No.360624

敗北者の凱歌

羆本舗 さん

サイトからインポート。あっちこっち出身のはぐれ者が集結するファンタジー寄りスペースオペラ改稿版。
【Attention!】
温いながら暴力、殺人描写あり。要注意!

2012-01-08 22:37:41 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:484   閲覧ユーザー数:482

ジャンビーヤ・エルマン(ジャンⅣ、ジャン№2-d)

 チャイルドで《人形遣い》、もとラマン特別統合軍少佐。外見は二十代後半の青年。シルバーブロンドにビリジアングリーンの瞳。

 ナンバー「2」は二週目、「d」は四番目を差し、ジャンⅣの前には二九人、後に七人の「ジャン」がいたがほとんどは「劣化」などで処分(死亡)、生き残っていた者もエイヴの事件で処分、残る「ジャン」は№2-dのみ。

 軍をプシキャット共々脱走してからは身元を隠蔽、流れ流れた果てに小さな街で何でも屋を営みつつ情報を集めてラマンへの復讐の機会を狙ってる、表面は朗らかだが中味は……な男。

 

サヴィーア・レイヴン

 竜狩り。人買い商人一派に部族を皆殺しにされ、《契約者》としての全てを捨てて復讐する。竜の返り血に染まった肌と髪は黒いが本来は銀髪。《契約者》時代は次代の魔女王候補を嘱望されていた。

 竜の血に染まった為にいわゆるアルセニックイーターになったのでどんな毒物も効かない(なので薬も効かない)難儀な体質。しかも大抵の刃物も通らないのでなかなか死なない(死ねない)。大怪我した時が問題です。

「レイヴン」は部族全体を指す字で「エ」は職業姓。フルネームは エ・ルスクス・サヴィーア”レイヴン” となる。

 

シーア(「見る者」=賢者)

《地球帰り》、生粋のアクエリアン。幼い頃の魔女狩りで家族共々アースに放逐された。ライトグリーンの瞳に、もとは金髪だったが今はアッシュブロンド。本名エルリック・オードマン。見た目は若いが50年くらい生きているはず。死んだ親はもと政府の高官。

 必然性と蓋然性を入れ替える、使い様によっては世界さえ崩壊させる力を持つ為に普段からあまり喋らない(口に出す=意識すれば力を使ってしまう)。現在は自らの周囲に防御魔力をバリア状に張り巡らせて能力を制御する。

 

プシキャット

 ビシニアン、外見は子供だが本当は何年「生きて」いるのか本人もよく判っていない。「夢使い」のヴィイという事になっている。

 本来はグノーム(土)の魔女王ネモの精神体だがジャンビーヤに「名付けられた」事によって「一個の人間」として独立し、もう本体に戻る事は出来ない。

 ストロベリーレッドの髪に、妖魔系の為に金色の文字通りのキャッツアイ(獣様の瞳孔と虹彩を持つ)。何らかの理由で人買いの手に渡り、星々を転々とした挙げ句ラマン軍部に利用されかけたがジャンビーヤに救出され、以後は彼と生活する。

 ジャンビーヤを唯一「ジャン」と呼ぶ。

 

お勢

 セルフ(風)のヴィイ。魔力に長け魔女王の側近だったが隠遁、ジャンビーヤらを拾ったのも全て考えあっての事。若い頃は美しく恋多き女であった……らしい。《協会》の事情に詳しく今でもコネクションを持っている。100年以上は生きてる。

用語設定・科学 

 

オデュッセイア銀河

 アースから派生し、「科学」世界の人種=フリークスタイプ(頭が一つ、手足が二対四本の形態)のいわゆる人類のみが繁殖していた世界。星間百年戦争(俗称ラグナレク)の果てに光速の壁が崩れて《門》が開いてしまい、現在は「魔」と「科学」が入り交じる混沌世界。

 

フリークスヒューマン

 いわゆる地球型人類を指す言葉。

 対語はベム(BEM=Big Eyes Monster)。

 

ノーマルヒューマン

 クローンなどではなく、ごく普通に出生した「ごく普通の」人間。能力も平凡。

 

チャイルド

 戦争目的で造られたクローン体の総称。生殖能力を消去され、寿命は個体差もあるが四十年前後(通常、劣化前に廃棄処分される)。

 開発初期は個々のパーソナリティは無視され単なる「兵器」として扱われていたが、そういう個体は比較的短期間で人格のカタストロフを迎えた。

 それを回避する為に現在では数個体ごとにカウンセラーをつけ(個体の更新ごとに新しい個体に配置換えされる)、最低限の人間としての人格教育を施し「使用」する。

 

パンツァー

 有人人型戦闘用強化服の俗称。肩、背、腰のハードポイントに武器をマウントするタイプが一般的。腕先端(指)のマニュピレータに専用サイズの銃器、格闘武器を装着・使用し白兵・格闘戦可能。

 重装甲の射撃専用タイプもあるが、こちらは砲台とほぼ同じ感覚で普通の人間(兵士)が砲手を務める事もある(この場合は遠隔操作も多い)。

 無人タイプ(有人型に比べ小型)は「ドール」と呼ばれ、ドールを複数同時に操れる者は《人形遣い》と呼ばれる。

 

《人形遣い》

 複数ドールを同時に、個別に操る「高性能」チャイルド。高価だがコストパフォーマンスが高いので歩兵同様の頻度で各軍部に採用される生体兵器。

 日常的に精神的に極度の緊張・演計等処理を強いられるのでだいたいが短命(精神的に疲弊してしまう為)。脳幹にはコンピュータや接続用ソケット、全身にも接続用ターミナル(動作をトレスする感応パーツ)や防衝撃用バイオアーマーを移植される為、同じ体格の者に比べてかなり重い。

 

《地球帰り》

 環境汚染、地軸変動などで環境が激変した上に多数の《門》が開き半ば魔の星と化した永久流刑地アース(「テラ」はマースの衛星フォイボスを指す)から何らかの手段、理由によって帰還した者の総称。特殊な能力を持ってしまう事が多い。

 

星帝

 科学の星を統べる連邦政府の首長、「魔」に染まりつつある星々を監視する者。正式役職は事務総長。「科学」の星に対して絶大な影響力、権力を持つ為に「帝」と揶揄される。

 現帝はアクエリアンのハウエル・マエアス。魔女狩りを推進する人物でもある。

 

魔女狩り条約

 連邦政府に連なる国、星を中心に横行するヴィイなど全ての異能力者を排斥する根拠法。だが科学の星の上層部またはその近くには権力に従う(あるいは従わされる)強力な異能力者が半ば公然と存在し、排除される「魔女」の多くは反権力体制者。

 

ラグナレク

 科学の側から《門》の開く原因となった星間百年戦争の俗称。発端となった政府の幾つかは滅んだが実効力を持つ正式な停戦交渉は現在も結ばれておらず、現在でもこれを口実に戦争を続ける星がある(ラマンもその一つ)。

 

 

 

用語設定・魔 

 

《門》

 本来は物理・量子的に超えられない光速の向こうの世界=魔と、光速の内側の世界=科学を繋いでしまった場の総称。ゼロ距離(互いに見えるし言葉が通じれば会話も出来る)だが次元を超える必要上、星渡りの魔力を持つヴィイかジャンプ(空間跳躍)能力を持つ星船のみが行き来できる。

 

ヴィイ(男性形はヴィア)

 純粋な魔力の場=《渦》に躰の一部を結び合わせ(この儀式を「契約」と呼ぶ)魔法を期限付きで得た者。俗に言う魔法使い。

 中には生まれついて身に「契約」を宿す者も稀にあり、その者は《契約者》と呼ばれて無期限の魔力を行使でき魔力も強い。《協会》と呼ばれる統括組織に所属して互いの限界を補う。

 魔法を使う者に対して非常に大きな拘束力を持つ。掟は絶対。

 

魔女王(ウィッチキング)

《協会》最高責任者であると同時に魔力発動のキーパーソンとなる存在。四大精霊+魔力元素(エーテル)の魔女王が存在するが現在、土とエーテルは空席。全員が揃うと完全に世界の創亡さえ可能になるらしい。

 

ビシニア

 プシキャットの故郷。一応はフリークスヒューマンタイプのヒトの星だが妖魔系の血が濃く、種族的に魔に近いのでヴィイ、《契約者》が非常に多かった。

 百年ほど前(ラグナレクが流れ解散的に「終結」した頃)、偶然からアクエリアス政府に攻め滅ぼされ、統括支配者でもあった魔女王ネモも拉致され、現在では半ば廃墟と化している。

 

竜狩り

 純粋な「魔」の生物である竜を科学の武器ではない剣で狩る、主として部族単位で生活する先天的にヴィアになれない者。万能薬ドラゴンブラッドの「製法」を継承する。肉体的に非常に頑健。

 

「魔」の世界から《門》を通って出現した、不可侵の鱗を持つ生物。主に竜狩りの剣で駆り立てられるが、強力な銃器で殺す事も出来る為に最近では科学の世界にも殺す事の出来る者が増えつつある。

《敗北者の凱歌》

 

 

 

 荒い息遣い。足音のたびに走る、「激痛」という言葉も生温い疼き。全身が熱い……雨中にあっても「見える」脂汗が額から絶え間なく滴り落ちる。

 畜生……幾度も口の中に独りごちる。畜生、畜生、畜生!

 今度こそ、と思った。今度こそ、あの薄汚い心臓に刃を突き立てられると思ったのに!今度こそ……なのに遂に折れ、失った剣。幾度となくずたずたにされた誇り。

 高貴なる者をこの生命と引き替えに狩る、その誇りさえ傷ついた。

 いや。我が身の卑しさを省みれば「誇り」なぞ。

「……ち、くしょ……う……」

 もう何度目かも判らないめまい。それに吐血……それを癒す術は「今」の私には。

「ち……く、しょ……」

 がく、と脚が崩れる。もう駄目だ……視界がブラックアウト。

 

 暗転。

 

 がたた、と立て付け悪くドアが開いた。

「おっかえりー、ジャン!」

「ただいま、仔猫ちゃん」

 笑い、ちっちゃな額にちっちゃなキス。プシキャットは真っ赤っ毛を揺らして嬉しそうに、そしてくすぐったそうに笑う。

 けれど。

「ジャンビーヤ、お前が背負う『それ』は何だ」

 同居人兼相方、あるいは役立つ居候に「それ」と指差され、もとパンツァー兵士は軽く笑う。

「行き倒れを拾ってきた」

 言い、シーアを退かせた後のソファに「それ」を横たえる。

「フリークスタイプか。犬猫でもないのによく拾ったな」

「犬猫じゃねえからほっとけなかったんだよ。キャット、救急箱とブランデーと、一応の絹糸とタオル。シーアは湯を湧かしてくれ」

「怪我をしているのか」

「よく判んねえけどな、たぶん。トマの野郎を呼ぶかどーするか、悩むよ」

「『たぶん』?」

「見れば判るさ」

 雑巾と大して変わらない、そう言うのが正しければ「服」。もとはかなり縫製がよかったのだろうがあちこちに焼け焦げた跡、切り裂かれた跡が残る。腕の辺りを躊躇いなく切り落とし、漆黒の肌が露出する。

 けれど、おかしな事に外傷そのものは一つもない。

 プシキャットは絞った濡れタオルで顔を拭ってやる。長いめの前髪を払いつつ額を拭い、左眼に頑丈そうな何かの革と銀で作った眼帯をするのが判った。その辺りの肌にはケロイドがひどく、何らかの傷病の痕を隠している。

「触った感じ、何箇所も骨が折れて筋も断裂してるが傷自体は全然ない。どんな風に暴れればこんな怪我をするのかが判らん」

 救急箱から麻酔のアンプルを取り出し、アレルギーを確かめようと針を打ち込む。

 いや、打ち込もうとした。

 針はぽきりと折れた。

「……?」

 肌に触ると柔らかい。多少は筋肉質だがそれでも柔らかな、たぶん女の躰。けれどそれにしては胸元がひどく平坦で、全体に皮膚と肉置きが厚い。

 首を傾げながらもう一度、別の注射器に薬液を吸い上げ、血管に突き立てる。

 また、折れた。

「黒い肌に……針が折れる?」

 まさか、と女の腰元を探る。

 背を回るベルトに括りついたホルダー。中身はないけれど「何か」を固定する為に括られるたぶん鞘はひどく大きい。

 そしてその留め具に象眼されるのは、コウモリみたいな大きな皮膜の「翼」を持つ魔妖。

 何よりも、右手にがっちり握って離さない「何か」の柄。先っぽは無残に折れた様で、こちらに残るのは申し訳程度の金属の破片。

 それらは全て、ちょっとの以前、寝せようとした子供が逆に教えてくれた「寝物語」にある記憶に繋がる。

「……シーア、医者より辻占のお勢ババアを呼んできてくれ。こいつ」

 上げた顔は多少、間抜けていたかもしれない。

「こいつ、たぶん本物の竜狩りだ」

 

「まさか生きてる間にもう一度、本物の竜狩りを拝めるとはねえ。しかも、女だよ」

 薬草と薬湯の投与という、手当てと言うにはあまりにも心許ない手当てを終え、けれど竜狩り女にはこれが精一杯だ。老婆は枯れ枝みたいな手をぬくい湯で丁寧に洗う。

「この人、おねえちゃん? それとも、おばさん?」

「お姉ちゃん……だね。まだ若いよ」

 けれど乳房を二つとも切り落とし、何よりも異様なのは左の眼窩。どうやら刃物で抉り取った古傷だ。

「おばあちゃん、キャットに竜狩りのお話を教えてくれたもんね。ちゃあんと覚えてたよ」

「ああ、お前はいい子だよ」

 にんまり笑うとなで、と撫ぜる。子供は満面に笑むと保護者に抱きついた。

「ジャンも覚えてたの! だからね、おばあちゃんを呼びなさいって言ったの」

「ほう! この悪ガキがのう」

 けひひ、と笑うと眼も口も皺に埋もれる。丸めた新聞紙がげらげら笑うみたいに。

「黙れクソババア」

 それより、と眠る女を見下ろす。

「骨折と腱断裂、内出血にプラス相当の疲労だ。薬草なんかで本当に助かるんか」

「さてね。この娘がドラゴンブラッドを持っていたらもっと簡単に治せるんだが……あれは万病に効く。シーア、『判る』かいね」

 薄茶の瞳が寡黙な男を見詰める。そうされ、シーアはゆっくりと口を開いた。

「判らん」

「そうかい」

 さほど気を悪くした風もなく、やれやれ、とか言いながら煙管に火を点けさせる。

「おばあちゃん、ドラゴンブラッドなんてほんとにあるの?」

 名前の通り、猫みたいに細い虹彩を揺らして子供は問う。前髪にもひとすじ交じるたてがみも揺れた。

「おお、あるとも」

 にま、と笑う老婆。

「あれは竜の血から作る薬での。怪我に病気、何でもござれの特効薬だ。ただし、その製法は『本物の』竜狩りしか知らん。竜狩りは自らが狩った竜でだけ作るんだよ」

「……血じゃない。肝臓と胆嚢だ」

 嗄れた声がようよう訂正を求める。その声に、子供は眼を輝かせて女にしゃがんだ。

「おねえちゃん、眼が覚めた?」

「……」

 微かにうなずく。額に載せられた濡れタオルをひどくゆっくりした動作で取り去り、少しずつ身を起こす。

 現われるのはあまりにも鮮やかなペリドット。真夏の鮮烈な日差しに映える若葉色の瞳。

「……とんだ迷惑をかけた。謝罪す」

 咳き込み、口の中に残っていたのだろう血の塊を少し吐き出す。べちゃ、と毛布が紅に染まった。

「謝るのは元気になってからでいい。それより、礼ならこっちのババアに言うもんだ。このクソババアが薬を飲ませてやって」

 そんな若造の背を思い切りけっ飛ばし、もう少し咳き込む女にしゃがみ込む。

「若いの。あんた、どの星の竜狩りだい」

「どの……とは」

「竜狩りは魔の星に生まれながら魔の素養と力を持たん、ヴィアになれぬ男がなるもんだ。だが、お前さんは娘……女は生れ付きヴィイに《契約》出来る。それがなぜ、ヴィイに生きずに竜狩りになった」

「……」

「心配するな。儂は魔女狩り役人じゃない、ヴィイだ。そして、この娘もな」

 笑って額飾りを外すと青瑪瑙色の額を見せ、子供の頭を一つ撫ぜる。

「あたしグノーム(土)のプシキャット! キャットちゃんって呼んでね。それでね、このおばあちゃんはお勢ちゃん。セルフ(風)なの」

 左手を見せるプシキャット、その小指は美しいエメラルド、「土」の魔力を持つ証の色を帯びる。

「……」

 黒い唇が痙攣し、咳と血色の唾が吹き出す。ジャンビーヤはそんな女を寝かせてやった。

「判った、まだ起き上がるな。それよりお嬢さん、あんたドラゴンブラッドは持ってないのか」

「……」

 震える右手を上げる。がっちり握っていたそれ、かつては「剣の柄」と呼ばれていたのだろうが、今はただ無残な「棒切れ」をようやく指から離す。

 使い古した柄。最初はたぶん上等な香木になめし革を丁寧に巻いていたのだろうが、今はひどくくすんで汚れた代物。

「尻の留金を外せば、中に……ある」

「煎じ方は知っとる。クソガキ、一番いいワインとブランデーをよこせ。言っとくがブランデーを飲むのは儂だ」

「うるせえアル中ババア。キッチンに……キャット、案内してやりな」

「近頃の若い者は礼儀を知らん」とか言いながら消える老婆の後ろ姿に中指を立て、振り向く。

「まあ、お勢ババアは口はああだが腕はまともだ、あんたも早晩治れるさ……それより。訳ありと見たんだが、話す気はあるか?」

「……ない」

「じゃあ、養生するんだな」

 そう言うとジャンビーヤは、シーアも席を外す。

「……」

 竜狩り女は三つほどを咳をし、めまいを堪える事も出来ずに呆然と天井を見上げる。

 生きている……まだ生きている。

「まだ、私は……」

 けれど、誇りは? 竜狩りとしての、仇を追う者としてのプライドは?

 それよりも、何よりも。

「私は……生きている……」

 響く音は嗚咽でもあり、咳き込むそれでもある。

 

 こくん、と喉が上下する。

「く……!」

 びくん、と肩が上下に揺れる。

「おねえちゃん、だいじょぶ?」

 かは、と口から空咳が飛び出す。脂汗が吹き出し、グラスを持つ指が痙攣する。

「おねえちゃん!」

「お待ち、キャット。見ていてご覧」

 びくびくと痙攣を繰り返す躰。遂にグラスを取り落とし、毛布に跳ね返って鈍く音を立てる。

「が、は……っ!」

 ごぼっ、と吐き出す紅の塊。何度も痙攣する腕は痙攣のまま毛布を掴み、力の入りすぎる指先が更に黒く変色する。

「お、ねえちゃん……おばあちゃん! おねえちゃんが」

「大丈夫。竜狩りは『強』すぎるだけだよ。じきに治まる……ほうれ」

 言う通り痙攣の間隔が少しずつ広がり、吹き出す汗が激減する。呼吸は徐々に穏やかに繰り返され、やがて瞳がゆっくりと開く。躰も起こした。

「……世話を、かけた」

 そうして竜狩り女は微かに笑む。プシキャットも花のほころぶ表情で笑った。

「よ、かった! おねえちゃん、もう大丈夫?」

「ああ、もう……世話をかけた」

 なで、と黒い掌が真っ赤っ毛の頭を撫ぜる。子供は満面の笑みを湛えると女に抱きついた。

「よかった! よかったね、おねえちゃん」

「……だ」

「なあに?」

「……名前。エ・ルスクスの家のサヴィーア、部族姓は《黒い翼》(レイヴン)」

「あたし、プシキャット!」

「『仔猫ちゃん』?」

 そうかもしれない。虹彩が縦長で、真っ赤っ毛に一筋、金色のたてがみの入り混じる仔猫だ。淡いこがね色の肌が滑らかで愛らしい、たぶんビシニア生まれの娘。そういえば、あの星も滅んだと聞く。

「ジャンがくれた名前なの!」

「そういうこった」

 ジャンビーヤは適当に引き寄せる椅子に座り込む。

「あんたを拾ったのは俺だ」

 言って子供を向こうに行かせる。プシキャットは手を振り、おやつを伝える声に笑って応える。

「……世話をかけた」

「礼も世辞も要らん。話をしよう。

 あんたは竜狩りなんだろう。それがどうしてこんな、一応は科学の星にいる。何か、俺に手伝い出来る事があれば言ってみろ」

「……どういう意味だ」

 胡散臭そうに眉を寄せる女に人の好い、けれどどこか小暗い笑みを見せる。

「こいつは生憎と義侠でも親切でもねえ、ビジネスだ。俺は便利屋でな、金になりそうな仕事は何でも請け負う」

「……金はない」

「ドラゴンブラッドはいい金になる。死病さえ癒す万能の薬だ、金持ちは」

「何が万能だ!」

 壁さえ震わせる声。サヴィーアはペリドットの瞳を明らかな怒りに歪め、あまり小さいとは言えない掌を爪が食い込むほどの力を込めて握り締める。

「何が万能だ! ドラゴンブラッドは魔の生物の血だ、魔の生き物の……それのどこが!」

 咳き込み、もう少し黄色い唾が指の間から吹き出す。

「……あんたがどう思ってるか、誇りってやつにすがってんのか、そんな事は関係ねえ。竜狩りってな誇り高いってババアも言ってたしな」

「だがな」と、ジャンビーヤは唇をだけ笑ませる。

「それが金になるのは事実だ。そして、どんなに富を積んでも欲しいという奴がいる。そういう奴が存在る限り、俺は商売根性はなくさないね」

「……お前には恩を受けた、だから返せというのなら返す。だが、これで一儲けしようというのならお前を斬る」

「剣のない竜狩りに何が出来る」

 女は黒唇を噛む。

 百の竜の首を狩った者はその血を浴び、はがねに傷つかない強靭な肉体と力を手に入れて真の竜狩りになるという。ああ、ならばこの女は「本物」だとも。なまなかの武具ではたぶん傷つける事さえ出来ない不可侵の鱗を持つ魔の生物を、己れの生命と誇りをかけて狩り取る者。

「俺はドラゴンブラッドが欲しい。そしてお前は竜狩りの剣が欲しい。違うか? 悪くない取り引きだと思うがな」

「……竜狩りの剣は特別製だ。はがねを鍛えただけで出来上がるものじゃない」

「だがヴィイなら剣に祝福を与えられる、そうすりゃ鉄の塊が本物の剣になるんだろ。あんたが望むならあのババアに口を利いてやる」

「……」

 指先が毛布を手繰り寄せ、噛み締める唇をやや解放する。

「……」

「時間をやるよ。考える時間……だが、あまり刻限はない。あと四日もすれば磁気嵐が止む、星船が飛んでしまうぞ」

 はっと顔を上げる竜狩り女、その表情にジャンビーヤはにやりと笑う。

「ネタなら流れてくるんでね。商人とは名ばかりの外道、かくも悪名高き人買いサジェッタ・レビ。奴の首を狙った『勇敢な』剣士がいるとは酒場の語り草……たぶん奴は『そいつ』を狩り出そうとしてる、だから噂を流す。そしてサジェッタ様は磁気嵐の後に星船を飛ばすとさ」

 一つだけの瞳を見開く竜狩り女、その表情にあるのは歪んだ歓喜とそして怒り。まだ可能性があるのなら……おお逝きし者よ、許されるならばもう少しの生を!

「……剣をくれ! ドラゴンブラッドはくれてやる、だから剣と介添えの力をくれ!」

「了解した」

 サヴィーアは小暗く笑む。

 

 まだ「生きて」いられる。

 普段は石畳の広場に、今は市場のパオが立ち並ぶ。商人のある者は近隣の街から、またある者は星船を駆って市へと集う。

 ヒト=ヒューマンフリークスは科学の星アースに生まれ、銀河へと広がり、次元の壁が打ち破られて以来、少しずつ魔に沈みはじめている。「ヒト」の概念で言えばベムに分類される者の少なくない魔、けれど互いに勢力を広げるごとにベムもまた「ヒト」と呼ばれはじめる。

 それでもまだここは「ヒューマンフリークスのヒト」だけの科学の星であり、魔の影響はごく少ない。そんな街角に佇むサヴィーアは空を見上げる。双子の月が巡る星レムリアのこんな季節は磁気嵐が激しい、星を渡れる日は限られる。

 畜生……羽織るマントの端をぎゅ、と掴む。全身が竜の黒血に染まった躰、いかに装おうと膚の色は隠せない。

 誇りなど捨てた、そう思っていた。けれどその「誇り」が復讐の原動力と知った瞬間、己れを嗤った。嗤うしか出来なかった。

 そう、奴は私の「部族と共に生きる誇り」を傷つけたのだ。魔を宿す証の眼は自身で抉り出した、けれど「そう」した原因は奴だ、あの男だ! 腹の底に灼いて広がる熱を味わう様に一歩いっぽ、教えられた通りにガッセ(通り)を歩く。

 古ぼけた階段を降り、古びたドアが幾つか続く。

 魔法街というやつだ。魔が広がってこっち、いかに科学の勢力の強い街にも必ず隠れあるという神秘の住人のささやかな棲家……奥から二つ目のドアを叩く。

「誰だいね」

「サヴィーアです」

「……お入り」

 軋む音を立てて開く重厚なドア。中はどんな光源を持つものか思いの外に明るく、却って階段の方が暗かった。少し眼を細めて中を見渡し、お勢と呼ばれ、名乗っていたヴィイが人の好い笑顔を見せる。

「よく来たね、レイヴンの娘。まずはお座り」

 キャラコみたいな布を張った背高のストゥールを勧め、老婆は立ち上がると近くの茶箪笥から急須と茶葉を取り出す。丁寧に量り、放り込むと湯を注ぐ。砂時計できっちり三分を計り、大振りのマグに煎れた。

「お飲み」

「……竜狩りは」

「他人の塩を食わない、だろう? そんな戒律に一いち目くじら立てる事もあるまい。いい葉なんだよ、飲まなきゃ損さね」

「なぜ、貴女は竜狩りにそれほど詳しいのです」

 老婆はずず、と茶を啜る。いい薫り……本人が言う通り、きっと上等な葉に違いない。

 けれど。

「少しは要領よくやりな。キャット嬢ちゃんから聞いたがお前さん、ろくに飯も食ってないそうじゃないか。病み上がりが、倒れちゃ仇討ちも出来ないよ……お飲み。これは人生の先輩、いやさヴィイとしての命令だ」

「……では、失礼をする」

 マグを取り上げる。口をつけ、思い切って一口、小さく啜る。ああいい味だ……けれど、あれ?

「この茶は……」

「……判るね。ラマス産のラダルム茶だよ」

 びく、と痙攣する黒い手。それを見て老婆は哀しそうに笑む。

「レイヴン……その名はまだ生きていたんだね。儂も覚えとるよ。偉大なる竜狩りエ・ロベルア・レイヴン、お前さんの何代前かね」

「三代前の祖母の腹違いの兄上です。私の父がその名を戴きました、貴女は大ロベルアをご存じなんですか!」

「好い男だったねえ。ジジイになっても好い男だったよ。

 そうだろうね、お前はやっぱりロベルアの血筋だったんだね。同じ彩の瞳……面差しがあるよ。好い男だったねえ」

 細い、枯れ枝みたいな指先が女の頬を撫ぜる。

「大方、その抉られた左眼は《契約》だったんだろうね。あの星の女は大抵ヴィイになる、惚れた男を支える為に。

 だが、お前はきっと竜狩りになる事で目玉を捨てた。《協会》は破壊の為に魔力を使う事を禁じるから……違うかい?」

「……その通りです。私は……自らの目玉を抉りました」

「なぜ」

「……昔話です。昔の」

「お言い」

 ぴし、と声が響くのは気のせいだろうか。

「ロベルアは儂の好い人の一人だ。その男の孫子が自らの眼を抉る様な事に、なぜならなけりゃあいけなかったか。レイヴンの悲劇は儂だって知っている、だが『お前の』悲劇は知らない。儂に知る権利はないのかい?」

 柔らかな、けれど偽りを許さぬ声音……サヴィーアは顔を上げる。

「懺悔を、聞いて、下さいますか?」

「おおともさ」

 

 唇が震えるのはなぜだろう。

 

「……なるほどの。ヴィイどころか《契約者》だったかい」

 冷めた茶を煎れ直す。サヴィーアは零れた涙をぐいと拭った。

 そんな女を見詰め、老婆は少し鼻を啜る。この娘はあの男に似ている、そう心の中にごちて。本当に優しくて、本当に勇敢で、そして不器用だ。

 ああ、この娘は哀しいほどあの男の血筋だとも。そんな子を遺せたあの男が羨ましく、そして愛しい。

「事情はよう判った。なら、これを持っておいき」

 戸棚の奥から運び出すひどく大振りの木箱。金具で厳重に封をしたそれを開けさせ、中の包み布を丁寧にほどく。

 中に収められるのは大人の丈ほどもある大きなはがねの塊。刃を持たず、けれど熟達した竜狩りの手に掛かれば温めたナイフでバターを切る様に強固な首を狩り落とす魔剣。

 バンディッドソード(蛮刀)と呼ばれる剣がある。それを人間大に拡大すればこんな、そう言うのが正しければ剣が出来上がる。ただし、なまなかの膂力では奮うどころか持ち上げる事さえ出来ないだろう。そして素っ気ないほど質素な柄には柔らかだろう滑り止めの革を巻き付け、鈍く黒光る。

 だが、取り上げるとひどく、異様に軽い。人間に数倍する重量を持つはずの鋼の塊はけれど竜狩りにとっては羽根の様に軽く、片手で軽々と掲げられる。

 それが竜狩りの剣、ドラグゥーンキラー。

 たぶん真っ新な剣。刃紋を見れば脂落としの研ぎにすら出されていないと一目で判る。

「これは……?」

「銘をご覧」

 指し示される刀身には朱を彩る粋な飾り文字。

「……リク・ラックル……ですか?」

「当時、若かったが腕のよかった刀匠だよ。儂が祝福を授けた最初で最後の一本……だろうね」

 本当はあの男に与えたかったのだが……老ヴィイは懐かしむ様に微笑む。

 竜狩りの剣に祝福を与えられるヴィイは一人だけ。それは彼の男の愛する者。

 自分はあの男を愛していた。けれど、彼が選んだヴィイは自分ではなかった。

「持っておいき。祖父の剣を孫が使うんだ、これはいい事だよ」

「……はい。代金は必ず」

「払うんだったら儂に付き合っておくれ。まずは、この婆に昔話をもっとするんだ。お前さんの楽しい思い出……辛い話じゃない、懐かしい風景を。

 それが終わったら食事に付き合うんだ。好物を作ってあげよう。食ったら今夜はここでお眠り、キャット嬢ちゃんには儂から言っておく」

「……はい」

 こんな風に笑うのは久し振りかもしれない。

 

 

 

 張り出し舞台に次々に並べられる若者。男も女も、フリークスタイプもベムタイプもお構いなしに次々と。

 奴隷市。それを取り仕切るのはいつも流れの商人。黒ビールを舐めながらジャンビーヤは内心、唾を吐く。

 ここで並べられるのは一山幾らの「安い」奴隷。ごく普通の、ちょっとお金持ちの家の小間使い程度に(「そう」じゃない事もままあるが)使われるお手軽な連中。

 もう少し興が進めば、今度は性奴隷が引き出される。飾り立てられ、「ただそれだけの」為に売り買いされる、決まって美しい者たち。

 最近ではアスターリスク女が人気があるらしい。あれは典型的な目玉お化けなので見栄えは悪いが味はいい、ルファルの張り見世で買ったが中々の床上手だった。

 問題は「ここ」では売られない「高級な」奴隷たち。

 何らかの「際立って特殊な」能力を持つ者は人気がある。《契約者》や《地球帰り》みたいな異色の万能者、竜狩りの様に「秘薬」の製法を持つ者なら特に、だろう。

(あのお嬢さんは若いのに地獄を見た、って事か……もっとも)

 他人の事は言えないがヴィイの年齢は判りにくい、ジャンビーヤはシガーに火を点ける。アカコガネ煙草は喫い口は重いがタールは弱い。

「俺が囮になるか」

 ぼそ、と吐き捨てるシーア。

「お前が一言、何か言やお終いだもんな……まあ、そうそう働かせる訳にもいかんし、何よりサヴィーア様のお気が済まんでしょうよ」

「じゃあ、どうする」

「ビンラから仕入れたんだが明日の夜、上客相手に内々の奴隷市が開かれるそうだ。そしてサジェッタ・レビはその上がりを抱えて星船を飛ばす。狙うならそこだ」

「派手に暴れるつもりか」

「暴れるなら、な。金を遣うなり油断を突いて侵入するならもっと静かにやれる。俺も」

 だす、と音。足元を駆け去ろうとした毒虫を踏み潰した足音。

「俺も調べたい事がある。サジェッタ・レビの野郎の抱える傭兵はラマン上がりが多いそうだからな」

「ほう」

 シーアはそう素っ気なく応え、ジンジャーエールを舐める。

 そうしてジャンビーヤは殊更顔を近付けた。

「ところで賢者サマよ。このテーブル、盗聴器の類がくっついてねえ? さっきからノイズが聞こえて仕方ねえや」

「あるが心配するな、機能は殺してある。届く会話は女の品評だ……お前は耳までいじっているのか」

「事情があってよ」

 こと、とテーブルを微かに揺らすグラス。ジャンビーヤは相好を崩した。

「んじゃ、今夜のうちに一応セットアップしとくか」

「暴れるつもりか」

「念の為、だ。今度、音声トレースシステムを搭載したんだ。呼べば来るぞ。昔からやってみたかったんだよ、指鳴らしてマシンを呼ぶってやつ」

 にか、と子供みたいに笑う。

「要らん。第一、そこから装着に何分かかる。俺はお前の専属メカニックじゃないんだ」

「力貸してくれるだろう?」

「断る。暴れるなら生身でやれ。ましてやドール(無人型)は使うな、メンテナンスの金ばかりかかる」

「ちえ、けち野郎が」

 シーアはぶっきら棒に微笑むと紙幣を二枚ばかりテーブルに放り出し、立ち上がる。

「先に帰る。呑みたいなら釣りをやる、じゃなかったら後で返せ」

「ああ」

 ジャケットを羽織りながら行ってしまう相方を手を振って見送り、寄ってきたウェイトレス娘に追加のビールを頼むと胸元に紙幣をねじ入れる。

「相談があるんだが。仕事、引けるの何時だい?」

 まだ少女の年齢だろうベムのウェイトレスは手慣れた表情で笑った。

 

 

 

 竜は剣で狩るものだ……遅くに竜狩りとなった父はそう教えてくれた。

 竜はもとある世界では、魔とはいえ高位に在るもの。それを不粋な武具で「殺す」とは非礼に当たる。ゆえに、こちらも生命を懸けて高貴なる剣で一刀の下に首を狩る事こそが、異界の者の前に現われた竜に対して報いる事なのだ……彼は「異端」に生まれた末娘にも他のきょうだい同様に分け隔てなく接し、暖かく育ててくれた。

 ヴィイに契約する事自体は異端ではない。むしろヴィイになれる女が産まれるのは当たり前の話で、ラマスはそれほど水の「魔」の星だった。

 自分が「異端」なのは、生まれついて《契約》を身に宿していたからだ。

 ヴィイやヴィアの家系に《契約者》が産まれるのは稀にある事だ。けれど代々魔力を持たなくてもある意味では当たり前の、最下級のヴィイになるのがやっとの竜狩りの家系に 《契約者》が産まれるのは異端であった。

 偉大なる遠い祖父譲りのペリドットの右瞳。そしてオンディーヌ(水)の《契約者》の証である水晶の色を宿し持つ左瞳の娘。そんな小さなサヴィーアは魔力を持たぬ兄たちからは祖父の誇りを穢したと苛められ、苦労して《契約》した姉たちからはひどいやっかみを受けた。

 そんな自分がいじけもひねくれもせずに育てたのは、全て父の優しさと平等さのゆえだった。

 

 それなのに。

 

 朱色に染まる思い出……レイヴンの部族は竜狩りとしてひどく優秀な一族だった。けれど《門》を通って新しく星に入った、光の毒を撒き散らす科学の武器には全くの無力だった。

 刃を通さぬ皮膚を爛れさせて父や竜狩りの男たちは血を吐きながら死んだ。まだ竜狩りになれぬ年若いきょうだいたち、老いた女は次々に首を刎ねられ、あるいは獣に嬲り殺された。

 ヴィイの母や姉たち、若い女は難儀して光の毒を癒せたけれど様々に《契約》を穢され、魔力を封じられて弄ばれ、奴隷商人に売られていった。身に入れられた毒で狂死した者もいるという。

 殺戮者の目的はドラゴンブラッドとその製法。ただそれだけを手に入れる為に最も強固に教えを拒んだレイヴンの部族を皆殺しにして見せしめにし、他の「弱い」部族からそれを手に入れた。

 異端の娘だけは危機を察していたらしい父に連れていかれた《協会》に守られ、無事だった。けれど部族の無残な死報を耳にし、「平和に」生き延びた自分が許せなかった。

 だからサヴィーアは《契約》を抉って捨て、背の呪いの烙印と共に《協会》を破門され、そうして竜狩りになった。

 父たちの死に怯え、誇りを売り渡した者に膝を屈して教えを乞うた。もはや滅ぼされたけれど父たちの名跡を継ぎ、殺戮者に復讐する為に。

 そして手に入れた。父と同じ黒い肌、刃や弾丸を通さぬ、竜の鱗に似た強靭な躰を。

「だから」今度こそ部族を皆殺しにしたあの男の首を斬る。今度こそ……もはや「竜狩りという誇り」など要らない。

 そして然るべく為した後、竜を狩るこの剣で我が首を落とそう。

 それだけが失われた者たちの仇を討ち、そして竜狩りという誇りを穢した愚者=自分を罰する唯一の方策なのだから。

 

 

 

 眼を開く。視界に入るのは狂暴なほど明るい朝日。

 これを拝むのも今日が最後かもしれない。それはそれでいい事だ。真っ更な剣をヒトの血で穢すのは気が引ける、だがそれもまた剣の運命だったのだと諦めよう。

 朝餉の支度を終えた老婆は身繕いする女に哀しげに微笑む。

「……昨夜、ジャンの坊主から連絡が入ったよ。成し遂げたいのなら夕方までに来い、

道を用意した……とな」

「はい」

 老ヴィイに向き直り、サヴィーアは竜狩りの儀型で丁寧に礼を述べる。

「お礼の申し様もありませんが、恩に着ます」

「ちょっとでもそう思うのなら、ちゃんと生きて帰っておいで」

 魔女はにま、と笑う。竜狩り女の心根を見透かした様に……サヴィーアは身震いする。

 老ヴィイはただ穏やかに微笑み、若い女の黒い頬をゆっくりと撫ぜた。

「ちゃんと帰ってくるんだよ。儂にとってお前は孫も同然だ。孫には、若い者には年寄りを看取る義務がある。いいね、必ず帰ってくるんだよ。判ったね」

 念押しに曖昧に返答し、億劫に席に着く。

 甘く爛れた薫り……麻薬煙管のすえた臭い。粋人を気取った馬鹿な客は出されたそれを喫い、馬鹿になった頭で大した価値もない奴隷を高値で買っていく。いつでもそんな阿漕な商売をしている訳じゃないが、こんな半端な星ではそれで十分だ。金だけは持っている馬鹿な客、せいぜい稼がせてもらうさ……強化ガラスの向こうで繰り広げられる光景を寝椅子の上から見物しながらサジェッタ・レビは喉の奥で笑い、愛人の豊かな腰を抱き寄せる。

「商品はあと何匹残っとる」

「アスターリスキアンが二体と、あとはマーティリアンとアクエリアンです。それより」

 ぼそそ、と耳打ちするクィラス。彼がそうすると、いつも肩に垂らしてある薄布がさらさらと音を立て、こいつは確か、余計な電波を拾わない為のバリアなのだそうだ。

「お前に引っ掛かった?」

「予定外の客です。誰かに金でも掴ませて入り込んだんでしょう」

「ポリスメンか」

「そんなものじゃありません。パンツァー兵士、あのタイプは《人形遣い》です」

「そう言うとは、顔見知りか?」

「一瞬だったのでよくは判りません、けれど《人形遣い》は備品なので外部社会には出

られない。『そう』だとすると、ひょっとしたら」

「じゃあ、そいつはお前に任せる」

 ふああ、と生あくびすると女の胸元に顔を埋める。暖かな、アスターリスキアン特有のふっくらした三つの乳房は顔全面を余す事なく包んでくれる。こいつら、「顔」の半分が巨大な一つ目だって事を除けば大層な娼婦だ。

「それより、市をきちんと管理しとけ」

「……は」

 警備頭は慇懃に礼をすると踵を返す。そんな姿をぼんやりと見やり、サジェッタ・レビは今日の上がりに関してぼんやりと思いを馳せる。ああ、明日の今頃は星船の一夜か。

 

 幾度も図面と場所を見比べ、サヴィーアは笑う。間違いない、このマンホールを上がればいい。この悪臭に「普通」の奴なら鼻を摘んで逃亡するだろうが、生憎と生肉と腐血の臭いに比べたらこんなもの。紙を畳んで尻ポケットに押し込めるとペンライトを消し、ラダーを掴んで足をかける。大人ほどの大きさのある鋼剣を背負っているとは思い難いその足取りはむしろ軽く、それこそが竜狩りの証と言える。

 上り詰め、気配を探る。音は聞こえない、気配もない……そっと上げ蓋に手をかける。

 大丈夫、何もない。左手で躰を固定したまま力をかける。鍵もない蓋はあっさり持ち上がり、素早く上がり切ると静かに閉める。自分では感じない臭気を消す為に別の尻ポケットから消臭スプレーを出して全身に吹きかけた。

 竜を狩る時、猛毒を含む血を飲まない様に口と鼻を覆う柔らかな革フードを上げ、足音なく走りはじめる。

 

 なんと俗悪な……そう思う。泣き喚く娘の、屈辱を恥じる男の衣服を剥ぎ、麻薬に酔った客に裸身を見せ付ける。疵のない事、穢れのない事を「証明」する為に様々に酷い仕打ちを与え、そんな「商品」にされた者たちは金と引き替えに売られていく。

 自分も生き残る為には大概ひどい事もしたが、少なくともそれは互いに生存を懸けての事だった。金の為、快楽を得る為に誰かを踏み躙った事はないつもりだ。

 ちら、と腕時計で時刻を確認する。シーアは顔を上げ、頃合いを見計らうとほんのちょっとだけ左耳の月光石を填め込んだ銀のピアスを外す。きいん……独特の耳鳴りがした。

 ほんの少しだけ障壁が崩れる。

「『はじめる』か」

 張り出し舞台がぐん、と振動する。そこだけ局地地震が襲った様に眼に見えてばためき、引き出された娘も引き出した男もまろび落ち、両脇に縛り付けられる緞帳が鈍く躍る。

 揺れが「伝染」し、ライトが、ミラーボールが落ちる。砕けたプラスティックやガラスが飛び散って鈍い輝きを放ち、客やら「従業員」やらの悲鳴が響く。

「……『こんなものだ』」

 ピアスを、魔法障壁を戻す。

「地震」も、全ての揺れが嘘の様に静まり返る。いまだ騒ぐ連中に何も言わず、ただ足を組み治す。慌てふためくふりをするのは苦手だ。

「後は巧くやれよ、ジャンビーヤ。竜狩りも」

 飲み物が欲しい。けれど今の「地震」の煽りを食った天井から埃が落ちていた、液面に光る汚れに手の動きが止まる。しまった、俺も「潔癖症」になっちまったらしい。

 

 薄暗い通路に響く足音はない。硬質ラバーの靴底は歩き方と相俟って体重を緩和してくれる。気配さえ殺せば粗忽な者は気付きもしまい、相手が動物並の感覚を持っているなら話は別だが。ジャンビーヤは耳の後ろを掻き、ちょっと屈んで首を右に傾げる。

 音を立てて弾ける壁。真っすぐ立っていて、しかも首を傾げていなければ弾けていたのは彼の頭だ……くくっと笑う。

「ようやく用心棒サマのお出ましかい。遅かったな、何メートル歩いたと思う?」

「その声、やはり《人形遣い》か」

 ぴく、と人差し指が動く。

「俺のその名を知ってるたあ、お前もやっぱりラマンの軍人崩れってこった。あのクソ野郎、バングル・レムダは生きてるか」

 かつ、と足音。姿を現すのはクィラス。彼はバリア布を外し、足元に無造作に落とす。

「レムダ将軍の安否は知らん。だが隊を壊滅に『導いた』裏切り者、《人形遣い》ジャンⅣなら知っている。今、俺の目の前だ」

 本当に微かなライトの光を反射するナイフエッジ。ジャンビーヤは頬の動きで苦笑を表現する。

「《人形遣い》、貴様がいなければ軍は壊滅しなかった。俺もこんな腐れた生き方をする事も……!」

 コンバットナイフで切り付け、ジャンビーヤが左の二の腕のホルダーから素早く抜いたファイトナイフの細い刃は見事に受け止める。勢いを使って弾き上げ、耳障りな鋼の音が響く。

 床に唾を吐くジャンビーヤ。

「ああ、俺は確かに軍を壊滅させたさ。だが、あんな屑の集団を生かしておいたところで酸素を浪費しただけだ。特に、あのクソ野郎なんぞ死んだ方が世間の為……!」

 ぎいん、と音。鍔迫り合い、ジャンビーヤは眉を寄せる。細身のファイトナイフは小回りは利くが力勝負に弱い、その通り、ひどくしなって今にも折れそうだ。

「例え屑でも上司は上司だ! それを貴様は仇と狙うか、チャイルドの分際で!」

「何が悪い。あの屑のお陰で俺たちは、エイヴは……!」

 クィラスの腹に蹴りをくれ、怯んで後じさる両目に切っ先を滑らせる。目玉は生物共通の急所だ、ましてやフリークスタイプならば。

 鈍い音が響いてナイフが折れる。きらきらと銀色の軌跡を描いて折れたエッジをクィラスは片手で払うと斬り掛かる。

「ち、索敵兵か!」

 シルバーブロンドが幾筋か飛ぶ。ジャンビーヤは必死にディザーム(武器落とし)をかけてナイフを叩き落とし、クィラスは拳を構えて殴りつける。

 

 いい加減、見物も飽きたし寝所に戻ろう。愛人の尻を叩いて促し、サジェッタは立ち上がる。いや「立ち上がろうとした」。したけれど、その直前。

 寝椅子の前にどさっと無造作に投げ出される「もの」。それはかつてはヒトと呼ばれていたけれど、今はそうじゃない……首を切り落とされ、生きていない事が一目で判る生肉の塊。

「こいつは……」

「空き」に合わせて雇い入れたばかりの、クィラスの手下の用心棒だった「肉」。まだ心臓の緩慢な動きに合わせて血潮を吹き出す滑らかな切り口を一瞥し、「動き」の発端であろう方向を見やる。

 革の防護服の合間から見える黒い肌。ペリドットの一つの瞳と、何よりも大人の丈ほどもある大剣……サジェッタは眼を見開く。けれど、それは驚愕というよりある種の感嘆がそうさせるのかもしれない。

 ある意味、呆れ果てた感嘆だが。

「ほ、ほ、もう来やったかい。竜狩り殿、傷は癒えたんだねえ」

 幾度となく襲いかかり、その都度に屍の山を築きながらも手下に蹴散らされる女。強靱すぎる肉体を持つが故に、「普通」の襲撃者ならば無残に死す深手にさえ死ぬ事が出来ずに現われる者。

「サジェッタ・レビ、今度こそ貴様の首をもらう」

「そんな事を言わず、素直にうちで売られればいいものを。お前さんみたいな奴なら高値で売れるし、買われる先でだって可愛がられるだろうに」

「歌っていろ、下郎」

 ぎらり、と刃のない鋼の塊にライトが鈍く煌めく。

「○○○」

 黒い唇から紡がれるのはヒトの言語に依存しない、「魔」の詞のコマンドワード。

「ただの一言」で鋼の塊に「刃」が吹き上がる。ヴィイが祝福を与える真の理由、冷たく重いはがねの塊を「剣」に生まれ変わらせる文字通りの「魔法」。

 内心、竜狩り女は感嘆していた。

 この「刃」は今まで見ていたそれよりも遥かに「強」い。老ヴィイの地力もあるのだろうが、それ以上に自分の「残り滓」の魔力と共鳴するのが判る。

 背が、背に捺された魔力封じの烙印がちりちりして、痛い。

「まったく。懲りもせずにもう四度目だいね、その台詞……おやり」

 ぱち、と指を鳴らすとベムの娼婦が立ち上がる。主人の好みで無理にまとわされた綺麗な布を腰から剥ぎ、アスターリスキアンのくせに《地球帰り》とは反則だ!

 かつては牙がみっしり生えていた、けれど主人のものを食いちぎらぬ様に抜かれて歯茎の見える大口を殊更大きく開く。息を吸い込み、全身のワイヤーじみた筋肉が膨れ上がる。

 サヴィーアは舌打ちすると十字留を取る。攻めより防御を重視する構え……襲撃を抑える足元からぎちっ、と音。

 怪獣みたいに吼えて襲いかかるベム女。剣の腹で鈎爪を受け止め、一気に引いて払う。ガードが甘くなった腕に斬り付け、「ちょっと」力を込めるとさしもの剛筋も切り裂かれて腕の二本ともが綺麗に切断されて放物線を描く。だがすぐに切り口から新しい腕が生えて、まったくトカゲみたいな奴だ。ただし、再生力は文字通り化け物クラスの。

 ベム女は何度か首を振る動作をし、新しく「生えた」腕をぐるぐる回してまるで調子を確かめる。不都合はない……そんな感じでにんまりと笑うと再び襲いかかる。

 でたらめに振り回す拳の一撃を食らえば、いかに傷つかない躰であろうともダメージを受ける。鋼鎧に包まれる人間も棍棒で殴られれば血は出ずとも痛い、それと同じだ。

 しかもこの「棍棒」は斬られても再生する。たぶん無限に。ただでさえ純粋なる「魔」の星に生まれたアスターリスキアンの生命力は馬鹿強いのに、それが《地球帰り》で強化されては堪らない。

 振るう剣の目標を首に定める。この間、ここを斬っても死ななかった怪物、だが!

「せああああっ!」

 裂帛の気合いと共に横薙ぎ、筋肉という鎧ごと腕とまとめて首を断ち落とすと、バスケットボールより大きな頭部はごろりと重く落ちる。サヴィーアは素早く飛び上がり、左手に握っていた「それ」を再生をはじめる傷口に素早く埋め込む。

 ぬるっ、と音を立てる様にいびつな頭が生え、だが。

 多くの生命を売り買いし、大抵の残虐に慣れていたはずのサジェッタ・レビは嘔吐する。

 着地し、サヴィーアはにこりと笑う。

「傷口」から生えた頭、それはぼごぼごと沸騰し、血膿じみて溶け崩れては新たな頭が次々に生え、同じ事を繰り返す。いや頭だけではなく腕が、腹が、全身が……沸騰し、内側から泡立っては崩壊と再生とを出鱈目に繰り返す。皮膚が波打ち、鉄臭い腐臭が濃密に立ち篭める。

「科学の理屈で説明すると、ドラゴンブラッドは生物の細胞やら新陳代謝やらを本来以上の速度で活発化させるのだ、とあの男は言っていた」

 サヴィーアの暗い微笑み。無数の「死」を自ら刻む者だけが浮かべられる、小暗いそれ。どれほど「外道」と罵られようと「自らの手では」そうしないサジェッタには理解

できない、そして作る事の出来ない表情。

「だから、ドラゴンブラッドはごくわずかな量にアルコールと熱を加えて希釈しなければ飲んではいけないらしい。そんな『強い』も代物を直に体内に押し込んだんだ、結果は」

 竜狩り女はむしろ微笑む。生命力に溢れる、ひどく美しい若葉色の瞳を「闇色の死」に染めて。

「ただでさえ死ににくいアスターリスキアンで《地球帰り》。さて、どれほど生きていなければいけないものか……楽しみだ」

 

 蹴り上げられ、ジャンビーヤは胃から上がった苦い水を思わず吐き出す。不様に転げながら生理的に零れる涙を拭うとさっきの折れた切っ先を拾い上げ、続け様の拳撃を身を返して躱しながら背後に回り込み、延髄に押し当てる。

 押し込むがターミナルに阻まれ傷は小さい、だが皮膚に走る微かな痛みに怯んでほんの少し動作が鈍る。その隙を見逃さずに胸ポケットから抜く、ある意味でパンツァー兵士にとって一番恐ろしい「武器」スタンガンを背中、心臓の真後ろに押し当てる。躊躇わずにスイッチを入れた。

「くたばれ……!」

 音さえ伴う青白い光が二人を、辺りを照らし上げる。

 精密電子部品は高圧電流に弱い。ましてやそいつの塊であるターミナルはいかに防護措置を施されていようとイオンを通しやすい血液に「包まれて」いる、嫌でも電流の影響を受ける。

「……!!!」

 クィラスの目玉が弾けて飛び出す。がちゃりと音を立てて作り物の眼球……高性能ソナーと分析装置を兼ねる金属の球体が地べたに転げる。幾らか音を鳴らし、そいつは暴れ回る「所有者」の脚に踏み潰された。

「あ……ああ、あっ!」

 闇雲に振り回す腕を必死に回避する。特別製スタンガンの高圧は掌のターミナルを伝ってジャンビーヤにも少しのダメージを与えるが耐えられないほどではない。再び、今度は眼窩に突き立て、金属部品のスパーク音を聞きながら刳りつける。何度も、何度も……クィラスは全身に生臭い白煙を噴き、眼窩からは火花を散らしながら背後にどうと倒れた。

 不快な息を吐きながら、まだ煙を吐く頭を一つけっ飛ばす。どうせこいつもラマンの屑野郎だ。

「は、地獄に堕ちやがれ。お前が本物のニンゲンなら、俺みたいな……チャイルドと違って天国ってやつに受け入れてもらえるさ」

 指先の動作で侮辱の仕草を与え、屍を打ち棄てたまま歩行を再開する。

 

 沸騰する肉はもはや「生き物」の原型など留めておらず、果てしなく盛り上がっては崩れる事を繰り返す不様なスライムと化す。

 そんなものにはもう一瞥もくれず、サヴィーアは剣を弄ぶ。

 目の前で弱々しく、たぶん命乞いする男。両手と両足の腱を切断され、目玉を抉り出され、薄汚れる男の証を斬り落とされた、もはや「ただ生かされているだけ」の、老人であった肉塊。その悲鳴さえ既に弱々しく、死へのカウントダウンは終盤を迎える。

 早く剣を振り下ろしたい……その誘惑に必死に耐える。今まで幾つもの「死」を自ら刻んできた竜狩り女は死神の到来するタイミングを熟知し、それゆえに一刻でも長く責め苦を味わわせる。まだ足りない、もっと……それが誇りを重んじる竜狩りには赦されぬと理解してなお。

「……だ……ず、げ……」

 眼窩から滴り落ちる涙は血糊を溶かして真っ赤に染まり、弱く咳き込むたびに吹き出す唾も同じ彩。いざる事も這いずる事も出来ず、ただ弱々しい呼吸に合わせて肩が起伏を繰り返す。ああ、もうそろそろ「この瞬間」も終わりだ……半ばうっとりし、腕の力を調節する。

「だ、ずげ……マル……ヒざ……」

「マルアウヒ・レーエン、星帝の腰巾着と聞く。やはりそいつがお前の主人か」

 動かぬはずの、もう自発的に動かす事さえ出来ないはずの指先がびくりと震える。いや、痙攣しただけかもしれない。

「ああ、知っている。お前なぞ末端に過ぎない事も、星帝がおこがましくもヒトの分際で不老不死の妙法を求めている事も。何年、お前を追ったと思っている?

 そうとも、お前は所詮、他人の尻尾だ。命じられた事をこなすだけの小悪党、『だから』私はお前を憎んだ。お前を殺そうとする事で生きていた。そうしなければ目的が『大きすぎ』て見えなくなってしまっていた……感謝している」

 微笑みさえ浮かべて血塗れの頬をなぞり、高貴な姫君が騎士の手の甲に口付けを与える動作で捧げ持つと優雅な動作で床に叩きつける。顎の骨が砕け、瀕死の男はがぎょ、と鈍い音と共に血泡を、そして欠けた歯を吹き出した。

 ひゅー、ひゅーと微かな音。

「星帝もマルアウヒ・レーエンもどうでもいい。命じた者なぞは……私に必要だったのは『目的に設定するに足る手近な目標』、そして『直接に部族を滅ぼした仇』だ。まあ、その意味ではお前も難儀だったな」

 もう、本当の終わり。剣の切っ先をぴたりと喉笛に定め、誰が「自然に」死なせるものか。

「さらばだ、薄汚い道化」

 べちゃ、と飛んだ血の量は案外少なかった。

 

 くすり、と笑うとフードを剥ぐ。納めていた髪が暴れてばさりと落ち、剣より吹き出す魔力の「刃」が首筋をちりつかせる感触を味わう。冷たいほどの痛み、そして。

「もし、私を迎える慈悲深い煉獄があるのであれば。偉大なる大祖父よ、貴方の愚かな孫を呪いたまえ」

 刃の食い込む感触は思っていたよりは痛くなかった。

 ぼんやりと思い出していた。

 一番上の兄におやつを取られた事とか。

 歳の近い姉に髪飾りを壊された事とか。

 そんな、どうでもいいと言えばどうでもいいのだけど、けれどわりと覚えている事などを反復し。

 

 私は死んだのだな……と、どこか他人事の様に思った。

 

「……地獄というのは案外、単調だな」

 なんにもない。自分以外は誰もいない、ただ暗いだけの場所。薄ぼんやりと暗く、熱くも寒くもない。ただ岩だらけのまるで荒野がどこまでも漠然と広がる、そう言っていいのならば環境。

「しかし、もっとこう……肌をも燃やす火が燃えているとか、身を苛む獄卒が剣や棍棒で責め立てるとか、そういう事をされてこその地獄だと思うのだが」

 案外以上に卑俗な事しか思い浮かばない。何と貧相な想像力だろう。

 現実の「地獄」の方がよほど苛酷に過ぎたから、かもしれない。

《地獄に落ちたいの?》

「落ちたい訳じゃないが、そうなるのが筋だろう……うん?」

 律儀に返してから気付く。おや、今の「言葉」は誰のものだ? 「ここ」には自分以外の誰もいないのに?

《おねえちゃん、みっけ!》

 不意に背後から抱きつかれる。一瞬よろめき、確かな質量が背に食い込む。そうか、これが話に伝え聞いた地獄の鬼というものか。

《失礼だなあ! キャットちゃん、おねえちゃんをお迎えに来てあげたのに!》

「……なに?」

 抱きついた「そいつ」を強引に引き剥がし、見やる。

 誰だろう。象徴画に描かれるオンディーヌの様にほっそりと美しい、妖魔の証の大きな耳に水晶色のカフスを幾つも飾るたぶん少女で、けれど、一筋のたてがみを持つ髪は焔みたいな真っ赤っ毛。

《キャットちゃんだよ。ジャンもシーアも、お勢ちゃんもおねえちゃんを心配してるのよ。ねっ、帰ろう》

 手を差し出す。淡いこがねに輝く美しい肌……ってちょっと待て、あそこにいたプシキャットは子供だったぞ? それがまるで、そう「成長」しているじゃないか!

《だって》

 見透かしたみたいに少女は笑う。

《キャットちゃん、夢使いだもん》

「……ゆめつかい?」

《そう! キャットちゃんね、「夢」を操られるのよ。人に楽しい夢を見せてあげる事も、嫌な夢を見せて殺してやる事も、忘れたつもりの「思い」をもう一度見せてあげる事も出来るの。だからね》

 えへへ、と小首を傾げて屈託なく笑う。

《おねえちゃんはね、ほんとは覚えてるんだけど思い出せないだけなの。哀しいことばっかり覚えすぎてて、楽しい事をちょっと思い出せなくなっちゃってるだけなの》

 だからね、と少女は猫みたいな瞳を揺らして笑い。

《おねえちゃんはね》

 広げる掌がぱあっと輝く。

 

 荒野が変貌する。

 

 それはラマスの懐かしい故郷。紫色のアナナスが咲いていて、フラウ(害虫を食い殺す肉食の虫)が飛んでいて。

 父が、母が、部族が住んでいた。お世辞にも豊かで楽な暮らしではなく、子供といえど日々の仕事は幾つもあって。

 けれど、懐かしい人々が肩を寄せ合って暮らしていた小さな集落。

(ああ、そう……開きの季節が来ると、未婚の娘は両手一杯に紅柊の枝を拾ってきたんだ)

 わずかな畑の豊穣に祈りを込めて、拾った枝を丁寧に松明に仕立て、神聖に灯した火を竃の女神を彩るべく竃にくべて歩く。

 それを行なえる娘たちは女神の使いと呼ばれ、駄賃に花の種をもらうのだ。開きを祝い、新たな恵みの季節を飾る為に。

(雪深い隠りの季節には、開きを望んで大人は火を絶やさず、子供は草人形を編むんだ)

 冬の死神を追い払うべく貪欲な彼女に与える身代わり人形を作り、不器用な者は器用な者に菓子や絵本を代価と払って自分の分を作ってもらう。

 サヴィーアはわりと器用な子供だったから麦藁で幾つもの人形を作り、二番目の姉の分もこさえてやった。礼にもらった、生まれてはじめて口にした水飴の美味しかった事。

 それに。

 それに。

 それに……。

《ね、ちゃんと思い出せばけっこう覚えてるでしょ? 悪い事ばっかりじゃなかったの、「いい思い出」が欲しすぎただけなの。おねえちゃんは哀しすぎるから「死」を望んじゃった……思い出した?》

「……」

《こんなとこにいてもね、「心の砂漠」にいても本当に欲しいもの、「いい事」なんて手に入らないのよ》

「心の、砂漠……」

 黒く染まった唇が動く。見やって少女は小さく笑った。

《そだよ。ここはおねえちゃんの寂しい心なの。こんなとこ、本当にずっと、永遠にいたい場所?

 違うでしょ! 本当はおねえちゃんだって明るくって、綺麗で、それで楽しい場所がいいんでしょ》

「……ああ」

 ああ、そう……欲しかったのは「家族で」「共に身を寄せ合って」「一緒に生きていける」場所。

「そこ」は永遠に失った故郷。そう、死ねばひょっとしたら戻れると思っていた。死んでも構わないから戻りたかった。

 本当は戻れないと判っていた、だからこそ破滅を望んだ。「それ」だけが唯一、自分だけが生き延びた事への償いにすり替えられそうだったから。

「独りである事」はそれほどに辛すぎた。

《「生きていればいい事がある」なんてただの唄の文句、ただの嘘よ。

 でもね、それだってほんのちょっとの「本当」が生み出した祈りなのよ。おねえちゃんはもう「知って」るでしょ?》

 白い手が黒く染まった腕を取る。

《だからね、キャットちゃんはおねえちゃんに言ってあげるの。帰ろうね、って》

 にこお、と笑う。

 その表情は確かにあの、猫の瞳の娘だった。

 

 もう一つの言葉を聞き、そこでサヴィーアは眼を開いた。

「……、……」

 覗き込むのはジャンビーヤの顔。

「よす」

 片手を上げてジャンビーヤは笑い、ぐしりと黒い頭を撫でる。

「お帰り、竜狩りさん」

「……!」

 何か、間抜けではない事を言わねば……そう思った喉に激痛が走る。痛い、息が詰まる、悲鳴さえ上げられない。

 こんな「痛み」ははじめてだ、反射的に喉に手をやると布の存在に気付く。これは何だろう? 柔かくって、まるで。

 包帯?

「馬鹿かい、お前は」

 頭をごく弱くはたかれる。喉に響いて叫びそうになったが声は出せず、ずきりと鋭い痛みが走るきり。

 叩いたのはお勢という名のヴィイ……たぶん本当の名ではないのだろう、「お勢」なんてテラナーの名前だ。

「『若い者には年寄りを看取る義務がある』と言ったろうに、そんな事も思い出せないのかい。キャット嬢ちゃんが間に合わなかったらお前、肩の高さで棺桶を作らにゃならなかったんだよ!」

 何の言葉を返せと……竜狩り女はぼんやりと視界を検分し、同じくらいのんびりと喉に触れる。ずきずきと熱く疼く。

 老婆の言葉が正しければたぶん首を掻き切る事に成功し、けれど夢使いと名乗る少女に助けられた。

 なぜ? ぬっくと突き出されるのはジャンビーヤの掌。

「集金する前に死なれちゃ困るからよ」

「……?」

「お前さんがベムに使った分と、それからこれから服ませるドラゴンブラッドの代金。もう俺に売った分から使うんだ、きっちり払ってもらうぜ?」

 にんまり、と人を食った笑顔。

「……!」

 もし、ここで喉が健康なら文句の一つも言っていた。ちょっと待て、ベム女を殺すのに使った分は最初から売らずに取り置いたのだ。売った分だって剣や手助けの代金だ、なぜそれに対して請求される必要がある! それに、助けてくれと頼むなど。

「本当は死にたくないんだろ。だからサジェッタ・レビを付け狙う事で生きていた。義務と願望をすり替えて……違うか?」

 ビリジアングリーンの瞳がひどく、そう言うのが正しければ切なげに微笑む。

「だったら、生きろ。

 払う金がないならお前の生命を俺が買う。ヤバい仕事には優秀な相棒と用心棒が必要なんだ。俺がお前を欲しがってやるよ、だから」

 

 生きろ、と。

 お前が必要だ、と。

 

「……」

 黒い唇が動く。苦笑と、そして呆れを表現して。

「うるせえ、ペシミストのニヒリスト。けどな、そんなのは過ぎれば『只の人』だぞ」

 唇の動きを読んでジャンビーヤは笑う。

 その隣で穏やかに瞳を笑ませるのはシーア。

「嫌なら」

 寡黙な男が言葉を綴る。

「嫌なら、俺が無理に生かす。お前を死なせるのは楽にしてやるのと同じだ……死なせはしない。痛みから、辛さから逃避する姿は惨めに過ぎる」

 一つひとつの言葉を区切る様に遣う男、その独特の口調には覚えがある……ああそうか、この男は「言霊」を操れるのだな。だから普段は何も言わず、ただ口をつぐむ。

 口では何とでも言える。そして言えば成してしまう。だから何も言わず、この男は「万能」であるがゆえに力を遣わぬ賢者だ。

「いいな」

 二人の男の一つの言葉。サヴィーアは一つしか残っていない瞳を笑ませ、そして少し、ほんの少しだけ笑う。

「……」

 ああ、と言うつもりだった。

 そう、こんな奴らと一緒にいるのは悪くないかもしれない。他人に一生懸命になるお人好しなど……考え当たり、吹き出して喉の痛みに頬が引きつる。

 自分も「お人好し」だ。いやそれ以上に「根性なし」だ。「仲間の為の復讐」を口実にしなければ「強く」生きる事さえ出来なかった自分も。

「それ」が無為であるとは思わない。けれど「それ」だけを糧にするには、あの少女の言った「心の砂漠」は辛過ぎる。「何」もなさすぎる。

「寂しい」という感情は「独り」では感じられないから。

「……」

「キャットなら寝てる。魔力を使うといつもなんだ、当分は眠り姫やってる。まあ他人の眠る時の夢に入り込む程度なら大したもんじゃないらしいんだが、お前さんのみたいに生命を繋ぎ止めよう、なんてやると物凄い魔力を使うらしい。だからしばらくは寝ている。礼なら目覚めてから言ってやりな」

「……」

「こそばゆい事を言うなよ。背中がむず痒い」

「……」

「黙れ!」

「怪我人相手に怒るな」

 シーアはごく軽く笑み、相方の肩を叩く。

「読唇して怒るな。何を話しているのか判らん、お前の心を読むぞ」

「それは勘弁してくれ、飲み屋のツケの額もバレる」

「……またツケて呑んだか」

「いーだろ、俺の稼いだ金を俺がどう遣おうと」

「それは構わないが、パンツァーとターミナルの維持費くらいは残しておくんだな」

 言葉に詰まる男に薄く笑み、シーアは奥から老婆の作った「薬」ドラゴンブラッドを希釈した液体を運ぶ。

「生きたかったら、服め」

 ほんの半秒ほどの時間を躊躇い、黒い指はグラスを受け取る。

 ここには「竜狩りの誇り」がなくとも。

 もう「生きていた目標」復讐の仇がいなくとも。

 それでも。

 こんな奴らと生きてみるのもまあ悪くないと、そう思ったから。


 
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