。彼の状況を知り、それでいてなお、その視線を向けられた曹操は、どれほどの衝撃を受けたのだろうか。

 

「あれは……作り出された偽りの空気ではなかった。某に言えるのは、それだけだ」

 

誇りに大小などない。あるのはただ、その有無だけである。自身の誇りが、彼のそれより劣るなどとは思わない。だが、それでも考えてしまう。風や稟と放浪していた時ならばともかくとして、いまの自分はどうなのだろうかと。愛紗や鈴々といった一流の武人と共に武を競い合い、己を高めている。

 

「……それだけさ」

 

しかしながら、それはひとえに桃香という主がいるおかげなのではないだろうか。彼女が持ち得る徳は、それに勝る者などいないだろう。しかし、王として一流とは言い難い。それでも、彼女がいるからこそ自身は武を振るい、ひとつの理想に向けて邁進している。言い換えれば、彼女と出会わなければ、このように考える事もなかったのではないだろうか。彼の姿を間近に見た星には、どうも、そのように思えて仕方がなかった。

 

「だったら、やっぱり左翼には夏候惇のお姉ちゃんが来ると思うのだ」

 

何をしに来たのかはわからないが、星はそのまま踵を返し、去っていく。ゆらゆらと槍の穂先を揺らしながら歩いていくその姿を見送りながら、鈴々は口を開く。

 

「そうだろうな。場合によっては、鈴々一人に任せるかも知れないが……いけるか?」

 

それは、武人ではなく義姉としての問い。定軍山の出来事は、義妹から聞いている。また彼女だけでなく、経験では愛紗も劣る紫苑や、直接対峙した焔耶からも同様に話を得ていた。その話だけを考慮してみると、自分ですらも危ういかもしれない。

 

「大丈夫なのだ!鈴々も、あれから恋といっぱい勝負したから、負けたりなんかしないのだ!」

 

しかしながら、返ってきたのは、元気いっぱいの声。考えるまでもない。当然だ。自分たちがいるのは戦場である。明らかに格下の相手に負ける事もあれば、格上の者を討ち倒す事とてあり得るのだ。

 

「そうだな」

「にゃ、くすぐったいのだ」

 

義妹の柔らかな頭を撫でながら、彼女は再度気を引き締める。朱里や冥琳の策を過信してはいけない。信頼していない訳ではない。それでも、戦に終止符を打つのは人の手によるのだ。

 

「生き残るぞ、鈴々」

 

その、人の手によって自分が命を落とす事もあれば、大切な義妹を失う事もあり得る。これより先、一瞬たりとも気を抜く訳にはいかない。

少しずつ、少しずつ近づいてくる艦隊を見遣りながら、彼女は偃月刀を強く握り締める。

 

 

 

 

 

 

西日は既に、そのほぼすべてを山の影に隠していた。山の峰に、朱と金の混じった輪郭を浮かばせるのみである。こうなってしまえば、あとは早い。幾許もしないうちに完全に陽は沈み、それと同時に夜の帳が幕を下ろすことだろう。水平線に視線を送りながら、彼女は、隣に立つ少女に声を掛けた。

 

「もうすぐですね」

「……ん」

 

広がり始めた夜の色と、同じ髪を持つ少女が発した感情のこもらない声に、沈みゆく夕陽より、ほんの少しばかり上空に広がる紅のような髪を持つ少女は、短く返す。

 

「長かったですね」

「……」

 

何がとは言わない。それでも、少女の片割れは理解する。もうすぐ彼に会える。ずっと恋焦がれていた、愛しい男。ずっと行動を共にし、共に生きてきた青年。その彼に、もうすぐ会える。

 

「戦えますか?……って、聞いたら駄目ですよね」

 

自身の発した言葉に、すみませんと苦笑を洩らす。隣に立つ少女は、静かに首を振った。

 

「……ここで、恋が桃香を裏切ったら、きっと一刀は悲しむ」

 

ゆっくりと、ひとつひとつ言葉を考え、そして選び取る。

 

「恋は、一刀の悲しい顔を、見たくない……」

 

ずっと傍で見てきた、彼の生き方。いくつもの陣営を渡り、旅を続けてきた。たくさんの仲間と出会い、たくさんの別れを経験した。それでも、何かを途中で投げ出して逃げるなど、一度たりとてした事はない。

 

「恋は……笑顔で一刀に会いたい……」

 

恋は、隣に立つ香を振り返った。そこに浮かぶのは、たったいま彼女が口にした笑顔がある。

 

「そうですね。でないと、一刀さんに叱られてしまいますから」

 

香もまた、笑顔で返す。かつては敵として、その殺気に喰らいつく事しか出来なかった。彼に引き抜かれてからは、地獄のような特訓を味わった。その時は、彼を恨み、呪いすらした。だが、いまの彼女に後悔はない。仲間として共に旅をし、いまは遠く本陣に居るかつての主と再会させ、方法に難はあれども、仲を取り持ってくれた。そして別れ、いま再び、こうして出会おうとしている。

 

「ん……」

 

笑顔のまま、恋は頷く。

彼は言った。新しい時代を切り拓く為には、その礎が必要だと。彼の義妹が選んだのが、この禅譲の儀であった。体制を盤石とする為の、大掛かりな儀式。しかし、そこに住まう民には、これ以上ないほどに分かりやすい権威と力の誇示。

 

「だから……」

 

彼は言った。戦なのだから、負傷者もいれば死者も出る。それでも、叶う事ならば、終戦の後には皆で笑い合いたいと。

 

「終わらせる……」

 

その為に、自分たちは動く。戦列の端で機を待つ。

じっと佇みながら、完全に碧に染まった空を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

すべての人間の視線が、前方に注がれる。船上に焚かれた篝火は等間隔に揺らめき、水上でありながら、間隔の等しさを損なわせはしない。

 

「想像以上の威圧感ね」

 

左翼にて、雪蓮は微笑む。右手は腰に当て、左手は南海覇王の鞘に触れている。言葉とは裏腹に、口元は獰猛に歪んでいた。

 

「準備は出来ているか、鈴々」

「応なのだ」

 

右翼にて、視線を義妹に向ける事無く、愛紗は偃月刀を一振りする。それに倣う鈴々。二つの得物の刃がぶつかり、火花をひとつ、散らせる。

 

「儂らの出番はしっかりとあるようだな」

「そうみたいね」

 

中央前曲にて、桔梗と紫苑は頷き合う。表情が変わらないのは、群を抜いた経験が故か。それぞれ部隊長に視線を送り、開戦の準備をさせる。

 

「来おった来おった。儂らの活躍の場が出来たようじゃな」

 

中央前曲にて、祭は背後の部下を振り返る。彼女に付き従っていただけあり、兵達の顔には年相応の皺が刻まれながらも、若い兵にはない威圧感を併せ持っていた。

 

「沿岸の邑々にて、鎖で舟を繋がせ――――」

 

本陣にて、冥琳は眼鏡の奥の瞳を細めた。口元は鋭利に開かれる。

 

「風の存在をひた隠し――――」

 

本陣にて、朱里は手に持った本をパタンと閉じた。隣に立つ雛里は、瞳を伏せ、機を待っている。

 

劉備軍及び孫策軍の視線の先には、広大な大河の幅を感じさせない程に巨大な、要塞とも形容できそうな程の船々の塊。

 

劉備軍の頭脳である少女と、孫策軍の柱となる女性。

 

「「我が策、此処に成らん」」

 

二人の軍師は、まったくの同時に、異口同音に呟く。

 

 

 

 

 

 

同盟各軍と曹操軍。三つの軍は同じ陣形を敷いていた。中央を先頭に、左右の翼が連なる鋒矢の陣。しかしながら、俯瞰すればそれは、異なる陣形に見える。それもその筈。同盟軍は、ひとつの指揮系統の下に動いている訳ではない。曹操軍に向かって右半分が孫策軍、左半分が劉備軍という配置が、概要として決まっていた。詰まるところ同盟軍は、上空から眺めれば、夜空に浮かぶカシオペアのような形に見えた事だろう。

孫策軍の中央に黄蓋隊。劉備軍の中央に黄忠隊と厳顔隊。それらが意味するところは――――――。

 

「まもなくぶつかるぞ。衝撃に備えていろ!」

 

曹操軍の中央に佇み、叫ぶは、曹武の大剣夏候元譲。歩兵どうしの衝突ではなく、船と船のぶつかり合い。その衝撃は計り知れない。いまだ敵の矢の射程外とはいえ、部下に声を掛ける。

 

「中央を援護する。総員、矢を構えろ!」

 

左翼にて矢を番えるは、その妹夏侯妙才。風上である自軍からならば、この距離でも火矢は届く。しかしながら、主が求むは覇道。火計のようなつまらない幕引きなど、望まない。

 

「アンタら、夏候惇隊に後れを取りなや!ウチらが馬上だけやなく、白兵戦でも最強いうところを見せたらんかい!」

 

同じく兵を叱咤するは、神速の張遼。仮に鎖で船を繋がなかったとしても、彼女をはじめとした騎馬隊の兵にとって、船の揺れは実害には為り得ない。それほどの平衡感覚を、常に鍛えているのだ。

 

「我らがあたるは劉備軍。かつての少勢ではないと思え!」

「ウチらが丹精込めて造った水上要塞や。足場は気にせず、しっかりと働きぃ!」

「戦如きにぶるってるような玉無しは、残りの竿も切り取ってやるのー!」

 

新兵から育て上げてきた兵に、怒声を浴びせる三羽烏。街の警備隊で見せるような緩んだ雰囲気など、微塵も感じさせない、将としての振る舞いを見せている。

 

「こっちは孫家の軍だろ?孫策とか来ねーかな、斗詩」

「何言ってるの、文ちゃん。孫策さんは中央に決まってるでしょ?」

 

元袁紹軍、現曹操軍庇下袁紹隊を率いる、袁家の二枚看板。降将ではありながらも、その落ち着きと佇まいは他の将に劣らず、堂々としたものである。

 

「さぁ、最後の大戦を始めるわよ」

 

本陣にて宣言するは、覇王曹孟徳。三軍師を従え、ただまっすぐに敵の船を見据えている。

 

「――――――そろそろか」

 

本陣の後ろにて呟くは、北郷一刀。その言葉が何を指すのか、その時、北方より吹き荒んでいた風が、ぴたりと止んだ。

 

 

 

 

 

 

そして、すぐに風が吹き始める。これまでとは真逆の、東南の風が。

 

「なっ……どういう事だ!」

 

真っ先に驚きを露わにするのは、弓将である秋蘭だった。その危険性を把握すると同時に、本陣に伝令を出そうとする。しかしそれよりも早く、風さえなければ射程外にあった筈の敵船に篝火以外の灯りを見つけてしまう。

 

「雛里ちゃん」

 

本陣にて、朱里が隣に立つ友に声をかける。それを受け、雛里もまた、兵に指示を下す。

 

「銅鑼を鳴らしてくださいっ」

 

銅鑼の音が、ひとつ。

背後に居並ぶ兵器に配置された兵に向けて、桔梗は指示を出す。

 

「縄を引き絞れ!」

 

銅鑼の音が、ふたつ。

自身も矢を構えながら、紫苑は部下に命じる。

 

「弓隊、構えなさい!」

 

銅鑼の音が、みっつ。

獰猛な笑みを浮かべ、限界まで引き絞った矢から、祭は指を離す。

 

「放てっ!!」

 

同盟軍のから、無数の球体が放たれる。それはきれいに放物線を描き、そして、曹操軍の船に着弾した。小さな水柱を上げて水中に沈みゆくものは別として、甲板に叩きつけられたそれは、音を立てて割れ、その中身を広げる。

 

「油だ!火矢に備え――――――」

 

粘性の液体の正体を悟った凪が、本陣に向けて伝令を出そうとする。しかし、遅い。それを遮るような無数の風切り音と主に、赤々と燃えた火矢の数々が、曹操軍の両翼に襲い掛かった。

 

「岩を飛ばすだけが、この兵器の使い方ではありません」

 

本陣にて、朱里は無表情に微笑む。対袁紹戦にて、曹操軍が投石機を用いた事は、星より聞き知っていた。そのおおよその外見情報から仕組みを理解し、再現までしてしまうのは、ひとえに少女の頭脳が卓越している事を示している。

 

「飛ばす物体が岩のように大きなものでなければ、この兵器も量産が可能です。同様に、船に積む事も」

 

同盟各軍の中央に配置された弓隊。そしてそれに先駆けて駆動した、数十基の小型の投石機。飛ばしたものは、油で満たされ、口を布できつく縛られた壺。

 

「いまのうちに陣形を変えます」

 

その横で、雛里が細い声を張り上げる。政や、たったいま用いたような大掛かりな策は朱里の得意とするところ。ならば雛里の得手は。彼女が最も得意とするは、戦場での、駒の動かし方。これまでの準備期間と布石は、朱里に任せてきた。今こそ自身の動く場だと、彼女は悟る。

 

「中央を下げ、右翼と左翼を前に出します。斜陣です。そのまま左翼は、中央前曲と位置を入れ替えるようにと伝えてください」

 

朱里と冥琳が編み出した策は成った。曹操軍の両翼に被害を与え、兵力差はかなり縮まる。あるいは、このまま延焼すれが、その差を覆す事もあり得る。

しかし、彼女は軍師である。希望的観測に縋りはしない。

 

「配置が済み次第、右翼は敵中央へと吶喊。関羽将軍、張飛将軍、趙雲将軍を先頭に、敵船に乗り移るようにと」

 

応という返事と共に、伝令兵は駆けていく。その向かう先は、自軍の将。同盟相手に送る事はしない。何故ならば、彼女たちもまた、同じ動きをすると信頼しているからに他ならない。現に。

 

「左翼前進!公覆殿にそのまま左翼と合流するように伝えろ。我らが王に付き従え!」

 

冥琳もまた、雛里と同様の伝令を放つ。

今度こそ、同盟軍の総体として鋒矢の陣が成る。両軍が激突するまで、あとわずかもない。

 

 

 

 

 

 

「まさか……奴らは天候を操れるとでも言うの……」

 

曹操軍本陣にて思わず呟くのは、桂花だった。白蓮からの情報を信頼していなかった訳ではないが、それでも確実性の向上の為にと、鎖を調達する際には、彼女自身の耳で季節風の事を邑人から聞いていた。それも一人ではない。鎖を調達する鍛冶屋の先々で、あるいは沿岸の邑に住まう漁師の一人一人にまで尋ねて歩いた。その情報が嘘とは思えない。

 

「そのような術などありはしないわ」

 

彼女の呟きが耳に入り、華琳は即座に否定する。

 

「ですが―――」

「もしこの風も策の内というのならば、敵は長い時間をかけて布石を打っただけの事よ」

 

長い時間と大量の資金をかけて為された、壮大な布石。敵の策に嵌められたというに、彼女の口調は変わらない。その事実が、表情には出さないまでも驚きを湛えていた風と稟の瞳に、普段の色を取り戻させた。

 

「両翼に伝令を出してください。兵を燃えていない船に移して、船間の連結を破壊し、燃えている船を切り離す様に」

 

稟はすぐさま伝令兵に向けて指示を出す。敵と戦うにしても、まずは地を安定させねばならない。兵たちも、当然いまこの時の危険を理解している。一度復唱すると、即座に駆け出した。

 

「おにーさんはどうしますか?」

 

その光景を後背に、風は後ろに立っていた一刀を振り返る。稟と桂花はつられて振り返るなか、華琳だけはじっと正面に視線を据えていた。

腕を組み、船の壁に寄り掛かっていた一刀は、おもむろに腕を解き、視線を上げる。その眼は、東に向いていた。

 

「俺は……左翼に行って来る。右翼は真桜がいるから、作業も上手くいくだろうが、左翼は猪々子がいるからな。斗詩だけだと、敵が来た時に上手く抑え切れないかもしれない」

「そですねー。では、お願いしてもよろしいですか?」

「あぁ」

 

一刀は壁に立て掛けてあった野太刀を手に取ると、歩を進めた。最初はゆっくりだったそれも、船と船の間を跳び越え、着地した瞬間に速さを変える。宵闇の中に、彼の黒い服が溶け込み、まもなくその姿を消した。

 

「それでは、風たちも動きましょー。もうすぐ前線がぶつかりますよ」

 

何事もなかったかのように、風は話題を戻す。二人の軍師も、思考を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

船の先端がぶつかる。激しい音と衝撃と共に、幾許かの木片と水飛沫が弾け飛んだ。

 

「中央は燃えてなどいない!貴様らが向けるべき眼は、正面に置け!」

 

敵の奇襲に動揺していた兵も、彼女の怒声にすぐさま気を持ち直し、武器を構える。それと同時に、ぶつかった先端から三つの影が飛び込んできた。

 

「夏候惇は私が抑える!星と鈴々は先へ行け!!」

「関羽!」

 

飛び込んできたのは、永らく劉備軍に属する三人の将。叫ぶや否や、黒い髪に遠くの炎を反射させ、愛紗は偃月刀を振り抜く。咄嗟に剣を前に押し出し、春蘭はそれを受け止めた。

 

「此処は任せるぞ、愛紗!」

「絶対勝つのだ!」

 

彼女の言葉通りに、残る二人の将は春蘭を避けるように飛び出した。それを止めようとするも、春蘭の剣は愛紗の偃月刀にあてられている。相手も自分同様に一流の武人。気を抜けば、一瞬で斬り捨てられてしまう。

 

「くそっ、どけぇ!」

「生憎だが、お前の相手はこの私だ、夏候惇!」

 

ひとつ叫び、愛紗は春蘭の大剣を弾き飛ばした。その視線は一瞬だけ敵の横を走り抜けた仲間達に注がれたが、その姿は既に消えかけている。追われる心配もないだろう。

弾き飛ばされた春蘭も、体勢を崩すことなく着地する。そのまま大剣を構え、じっと愛紗を見据えた。

 

「……」

 

敵の将は、走り抜けた趙雲と張飛だけではない。それに加え、劉備軍だけでなく孫策軍もまた、相対しているのだ。気持ちだけが逸りそうになる。

 

「……」

 

落ち着け。春蘭は剣を構え、視線を愛紗に注いだまま、ゆっくりと息を吸い、そして吐いた。

考えろ。自分に言い聞かせる。自分が敗けるなどという発想は、微塵も持っていない。それでも、言い聞かせる。一刀から教わった事をひとつひとつ思い出そう。それを、実践しよう。そう言い聞かせる。

 

「……」

 

愛紗もまた、春蘭がすぐさま冷静を取り戻した事を雰囲気から察する。彼女もまた、自分が敗けるなどとは思っていない。だが、鈴々や紫苑、そして焔耶を驚愕させる程の闘気を持つというのだ。気を抜く訳にはいかない。

 

「行くぞ、関羽。貴様を斬り捨て、奴らも同様にしてやる」

「出来るものならな」

 

口上も発さず、ただ短い言葉を口にする。互いに、相手を一撃で葬り去る事の出来る程の武を持っている事を理解している。ほんのわずかな隙が命取りになる事は、疑いようもない。

愛紗はただ凛として。春蘭は、夜半の湖のような静けさで。二人は同時に飛び出した。

 

 

 

 

 

 

曹武の大剣を仲間に任せ、星と鈴々はひた走る。関羽隊は、将と共にあの場に残り、夏候惇隊を相手にしている。彼女達に付き従うは、自身が育て上げ、共に戦場を駆け抜けてきた信頼し得る部下達。

 

「鈴々よ」

「なに?」

 

船上を駆けながら、星は隣を走る鈴々に声を掛ける。

 

「曹操が将は、一刀殿と親衛隊長を除いて九人だ。いや、白蓮殿を数えなければ八人だな」

「そうなの?」

 

星の言葉に、少女は首を傾げた。

 

「お前は軍議をなんだと……まぁ、よい。先ほど愛紗が一人を相手にした。では、残るは何人だ?」

 

簡単な引き算。しかしながら、鈴々は唸っている。

 

「んーと、んーと……わかった!七人なのだ!!」

 

しかしながら、ようやく答えを導き出せたようだ。戦場でありながら、ぱっと明るい笑顔を向けて応える。星もまた、少女に微笑み返した。

 

「残念ながら、外れだ」

「当たってるのだ!」

 

当然、反論する。星は足を止め、槍の穂先で正面を指した。

 

「見ろ。戦場とは、理論などではどうしようもない事が起きるからこそ、策を練り続ける軍師という存在が必要なのさ」

「え?」

 

鈴々は槍の柄から視線を滑らせ、穂先の方へと向ける。

 

「敵は八人。愛紗が一人とあたり、この場にもう一人いる。なれば、残るは六人だ」

「ずるいのだ!」

 

言い合いながらも、二人は同時に得物を構えた。刃を向けられたのは、袴姿にサラシを巻いた、菫色の髪の将。

 

「やる気がないんなら、別のトコに行ってもえぇか?こちとら予想外の事が起きたんで、そっちの対処に向かいたいんやけど」

 

頭をガシガシと掻きながら、彼女は呆れた視線を星と鈴々に向ける。得物は肩に担いではいるものの、それを構える素振りも見せないでいた。

やる気がないのではと、問うている本人もやる気がなさそうではあるが、曹操軍の将である事に変わりはない。また、夏候惇と彼女を除けば、己や鈴々と渡り合え得るのは夏侯淵ぐらいだ。そして夏侯淵は弓将であり、紫苑か黄蓋に任せるのがよいだろう。星はそう結論付けて、一歩前に出た。

 

「では、某が相手をして――――――どうした、鈴々」

 

しかし、丈の長い袖を引かれ、一歩でその足を止める。

 

「こいつは鈴々がやるのだ!」

「それは構わないが……どうしてまた?」

 

鈴々が前へ出たがるのはいつもの事であるが、このような大事な戦でもそれをするだろうか。そう思いながらもその瞳を見れば、彼女なりの理由が、そこにはありそうだ。

 

「んっと……もっと先に行けば、曹操のところに着くのはわかるのだ」

「そうだな」

 

ゆっくりと考えながら、鈴々は説明を始める。敵将に、動く気配はない。また将が動かない為、その部下も動く訳にはいかない。

 

「でも、鈴々はこの辺りで戦いたいのだ。こいつを倒して、愛紗の手伝いに行くのだ!夏候惇のお姉ちゃんは、すごく強いのだ。愛紗もすごくすっごく強いけど、それでも危ないかも知れないから、鈴々が助けに行くのだ」

「なるほどな」

 

姉を想っての行動か。そこに浮かぶ微笑ましさを押さえながら、星は頷く。それが少女の戦う理由を強めるのならば、それもよいだろう。彼女はそう結論付けて、脇に避けた。

 

「……ウチの相手をするんは、そっちのちっこい方でえぇんか?」

「鈴々はちっこくなんかないのだ!」

「そうなるな」

 

星の動きを見て、彼女たち方針を理解した霞は、問いを発する。その答えを受け、親指で肩越しに背後を指す。

 

「えぇで。行きぃ、趙雲」

「……よいのか?」

「かまわへんて。駄目や言うても、どうせ隙を見て行ってまうやろうし」

「それもそうだな」

 

霞の簡単な言葉に、くつくつと星は笑う。一転して、彼女は部下と共に走り出した。霞の部下たちも行動を起こすことなく、敵が走り抜けるさまを眺める。とはいえ、張飛隊は彼らの将の後ろに構えたままではあるが。

 

「それじゃ、勝負するのだ!お前なんかあっという間に鈴々が倒してやるのだ!」

「まぁ、待ちぃ」

 

頭の上で丈八蛇矛をぶんぶんと振り回す活発な少女に向けて、右手を伸ばし、待ったをかける。

 

「ひとつ聞きたい事があるんやけど、えぇか?」

「何なのだ?」

 

霞は笑顔でその問いを口にする。

 

「アンタらの話聞いとると、なんや、どっちがやってもウチに勝てるように聞こえたんやけど…………それ、本気で言うてんの?」

 

真っ直ぐに心臓を射抜くような視線に、一瞬ではあるが、鈴々の背筋は凍る。

 

 

 

 

 

 

愛紗、鈴々に敵将を任せ、星は戦場を駆ける。その間も敵兵を突き、刺し、時に薙ぎ払いながら。

このまま進めば、また別の将とぶつかるだろう。夏侯淵か、楽進たちか、あるいは袁家の将か。いずれにせよ、真っ直ぐ敵本陣まで突き進めるとは思っていない。現に、彼女の前に三つの影が躍り出た。

 

「はっ!」

 

そのうちの一つが、星に向けて蹴りを放つ。その脚は彼女の髪と同じく銀色の氣を纏い、それを槍の柄で弾いた星の後ろに居る兵達を薙ぎ倒した。

 

「いきなり蹴りかかってくるとは、武人の流儀もないのか?」

 

皮肉を口にしながらも、懐かしい顔ぶれを彼女は眺める。かつて汜水関にて共闘した、曹操軍の三羽烏がそこにいた。

 

「当然ある。しかし、それよりもまず優先すべき事があるのだ」

「せや。折角ウチとウチの部隊が苦労して繋いだのに、だいぶ持ってかれたわ。連結を壊すのがしんどうて堪らんかったで」

 

凪が応え、真桜もそれに追随する。彼女達は曹操軍左翼に位置していたが、その背後の船は、明らかに数を減らしている。真桜の言葉通り、使い物にならない船は、遠く炎を燃え上がらせて沈みかけていた。

 

「我らが軍師殿の策でな。だがこれも戦だ。悪く思うな」

「そんな事はわかってるのー。でも、三対一でも仕方がないのも、また戦なの!」

 

沙和の言葉に、違いないと星は笑う。

 

「ウチらかて、連携は隊長に嫌っちゅうくらい叩き込まれたんや。一対一では厳しゅうでも、三対一なら余裕で終わらせたるで」

「その通りだ。散れ!」

 

凪の合図に、沙和と真桜が弾きあうように横に跳ぶ。互いの部下たちは、既に戦闘を始めている。三人で三角形を描くように星を囲み、それぞれ得物を構える。

 

「なるほどな。だが、少し甘く見すぎではないだろうか」

「甘く見てなどいないからこその、三人がかりだ」

 

多対一という状況でありながらも、星は笑う。それを彼女の強がりと思っているのだろう。凪たちの表情は変わらない。

 

「いくぞ!」

 

凪が跳び出し、両脇から沙和と真桜が得物を向け、走る。星はその二人を気にする事もなく、迫り来る凪の拳にのみ、その集中を向けた。

鳴り響く金属音。四人の動きが止まる。いや、その場にいたのは四人ではなかった。

 

「なんで、アンタらがおるんや」

「聞いてないのー」

 

凪の拳を星が受ける。その背後には、背を向け合うように、二人の将。一人は暗器の隠れた大きな袖で真桜の螺旋槍を受け止め、一人は沙和の双剣を、長刀で抑えている。

 

「我らが互いに利を得ようと画策しているとでも思っていたのでしょうが、それは誤りです」

「きゃっ!?」

 

沙和を跳ね返した明命が応える。

 

「この同盟における、最大の優先事項をお教えしましょう。この戦のなかでは、孫策軍及び劉備軍は、その行動のすべてにおいて、互いに全幅の信頼をおかねばならない。これが、私達が此処にいる理由です」

「うおっ!?」

 

真桜を蹴り飛ばした亞莎が応える。

 

「簡単な事よ。我が軍とて、お主らと同じく船には弱い。その弱点を補う意味でも、呂蒙殿と周泰殿は、我らの陣にいるのだ。当然、逆もまた然り」

「ぐっ!」

 

拳を受け止める槍を回転させ、星は凪の足下を払う。凪も、背後に跳び退る以外にない。

火計が成功した後、雛里は指示を出した。左翼を前曲と置き換えろと。左翼に配置されていたのが、孫策軍からの二人の将であった。

 

「という訳で、三対一という構図はなくなったな。それでこそ戦。これでこそ武人の道よ」

 

楽しそうに告げ、星は凪に向けて突きを放つ。友軍からの将もまた、各々の敵に向けて駆ける。

 

 

 

 

 

 

孫策軍左翼。船を駆ける劉備軍とは異なり、孫策軍の二人の将は、ゆっくりと戦場を歩いている。それでいながら、その空間は触れれば切れてしまいそうな緊張感に満ちていた。

 

「さて、策殿はどうする?」

 

多寡を逆転させる一助となった弓将は、隣を歩く王に問う。

 

「あー……私は直に斬り合いたいかな。だから此処は祭に任せるわ」

 

祭の問いに、雪蓮は特に感情を見せる事もなく答える。二人の視線は、まっすぐに一人の将に向けられていた。

 

「仕方がない。では、儂が行くとしよう。黄忠とはまた勝敗を決すとして、いまは河北一の弓の使い手を降すのが楽しそうじゃ」

「えぇ。孫家の将に恥じぬ戦いをして頂戴」

「誰に言っておる」

 

祭は腰の矢筒から矢を数本抜き取り、弓に番える。敵もまた、同じ動きにてそれを迎えた。

 

「じゃぁ、またね」

「おう」

 

雪蓮は、祭から距離をとる。しかしながら、ゆったりとした歩調は変化しない。

 

「せめて走らんか」

「もう少し自分を昂ぶらせたいからね。適当に雑魚を斬り捨ててから行くわ」

 

その言葉に、宿将はやれやれと頭を振る。次の瞬間、手中の矢のうちの一本を放った。通常ならば目にも止まらぬそれであったが、その軌跡は、途中であらぬ方向へと変更を余儀なくされる。

 

「しっかりと落としてきおる。流石は夏侯淵ぞ!」

「戯れ言は終わりにしてもらおうか」

 

叫ぶ祭に、秋蘭は静かに応える。次いで、隣の船に向けてゆっくりと歩く雪蓮の背に向けて、祭を挑発するかのように矢を放った。背後の風切り音にそれを感じ取りながらも、雪蓮はまったく振り返る素振りを見せない。躱すまでもないと言うかのように。

 

「一筋縄ではいかない事など、わかってはいたのだがな」

 

事実、その矢は彼女の背に届く直前で、別方向からの矢に弾き飛ばされた。

 

「お主に出来る事が、儂に出来ぬとでも思っていたのか?」

「まさか」

 

軽口を叩きながらも、秋蘭は再度認める。この二人を同時に相手取る事など、出来よう筈もないと。雪蓮に向けていた弓を再び祭に向け直し、彼女は矢を左手に補充する。

 

「いくぞ、黄蓋。孫家を支えてきたその柱を、此処で折らせてもらおう」

「やってみろ、若造が」

 

弓将どうしの戦いが始まる。二人とも、その場から動く必要はない。彼女達の間には矢が弾き合う音が断続的に鳴り響き、戦は狂騒を呈する。

 

「祭ったら……なんだかんだで、貴女も楽しんでるじゃない」

 

向かい来る夏侯淵隊の兵を斬り倒しながら、雪蓮は薄く笑う。その眼光は鋭い。自身を昂ぶらせる為にゆっくり進もうかとも考えてはいたが、二人の殺気を背に浴び、それも必要ないように思えた。

 

 

 

 

 

 

曹操軍左翼。木々を破壊する音が轟く。

 

「うらぁっ!」

「えぇぇいっ!」

 

本陣から伝えられた指示通り、猪々子と斗詩は燃え盛る船との連結を破壊していた。猪々子はその巨大な斬山刀で鎖を叩き斬り、斗詩はその金光鉄鎚で、連結ごと粉砕している。

 

「これで粗方終わったみたいだね、文ちゃん」

「そうだな。でも、敵将が来ねーよな。なんでだろ?」

 

周囲を見渡し、延焼の危険性が去った事を確認すると、斗詩はひとつ息を吐く。猪々子も頷き、素直に疑問を口にする。現に、この場に孫策軍、あるいは劉備軍の武将は来ていない。彼女たちは知る由もないが、親衛隊の季衣と流琉、そして一刀を除く仲間は、既に敵将とあたっている。それでも、開戦から幾許かの時間が過ぎた今になっても敵が現れないとはどういう事か。

 

「俺が来るまでもなかったみたいだな」

 

そこへかけられる男の声。聞き覚えのある声に二人が振り向けば、そこに一刀の姿があった。漆黒の服は闇に溶けかけ、わずかに見える白いシャツと、眼帯に添えられた金色の刺繍が目立っていた。

 

「アニキ、なんで此処にいるんだ?」

「本陣にいなくてもいいんですか?」

「手伝いに来ただけだよ」

 

二人から投げかけられる質問に返しつつ、周囲を見渡す。問題はないようだ。

 

「アニキも心配性だなー。だーいじょうぶだって。アタイと斗詩が組めば最強だからな!」

「またそんな事言って……って、どうしたんですか、北郷さん」

 

猪々子をたしなめる斗詩は、一刀の視線が前方に注がれている事に気がついた。問いながら、自身もその視線を追う。二人の様子を見ていた猪々子も、それに追随した。

 

「いや……やはり、俺が来たのは正解だったようだ」

 

抑揚のない声音。それが気にかかった斗詩であったが、それを問うよりも早く、兵の怒号が聞こえてきた。

 

「斗詩、行くぞ!」

「うん!」

 

すぐさま将の顔に戻った二人は、そちらに駆け出す。得物を構える部下に指示を飛ばし、追い越し、武器を振るおうとして、そして動きを止めた。

 

「……」

 

一人か、二人か。あるいは、その場にいる全員の沈黙か。確かにこの時、彼らがいる船上に音はなかった。

 

「……」

 

一歩。彼女は前に出る。槍や剣を構えながらも、兵はわずかに後ずさる。

 

「……」

 

一歩。さらに歩を進める。今度こそ、傍から見てもわかる程に、彼らは道を開いた。殺気はない。それでもその立ち姿から、彼女が自分たちのような兵卒が相手取れるような存在ではない事を理解していた。恥じる事ではない。その為に、隊を率いる武将がいるのだから。

目の前に現れた将に、猪々子と斗詩は、それぞれ重量級の得物を無言で構える。

 

「…………どいて」

 

一言。殺気も覇気も、何もこめない願いに、二人は感じ取る。彼女は自分たちを見ていない。眼中にないとか、格が違うとか、そのような理由ではない。ただただ純粋に、彼女は視線をたった一人に注いでいた。

 

「お願い……」

 

戦場では、ありえない言葉。まず斗詩が武器を下ろして道を開け、猪々子もそれに倣う。ともすれば斬りかかられてもおかしくない道を、少女はゆっくりと歩いていく。

 

「やっと……」

 

そして、とうとう彼のもとに到達する。涙は流さない。それでも、その声音は微かに震えている。

 

「やっと、会えた……」

 

目の前に立つ少女に向けて、男は口を開く。

 

「ついて来い……呂布」

 

途端、少女の瞳が絶望に彩られた。だが、それを追求する間も与えず、一刀は背を向ける。そのまま走り出し、切り離された――いまだ、わずかに火の燻ぶる――船へと飛び移った。

 

「……」

 

残された少女は、俯く。その隙だらけの背に、斬りかかる者はいない。だが、声をかける者はいた。

 

「行ってください、恋さん」

「……香?」

 

少女と共に部隊を率い、敵船を訪れた友だった。彼女は微笑みながら、少女を促す。

 

「彼は言っていましたよ。ついて来い、って」

「……」

「恋さんの想いは、この程度で折れてしまうような、軽いものではないでしょう?」

「……」

「二人の信頼は、この程度で崩れるような、脆いものではないでしょう?」

 

しばしの逡巡。否、黙考。ゆっくりと一歩を踏み出す。

 

「……ありがと」

「いってらっしゃい」

 

一言だけを口にし、彼女は走り出す。彼がしたように船の淵に脚をかけ、そして彼を追って船を跳び出した。

その背を眺めていた少女は、敵将二人に笑みを向ける。

 

「お待ちいただき、ありがとうございました」

 

猪々子と斗詩は互いに顔を見合わる。

 

「いやぁ、なんつーか……アタイ、あぁいう雰囲気苦手なんだよなー」

「あはは、私もです」

 

困ったような笑みを浮かべながら、二人は香に向けて得物を構えた。

 

「やっぱ、わかりやすい方が楽しいよな」

「今回ばかりは文ちゃんに同意するよ」

 

途端、周囲の兵に緊張が走った。曹操兵、劉備兵共に武器を構え直す。

 

「あれはあれで、分かりやすいと思いますけどね」

 

かつての上司のようなおどけた口調で、香もまた、三尖刀を構える。

 

「でも」

 

一閃。この領域に入れば斬り捨てると言わんばかりに、武器を振るう。

 

「わかりやすい方がいいというのは、同意です」

「いくよ、文ちゃん!」

「おうっ!」

 

香の言葉を合図に、斗詩と猪々子は跳び出した。

 

 

 

 

 

 

炎は消えているが、いまだその熱の残る船上に、一刀は着地する。しばしの時をおいて背後に聞こえる足音に、彼は振り返った。

 

「……」

 

その場にいたのは、彼が最も愛する少女。苦楽を共にし、別れ、恋焦がれていた少女。少女もまた、彼と同じ想いを抱えていながら、先の言葉に、その表情は暗い。

一歩。彼は踏み出す。びくりと少女の肩が震えた。

一歩。歩みを重ねる。少女の視線が、彼の視線から逃げようとし、惑う。

一歩。さらに重ね、彼は少女のすぐ前に立った。

 

「久しぶり、恋」

「あ……」

 

その声音、そして呼ばれる己の名に、少女の瞳から涙が溢れ、頬を濡らす。そして理解する。先のあれは、部下の手前、せざるを得なかった対応なのだと。

 

「一刀……」

 

次の瞬間、恋は一刀の胸に飛び込んだ。彼もまた、それを受け止め、強く抱き締める。

 

「会いたかった」

「ん……」

 

少女が求めていたように、強く、されど優しく抱き締める。

 

「ずっと会いたかった」

「ん……」

 

少女が求めていたように、深紅の髪を、そっと撫でる。

 

「会いたかった、恋」

「恋も……」

 

少女が求めていたように、再び真名を呼ぶ。

 

どれほどの間、抱き締め合っていたであろうか。彼はゆっくりと少女の背に回した腕を解き、一歩下がった。

 

「……一刀、服、変えた?」

「ははっ」

 

恋の問いに、一刀は思わず笑ってしまう。

 

「色々とあってな」

「ん……かっこいい」

「ありがと。恋こそ少し背も伸びたし、成長したんじゃないか?」

「……変?」

「いや、綺麗になった」

「ん……」

 

互いに微笑み合う。

 

「孔明から写真は受け取ったか?」

「ん……朱里にお願いして、いつもじゅーでん?してもらってる」

「そっか」

 

他愛のない会話。他にも話したい事はたくさんある。聞きたい事、聞いて貰いたい事が数えきれないほどにある。

それでも、一刀は何よりもまず、その言葉を口にした。

 

「恋、俺達が此処にいるって事は、何をしなければならないのか分かってるよな」

 

言いながら左手を野太刀の鯉口にあて、親指で鍔を押し上げる。

 

「ん……」

 

恋もまた数歩下がり、戟を持ち直す。

 

「恋……俺は、恋を殺すつもりでいく」

 

右手で柄を握り、野太刀を完全に抜き取った。

 

「……それが、一刀だって……恋は知ってる」

 

いつものような自然体で、恋は口を開く。

 

「恋の好きな一刀だって、知ってる」

 

構えていない筈なのに、一分の隙も感じられない。

 

「だから、恋も戦う……でも、恋は、一刀を殺さない。恋は……一刀に勝って、それで、この戦を終わらせる……」

「十分だ」

 

一言返し、一刀は恋の瞳をじっと見つめる。恋もまた、同様に。互いを慈しむような視線を重ね、二人は同時に跳び出した。

 

 

 

 

 

 

剣戟の音が鳴り続く。それを作り出すのは数多の兵。だが、彼らが作り出すよりも多くの音を、たった二人で生み出す存在がいた。

 

「はぁぁあああっ!」

「うぉぉおおおおっ!」

 

咆哮を上げ、それでもなお、得物を振るう。片や偃月刀を振りかざし、片や漆黒の大剣をあてがいながら、二人の剣舞は留まるところを知らない。

 

「あらあら。楽しそうな事をやっているじゃない」

 

二人の耳に届くは、陽気で楽しそうな声。真紅の衣装を纏った将は、優雅に歩みながらも、周囲の甲板を敵兵の鮮血に染めている。

 

「私も混ぜてくれないかしら」

「手助け不要!……と言いたいところではあるが、これは共闘だからな。願ってもない」

「ありがと」

 

雪蓮の提案を受け、愛紗は一度春蘭から距離をとる。春蘭も数メートルほど跳び退り、二人の武人を見据えた。

 

「でも、今の私はだいぶ欲求不満が溜まっているから、邪魔をすれば斬るから」

「ふっ。それを私がする筈がないとの、信頼からの言葉と受け取っておこう」

「流石ね」

 

二人の会話を聞きながら、春蘭は考える。関羽とは互角の戦いを繰り広げてきた。孫策が、彼女より劣るとは思わない。その武は、汜水関にて間近に目にしているのだ。

 

「二対一だからって、文句は言わないわよね?」

 

雪蓮の問いに応えようとして、彼女は何かに気づく。そして、春蘭は開きかけた口を閉じた。その口角は、わずかに上がっている。

 

「ふんっ。何人増えようとも、私のする事は変わらぬ。華琳様の覇道を成す為、すべての敵を斬り伏せる事だ」

 

それにと、彼女は言葉を重ねる。

 

「私には信頼出来る部下がいるのでな。敵に背を向ける事を厭いはしない」

「信頼出来る部下ってのは、その辺に転がっている奴らの事かしら」

 

雪蓮の挑発にも、春蘭は怒気を見せない。いや、少なからず怒りを感じてはいるが、それを上回る理性で押さえつける。

 

「もちろん彼らも含むが、それ以外にもいるさ」

 

そして発せられた言葉。それを肯定するかのように、雪蓮と関羽に二つの鈍器が襲い掛かる。わずかに後退る事でそれは難なく避けられたが、その攻撃の主に驚きを得た事は、否定できなかった。

 

「何故、貴女達がいるのかしら?」

 

至極当然の問い。それもそのはず、そこには、春蘭を挟むように、本来前線にいてはいけない将が得物を構えているのだから。

 

「へへーん!だいたいの配置はわかったから、春蘭様を手伝えって稟ちゃん達に言われたんだー」

 

応えるのは、桃色の髪を二つに結わった少女。胸元に、どこにそれを振り回す力があるのか分からない程の、無数の棘がついた鉄球を抱えている。

 

「親衛隊だからと言って、前線に出て来れないような修行は積んでいませんので」

 

円盤を抱えた少女も、それに追随した。その瞳は、力強い。

 

「あらあら。曹操のところは、よっぽど将が少ないのかしらね」

 

呆れたように、雪蓮は溜息を吐く。

 

「でも……戦場に出てくるからには、子どもだろうと私は斬るからね」

 

次いで、鋭利な視線で二人の少女を見据えた。ともすれば、射殺されてもおかしくないほどに殺気の込められた視線に、少女達は何を思ったか、顔を見合わせて笑みを零す。

 

「兄ちゃんの言った通りだね、流琉」

「そうだね、季衣」

「……どういう意味かしら」

 

表情を変えないまま、雪蓮は問う。その視線をまっすぐに睨み返し、二人は自信たっぷりに口を開いた。

 

「孫策さんは、僕達親衛隊の仕事の恐ろしさを知らないって言ってたよ。誰かに守られる事に、慣れていないから、って」

「はい。私達の役目は、華琳様をお守りする事であり、敵を討ち倒す事ではありません。貴女達のどちらかを抑えていれば、必ず春蘭様や秋蘭様が来てくれます」

「攻め手が弱くても、僕達は気にしたりなんかしない」

「私達の誇りは、敵を止め、主を守り抜く事です」

 

言葉を重ね合う。その声音には、少女達の言う誇りが確かに感じられた。

 

「よくぞ言った、我が愛する部下よ!お前達を侮っている孫策に、守る者の恐ろしさを教えてやれ!」

「「はいっ!」」

 

春蘭の檄も受け、季衣と流琉は得物を構える。春蘭もまた、当初の組合せ通り、愛紗に向き合う。

 

「さぁ、再開するぞ」

「……」

 

その自信に溢れた声に、愛紗は無言で偃月刀を構え直す。

 

「どっからでもかかって来ーい!」

「先へは行かせません!」

「まったく……死んでも後悔しないでよね」

 

二人の少女に向けて、雪蓮は一息に跳び出した。

 

 

 

 

 

 

曹操軍右翼。六人の将が飛び交っている。しかしながら、かつての巨大な関で見られたような、多対一の戦いではない。曹操軍より三人の将。劉備及び孫策の同盟軍より三人の将。それぞれ相手を見据え、一対一の戦いを繰り広げていた。

 

「なんやなんや、いったいどこから武器放ってきよんねん」

 

そのうちの二人の将の体勢は、一方的のように見えた。亞莎は小さな身体を使って大きな袖を振り回し、その死角から暗器を繰り出す。その発射点が隠れている為、真桜はどうしても後手に回らざるを得ないでいた。

 

「我が人解を捉えようなどと思わない事です」

 

慌てたように見える真桜とは対照的に、亞莎は冷静に告げる。それだけの自信が、長い鍛錬の果てに裏付けられていた。

上から下から、右から左から。四方だけでなく八方から、タイミングをわざと外して飛ばされる暗器を、真桜は時に避け、時に螺旋槍で躱している。

 

「素直に降参した方がよいのでは?」

「うるさいわ!ウチかて曹操軍の将軍をはっとるんや。誰が降参なんかするかい!」

 

明確な挑発に、真桜は乗ってしまう。亞莎の身体が回転を止める瞬間を狙って、前へ跳び出した。

 

「……仕方がありません」

 

特攻にも似た、真っ直ぐに向かい来る真桜に向けて、己も駆ける。

 

「せぇぇえええいっ!」

「はぁっ!」

 

回転しながら突き出される槍を、身体を回しながらひらりと躱し、亞莎はその右袖を大きく振りかぶった。

 

「わぷっ!?」

 

振られた袖は勢いをそのままに、真桜の胸から顔にかけて巻きつけられる。そのまま右手を彼女の肩に置き、回転の勢いに乗って跳び上がって、蹴りを繰り出す。両腕に、腹に、両脚に。都合五つの打撃を与え、亞莎は真桜から離れた。

 

「いつつ……」

 

いまだ余裕の残る亞莎とは違い、真桜は肩で息をしている。膝を着きはしないものの、その表情は苦痛を滲ませていた。

 

「まだ、やりますか?」

「……」

 

敵の問いに、真桜は応えない。息を荒げながら、じっと亞莎を見据える。その視線には、いまだ力強い意志の光。果てには、その口元を和らげ、笑みを零す。

 

「へ、へへ……だいたいわかったで」

「……何がわかったというのですか?」

 

不敵に笑う真桜に対し、亞莎は不審がる。

 

「いやな?ウチの趣味は絡繰で、バラしたり、その構造を調べるのが好きなんやけど」

 

いきなり何を言い出すのだろう。亞莎の瞳に浮かぶ不審の色は変わらない。

 

「せやからやろな。敵さんの工夫っちゅーもんを、どーしても暴いてみたくなるんや」

 

研究者の性やな。そう笑いながら、なおも言葉を続ける。

 

「いま間近で見て、ようやく分かったで。武器の隠し場所も、重心も、発射点も。もう惑わされへん」

「強がりをっ!」

 

叫び、亞莎は袖を振るう。しかし、どうだろう。つい先ほどまでは発射される暗器を目にしてから身体ごと動いていた真桜が、少し槍を動かしただけで、亞莎の投げた武器を弾く。まるで、そこに来る事が最初から分かっていたかのように。

 

「ほらな?アンタの武器はもう効かへん。この勝負、ウチの勝ちや」

 

ゆっくりと、痛む四肢に鞭打って前へ進む。幾度となく亞莎が袖を振るうも、言葉の通り、真桜は難なくそれを躱し、あるいは弾いて見せた。

 

「あぁ、ウチは降参せぇなんて言わへんよ?」

 

ついに螺旋槍の間合いに亞莎を入れた真桜が呟く。

 

「やられたらやり返さな、曹操軍の将として名折れやからな!」

 

振るわれる袖に合わせて、真桜の螺旋槍が唸りを上げる。それは吸い込まれるように亞莎の大きな袖に突き刺さり、引き裂き、そしてその中身を回転により弾き飛ばした。

 

「まだ半分残って――」

「せやから見切った言うてるやろ」

 

亞莎が言葉を言い終えるよりも早く、真桜の槍の柄が、彼女を殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

真桜と亞莎の攻防とは異なり、こちらでは剣戟の音が絶え間なく続いている。

 

「やぁぁあああっ!」

 

身体を回転させながら、沙和は双剣二天を振るう。さながらそれは舞のようであり、その動きは読む事が難しい。曹操軍の将の中では武において最も劣る彼女であるが、その武力と反比例するかのように、剣速は一刀に次ぐものを持っていた。

 

「はぁっ!」

 

対して、一刀の扱う日本刀にも似た、長い刃を持つ得物を振るうは、孫家の隠密頭である明命。その役職に違わぬ敏捷性にて、沙和の剣舞を時に躱し、時に弾いて見せる。

 

「もーっ、さっさと斬られるのー!」

「誰が!」

 

沙和は憤り、明命は強気に返す。しかしながら、その実力は拮抗していた。攻め手の数としては沙和の方に分があるとはいえ、一撃も当ててはいない。後手に回っているように見える明命も、攻めに転じる事が出来ないでいる。

 

「強がりをっ!」

 

友の声が聞こえた。視界の端に、亞莎と真桜が戦っている様子が移り込む。だが、真桜はゆったりと歩み寄り、亞莎の顔に焦りが出ている。

時間をかけてはいられない。彼女はそう考え、賭けに出た。背後に跳び、長刀を収める為の鞘を縛り付ける紐を、胸の前で解いた。

 

「沙和みたいに二刀流でくるの?そんな一朝一夕に出来るようなものじゃないのー!」

 

舐められていると感じたのか、沙和の声に棘が増す。しかし明命はそれを聞き流し、魂切をその鞘に納めた。左手で鞘の根元近くを握り、腰に添える。右手は長刀の柄に当て、わずかに腰を落とした。その構えを、沙和は知っている。

 

「その構えってば、隊長の真似なの!沙和、隊長が居合っていうので、岩を斬るの見た事があるのー!」

「……」

 

明命は応えずに、親指で刀の鍔を押し上げる。確かにそれは、一刀がかつて演じて見せた居合の型。見様見真似ではあるが、それでもその姿は、一刀のそれに酷似していた。あるいは、刀の形がそう見せているだけなのか。

 

「隊長言ってたの。長過ぎる剣だと、上手く出来ないって!それに、その剣の間合いはもう知ってるから、当たりっこないの!」

「ならば、どうぞ来てください」

 

ゆっくりと、明命は口を開く。半眼に開かれた瞳を、じっと敵に見据えて。

 

「斬った後の隙が大きいから、実戦では使えないって言ってたの。沙和の勝ちで終わらせるんだからー」

「確かに、その通りです。ですが、今は一対一の状況。なれば、この一撃で決めればよいだけの事です。当たれば私の勝ち。躱せば貴女の勝ちです」

 

実戦で使った事はない。まさしく賭けではあるが、友を助けに行かなければ。その想いが、明命を突き動かす。

 

「わかりやすくて、沙和好きかも。でも、沙和の勝ちで終わらせてあげるの!」

 

言うや否や、沙和は前へ出る。言葉通りに、明命の間合いは既に見知っている。ならば、その有効範囲内に入る瞬間に気をつければよいだけだ。それより遠ければ空振りに終わり、近ければ沙和の剣速が勝る。

 

「ふっ――」

 

明命が動く。

 

「(とった!)」

 

沙和は勝利を確信する。己の位置は、いまだ明命の射程外。剣が過ぎ去った瞬間に間合い内に駆け込み、斬れば自分の勝ちである。いつでも前に出れるように、彼女は脚に力を籠めた。しかし。

 

「あ、れ……?」

 

沙和の視界が暗転する。何が起きたかを理解出来ぬまま、彼女は意識を失った。

 

「……私の、勝ちですね」

 

倒れた沙和を見下ろし、呟く明命の左手には何も握られていない。それもその筈。彼女は剣を振り抜く瞬間に左手の握力を緩め、鞘ごと居合を放ったのだ。遠心力により鞘は滑り、抜き身の刀の間合いを倍するそれで、沙和の顎を掠める。

 

「ひとところに囚われるな。これもまた、一刀様の教えです」

 

甲板に転がる鞘を胸元で結び直し、彼女は亞莎を助けるべく動き出す。しかしながら、そこには倒れた友の姿。

 

「亞莎……」

 

その対戦相手であった将と視線が交錯する。次の相手が決定した。

 

 

 

 

 

 

明命対沙和、真桜対亞莎を接戦と評するならば、この組み合わせにおいては、手も足も出ないという表現がまさに適切であろう。槍と拳闘。剣道三倍段という言葉があるように、得物を持った武人を相手にするには、三倍の格がなければ、間違っても同等とは言い難い。

 

「どうした楽進よ。その程度か」

「まだまだっ!」

 

この二人の戦いは、それである。凪は間断なく拳や脚を繰り出すも、星は難なくそれを槍の柄で捌き、返す槍で敵の身体を打ち据える。時に石突で、時に槍の穂先で。凪の身体に、次々と痣や新しい傷痕がついてゆく。

 

「汜水関や虎牢関で共に戦った時と、変わっておらぬではないか。鍛錬は大切だぞ」

 

強者の余裕で、星は言葉を投げかける。無論、凪とて無為に過ごしてきた訳ではない。反董卓連合から戻ってからは沙和たちとの連携を行ない、春蘭に稽古を頼む事もあった。一刀が華琳の傘下に加わってからは、彼に教えを乞うた。

 

「鍛錬ならば、死ぬほど積んできた!」

 

しかしながら、凪が鍛錬を繰り返すのと同様に、星もまた、愛紗や鈴々との鍛錬を行なってきたのだ。恋と香が陣営に加わってからは、幾度となく敗北や、勝てない悔しさを経験した。仮に同じだけの鍛錬を経たのならば、この力量差は、連合時のそれがそのまま平行線として延びた先にあるものだ。

 

「はっ!」

「それ」

 

拳から、蹴りから氣弾を飛ばすも、星はそれをひらりと躱す。肉弾戦に持ち込めば、さらなる傷が重ねられる。

 

「もう終わりにせぬか?禅譲の儀が終われば、皆等しく仲間となるのだ。この場で命を落とす事もないだろう」

 

侮辱ともとれる言葉。だがそれは、星の最後の優しさ。

 

「はぁ、はぁ……曹操様が軍に弱卒は必要ない。そのような真似をするくらいならば、命などいくらでも投げ捨ててやる」

 

肩で息をしながら、疲労困憊の凪に、星は肩を竦める。再度槍を構え直せば、たったいままで宿していた優しい光が、その瞳から完全に消え去っていた。

 

「なれば仕方があるまい。今日この場所で、その命を散らしてやろう」

 

穂先を足下に向け、両手をわずかに内向ける。

 

「はぁっ!」

 

再び突進する凪。星はそれを冷静に見据え、突き出された拳を、まず槍の柄で叩く。

 

「――ふっ!」

 

そのまま槍を回転させ、連続突きを放った。肉が裂け、鮮血が飛び散る。凪は後方に跳ばされ、甲板に叩きつけられた。

 

「精々、死なぬように気張るがいい」

 

倒れ込んだ凪を見下ろし、星は最後の言葉を呟く。だが、動く気配を見せぬ凪の身体に背を向けた時だった。

 

「……」

「ほぅ……まだ立ち上がる気力が残っていたか」

 

見ずともわかる。感心したように声を洩らす星の背後には、両腕両脚から血を流す将。彼女が一歩踏み出せば、甲板に紅い軌跡を残す。

 

「ならばもう一度――」

 

もう一度喰らわせてやろう。そう告げようと振り返った星は、その姿に言葉を呑み込む。

 

「……」

 

一歩ずつ、ゆっくりと近づいてくる凪は、重心が安定していない。瞳は焦点が合わず、ふらふらと覚束ない足取りで、それでも敵に向かって突き進む。

 

「……」

 

そして、ようやく星のもとまで辿り着いた。力の籠らない構えで、力の籠らない拳を振るう。受け止めるまでも、躱すまでもない。とすっ、と柔らかな音を立てて、血塗れの拳は星の服に紅い模様を印した。

 

「……もうよいだろう。お主は頑張った。ここで倒れたとて、お主の誇りは誰にも穢せぬ」

 

倒れ込む凪を抱き留め、星は、優しく諭すように言葉を紡ぐ。右手は星の腹にあてたまま、彼女に寄り掛かり、凪は口を開いた。

 

「はぁ、はぁ……んぐっ……私の――――――」

「あぁ、お主の――」

「――――――勝ちだ」

「え――」

 

何を。問う間を与えず、星の腹部を衝撃が襲う。外からのそれではない。内側からの衝撃だ。それは星の肺活動を止め、酸素の足りない身体は膝を着く。

 

「な、ぜ……」

 

倒れ込む星は見た。自身の腹に当てられていた右の手のひらが、氣を発し、銀色に光る様を。

 

「はぁ……はぁ…………」

 

今際にて、凪は成す。かつて己が喰らい、喰らわせた本人に教わった技を。次第に右手の氣は霧散し、通常の色に戻る。だが、そこが彼女の限界だったようだ。血の足りない身体はそれ以上動こうとせず、凪もまた、膝を着く。そのまま星の隣に倒れ込んだ。

 

「真桜……」

 

翳りゆく視界のなかで、敵と戦っている親友の姿が見える。手伝いに行かなければ。気持ちが先行するばかりで、手足には力が入らない。

あとは頼んだ。心の内で呟き、凪は瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

曹操軍左翼。元袁術軍の二枚看板は、一人の将を相手に立ち回っていた。凪たち三羽烏ほどではないが、彼女達とて、鍛錬は積んできた。主を敗北に導いてしまった悔しさをバネに、時に一刀を相手に、時に春蘭や秋蘭を相手に、鍛錬を積んできた。

 

「うらぁ!」

「やぁっ!」

 

同時に得物を振るい、時に拍をずらして攻撃を加える。しかし、当たらない。無理もない話かもしれない。彼女はかつて、大陸の十指に入る武人のうち、その半数を同時に相手をした経験もあるのだ。

 

「そのような攻撃など、当りません!」

 

斗詩の振るう金光鉄鎚はその質量も相まってか、無理に軌道を逸らそうとはしない。武器の性質上どうしても大振りになってしまうそれを躱し、猪々子の斬山刀を三尖刀にて遠ざける。

しかし、その動きは逆に、猪々子と斗詩に攻略の糸口を与える事となった。

 

「文ちゃん、一回下がって!」

「応っ!」

 

斗詩の指示に、猪々子は大剣を振るい、香を下がらせる。その隙をついて、自身も相棒の隣まで跳び退った。

 

「どうした、斗詩?」

「そのまま聞いて欲しいんだけど――」

 

隣に立つ友に、斗詩は戦いの最中に気づいた事を伝える。説明を最後まで聞き終ると、猪々子は口を開いた。

 

「二人掛かりでもなかなか当たんねーのに、よくそんな事思いつくなー」

 

斗詩の切り出した作戦は、成功確率の低いものではあったが、それがまた、猪々子の頬に笑みを刻ませる。

 

「でも、アタイはそういうの嫌いじゃないぜ。流石アタイの斗詩だ」

「ふざけないの」

 

からからと笑いながら言う猪々子を、斗詩は諌める。

 

「ふざけてなんかないって。やっぱ人生大博打だよな!アタイに任せろ。斗詩こそ、締めを外すんじゃねーぞ!」

「わかってるってば」

 

二人の声は聞こえないが、その様子は香にも見てとれた。何事かを思いついたらしい斗詩と、それに乗るであろう猪々子。

守りに自信はあるとて、攻め手はそれほどでもない事を香は自覚している。なればこそ、そこに付け込まれないようにしなければ。警戒を強める。

 

「行くぜ、紀霊!」

「どうぞ」

 

ひとつ叫び、猪々子は真っ直ぐ香に突っ込む。相当の質量がある筈の大剣を竹光のように振り回し、攻撃を重ねた。

 

「(何を考えているのでしょう)」

 

視界の端に、動く気配のない斗詩を捉える。何を狙っているのかは分からない。しかし、こうも連続的に攻撃を加えられては、動かない将に気を遣る暇もなくなる。時に三尖刀で防ぎ、時に躱し、猪々子の攻撃を避け続ける。

そして、完全に斗詩が香の視界から消え去った時だった。

 

「おらっ!」

 

それは、香にとって予想外の攻撃だった。これまで幾度となく斬山刀を振るっていた猪々子が、香の胸に向けて突きを放つ。心中線を狙ったそれを躱す事は難しく、やむ無しと、香は三尖刀の柄にて、それを受け止めた。

 

「くっ!」

 

しかしながらそれは――刀の先端という、圧力が最も掛かる場所からの攻撃を受けたという事も相まって――想定以上に重く、一瞬だけ香の腕を麻痺させる。

 

「どんぴしゃだぜ!」

 

それを機と見て、猪々子は斬山刀を振りかぶる。そのまま香の目前で足を突き、思い切り振り抜いた。

 

「きゃぁっ!」

「行ったぞ、斗詩!」

 

得物で受け止めながらも、それは難なく香の身体を弾き飛ばした。その軌道の先には、先ほどの猪々子と同様に得物を振りかぶった斗詩。香は首を捻り、その姿を認め、咄嗟に四肢を動かした。

 

「もらいました!」

 

飛ばされ来る敵に向けて、斗詩は大槌を振り抜こうとする。しかし、そこに思いもよらない光景を目にした。彼女の視線の先には、金光鉄鎚の間合いに飛び込むギリギリのラインにて、甲板に三尖刀の先端を突き刺した敵将の姿。そこを支えに、香は無理矢理身体の軌道を変えていた。

 

「う、そ――」

 

全力を籠めていた大槌は止まらない。棒高跳びのように三尖刀をしならせ、香は敵の得物の軌道の上を跳び越え、さらに身体を捻った。

 

「はぁぁああっ!」

 

回転の力により板に突き刺さった三尖刀を抜き去り、さらなる回転により、振り抜かれて静止した大槌に――正確には大槌の柄に叩きつける。

 

「……」

 

パキリと音がして、斗詩の得物の柄が真っ二つに割れた。

 

「いまのは危なかったです」

 

言いながら、香は武器を失った斗詩に得物を向ける。

 

「斗詩、下がれ!」

 

親友の叫び声に斗詩の意識は戻り、背後に跳ぶ。

 

「アタイの斗詩に手を出すんじゃねぇ!」

「そのつもりはなかったのですが……いいでしょう。どうぞ来てください」

 

もはや脅威ではなくなった敵に完全に背を向け、香は迫り来る大剣に意識を集中させる。

 

 

 

 

 

 

孫策軍本陣。冥琳は、戦場の姿と敵将の位置を頭の中に浮かべる。

 

「報告です――」

 

そして新たに届けられた状況報告に、冥琳は、隣に立ち、じっと戦場を見据える主の妹に向けて口を開いた。

 

「蓮華様」

「なんだ、冥琳」

 

その背後には、彼女の護衛である元江賊の将が控えている。

 

「思春をお借りしてもよろしいでしょうか」

「……」

 

蓮華は応えず、視線で先を促す。

 

「敵将の配置はすべてわかりました。思春を雪蓮のもとに向かわせ、雪蓮には敵本陣に向かってもらいます」

 

その言葉に、蓮華の眼がすっと細まる。

 

「何故、そのような事を問う」

「蓮華様?」

 

彼女の言葉に、思わず疑問を返してしまう。

 

「孫呉の軍師はお前だ、冥琳。そのお前が必要だと下した判断ならば、私は全幅の信頼を持ってそれを支持する。お前はただ、思春に命じればよいのだ。私に断りを入れる必要が、どこにある」

「……」

 

王者たる風格にて、蓮華は告げる。それが策の内ならば、自身の護衛など要らないと。戦を決する為ならば、自分も駒のひとつに考えろと。

冥琳はひとつ微笑み、口を開いた。

 

「御意に。思春、先ほど述べた通りだ。雪蓮の元に向かい、告げろ。孫家の王たる働きをして来いと」

「はっ」

 

命じられた将もまた膝をつき、頷く。次いで立ち上がり、前線へと向けて駆け出した。

 

劉備軍本陣。ここでもまた、孫策軍本陣と同様の決が為されていた。

 

「桃香様。曹操軍の将の配置がわかりました。これより、戦の流れを変えに向かいます」

「うん。お願い、雛里ちゃん」

 

魔女帽子の影に鋭利な瞳で、少女は告げる。

 

「焔耶さん」

 

そして主の親衛隊である将に問う。

 

「夏候惇さんと……戦えますか?」

 

それは、定軍山の報告を聞いてしまったが故の問い。それは少女の、最後の気の弱さ。

しかしながら、問われた将はにべもなく頷いた。

 

「当り前だ。確かに、定軍山では遅れをとったが、私とて恋を相手に死ぬほど鍛錬を重ねたんだ」

「そうですか……では、敵中央の前曲に向かってください。そこで愛紗さんに、敵本陣に向かうように伝えてください」

 

同じ報告が伝わっているならば、孫策軍も動くはずだ。友軍の気質上、雪蓮が曹操のもとに向かう事は、疑う余地もない。なればこちらとて、軍を代表する将を送る必要がある。でなければ、この戦の後に孫策軍と戦う事になったとして、士気の問題で差が生じ得るのだ。

 

「任せろ!」

 

少女の言葉に応と頷き、焔耶は駆け出した。

 

「伝令。厳顔将軍並びに黄忠将軍に伝えてください。部隊を率いて中央に向かい、魏延将軍の援護に向かうようにと」

 

その背を見送り、少女は伝令を送る。焔耶を信じていない訳ではない。それでも、万が一にも夏候惇を本陣に戻す訳にはいかない。彼女や親衛隊の将たちをその場に留める意味でも、援護が必要だ。

少女はじっと戦場を見据える。為すべき事は、すべて為した。あとは、仲間を信じるのみである。

 

 

 

 

 

 

軍師の指示を受け、思春と焔耶がそれぞれの援護先に到着したのはまったくの同時だった。

 

「何しにきたのかしら、思春」

 

思う様に攻めきれない少女達に苛立っていた所為か、雪蓮の声音に思わず棘が混じる。いや、それは援軍を送らせる決断を軍師に下させた、自分自身への苛立ちか。

 

「冥琳様より伝令です」

 

だが思春は動じずに、自分に背を向けて、敵を見据える王に告げる。

 

「この場は私に任せ、曹操のもとに向かう様にと。孫呉の王たる戦いを見せるようにとのお言葉です」

「……」

 

その言葉を背に聞くも、雪蓮は動かない。しかしながら、同様に愛紗に向けて伝令を告げる焔耶の姿を見て、肩の力を抜いた。

 

「……まったく、劉備のところの軍師も同じ考えのようね。まぁ、ここで先を越されて、本陣を落とされるのもなんだか癪ね。いいわ。此処は任せるわよ、思春」

「王の御意に」

 

自信の込められた声に頷き、雪蓮は愛紗に声を掛ける。

 

「行くわよ、関羽!どちらが先に本陣を落とせるか勝負しましょう」

「まったく。戦場でそのような事を言わないで頂きたい!」

 

愛紗も焔耶からの伝令を聞き終え、言葉を返す。

 

「行かせると思うな!季衣、流琉!三対四の戦いに変わったが、我らのする事は変わらぬ!誰一人とて、華琳様のおわす本陣に向かわせてはならぬぞ!」

「「はいっ!」」

 

会話を聞いていた春蘭も、部下の少女達に檄を飛ばす。親衛隊がこの場にいるという事は、将数の差を埋めると同時に、本陣の守りが薄くなる事をも意味する。ここを止めねば、戦の趨勢が決しかねない。

 

「……あぁ言ってるけど、どうする?」

「愚問だな、孫策殿。我らが軍師が、この程度で終わる筈もなかろう」

 

雪蓮の問いに、愛紗は不敵に笑って返す。彼女の言葉を肯定するかのように、背後から無数の矢が飛んできた。

 

「行け、愛紗!」

 

それは同盟軍の将を飛越し、春蘭たちの足下に突き刺さる。

 

「この場は任せたぞ、桔梗、紫苑!」

「えぇ」

 

友軍の援護を受け、愛紗は駆ける。雪蓮もそれに追随した。当然春蘭たちはそれを阻もうとするが、彼女たちの動きを封じるように、矢が飛来する。

 

「季衣、流琉!お前達は本陣に戻れ!華琳様をお守りしろ!」

「行かせると思うかしら?」

 

春蘭は部下に指示を出すも、紫苑の矢がそれを阻む。焔耶と思春も跳び出し、春蘭や季衣たちに斬りかかる。

 

「邪魔をするな!」

「行かせはしないっ!」

 

焔耶の鈍砕骨が春蘭に襲い掛かり、思春の鈴音が季衣と流琉に斬りかかる。

誰でもいい。この場に来て、手を貸す奴はいないのか。叫びたくなる心を無理矢理抑えつけ、春蘭は焔耶を見据える。だが、彼女の想いに応える声が、背後から掛かった。

 

「なんや、困っとるみたいやな、春蘭」

「霞か!」

 

敵の大金棒を大剣で抑えながら、背後に向けて声を返す。

手伝え。敵の得物を弾き飛ばし、後ろにさがってそう声を掛けようとした春蘭は固まった。

 

「霞……?」

 

援軍に来てくれた筈の仲間は、だらりと下げた左腕から血を流している。見たところ、その腕は使い物にならなそうであった。

 

「張飛と戦ったんやけど、思うたより手古摺ってな。情けないけど、こんなザマや」

「戦えるのか?」

「何を言うとんのや。この程度の傷で休んでられるかい。ウチが甘寧を相手する。季衣と流琉を本陣に戻すで」

 

残った右手で偃月刀を振りかざし、霞は叫ぶ。

 

「季衣、流琉!ウチと代わりぃ!アンタらは孟ちゃんとこに戻りや!」

 

そのまま駆け出し、季衣たちの相手をしていた思春に斬りかかった。

 

「片腕で私を押さえるつもりか?」

 

それを受け止めながら、思春は問う。

 

「んな訳あるかい」

 

不敵に笑いながら、霞は答える。

 

「アンタを倒して、うしろの奴らも倒すつもりや」

 

季衣と流琉は本陣へと駆け出し、春蘭と霞も敵に斬りかかる。紫苑と桔梗は弓にて仲間を援護し、隙あらば、急所を狙う。

戦場は、大きく動き出した。

 

 

 

 

 

 

曹操軍左翼、その更に外。木の燃える匂いに残った船上にて、二つの武器がぶつかり合っていた。幾度となく火花を散らすその剣戟は留まるところを知らず、暴風を巻き起こす。帆柱は裂け、甲板は捲り上がり、壁は砕ける。それでも、戦いは終わらない。

 

「劉備たちとは、仲良くやってるか?」

 

野太刀を振るいながら、一刀は問う。

 

「ん……皆、仲良し。こないだ、美以たちに会いにいった……」

 

それを弾き返しながら、恋は答える。

 

「一刀は……風をいじめてない?」

「俺がいじられてばっかりだ」

 

戦場に似つかわしくない会話。それでも、二人は言葉を止めない。話したい事が、たくさんある。聞きたい事が、たくさんある。

それは異様な光景であった。互いに微笑み合いながらも、その殺気は溢れ出し、凡夫ならば幾許も経たないうちに気を失ったであろう。そのような中で、彼らは笑い合っている。

 

「――――ひとつ、話をしようか」

「……?」

 

どれだけ斬り結んだか、一刀はふと、笑みを消した。依然、剣戟は止まない。

 

「俺の知っている呂布は……裏切りの象徴だった」

 

己の名。しかし、それが自身を指していないと、恋は気づく。

 

「この世界では出会わなかったが、丁原という主を斬り、仕えた董卓を暗殺した」

 

出会ったばかりの頃に、一刀から聞いた事がある。彼は、未来からやって来たと。彼の知る呂布は、そのような存在だったのだろうと、恋は必死に考え、納得する。

 

「袁紹を裏切り、曹操に反旗を翻した」

 

一つ、罅が入る。少女の心が痛む。

 

「劉備の領地を奪い取り、その後、攻め滅ぼそうとした」

 

二つ、罅が入る。

 

「袁術軍の背信を誘発し、その所為で助けを得られず、最期には曹操によって処刑された」

 

三つ、罅が入る。青年の心が痛む。

 

「俺は、恋にそんな存在になって欲しくなかった」

 

四つ、罅が入る。

 

「ひとつだけ、思う事があってさ」

 

五つ、罅が入る。再び、少女の心は痛む。

 

「この世界では、俺が呂布みたいなんじゃないか、って……」

 

六つ、罅が入る。

 

「いろんな場所で客将をして、その都度出て行き――」

 

七つ、罅が入る。再び、青年の心は痛む。

 

「董卓を守ると言いながら、完全に戻る事は出来なかった」

 

八つ、罅が入る。

 

「義妹を裏切り、曹操の下についた」

 

九つ、罅が入る。限界が近づいていた。

 

「そして、曹操も裏切った。俺は知っていたんだ。この『赤壁』で、何が起こるかを。知っていながら、皆に伝えず、仲間の兵の命を奪った」

 

完全に、亀裂が入った。

 

「『天の御遣い』なんて、おこがましいにも程がある。俺こそが……裏切りの象徴だったんだ」

 

恋は戟を振るう。それを受けようと、一刀は刀を振るう。二つの刃がぶつかる瞬間、先ほどまで発せられていた剣戟の音が、そこにはなかった。

疵と衝撃を与え続けられていた刀は、遂に砕け散り、恋の一撃を受け切る事など出来もせず。

 

「――――――ごめんな」

 

その瞬間、青年の唇が、四つの文字を彩る様を、少女は確かに見る。

 

「ダメ――」

 

紅い、華が咲く。

 

 

 

 

 

 

痛い程に輝く真円の月の下、少女は倒れた青年に駆け寄った。

 

「一刀……一刀っ……」

 

その身体を抱き起こす。

 

「なん、で……」

 

抱き締めた。肩口から斜めに刻まれた傷は血を流し続け、少女の服を染めてゆく。

 

「……ごめんな」

 

擦れた声で、青年は口を開く。視界には、大切な少女の、悲しみに満ちた顔。

 

「俺なりの、けじめだったんだ……」

 

血塗れの手を伸ばし、そっと少女の頬を撫でる。

 

「俺は……皆を裏切った」

「そんな事、ない……」

 

双眸の涙を溢れさせ、少女は首を振る。

 

「俺が、許せないんだよ……俺の命程度で、死んでいった兵たちの命を、賄えるなんて思っちゃいない……」

 

そんな事はない。そう伝えたかった。しかし、それを口にしてはいけないような気がした。

 

「恋は、強くなった……武とかそんなんじゃなくて、人間として強くなった」

 

そんな事はない。弱いままだ。だって、こうして敵である存在の傷に涙を流しているのだから。

 

「俺が守らなきゃって……呂奉さんと約束したから、俺が守ってあげなきゃ、って……でも、恋は、頑張った」

 

頷く。彼は、ずっと守ってくれた。哀しみから、辛さから、彼は守ってくれた。

 

「俺と離れても、友達を作る事が出来た……友達を、増やす事が出来た……」

 

頷く。皆、気のいい仲間たちだ。彼にも、皆と仲良くなって欲しい。

 

「恋は、俺がいなくても、大丈夫だ……」

 

首を振る。そんなのは嫌だ。ずっと、一緒にいて欲しい。

 

「幸せになれ、恋……笑顔を絶やさないでいてくれ……」

 

再び、抱き締める。彼がいなければ、笑顔にはなれない。だから、そんな事を言わないで。

 

「恋……」

「……な、に?」

 

頬を撫でながら呼ばれる真名に、少女は腕の力を緩める。彼と目が合った。

 

「最後に……口づけ、してくれないか……」

「……ん」

 

頬は涙に濡れ、彼の手も濡らす。少女はそっと頭を傾け、彼の唇に、自身のそれを触れさせた。

 

「……幸せだ」

「ん……恋も、幸せ」

 

不器用な笑みで、彼に返す。

 

「恋、行くんだ……行って、この戦を、終わらせてくれ……」

 

青年は瞳を閉じる。

 

「一刀?」

 

名を呼ぶも、彼は眼を開かない。

 

「一刀……」

 

抱き締める。強く、強く抱き締める。

 

「………………いって、きます」

 

震える声で、彼女は告げる。優しく彼の身体を横たえ、立ち上がった。

 

「ありがと……一刀」

 

背を向ける。

 

「大好き」

 

そのまま床を蹴り、彼女は駆け出した。満月を背に跳び上がり、船を渡る。

 

「……」

 

ひとり残された彼の傍に、音もなく立つ影があった。

 

 

 

 

 

 

曹操軍本陣。戦を決定づけようと飛び込んだ愛紗たちを、思わぬ存在が阻んでいた。

 

「まさか、此処でもこんな風に邪魔されるとはね」

 

笑みを絶やさずに言う雪蓮だったが、そこには若干の焦りがあった事も否めない。

 

「来ると思えば退き、退くと思えば押してくる……なかなかにやり難いな」

 

愛紗もまた、その戦い方には驚きを隠せないでいた。

彼女たちの目の前には――否、彼女たちを囲う様に、進行を、動きを阻む大楯隊。それは、孫家の将を抑える為に、かつて七乃が採った策。隊を率いるは、戦場では戦えぬと思われ、侮られていた二人の将。

 

「こういう戦いは慣れているからな」

 

一人は騎馬隊の扱いを得手とする白蓮。烏垣と戦う際に必要となっていた戦法を、彼女は指揮している。異民族といっても、一括りには出来ない。幽州に友好的な部族もあれば、敵対的な部族もあり、侵攻も受けていた。ただし、それを力任せに壊滅してしまえば、他部族との交流に支障をきたす。その為彼女は、騎馬で敵を囲う戦い方と、敵を傷つけずに負かす方法を熟知している。今回も、それの応用だった。

 

「まぁ、我が袁家の資金があってのものですけれど」

 

もう一人は、麗羽だった。七乃が巨額を投入して楯を量産していたのと同様に、彼女もまた、それを行なっていたのだ。木製の縦の外枠には鉄が施され、簡単には斬り裂く事が出来ないでいる。

 

「白蓮さん、麗羽さん!いま戻りました!」

 

そこに掛かる声。霞と前線を交代し、本来の任務に戻ってきた季衣と流琉だった。

 

「おう!ここは私達に任せて、お前達は華琳のところに戻れ!」

「そうですわね。もうしばらくは時間を稼げそうなことですし、誰かしら戻ってくるでしょう」

 

白蓮たちもその声に応え、大将のもとに戻るように促す。

 

「ありがとう!」

「お二人もお気をつけて!」

 

その言葉に、季衣たちは駆ける。将は抑えていても、楯の輪の中に兵の姿はない。もちろん親衛隊のすべてがその場にいる訳ではないが、それでも、わずかの危険性も残す訳にはいかない。

 

「さて、もう少し私たちにお付き合いいただけますでしょうか」

「あぁ。私たちだって、舐められ続けるのは嫌なんでね」

 

麗羽と白蓮は笑みを湛え、楯に囲まれた二人の将を見据える。

 

 

 

 

 

 

甲板を駆け、船々を飛び渡る恋の瞳には、いまだ涙が溢れている。

 

「……止まったら、ダメ」

 

それでも、彼女は止まらない。

 

「一刀が、お願いしたから……」

 

大好きな青年の、最期の願い。それを叶えなければ。その想いだけが、彼女を突き動かす。

 

「終わらせる……」

 

呟く彼女の視界、その遠くに、兵の集団が眼に入る。それは輪を作り、何者かを囲んでいるようだった。楯を構え、時に圧縮し、時にその直径を広げている。波打つような動きは蛇のようだった。

 

「愛紗……雪蓮……」

 

最後の船を渡る為に跳び上がった彼女は、友の姿をその輪の内に見出す。二人は得物を振るうも、功を奏さず、変則的なその動きに苦しめられているようだった。着地と同時に、恋は掛ける。

 

「……ふっ」

 

そして、円を作り、背を向ける兵達を薙ぎ払った。

 

「恋!」

 

愛紗は、いち早くその姿を認める。

 

「愛紗、雪蓮……こっち」

 

言葉を掛ける恋の方を見れば、楯ごと兵が吹き飛ばされ、道が出来ていた。

 

「しまった!楯隊、輪を閉じろ!敵将を逃がすな!」

 

白蓮が叫び、兵がその隙間を埋めようとするも、恋が方天画戟を振るえば楯が払われ、もう一つ振るえば兵が薙ぎ倒される。

 

「……行く」

「恩に着る!行くぞ、孫策殿!」

「えぇ」

 

駆ける雪蓮は、血により真紅に染まった恋の服を一瞥する。

 

「そっか……」

 

その姿だけで、彼女は理解した。少女の服についた血の理由も、彼女が何故この場にいるのかも。

 

「白蓮さん、本陣に戻りますわよ!」

「行かせない……」

 

季衣と流琉が戻ったとはいえ、敵二軍を代表する将には敵わないかもしれない。なれば、再び楯隊にて大将を守らなければ。

しかし、叫ぶ麗羽の前に、恋が立ちはだかる。彼は言った。戦を終わらせてくれと。だが、この場は雪蓮と愛紗に任せなければならない。冥琳や雛里たち軍師ならばその理由は分かったであろうが、恋には上手く説明が出来ない。それでも、そうする事が正しいように思えた。

 

 

 

 

 

 

二人の将は戦場をひた走る。向かい来る敵兵を斬り捨て、時に薙ぎ払い、道を作り出す。そして到達した。居並び、得物を構える兵の向こうに、敵軍大将の姿。

 

「曹操!」

「来たわね。孫策、関羽」

 

目が合った。声はいまだ届かぬ距離。しかし、視線で互いに理解する。戦を決定づける瞬間が近づいていると。曹操を落とせば同盟軍の勝利。同盟各軍を代表する将を倒し、あるいは止め切れば、曹操軍の勝利。互いにそれを理解する。

 

「孫策殿」

「何かしら」

 

偃月刀の柄を握り直し、愛紗は隣に立つ雪蓮に声をかける。

 

「許緒と典韋は私が行く。孫策殿は、曹操を討て」

「あら、いいの?」

 

思わぬ言葉に、雪蓮は問い返す。目前には敵大将。彼女を討てば、同盟軍の勝利とはいえ、風評という副産物が付加される。しかし、愛紗は言う。その功を譲ると。

 

「夏候惇との戦いの最中にも思ったが、あの二人とは、あまり相性がよろしくないのでは?」

「あー……そうかも」

 

正確には、戦い難いという表現が適切であろうか。季衣と流琉が扱うのは、重量級の中距離型の武器。対する雪蓮は、細身の剣が主体だ。もちろん勝てない事はないが、それでもそれなりの苦労は必要かもしれないと、雪蓮は考える。

 

「武器の種類で言っても、私の方が適任であろう」

「ありがたいけど、私が大将首を上げたっていう功を貰ってもいいの?」

 

雪蓮の問いに、愛紗は笑みを零す。

 

「なに、最後に勝利するのは桃香様だ」

「言ってくれるじゃない。だったら、ありがたく行かせてもらうわ」

 

だけど。雪蓮は言葉を重ねる。

 

「最後に勝つのは私達よ」

「ふっ、楽しみだ」

 

不敵な笑みに、愛紗は同種の笑みで返す。そして前に出た。

 

「私が道を切り拓く。孫策殿は、まっすぐ曹操のところへ」

「任せるわ」

 

雪蓮の言葉を背に受け、愛紗は駆ける。麗羽と白蓮の楯隊には抑えられたが、いまは囲まれている状況ではない。敵が陣を作る前に斬り捨てる。そう考え、彼女は偃月刀を振るう。斬り、薙ぎ、こじ開ける。そして。

 

「今だ、孫策殿!」

 

一筋の、細い道が出来た。雪蓮は、その道を駆ける。

 

「行かせるもんか!」

「えぇい!」

 

季衣と流琉が得物を投擲する。しかし。

 

「貴様らの相手は、この私だ!」

 

得物が雪蓮に到達するよりも早く、愛紗はそれを弾く。

 

「曹操!」

「来なさい」

 

雪蓮は跳び、剣を振り下ろす。光の軌跡を残す刃は、華琳の振るう大鎌と激突した。

 

 

 


 
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